「バルス! 今すぐ来なさい! どういうことか説明なさい!」
ラムがノックもせずに部屋に飛び込んで来た。今日あった出来事を、頭の中で反芻していたスバルは、突然のことにギョッとして振り向いた。いつものメイド服ではなく、薄いピンク色のネグリジェ姿のラム。そんな彼女の姿を見るのは初めてだったが、それよりも、スバルを睨みつける表情に気づくと、
——ごくり……。
スバルは思わず唾を飲み込んだ。ラムは怒り心頭の様子で——まさに鬼の形相でスバルの胸ぐらを掴んだ。
「レムに……ラムの妹に一体何をしたの!」
「ぐえっ! い、一体何の……」
最後まで言い終わる前に、ドアの外に投げ飛ばされるスバル。ラムがすかさず走り寄り、再度胸ぐらを掴んでスバルを引き起こすと、今度は廊下の壁にその体を叩きつけた。
「お、落ち着いて、お姉様。一体何のこと? レムがどうしたんだ?」
「どの口が言うの? レムを……レムを……絶対許せない!」
「だから、なんの……」
「いいわ。自分の目で確かめて、その上で言い訳があるなら、聞いてあげる。そうでなきゃ、殺す」
ラムはそう言って、左手でスバルの襟元を掴むと、三階のレムの部屋へスバルを引きずって行った。
ドアを開けて中に入ると、ベットの上で苦しそうに丸くなっているレムの姿が見えた。
「うううっ……」
「レ、レム? お、おい、どうしたんだ?」
——ぱしっ!
音とともに、スバルの左ほほに鋭い痛みが走った。
「痛ってええ!」
「バルス! この通りよ! 何か言うことは? レムに何をしたの?」
「な、何もしてないし、何が何だか……」
再び音とともに痛みが走る。怒り狂ったような赤い瞳に涙を浮かべて、ラムがスバルの顔をもう一度ひっぱたいた。
「言い訳はもういいわ。絶対許さない!」
「い、いや、待った待った。本当にわかんないって! ま、まさか、呪術?」
そう言ってレムの方に顔を向けるスバル。
——今日一日、誰と接触したか、全く気にしていなかった。その中に呪術師がいたのか? まさか、あの街で、か?
「レ、レム……」
「もうそれ以上は、近づかせない!」
右手をかざし、スバルを威嚇するラム。尋常ではないマナの高まりを感じて、スバルが生唾を飲み込んだ瞬間、
「す、スバルくん、姉様……」
息も絶え絶えに、苦しそうな声でレムが二人に呼びかけた。
「あ、あの……」
レムはそこまで言うと、ガバッと体を起こした。次の瞬間。いきなりベットから飛び降りて、部屋の外に向かって走り出す。
突然のレムの動きに、あっけにとられて、固まる二人。少し間があって、
「ま、待ちなさい、どこに行くの? レム!」
「お、おい、ど、どこ行くんだよ! レム!」
二人の声がシンクロした。
レムは廊下の突き当たりにある扉を開けると、
「スバルくんは来ちゃダメです! 来ちゃダメですっ!」
と言いながら中に入り込み、バタンとドアを閉めた。
「え? あ、あの……」
何が起こったのかわからないスバル。レムの後を追ってドアの前に立ったラムは、閉められたドアの前に立ち、中の様子を伺いつつ、スバルに、
「バルスはそこまで。それ以上近づくと殺すわよ」
そう言って、手のひらを向けた。
「い、いや、あの。お姉様。そこって」
「黙りなさい。それ以上言うのは許さないわ」
「そこって、とい……」
ラムに聞こえないような小さな声で呟くスバル。ラムはドアに耳を当て、中の様子を伺っている。
五分ほど経っただろうか。
「……呪いの類ではなかったようね。で、どう言うことなのか説明してもらいましょうか。バルス」
ややホッとした表情で、でも、スバルを睨む目の鋭さは変えずにそう言った。
「呪いじゃない? 説明? 一体何のことか……」
そこまで言いかけた時、青い顔をしたレムがドアを静かに開け、
「あ、あの……」
と、スバルとラムに消え入りそうな声でそう言った。
「レム。大丈夫なの? だいたい事情はわかったわ。バルスのせいね」
「えええ? 俺のせい? ってかレム、お前、腹……」
「そこまでよ! 悪党! いいえ、バルス! それ以上の辱めは受けないわ!」
わずかに顔を赤くし、下を向くレムを背中でかばうと、両腕を胸の上で組みなおし、スバルにその鋭い眼光を向けた。
「いや、辱めって言われても……」
「ね、姉様。レムは……レムは……」
——ぎゅるぎゅる~
レムのお腹のあたりから音が鳴った。
「う、くっ……いやぁぁぁ」
その途端、くるっと踵を返し、再び先ほどの部屋に飛び込んで、バタンとドアを閉めた。かすかに物音が聞こえる。スバル自身も過去に経験したことのある、人には聞かせられない音。
