ローゼンが店に来るのは毎週一回、週の始まりだ。
その日の前日になると私は決まって買い出しに行く。彼が来るといつも頼むシチューの材料を買うためだ。店が閉店してから仕込みを始め朝までゆっくり煮込み、味付けを整えると完成したシチューをローゼンが来る時間帯–––夜まで寝かせておく。その間に少し仮眠を取って、昼からの営業に合わせて起きてと繰り返す毎日だ。
そんな朝、シチューを煮込んでいた私に起きて来たゲイツさんは言った。
「ミラちゃん。最近、料理上手くなったねぇ」
「そうですか?」
この酒場のマスターであるゲイツさんは味見に一口シチューを貰うと、目を細めて何かを思い出すかのように虚空を見つめる。
「それも全部、彼のためかい?」
「え……?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。ゲイツさんが言う彼とは誰なのか。私の脳裏に浮かんだのはただ一人、ローゼンだ。
「最近、此処に来るようになった客……確か、ローゼン君だったかな」
確かにローゼンの名前が出て私は思わず目を見開く。私は一度だって彼のことを話していないのに。どうして、ゲイツさんには判ってしまったのだろうか。
「どうして……」
「ふむ。どうして、か。最初はちょっとした違和感だよ。ミラちゃんは何かと彼のことを気にかけていたようだからね」
「そんなに接客態度に出てました?」
「他の客とは距離感が違ったからね。以前から、知り合いなのかなと」
「……」
どうやらこの老人には全てお見通しらしい。
そこまで言われて、私は白状する。
「はい。……あの人は、その……なんていうか……私の特別な人です」
「そうかい。ということは、探している人っていうのも君のことなんだろうね。ミラちゃんはいいのかい?」
「……帰らなくていいのか、ということですか?」
鍋の火を止めて、鈍色の蓋をする。そこに写った私の顔は歪んで見えた。
「私から見ればミラちゃんは帰りたがっているように見えるけどね」
その一言に私は返す言葉がなかった。「帰りたい」そう思ったことは何度だってある。でも、勢いで飛び出した私が今更帰るだなんて言い出しづらいのだ。ローゼンが私を探しているのは判っている。それでも合わせる顔がなくて、どうしていいかわからない。どんな顔して帰ればいいのかわからない。
全てゲイツさんには判っていたのだろう。
やがて、答えない私に老人は続けて言う。
「料理を上手く作るには何が必要だと思う?」
「えっと……良い食材と良い調理器具ですか?」
「それも大切だね。だけど、もっと簡単で難しいものかな」
もったいぶったような物言いに私は答えを待った。そして、ゲイツさんは微笑んで言った。
「答えは愛情だよ。誰かを想って作った料理は必ず美味しくなるものさ」
「愛情……」
「ミラちゃんが最近作る料理にはそれが溢れている。君の料理する姿を見たら、すぐに判ったよ」
「私ってそんなにわかりやすいですか?」
「ローゼン君と接する時だけ、本当に楽しそうにしているからね」
その言葉の意味を考えるまでもなく、私は動揺した。
「……気づいていたんですね」
「わかるさ。君が無理して笑っていることくらい。まぁ、うちのバカな孫はそれすら気づいていないようだったけど」
みんなの前では笑っているつもりだったのに、それが作り笑いだったことをゲイツさんは看破っていたらしい。本当の意味で笑顔になったことなんていつ以来だろうと考えて……ふと、リサーナの顔が浮かんだ。
「私……」
「何も言わなくていい。君が来たあの日から、判っていたことだよ。いつか笑える日がくる、そう思っていたが……君を笑わせられたのはただ一人というだけだ。何も謝ることはない」
棚にあったグラスを手に取り、磨き始めたゲイツさんは目も合わせないまま開店準備を始めた。
「さて、ミラちゃんは休んできなさい。まだ開店までは時間があるし、彼が来るのも夜だろう」
「はい。ありがとうございます」
私はなんとか表情を取り繕いながら頭を下げ、部屋に向かった。
◇
夜、酒場が繁盛し始めた時間帯、私は酒場で働きながらローゼンが来るのを待っていた。彼はいつも同じ時間にやって来ては同じメニューを頼む。シチューとおすすめのお酒に一品料理、そして彼が店にいる間、会話を楽しむのが毎週の楽しみだった。
「いらっしゃいま…せ…?」
今日もまたローゼンがやってきた。それはいいのだ。楽しみだったし、待ち侘びていた。しかし、その隣には女性が一人くっついている。依頼で船に乗り込んだ時に見た“エンジェル”とかいう女。その女があろうことかはしたない格好でローゼンの腕に抱き着いていたのだ。しかも挑発的な視線を私に向けて、更に胸をローゼンに押し付けて……!
