あるサイヤ人の少女の物語   作:黒木氏

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27.彼女が力に目覚める話(後編)

 フリーザは己の放った二条の光線が、割り込んだオレンジ色の胴着の男に、弾き飛ばされるのを見て瞠目する。

 

 あいつは誰だ。あの特徴的な髪型からして、サイヤ人。あのガキの父親か。それにしてもあの顔は、どこかで見覚えがあるような。  

 

 そこで、ふと気付く。男の後ろにいたはずの、たった今殺そうとしていた、子供2人が消えている事に。

 

「あのガキ共、一体どこへ……っ!?」

 

 言葉の途中で、後頭部を蹴り飛ばされたフリーザが地面に倒れる。屈辱よりも、驚きが先に来る。死角からの奇襲とはいえ、ベジータが死んだ今、この場で自分に有効打を与えるほどのパワーを持つ者は、もういないはずだというのに。

 

「な、何者だ!?」

 

 身を起こしたフリーザが、襲撃者を睨み付け、その姿に目を疑う。そこにいたのは、戸惑う少年を、守るように抱えたナッツだった。その全身が、溢れんばかりの黄金のオーラに包まれ、背中まで伸びた長い髪までもが、金色に染まっている。

 

「な、何だ……その姿は……?」

 

 フリーザは思い出す。ベジータが一瞬見せた、金色のスパークを纏った姿。あれと同一の変身、否、これがその完成系なのだと、直感する。という事は、まさか、これは。

 

 

「で、伝説の、超サイヤ人だと!?」

 

 

 少女は抱えていた悟飯を下ろし、黄金のオーラに包まれた、自らの両手をじっと見つめる。身体の奥底から、とてつもない力が湧き上がって来るのを感じる。フリーザを一蹴した、あの時の父様と似て、それ以上に明確な変化。

 

(超サイヤ人は、血と闘争を好む最強の戦士であり、金色の髪と青い瞳を持っているそうです)

 

 最長老の言葉を、少女は思い出していた。静かな面持ちで、少年の目を覗き込む。

 

「悟飯。私の目は、今何色?」

 

 深みのある色合いは、澄んだ湖のようで。普段の黒い瞳と、同じくらい綺麗だと、悟飯は思った。 

 

「あ、青だよ……」

 

「……そう」

 

 少女は内心、複雑な気持ちだった。全宇宙最強の戦士、超サイヤ人は、私の父様のはずなのに。

 

 穏やかな心を持ったサイヤ人が、激しい怒りによって目覚める。そんな言葉が、なぜか自然と頭に浮かんだ。

 

 冷酷なサイヤ人の私に、穏やかな心なんてあるはずがない。もしあるとすれば、きっとそれは、父様と母様がくれたのだ。

 

 父様も母様も、子供の私に、精いっぱいの愛情を注いでくれた。寂しい時にはいつも傍にいてくれて、戦い方だけじゃなく、王族に相応しい、教養や礼儀作法も教えてくれた。私の身体も、命も、流れる血の一滴にいたるまで、何もかも全て、父様と母様がくれたのだ。

 

 そして二人とも、私を守って、死んでしまった。いつかはまた地獄とやらで会えると、わかっているけれど、それでも、父様と母様を殺したフリーザは、絶対に許すわけにはいかなかった。

 

「悟飯。父様をお願い。後で……お墓を作ってあげないと」

 

「う、うん……でも、君は?」

 

「私にはまだ、やる事があるの」

 

 凍えるような殺意を湛えた目で、少女はフリーザを睨む。強すぎる怒りが、彼女の雰囲気を静かなものとしていた。

 

 ただ今までと違い、その胸の内にあるのは、冷たく燃える復讐心だけではない。両親との幸せな想い出と、傍にいると言ってくれた少年の存在が、彼女の心を支えている。雨の音は、もう聞こえない。

 

「そんな!? 危ないよ!」

 

 今のナッツの気は、確かに以前の何十倍にも大きくなっているけれど、それでもベジータさんと同じくらいだ。フリーザと戦えば、同じように、一方的に殺されてしまうだろう。

 

