足元すら見えない暗闇の中に自分は立って居た。
何故こんな所に居るのかなんて分からず、頭は靄がかかったように重い。
幸い、手足は問題なく動かせた。
ならばこの状態を詳しく探りに――と勇ましく行動を開始することはしなかった。
『出来なかった』のではなく『しなかった』のだ。
先の見通しがたたず不安な状況。今がそれをどうにかできる分水嶺であると理解しながら、惰性に流され動こうとしない。
――『お前はそういうやつだ』と自分の中の冷静な部分が自分自身を切って捨てた。
その考えは間違っておらず、しばらくすると左腕に何かが絡みつくような感触が広がった。
それはこちらを引きずり落とすのではなく、どこか縋るように寄りかかるものだった。
初めの内なら振りほどけていただろう。
だがそれをせず、してしまえば取り返しがつかないような気がした。
結局の所、それも現状を変えるのが怖い自分への言い訳に過ぎないのかもしれない。
やがてその重さは徐々に増えていき、左腕だけでなく全身に広がった。
そうしてその重さで動けなくなり、ついに引きずり込まれるように倒れ込み、この暗闇に溶け込むように意識を落とした。
「ん…」
寝苦しさとカーテンの隙間からうっすらと差し込む光で眼が覚める。
何か酷い夢を見た気がしたが内容はハッキリと思い出せない。まあそれはよくあることだ。
寝起きで再び睡魔に負けそうな思考もどうにか再起動に成功する。
そして同時に左腕に僅かな違和感を感じたため、そちらに視線を送る。
「またか…」
そこにあったのは美少女の顔だった。
栗色の髪にまだ少し幼さが感じられる顔。美人というよりはかわいい系だ。
そして彼女は見知らぬ顔ではなく、むしろここ数ヶ月は『親の顔よりも見た』と言える程だ。
そんな良く知った少女が目と鼻の先に無防備な表情を晒してる……という状態は思春期男子にとって非常によろしくない。
そこでベッドから抜け出そうにも、少女が左腕に身体を預けているせいでそれも出来ない。
結局は彼女が目覚めるまで、現状維持というのもいつもの事だ。
そもそもの話、別に自分と少女は彼氏彼女の関係ではない…はずだ。
数年前からの知り合いではあるが、その時はただのクラスメイトで友人。
数ヶ月前からは双方進学を機に一人暮らしを始めた結果、気の知れたお隣さん。
少なくとも本来なら自分と彼女の関係はそんな有り触れたモノだったはずだ。
それが変わったのはいつからか。
動けない自分は、過去を振り返る事で現実から逃れることにした。
◇
少女―『光井 ほのか』と出会ったのは三年ほど前。中学に入学したばかりの頃だった。
入学したてのクラスで一緒になったクラスメイト。
二人の関係はそんなものだった。
男子と女子ということもあり、初めの内はあまり関わり合いはなかった。
しかし自分たちには共通点があった。
――それが『魔法』だった。
魔法と言っても、現代においてはそれほど珍しいものではない。
使える者は少数ではあるが、魔法とそれを扱う魔法師の存在はもはや常識の一つである。
しかし少数派という事実は変わりなく、同じ魔法師であるというのは面識を持つのには十分だった。
ほのかと知り合えたのは今思い返しても良かったと思う。
先程も挙げたが、彼女は美少女だ。それに同年代の中でもスタイルも良く、正直男としては仲良く出来ただけで役得だった。
そうでなくても、彼女は努力家で優しい子だった。
恥ずかしがり屋でもあり、本番には弱いところもあったがそれも愛嬌だ。それにその事を気にして、何事にも全力で取り組み努力も怠らない真面目な面もあった。
彼女の周りの人間は自分も含め、そういうところが好きで一緒に過ごしていたんだと思う。
「いつもごめんね」
何かに失敗した時や手伝った時、彼女は決まって申し訳なさそうにそう言った。
だが彼女の努力を知っている身としては、力になれることが嬉しいことでもあった。
それは今でも変わらない。
そんな彼女が好きで、時には背中を押して手を引いて、傍で支えてもらった。彼女の親友を含め、みんなで色々なことを経験した。
気が付けば彼女たちとはいつも一緒にいるようになっていた。
今振り返っても、あの日々は本当に幸せだったのだと実感できる。
そこから中学校生活はあっという間だった。
そして高校受験を考えなければならない時、いつものメンバーは同じ高校を受験することにした。
