2時間以上も夢中で図鑑を読んでいるうちに、ナッツが少し退屈そうな様子を見せ始めたのに気付いた悟飯は、彼女をリビングへと連れ出した。
そうしてテレビの下にある収納を開けて、1本のビデオテープを取り出した。少年の後ろでそれを見ていたナッツが、テープに書かれているタイトルを読み上げる。
「第21回天下一武道会? ……もしかして、その大きな黒い塊に、映像が記録されてるの?」
「そんなに大きいかな? お母さんが集めてるやつで、ボクもまだ見た事はないんだけど」
表題には、小さくエイジ750とも書かれていた。今からおよそ13年前だ。
「子供の頃のお父さんが参加してるらしいんだけど、ボクにはこういう戦いとかは、まだ早いからって。見せてもらえなかったんだ」
「……カカロットも、チチさんも、あなたを戦士として、育てるつもりは無かったのかもね」
何せ悟飯が戦いの訓練を始めたのは、ほんの1年と少し前からなのだ。戦闘民族サイヤ人としては、遅すぎると言っても過言ではない。もっと幼い頃から、両親に連れられて、様々な星で戦ってきた少女としては、それでなお自分以上の戦闘力を持っているという事も含めて、信じられない思いだった。
台所で夕飯の支度をしていた母親に、少年がテープを見せながら問いかける。
「お母さん、ナッツが退屈してるみたいだから、このビデオ見てもいいかな?」
すると彼女は息子を見て、迷うような素振りを見せた後、それから横にいるナッツと、彼女の尻尾を見てから、頷いて応えた。
「うーん……まあ、悟空さも今は家にいないし、見てもいいだよ」
「ありがとう、お母さん!」
(あれ? どうしてお父さんが関係あるんだろ?)
不思議に思いながら、悟飯がビデオを準備する様子を、ソファーに座って眺めながら、少女は考える。
(私を楽しませようとしてくれる、悟飯の気持ちは嬉しいんだけど、地球人の戦闘なんて、たかが知れてるわ。せっかくサイヤ人が二人いるんだし、外で一緒に模擬戦でもした方が、面白いと思うんだけど……)
白いワンピースの布地を摘み上げる。手触りも見栄えも良いけれど、防御力は0に等しいこの服は、戦闘なんてしようものなら、あっという間にボロボロになってしまうだろう。せっかく父様に買ってもらった服を、たった1日で駄目にしてしまうわけにはいかない。
まあ、これからずっと地球に住むんだし、模擬戦は今度、戦闘服を着て、事前に連絡を入れてから来ればいいだろう。
そう考えて、ナッツはテレビに映る過去の映像に目を向けるのだった。
それから数十分が経過して。テレビの中で繰り広げられる戦いを、少女は身を乗り出して、興味津々な様子で観戦していた。
始めの頃は、殺し合いでもない、レベルの低い戦闘なんてと思っていたナッツだったが、同じサイヤ人であるカカロットや、クリリンといった知り合いが、子供の姿で出場している上に、各選手の得意技やエピソードなど、サングラスを掛けた司会者による巧みで丁寧な解説が入っていて、初めて見る彼女にとってもわかりやすい。
生まれて初めて目のあたりにする、娯楽や競技としての戦闘に、いつしかナッツは、夢中になっていた。そんな彼女の楽しそうな姿を、隣に座る少年が、微笑ましそうに眺めていた。
そして決勝戦の前の、休憩時間になったところで、悟飯の肩に、何かが軽くぶつかってきた。
見ると身体の前で腕を×の形に交差させたナッツが、彼の肩にぐいぐいと腕を押し付けながら、ドヤ顔で薄い胸を張っていた。
「ナッツ、もしかしてそれって……」
「天空×字拳よ。この技を受けた者は、10日は目を覚まさないと言われているわ」
先程見たナム選手の口調を真似て、ノリノリではしゃぐ少女。ナッツは影響されやすい子供だった。
「あの技、お父さんじゃなかったら、普通に危なかったんじゃないかな……?」
「大丈夫よ。ナム選手は殺生はしないって言ってたもの」
言いながら、ナッツは部屋から持ってきたジュースを、美味しそうに口にした。
