空を覆っていた土埃はいつの間にか晴れ、明るい太陽と、小さな人工の月が辺りを照らす中。
ナッツはギニュー隊長の攻撃をあっさり受け止めた悟空の異常な強さに、安堵すると同時に驚いていた。
(な、何なの? この戦闘力は……? まるで大猿になった父様じゃない……! 尻尾も無いのに、あれからたった一ヶ月かそこらで、どうやったらここまで強くなれるっていうの!?)
そもそも1年前と少し前まで、ラディッツと相打ちで死ぬ程度の戦闘力だったはずだ。あまりにも急激に過ぎる成長速度。少女の脳裏に、ある単語が浮かぶ。
(まさか、カカロットは伝説の超サイヤ人だとでもいうの!? 超サイヤ人は父様のはずよ……! いくら悟飯の父親だからって……!)
カカロットがある種の天才なのは認めるが、下級戦士が、王族である父様を差し置いて、超サイヤ人だなんて。認めたくないと思ってしまうが、目の前にいる彼の強さは事実だ。
やりきれない思いが少女の中に生じたその時、そんな彼女の内心をつゆ知らず、たしなめるような調子で、悟空が言った。
「それにしてもよ、ナッツ。さっきおめえ、死ぬつもりだっただろ? 駄目だぞ、子供があんな事しちゃ。父ちゃん泣いてるぞ」
『えっ!?』
もやもやした気持ちが、一瞬で吹き飛んでしまう。強くて格好良くて冷酷なサイヤ人の王子である父様が、私と二人きりの時ならともかく、人前でみっともなく泣くなんて、そんな恥ずかしい事を?
彼女の受けた教育において、泣くというのは弱者のする行為という、ネガティブなイメージがあった。敵に怯えて恐怖でがたがたと歯を鳴らして泣くとか、そんなのよりはまだ全然マシかもしれないが。
私が心配させてしまったからだ。少し嬉しいけど、申し訳なく思ってしまう。父様の名誉を守らなければ。
『み、見間違いよ、カカロット! 父様は誇り高きサイヤ人の王子なのよ。人前で泣くはずないじゃない!』
「そ、そうだぞ! オレの娘に妙な事を言うな! カカロット!」
がるる、と巨大な牙を剥いて唸る娘と、ぐしぐしと顔を拭きながら食ってかかる父親。
悟空はそんな彼らを見て、似ている親子だなあと思いながら、呆れたように呟いた。
「……サイヤ人ってのも、大変なんだな」
『あなたもサイヤ人じゃない!』
先ほどまでの、張りつめた悲壮な雰囲気はどこへやら。ギニューは今も悟空に拳を掴まれ、動けないでいたが、ぎゃーぎゃーと騒ぐ彼らの会話の中、聞き捨てならない単語に反応する。
「こ、この男が、サイヤ人だと……!?」
スカウターに表示された、ベジータ達の仲間らしい目の前の男の戦闘力は18万以上。サイヤ人の戦闘レベルを明らかに超えている。自分達と同じ、突然変異で生まれた天才戦士なのか。
しかも恐ろしい事に、こいつは全く本気を見せている気配がない。戦闘力のコントロールを習得しているギニューには、悟空がまだ底知れぬ実力を隠していると、おぼろげながら察する事ができていた。
フリーザ様がその出現を警戒していた、伝説の超サイヤ人、そのものだという可能性すらある。血と闘争を好む最強戦士。惑星ベジータにおいてすら、おとぎ話のように扱われていた存在が、今になって現れるとは。
こいつはいったい、何者だというのか。見た目のほどは、ベジータと同年代。サイヤ人の外見年齢はあてにならないが、惑星ベジータにこんな強大なサイヤ人がいたらその名が知られていないはずがなく、当時はおそらく子供だったはずだ。
先ほどこいつは、地球から来たと言ったか。飛ばし子という単語が浮かぶ。戦闘力が低いとみなされたサイヤ人の幼子を、直接侵略するにはコストが釣り合わない惑星に単身送り込み、数年掛かりで住民を全滅させる事を狙った、無謀で非効率な制度。
その本来の目的は、サイヤ人の人口を抑制する事。フリーザ様が半ば強制的に行わせていたそれの記録は、当然全て残させていたから、惑星ベジータの消滅後に、飛ばし子も全員始末されていたはずだが。取りこぼしががあったというのか。
まさか予知能力に目覚めたサイヤ人が、ポッドを盗んで息子を逃がしていたという特大の想定外を、ギニューどころかフリーザ軍の誰も知るはずもなく。母親から弟を託された、彼の兄一人を除いては。
そして、滅ぼされたサイヤ人の生き残りが、今このナメック星に現れた目的は。
(フリーザ様への復讐か! ベジータやその娘と同じように!)
