周囲のサイヤ人達がざわめく中、彼らの王子と、その伴侶が、幸せそうに肩を寄せ合いながら、娘の元へと歩を進めていた。
治療を受けたとはいえ、彼らの全身には負傷の跡が見えており、また身に纏う戦闘服も、汚れなどは拭われていたが、所々がひび割れ破損していた。一般的な宴の場なら、眉をひそめられるような恰好だが、この場にいるのは全員が戦闘民族サイヤ人だ。
激しい戦闘の様子を物語るようなその姿は、むしろ下手な正装よりも、彼らにとっては良い印象を与えたようで。そしてそれは、娘であるナッツも同様だった。鳴りやまぬ歓声の中、誇らしげな感情と共に、両親の元へと、駆け寄って行く。
「父様!! 母様!!」
満面の笑みで飛びつくナッツを、母親であるリーファが受け止める。そしてぎゅっと抱き締められて、二人掛かりでわしゃわしゃと頭を撫でられる。それだけで、少女の顔は幸せそうに緩みきって、まるで子猫のような、甘えた声を漏らしてしまう。
「ふにゃあ、母様……温かいです……」
母親の心地良い温もりに、ナッツは身を任せる。彼女は生前と同じ儚げな雰囲気を持っていたが、自分を抱く手の力強さや、しっかりとした足腰からは、その身体がもはや病魔に侵されておらず、生命力に満ち溢れている事が感じられた。
「一人にしてしまって、ごめんなさいね、ナッツ。私達がいない間、良い子にしてた?」
「はい! あの方々から、昔の戦いの話を聞かせてもらってました!」
言ってバーダック達の方を示す娘に、父親がひとつ頷いた。
「そうか、じゃあお礼を言いに行かないとな」
そこでナッツは、自分を見つめる優しい父親の表情の中に、ほんのわずかな違和感を感じ取った。
「? 父様? 何かあったんですか?」
「……何でもないぞ、ナッツ」
一瞬言葉に詰まった後、誤魔化すように、笑って頭を撫でる父親の様子に、何かあったのだと娘は思ったが、
(父様が隠すという事は、私が知るべき事じゃないんでしょうね。なら、追及するのは良くないわ。必要な事なら、きっといつか話してくれるはずだし)
そう考えて、髪に触れる父親の手の感触を楽しむ事にした。
それから少し時間が経って、両親がバーダック達に挨拶をした後。ナッツは座る母親の膝の上に抱かれて、幸せそうに微睡んでいた。
戦闘服のジャケットごしでも、彼女の女性らしく柔らかい身体の感触が伝わってくる。そうして母親の確かな温もりに包まれていると、彼女が死んだあの日の事が、まるで悪い夢だったかのように思えてしまうのだった。
「娘の面倒を見ていただいて、ありがとうございます」
「何、構わないさ。ガキの頃のアタシ達より、100倍くらいお行儀が良い子だったからね」
「そうそう、ナッツちゃんとっても良い子でしたよ!」
飲み物のグラスを打ち合わせて、明るい表情で話に花を咲かせる女性陣。
黒一色の戦闘服に身を包み、娘を抱いて儚げに微笑むリーファ。装飾品で身を飾りつつも、戦闘民族らしい野性的な笑みを浮かべるセリパ。そして家庭的で穏やかな雰囲気を持ち、明るく朗らかに笑うギネ。
それぞれタイプは異なるが、いずれも劣らぬ美人揃いで、華やかな空間が形成されていた。
一方ベジータは来た早々に、半ば出来上がったトーマ達に拉致されて、話の輪の中に引きずり込まれていた。
「あのスカしてた王子様が、立派になって胸の大きな美人の嫁さんまでもらいやがってよお~。羨しいじゃねえか! 胸の! 大きな! 美人の嫁さんを! 畜生飲みやがれ!」