「あと、ランファン選手の試合も面白かったわ。あの技は、こう、こんな感じで……」
少女は右手を頭の後ろに当てて、身体を奇妙にくねらせながら瞬きをする。見様見真似で再現した、色仕掛けのポーズだった。
「う、うふん?」
見ていた悟飯が思わず真顔になるほど、下手くそだった。効果が無い事を見て取って、少女が悔しそうにポーズを解く。
「やっぱり形だけ真似ても、上手くいかないわね……。ナム選手をたじろがせる程の技なのに」
何もしているようには見えなかったにも関わらず、何故か相手が目を逸らして無防備になってしまうのだ。フリーザと戦った時にでも使えていれば、とても有効だったに違いないのに。
(グルドの超能力みたいに、目に見えない攻撃なのかしら……着ている服を脱いでいたのは、きっと少しでも速度を上げるためね)
当のランファン選手に話そうものなら、大笑いされそうな結論に辿り着き、うんうんと頷く少女。
「ナッツ、あの人がやってたのは、その……」
少年が何か言おうとしたその時、サングラスを掛けた司会者が、決勝戦の開始を告げた。ナッツが姿勢を正し、画面に現れた二人に注目する。子供の頃のカカロットと、ジャッキー・チュンという老人だ。
向かい合い、構えを取る二人の姿を見比べて、少女が難しい顔になる。映像の中の相手の戦闘力を読む事はできないけれど、それでも戦場の中で大勢の戦士と戦ってきた経験から、大まかな強さは見ただけでもわかる。
カカロットは小さいながらもサイヤ人だけあって、身体能力では老人を上回っているかもしれないけど、戦い方は本能とセンス任せで荒削りなように、少女の目には見えた。本格的な戦いの経験が、まだ少ないのかもしれなかった。
対するジャッキー・チュンの方は、おちゃらけた言動をしているが、戦いの経験は、出場者の誰よりも抜きん出ているようだった。今までの試合でも、全力を出しているようには見えなかったし、見せていない切り札を、いくつも隠し持っている気配がした。正直、ナッツとしては戦いたくない種類の相手だ。
そして決勝戦が始まり、一進一退の戦いが続いていたのだが。
『萬國驚天掌ーーーーっ!!!!』
ジャッキー・チュンが手から放った稲妻が、悟空を宙に拘束する。苦しげな少年の姿を見て、ナッツが唇を噛む。戦闘力に圧倒的な差でもない限り、ああした技から抜け出す事は、かなり難しい。
「私に替わりなさい! そんな爺さん2秒でやっつけてあげるわ!」
「……ナッツ、これは記録映像だからね?」
「わかってるわよ! そんな事!」
エキサイトする少女が固唾を飲んで見守る中、技のダメージを耐え続けた悟空の身体は、とうとう限界に達しようとしていた。
『降参せねば本当に死んでしまうぞっ!』
『く、悔しいけど、ま、まい……』
そしてついに、悟空が苦痛に屈しかけ、少女が可愛らしい悲鳴を上げた、その時だった。画面の空に一瞬映ったそれに気付いたナッツが、はっとした顔で叫ぶ。
「カカロット! 空よ! 月が出てるわ!」
偶然か、その声を聞いたかのように、空に目を向けた悟空の身体が震えだす。うっすらとした真円の夕月が、まだ明るさを残す空に浮かんでいた。
呆然とした顔付きで月を眺めていた少年の身体が、急激に膨張を始める。瞬く間に2倍、3倍に膨れ上がった体躯によって、着ていた衣服が内側から弾け飛ぶ。限界を超えて大きく開いた口から尖った牙が溢れ出し、前へ前へとせり出していく。露わになった筋肉質な身体全体が、尻尾と同じ色の毛皮に覆われていく。血のように赤く染まった目をした獣が、更に巨大化を続けながら、月に向けて力の限り咆哮した。
そして老人が驚きに目を剥く中、力ずくで稲妻を振り払った大猿が、石造りの舞台を踏み砕き地を揺らしながら、轟音と共に着地し、再度咆哮した。
『グオオオオオオオォォッ!!!!』
「やったーーー!!!」
咆哮に、歓喜の声が重なった。大猿に変身した悟空を見て、大喜びで両手を上げてはしゃぐナッツ。興奮のままにぶんぶんと振り回された尻尾が、悟飯に当たりそうになっている。そして彼はといえば、自分の父親の変身に、ぽかんと口を開けていた。
