1.彼女の地球の暮らしの話
ナッツ達がカプセルコーポレーションで暮らし始めて、3日目の朝が来た。
窓から差し込む朝日に照らされ、大きなふかふかのベッドの上で、少女は目を覚ます。寝ぼけ眼で可愛らしい声を漏らし、大きく伸びをしてから、隣で見守る父親に、笑顔で挨拶する。
「おはようございます、父様」
「おはよう、ナッツ」
それからパジャマ姿の少女は、部屋を出て、眠い目をこすりながら、バスルームへと向かっていく。廊下の幅はとても広く、個人の住居とは思えないほどに大きな建物は、彼女が暮らしていた、フリーザ軍の基地を思い出させた。
一糸纏わぬ姿となり、丁寧にシャワーで身体を洗ったナッツは、緑色のお湯が張られた、大きな浴槽へと身を沈める。お湯の温度は熱すぎない程度に、しかし寝起きの身体を芯から温めてくれるくらいに気持ちの良い按配で、少女の口から、思わず声が漏れてしまう。
メディカルマシーンのような、負傷をすぐに治す効果は無いけれど、身体と心の両方を温かく癒してくれるこの設備を、ナッツはとても気に入っていた。
ひとしきりお風呂を堪能した後、準備されていた部屋着に着替えて、ボリュームのある長い髪の水気を、タオルで軽く拭う。それからタオルとドライヤーを持って、スリッパの軽い足音を鳴らしながらリビングへと向かう。
既に別のバスルームで、シャワーを浴びて待っていた父親は、ナッツの手からタオルとドライヤーを受け取って、娘の髪を乾かし始める。その手付きはすっかり慣れたもので、ナッツは目を閉じ、リラックスした子猫のような様子で、父親に身を任せていた。
そして彼女の髪がすっかり乾いた頃、ブルマが母親と共に、大量の食事を運び込んできた。
「ナッツちゃーん! ベジータ! おいしい食事ができたわよー!」
「わーい!」
テーブルへと駆け寄ってきたナッツは、並べられたご馳走の数々に、尻尾をぱたぱたと振りながら、目を輝かせる。
甘くてふわふわのフレンチトーストに、カリカリに焼け目のついたベーコンと目玉焼き、新鮮な生野菜のサラダにオレンジジュース。
そのどれもが信じられない程美味である事は、この3日間で既に体験済みで。しかも彼女達の食べる量に合わせたのか、その全てが山盛りに準備されている。
たとえコルド大王だって、こんな贅沢な食事はしていないはずだ。そのあまりの歓待ぶりに、未だ慣れない少女は、おずおずと問いかける。
「本当に、こんなに食べちゃっていいの……?」
「もちろんよ! 子供が遠慮なんて、するもんじゃないわ。それにたくさん食べないと、大きくなれないからね」
笑顔で応えるブルマに、ナッツもまた、笑顔で返しながら言った。
「ありがとう! いただきます!」
フォークを手に取り、少女が幸せそうに、食事を口に運んでいく。そのペースはかなり早いが、食べる様子は不思議と丁寧で、しっかりとした躾を受けている事が伺えた。
そして5分に1度は、感極まったような、「おいしい!」という言葉が入り、その嬉しそうな姿に、同じテーブルで食事をしている、ブルマの母親が頬を緩める。
「ナッツちゃんはいつも喜んでくれるから、たくさん準備した甲斐があったわ。ベジータさんも、遠慮しないでいいんですのよ?」
「は、はい……」
既に10人分ほど食べている娘の横で、どうにも気まずそうなベジータ。食べた分は後で必ず返さねばと思いつつ、自身も食事に舌鼓を打つ。ちなみにブリーフ博士は、最近研究に夢中らしく、朝は起きてこない事が多い。
「ごちそうさまでした!」
それから20分後、食事を終えたナッツは、満腹感に浸りながら、広いソファーの上でごろごろしていた。
耳に入るテレビのニュース番組の内容は、お面マンこと謎のスーパーエリートさんがまた出ただの、強盗が1人殺して逃げているだの、戦闘民族サイヤ人の少女の中の基準では、どれも平和極まりないものばかりで。
(こんな良い星が、まだどこからも攻められてないなんて、本当に奇跡だわ)
いや、つい2ヶ月と少し前、私と父様とナッパで攻めたのだけど。あの時滅ぼしてしまわなくて、本当に良かったと思う。