「お前の娘は良い戦士だ。それは認める。けどカカロットとラディッツだって負けてねえからな? まあ飲め」
「あ、ああ……」
注がれる酒を困惑しながら受けるベジータ。走ってきたセリパに蹴り倒されるトーマに皆が笑い声を上げる。そこへベジータ王まで王妃を連れて入ってくる。
あまりこうした大勢で騒ぐ経験が無いベジータも、次から次へと注がれる酒の勢いと、フリーザを倒せた上に3年ぶりに妻とも会えた喜びが相まって、次第に周囲の皆と同じ、明るい表情となって宴の雰囲気の中へ溶け込んでいくのだった。
そんな夫の様子を嬉しそうに眺めながら、母親は、娘の頭をゆっくりと撫でる。
「立派に育ってくれて、嬉しいわ、ナッツ。さすがはお父様の子ね」
「いえ、母様の教育も良かったからです……」
多幸感のあまり、ふにゃふにゃになりながら応えるナッツの姿は、年相応の、戦闘民族とは思えないほど可愛らしい有様だった。それを見ていたギネとセリパが、目を細める。
「カカロットもラディッツも立派に育ってくれたけど……女の子も欲しかったなあ」
「……アタシも、一人くらいは作っておいても良かったかもね」
その言葉を耳にしたトーマが、深酒によってぼんやりした頭で、つい反射的に口を挟んだ。
「? 妊娠してる間、戦えなくなるのは嫌だから、ちゃんと付けろって言ってたじゃ……」
言葉の途中で、セリパが彼を殴り倒した。
「お、おい! お前さっきから……」
文句を言いつつ起き上がろうとしたトーマの目に映った光景は、かつてない程に真っ赤な顔でぶるぶると拳と全身を震わせながら、自分を見下ろすセリパの姿だった。
「アンタって奴は……アンタって奴は……」
その瞬間、彼の戦士としての本能が命の危機を訴え、それはそれとしてヤバいこいつ可愛すぎると一瞬見惚れてしまったが、それはそれとしてまた死にたくないので必死に謝った。
「ま、待て! オレが悪かった! 話し合おう!?」
「デリカシーってもんが無いのかいアンタって奴はーーーっ!!!」
羞恥に叫ぶ女戦士の両腕が、掻き毟るような動きでトーマの顔面に何度も叩き付けられる。最後に宙返りしながらのサマーソルトが直撃し、悲鳴を上げながら吹き飛ばされていくトーマ。その華麗な連撃に、見ていた全員が笑いながら惜しみない拍手を送った。
もちろんナッツも例外ではない。息を荒らげるセリパに、きらきらした目を向けながら言った。
「今の技、格好良かったわ! 私も今度使っていい?」
「ああ、いいよ。まったく、何年経ってもバカなんだから……」
「……ところで、付けるって何の事?」
少女の素朴な疑問に、セリパは思わず頭を抱えたくなるような気分になった。少なくとも、5歳の女の子に母親の前で話すべき内容ではない。
「そのうち大人になったら分かるよ……」
「うちの娘がすみません……もう少し大きかったら、私が説明するんですけど。できれば悟飯さんも呼んで一緒に」
「やめたげなよ!?」
思わずギネが叫ぶ。男の子の気持ちはあんまり分からないけど、少なくとも、年頃の少年が女の子と一緒に友人の母親から教えてもらう内容ではないはずだ。
「? だって必要な事ですよね? 私、昔はそういうのよくわからなくて、あの人と一緒にお風呂に入ったりしてましたから。後で色々知って、恥ずかしい思いをしてしまいましたし」
その美貌にきょとんとした表情を浮かべて、首をかしげるリーファ。そんな彼女を見て、ギネは戦慄を覚えた。
(あんまり話した事なかったけど、この人実は結構天然なのでは?)