『こ、これは何と言う技なのでしょうかーー!?』
「技じゃないわ! サイヤ人は1700万以上のブルーツ波を目から吸収すると、尻尾に反応して大猿に変身するのよ!」
テンションの高いナッツの解説は、当然画面の中には届かない。そして怒りに満ちた唸り声を上げた大猿が、見境なく周囲を破壊し始めた。
「いいわ、 カカロット! その爺さんをやっちゃいなさい! そこよ! 踏み潰して!」
「ナ、ナッツ。殺したら失格だから……」
「じゃあ半殺しにしてあげなさい! ああ駄目! 舞台の外に出たら失格よ!」
建物に飛び乗り、屋根を破壊する大猿に、どこかずれた言葉を掛けるナッツ。
壊れた破片が降り注ぎ、観客が悲鳴を上げて逃げ惑う。父親がもたらした阿鼻叫喚の惨状に、これ放送して大丈夫な奴なの? と悟飯は死んだ目になっていた。
『危険ですが、私は審判ですので逃げられません……!』
『一番危険なのはワシじゃい! 逃げたら場外で負けてしまう……!』
舞台の上にも降り注ぐ破片を、必死に全て回避しながら老人が叫ぶ。
「何をしても無駄よ! 死にたくなかったらさっさと降参しなさい!」
画面の中の老人に向けて、先程の意趣返しのような言葉を送るナッツ。
何せ大猿化したカカロットは、戦闘力が10倍になっているのだ。変身する前でも、そこそこ互角の戦いをしていたのだから、たとえジャッキー・チュンがどんな切札を隠していても、負けるはずがないだろう。
ふふんとナッツが薄い胸を張った瞬間、気を集中させた老人の細い体躯が倍以上に膨れ上がり、少女の笑顔が、ぴきっと凍りついた。
「えっ?」
『か――め――』
(戦闘力のコントロール! 一時的に戦闘力を限界以上に上昇させてる!? そんな事ができるの!?)
『は――め――』
ジャッキー・チュンの組み合わされた両手の中に、純白のエネルギー光が溢れ出す。増幅された力の全てが、その手の中に集中していた。呆然と見ていたナッツが驚愕する。
(あの技、父様のギャリック砲にそっくりだわ!?)
少女の背筋に、冷たい感覚が走る。たとえ今のカカロットでも、あれを受けてしまえば致命傷を負いかねないと、戦士の直感が告げていた。
「カ、カカロット、逃げて! 避けるのよ!!」
だが画面の中の、理性の無い大猿に、その叫びが届く事はなく。本能的に感じ取った危険を叩き潰すべく、大猿が老人に躍りかかる。その時点で既に技の準備は終了しており、自ら近付いた大猿の巨体は、あまりにも大きな的だった。
『波ぁ――――!!!』
気合いの声と共に、老人が前へと突き出した両手から、白いエネルギーの奔流が溢れ出す。
あまりの光量に、数秒間、画面が真っ白に染まり、そして凄まじい爆発音が、ナッツと悟飯の鼓膜を揺さぶった。
そして光が収まった後、建物の破片が散らばった舞台の上で、元の体格に戻ったジャッキー・チュンが肩で息をついており、大猿の巨体は、跡形もなく消失していた。
「カ、カカロットが、死んじゃったわ……」
「お、お父さん……」
わなわなと、少女が声を震わせる。悟飯はこんな話を聞いた事はなかったが、何せドラゴンボールがあれば、死んでも生き返れるのだ。ここで一度死んでいてもおかしくはないと、一瞬思ってしまう。
『えー、孫悟空選手が死亡してしまったため、ジャッキー・チュン選手の反則負けで……』
『違うわっ!? ワシが吹き飛ばしたのは月じゃ! 月!』
殺人罪を着せられかけた老人が、慌てて叫ぶ。すぐにカメラが、人間の姿に戻った悟空が、舞台の上で眠っている光景を映し出した。悟飯とナッツが、ほっと胸をなでおろす。
「良かった……お父さん無事だったんだ」
「ええ、そうね……」
安堵しながらも、少女は小さな拳を、ぎゅっと握り締める。実戦ならば、この時点でカカロットの負けだった。大猿化までしたにも関わらず、殺さないよう手心を加えられるなんて、あまりにも屈辱だった。幸いカカロットは、あの様子だと何も覚えてはいないだろうけど。