 止めようとした悟飯に向けて、少女は無言で、金色の尻尾を振って見せる。意図を察して、少年が驚く。そんな事が、できるのだろうか。

 

「……だ、大丈夫なの?」

 

「私はサイヤ人の王族よ。下級戦士と一緒にしないで。けど本当に危ないから、父様と一緒に、離れていて」

 

 悟飯は俯く。フリーザとの戦闘で、彼の気はもう、ほとんど残っていなかった。ここで残っても、これから始まる戦いの、足手纏いになってしまうだけだろう。

 

 少年の様子は、少し前までの自分を見ているようで。気持ちを察したナッツが、その身体を軽く抱きしめた。温かさが、伝わってくる。

 

「あなたは足手纏いじゃないわ、悟飯。あなたがいてくれるから、私は戦えるの」

 

 少年の顔が、耳まで真っ赤になっていた。少女の顔も、少し紅潮している。

 

「……わ、わかったよ。けど、君が危なくなったら、助けに行くから」

 

「うん。お願いね」

 

 悟飯がその場を離れ、父親の亡骸を、安全な場所へと運んで行くのを確認して、ナッツは改めて、フリーザと対峙する。

 

 背丈が変化したわけでもないのに、少女の姿は、もはや子供には見えなかった。凛としたその立ち姿は、彼女の母親のようで、その闘志は、彼女の父親のようだった。滅んだ種族の最後の王族である彼女は、もう子供ではいられなかった。

 

「フリーザ。お前は母様だけでなく、父様まで私から奪ったわ。それだけじゃない。私達の故郷である惑星ベジータを破壊して、カカロットの両親や、大勢のサイヤ人達を殺した」

 

 くつくつと、心底おかしそうに、フリーザは笑う。自分に殺されるような、脆弱な下等生物に生まれた事が悪いというのに。

 

「だからどうしたというんです? さんざん殺してきたのは、あなた達サイヤ人も同じでしょう?」

 

「……そうね。認めたくないけど、その点で私達サイヤ人は、お前と同じよ。けど一つだけ、言いたい事があるわ」

 

「ほう? いいでしょう。言ってごらんなさい」

 

 どこか小馬鹿にした様子のフリーザに向けて、力強く、ナッツは宣言する。

 

 

「もうこれ以上、何も奪わせないわ。お前は今日、私の手で死ぬのよ。フリーザ」

 

 

 超サイヤ人になれたとはいえ、今の私の全力でも、勝ち目があるかはわからない。死の淵から復活したカカロットは、相当戦闘力を高めている。彼に任せれば、フリーザを倒してくれるかもしれないけど。王族の私が、下級戦士に戦いを任せて下がるなんて、有り得ない事だ。

 

 そして何より、できるならばフリーザは、この手で殺してやらなければ気が済まなかった。

 

「ふふふ、はははははは!!! 実に、実に面白いジョークですね! あなたごときが! このフリーザを殺すなんて!」

 

 哄笑するフリーザの態度には、余裕が窺える。先に受けた一撃で、この超サイヤ人の力量は、概ね把握できていた。見た目の変化には驚かされたが、その戦闘力は最大限に見積もっても、せいぜいベジータと同程度だ。

 

 仮にベジータが、あるいは第三形態の自分を追い詰めたあのガキが同じ変身をしていれば、危なかったかもしれないが、元の戦闘力が低すぎるこの娘では、何の脅威にもなりはしない。

 

「伝説の超サイヤ人とはいえ、こんな子供ではね! ベジータさんもお可哀想に! あなたが先に死んでいれば、ずっと夢見ていた超サイヤ人になれたかもしれないのに!」

 

 ナッツの顔から、表情が消える。少女の中に蓄積された、絶対零度の殺意が、一息に解き放たれる。フリーザが思わずたじろいだ隙に、ナッツは大きく後ろに飛び離れる。その行動に、彼は困惑する。

 

「? 一体何を……?」

 

 たとえフリーザであっても、一瞬では詰め切れない距離。それを確保したナッツは、掌を上に向け、満月をイメージして、力を集中する。それはサイヤ人にとっての、絶対なる力の象徴。かつて両親と共に見上げた本物の月を、鮮明に脳裏に思い描く。 

 