それが今通っている国立魔法大学附属高校、通称『魔法科高校』だ。
魔法科高校に通うことは昔から考えてた。
日本広しと言えど、魔法について学べるのはそこしかなかったからだ。
問題は倍率が非常に高いというところだが、幸いそこそこ優秀だったと自負もありチャレンジする価値は十分あった。
ほのかは相変わらず試験を不安がっていたが、その度に励ましてきた。
このいつものやり取りが一番心落ち着けたのは内緒だ。
そしてほのかの不安をよそに、しっかりと受験には成功。しかも三人共特進科とも言える一科での合格だったので喜びは大きかった。
その時期から少しずつ自分を取り巻く環境は変わっていった。
まず第一に、高校生活を始めるにあたって一人暮らしをすることになったのだ。
前々から親父が「早いうちに一人立ちできるようになれ」と言っていたのもあり、一人暮らしの許可はすんなり降りた。
魔法科高校が国立かつ色々補償金が多かったのもあるのかもしれない。
ともかく、自分の年齢としては憧れの一人暮らしを前に当時ははしゃいだものだ。
次の変化だが、なんと隣にほのかが引っ越してきたのだ。この場合の隣というのは一人暮らしをする賃貸マンションでの話だ。
ほのかの家なら学校までそこまで離れていないので、一人暮らしには驚いた。だが同時に少し納得もしてしまった。
彼女の家庭は、言ってしまえば親子仲が悪かった。――いや、仲が悪いというよりも居心地が悪いというべきか。
自分が彼女の家を訪れたのはこの三年の内でもただ一度だけだが、それでも理解できてしまう程に歪だった。
彼女の父親はその情の殆どを妻に向けていた。そして母親はそれを受け止めるのに手一杯といった様子。
端的にあの家には、ほのかの居場所が無かったのだ。
そんな彼女が高校生活を機に、新生活に挑もうとしているのだと知ると無性に保護欲が湧いてきた。
居ても立っても居られず、鍵を紛失した場合のために備えていた予備の合鍵を渡していた。
今思い返せばかなり大胆なことをしていたものだ。
それからは今まで以上に一緒に過ごす時間が増えてきた。
ロボットの料理で食事を済ませようとしていたのを知ったほのかに叱られた事に始まり、今では一緒に食事を摂るようになった。
そのための買い物も一緒に行くようになった。
学校の授業の復習や宿題を片付けるためにお互いの部屋を行き来するようになった。
普通の友人と呼ぶにはだいぶ距離が近い付き合いをするようになったのはこの時からだ。
しかしこの頃はまだ、こちらのベッドに潜り込むような奇行をするようなことはなかった。
最後の変化は、入学して1ヶ月ほど経った頃だった。
ほのかが今のようになってしまったのはそこの頃からだ。
何があったのかと言えば、学校にテロリストの襲撃があったからだ。
思い返せば前触れはあったにせよ、白昼堂々と行われた凶行にあの時はかなり驚かされたものだ。
そしてその際、恐怖からか動けなかったほのかを庇って少々無茶をしてしまった。
怪我も負ったが、幸い命に別状はなかったので大した問題にはならないはずだった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
軽い検査を受けて病院から戻ると、玄関先でほのかに泣きつかれた。
まるで壊れたラジオのように謝罪の言葉を繰り返す様子は正直少し怖かった。
女の子らしく手入れをしっかりしていた髪はボサボサで、泣き腫らした目元には隈ができたいた。
そしてその日は彼女が怖くて寝付けないと頼み込まれ、一度だけ一緒に寝ることになった。
しかしその『一度だけ』がずるずると続いて今日に至るのだった。
無論あの日以来は許可は出していないが、こちらが寝付いたあとに侵入されている。
一度チェーンロックをかけたところ、朝まで玄関前で縮こまっていた。
「ごめんなさい、見捨てないで」
あの時の震えて謝罪を繰り返す彼女の姿を思い出すと、また同じ手段を取るのが躊躇われる。
それからは物理的に防ぐことも出来ず、今日もこうして朝を迎えてしまったのである。
◇
(しかし、こうして考えてみると歪だよなぁ)
過去に思いを馳せながら、ある程度考えがまとまった頭で改めて現状を認識する。
そうすると確認するまでもなく変わった現状を再認識できてしまった。
『これで良いのか?』
―『よくない』
頭の中で何度も繰り返した問答。
しかしそれも解決策が出てこない虚しいものだ。