自分がカカロットの立場なら、いつか力をつけて、あの老人に逆襲しなければ収まりがつかないだろう。けどまずは、大猿化して暴れ回ったサイヤ人を殺すべく、やって来るだろう軍隊から逃げなければならない。
そんな風に考えていたナッツは、欠伸混じりに起き上がった悟空に、司会者が声を掛けて、そのまま試合が続行される流れになった事に驚いた。逃げていた観客も、さっきの技は凄かったなあと談笑しながら席に戻っている。
「地球人って、どこまで平和ボケしてるの……?」
舞台の上で裸で構えを取るカカロットを見て、何故かくすくす笑っている観客たちは、自分達の見ている少年が、宇宙からの侵略者という事に、まるで気付いていないようだった。
(こんな星だから、カカロットも悟飯も、優しい性格に育ったのかしら……)
毒気を抜かれたような顔になった後、ふっと笑って、試合の続きを見ようとした少女の目を、赤面した悟飯がとっさに手で塞いだ。理由が分からず、じたばたと暴れるナッツ。
「ちょ、ちょっと!? 何するのよ悟飯! 試合が見えないじゃない!」
『試合中断です! 孫悟空選手! しまらないので服を着て下さい!』
「大丈夫だよ、今中断されたから……!」
「何だっていうのよ、もう」
解放されたナッツは、少ししてから再開された試合に、再び目を向ける。ジャッキー・チュン選手は、あの大技でかなりの体力を消耗したようだったが、カカロットの方も限界が近いようだった。
そして二人の放った蹴りが交差し、相打ちとなった二人が舞台に倒れ伏した。皆が固唾を飲んで見守る中、最後に起き上がったのは、老人の方だった。
『ジャッキー・チュン選手の優勝です!』
審判の声と共に、割れんばかりの大歓声が巻き起こる。優勝者だけでなく、負けはしたが健闘した悟空をも讃える声が流れる中、少女もまた満足そうな顔で、ぱちぱちと拍手を送っていた。
「カカロットが負けちゃったのは惜しかったけど、なかなか面白かったわ」
まあ今回は、カカロットもまだ成長途中だったから仕方が無いけれど、きっと次の大会では、余裕で優勝を決めてくれるはずだ。いや、この映像は10年以上前のはずだから……。
「ねえ悟飯、これって次の大会の記録もあるの?」
「多分、お母さんが集めてると思うけど……」
そこで台所から、いつになく真剣な表情をしたチチが現れる。
「悟飯ちゃん、悟空さの試合を、全部見ただか?」
「う、うん、見たけど……」
常ならぬ母親の様子に、やや気押されながら応える悟飯。
「だったら、ショックだったかもしれねえが、よく聞くだよ……?」
そこで一拍置いて、チチは息子に衝撃の真実を語った。
「尻尾の生えた人間が満月を見ると、大猿の化け物になっちゃうだよ!」
しーん、と沈黙がおりる中、母親のシリアスな様子に耐えかねた悟飯が言った。
「……うん、知ってた」
「えっ?」
目を丸くするチチに、おずおずと、小さく手を上げながら、ナッツが口を開く。
「私が教えました、奥様」
「えええ……そ、そうだったかぁ……」
緊張から解き放たれて、へなへなと、床に崩れ落ちるチチに、悟飯が慌てて駆け寄った。
「お母さん、大丈夫!?」
「う、うん。大丈夫だよ、悟飯ちゃん」
心配する息子の頭を撫でて微笑みながら、彼女は立ち上がり、軽く息をついた。
「安心しただ。自分があんな化け物に変身するって知ったら、ショックを受けちまうんじゃないかって思ってな。いつ教えようか悩んでただよ」
「確かに、初めて知った時は、ちょっと驚いたけど……」
悟飯は思い出す。ナメック星でギニュー特戦隊に殺されかけた時、尻尾を再生させた少女から聞いた真実と、その後目の当たりにした、彼女のもう一つの姿を。
恐ろしかったけど、どんな姿になっても、ナッツはナッツだと思った。とてつもなく強くなってはいても、心地良いと思える、彼女の気の感じはそのままだったし、ナッツはあの姿を誇りに思ってるみたいだったから、あんまり怖がるのは、彼女に悪いと思った。