そうとしか、今のギニューは思えなかった。実際にはこの時点で悟空はフリーザの事をろくに知らず、後でそれを知った彼が頭を抱える事になるのだが、それはまた別の話だ。
「おい、貴様!」
真意を問いたださねばならないとギニューが叫ぶが、悟空は遠くに見えるベジータ達の負傷の具合を確認し、ギニューの拳を放しながら言った。
「悪い、ちょっとタンマ!」
「た、タンマだと!?」
『タンマですって!?』
彼らに背を向けて超スピードで飛んでいく悟空。あまりに無防備なその姿を呆然と見送ったギニューとナッツは、思わず顔を見合わせた。
そしてベジータ達の傍に着地した悟空が、小さく手を上げる。
「よお! おめえら無事だったか!」
「お、お父さん……!」
「悟空……!」
悟空の登場に、これでもう大丈夫だと、安堵する二人。対してベジータは、負傷の痛みに顔をしかめながら、憎々しげに悟空を睨み付ける。
「カカロット、貴様、その戦闘力は何だ。一体どんな手を使いやがった……!」
「ちょっと100倍の重力で修業してきた。今度こそおめえに勝ちたくてな」
「100倍の重力だと? ふざけているのか……!」
ベジータはカカロットが、冗談を言っているのだと思った。確かに惑星ベジータのような、高重力の環境でのトレーニングは有効だが、地球の100倍の重力の惑星など、少なくともこの銀河には存在しない。
仮にどこか別の銀河にあったとして、たった一ヶ月でそこまで行って鍛えてきたとでもいうのか。そもそもそんな高重力の惑星に、宇宙船でまともに着陸できるわけもなく、近付く事すら自殺行為でしかない。彼が重力室の存在を知り、カプセルコーポレーションの敷地内に建てられたそれに、娘と共に毎日入り浸る事になるのは、まだ先の話だ。
ふざけるな、と思ったが、カカロットの目に揶揄するような色は見えない。戸惑うベジータに、悟空が何かを投げ渡す。反射的に受け止めたそれは、小さな豆のようにしか見えなかった。
「ベジータ、ちょっと食ってみろ。そいつは仙豆っていって、一瞬で怪我が治るんだ」
「本当だろうな……?」
とてつもなく怪しかったが、ここでおかしな真似をするくらいなら、ナッツを助けたりはしないだろう。仙豆を口にしたベジータが、目を見開いた。
「こ、これは!?」
身体の傷が全て消え、体力も全快している。信じがたい効力に驚愕する彼を見て、カカロットが楽しそうに笑っている。それを腹立たしく思いながらも、彼は傷ついた娘の方を示して叫ぶ。
「おいカカロット! この薬はナッツの分もあるんだろうな!」
「大丈夫だ。地球からたくさん持って来て……あ、もう二つしかねえ!?」
「カカロットーーーー!!!!」
胴着の襟首を掴まれ、がくがくと揺さぶられる悟空。彼は宇宙船での修行中に何度も瀕死になり、そのたびに仙豆で回復するという荒行を繰り返していた。後々使うかもしれないからと、細かい個数管理をしておく発想は彼にはない。良く言えば、その大らかさは悟空の長所であるのだが。
どうすっかなーと、揺さぶられながら呟く彼に、悟飯とクリリンが提案する。
「お父さん! ボクは半分でいいから、残りをナッツに分けるよ」
「悟空、オレも半分でいいよ。オレ達が殺されずに済んだのも、あいつが頑張ってくれたおかげだしな」
悟空は小さく驚いた。二人とも、ナッツの事を怖がっていた覚えがあるからだ。クリリンは今も、彼女の方から目を逸らして小さく震えてはいるが。
「おめえら、ずいぶんあの子と仲良くなったんだなあ」
渡した仙豆を分けて口にする二人を見ながら、悟空はナメック星で彼らの間に何があったのか、知りたいと思った。何気なく、クリリンの頭に手を乗せる。
悟空が意識を集中すると、クリリンの記憶が流れ込んできた。
その中にいるナッツは、冷たい目をした少女だ。小さな子供の外見とは裏腹に、人を殺す事を何とも思っていない、恐ろしいサイヤ人。
(ああ、私の邪魔をするつもりなのね。あなた)
(さあ、どこに隠れているのかしら。出てこないと死ぬわよ?)