……いや、本当は分かっている。この歪さを正す方法を、自分は知っている。
だが今の関係を崩してしまうのが怖い。
それに歪な現状を矯正するだけであり、その先はどう転ぶか分からない。
故に一歩が踏み出せない。
自分はそこまで勇気がある人間じゃないのだ。
そんな今までに何度も繰り返した思考のループを振り払うように深呼吸を一つ。
『でも、変わらなくちゃだめだ』
だが今日はいつもと少し違った。
それはきっと夢のおかげかもしれない。
詳細は覚えていないが、思い浮かぶのは沈むような破滅のイメージ。
このままでは取り返しがつかないと、心が訴えていた。
だからこそ、今日は頑張ってみようと思えた。
(考えれば、銃弾の前に出るよりはだいぶマシだよな)
そんな見当違いのことを考えたところで動きがあった。
「おはよう、ほのか」
「んっ……。おはよう」
目の前の眠り姫がようやく目を覚ました。
未だ眠気眼といった様子だが、驚いた様子がないどころがどこか安堵した表情を浮かべている。
いつものような、見ていて安らぐ笑顔だった。
少し毒気を抜かれるも、意を決して声をかけた。
「寝起きで悪いけど、話したいことがあるんだ」
きっと今日、何かが変わる。
それは大きなうねりのような変化ではない。ほんの少しの、小さな変化。
だがきっと、これが二人の世界を変えるのだと実感できた。
「光井ほのかさん。オレと――」
そして、今まで溜め込んだ想いを口にした。
自分たちの関係を変える一歩を踏み出し、彼女は目に涙を浮かべながらも嬉しそうに笑ってくれた。
左腕に寄りかかる重さが少し増したような気がしたが、これが幸せの重さなのかもしれない。
◇
「少し良いか?」
彼との出会いはそんなありきたりな一言。
今ではかけがえのない存在の彼。
そんな彼との関係の始まり。輝かしい思い出の始まりだ。
中学に上がりたての頃、私は少し浮いた存在だったと思う。
周囲が新しい関係を築いていく中、一歩が踏み出せず孤立してしまっていた。
勝手な話だが、みんなに置いていかれたように感じた。
そんな私に彼は手を差し伸べてくれた。
私を見つけてくれる人がいた。それを実感できた時の胸の暖かさは今でも覚えている。
「ほのか、頑張ったな!」
私が何かを成し遂げる度に、彼は褒めてくれた。
「まあこんな事もあるさ。次は一緒に頑張ろうな」
私が失敗する度、隣で慰めてくれた。
「お疲れ様。少しは休まないと体に毒だぞ」
私の頑張りをいつも見てくれていた。
そんな彼を、自然と目で追う様になったのはいつ頃からだっただろうか。
それが恋だと自覚するまで、そう時間はかからなかった。
そこからは積極的にアピールをした。
プロポーションには自信があったからボディタッチも増やしてみたり、仕入れた知識を試してみたり。
しかし彼は多少ドギマギした様子はあれど「冗談は程々に」とのらりくらりと躱すだけだ。
彼はよく、私は自己評価が低いと言っていたが彼自身も大概だと何度も思ったものだ。
そうして私が玉砕し、落ち込んだところを彼が慰め、少し舞い上がりる。親友の雫にはその様子をよく笑われたものだ。
そんな彼との関係が進歩したのは高校進学が決まってから。
一人暮らしをする事になって、家から出られる嬉しさ半分に不安半分だった。
しかし彼が隣の部屋だと知った時は、運命だと内心小躍りしたのは記憶に新しい。
そこからは色々と理由をつけて彼との時間を増やした。
今の状態がチャンスだと思ったし、それ以上に魔法科高校で知り合った女子はみんな美人や美少女ばかり。
実際に彼が他の娘に見惚れているのを見た時、取られてしまうんじゃないかという焦りもあった。
今思えば、そんな浮ついた考えがダメだったんだ。
高校生活が始まって一ヶ月になろうかという時期。
学校にも慣れた頃に部活も始まり、新たな刺激に胸躍らせていたあの日。
そんな日常を吹き飛ばすかのような爆音が校舎に響いた。
何事かと身構えれば、武装をした集団が校内に溢れていた。
しかし武装はそこまで重装備ではなく、魔法があれば十分に対処可能な範囲内だった。
でも、私はあの時怖くて動けなかった。
そして銃口が向けられ、痛みに備えて目を閉じた。
そんな私が感じだのは、思っていたものとは違う何かが覆い被さるような衝撃と安心する温かさだった。
「大丈夫!?怪我は!?」
目を開いた先には彼が居た。私に覆いかぶさるように抱きしめていた。