もちろん自分が変身したいかと言えば、そのつもりは無い。そもそも、もうボクに尻尾は無いんだから、本当に仕方が無いけれど、変身したくてもできないのだ。
少年がそんな事を考えている間も、チチの話は続いていた。
「悟空さにも相談できなくて、大変だっただよ。いつも言ってる大猿の化け物が自分だって、気付いてねえみたいだったし」
「カカロットも、もう知ってるはずです、奥様」
地球で父様と戦った時、大猿に変身するのを見ているはずだし、その後大猿になった私を見ても、特に驚いた様子は見せていなかったから、そうなのだろう。
少女の言葉を聞いて、チチが一瞬、表情を悲壮なものへと変えた。
「そうかあ……」
「ど、どうしました、奥様?」
「……何でも無いだよ、ナッツちゃん」
誤魔化すように、チチは笑顔を見せた。昔、大猿の化け物に殺されたという、息子と同じ名前の、悟空さの祖父の事は、この子にまで伝えなくてもいいだろう。
悟空さは何も言ってなかったけど、絶対辛かっただろうし、後で慰めてやらねえと。そう決意する彼女の姿を、少女は見つめながら考える。
カカロットが大猿に変身する事を、昔からこの人は知っていたのだ。おそらくは、あの天下一武道会の記録映像で。
強大で醜い大猿の姿を見た人間は、怯え、逃げ惑うのが一般的な反応だ。私が変身するのを見て、恐怖のあまり、動けなくなった奴らも大勢いた。
そんな怪物に変身する人間と、知っていて夫婦になるなんて、この人は何を考えていたのだろうか。頭に浮かんだ疑問を、ナッツは口にする。
「大猿になったカカロットを、怖いとは思わなかったんですか?」
「うーん。確かに初めて見た時は驚いたけど。まあ悟空さは悟空さだし、満月さえ見せなければ危なくねえし、ビデオとかで見る分には、愛嬌があって可愛いんでねえか?」
そう言って彼女は、照れたように笑った。この人は本当に、カカロットの事が好きなんだと思った。嬉しくなって、少女も笑みを浮かべる。
敵を怖がらせた方が、戦いには有利だけど、好きな人にまで、怖がられたいとは思わない。カカロットも本当に、良い人と結婚したのだと思った。
「ナッツちゃんは分かってるだろうけど、これから地球に住むなら、うかつに満月を見ないよう気を付けるんだぞ」
「? 地球の月は、今無いのではないでしょうか?」
確かピッコロが壊したと言っていたし、この間地球に来た時、宇宙から探しても見当たらなかった。そこまで考えて、ナッツはおかしな事に気付く。
「地球の月は10年以上前の、天下一武道会で壊されたはずなのに……」
「そうなんだけど、いつの間にかまた元に戻ってただよ。1年くらい前にまた消えたけど、きっと今回も、そのうち戻るはずだよ」
「それは、何だか不思議ですね……」
新たに得た情報に、少女は内心驚きながら、湧き上がる喜びを隠せないでいた。これから住もうという惑星に、月まであるなんて。確か地球の月は、1ヶ月周期で満ち欠けするはずだ。
大猿になった状態で、理性を保つには慣れが必要で、あんまり長時間変身していないと、いざという時に暴走してしまう恐れがある。1ヶ月ごとに満月の日があるというのは、そうした訓練のために、申し分ない環境だった。
もちろん、パワーボールで月を作ればいつでも変身できるし、それも嫌いではないけれど。自分で作った無機質な光球よりも、自然のままの満月を見て変身する方が、彼女は好きだった。
それに本物の月ならば、変身するためだけでなく、満ちかけた状態の綺麗なそれを、心ゆくまで眺めるといった楽しみ方もできるのだ。
その光景を想像し、にっこり笑って、ぱたぱたと尻尾を振りながら、少女は言った。
「私、月を見るのが好きなんです。特に満月が」
「けどそれじゃあ……」
「心配いりません、奥様。私は大猿になっても理性がありますから、カカロットのように暴れたりしません」
まあ、ほんの少しだけ、普段よりも凶暴になっちゃうけど、理性を完全に失うのと比べれば、誤差のようなものだろう。