 そうして掌の上に浮かんだパワーボールは、かつて作った時より、二回り以上も大きく輝いていた。会心の出来だったが、全く負担を感じない。それほどまでに、自分は強くなったのだ。即座に上空へ放り投げ、そのまま高く掲げた手を握り締めて、呟く。

 

 

「……はじけて、まざれ」

 

 

 一瞬の閃光。他の全員が、思わず顔を庇う中、金色の少女は目を逸らさない。光が収まった後、上空には太陽よりも巨大な、人工の満月が現出していた。青い目を大きく見開いたナッツの顔が、降り注ぐ光に照らされる。

 

「……っ」

 

 ブルーツ波に尻尾が反応するのを感じ、少女は獰猛に笑う。やはり超サイヤ人でも、大猿への変身はできるのだ。

 

「ま、まさか、あれは!?」

 

 狼狽した様子のフリーザに、胸がすくような思いで、ナッツは言い放つ。思えば、こいつが変身するたびに、驚かされてばかりいたけれど。

 

「お前は何度も変身できるのが自慢みたいだけど……私もひとつ、変身を残しているのよ」

 

 ドクン、と心臓が高鳴り、少女の笑みが深まった。変身中はほとんど動けないが、フリーザが何かしようとすれば、カカロットが見過ごしはしないだろう。

 

 肉体の変化を感じながら、変身が始まるのが、以前よりも早いと、ナッツは冷静に考えていた。今作った月は、ブルーツ波の数値も、1700万ゼノより大きいのかもしれない。

 

 ドクン、ドクン、と心臓が脈打つたびに、ただでさえ信じられないほどに増大した戦闘力が、さらに大きく高まっていく。

 

 尻尾が激しく動き、吸収されたブルーツ波が膨大なエネルギーへと変換され、全身へと送られていく。その力で、骨や筋肉、臓器、血液、頭髪、そして細胞の一片に至るまで、少女の身体の全てが、かつて全宇宙から恐れられた、戦闘民族サイヤ人の、もう一つの姿のものへと、作り変えられていく。

   

 ドクン、ドクン、ドクン。鼓動と同時に、身体全身が大きく震える。犬歯が牙のように伸びていき、激しい呼吸の合間に、獣の唸り声が混じりだす。怒りと破壊衝動が、彼女の中で膨れ上がっていく。

 

 未だ金色のオーラに包まれたナッツは、彼女の変貌を前に、唖然とするフリーザに向けて叫ぶ。

 

「サイヤ人の、本当の力を見せてあげるわ!!!!」

 

 

 次の瞬間、少女の全身が、二倍に膨れ上がった。

 

「ぐ、ああああああアアアアッッ!!!!!」

 

 少女の叫びが獣のそれへと変化し、それが終わらぬうちに、筋肉で膨れ上がったナッツの身体が、内側から弾けるように、さらにもう一回り成長する。全身の骨格もそれを支えるように秒単位でより太く強靭になっていき、咆哮を続ける少女の口元から、鋭く尖った牙が溢れだす。

 

 ブルーツ波を吸収し続けたその瞳は、いつしか白く染まり、人間の限界を超えて開いた口が、鼻と一体化して少しずつ前へとせり出し、整った彼女の顔から、人の面影が失われていく。耳の先端が上向きへと変化していき、なおも増大し続ける重量によって、黒いブーツの下で、地面がひび割れ始める。

 

 

「そうは、させるかあああ!!!」

 

 衝撃から立ち直ったフリーザが、変身を止めるべく地を蹴った。あの超サイヤ人が大猿になろうとも、計算上はフルパワーの半分も出せば処理できる。だが超サイヤ人は、惑星ベジータのサイヤ人達の間ですら、その詳細が伝わっていなかった未知の存在だ。

 

 どんな力を隠し持っているか知れない相手が、更なるパワーアップを果たそうとするのを、見過ごすわけにはいかなかった。超サイヤ人になど、絶対に負けるわけにはいかないのだ。

 

 その時、目の前に現れた悟空が、その腕を掴み、動きを止める。ぎりぎりと、凄まじい力で腕を握り締める悟空の顔は、彼をよく知る者でも見た事が無いほどの、怒りに満ちたものだった。