二度も殺されかけた経験が、彼の心に深い傷を残していた。
けど、同じサイヤ人の子供だからか、彼女は悟飯の事を気に入っていて、悟飯の方もまんざらではなさそうで。
(あなたの仲間でしょう? もっとしっかり守りなさいよ)
ザーボンって奴の攻撃の流れ弾から、身体を張ってブルマさんを庇ってくれて。じたばたと暴れながらも、ブルマさんに押さえつけられて治療を受けていた光景が、信じられなかった。
(けどカカロットにも、その名前を付けた、お父様やお母様がいたのよ。それだけは忘れないで)
話してみれば、親思いの良い子にしか見えなくて。彼女の事が、わからなくなってしまった。
(お礼に惑星を一つ、滅ぼしてあげるわ。今は尻尾が無いから、どこでもってわけにはいかないけど、それでも地球と同じくらいの星なら、私一人で滅ぼせるから、好きな星を言ってみて)
受けた教育のせいか、サイヤ人の血のせいか、価値観や物の考え方が全く違う。けど少なくとも、悟飯やブルマさんには懐いているし、自分達や地球に手を出さないのなら、それでいいかと思った。
「悟空、どうしたんだ?」
クリリンの声で、悟空は我に返る。気付けばほんの2.3秒しか経っていないようだった。いつの間にこんな能力が身に付いたのか、わからなかったが、まあ、気にしない事にした。
「ちょっと記憶を見せてもらった。あのナッツって子と、色々あったんだな。それに……」
ふと悟空が、遠くを見るような顔になった。付き合いの長いクリリンも、初めて見る表情だった。
「オラにも、サイヤ人の父ちゃんと母ちゃんがいたんだな」
「悟空……」
自分の親は、孫悟飯のじいちゃんだと思っていたけど、そういえば、いたのだ。どんな人達だったのかと思う。占いババ様のところに行けば、会わせてくれるかもしれなかったが、気掛かりな事があった。
もしラディッツのような考えを持つサイヤ人だったら。サイヤ人らしくないという今の自分は、兄だけではなく、親からも拒絶されるのではないかと、それがとても怖かった。
悟空はまだ知らない。ブルマによって回収されたラディッツのスカウター。その中に保存されていた画像には、悟空にそっくりなサイヤ人の男性と、その妻らしき、赤子を抱いた女性と、彼らを見上げる少年の姿が映っていたことに。
見つけたブルマが、思わず微笑んでしまうほどに、彼らの表情は穏やかで。戦闘服を身に纏い、尻尾を持った彼らは、宇宙中で恐れられたサイヤ人でありながら、同時に、どこにでもある、幸せそうな家族のようだった。
ブルマはすぐにそれを悟空に見せたいと思ったが、あの世で修業していたり、入院していたりで、なかなか機会が無く。その画像の存在を彼が知るのは、少し先の話になる。
そして悟空は気持ちを切り替えるように笑みを浮かべながら、息子の頭に手を置いた。
「悟飯もあの子と何があったのか、気になるなあ」
「ちょ、ちょっと……!」
なぜか顔を赤くして慌てる悟飯。構わず、意識を集中する。
流れ込んできた悟飯の記憶の中で、ナッツはちょっと変わってるけど、真っ直ぐで可愛らしい女の子だった。
初めて会った時、彼女は父親達と、地球を侵略に来ていた。自分と同じくらいの子供なのに、ピッコロさん達よりも強い気を持っていて、冷酷なその様子が、とても怖かったのを覚えている。
(ああ、そうだ。この中で月を消してくれたのは、誰かしら?)