そこで少女は、地獄でナッパと話した時の事を思い出す。生まれた時から見慣れているナッパが、父親の横にいないのは、やっぱり少し寂しいと思ったのだ。ピッコロが生き返って、地球のドラゴンボールも復活したという話だったし。
「ねえ、ナッパは生き返らなくていいの?」
聞いてみると、彼は苦笑して、髪の毛の無い頭を掻きながら言った。
「地球の美味い飯には興味があるんですがね。けどお嬢、オレはあの星で結構派手に暴れちまって、顔も覚えられてるでしょうし、カカロット達はオレが殺した奴らを生き返らせるために、ナメック星まで行ったんでしょう? それでオレまで生き返ったら、オレの方も気まずいし、生き返った奴らからも、良い顔はされないでしょうよ」
そう言われても、彼が東の都を消し飛ばした事は、ナッツの中では、どうでもいい事で。
「ナッパもあの戦いで死んだんだから、別に良いと思うんだけど」
「まあ、こっちには昔の仲間も大勢いますし、リーファの奴とも一緒に、お嬢達の事を見守らせてもらいます」
ラディッツにも聞いてみたけど、似たような答えで、あとご両親と、一緒に過ごしたいとも言っていた。
母様やナッパやラディッツ達も、地獄から、今の私達を、見ていてくれるのだろうか。目を閉じて休みながら、少女はそんな事を考えていた。
それから少し後、アンダースーツに着替えた父親と娘は、中庭に置かれた、大きな宇宙船の中にいた。身体を鍛える為の、訓練の時間だ。
カカロットがナメック星に乗ってきたその宇宙船は、10人以上は乗れそうな大きな船で、広いトレーニングルームと、人工の重力発生装置が備えてあった。何と最高で、地球の100倍の重力を実現できるらしい。
「カカロットの奴、こんな良い設備を使ってやがったのか……!」
初めてこの部屋を見た時の父様が、オレにもこの宇宙船があればと、悔しがっていたのを思い出す。重力テクノロジー自体はありふれた技術だが、主に小さな船を飛ばすために使われていて、ここまで出力の大きな装置は、父様も見た事がないそうだ。
ましてやそれを戦闘員の訓練に使うなど、誰も発想すらした事がないだろうという話だった。
(この重力室もそうだけど、カプセルとか仙豆とか、銀河の辺境の星の割に、フリーザ軍が知ったら目の色変えて攻めて来そうな物が多すぎないかしら……?)
「いつもどおり、最初は10倍から行くぞ」
「はい、父様」
父親がパネルを操作すると、ナッツは自分の身体が、急にずしりと重くなったような感覚を覚える。これが惑星ベジータと同じ重力と聞いて、最初はずいぶん感動したものだし、父様も懐かしがっていた。
軽い準備運動をした後、少しずつ重力を上げていく。15倍、20倍と負荷を増しながら、スパーリングや戦闘訓練に励む親子は、全身に汗を流し、息を切らせながらも、鍛えた分だけ身体が強くなっていく感覚に、充実した笑みを浮かべていた。
そうして3時間ほど訓練した後、30倍の重力の中で、ナッツは床に大の字で倒れ、息も絶え絶えの状態になっていた。超サイヤ人になればともかく、彼女の素の戦闘力は、15万程度に過ぎず、小さな肉体は、既に限界を迎えていた。
それでも水を飲んで呼吸を整え、起き上がろうとする少女の身体を、父親が抱き上げ、重力室の出口へと歩いていく。それに気づいたナッツは、ぐったりとした身体で口を開く。
「と、父様。私、まだ大丈夫です。少し休めば……」
重力室での訓練は負担が大きいが、大した戦士のいない星を攻めている時よりも、遥かに効率良く身体を鍛えられているという実感があった。もっと戦闘力を高めたいと訴える娘の頭を撫でながら、父親は優しい声で言った。
「無理はするな。訓練ならまたいつでもできる。それに……」
「? それに?」
ベジータは、腕の中の娘を見る。カカロットはナメック星に来るまでの間、ここで何度も死に掛ける程の特訓をして、あの莫大な戦闘力を身につけたのだという。同じように、ここでじっくり鍛えれば、娘もまた強くなるだろう事は疑いないが。