ナッツの言葉を聞いて、チチは少し驚いてしまう。そんな事ができるだなんて、想像もしていなかった。
「……そうか。ナッツちゃんはお行儀が良いんだなあ」
悟空さも、そうだったら良かったのになあ。しみじみと、彼女はそう思った。
「はい! 父様や母様に、教えてもらいましたから。今度悟飯に尻尾が生えたら、理性の保ち方を教えてあげたいんですけど……」
その言葉は、チチにとって渡りに船だった。可愛い息子の尻尾を切るなんて事はしたくなかったけど、何かの拍子で月を見た息子が、理性を失って、取り返しの付かないことをしてしまうのではないかと、ずっと気掛かりだったのだ。
「そうだな。ナッツちゃんさえ良いなら、こっちからお願いしたいくれえだけど、悟飯ちゃんも、それでいいだか?」
「え、ええと……」
悟飯の額に汗が浮かぶ。確かに何かあった時のために、力が欲しいとは言ったけど。母親もそれに賛成する流れで、外堀を埋められていく事に、少年は危機感を感じていた。
「あ、あくまで、尻尾が生えたらだからね!」
「はいはい。じゃあ奥様、悟飯に尻尾が生えたら、すぐ教えてくださいね」
「そ、それよりお母さん! このビデオの続きなんだけど……」
その場を誤魔化すように、少年が声を上げた時だった。上空から何かが飛んでくるような、風の鳴る音がした。その気を感じ取った悟飯とナッツが、音のする方角に顔を向ける。
「この気配は……」
「お父さんだ!」
やがて彼らの見守る中、家のドアが開き、畑で採れた野菜を山と抱えた悟空が現れた。
「おお、そういえば、ナッツも遊びに来てるんだったな。今帰ったぞ!」
「悟空さ! お帰りなさいだよ!」
嬉しそうに駆け寄るチチに、彼は野菜を渡して言った。
「畑を荒らしてたイノシシも捕まえて、裏に置いてあっからな」
「分かっただ。後で一緒に料理しておくから、悟飯ちゃん達と一緒に待ってるといいだよ」
「お帰りなさい、お父さん」
そこで悟空は、息子の持つビデオテープに気付いて、驚いたような顔になった。
「お、天下一武道会って、懐かしいなあ! 第21回って、オラとクリリンが初めて出場した時じゃねえか!」
「そうなのよ! カカロット、決勝戦で地球人なんかに負けちゃって!」
気色ばむ少女に、悟空は頭を掻いて笑って見せる。
「いやあ、あの時はオラもまだ未熟だったし、ジャッキー・チュンのじっちゃん、本当に強かったからなあ」
「お母さん、次の回もあるんだよね?」
「ああ、悟空さの出てる分は、全部持ってるだよ」
チチが出してきたビデオテープを見て、悟空は懐かしそうに言った。
「第22回かあ。確かこの時は天津飯と……」
「カカロット! 先の展開をバラすのは禁止よ!」
うきうきしていたナッツは、ふと視界に入った時計を見て、表情を変える。いつの間にか、時間は17時を過ぎていた。
「もうこんな時間なの……?」
夕食の事を考えると、そろそろ帰らなければならない。けど、ビデオの続きはすぐ観たい。難しい顔をしている少女に、チチが笑って言った。
「せっかくだからナッツちゃん、今日は泊まって行ったらどうだ? お父さんやブルマさんには、オラから電話で知らせておくだよ」
「ええっ? い、いいんですか……?」
他所の家で遊ばせてもらったばかりか、泊まらせてもらうだなんて、そんな事をしていいのだろうか。同年代の子供が周囲におらず、そうした経験の全く無いナッツは、未知の世界に驚き戸惑っていた。
「ナッツちゃんはまだ子供なんだから、遠慮なんてしなくていいだよ。悟空さや悟飯ちゃんと一緒で、たくさん食うんだろ? 慣れてるし、材料も悟空さが持って来てくれたから、腹いっぱい作ってやるだよ」
「せっかくだから食っていくといいぞ。チチの料理は、地球一うめえからな」
「ち、地球一ですって……!?」
わなわなと打ち振るえるナッツ。流石にそれは、本当かどうか分からないけど、つまりはそのくらい、美味しい料理だという事だろう。