(オレだ。貴様らを化け物にさせないためにやったが、どうやら正解だったようだな)
(正直ね。あなたは私の手で殺してあげる)
今なら意味がわかる、ピッコロさんと彼女のやり取り。思わず割り込んだけど、本当に殺されてしまうと思った。
(何て事するの! 尻尾を切るなんて、可哀想じゃない!)
(ねえ、あなた。そんな奴の所なんかより、サイヤ人だったら、こっちに来てもいいのよ?)
あの時のナッツは、それまでの雰囲気は何だったのかと思うほど、優しい目をしていた。それでも怖い子だと思っていたから、返事はしなかったけど。もしあそこで彼女の手を取っていたら、どうなっていたのだろうか。
(わ、私の名前はナッツ! サイヤ人の王子、ベジータ父様の娘よ!)
彼女の名前を知ったのは、ピッコロさんが死んでしまった後の事で。その時見た風変わりなポーズが、とても印象に残っている。
(ねえ、悟飯。私、あなたがいいわ)
上気した彼女の顔を思い出すたびに、どきどきしてしまう。これって凄く、恥ずかしい台詞ではないだろうか。
(私はあなたと戦いたいし、そうしてもっと強くなりたいの。ねえ、あなたもサイヤ人なら、この気持ち、少しはわかってくれるんじゃないかしら?)
(あなた、そんなに私と戦いたくないの……?)
ナッツを泣かせてしまった時、とても悪い事をしてしまったと思うと同時に、あんなに怖かった彼女が、小さな子供みたいに見えて。
(……やるじゃない。やっぱり強いわね。悟飯。殺してしまうのが、勿体ないくらい)
自分と戦っている時のナッツは、本当に嬉しそうで。痛かったし怖かったけど、少しだけ楽しかったのを覚えている。
(お前、母様を死に追いやったばかりか、その死を侮辱したわね)
ナメック星でまた会った時、見た事もないような、凍えるような冷たい目をしていた。フリーザという奴のせいで、彼女の母親が死んでしまったと知った。
ナッツはとても悲しい思いをして、傷付いていて。そんな顔をして欲しくない、笑った顔が見たいと、その時に自覚した。
(ツフル人を滅ぼして、宇宙船の技術を手に入れてからは、あちこちの星を滅ぼして、異星人に売って暮らしていたというわ)
(私達は、戦うのが好きなのよ。そしてそれ以外の事は、あんまり得意じゃなかったの)
その後、二人きりになる機会があって、色々な話をした。サイヤ人達の話は、今でもちょっとどうかと思う。まあツフル人に奴隷みたいに扱われてたらしいから、力仕事とかは抵抗があったのかもしれないけど。
(地球で尻尾の痛みが取れて父様と合流した後、とっても怖い獣に襲われたのよ)
(左肩に食らい付かれて、骨まで噛み砕かれて、一時は腕も動かせなくなっちゃったの)
酷い事をする化け物だと思ったけど、記憶が無かっただけで、ボク自身の事だった。痛そうな傷跡を残してしまった。ナッツは気にしてなさそうだったけど、いつか謝らないといけない。
(おいしい!! 何これ!?)
ブルマさんの出した食事を、お父さんと同じくらいに、よく食べていた。こんな美味しいのは初めてだと、嬉しそうに何度も言っていて、その様子を見ているだけで、お腹いっぱいになってしまった。
(嫌よ。私はサイヤ人。今さら悟飯みたいに、いい子ちゃんになる気はないわ)
(年老いて戦えないあなたの代わりに、私がフリーザと戦って、あなたの無念を晴らしてあげる。だから、私に力を貸して)
最長老様の前で、あくまでも自分は悪だと言い続けて、半ば取引するような形で、力を引き出してもらっていた。理解はできなかったけど、譲れない誇りを持っている、真っ直ぐな子なんだと思った。
(ギニュー特戦隊は、フリーザ軍のエリート部隊よ。最前線での戦いを何十年も続けてきて、落とした惑星は数知れず。あと多彩な芸とポーズを得意とするわ)
(尻尾が生えるこの時を、ずっと待ってたのよ……!!!)