その考えは的中していて、生前の彼女はフリーザ軍の中でも、天然入った病弱美人キャラとして、密かに人気が高かったりした。
戦闘力は高いものの、生まれつきの病気のせいであまり任務に出られない彼女を、戦闘員としてはどうなのかと侮る声もあったりしたが、うっかり彼女の前でベジータの悪口を言ったキュイをその場で殴り倒し、吐血しながらひたすら殴り続けて半殺しにした挙句、自分も倒れて緊急搬送された事件があってからは、そういう声はぴたりと収まった。
反面、キレると本気で殺しに来るから怖いという評判も広まったのだが、構成員の大半が戦士のフリーザ軍では、むしろそれが良いとして、ますます彼女の評価は高まった。
そんな彼女がベジータと結ばれた時には、大勢のファンが「やっぱりなあ」と思いつつ、心の中で少しだけ悲しみながら祝いの品を贈ったという。ちなみにギニュー特戦隊のバータもその一人で、匿名で結婚祝いと出産祝いまで出していた。
閑話休題。遠くで倒れていたトーマの様子を見に行ったセリパが帰って来て、少し経った頃、ふとリーファが、思い出したように口を開く。
「子供といえば、私も、もう少し身体が丈夫だったら、この子に弟も作ってあげたかったです」
「お、弟!?」
その単語を聞いて驚き、目を白黒させるナッツ。考えた事も無かった。身体の弱い母様にとっては、私一人生むだけで、大変だったはずなのだから。
(けど、良いかも……)
弟。私と同じ父様と母様の子供で、私より年下の家族で、守ってあげるべき存在なのだ。そういう意味では、年下の悟飯も弟みたいなものだって思ってたけど。頼りになるってわかったし。
(ずっと、傍にいるから……!)
ほんの数時間前に言われた台詞を思い出し、真っ赤になって俯いてしまう。あんな事言われたら、もう弟としてなんて見れないじゃない。
そう、弟というのは、そういう見ていてどきどきするような感じじゃなくて、家族なのだ。私よりも小さくて可愛い存在なのだ。
(姉様! 姉様!)
そんな家族がもう一人いてくれれば、私はとても嬉しいし、父様だって、寂しい思いをしなくて済むかもしれない。
「そうですね、私も、弟が欲しかったです」
思わず口にしてしまってから、それはもう叶わない事だと気付く。だって母様は、もう死んでしまっているのだから。
「ご、ごめんなさい、母様! 無理な事を言ってしまって……!」
「ううん、いいのよ、ナッツ。私が言い出した事だもの。それに……」
「それに?」
そこで彼女は、周囲に隠すかのように、少し声を抑えて言った。
「無理な事じゃないわ。もしかしたら、いつの日か、弟か妹が、あなたにできるかもしれない」
「……?? 母様は、その、死んでるんですよね?」
「ええ、私は、もう死んでいるわね」
少し寂しそうに微笑むリーファと、まるで難しい謎掛けでもされたように、本気で意味が分からないという様子のナッツ。
一方で、彼女の言葉を理解したセリパが口を挟む。死んだ人間は子供を作れない。それなのに、ナッツに弟か妹ができるという事は。
「ちょっと、アンタはそれでいいのかい。愛してるんだろ。あの王子様の事を」
「……ベジータ様は、とても情の深い方ですから、何十年も一人で生きる事に、きっと耐えられません。どうしても辛くなったら、いいですよって、あの人には伝えました」
その言葉にセリパは思わず激昂しかけるも、リーファの表情を見て絶句する。幾度となく葛藤して、悲しんで、その上で全てを受け入れて、愛するような笑みを浮かべていた。
「……そんな事、関係無いだろ? 自分の好きな男が、他の女に取られてもいいのかい」
「そ、そうですよ! 王子様にはちょっと我慢してもらえば、またここで会えるんだし。それに、ナッツちゃんも、そんなの……」
「私の方が、耐えられないんです」
母親は身を震わせながら、娘を抱く腕に力を込める。
