「久しぶりだなエルフマン」
家に来て誰かを探すような素振りを見せる男に俺は、苦笑しながら出迎えた。
エルフマンが探している相手は誰だかわかりやすい、約一年前に出て行った実の姉だ。その姿がないのを確認すると少し残念そうに肩を落として、対面のいつも通りの席に座る。その席はかつてこの家に住んでいた時、エルフマンが座っていた指定席だ。迷いなくそこに座ると不安そうな面持ちで俺を見る。
「俺に話があるって聞いたんだけど」
「あぁ、おまえに頼みがあってな」
「兄ちゃんが俺に頼み事?」
随分と珍しい事に感じたらしい。エルフマンは訝しげに首を捻る。それもそのはず、俺が誰かに頼み事をするのはいつ以来だろうか。いなくなったミラを探すためにギルドのメンバーに声を掛けて以来になるかもしれない。それ以外、エルフマンを頼ることは中々なかった。
「まぁ、頼みと言っても別に難しい事じゃない。ミラのことだ」
「姉ちゃんがどうかしたのか?」
姉の話と聞いてエルフマンは妙に食いついてくる。身を乗り出しそうなほど前傾姿勢になると、机がギシギシと音を立てて揺れた。
「ミラの様子を見に行ってほしい。場所はここだ」
そんな様子のエルフマンに俺は地図を取り出し、彼の実の姉がいる街を指し示す。
「どうしたエルフマン?」
待っても了承の返事がない事に首を傾げると、エルフマンは眉根を寄せて言う。
「兄ちゃんは行かないのか?」
「他に行くべき場所がある」
「それは姉ちゃんと会うよりも大事な用なのか?」
そう聞かれると応答に困る。大事なのかもしれないし、大事じゃないかもしれない。俺が即答しない事に業を煮やしたエルフマンは真面目な顔で問う。
「なぁ、兄ちゃん。兄ちゃんは姉ちゃんのことどう思ってる?」
「それはどういう意味だ?」
「兄ちゃんは姉ちゃんに帰って来てほしくないのかって事だよ」
「それはミラが決めることだろう」
「違う!きっと兄ちゃんが本気で望めば姉ちゃんは帰ってくる!ずっとその言葉を待ってるはずなんだ!」
声を荒げて席を立つと、こう叫ぶ。
「今の兄ちゃんは漢じゃねぇ!」
それだけ言い残してエルフマンは家を出て行った。
◇
マグノリアを出て南の森へ進む。方角は何処へだってよかった。泉さえあればどこでも、その条件に当て嵌まるのが南にある大きな泉だ。
ただ“××に逢いたい”と思う気持ちさえあれば、あとは向こう側から招かれる。
「霧が出てきたな」
森の中に霧が出始める。次第にそれは足元も見えないような濃霧に変わり、その中を迷うことなく歩いていくと急に霧が晴れた。
さっきまで森の中にいたのに、広がっていた光景はまるで違う。一面の花畑と泉があり、隣には木が一本生えていた。その向こうを見れば地平線が広がっており、空と地の境界が見渡す限り続いている。
俺は迷うことなく一歩を踏み出し、泉の上に足をつけた。すると足は沈むことなく水面に乗り、波紋が生じる。その上をまた一歩進みある程度進んだところで立ち止まる。
そこで泉に変化が起きた。波紋の中に見える景色が歪み、俺以外の誰かの姿が映る。そして、泉から霧のようなものが湯気のように舞い上がると、それは……。
『おかえりなさい、ローゼン』
ミラの姿になった。
『ローゼン?どうして泣いているの?』
これで一つの答えが出てしまった。目の前にミラの偽者が現れたことが何よりの証明だ。だが、それを受け入れられない自分がいる。だからこそ俺は結果を否定した。しなければならなかった。
「違う。俺が逢いに来たのはおまえじゃない」
偽者のミラは寂しそうな顔をして微笑む。その姿に胸を刺すような痛みを覚えた。
「あぁ、わかった。そっちがその気ならこっちにも考えがある」
俺は虚空から杖を取り出すと魔力の圧縮を開始する。尋常ならぬ魔力量に空間が揺れ、軋むような音を鳴らしたところでミラの姿のまま泣きそうな顔で懇願する。