状況が飲み込めなくて、彼の普段見せない焦った顔に驚いて、私はひどく呆けた顔をしていたと思う。
状況を理解した時には、彼が私のヒーローでいてくれたのがたまらなく嬉しかった。
その後は彼と一緒に来た何人かの先輩たちが周辺の安全を確保してくれたおかげで、無事でいられた。
でも彼は私を庇った時に怪我をしたらしく、念の為に病院で検査を受けることになった。
久しぶりに一人で過ごす家の中は、とても寂しかった。
今までは、少し目を向ければ彼の存在を感じられた。でも今は誰も居ない。
一度意識してしまうと、途端に怖くなった。
『もし大怪我を隠していたらどうしよう』
『検査の時になにか病気でも見つかっていたらどうしよう』
冷静に考えれば馬鹿らしい話だが、悪いことばかり考えるようになった。
自分の部屋に居ると落ち着かなくて、彼の部屋に出向いても誰も出迎えてくれない事が余計に心を締め付けた。
しっかりと目は覚めているのに、まるで悪夢を見ているような奇妙な感覚でついには泣き出してしまった。
この時には、彼に助けてもらった嬉しさよりも罪悪感が上回っていた。
「ただいま。ほのか、来てるの?」
それからどれだけの時間が経っただろうか。待ち望んだ声が耳に届いた。
私は居ても立ってもいられず彼の胸に飛び込んだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
本当はもっと違うことを言うつもりだったのに、いざ彼を前にすると謝罪の言葉しか出てこなかった。
私の様子に初めは驚いた彼も、何も言わずただ優しく抱きしめてくれて。
彼の温もりが、無事だったことが何よりも嬉しかった。
そしてその時から、私の中でなにかが変わった。
『彼が居なければ、私に価値はない』
心の底からそう思うようになっていた。
いつか、珍しくお父さんが私を呼び出して語った「いずれお前も血を理解する」という言葉。
それが今なのだとハッキリと理解できた。
理解してからは早かった。
その日から、適当な理由をつけて彼と寝床を共にした。
彼が優しく押しに弱いことは分かっていたし、事実戸惑いこそすれども拒まれはしなかった。
それからは毎日、同じようなことをした。
しかし一度だけチェーンを掛けられた事もあった。その時は本当にこの世の終わりが来たのかと気が気じゃなかった。
日が昇って、彼が玄関から出てきた時には思わず泣きついて謝った。
それは本心からの行動だったけど、心の何処かでは彼の優しさに付け入る事を期待する自分も居た。
結果的にその目論見は成功し、あれは彼にとって楔となった。
今では拒まれることはなくなった。
罪悪感はあったけど、それ以上に彼と一緒にいられる喜びが胸を支配した。
そして今日も、私は彼の寝室へと足を運んだ。
いつも口では嗜めている彼だが、寝ているときにはベッドの端に詰めて一人分が入れるスペースを無意識に作っている。そんな姿が可愛いらしく、たまらなく愛おしい。
ベッドに入り目を閉じると彼の温かさを肌で感じられ、安心する。
まるで一つに溶け合うかのような幸せな感覚に身を任せて、私は意識を手放す。
朝、目が覚めるといつも目の前に彼の顔がある。
「おはよう、ほのか」
「んっ……。おはよう」
今日も一日を一緒に過ごせるということに、朝から幸せになる。自然と顔もほころんでしまう。
いつもなら少しの間このままゆっくりするのだが、今日は少し様子が違った。
「寝起きで悪いけど、話したいことがあるんだ」
彼がひどく真剣な顔をしていた。
私はついにこの時が来たのだと歓喜した!
彼は優しい。それは他人にだけでなく自分自身にもだ。他人を思っての行動だとしても非情に徹することはできないのはよく知っている。
しかし相手を思う気持ちは本物で、きっと現状を良しとはしない。
だからきっと、彼は現状を変えようとするだろう。
「光井ほのかさん。オレと――」
そして、世界が変わった。
幸せの波が大きなうねりとなってすべてを飲み込んだ。
私の人生を変えるような素晴らしいものだ。
嬉しさのあまり、つい彼の左腕に体を預ける。
――ああ、私は誰よりも幸せだ
お兄様くらいバッサリと拒絶できる性格じゃないとほのか相手だとずるずると引きずって駄目になりそうだよねってお話。
ヤンデレにしようとしたけどかなり中途半端な腹黒で終わってしまった感が否めないので、次があればもう少し頑張りたい。