「小さい頃からこんな高重力に1日中晒されては、背が伸びなくなるかもしれん……!」
とても切実な顔で、父親は言った。その危機感を理解できず、きょとんとした顔のナッツ。確かに昔は、ナッパのような逞しい体格に憧れていたけれど。
「戦闘力さえ高ければ、あまり関係ないと思いますけど……」
これまで星を攻略する際、戦ってきた相手は皆私よりも大柄だったが、結局物をいうのは戦闘力だった。父様だって、カカロットよりほんの少し小柄だけど、それが戦いで大きく不利に働くような事はないだろう。
そもそも、少しくらい身体が小さくても、大猿になれば関係無いのに。そんな娘の考えを見抜いたかのように、父親が続ける。
「お前はまだ子供だし、今は健全に成長する事の方が大事だ。そうして身体を作った方が、将来的には強くなれる。だからあまり無理はせず、今日はもう休んで明日に備えろ。いいな?」
「はい、父様」
父様が私の事を考えた上で言ってくれているのだから、素直に従うべきだろう。そう考えて、重力室の外に出た少女は、シャワーで汗を流して、部屋着へと着替えた。
そうして父親と共に、また豪勢な昼食を味わった後、ナッツは再びソファーの上で食休みをしていた。子猫のように寝そべって、伸ばした尻尾を気まぐれに動かしながら、ナッツは考える。
午後からは休憩するよう言われたが、しかしそうすると、時間が余ってしまう。退屈そうなナッツに、ブルマが声を掛ける。
「ナッツちゃん、暇ならテレビでも観る? ちょうど今、子供向けの番組をやってるけど」
ブルマがチャンネルを変えると、画面の中では、顔がパンで出来た人間を前に、全身真っ黒で円盤に乗った男が、独特の奇妙な高笑いを上げていた。その声を聞いて、少女は露骨に顔をしかめる。
「何かあいつがフリーザみたいな声だからやだ」
「フリーザってあんな声してるの……?」
ナッツはソファーから起き上がる。あの声は1秒たりとも聞いていたくは無かったし、それに空いた時間を過ごすのに、うってつけの方法があるのを、少女は思い出していた。
「ねえブルマ。地球の本が読みたいのだけど、何冊か貸してもらえないかしら?」
ナッツは部屋へと戻り、机の上に、借りてきた5冊の本を置いた。ラインナップは、地球の生き物の図鑑や、絵が入った小説など。どれもブルマに選んでもらった、お勧めの本だ。
「それにしても、凄い数の本だったわね……」
端が見えない程の広さの部屋に、無数の本棚が並べられていた。家族皆が買った本を、適当に放り込んで、人を雇って整理させたという話だけど。もしかしなくても、一生掛かっても読み切れないのではないだろうか。
少女はふと思い立って、部屋の窓を開ける。心地良いそよ風が吹き込んで、ナッツの長い髪をわずかに揺らす。窓の外は良い天気で、広々とした中庭のあちこちに、色鮮やかな花が咲いている。
西の都の一等地に建っているにも関わらず、あまりにも広大な敷地のおかげで、外の喧噪はまるで届かない。野鳥のかん高い鳴き声を聞きながら、少女は椅子に座って、机の上のコップに手を伸ばす。
本を汚さないよう気を付けてねと、おやつと飲み物までもらってしまった。飲み物は、彼女の好きなオレンジジュースだ。地球に来てから色々飲ませてもらったけど、程よい酸味と甘みを備えたこの飲み物を、ナッツは一番気に入っていた。
一口飲んで、にっこり笑みを浮かべてから、少女は久しぶりの読書を始める。母様が生きていた頃は、毎日一緒に何かしらの本を読んでいたものだけど、最近は戦闘力を上げる事に夢中で、すっかりご無沙汰していたのだ。
ページをめくり、活字と絵を追っていく。知らなかった知識や物語が、頭の中に展開される。静かな空間の中、いつしか少女は、おやつに手を伸ばすのも忘れて、本の世界に没頭していた。
しばらくして、部屋の扉が、控えめにノックされる音がした。
「ナッツちゃん、悟飯くんから電話が来てるわよ」
「えっ、悟飯から!?」
少女はあたふたと本に栞を挟んで席を立ち、ブルマの差し出す通信機を手に取る。数字の入ったボタンがいくつも付いていて、結構重い。
