あるサイヤ人の少女の物語   作:黒木氏

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4.彼女がお泊まりする話(後編)

「ナッツちゃん、お風呂沸いたから、入っていくといいだよ」 

 

 悟飯の家のお風呂は、大きな金属の缶のような形をしていた。チチに入り方を教えてもらって、熱いお湯を堪能するナッツ。

 

「変わったお風呂だったけど、気持ち良かったわ!」

 

 少女はタオルで髪を拭きながら、家の中へと戻ってくる。着ているパジャマは、悟飯から借りたお揃いのものだ。

 

 お風呂上がりの彼女の姿から、少年は気恥ずかしくて、つい目を逸らしてしまう。入浴直後のナッツを見るのは、初めてでは無いけれど、住み慣れた自分の家の中で、ナッツがそんな姿でいるというのは、彼にとって、どうにも新鮮で、刺激的な出来事だった。

 

「ねえ、悟飯。これ手伝って欲しいの」

 

 声に目を向けると、至近距離にパジャマ姿の彼女がいて、慌ててしまう悟飯。彼は反射的に、差し出されたタオルとドライヤーを手に取っていた。

 

「……これは?」

「私の髪を、乾かして欲しいのよ。一人じゃ大変だから、いつも父様にやってもらうんだけど」

 

 ソファーに座って、背中まで伸びた長い黒髪を、少年の方に向けるナッツ。しっとりと水気を帯びた髪を目の当たりにして、彼はたじろいでしまう。

 

「で、でも、やった事無いし……」

「大丈夫よ。乾かすだけだから、そんなに難しくはないわ。あなたはちょっと違うみたいだけど、私のような純粋なサイヤ人の髪は、放っておくだけで自然に、いつもの形になるのよ」

「……じゃあ、やってみるよ」

 

 観念した悟飯は、彼女と同じソファーに座って、黒髪を一房、壊れ物でも扱うように、そっと手に取った。少女の髪は、サイヤ人特有の、纏まった髪質をしていたが、触ってみると、1本1本が彼の手の中で、さらさらとした感触を伝えてくる。

 

 慣れない手つきで、タオルとドライヤーを使って、少年は彼女の髪を乾かしていく。前に一度だけ、ベジータがやっているのを、見た事があったので助かった。

 

 ブラッシングをされている子猫のように、ナッツは目を閉じて、尻尾をゆったりと動かしている。悟飯の足を、少女の尻尾が軽く叩く。何かしてしまったかと、少年はびくりとしたが、直後に彼女が、リラックスした声で言った。

 

「気持ち良いわよ、悟飯。そのままお願いね」

「う、うん。良かった……」

 

 小さく鼻歌を歌いながら、悟飯の手に自分の髪を任せる少女。明日の朝食の準備を終えたチチが、そんな彼らの姿を見て、顔を赤くしながら、頬に両手を当てていた。

 

「うひゃあ……」

「? どうしたんだ、チチ?」

 

 きょとんとした顔の夫に、苦笑しながら応えるチチ。

 

「もう、悟空さ。髪は女の命なんだよ?」

 

 お店で整えてもらう時でもなければ、家族以外に、軽々しく触らせるようなものではないのだ。それはあの少女が、悟飯に対して、すっかり心を許していることの証明だった。

 

(きちんと責任は取るだよ、悟飯ちゃん)

 

 ぎこちなく、どこか恥ずかしそうに、ナッツの髪を乾かす息子の姿を、母親は微笑ましそうに眺めていた。

 

 

 

 一方その頃、カプセルコーポレーションにて。

 

 娘が男の家に外泊すると聞いて、自分も行こうとしたベジータが、呆れた顔のブルマに止められていた。

 

「離せ! オレも奴の家に泊まりに行く! 娘の貞操が!」

「ナッツちゃんはまだ5歳でしょう! まだそんな事を騒ぐ歳じゃないわ!」

 

 サイヤ人の王子をぴしゃりと叱りつけ、さらに言葉を続けるブルマ。

 

「だいたい! 父親がそんな理由で、子供の友達の家に、こんな時間に押しかけてごらんなさい! 恥をかくのはナッツちゃんよ!」

「うっ……!」

 

 たじろぐベジータ。彼は親馬鹿だが、王族として世間一般の常識や礼儀は弁えているし、頭の回転もかなり早い。

 

 もしここで、自分が押しかけようものならどうなるか。彼の脳裏に、そのシミュレーション結果がぽわぽわと浮かんだ。

 

 

『せっかく楽しいお泊りだったのに……! 私、父様の事なんて大嫌いです!』

 

 

「ぐわああああああっ!!!???」

 

 もちろん、実際のナッツがこんな事を言うのは有り得ないが。最悪の想像に打ちのめされ、床に崩れ落ち、口笛に悶えるナメック星人みたいな様子でのた打ち回っているサイヤ人の王子を、ブルマは更に呆れた目で見ていた。

 

 やがて動かなくなり、息も絶え絶えになったベジータが呟く。

 

