あれから一週間過ぎてもローゼンは酒場へやってこなかった。最初に逃げたのは私だけど、突然来なくなると不安になってしまう。もしかしたら仕事で怪我をしたり、何かあったんじゃないかと。私がマグノリアから逃げ出した時もローゼンがこんな気持ちを抱いていたのだとしたら、なんて考えて少し申し訳なくなってくる日々だ。
そして、更に三日後。思わぬ客が昼間の酒場に来た。
「姉ちゃん!」
酒場の扉を乱暴に押し開き、乱暴に押し入って来た筋肉の塊。その男は店の中を見回してもう一度探し人を呼んだ。
「姉ちゃん!何処だ!?」
エルフマン。私の弟。彼が何故、こんなところにいるのか。いやそもそもローゼンが此処を知っているのだから、いずれ来るとは思っていたが割と急に来たもんだからびっくりして接客に使っている盆を取り落とす。と、エルフマンは一瞬こちらを見て再度店内を見廻し始めた。
「姉ちゃん何処だ!いるんだろう!返事してくれよ!」
あまりにも大声で叫ぶものだから私も恥ずかしくなって、落とした盆を拾って口元を隠しながら応えた。
「煩い。聞こえてるわよ」
「えっ、ね、姉ちゃん……?」
声の発生源、私の方を見てエルフマンは固まる。そして、目をパチクリとまばたきさせ驚いたような顔。
「え、本当に姉ちゃん?」
「エルフマン。わかるでしょう」
「……うおぉぉぉん!漢ぉぉ!!」
私のことをやっと姉だと理解すると、今度は泣きながら抱き着かれた。姉離れしたと思ったのに……いや、そもそも何も言わず勝手に出て行ったのだから仕方ないのだろう。私は受け止めて、優しく弟の頭を撫でる。
「姉ちゃん!急にいなくなっちまうもんだから……!本当、心配で!」
「ごめんなさいねエルフマン。心配、懸けたわよね。でも、もう大丈夫だから」
沢山のお客さんに見られながら、私は泣き続ける弟を慰めた。
「それでどうしてエルフマンが此処にいるの?」
やっと泣き止んだ弟と店の二階、私の部屋で向き合う。するとエルフマンは腕を組み言う。
「決まってんだろ。姉ちゃんを連れ戻しに来たんだ」
「連れ戻す、ね」
「……それとな姉ちゃん」
弟はまるで怯えたように、肩を縮こまらせた。
「兄ちゃんと喧嘩した」
「え?」
思わぬ言葉が弟の口から出て思考が停止する。『兄ちゃんと喧嘩した』とはつまり、ローゼンと喧嘩したということだ。今まで一度だってエルフマンがローゼンと喧嘩しただなんて見たことも聞いたこともない。いや、そもそもローゼンが喧嘩するだなんて想像が出来ないのだ。むしろその理由に興味が沸いた。
「なんでそうなるの?」
「その……兄ちゃんが姉ちゃんを連れて帰らないから、口論になって」
「ローゼンと口論?」
いや、エルフマンじゃそもそも勝てないだろう。私だって言い合って勝ったことなんて殆どない。別に喧嘩とかじゃないけど、少しわがままを言ったりしただけの話だ。
「いや、口論って言うと語弊があるんだけど。どっちかって言うと俺が勝手に言ってるだけでさ。冷静じゃなかったのは俺だけで、兄ちゃんはいつも通りだったし」
ローゼンは喧嘩をしない。少なくとも、魔導書一冊コーヒー溢したくらいで怒られたこともなかった。そういう時はローゼンは決まって私達が火傷してないか心配してくれたのだ。
「……でも、兄ちゃんだって本当はさ。姉ちゃんに帰ってきてほしいはずなんだ」
「ローゼンがそう言ってたの?」
「そう言ってたっていうか、姉ちゃんがいなくなった時、兄ちゃん凄い焦ってたし、結構探し回ってたから」
「ふふっ、そうなのね」
「なんで笑ってるんだよ姉ちゃん……」
思わず微笑を浮かべてしまい、エルフマンはそんな私の様子を見て困惑していた。
「思ったよりも大事にされてたんだなって」
「俺も気が気じゃなかったよ。姉ちゃんが急にいなくなって」
「本当にごめんなさい」
リサーナがいなくなって、日が経たないうちに私までいなくなって。エルフマンには本当に心配させたと思う。逆の立場になるときっと私は耐えきれなかったに違いないのだ。だから、エルフマンには本当に悪いことをしたと思っている。
「それでローゼンは今どうしてるの?」
「兄ちゃん?」
「いつもは一週間に一度、来てくれるのに来なかったから」
「あー、そういえばたまに様子を見に行ってるって言ってたなぁ。そういえば最近はあまりギルドにも顔を出さないけど」
「そうなの?」