「お母さんの料理は、本当に美味しいんだよ。……それにボクも、ナッツがうちに泊まってくれたら、嬉しいな」
ほんのり顔を赤らめながらの、少年の言葉に後押しされるように、逡巡していた少女は、もじもじしながら言ったのだった。
「では、お願いしてもいいでしょうか……?」
それからすぐに、ブルマの家へと電話を掛けるチチ。
「あ、ブルマさん、お久しぶりだよ。うん、実はナッツちゃんがな……」
どきどきしながら見守っている少女に、チチは真っ黒い電話の受話器を差し出した。
「ナッツちゃん、ブルマさんが替わって欲しいそうだよ」
「う、うん……」
緊張しながら受話器を受け取って、話し出す少女。
「ブルマ? あ、あの。そのね、私、今日悟飯の家に……」
受話器の向こうから、くすくす笑う声がした。
『良いのよ、ナッツちゃん。子供が友達の家に泊まるとか、当たり前の事だから。難しい事考えずに、楽しんでらっしゃい』
「ありがとう! ……あの、父様は?」
『大丈夫よ。私からよく言い聞かせておくから』
何か電話の向こうで父様が叫んでる声がするんだけど、大丈夫だろうか。一つ屋根の下とか、毒牙とか、あまり聞き慣れない言葉が聞こえてくるんだけど。
そして通話が終わり、ナッツが悟飯と悟空と三人でソファーに並んで、あれこれ楽しくお喋りしながら、第22回天下一武道会のビデオを観ることしばし。
「悟空さ達、晩御飯ができただよ!」
「はい! 今行きます!」
チチに呼ばれて、食卓に向かう三人。テーブルの上に、所狭しと様々な料理が並んで、ほかほかと湯気を立てているのを見て、感嘆の声を上げるナッツ。
箸という2本の棒を使って食べるらしい料理の数々は、普段ブルマの家で出される料理とは、全く違う種類に見えた。けど、どれも素晴らしく美味しそうだった。
「いただきます!」
どの料理から食べようかと迷ってしまうが、悟飯が迷わず、大人の握り拳くらいの大きさの、山積みされた白い塊に手を伸ばしたのを見て、自分も真似して手に取ってみる。
「悟飯、これは何て料理なの?」
「中華まんって言うんだ。ボクの大好物で、とっても美味しいんだよ」
もちもちした手触りで、とても温かいその中華まんに、少女はおそるおそる口を付け、かじり取って咀嚼する。
「どう、ナッツ?」
反応はない。たが無言で口だけを動かす彼女の表情が、次第に驚愕の色に染まっていく。
(こ、こんな美味しい物が、この宇宙にあっていいの!?)
驚きに目を見開いたまま、あっという間に1つ平らげて、よく噛んでから飲み込んだ後も、少女はまだ衝撃から立ち直れず、感動に身を打ち振るわせていた。
「……ど、どうしただ? ナッツちゃん。大丈夫だか?」
心配して声を掛けたチチに、少女は満面の笑みを向けて、喜びに満ちた声で応える。
「お、おいしい……! 美味しいです! 奥様!」
それから食べたどの料理も、中華まんと同じか、それ以上に美味しかった。感極まったように、2分に1度は「おいしい!」と叫びながら、幸せそうに料理を口に運ぶ少女の姿を、悟飯と悟空とチチは、優しい顔で見守っていた。
そうして、山ほどあった料理が片付いた後。幸福感のあまり、ふにゃふにゃになっているナッツの前に、食後の温かいお茶を置きながら、チチが微笑み掛ける。
「ナッツちゃんに、オラの料理が気に入ってもらえたみたいで、良かっただよ」
「はい、凄かったです、奥様。宇宙で一番美味しかったです……」
「そんな、大げさだよ」
「全く大げさじゃないです……」
まるで夢かと思えるくらいの、素晴らしい料理だった。例え破壊神ビルスだって、こんな美味しいものは、食べていないのではないだろうか。
地球一かどうかは分からないけれど、宇宙の他のどの惑星の料理も、これを上回るのは至難の業だろう。満腹感に包まれながら、お茶の香りを楽しんでいた少女は、ふと、母親と交わした言葉を思い出す。
(いつか私が食べたのよりもおいしい料理を、作れるようになりますから!)