ナッツは彼らと知り合いみたいだったけど、それでも向こうは殺す気で、力の差も圧倒的で。もう駄目かと思った時、ナッツが見せた、大猿への変身。自分もああだったんだと、色々な事に納得がいった。
(しぶといハエが、まだ一匹生き残ってたみたいね。すぐに叩き潰してあげるわ)
死闘の末に、立っていたのは彼女で。憎しみに突き動かされるまま、彼らを殺そうとしていたナッツの姿。まだ子供なのに、ああまで人を憎んでいるのが、見ていられないほどに、可哀想で。
彼女の力になってあげたいと思った。いつかナッツがあんな顔をしないで済むように。だって、彼女はボクの初めての友達で。ボクは、あの子の事が。
「お父さん! 何を見てるの! 駄目だったら!」
気が付くと真っ赤な顔の悟飯が、じたばたと手を振り払おうとしていた。
「悟飯、いい友達ができて良かったな」
「う、うん。どこまで見たの?」
「チチの奴にも紹介してみてえな。きっと喜んで、美味い物いっぱい作って歓迎してくれるに違いねえぞ」
あいつの料理は世界一だからなと、父親はにっこり笑った。
今から地球に戻った時の事を話す彼の様子は、あの強いギニューの事もフリーザの事も、まるで気にしていないようで。
そんな父親の姿を見ていると、もう心配はいらないと、息子の方も思わず安堵してしまうのだった。けど結局、どこまで知られたんだろう?
「で、いつ結婚するんだ。おめえ達?」
悟飯がぷるぷる震えて俯くと同時に、聞いてたベジータが真後ろに倒れた。すぐさま足の力のみで復帰し、猛烈な勢いで食って掛かる。
「カカロット!!!! 貴様! ナッツも悟飯もまだ子供だぞ! 常識をわきまえろ!」
社会常識を説くサイヤ人の王子を前に、怒鳴られた悟空の方は、心底不思議そうな顔で言った。
「オラとチチの時は、子供の頃に一度会って約束して、次に会った時結婚したぞ?」
他に例を知らない彼の中では、それが地球の一般的な結婚のパターンだった。それと比べると、悟飯は頭が良いだけあって、かなり丁寧に段階を踏んでいるのではないだろうか。
「地球人の風習はどうでもいい! オレは許さんからな!」
「ん? おめえの娘の方は、嫌がってるのか?」
「カカロットーーーーー!!!!!」
胴着の襟首が再び掴まれ、伸びそうな勢いで揺さぶられる。嫌がるどころか、聞かれれば二つ返事でオッケーしそうな娘の姿を幻視した父親だったが、その現実を認めたくなかった。ナッツは宇宙一可愛いからこそ、いつかは嫁に行くのだろうとわかってはいたが、せめてあと十数年は早いだろう。しかしあちらの父親は大いに乗り気で、おそらく反対するのは彼一人だ。
自らの不利を悟った父親が、露骨に話題を逸らす。
「そもそもあの仙豆とやらを! 何で最初にナッツに食わせなかった!」
「いや、確かに大怪我してるとは思ったけどよ。今のあいつ身体がデケえし」
ナッツが作った月はまだ上空に輝いており、今も変身は解けておらず、全長おおよそ15メートルの大猿がこちらを見ている。
「10粒くらい食わせねえと、効かねえんじゃないかと思ってよ。元に戻ってからの方がいいだろ?」
「……むう」
「というわけで、これがナッツの分な。後で食わせてやるんだぞ」
「うん、ありがとう。お父さん」
「待て! なぜ父親のオレに渡さない!?」
「いやまあ、悟飯が食わせた方が、喜ぶんじゃないかって……」
「カカロットーーーー!!!!!!」
ぎゃーぎゃーと騒ぐ彼らの様子を、ギニューは難しい顔で見ていた。会話の内容はよく聞こえなかったが、重要なのは、ろくに動けないほどの重症を負っていたベジータ達が、あの男が近付いてから、あっという間に回復した事だ。
(今、奴は何をした? 怪我を治すような能力まであるのか?)