通信機と言えば小さくて軽いスカウターが頭に浮かぶナッツにとっては、ややサイズが大きいという印象だが、地球ではこれが一般的な通信機なのだという。
(カプセルや重力室は凄いのに、地球の技術って、何だかちぐはぐね)
そんな事を考えながら、教えられた通りに操作して耳に当てると、悟飯の声が聞こえてきた。その声を聞くだけで、ナッツは嬉しくなってしまう。
「あ、悟飯。うん、久しぶり。こっちは皆良い人達で、私も元気にしているわ」
ぱたぱたと尻尾を振りながら、弾んだ声で自分の近況を話す少女を、ブルマは微笑ましく見守っていた。そして5分ほどの会話の後、ナッツの表情が、驚きに染まる。
「えっ!? も、もちろんいいわよ! うん、父様とブルマにも話しておくから! うん、また明日ね!」
言って電話を切った少女に、ブルマが話し掛ける。何かあったのかしら。嬉しそうにしているから、悪い事では無いんでしょうけど。
「どうしたの? ナッツちゃん」
「ブルマ! ねえ聞いて! 悟飯が明日、家に遊びに来ないかって!」
きらきらした目ではしゃぐ少女の姿に、ブルマも思わず、嬉しくなってしまう。
「そう、それは良かったわね」
「うん! 友達の家に遊びに行くなんて初めてだわ!」
「場所は大丈夫? 送って行きましょうか?」
「いいわ。大体の場所は聞いたし、それに……」
ナッツは胸を張って、自慢げに宣言する。
「悟飯の気配なら、地球のどこにいたって分かるんだもの!」
その言葉に、聞いているブルマの方が恥ずかしくなって、照れ混じりに苦笑する。
(愛されてるわね、悟飯君……)
「こうしてる場合じゃないわ! 明日の準備をしないと!」
ナッツは部屋のクローゼットを開き、紫のアンダースーツと、胸元に王家の紋章が入った戦闘服に、赤いマントを取り出したところで、額に汗を浮かべたブルマが声を掛ける。
「……ナッツちゃん、明日それ着ていく気なの?」
「もちろんよ。この戦闘服は、王族しか着用が許されていないのよ。私達にとっての正装なの」
「確かにサイヤ人的には、それが良いのかもしれないけど……」
初めて会う息子の友人が、戦闘服姿で家に遊びに来た時のチチの反応を予想したブルマは、頭を振って言った。
「その戦闘服は、止めた方がいいと思うわ。悪くは無いけど、一般的な地球の服とは全く違うし、チチさん、結構そういうのにうるさいタイプだから」
「ええっ!?」
驚くナッツ。フリーザ軍の行事では、全員戦闘服が当たり前で、その中でも王族仕様のこの服は、流石に立派だと褒められたりもしたのに。
けど、それならどうしたらいいのだろう。悟飯のお母様に嫌われたくはないけど、これ以外の正装なんて持っていない。悩む少女に、ブルマが優しく声を掛ける。
「良い機会だから、あなたの服を買いに行きましょうか」
「服を?」
「ええ、タイツや私のお古ばっかり着せてるわけにはいかないわ。もういい加減古いし、新しいのを揃えてしまいましょう」
外出の準備のために、部屋を出ようとしたブルマが、ふと立ち止まり、振り返って言った。
「せっかくだから、ベジータにも声掛けて来なさい。たぶん大荷物になるでしょうし」
「……私とブルマだけじゃ駄目? 荷物なら、私が全部持てるから」
時間のある私はともかく、父様は今、訓練の最中なのだ。余程の緊急事態ならともかく、私の服を買いに行くなんて、そんな用事で訓練を中断させてしまうのは、何だか悪い気がした。
そんな少女の内心を見抜いたように、ブルマが優しく微笑み掛ける。
「駄目よ。ちゃんと声を掛けて来なさい。あなたの服を買うのにベジータだけ置いて行ったら、私の方が恨まれちゃうわ」
「そうかしら……?」
「わかった。行くぞ」
「ええっ!?」
娘の言葉を聞いて、即座にトレーニングを中断し、てきぱきとシャワーを浴びて身支度を始めるベジータ。
そしておおよそ30分後、3人は西の都の、高級服飾店の中にいた。
「おお……」