「な、なっ……!」
まるで「私のものだ」と言わんばかりの主張に私の心は掻き乱される。その上、ローゼンまで何故か微笑んでいるのだ。私には見せてくれたことがない顔で、私じゃない別の女性に。
「あ、おねえさーん。注文〜」
「は、はい。……えっと、ご注文は?」
エンジェルに呼ばれて注文を取りに行く。その足取りは重く、まるで足が鉛のようで二人の座った席へ辿り着くまでが相当長く感じられた。エンジェルは挑発的な笑みを浮かべて、こう言う。
「じゃあ、取り敢えずローゼンが頼む“いつもの”を二人分」
「……か、かしこまりました」
平静を装い伝票を書く。でも、何故か視界が滲んで前が見えなくなる。伝票の文字が見えなくて、泣かないようにしているのに、メモ帳が滲んで……。
「ゾゾっ、ガチ泣き!?」
「ひっく…ぐすっ……」
エンジェルはびっくりした様子でこちらを見た。
私はなんとか目尻の涙を拭うも溢れてくる涙が止まらない。
いつかこうなることは判っていた。
それなのに、ローゼンの隣に立つ人がいざ現れるとなると感情が抑えられなくなってしまったのだ。
「あちゃ〜、思ったより効果的面だゾ。ジェミニ、もういいゾ」
エンジェルがそう言った瞬間、隣にいたローゼンから小さく煙が破裂する。その中から現れたのは双子の人形みたいな形の星霊。双児宮のジェミニ。
「……へ?」
思わず私も間抜けな声を出してたじろいでしまった。
ローゼンが消えた。……いや、ジェミニになった。
この光景は前にも見たことがある。
確か、ジェミニがローゼンに化けたのだ。
つまりさっきのローゼンは……。
「偽者!?」
「そうだゾ」
「よ、よかった。じゃあ、ローゼンは」
「私と付き合ってるゾ」
ガン。私の持っていた木製の盆が手から滑り落ちた。
「冗談だゾ」
「な、心臓に悪いこと言わないでよ!」
「将来的にはそうなる予定だから嘘じゃないゾ」
まさかローゼンがエンジェルと恋人になる……?そんな未来あっていいはずがない。
「って、どうしてあなたがここに……?」
闇ギルド『六魔将軍』の一人、エンジェルがこんな田舎の酒場に現れたことに私は嫌な予感を覚える。するとエンジェルが底意地の悪い笑みを浮かべてこう言った。
「ローゼンと私が仲睦まじい姿を見せるとミラジェーンはどう思うかな?と思って」
本当に性格の悪い。闇ギルドの人ってこんなのしかいないのか。
「そんなことをするために来たの?」
「そんなことじゃないゾ。私は怒ってるんだゾ。……そう、例えばこの街の人間全部殺してもいいくらいに」
ゾッとするような悪意が放たれて、私は思わず身構えた。だけど、今の私にはどうすることもできない。魔法だってろくに使えないのだ。闇ギルドの中でもタチが悪い六魔将軍を相手にするのは分が悪すぎる。
私は冷や汗を流しながら、エンジェルの様子を窺う。
「どうしてそんなこと……」
「そんなの簡単だゾ」
彼女は真剣な顔になって、机の縁を指先で撫でる。
「ローゼンを傷つけた」
そして、あまりにも想像できない言葉を発して私を睨むように見た。
「だから私はおまえが嫌いだゾ。ミラジェーン」
「傷つけたって……私が?」
エンジェルは「私がローゼンを傷つけた」と糾弾する。だけど、それは無理な話ではないだろうか。私がローゼンを傷つけるなんて。不可能ではないだろうか。私が居なくなったから傷ついた?そんなことって……。
「え。気持ち悪いゾ。何笑ってんの性格悪いゾ!」
「性格悪くは…ない…わよ…」
多分。昔よりは言葉使いは柔らかくなったし、お淑やかになったつもりだ。今の私は子供の頃とは違う。エルザと喧嘩ばかりしてた私とは。
「やっぱりおまえ嫌いだゾ。いつの間にかそんな胸がおっきくなってるし」
「何処見て言ってるのよ……」
三大闇ギルドの六魔将軍エンジェルともあろうものが胸の大きさを気にしているというギャップに毒気を抜かれて肩を落とした次の瞬間、彼女の口からとんでもない情報がもたらされる。
「ローゼンはやっぱり大きい胸の方が好みなのか」
「ちょっと待ってそれどういう意味?」
ローゼンが巨乳好き。何年も一緒に暮らしていて知り得なかった情報に興味を示すと、エンジェルは呆れたような顔をする。
「やっぱりおまえローゼンのこと何も知らないんだゾ」
「いったいあなたに何がわかるの?」
「全部。ローゼンのことならなんでも知ってるゾ」