「おい、レム……お前、腹下ってんのか?」
「ば、ば、バルス! なんてことを! ラムたちのような美人姉妹に! 淑女に向かって言ってはならないことを!」
「淑女って、おまえなぁ。んなことより、呪いとかじゃなくて、それって下……」
「バ・ル・スぅ」
鬼気迫る迫力に、思わず両手のひらをレムに向かってかざしながら、
「い、いや、お姉様。け、決してそう言うつもりでわ。わ、わかった! わかったって!」
「その失礼極まりない口を切り落としてあげてもいいのよ」
しばらくそんなやりとりを続けていると、そっとドアが開き、前かがみになってお腹を押さえたレムがそのドアの隙間から、再び顔を出した。
「おいレム、大丈夫か?」
「は、はい……スバルくん……なんとか……」
「レム、バルスに何をされたのか、詳しく言ってちょうだい」
ラムは腕を組んでスバルを睨みつけたまま、レムにそう言った。
「あ、あの、ですね、姉様……スバルくん……」
「何かに
そこまで言って、ふと思い浮かぶ。
「そういえば、レム、お前、あの時、俺の服を選んでもらってる時、外で何してた? お茶を飲んで散歩してただけ、だよな?」
「あ、あの……」
モジモジしてなかなか話さない、レム。
「お前、まさかとは思うが、まさかのまさか、か?」
「え、えーと……」
「はっきり言ってちょうだい、レム。ラムはバルスを絶対に……」
「ち、違うんです、姉様。実は……」
「レム、全部出して……」
——ギロリ。
「いや、その、全部話してすっきりしろ!」
あの時。スバルが自身の服を選んでいた三十分ほどの間に。
「どうしても、味見をしてみたくって。スバルくんにはダメって言われたんですけど……」
「で?」
「さ、最初に、スロベリのくれーぷ……」
「最初って、お前……」
「その次に、バニナショコレのくれーぷを……」
「で?」
「……あの、かきごおりと、あいすくりーむの違う種類、ばにらとマッチャとちょ、ちょこみ——あ! スバルくん、あれは三ついっぺんに重ねてもらえるんですね! レムはとっても嬉しくって……あ……ごめんなさい」
「んで?」
「あ、あとは……」
レムの声が、どんどん声が小さくなっていく。
「まだあるのかよ!」
「どおなつと……ぷりんと……」
聞いたことのない単語を連発するレムに、ラムも若干驚いた様子で、
「バルス、一体……」
スバルに聞くともなく、口から言葉が出る。
「あと、ヤキソバとカラア——」
「馬鹿かお前は! ラム、前にも言ったけど、お前の妹はほんっっっとぉおおに、馬鹿だ! そんだけ食えば腹壊すに決まってんだろ! 馬鹿! てか、その細い体で、どんだけ食ってんだよ!」
「……ごめんなさぁぁい」
小さくなるレム。そしてすぐに、
「あうっ!」
そう小さく叫ぶと、再びドアを閉めてトイレに閉じこもってしまった。
ラムは目を伏せ大きく一つため息をつくと、
「そう言うことね。わかったわ。バルス、あの……」
少し言いよどんで続ける。
「さっきはラムが悪かった。ひっぱたいたこと、素直に謝るわ……その、ご、ごめんなさい……」
普段あまり耳にしないラムの言葉に、スバルは少しだけ驚いた。
「い、いや、まあ、いいよ、それは。レムが心配で仕方なかったって感じだし。そもそも、俺がちゃんと見てなかったせいだし……」
「とりあえず、ラムは薬を煎じてくるわ。後、お願い。それと、ちょっとだけ気を使ってあげてちょうだい。これはバルスを疑ってひっぱたいたお詫びよ」
「お詫びで命令とは、姉様、何か違くない?」
扉の内側でレムがウンウン唸っている声が聞こえてくる。スバルは扉から——レムのいろいろが聞こえない程度まで——離れて、ピンクのネグリジェの後ろ姿を見送った。
——それにしても。
「程度があるだろうが。ったく」
そう呟くスバルに、ドアの向こうから消え入りそうな声がかかった
「す、スバルくん、そこにいるんですかぁ……」
「おう。いるよ」
「あ、あの。ごめんなさい。今日のレムはちょっとはしゃぎすぎました……」
「もうわかったよ。俺も悪かったし。お前から目を離すんじゃなかったよ」
「あの……その……こんな時にこんなお願いするのは気がひけるんですが」
「なんだ?」
「今日の、その、約束を……その、寝る時に、あの、頭を撫でて欲しいです。それまで、そこにいてもらってもいいですか?」
「そんなことなら、いくらでもいてやるけど」
「あ! でもでも、少しだけ離れたところで……」
「ほんとにめんどくさいな、お前」
「うー、ごめんなさい……」
その消え入りそうな声を聞きながら、スバルは頭を掻いて、でも、ちょっとだけ嬉しくも思っていたのだった。