「奥様!」
「ど、どうしただ?」
突然声を上げた少女と、その真剣な表情に、驚くチチ。
「私に、料理の作り方を教えてください!」
「料理だって? そりゃ、まあ構わねえだが、どうして突然?」
「……いつか母様にも、食べさせてあげたいんです」
母様はもう生き返れなくて、地球に来ることはできないから、いつか私が死んだ後に、美味しい料理を作るって、約束したんです。
泣きそうな顔で説明する少女の肩に、チチは優しく手を置いた。
「そっか、良い子なんだな。ナッツちゃんは」
そして少女の涙を拭ってあげてから、彼女は言った。
「オラも家事や畑の手伝いがあるから、来る時には前もって知らせて欲しいけど、それさえ守ってくれたら、いつでも来てくれていいだよ。悟飯ちゃんも、喜ぶだろうしな」
その言葉に、ナッツはぱあっと顔を輝かせて、丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます! 奥様!」
「うーん、その奥様っていうの、丁寧だけど、何だか他人行儀な感じがするだな。おばさ……じゃなくて、チチさんって呼んでくれていいだよ」
「わかりました、チチさん!」
それから全員でビデオの続きを観て。悟空対天津飯の決勝戦も、いよいよ終盤に入っていた。
天津飯の気功砲で舞台が破壊され、上空に逃れた二人のうち、先に落ちた方が場外負けという状況で。最後の力を振り絞った悟空が、小さなかめはめ波を下に撃って落下を遅らせる。双眼鏡を見ながらの司会者の解説に、大はしゃぎするナッツ。
「やったわ! これでカカロットの優勝ね!」
少女が叫んだ次の瞬間、落下中の悟空が走っていた大型車に激突し、勢いよく地面に叩き付けられる。ナッツの笑顔が、ぴきりと凍りついた。しばしの判定の後、悟空が僅差で先に落ちた事で、非常に惜しい結果ですが、天津飯選手の優勝ですと司会者が告げる。
「何よ今の!!! 絶対カカロットの勝ちじゃないの!!!」
あの車、私がぶっ壊してやる!!! とガチ切れしながらじたばたと暴れる少女を、必死に羽交い絞めにして止める悟飯に、「ナッツちゃんの言うとおりだべ! 10年前からそう思ってただよ!」と騒ぐチチ。
そんな彼らの姿を楽しそうに眺めながら、あの時は惜しかったなあと、当の悟空は、気楽に笑っていたのだった。
少し長すぎたなあと思いつつも、下手に分割すると地球の話だけでまた10話くらいになりかねないので、思い切って投稿しました。
チチさんが悟空の出てる天下一武道会、見てないはずが無いよなあ。
→絶対ビデオとか出てるだろうし、大猿の事も知ってるだろうなあ。
→けど別に、悟飯の尻尾切ったりはしてなかったなあ。
という連想から、今回の話は生まれました。悟飯に尻尾があった頃は、満月の度に結構気苦労してたんじゃないかと思ったり。
あと原作やアニメのチチさんがちょっと行きすぎなくらい教育熱心だった理由について、「家に一銭も入れてない悟空みたいな大人になって欲しくなかったから」という風に自分は解釈してまして、悟空がきちんと畑仕事してるこの話のチチさんは、悟飯が修行する事についても原作より余裕や理解がある感じです。
それと感想、評価、お気に入りなどありがとうございます。続きを書く励みになっております。
最近ちょっとサイヤ人編を読み返してみたのですが、「これあんまり一般受けはしないやつでは……? 何で1000人以上もお気に入りに入れてくれる人がいるの?」って思ったりしながらも私は元気です。次の話もご期待ください。