「この3年間、私が死んでから、あの人もこの子も、悲しんでばかりでした。私はそれを、何もできずに、見ているしかできなかったんです」
明るく朗らかだった娘は、人が変わったように、冷たく頑なになってしまった。夫は自らも悲しみにくれながら、そんな娘を必死に支えて、そして娘の見ていない場所で、人知れず涙を流していた。
だからリーファは悟飯に、心の底から感謝していた。地球で彼と出会ってから、ナッツは昔のように、明るく幸せそうな笑顔を見せてくれる事が多くなったから。あの人もきっと、内心では似たような事を思っているはずだ。
おそらくナッツは、あの少年がいてくれれば大丈夫だろう。ただ、あの人は、冷酷なサイヤ人の王族でありながら、その実、人一倍家族思いのあの人は。自分が何も言わなければ、この先ずっと死ぬまで、一人で寂しい思いを抱えて、押し潰されそうになりながら、それでも必死に耐えて、生きてしまうのだろう。
それを見ているしかできないなんて、私は絶対に耐えられない。
「だからこれは、私の我儘なんです。任せても良いと思える人も、もういますから」
あの青い髪の、ブルマという地球人の女性。ナッツの事を心配して、家に住まわせてくれるという。彼女とベジータとの会話も、リーファは全て地獄から聞いていた。
内容は主にナッツの事で、あんな小さい子にどういう酷い暮らしをさせてるのよと、まくしたてる彼女の剣幕に、たじたじとなる夫の姿は、とても微笑ましいもので。ああ、この人になら、まあいいかなと思ったのだ。
悪名高い戦闘民族サイヤ人、自分を指一本で殺せる相手に向かって、臆せずああまで言える人間など、宇宙全体でもそうはいない。私とは全然タイプの違う女性だけど、それでも相性は悪くなさそうだった。
問題なのは、あの人の気持ちだけど。私の方は良いって言っておいたし、これから地球で一緒の家に住むのなら、時間が解決してくれるだろう。
それでも、頭では納得ができていても。リーファの黒い瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。できるなら、自分がずっと、あの人の傍に居たかったのに。
生まれつきの病気を抱えていた自分が、戦闘員として戦えて、好きな相手に見初められて、子供までできた事が、既に望外の幸せだと、わかってはいるけれど。
「……やっぱり今からでも、止めた方がいいんじゃないかい? 本当に取られちまうかもしれないんだよ?」
気遣うようなセリパの言葉に、リーファは一瞬、呆然としてしまう。何を言われているのか、本気で分からなかったのだ。そして言葉の意味に気付くと、くすくす笑って、満面の笑みで言った。
「それは有り得ないです。ベジータ様は、一生私を愛してくれますから。たとえ他の方との間に何があっても、それは絶対です」
「あ、それ解ります。あの人、バーダックと同じ感じがしましたから」
「……あのバカもそうなのかねえ。アタシにはよく分からないよ」
ギネが頷き、セリパが複雑な表情をする中、ナッツには、先程から交わされている会話の意味が、全く理解できないでいた。彼女は年齢の割には聡明だったから、あるいは無意識のうちに、それを考えないようにしているのかもしれなかった。
ただ、大好きな母親が、彼女達を想っている事は伝わったし、ナッツにとっては、それだけで十分で、嬉しそうな母親の腕に、笑顔で抱かれていた。
「ナッツ。あなたにはまだ、難しい話かもしれないけど。この先何があっても、お父様の事を、怒らないであげてね」
「私が父様を嫌いになるなんて、有り得ません、母様」
きっぱりと言い切るその様子が、母親とあまりにそっくりで。セリパとギネは大きな笑い声をあげた。その声を聞きながら、ふとナッツは、強烈な眠気に襲われるのを感じた。既に時刻は真夜中近くで、戦闘があるならともかく、普段ならとうに夢の中にいる時間だ。