感嘆の声を上げながら、物珍しそうに店内を見渡すナッツ。様々な種類の服が陳列され、華美になり過ぎない程度に装飾されたその店は、あまりこうした場所を訪れた事の無い少女にも分かるほど、落ち着いた品のある雰囲気を漂わせていた。
「いらっしゃいませ、ブルマ様」
チリ一つ落ちておらず、磨き上げられた床に立ち、丁寧なお辞儀をする初老の店員に、慣れた様子で、ブルマが話し掛ける。
「この子の服を、上から下までひと揃い、10日分ほど見立ててくれる? 余所行きの服と、普段着を半々くらいで」
「かしこまりました。では、どうぞこちらへ」
案内された先で、ナッツは女性店員が選んできた服を、更衣室の中で試着した。そして出てきた娘の姿を見て、父親が思わず目を見開いた。
「と、父様。どうでしょうか……?」
長い黒髪を持つサイヤ人の少女が、フリルのついた、膝下までの長さの、白のワンピースに身を包んでいた。
恥ずかしそうに、裾を握ってもじもじしているナッツは、整った顔立ちと、年齢に見合わぬ落ち着いた立ち振る舞いもあって、どこか気品めいたものまで漂わせており、そうした服を着ていると、まるでどこか名のある家の、お嬢様のようにしか見えなかった。
服を見立てた店員も、少女の容貌に、半ば陶酔したような目を向けていたのだが、一方のナッツは、そんな他人からの評価も、戦闘服以外の服の良し悪しも全く分からず、ただ周囲からの注目と、着慣れぬ服の落ち着かなさに頬を染めていた。
「……父様?」
微動だにしない父親に、娘が心配そうな声を掛ける。硬直が解けた父親は、瞬時にスカウターを装着し、撮影機能で娘の姿を保存しだした。
「いいぞナッツ! こっちに目線を、もっと腕を上げて小首をかしげるように……そう、そのポーズだ!」
「こ、こうですか、父様?」
「そうだ! 次はそこの椅子に座って……そう、笑顔で!」
戸惑う娘を褒め称えながら、瞬く間に何十枚もの画像を撮影する父親を、苦笑しながら見つめるブルマに、店員が話し掛ける。
「あのカメラ、カプセルコーポレーションの新製品ですか? 小さくてお洒落で良いですね」
「そ、そうね。似たようなものよ」
応えながら、あのスカウター多機能だし、戦闘力の測定とか、そういう要らない機能だけ省いて売れないかしらと、そんな事を考えているブルマの前に、撮影会を終えたナッツが、新調した靴で歩いてくる。
「ブルマもどうかしら? 父様は良いって言ってくれたけど」
「うん。とっても可愛いくて、良く似合ってると思うわ」
「全然強そうじゃないんだけどね……」
鏡を見ながら、これじゃあ只の子供じゃないと、やや不満そうな少女を、ブルマは宥めるように言った。
「戦いに行くわけじゃないんだから、それで良いのよ。……ところでナッツちゃん。尻尾はどうしてるの?」
「外から見えないように、腰に巻いてるわ」
ナッツはワンピースの裾を、腰の上までたくし上げて見せた。丸見えの白い下着を前に、ブルマは頭痛を堪えるように、額に手を当てた。
「見せなくていいわ。……それ、悟飯くんの前でやっちゃ駄目よ」
「? わかったわ」
不思議そうな顔の少女を見ながら、ブルマは考える。悟飯くんだって、小さい頃の孫くんだって、尻尾は生えていたし、チチさんも別に気にしてはいなかった。むしろ隠さない方が、彼女の受けは良いのではないだろうか。
ブルマは店員を呼んで、ナッツの尻尾を示しながら、注文を口にする。
「この服の後ろの方、この子の尻尾を出せるようにしてくれない? 穴とかあんまり目立たない感じが良いんだけど」
「ちょ、ちょっとブルマ!?」
ナッツは焦る。サイヤ人だと知られたら、大体どこの星でも怖がられるか、場合によってはその場で攻撃されたりもする。もちろんそういう時は反撃して、街ごと全滅させてはいるけれど。流石にこれから住む予定の星で、白昼堂々の破壊活動はまずいという程度の常識は、彼女にもある。
一方、女性店員は、少女の尻尾を見て、内心ほんの少し驚くも。
(まあ、国王様も犬だし……狼男とかもテレビで見た事あるし。尻尾が生えてるくらい、大した事無いか)
「かしこまりました。すぐにお直しいたします」
「??」