 

「な、何だ貴様は!? 放せ!」

 

「おめえ、よくも、あんな小せえ子の前で、父ちゃんを殺しやがったなあああ!!!」

 

 怒りのままに、繰り出される悟空の拳を、フリーザが身を回すように避け、そのまま尻尾を叩き付ける。悟空は地面ギリギリまで身を屈めてそれを回避し、跳ね上げるような蹴りを繰り出した。まともに食らったフリーザが、大きく跳ね飛ばされる。

 

 立ち直る隙を与えず、悟空は前に加速し、体勢を崩したフリーザに、身体ごとぶつかっていく。かろうじてそれを受け止めながら、彼は目の前の男の顔を見て、はっと目を見開いた。

 

(思い出した! こいつ、惑星ベジータを消した時、最期まで抵抗した、あのサイヤ人とそっくりだ……!)

 

「それだけじゃねえ、オラの父ちゃんと母ちゃんまで……!!」

 

 言葉からして、惑星ベジータの生き残り、おそらくは、あのサイヤ人の息子。惑星の破壊に居合わせなかった飛ばし子も、あの後、全員処分させたはずなのに。まさか、どうやってか自分の思惑を知って歯向かって来たあの男が、密かに逃がしていたとでもいうのか。ぎりりと、歯を食いしばる。

 

「あのサイヤ人のゴミが! どこまでもオレの邪魔をしやがって!!」

 

 フリーザは悟空に向けて広げた両手を重ね、ほぼ零距離から、身体全体を飲み込むほどの、エネルギーの奔流を撃ち放った。直撃を受けた悟空が、大きく吹き飛ばされていく。

 

「はあっ、はあっ……あのサイヤ人、一体どこで、あれだけの戦闘力を……」

 

 息を切らせるフリーザは、不意に周囲が暗くなったのを感じた。獣の咆哮が、いやに大きく聞こえた。慌てて顔を上げたフリーザが見たものは、8メートルを超える程に成長し、その巨体で日の光を遮りながら、なおも巨大化を続ける大猿の姿だった。

 

 その身を覆う黒い戦闘服が、着用者の変化に合わせるかのように、柔軟に伸びていく。身体に密着したアンダースーツに、はち切れんばかりの筋肉が浮かんでいる。体表をうっすらと覆う金色の獣毛が、見る間にその密度を増していく。伸びた尻尾が振り回され、木々をまとめて薙ぎ倒す。

 

「この、醜いサルめ!!」

 

 フリーザは指を上向け、ナッツの胸部に向けて、光線を連発する。計5発の光線が、戦闘服を貫いて、大猿の身体に着弾する。

 

『ガッ……!?』

 

 赤く染まった目で月を見上げていた大猿が、苦悶の声を上げ、口元から、血の塊が吐き出される。フリーザが顔を喜悦に歪め、さらに光線を放とうとした時。

 

『ガアアアアアアアッッ!!!!!』

 

 一際大きな咆哮と共に、大猿の全身が弾けるように膨れ上がる。一瞬気圧されたフリーザが、止めを刺すべく、先ほどの倍の数の光線を放つ。先ほどと違い、着弾した瞬間のみ、大猿の身体がわずかに揺らぐも、戦闘服に開いた小さな穴から煙が上がるだけで、全く効いた様子はない。

 

「しぶとい奴め……!」

 

 既に12メートルを超えた大猿の、あまりのタフネスに、フリーザが呻く。その横合いから、復帰した悟空が突撃を掛ける。

 

「こっちだ、フリーザ!!」

 

「どこまでも、しつこい奴だ!!」

 

 悟空の攻撃をガードし、高速で打撃を応酬しながら、フリーザは呻く。

 

 変身中の超サイヤ人も、目の前の男も、今すぐ殺してしまいたかったが、ブランクが長かったせいか、思うように力が出せないのがもどかしい。大抵の相手は、変身せずとも倒せていたから、この形態に変身した事すら、片手で数えるほどもないのだ。

 

 もうしばらく戦えば、身体も温まり、本気を出せるようにもなるだろうが、それまでは耐えるしかないと、フリーザは考える。

 

 しかし一見無駄に思われた彼の攻撃は、ナッツに大きな影響を与えていた。

 

 

 

(グルルルル……あ、ああああっ!?)