それにただでさえ、今日はギニュー特戦隊やフリーザと命懸けの戦いを繰り広げた、彼女の短い人生の中でも特に慌ただしい一日だった。少女は小さく欠伸をもらし、顔を上げて、自分を抱く母親と目を合わせて言った。
「お休みなさい、母様」
そう言って、小さく微笑んだ。眠る前に、毎晩していた挨拶。これもまた、3年ぶりの言葉だった。
「ええ、お休みなさい。ナッツ」
母親も、微睡む娘の頭を優しく撫でながら、笑顔で応える。彼女にとっても、3年ぶりの言葉だった。
そして母親の温もりに包まれながら、ナッツの意識は、穏やかな眠りの中へと溶けていくのだった。
それから約22年後の、エイジ784年。人造人間の襲来と、孫悟空達の死を境目に、枝分かれした未来の話。
地下に隠された研究室の中で、どこか疲れた感じの青髪の女性が、工具を片手に、一心不乱に何かの機械を作っていた。
それは一見、一人用の乗り物のようだったが、翼もタイヤもついておらず、場所を移動する機能を、持たされていないかのようだった。実際、三次元上に限定すれば、それは宙に浮く程度の機能しか備えていない。
ブルマが作っているその機械は、タイムマシン。大盛博士の島から回収した試作品を元に、天才である彼女の頭脳は、時間移動の理論を完成させていた。
時間移動は銀河法で禁止されていると、彼女は知っていたが。どうでもいいと思っていた。
工具を握る手に、力がこもる。心労のせいか、年齢よりも老け込んだ顔が憎しみと怒りで歪む。
最愛の、夫と娘を奪った人造人間。過去に飛び、歴史を変える事で、あいつらをぶちのめす手掛かりが掴めるというのなら、どんな処罰だって受ける覚悟でいた。
その時、研究室のドアが開き、彼女と同じ髪の色をした、17歳ほどの見た目の少年が入ってきた。その手には、廃墟から集めてきた機械部品や、食料の入った袋が握られている。
「ただいま、母さん」
「ああ、おかえり、トランクス……」
振り向いたブルマは息子の成長した顔を見て、そこへ不意に、夫の面影を見てしまった。決壊した感情が、涙となって溢れ出し、その身が崩れ落ちる。持っていた工具が床に落ちて、高い音を立てた。
驚いた息子が、慌てて駆け寄り、母親の身を支える。
「どうしたの!? 母さん、どこか悪くしたの!?」
「大丈夫よ、どこも悪くないわ、トランクス。あの人の事を、思い出しちゃっただけ。……歳を取ると、涙もろくなっちゃうわね」
「……疲れてるんだよ、母さん。少し休まないと」
涙声で呟く母親の心を苛む、底の見えない悲しみに、息子もまた、当てられてしまったように、その気持ちを沈ませる。
父親の顔は、写真でしか見た事が無い。彼が思い出すのは、戦いの師であった悟飯と、戦う力こそ失ってしまったが、それでも優しく彼を愛してくれた、美しい腹違いの姉の事だった。
4年前に、人造人間との戦いで悟飯が死んでしまって、彼と共に3日間泣き続けた後、いつの間にか車椅子だけを残して、家からいなくなっていた。そしてすぐに、人造人間に挑んで惨たらしく殺された、彼女の遺体が見つかった。
少年の拳が、強く握り締められる。絶対に、人造人間共を許すわけにはいかない。だが、今の彼では到底敵わない。少年は、作成途中のタイムマシンを見つめる。過去に飛べば、人造人間の弱点が見つけられるかもしれない。
そして奴らの存在と、襲ってくる日を警告した上で、孫悟空という人の心臓病さえ治せていれば、少なくとも、枝分かれした別の世界では、母さんだって、父さんを失う事はなく、それに姉さんも大怪我なんてせず、悟飯さんと一緒に、幸せに暮らせるはずなのだ。