『わぁー、わぁー、ごめんなさいマスター!だからやめて!これ以上は壊れちゃう!』
「だったらミラの声で喋るな、顔で泣き顔するな、消去するぞ」
霧散した魔力が霧となり、泉の中へと吸い込まれていく。
杖を仕舞ったところで、“ミラ”は怯えたように俺の様子を窺いながらも告げる。
『そうは言ってもマスターが“魔法(わたし)”をそういう風に作ったんですよ。私は迷い込んだ人間の記憶を読み取り、感情を抽出し、忠実に再現しているだけですから。その人にとって大切な人を』
白々しくも“ミラ”はそう言い切ると、昔のような小悪魔的な笑みを浮かべて人をおちょくってくる。
『マスターだって理解しているのでしょう。マスターが私をそう認識したのなら、そういうことです』
「失敗作だな、消そう」
この魔法を失敗作とする所以は、本来魔法にないところにある。元々この魔法は対象者の記憶と感情を読み取り、最も大切な者を再現するように作られているのだが、その過程で沢山の人間の情報をインストールした結果、偶然にも“自我”を獲得してしまったのだ。それ以来こいつは淡々と人の嫌がることをする嫌な魔法になってしまった。
『この私を失敗作だなんて言うんですね。大昔に死んだ愛する人のことを忘れられずメソメソメソメソと泣きながら創造した、この私を』
頬を膨らませて怒る“ミラ”はなおも毒を盛ることを忘れず、創造した主人である俺に対してそう言い放つと、すすっと移動して俺を上目遣いで見上げる。
『あ、いまドキってしましたね』
「性格悪いなおまえ」
『それはもちろん、この世界からマスターがいなくなってから老若男女様々な方をお招きしましたから。喜怒哀楽から憎悪やその他諸々の感情まで理解しています。毒を食らわば皿までです』
良くない感情を識るのは人間を理解する上で必要な事だろうが、魔法の特性上そういう仕様だったのだ。今ではそれすら娯楽として楽しんでいるようであるが。
『しかし、まぁ……』
ロングワンピースのスカートを摘みながら、“ミラ”は自分の身体を確認するように見回す。
『この恵体によく襲いかかりませんでしたね。性欲枯れてるんじゃないですか?』
「煩い」
『何百年と生きる間におじいちゃんですからね』
「誰がおじいちゃんだ」
『ええ、わかっていますとも。マスターの身体は十八歳のまま。所謂、永遠の十八歳というやつですね』
どこで覚えたのかそんな台詞を吐くと、済ました顔で淡々と続ける。
『つまり、マスターは年中発情期です』
「もうおまえ口閉じろ」
『嫌ですよ。せっかくマスターと会えたのだからお喋りしたいです』
「もっとマシな話をしろ」
『それなら一つ聞きたいことがあります』
“ミラ”は真剣な顔で問う。
『拾った娘を自分の花嫁候補に育てあげた今のマスターの気持ちは?』
「そんなつもりで拾った覚えはない」
『当時のマスターがあの娘を拾ったのは“気まぐれ”などではなく、必然でしょう。将来的にそうなる予定はなかったにしても、今のマスターとミラジェーンの気持ちは通じ合っていると思いますが』
何を知っているのか、“ミラ”は断言する。
『お忘れですかマスター。私は大魔導師ローゼンの創造した唯一無二の結界型魔法《思い出の庭》です。その効果は対象の記憶と感情をインストールし、愛する人を忠実に再現する。今の私の姿がミラジェーンに見えるのは、マスターがその者を世界で一番に愛しているからです』
……まさかその仕様が今更忌々しくなるなど、誰が予想しただろうか。
『占有率はミラジェーンの方が上。マスターはそれを確かめに来たのでしょう?』
「知りたくない結果だった」
『私はマスターの創造した魔法ゆえに、誤作動はありえませんので』
逃げ道すら塞いでいく“ミラ”。
主人に厳しい、嫌な魔法だ。
「……少し一人になりたい」
『ではまた後ほど』
“ミラ”は発光すると、泉の中に吸い込まれるように消えた。