 

 今にも理性を失いかねないほどの激情が荒れ狂う中、ナッツは自分自身である猛獣の手綱を必死に握っていた。数えきれないほどの訓練と実戦によって、普段の彼女は大猿化しても理性を保つ事ができるのだが、今は事情が異なっていた。

 

 超サイヤ人への変身によって、短時間で、戦闘力が上がり過ぎていた。その力に比例して強まった破壊衝動を、彼女はどうにか必死に抑えてきたが、今フリーザから攻撃を受けた事で、その均衡が崩れつつあった。

 

 視界が真っ赤に染まっている。怒りのままに、目に映る全てを破壊してしまいたくなる。今この力をぶつけてやるべき対象は、ただ一人だというのに。わずかな時間で数百倍にも増大し、今なお上昇を続ける凄まじい戦闘力の制御を、少女は今、失おうとしていた。

 

 なおも成長を続ける金色の大猿が、血の混じった唾液を撒き散らしながら咆哮する。わずかに残された理性の欠片で、ナッツは必死にあがき続ける。どれだけ戦闘力が高くても、理性の無い獣に倒せるほど、フリーザは甘くない。それに。

 

(このままじゃ、私が悟飯達を殺してしまう! それだけじゃない、きっと、この星も……!)

 

 今の私が理性を失えば、この星を蹂躙しつくすのに、数時間も掛からないだろう。事によると、いきなり星そのものを、消し飛ばしてしまう可能性すらある。

 

 自分を勇者と呼んで、歓迎してくれた、村人達の事を思い出す。ナメック星は、あの人達や、最長老の故郷で、彼らが頑張って、復興させている最中なのに。

 

 他の星なら、いくら滅んでも構わないけど。この星を壊すなんて、絶対に嫌なのに。身体の自由が、もう利かなかった。

 

 ごめんなさいと、その言葉を最後に、残された理性が、激情の渦に飲み込まれた。

 

 

 

 変身を終えた大猿が、雷鳴のような咆哮を上げる。15メートルにも達する巨体は、金色に輝く毛皮に覆われ、人間であった頃と同じ、黒い戦闘服を身に纏っていた。背中まで伸びたボリュームのある髪も、また健在で。長大な尻尾が、乱雑に風を切って振るわれる。

 

 遠くで爆発音が響く。金色の大猿は、唸り声を上げながらそちらを見る。白い人間と、オレンジ色の人間が、激しく戦っているのが見えた。

 

 咆哮と共に、大猿の口から、真紅のエネルギー波が解き放たれる。直径100メートルを超えるそれは、半ば以上、ナメック星の大地にめり込んでいた。大気も大地も海水も、直線状の全てを消し飛ばしながら、破壊の光が悟空とフリーザに迫る。

 

「な、ナッツ!? どうしちまったんだ!?」

 

「うおおおおおおっ!?」

 

 二人がバラバラに飛び離れると同時に、彼らのいた空間が、膨大なエネルギーの奔流に薙ぎ払われる。それが通り過ぎた後には、大地も海も区別なく、数十メートルほど深く半円状に抉られた跡が、水平線の彼方まで続いていた。

 

「な、何だよ! あの子、大猿になっても理性を保てるはずじゃなかったのかよ!」  

 

 危うく悟空までも巻き込みかけた大猿の攻撃に、狼狽するクリリン。彼の視線の先で、金色の大猿が、地面を蹴り砕きながら、大きく跳躍する。空中で巨大な両の拳を組み合わせて掲げ、偶然目についた島の大地へと、落下の勢いを乗せて、振り下ろした。

 

 凄まじいパワーで打撃された地面が轟音と共に瞬時に砕けて巨大なクレーターと化し、その地点を中心に深々と走った亀裂が、島全体へと波及する。衝撃で局地的な地震が巻き起こる中、岩盤までも砕かれた島の大地が次々に砕け、全てが海へと飲み込まれていく。

 

 島一つを一撃で破壊した大猿が、残骸を蹴って飛び上がり、地響きと共に、別の陸地へと着地して。月を見上げて、本能のままに吼え猛る。周囲にいた動物達が、必死に逃げ始める。