動じる事無く笑顔を見せる店員に、逆にナッツの方が困惑してしまう。
(サイヤ人を前に、ちょっと警戒心が無さすぎじゃないかしら。カカロットは何をしていたのよ)
内心憤慨すると同時に、少女は不思議と悪くないものを感じていた。
「お願いね。じゃあその間に、別の服を見せてもらいましょうか」
それから店員とブルマが見立てた服を、ナッツは次々と身に着けて、その度に父親が歓喜の表情で、何百枚も写真を撮り続けた。
ちなみにナッツの左肩の傷跡は、既に地球の医師による治療を受けて、ほぼ完全に消えている。間近でよく目を凝らして見ない限りは、傷があった事すら分からないだろう。
(悟飯もこのくらい、気にしなくてもいいのに。下級戦士が、王族で超サイヤ人の私に傷を付けたんだから、一生の自慢にするべきなのよ)
まあ、地球で一緒に暮らしていれば、またいつか戦う機会もあるだろうからと、少女は自分を納得させる。なぜか父様まで、嬉しそうにしていたし。
「ベジータ、ついでにあんたの服も、いくつか買っておくわよ。いつまでも私や父さんのお古じゃあ、格好つかないでしょう?」
そんなブルマの台詞で、ベジータも服を揃える事になった。着慣れないカジュアルな服装に身を包んだ彼の姿は、野性味のある美形といった感じで。両目をハートマークにしている店員をよそに、おずおずと娘へ話し掛ける。
「どうだ、ナッツ。何かおかしな所はないか?」
「はい! 父様は何を着ても格好良いです!」
「そ、そうか……」
娘の言葉に、父親は照れ混じりの笑みを浮かべるのだった。
そうしてベジータの服も数日分を選び終える頃、服の直しも終わって、選んだ服を梱包してもらう。流石に量が多すぎるため、2,3日分だけ持ち帰って、残りは郵送してもらう事になった。
「お会計ですが、端数は切り捨てまして、ちょうど200万ゼニーになります」
「それじゃあ、カードで……」
ブルマが財布から、金色に輝くカードを取り出そうとする。それよりも早く、ベジータが紙幣の束を2つ、カウンターに置いた。
「これで頼む」
「えっ?」
予想外の事態に、硬直するブルマ。初老の店員はそんな二人の様子を見て、ブルマが何か言う前に、札束を手に取ると、手際良く枚数を確認した後、恭しく頭を下げた。
「確かに200万ゼニーでございます。お買い上げ、ありがとうございました。お客様、よろしければ、お名前を教えていただけますか」
「ベジータだ」
「有難うございます。ではベジータ様、ブルマ様、またお越しくださいませ」
老店員に店の外まで見送られた後、両手に10個近くの紙袋を持ち、靴の入った箱をいくつも抱えて前を歩くベジータに、ブルマが釈然としない顔で話し掛ける。
「ちょっとベジータ。地球のお金なんて、どこで手に入れたのよ。まさか、銀行強盗とかじゃ……」
「父様はそんなケチな真似はしないわ。やるなら星ごと滅ぼして売るのが、私達の流儀よ」
物騒な少女の言葉を耳にして、ブルマの顔が一瞬曇った事に、背を向けているベジータは気付かない。
「こいつの為に貯めていた金を、宝石に換えて、地球の金に換金しておいた」
「……あんた、もしかして高給取りだったりしたの?」
「フリーザ軍は、金払いだけは良かった。特にオレ達は、最前線で成果を挙げていたからな」
「……ナッツちゃんも?」
「ええ。私も星をたくさん滅ぼしたから、お金なら結構持ってるのよ」
ほら、とナッツに手渡された袋の中身を見て、ブルマは目を疑う。色とりどりの、大粒の宝石がいくつも入っていた。大まかな計算でも、全部で2000万ゼニーを超えるのではないだろうか。
「ナッツ。それはお前の将来のために貯金しておけ」
「はい、父様!」
「……これ、うちの金庫で保管しておいてもいいかしら? 必要な時は、言ってくれればいつでも返すから」
「そうしてもらえ」
「わかりました! じゃあブルマ、お願いね」
にっこり笑って、あっさりと宝石を預けるナッツ。その無警戒な様子に、かえってブルマの方が、驚いてしまう。
(信頼されてるのかしら……? それとも、単にお金に興味が無いとか?)