(父様が元気そうで良かったわ。悟飯が言ってた、仙豆って薬を飲んだのね)
彼らの方をどこか嬉しそうに見ているナッツは、その光景を疑問に思っていないようだ。部下達と戦い、大きく傷ついた状態ですら、その戦闘力は4万を超えている。この娘まで回復されてしまっては、厄介だった。
「はあああああっ!!!」
『!?』
不意打ち気味に、ナッツに向けてエネルギー波を放つ。大猿になっているとはいえ、満身創痍の今の彼女なら、一撃で殺せるだろう威力だが。
「危ねえ!!」
一瞬で駆けつけ、割り込んだ悟空が、あっさりと弾き飛ばしていた。
ギニューは歯噛みする。今の奴のスピードは、明らかに戦闘力18万どころではない。真の力はその何倍だというのか。
「おいおめえ! こんな小せえ子を殺そうとするなんて、何考えてんだ!」
『……カカロット。私は彼らと、殺し合いをしてたのだけど』
どこか辛そうな彼女の言葉に、あっさりと悟空は答えた。
「? 別に、殺さなくてもいいんじゃねえか? 知り合いなんだろ?」
『……!』
何を甘い事を、とギニューは思うが、その甘さを差し引いても、この目の前の男は 危険すぎる。フリーザ様に牙を剥く前に、ここで始末しなければならない。
戦闘力が高いとはいえ、幸い一人だけなら無力化する手段はある。ボディチェンジ。自ら身体を傷付けた後、相手の身体を奪ってしまえばいい。
格上相手にも通じる強力な技である反面、ネタが割れれば対処されやすいのが難点で、あまり大勢の前で使いたくはなかったが。
「おめえら、ドラゴンボールを取り戻しに行ってくれ! オラはこいつを懲らしめてから行く!」
わざわざ一人になってくれるという、その言葉に、ギニューは内心でにやりと笑う。身体を入れ替えてしまうという常識外れの技に、初見で対応する事はまず不可能だ。ドラゴンボールも彼しか知らない場所に隠してあるから、見つかる心配は無い。
「カカロット! 殺しておけ! ギニュー隊長はフリーザの野郎の懐刀だ! 甘い考えで隙を見せれば、貴様でもどうなるかわからんぞ!」
「それでも、殺す事はねえだろうがよ!」
「……っ! 勝手にしやがれ!」
敵でも殺したくないという、その甘い考えは気に食わなかったが、地球で死に掛けた娘を救ったのは、カカロットのその甘さだったから、父親は何も言えなくなった。
そしてギニュー隊長の危険性を知っているのは、娘の方も同じ事で。
『カカロット! 父様の言うとおり、ギニュー隊長はフリーザ軍最強の戦士よ! 決して油断はしないで!』
ナッツは昔の事を思い出していた。特戦隊の皆と会っても、ギニュー隊長はいつもすぐどこかへ行ってしまうから、話した事はないけれど。フリーザ軍のパーティで披露していたその見事なポーズは、幼かった彼女の瞳に焼き付いている。自分も真似したいと思ったほどに。
殺しておくべきなのは、間違いないけれど。もしギニュー隊長が死んでしまったら、彼を慕っていた、あの優しいおじさん達が、とても悲しむだろうと思ったから。
『けど、殺すかどうかは、あなたの好きにしなさい!』
「おう! そうする!」
満面の笑みで応える悟空。そしてナッツ達は彼とギニューを残して、ドラゴンボールがあると思しき、フリーザの宇宙船に向けて飛び立った。
それから数分もしないうちに、飛んでいたナッツが、不意に高度を落とした。地面に片膝を突いて、苦しそうに喘ぐ。毛皮を濡らした血が滴り落ちる。
「ナッツ! 大丈夫!」
『このくらい平気よ、悟飯……』
そう言いながらも、今や彼女の体力が限界に達しているのは、誰の目にも明らかだった。
「ナッツ! すぐにオレ達も使った薬を飲ませてやるから、変身を解け!」
「あの月を壊せばいいのか?」
クリリンが人工の月に向けて気弾を放つが、命中してもすり抜けてしまうだけで、壊れる様子はない。
「あ、あれ?」
「オレ達の作った月は、自然に消えるまでは壊せん。最初から壊せるように作ったなら別だがな」
「じゃあ、どうするんだ? 尻尾を切ってやればいいのか?」