 

 なおも見境なく破壊を続ける大猿を、忌々しげに睨みながら、ピッコロは叫ぶ。

 

「逃げるぞ、悟飯! 孫! クリリン! お前らもだ!」

 

「け、けどよ、ピッコロ。ナッツの奴は……」

 

「状況を考えろ! あのサイヤ人がこちらに気付いたが最後、お前以外は全滅だ!」

 

 かつての悟飯と同じで、あのサイヤ人は、とてつもないパワーと引き換えに、完全に理性を失っている。

 

 奴が作ったあの月は、時間が来るまで消えないらしい。だからといって、尻尾を切るために、あの大猿に近づくのは自殺行為だ。ならばフリーザの奴と、化け物同士で潰し合わせればいい。

 

 この星は、おそらく保たないだろう。諦めるしかないのは、とても心苦しかったが。ネイルの記憶によると、まだ生き残りのナメック星人が隠れているという話だが、せめて何人かでも、連れ出せないものか。

 

 

 大猿と化し、理性を失ったナッツの姿を、悟飯は自分自身に重ね合わせていた。 

 

 地球で変身した時の事は、すっかり忘れていたけれど、大猿になっている間も、意識はわずかに残っていたのだ。ただ、強過ぎる怒りに押し流されて、自分が自分では、なくなってしまっていただけで。ナッツに噛み付いて傷付けたり、殺そうとしたり、酷い事をしてしまった。

 

 今のナッツも、きっと同じだろう。最長老さん達がここまで復興させたナメック星を壊すなんて、あの子は絶対に、やりたくないはずだ。強大すぎる今のナッツの気は、正直、感じているだけで、震えてしまうほど怖いけど。あの子が取り返しの付かない事をしてしまう前に、昔のボクみたいに、目を覚まさせてあげないと。

 

「お父さん、ピッコロさん、ごめん! ボク、行ってきます!」

 

 言って少年は、大猿へ向けて飛び立って行く。

 

「あっ、悟飯!?」

 

「戻れ、悟飯!! 殺されるぞ!!」

 

 二人の声を背に、死ぬかもしれないと思いながら、悟飯は暴れ回るナッツへと近づいていく。蹴り砕かれた丘の破片が、額を掠めて、血が流れるも、少年は止まらない。

 

 やがて悟飯は、大猿の顔付近へ到達した。血のように赤く染まった瞳が、ギロリと少年を睨み付ける。人間が飛び回る羽虫を見たかのような、不快そうな唸りを上げる。口元から覗く獣の牙の一本一本が、彼の腕よりも太かった。

 

 金色の毛皮に覆われた巨大な右腕が、下から斜め上へと振るわれる。当たれば全身の骨が砕かれて、即死しかねないその攻撃を、悟飯は必死に回避して叫ぶ。

 

「駄目だよ!! ナッツ!! こんな事をしてたら、ナメック星が壊れちゃうよ!!」

 

 避けた拳が、真上から、ハンマーのように振り下ろされる。自分の身体の倍以上に大きな拳を、辛くも避けるも、風圧で体勢を崩しそうになる。

 

「ねえナッツ!! 君はフリーザを倒すんだよね!! 君のお母さんと、ベジータさんの仇を取るために!!」

 

『ガ……ア……ッ!?』

 

 黄金の大猿が、その言葉に全身を強張らせる。両腕で頭を抱えて、額に大粒の汗を浮かべて、身を震わせる。彼女の理性が、息を吹き返そうとしていると、少年は看破する。あと一息、何かがあれば。

 

「頑張って!! 君はサイヤ人の王族で……っ!?」

 

 悟飯が絶句する。苦しげな様子の大猿が、殺意の籠った目で、こちらを睨んでいた。煩い黙れと、言わんばかりに、巨大な拳が、叩き付けられる。凄まじい速度で迫る拳を、少年はあえて避けずに、ナッツと正面から、向かい合う。

 

 地上で見ていた、悟空と、ピッコロと、クリリンが、悲鳴を上げる。そして大猿の瞳で、それを見ていた少女もまた、絶叫しながら、自らの怒りと破壊衝動を、力づくで捻じ伏せていた。