それはこの滅びかけた世界には、もう望めない事だけれど。不自由な身体で、それでも家族として、自分の事を愛してくれた姉さんが、幸せになってくれる世界を作れるというのなら、それは何を代償にしてでも、叶えるべき価値がある事だし。それに。
ああ、そして、もう一度だけでも、会いたいです。姉さん。
母親に気付かれないよう、滲んだ涙を拭いながら、トランクスは言った。
「こいつが完成したら、また姉さんに会えるんですね」
「ええ、それにあなたのお父さんにもね。……歴史が変わらないよう、くれぐれも注意しなさいよ? あなたが消えるわけじゃないけど、生まれるはずだった自分を消したくは無いでしょう?」
「父さんか……どんな人だったんですか? 母さん」
特に何か、考えた上での質問では無かった。物心つく前に死んでしまった父親は、トランクスにとって、あまり重要な存在ではなかった。
ただ、姉や母親が、何かにつけて、彼が死んでしまった事で、悲しい顔をしているので、むしろ、どうして彼女達を残して死んでしまったのかと、軽く恨んでさえいたかもしれない。
だから彼は、沈んでいた母親の顔が、小さく幸せそうに緩むのを見て驚愕した。そんな息子に構わず、ブルマは微笑みながら話し出す。その目は遠く、今でない過去を見つめていた。
「あの人は、寂しそうな人だったわ。ナッツを引き取ってから、一緒に住む事になってね。いつもぶっきらぼうで生意気だったんだけど、時々夜中に部屋を抜け出して、誰も見ていない場所で、元の奥さんの名前を呼んで、泣いてたりしていたの」
それでちょっと、放っておけないって、思ったの。
はにかむような、母親の笑顔に、トランクスは胸を打たれた。母親のそんな嬉しそうな顔は、今まで見た事がなかったから。
「それで、私と一緒になった後も、時々遠くを見ているような感じになって、指摘してやると、すまないって謝るの。今は私の事を見ていてくれるんだから、どうでもいいってのにね」
「……父さんは、姉さんのお母さんの事を?」
それは母に対して、不義理ではないのだろうかという気持ちを抱くも、あっけらかんに笑う当の母親の態度に、トランクスは困惑する。
「そりゃもう、あの人不器用なんだから。愛した人を忘れるなんて、できっこないわ。どうせ今頃、元の奥さんと、ナッツも一緒に地獄で仲良くやってるんでしょうけど」
その一瞬、少年は、自分の母親が若返ったように思えた。少し頬を赤く染めた、恋する娘のようなその顔は、写真の中にしか存在しなかった、若く幸せだった頃の母親の姿だった。
「あの人は私の事も、ずっと忘れず愛してくれてるわ。きっとね」
きっぱりと、胸を張って、ブルマは言い切った。
母さんに、ここまで想われている父親にも、一目会ってみたいと、少年は初めてそう思ったのだった。
そうして、時は現在の、地獄へと戻る。
リーファの住居で、眠っていたナッツが、温かな感触に、うっすらと目を開ける。隣で寝ていた母親が、彼女の頭を優しく撫でてくれていた。
今よりも幼かった頃、よくそうされていたのを、ナッツは思い出して、微睡んだ意識の中で、幸せな気持ちになった。反対側から、父親の気配もして、自分の頭に手が触れるのを感じて、いっそう嬉しくなってしまう。
私は今、宇宙で一番幸せだとナッツは思った。この時間が、ずっと続けばいいのにと思った。
けれども、ここは地獄で、彼女と父親の頭には、死者の証である輪っかは無い。神龍の願いで彼らが母親のいるこの地獄にいられるのは、ほんの1日。その刻限が、迫ろうとしていた。
ナッツが身を起こすと、毛布が身体から滑り落ちる。紫のアンダースーツだけが、その小さな身体を覆っていた。
「おはようようございます、父様、母様」
言葉と共に、精一杯、笑みを作る。また母親にこの挨拶ができるのは、きっと当分先になってしまうだろうから。
「ああ、おはよう」
「おはよう、ナッツ。良い朝ね」
