「準備はいいか? レム」
スバルはそう言うと、その存在を確かめるように剣の柄をもう一度握った。何が起こるかわからない状況で、しかも、魔獣に襲われる可能性を否定できないこの現状で、さらに付け加えると、非力な自分のたった一振りのこの剣だけで、全てに対処できるとは到底思えなかった。そして、残念至極なことに、そのことはすでに証明済みだった。
今回も、自分よりはるかに身体能力、戦闘能力の高いレムが同行する。それだけで、百人力だ。だが、レムにまたあの時のような思いだけは、させるわけにいかなかった。だから、最初は自分一人だけで、様子を見に行くつもりだった。
——が。
「レムを連れて行きなさい。バルス一人で何ができるの? また独りよがりで迷惑をかけるの?」
「レムが一緒に行きます。スバルくん一人じゃ心配です。一緒に行きたいんです、スバルくん!」
と、メイド姉妹にディレイのかかったステレオで言われ、改めて思い直した。
——確かに一人じゃ、厳しい。かなり厳しい。レムにはあの時の思いはさせたくないが、ある程度のところですぐ戻ってくれば、それほど危険なことはないのではないか? それに……。
ポケットの中に、ほのかに光り輝く一枚のカードが入っていた。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ちょっとこっちに来るかしら」
珍しく自分から禁書庫のドアを開けて、ベアトリスが、スバルを呼んだ。初めてのことにちょっと面食らうスバルに、
「とっとと、こっちに来るのよ!」
「わ、わかった、ベア子」
「いい加減、そのベア子っていうのはやめにしてほしいかしら!」
ふくれっ面でそう言いながら、ベアトリスは一枚のカードをスバルに差し出した。
「なんだ、これ?」
手にとって、まじまじとみるスバル。ちょうどキャッシュカードほどの大きさで、厚みもそのくらい。何でできているのかはわからないが、うっすらと光る白いカードだった。表面には何やら文字が書かれているが、スバルには全く読めなかった。
「何に使えるか、ベティにもわからないのよ」
「だから、なに? これ?」
「何に使えるか、わからないって言ったかしら。ただ……」
ベアトリスが続ける。
「もしかしたら、身代わりになってくれるかもしれないかしら」
「ん? 身代わり?」
「だから、お前や姉妹の妹を守ってくれるものかもしれないのよ!」
「マジックアイテムか? これをかざすと、もしかしてみんなひれ伏すのか? あの印籠か?」
「お前が何を言っているのか、全くわからないかしら。ただ、それはお前たちの役に立つかもしれないのよ。それは昔、おか——」
ベアトリスはそう言いかけて、不意に口をつぐんだ。そして今の言葉がなかったかのように、続ける。
「な、何に使えるかもわからない。しかも、ベティが知っている限りこの世にはお前が持っているその一枚きりで、使えなくなったら、おしまいかしら」
「何かに襲われた時に守ってくれるのか! でもこれって……」
「言ったはずなのよ。ベティにも使い方はよくわからないかしら。まぁ、持って行って試してみて、その結果をベティに教えてほしいのよ」
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
改めて、胸ポケットの中にカードが入っているかどうかを確かめる。
あの水戸方面出身の有名人のように使うのか、それともテーブルに出した途端、無敵の霊的なものが出て来るのだろうか? 使ってみないとわからない、とベアトリスは言っていた。彼女にもわからないとなると、本当にいざという時にしか使ってはいけないもののように感じる。なるべくなら、使わないに越したことはなさそうだ。そもそも、いざという時、というそんな時には来て欲しくなかった。
「気をつけてね、スバル」
「ちょーっと行って来るよ、エミリアたん! お土産は無理かもだけど……」
「バルス、レムを頼んだわよ」
「何かあった時は、俺が助けられる可能性の方が高いんだけど……とりあえず、わかった」
「よしっ、行くぞ!」
そう言ってスバルは、小さな扉を開くと、昨晩と同様に四つん這いになって、小さな入り口から顔を出した。
ラムが言っていたように、森が見える。森と言っても、それほど深い森ではなく、散策にちょうど良さそうな、人の手で作られたような森だった。昨日に比べて海鳴りが少し大きい気がする。
左右を見回し、とりあえずの危険性がないことを確認すると、スバルはそのまま森の中へと這い進んだ。そのすぐ後にレムが続く。
「スバルくん、ここは……」
今は鉄球を持っていない右手が、スバルの左手の裾を掴んでいる。
「油断するなよ。何が出て来るかわかんないからな」
「はい、スバルくん……でも……」
「でも?」
「いえ、なんだか匂いが」
「臭い? 魔女か、魔獣の臭いか?」
「いえ、それとは違う……なんだかこう、いい匂いがします」