 

 

 

 呆然と、悟飯は、自らの眼前で、急停止した、大猿の拳を眺めていた。風圧で髪が乱れ、わずかに後ろに飛ばされるも、少年の身体には傷一つない。ふと見上げると、大猿が荒い息をつきながら、心配そうに彼を見ていた。

 

「よ、よかっ、た……」

 

 安堵のあまり、緊張の糸が切れて、落下しかける悟飯の身体を、慌てたナッツが、掌で受け止める。掌の上で倒れた少年の、その小ささに、ぞっとしてしまう。大猿になった自分と対峙して、彼が今死んでいないのは、奇跡としか言いようがなかった。

 

『……死ぬ気なの? 悟飯』

 

 その声は、やや重く低くなっていたけれど、いつものナッツのものだったから、悟飯はにっこり笑って言った。

 

「ううん。君が止めてくれるって、信じてたから」

 

『……馬鹿』

 

 自分も笑って見せようとして、ふと少女は、思い出す。ギニュー特戦隊との戦闘で変身した時、怯えた顔で自分を見上げていた、悟飯の顔を。

 

 また醜い姿を見せて、嫌われたりしたらどうしよう。ナッツは少年を乗せた掌を、自分から遠ざけて、顔を逸らす。

 

「もう行って、悟飯」

 

 そんな彼女の姿は、確かに恐ろしいものだったけど、悟飯は正直、もう慣れてしまっていた。中身はナッツだし、大きな動物みたいで、可愛いとすら思っていたけど、サイヤ人の彼女が喜ぶ言葉は、それではないと知っていたから。真っ直ぐに、顔を見つめて告げる。

 

「大丈夫だよ、ナッツ。今の君は、強くて格好良いと思う」

 

『そ、そうかしら!?』

 

 長大な尻尾が、力強く振り回される。一番言って欲しかった言葉をもらったナッツは、心が浮き立つのを感じていた。

 

 自分の身体を確認する。普段とは違う、金色の分厚い毛皮と筋肉に覆われ、周囲の全てが、小さく見えるほどの巨体。自分でも信じられないほどの、戦闘力にして3000万にも達するほどの力が、身体の奥底から湧き上がって来る。

 

 上空に浮かぶ月からは、今も変身を維持するためのブルーツ波が、降り注いでいるのが、尻尾を通して感じられた。心地良い感覚だった。

 

 月を見ていると、衝動が高まるのを感じる。意思の力で抑えつけていた、自分の中の獣性に、一時身を委ねて、力強く吼える。

 

『アオオオオオオオオオオッッッ!!!!』

 

 父様や母様と一緒に、星を攻めた時の事を思い出す。自分がサイヤ人だと、最も強く意識する瞬間だった。

 

 

 

 ひとしきり満足した後、ナッツはわずかな、違和感を覚えた。金色の大猿に変身して、理性を取り戻した自分の中に、もう一つ何か、超えるべき壁のようなものがあるのが、何となくわかった。

 

 その壁が今の自分では、到底越えられないという事と、その先に、想像もつかないような力が眠っている事も、直感的に理解できた。

 

(もしかして、超サイヤ人ゴッドという奴かしら……?)

 

 神々にも匹敵するという、最強をさらに超えた戦士の事を、母様の持っていた本で、読んだ事があった。おとぎ話だと思っていたけど、超サイヤ人の伝説は本当だったのだから、超サイヤ人ゴッドだって、きっと実在したのだろう。

 

 いつかは自分も、超サイヤ人ゴッドになれるのだろうか。できれば、今すぐにでも変身させて欲しいのだけど。それは流石に、虫が良すぎるだろうかと、少女は苦笑する。

 

 

 超サイヤ人ゴッドについて、ナッツは考え違いをしている。超サイヤ人2と、超サイヤ人3を極め、その先にある別の変身に彼女が辿り着くのは、今よりずっと先の話だ。

 

 

 

 

 ふと見ると、掌の上に倒れた悟飯が、目を閉じていた。戦闘力が、ほとんど感じられない。

 