おそらくは、その両方だろうと思われた。そういう所は、子供の頃の孫くんにも、似ているような気がした。
(見た目は本当に、ただの良い子にしか見えないけど。本当に、大勢の人間を殺してきたのね……)
宝石の詰まった袋の重さが、少女の犯してきた罪の重さを、ブルマに実感させていた。子供にそんな仕事をさせて大金を渡すなんて、フリーザという奴は、何を考えていたのかと思う。
美味しい食事のお礼に、好きな星を滅ぼしてあげると、笑顔で言われた事を思い出す。あの時に、この子を今の環境で、放っておいてはいけないと思ったのだ。戦闘民族サイヤ人としては、何も間違っていないのかもしれないが、それが何だというのか。
ブルマの視線の先で、白いワンピース姿のナッツが、父親の隣を楽しそうに歩いている。人目が多い今は、警戒して尻尾を出していないが、後ろの切れ目は、飾り刺繍で目立たないようにされている。良い仕事だった。
「父様、私にも何か持たせて下さい」
「じゃあ、これを頼む」
一番軽い紙袋を、父親が娘に渡した。それを受けとり、嬉しそうに微笑むナッツを見て、やるせない感情が、ブルマの胸を締め付ける。こんな良い子が、罪の無い人々を笑って殺すなんて、絶対に間違っている。
既にしてしまった事は、今さらどうにかできる事では無いけれど。サイヤ人の彼女にとっては、おせっかいな事かもしれないけれど。平和な地球で、心穏やかに過ごせば、少しずつでも、あの子の心を変えていく事が、できるのではないだろうか。
そういう内容の言葉を、ブルマはナメック星でベジータに、割と強い口調で言った事がある。言ってしまった後で、殺されるかもしれないと思ったけれど、彼の返事は、ナッツが幸せに生きられるのなら、それでも良いというものだった。
目の前の男は、地球を滅ぼそうとした冷酷なサイヤ人の王子だけど、それと同時に、良い父親だと、その時に思ったのだ。
ブルマは歩調を速めてベジータの隣へ並び、彼の持つ紙袋を、無言で2つ手に取った。眉をひそめるベジータ。
「返せブルマ。このくらい、地球人の手を借りるまでも無い」
「ナッツちゃんも荷物を持ってるのよ。一人だけ手ぶらだなんて恥ずかしいの」
沈みかけた夕日に照らされ、茜色に染まる街並みの中を、父親と娘とブルマの三人が、並んで歩き始める。
「それより、この近くに、とっても美味しいお菓子の店があるのよ。もうすぐ晩御飯だけど、ここまで来たんだから、ちょっと買って帰って、後で食べましょうか」
「とっても美味しいお菓子!? どんなのがあるの!?」
ぱあっと顔を輝かせるナッツに、ブルマはいたずらっぽく笑って言った。
「いっぱいあるわよ。上品な甘さのプリンとか、ヨーグルトが隠し味のチーズケーキとか、クリームの詰まったエクレアとか。せっかくだから、今日はベジータに奢ってもらおうかしら」
「父様……?」
「いいぞ、好きなだけ買ってやる。ただ後で、きちんと歯を磨くんだぞ」
「やったあ! ねえ早く! ブルマ、そのお店どこにあるの?」
年相応の子供のように、無邪気にはしゃぐ少女の姿に、ベジータとブルマが、慈しむような笑みを浮かべる。
夕日を受けて長く伸びる、三人の影が重なっていた。
週の途中ですが、書き上がりましたので投稿します。
ベジータは原作では自宅警備員扱いですが、フリーザ軍全体でも結構な強さだし、設定上は結構お金持ってるんじゃないかなあと思ったのでこういう感じになりました。
解釈違いの方には申し訳ないですが、特にこの話では娘の教育上、父親がヒモ生活は流石にどうかとも思いましたのでどうかひとつ。
次の話で悟飯の家に遊びに行って、それから悟空の瞬間移動習得フラグとかを、2話くらい掛けて色々回収した後にエピローグ3でフリーザ様達の話をする予定です。
それと前回は数多くの評価とお気に入りと感想、有難うございました。特に評価は久しぶりにランキングにも載って新規の方も凄く増えましたので個人的に嬉しかったです。
あと誤字報告にも感謝してます。子孫と祖先とか意味まるで逆なのに書いてる時は全然気付きませんでした……。一応誤字脱字等無いよう投稿前に推敲はしてるのですが、もし見つけましたら今後も報告をお願いします。
次の話は、流石に来週以降になると思います。どうか気長にお待ち下さいませ。