いつも通りと言えばそうかもしれないが、エルフマンが言うならよっぽどのことなんだろう。私がギルドにいる時は割といたような気がするけど。
「それにしたって随分と遅かったわね」
私の予想ではエルフマンは私の居場所を知ると真っ先に飛んでくる、と思っていたのだがローゼンが見つけてからだいぶ時間が経っている。姉離れしたということなのだろうか。
「いや、真っ先に飛んでいこうとしたんだけど。兄ちゃんが今はそっとしといてやれって」
–––そんなことは全くなかった。
「それでしばらくしてから兄ちゃんが行けないから俺に行って来いって言ったんだ」
「そうなのね。それでローゼンはどうして行けないって?」
「いや、喧嘩して全く訊いてなかった」
肝心なところを聞いてないあたりエルフマンらしいというか、やっぱり彼を捕まえるには自分で行くしかないらしい。エルフマンも改まって言う。
「姉ちゃん、戻ってきてくれよ」
本当はローゼンから意地でも引き出したい言葉だったけど、弟にそう懇願されては仕方ない。迷惑かけちゃったし私も随分と落ち着いた。今なら戻れそうな気がする。
「うん。わかったわ。……っていうか、もうその準備始めちゃってたのよね」
ローゼンとあの日話してから一週間、来なかったから私も既に行動を移していた。今までお世話になった近隣の人達に街を離れる挨拶をしたり、使っていた部屋の掃除や整理なんかも毎日していた。
私があの日、勝手にマグノリアから出て行ったように。今度は勝手に帰ってローゼンに「おかえり」って言ってやるのだ。「ただいま」でもいい。驚く彼の顔が目に浮かぶ。
「姉ちゃんすっごい悪い顔してる」
「うん、なんだか楽しみになっちゃって」
「兄ちゃんと何かあったのか?」
「うーん。やっぱり待ってるだけじゃダメだから、捕まえようかなって」
そう言った瞬間、何故かエルフマンの顔色が悪くなる。ちょっとその反応は失礼じゃない。
「なにその顔、言いたいことでもあるの?」
「いや、だって姉ちゃん……姉ちゃんが追うって言ったら捕まえるまで止まらないだろ。それこそ地の果てまで追い掛けられる兄ちゃんを思うとなんか……同情する」
「それはエルフマンとリサーナが悪いことをするからでしょ?」
「そりゃ昔に兄ちゃんと姉ちゃんの仲を揶揄ったのは悪かったと思ってるけど、何もしてない兄ちゃんが追われるのはなぁ」
「何もしないローゼンが悪いと思うの」
そう。何もしないローゼンが悪いのだ。むしろ逃げたから追うことになっているんだけど、さすがにそこまでは弟に話す気はない。彼の過去を勝手に話すのは気が引けた。
「まぁ、兄ちゃんって結構ドライな性格してるからな。それにしても姉ちゃんこんな部屋に一年も住んでたのかよ」
納得したように大きく頷くと、改めて部屋を見回す。
何もない質素な部屋。あるのはベッドとクローゼット、それから机と姿見くらい。他には何もないし、机の上には纏めておいた私の荷物が置かれているだけだ。
片付けをしたから、という単純な理由ではない。借りた当時からこうだ。私物なんて殆ど買わなかったし、持ってこなかったのだ。あるものといえばマグノリアの家から持ってきた家族写真と絵本くらいで……。
「あ、これ……」
その絵本を見つけたエルフマンは凝視したまま動かなくなった。
「リサーナが子供の頃にローゼンに買って貰った絵本。持って来ちゃった」
「大事にしてたもんな」
買って貰ってからずっと肌身離さず持っていたものだ。少し大人になった今でも、部屋に大事に仕舞ってあるくらいで、子供の頃には毎日読み返していた。そのおかげで私まで内容を覚えてしまった。
「「夢幻の泉」」
私とエルフマンの声が重なる。
「なんだっけ。確か死んだ大切な人に会えるって童話だったような……」
「そうそう。病気で死んだ母親に娘が会いに行くって物語で……最後は、一緒に仲良く暮らしたとかそんな内容だったかしら」
二人で開けてパラパラと頁を捲ると、そんな内容の物語が可愛らしい絵で描かれていた。最後は母親と笑って一緒に暮らす少女の絵が描かれていて、ハッピーエンドで終わっている。著者はよく知らない人。童話作家の中では有名なのかもしれないが、私とエルフマンは知らなかった。
少しだけ懐かしんだ後、絵本を閉じて忘れないように鞄に仕舞う。
「いつ出発するんだ?」
「二日後、マグノリアに帰るわ」
もう決めた。後戻りはできない。
出番少ない漢がいたから出したかった。ただそれだけ。