 一瞬、どきりとしてしまうも、穏やかな寝息から、気を失っているだけだと、すぐにわかった。安心したように、彼女の手の上で眠る姿は、まるで小動物のようで、とても可愛いと思った。

 

 ナッツが目を細めていると、カカロットとピッコロの二人が、彼女の元へと飛んできた。ピッコロの刺すような視線に、少女は思わず、たじろいでしまう。

 

「サイヤ人、悟飯に何かあったら、貴様をぶっ殺している所だった」

 

『……ごめんなさい』

 

 ピッコロはそれ以上何も言わず、眠る悟飯を優しく抱き上げて、その場を離れて行く。

 

 彼らを見送ってから、ナッツはフリーザの方を見る。どうやら奴は、自分が暴走している間、高みの見物を決め込んでいたようだった。

 

 そちらへ向けて、歩き出す。一歩足を踏み出すだけで、大地が激しく揺れ動く。彼女の横を飛びながら、カカロットが、ナッツに話し掛ける。

 

「手伝うか? 正直、オラもあいつは、ぶっ飛ばしてやりてえんだ」

 

『できればそうして欲しいけど、あなたを巻き込まずに、戦える自信が無いの。先にやらせて』

 

 そして一瞬迷ってから、少女は続ける。

 

『……もし私が死んだら、その時はあなたが、フリーザを倒して』

 

「ああ、わかった。けどおめえは死なせねえよ、ナッツ。ベジータに怒られちまうからな」

 

 その言葉に、泣きそうになってしまう。

 

『……ありがとう、カカロット』

 

 そしてカカロットが、手を振りながら離れて行って。

 

 やがて50メートルほどの距離を置いて、少女は宿敵と対峙する。金色に輝く大猿が、フリーザを見下ろし、牙を剥き出して笑った。

 

『待たせたわね、フリーザ。ようやく、お前の死ぬ時がやってきたわ』

 

 フリーザは、忌々しげに舌打ちする。あのまま味方を殺すか、星を破壊して自滅してくれれば、面白かったというのに。

 

「フン、サルの子供ごときが、調子に乗って。いいだろう、見せてやるよ超サイヤ人。宇宙の帝王である、このフリーザ様の圧倒的なパワーをね」

 

 言葉が終わるや否や、巨体からは考えられないほどの素早さで、ナッツが飛び掛かる。迫りくる大猿を前に、鷹揚に、余裕すら見せながら、フリーザは身構える。

 

 

 最後の戦いが、始まった。




Q.超サイヤ人って、前提として高い戦闘力も要るんじゃないの?
A.S細胞絡みのインタビューは見たんですけど、必要な戦闘力の具体的な数値は書いてませんでしたし、7歳で空も飛べない悟天が変身できてますので、この話ではギリギリ足りてたって事でひとつ……。

Q.理性あったら超サイヤ人4いけるのでは?
A.超サイヤ人"4"とあるからには3まで変身できる事が条件じゃないかなあと、独自に解釈しました。GTでも悟空とベジータしか変身してませんでしたし、原作と矛盾はしないと思います。
 理由は主にバランス調整で、この時点で超サイヤ人4を出したらフリーザ様はおそらく瞬殺で、4年後の完全体セルもたぶん1人で倒せてしまって、話がつまらなくなると思ったからです。


 というわけで、一昨日書ききれなかった分の続きです。
 展開的に賛否両論あるかもしれませんが、これはあくまで、彼女の物語なのです。

 先週はちょっとリアルが忙しくて「あー、更新途切れたしこれはお気に入り50くらい減るかなあ……」って覚悟してたんですが、そんな事はなく、むしろじわじわ増えてたり評価もらえたりした事に励まされてました。皆様本当にありがとうございます。

 次回も少し遅れるかもしれませんが、話はもう最後まで考えていますので、気長にお待ちくださいませ。


 阿井 上夫様から超サイヤ人ナッツのイラストを頂きました!


【挿絵表示】
 
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 1枚目が立ち絵で、2枚目はそれを扉絵風にしたものですね。左肩の傷跡や包帯といった細かい描写が嬉しいです……! あとこうしてビジュアルで傷跡見るとやっぱり痛々しいので後で消させて正解でした(小声)

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