自信満々にエンジェルは胸を張って、前開きの服の間から胸が揺れる。その魅惑の隙間に酒場の男達から興奮したような歓声が聞こえた。
「教えて。ローゼンのこと」
「嫌だゾ」
「お願い。なんでもするわ」
「じゃあ、その胸削ぎ落とすゾ」
「ローゼンは巨乳の方が好きなんでしょ。嫌よ」
「じゃあ、交渉は決裂……と、言いたいところだけど」
エンジェルはトントンと机を叩いた。
「話が長くなるから“いつもの”頼むゾ」
「わかったわ。今すぐ持ってくるわね」
ローゼンが頼む“いつものメニュー”を机に置いて、匙でシチューを一口食べたところでエンジェルは口を開いた。
「ローゼンに昔、結婚を約束した女性がいたことは知ってる?」
開口一発目から思わぬ情報を聞き、私は思わず聞き返した。
「え?」
「その様子だと話してないのか」
まるで私には話したと言われているみたいだ。それが少し悔しいけれど、その話の内容が気になって些細なことと割り切ることした。それなりにローゼンとは親しかったつもりだけど、本当は何も知らなかったんだと寂しい気持ちになった。一番近くにいたつもりなのに、全然違ったのだからショックも大きい。
そんな大きな衝撃を受けている間にも、エンジェルは話す口を止めなかった。
「ローゼンには恋人がいたんだゾ。でも、死んだ」
「そんな……どうして……」
「結婚式を挙げる当日のことだゾ。突然、ドラゴンが村を襲った」
「ドラゴンが本当にこの世界にいたの?」
「いたみたいだゾ。私は見たことないけど。確かにいるってローゼンが言ってたんだゾ」
「でも、ローゼンならそれくらい倒せたんじゃ……」
「その頃のローゼンは弱かったんだゾ。……そこからはまるで地獄のような光景だった。ローゼン以外の村人は皆死んだ。ローゼンの最愛の人も、皆」
「そんな……」
私、知らなかった。ローゼンにそんな人がいたなんて。そんな過去があったなんて。
「ローゼンは大切なものを失い過ぎた。だから、もうそんな思いをローゼンにさせないで欲しいゾ」
エンジェルが怒っていた理由も納得がいく。私にだってその悲しみは痛いほどわかっている。大切な人が死ぬ悲しみ、それはもうローゼンが経験していたことだったなんて想像もしていなかったけど、今ならわかる。
「話はそこで終わりじゃないんだけど……まぁ、私がおまえを気に入らない理由は理解してもらえたみたいだからいっか」
「……うん。気になるけど、やめておくわ。いつかローゼンから直接聞きたいから」
いつの間にかシチューを食べ終えていたエンジェルは酒を片手にニヒルに笑った。
「まぁ、私としては一番邪魔な存在が消えてくれて大助かりなんだけど」
「邪魔な存在って……」
「ローゼンを好きなのはあんただけじゃないってことだゾ。で、ジェミニ使って揶揄うと面白いから挑発して回ってたんだけど……」
「わざとやってたの!?」
「あたりまえだゾ。私おまえのこと嫌いだし。本当はもっとイジメてやるつもりだったけど、一発でガチ泣きされて萎えたんだゾ」
途中でやめるあたり、本当は悪い子ではないのか。エンジェルは続けて、
「ほっぺにちゅーしたり、二人で一つのドリンクを飲みまわしてみたり、はいあーんとかしてみたり」
「それ絶対ローゼンのこと好きな女の子の前でやっちゃいけないやつよね」
「ウルティアにネタバラシしたらガチギレして一日中追いかけ回されたんだゾ。双児宮の鍵も奪われそうになったし。でもまぁ、ローゼンのコピーだから捕まることはなかったけど」
そりゃそうだ。ローゼンのコピーなんて反則ではないだろうか。戦闘用以外にしても。
「おかげで私は六魔将軍最強なんだゾ」
「絶対に渡しちゃいけない力が闇ギルドに渡ってる……」
もしかしたら、国を滅ぼせるのかもなんて危惧をするが、エンジェルとはなんとなくシンパシーを感じる。同じ人を愛する者として。
「でも、ローゼンの力を使って悪さをするつもりはないんでしょう?」
「当然だゾ。殆ど観賞用だし」
グラスが空になったところで、エンジェルは立ち上がる。
「じゃあ、私は帰るゾ」
「うん。またね」
「またねって、次もここにいたら“いらないなら私が貰うから”覚悟しておくんだゾ」
エンジェルは店を出て行く。リサーナと同じ言葉を残して。
重大なこと言っていい?
フェアリーテイルの内容忘れた。
エンジェルってこんな口調だっけ?
間違ってたら修正するつもりです。
堪忍してください。