同じ笑顔で、母親が応える。ナッツは堪えきれなくなって、彼女の胸元に顔を埋めて、声を殺して泣いた。
両腕でナッツを抱く母親も、同じ顔をしていた。父親は、何も言わず、ただ優しく彼らを抱き締めていた。
それから彼らは、動物を丸焼きにした朝食を食べて、ずっと一緒にいた。
久方ぶりに親子3人で過ごす時間は、少女にとって、とても充実したもので。どれほど話しても、話題が尽きる事は無く。
お昼になると、食料を探しに外へ出ながら、昨日お世話になった人達に、3人で挨拶をして回った。生前に星の侵略を繰り返したサイヤ人達の刑期は、全員が100年を優に超えているので、いつかナッツ達が死んだ後、また会う事を約束した。
やがて、日が沈みかける頃、その時間がやってきた。唐突に、地獄の空が暗くなり、暗闇の中、まばゆく輝くポルンガの姿があった。
『約束の1日が過ぎた。現世に戻る準備はできたか?』
「か、母様……」
「リーファ……」
娘と父親が、声を震わせる。覚悟はしていた。だが、最愛の人と別れる準備なんて、何日、何ヶ月、何年用意されようと、できるはずがない。
母親に縋り付いて、娘が叫ぶ。
「また別れるなんて、嫌です、母様!! ようやくまた会えたのに!!」
「ナッツ……」
悲しそうな顔で、母親が娘の頭を撫でる。彼女も別れを望んでいないのは明白で。ナッツは涙に濡れた顔を上げて言った。
「私は、ずっとここにいます。父様も、そうしましょう? 母様と一緒に、三人でずっと」
『戻らぬというのならば、お前達は本当に死んでしまう事になる』
少女は小さく笑う。その程度の事で、母様と別れずに済むのなら、考えるまでもない。少女は現世で待っているだろう少年の事を、考えないようにしながら言った。
「ねえ、父様? 父様も、母様と一緒にいたいですよね?」
「…………」
父親は応えない。あるいは。もし、彼が一人だったなら、それを選んでいたと断言できる。だが、今の彼には。
彼は幼い娘の顔を見つめ、唇を強く噛み締めて、喉の奥から、血を絞るような声で言った。
「……それは、できない。ナッツ」
「!? どうしてですか、父様!? 母様とまた暮らせるのに!? どうして!?」
「お前にまだ、死んで欲しくないからだ、ナッツ……!!」
「!?」
娘は伝説の超サイヤ人で、歳の割に聡明で、戦闘民族としての冷酷さと、宇宙一の可愛さを併せ持っている。まさに完璧で、非の打ち所のない存在だが、それでも、まだたった5年と半分しか生きていないのだ。
ナッツの人生は、まだこれからなのだ。幼く手足も伸びきっていない娘が、生きる楽しみを放棄して、このままの姿で地獄で100年以上を過ごすなど、親として、あまりに哀れで、受け入れられなかった。
そして娘が生きるというのなら、誰が一人にできるだろうか。父様が死んでしまったと、悲しみ嘆く娘を地獄から見ているのは、もうたくさんだ。
「と、父様……」
そんな父親の想いと愛情を、ナッツは本能的に理解して打ち震える。ただ、だからといって、そうすると、母様がまた一人に……。
「ねえ、ナッツ。あなたにお願いしたい事があるの。聞いてくれる?」
とても優しく、穏やかな声色だった。全てを受け入れて、ただ愛する人の幸福を願うような声だった。頭の良い娘は、それだけで彼女の意図を、理解できてしまった。涙でびしょびしょに濡れた顔で、母親を見上げる。
「はい、もちろんです。母様の頼みなら、何だって聞きます」
「ありがとう。やっぱりナッツは、私達の自慢の娘ね」
娘の涙を拭ってやりながら、母親は小さく微笑んだ。
「あなたが私みたいな病気を持たず、健康に生まれてくれた時、私、とても嬉しかったの。それだけで、あなたは一生分の親孝行をしてくれたわ」
「そんな事、ないです。私、まだ母様に、何もお返しできてません……。いっぱい愛してもらったのに。ご本も読んでもらって、王族に相応しい振舞い方も、戦い方も教えてもらったのに……」