「馬鹿野郎!!! 貴様、尻尾を何だと思ってやがる! カカロットといい、サイヤ人の誇りを気軽に切りやがって!」
「だって危ないだろ……」
「下級戦士と一緒にするな!」
その騒ぎに内心苦笑しながら、ナッツは目を閉じていた。要はブルーツ波の吸収を止めればいいのだ。もちろんちょっと目を瞑った程度で、変身が解けたりはしないのだけど。
『……ッ!』
15秒を超えた頃、大猿の全身が震え出す。身体に残っていたブルーツ波が消費され、変身を維持できなくなりつつある。月を見なければという本能的な欲求が湧き上がるも、強靭な意志の力で耐え続ける。
『……ガ……あ……』
唐突に、ナッツの身体から力が抜ける。真紅の瞳が色を失い、巨体がみるみるうちに縮んでいく。全身を覆っていた毛皮が薄くなり、傷だらけの素肌が露わとなる。獣の顔が、少女の面影を取り戻していく。
そして人間の姿に戻ると同時に、崩れ落ちる少女を、父親が抱き留め、その凄惨な姿に、唇を噛み締める。
無数の傷を負い、出血で赤く染まったナッツが、痛みに全身を震わせながら小さく声を上げている。半壊した戦闘服とアンダースーツが、受けた攻撃の激しさを物語るかのようだった。
体力の尽きかけたまま大猿化し、激しい戦闘でさらにダメージを負った結果だ。サイヤ人の生命力が、かろうじて少女の命を繋いでいたが、いつ死んでしまっても、おかしくない状態だった。
すぐさま駆け寄った悟飯が、開かれた少女の口に、仙豆を押し入れる。
「食べて! ナッツ!」
反応がない。食べる力すら残っていない事を悟った悟飯は、無理矢理喉に押し込んだ。
ナッツの喉が、小さく動く。そして生気を失っていた少女の身体が、勢いよく起き上がった。
信じがたい現象に驚愕しながら、ナッツは自らの身体を確認する。あれだけの負傷も痛みも一瞬で消えており、失われた体力まで全快していた。
「な、治ったわ!?」
死の淵から復活した影響か、戦闘力も大きく上昇している。体感で2万を超えている、自らの成長を喜ぶ暇もなく、少女の身体を、少年が固く抱き締める。
「ご、悟飯!?」
「良かった……!」
涙ぐむ声。情けないサイヤ人ねと思いながらも、心配された事に、嬉しくなって微笑んだ。
「もう。大げさよ、悟飯。この程度で、私は死なないわ」
「う、うん。でも、本当に、君が無事で良かった……」
身体を離し、お互いの瞳を見つめ合う。少し照れくさくなりながらも、二人とも目を逸らせず、心臓の音だけが、流れる時間を告げていく。
その雰囲気に割り込むかのように、ひょい、とナッツの身体が持ち上がる。
「あ、父様……」
小さな娘の身体を、大切なもののようにかき抱く。悟飯とクリリンが驚くほどに、優しい声で父親は言った。
「疲れただろう。少し寝ていろ、ナッツ」
「……はい、父様」
体力はすっかり回復していたけれど、確かに少し、休みたい気分だった。
温かいその胸に、少女は猫が甘えるように、頭を擦り付ける。生えたばかりの尻尾を、父親の腕に巻き付ける。
その体温を感じながら、やがて意識が微睡んできて、ナッツは眠りについた。力の抜けた、年相応の寝顔だった。
「よくやったな」
起こさないよう、小さく呟く。そして静かに、彼らは再び飛び立った。
楽しい話を書こうと思いました。前回のように重くてシリアスな話は好きなんですけど、読んでて疲れると自分でも思いましたので。
というわけで、次回も大体同じような雰囲気の話です。ギニュー隊長が色々頑張ります。遅くなるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。
それと、お気に入りに登録して下さってる方々、ありがとうございます。とうとう600を超えて嬉しく思っております。何かいつの間にか評価バーも赤くて長くなっていて、それなりに良いと思ってもらえる作品を書けているんだなあと、一人テンションを上げております。
本編はフリーザ様と決着をつけるまでですので、あと10話かそこらくらいの予定です。長い話ですが、どうか最後まで、お付き合い頂ければ幸いです。