「いい匂い? そうか? とりあえずは油断禁物だ」
レムより鼻が利かないスバルは、いつでも剣が抜けるような体制で、足音を立てないように森の奥へ向かう。
「スバルくん、扉がありません!」
「え?」
振り返って、くぐり抜けて来た小さな扉を確認する。大きな木の根元に、ロズワール邸で見たのと同じものがついていた。
「レム、なに言ってんだ? 木の根元にちゃんとあるぞ?」
「スバルくん、レムは、レムには見えません……本当にあるんですか?」
「もしかして、俺にしか見えないのか?」
そう言って、扉の感触を確かめる。
「大丈夫だ。確かにここにあるよ」
かがまないと向こうを見ることはできないが、絨毯が見えるので、おそらくそのまま、屋敷の客室に繋がっているはずだ。
「やっぱりレムには何も見えません。と言う事は、帰りはスバルくんがいないと戻れませんね。でもスバルくんと一緒なら、レムは戻れなくても……」
「そんな縁起でもないことは言わない! 絶対にみんなのところに戻るんだ!」
スバルがレムの頭を軽く小突く。レムはスバルの指が触れたおでこの部分を確かめるように触りながら、いたずらっぽく舌を出して笑った。
——それにしても。
「なんだか、未来から来た猫型ロボットのひみつ道具みたいだな……」
思わず口にするスバル。
「ネコガタ、何ですか?」
「いいや、なんでもない」
この先が森の奥なのか、それとも結晶灯が見えた方角なのか、全くわからなかった。注意深く進んで行くと、海鳴りの音が大きくなって来た。
——海か、もしかしたら川が近いのか? それにしても、この音、何処かで聞いたことがあるような。
「スバルくん、あそこ!」
「え? なんだ?」
「人です! 人の影が見えます!」
指差す方向に目をこらすと、レムのいう通り人影が見える。こんな森に人がいるということは、どうやら、危険性は低いようだ。
「よし、行ってみよう!」
ちょっとホッとして、しかし注意は怠らず、人影の方に向かって歩みを早める。
どうやら、二人組のようだった。
「おおい! おおおおい!」
手を振りながら声をかけたスバルは、ふと違和感を感じた。
何かがおかしい……。あの二人の格好……。
二人組はスバルの方に振り向くと、ちょっとぎょっとした風に、お互いに顔をあわせた。そして、早足で立ち去ろうとした。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
レムの手を引いて、小走りで二人組に近寄ったスバルは、改めて二人組に声をかける。
「ここは一体……」
スバルが最後まで言い終わる前に、その二人組は再度顔を見合わせて、
——ぷっ
と、吹き出した。
「え? な、なに?」
面食らうスバルに、
「今日って、この辺でそういうイベント、あった?」
「えー、わかんないけど。でもイベントじゃなくても、たまにいるじゃん。駅前にさー」
「そっか、そうだね」
そう言って二人をまじまじと見る女性。訳が分からず、口を開けてぽかんとするスバル。振り返るとレムもまた、訳が分からないという表情をしている。
「ねえ、みてみて。うしろのメイド服の子、かっわいい!」
「ほんとだ! かわいー。その青い髪、超綺麗! カツラじゃないみたい! それ、染めてるんですか?」
「えっ……あ、あの……」
突然のことにレムも反応しきれない。
「そのメイド服、自分で作ったの? ちょっとエロ可愛いって感じ?」
「あ、あの……あのさ、ここって……」
スバルの問いかけに、
「ああ! わかった! 体育館で何かのイベントですか? もしかして違う駅で降りちゃいました? 体育館ならその先、歩道橋を渡ったすぐですよ。ちょっと歩いたらわかります!」
「いべんと? た、たいいくかん? いま……い、いま、体育館って言いました?」
「それとも駅? 電車なら、このまままっすぐ行けばもう最寄駅。五分もかかりませんよ!」
「で、でんしゃ? えき? えきって? 駅ーっ?」
——まさか、まさか、まさか!
突然走り出したスバルに、レムも後を追うように走り出す。と、瞬間。立ち止まって、二人に丁寧にお辞儀をすると、
「きゃー、様になってる!」
「ほんと! コスプレーヤーとは思えなーい!」
二人の女性は、再び顔を見合わせてけらけらと笑った。
先に走り出したスバルは、森を抜けてひらけた光景に、唖然として立ちすくんでいた。
「どうしたんですか? スバルくん!」
スバルが目にしているものが、否応なしにレムの目にも飛び込んでくる。
渦巻きのような形の灰色の巨大な建物。尖っている屋根が異常に高い。王都でもこんな建築物は見たことがない。その前を見たこともない色とりどりの物体が、ゴーっという音を立てて数多く通り過ぎて行く。
「スバルくん、こ、これは一体? ここはどこなんでしょう?」
「れ、レム。こ、ここは」
目を丸く見開いたスバルが続ける。
「由々木公園だ……」
スバルとレムが森だと思い込んでいたのは、大きな公園だった。