拭われるそばから、次から次へと溢れ出す涙で、ナッツは声を詰まらせてしまう。
「気付いてると思うけど、死んだ人間は、もう歳を取らないの」
そうだ。お爺様も、カカロットのお爺様であるバーダック達も、生きていれば50歳を超えるはずなのに、見た目は若々しいままだった。
「私も、お父様もね、あなたが成長して立派な大人になった姿を、見てみたいの。それが、あなたへのお願い」
「……!!」
「今でもあなたは、とても強くて賢い自慢の娘だけど。これから色々な経験を積んでいけば、きっと今よりも立派なサイヤ人になれるわ。訓練して、実戦を重ねて戦闘力を上げて、それだけじゃなく、毎日の暮らしをいっぱい楽しんで、おいしい物を食べて、たくさん本を読んで、お友達とも遊んで」
娘の黒い瞳を真っ直ぐに見つめながら、母親は続ける。自分はもう死んでしまったけど、それでも、良い人生だったと断言できる。娘はこんなに良い子なのだから、私よりもずっと楽しく幸せな人生を送れるはずなのだ。それを思うだけで、胸がわくわくしてしまう。
「そして大人になったら好きな人と結婚して、可愛らしい子供を育てて、たくさんの孫にも囲まれて、幸せに暮らすナッツを見てみたいわ。死んで私に会いに来るのは、そうして人生に満足した後でいいの」
自分の将来を話す母親の顔が、あまりにも幸せそうだったから、娘も自然と笑顔になって、母親の顔を見上げて言った。
「わかりました、母様。私、父様や母様みたいな、強くて立派なサイヤ人になって、幸せな人生を送ります。だから、母様も見ていて下さい」
「楽しみにしているわ。そしていつか、お父様と一緒に、またここで会いましょうね。約束よ」
言葉と共に、しっかりと抱き締め合う母親と娘に、父親も加わった。
「リーファ……すまない、行ってくる」
「待っています、ベジータ様。最後にここに戻ってきてくれれば、私はそれで満足ですから」
二人が口づけを交わし、永遠に続くかと思われたそれが終わった瞬間、父と娘は、現世に戻っていた。
母親との二度目の別れを経験したナッツは、寂しくなって泣いたりもしたけれど。悟飯に慰められながら、ナメック星を後にした。
そしてこれから、サイヤ人の少女と、その父親の、地球での暮らしが始まる事となる。
長らくお待たせしました。これで地獄での話は終了です。
当初は3話くらいで終わらせるつもりだったんですが、リアルが忙しかったり色々あったりで随分長引いてしまいました……。
リーファさんとブルマの話は、こんな感じになりました。ベジータの再婚はこの主人公の設定上、トランクスを消滅させず原作寄りで進めるのなら絶対に避けては通れない問題ですので、自分なりに真剣に向き合って描写しました。
これはちょっと不自然では? とか、キャラ崩壊では? と思う方もいるかもしれませんが、あんまり叩かれると作者が凹むので華麗にスルー推奨です。(懇願)
次の地球での生活編は、大体書く内容も決まってまして、ここまでは長くならないと思います。それが終わってフリーザ様のその後の話をやったらセル編の予定です。
忙しいのは相変わらずなので、次も遅くなるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。
それと感想、お気に入り、評価、誤字報告などありがとうございます。続きを書く原動力になっております。特に評価はランキングにも影響して新しい読者の方が入ってくるきっかけにもなりますので嬉しいです。
もしもあまりに更新が遅くなるようでしたら、生存確認も兼ねて何かしらしていただけると、「少なくとも1人は待っててくれてる……!」ってなって筆が進むかもしれません。進みました今回どうでしたしょうか。
それではまた、次の話をご期待くださいませ。