「さらばだ……ナッツ、カカロット……」

「ほら、いつまでもそんな所で寝てたら風邪引くわよ」

 

 ベジータが顔を上げると、身を屈めたブルマが、彼に手を差し伸べていた。

 

「ナッツちゃんなら大丈夫よ。孫くんもチチさんもいるんだし、悟飯くんはそんな事する悪い子じゃないわ」

「貴様に何がわかる……!」

「わかるわよ。私もナッツちゃんの事は、気にしてるんだから」

 

 荒い息をつきながら、彼女の手を取って、よろよろと起き上がるベジータ。

 

「もしナッツに何かあったら、悟飯の奴ただじゃ済まんぞ……!!」

「はいはい。大丈夫だからさっさと寝なさい」

 

 そう言って、ブルマは彼をリビングから追い出して電気を消し、自分も欠伸混じりで自室に向かうのだった。

 

 

 

 そして悟飯の部屋にて。もらった新品の歯ブラシでしっかり歯を磨いて、寝る支度を済ませたナッツが、心地良さそうな様子で、悟飯のベッドの上に寝転がっていた。

 

 同じ部屋の、床に敷かれた布団の上。お互い手を伸ばせば届くほどの距離から、少年がどこか、緊張気味に呼びかける。

 

「ナッツ、何か困ったことは無い?」

「うん。あなたの匂いがするわ。よく眠れそう」

 

 横になったまま、にっこりと笑う少女。その返答に悟飯は顔を赤らめながら、どうしてこんな状況になったのか考える。

 

 ベッドが足りないという話になって、最初はお父さんが、リビングのソファーを使おうとしたのだけど。お母さんが、何だかお父さんと話したそうに、そわそわしていたから、ボクが代わりに手を上げたのだ。

 

 そして枕や毛布を運ぼうとしたところで、ナッツに袖を掴まれて。恥ずかしそうに、こう言われたのだった。

 

「あ、あの。私、部屋に一人だと、眠れなくて……」

 

 一人で星を攻めている時とか、どうしようもない時ならともかく、そうでない時に、一人で眠るのは嫌だった。明かりの消えた暗い部屋の中で、思い出したくない事を、思い出してしまうから。

 

 そして今、少女はベッドに寝転がったまま、下の布団にいる悟飯に笑顔を見せる。

 

「悟飯、今日はありがとね、とっても楽しかったわ」

「ボクの方こそ。ナッツがうちに来てくれて、楽しかったよ」

「明日は何して遊ぶ?」

「そうだね。今日はずっと家の中だったから、外に行こうか? 見せたい物もあるし」

「見せたい物って、何?」

「秘密。明日教えるよ」

「もう、意地悪ね。悟飯」

 

 そう言って、少女はくすくす笑った。

 

「お休みなさい、悟飯」

「うん。お休み、ナッツ」

 

 悟飯が天井の灯りから垂れ下がる紐を引っ張ると、蛍光灯が消えて、小さなオレンジ色の電球だけが残った。

 

 それから1時間ほどが経過して、同じ部屋にいる少女の存在に緊張していた悟飯も、ようやく寝息を立て始めた頃。

 

 ナッツはまだ、眠れないでいた。目を閉じていても、ちっとも眠気が襲ってこないのが、自分でも不思議だった。

 

 夜の9時はとっくに過ぎていて、いつもならもう、寝ているはずの時間なのに。

 

 眠れない少女は、夜の暗闇に包まれながら、今日の出来事を思い出す。悟飯と一緒に図鑑を読んで、それからビデオを観て、チチさんと話をした後で、帰って来たカカロットとも一緒に、信じられない程、美味しい夕食を頂いた。

 

 カカロットとチチさんは、とても仲が良さそうだった。チチさんは、とても料理が上手で優しい地球の戦士で、悟飯もお母さんと慕っていた。

 

 そこまで考えたところで、ナッツは自分の心に開いた穴を直視する。

 

 私の母様。私と同じ長い髪の、黒い戦闘服を着たサイヤ人の戦士。強くて格好良くて、ご本もたくさん読んでくれて、父様と一緒に、戦い方を教えてくれて、私をいっぱい愛してくれた、私のただ一人の母様。

 

 激しい雨に打たれたように、小さな身体が震え出す。頭から毛布を被っても、寒気が全身を蝕んで。耐えきれずに、少女は声を殺して泣いていた。

 

「母様ぁ……」

 

 ほんの数日前に、会えたばかりなのに、寂しくてたまらない。泣けば心配させてしまうと、またいつか必ず会えると、頭では分かっているけれど。母親との別れは、まだ5歳のナッツにとって、あまりにも辛い出来事だった。

 

 ブルマの家では、父様が一緒に寝てくれて、眠るまで優しく頭を撫でてもらっていた。父様が今、ここにいてくれたら。そう思ったところで、少女は毛布の上から、温かい手が身体に触れるのを感じた。

 

(……父様?)

 

 私の為に、来てくれたのだろうか。ナッツが毛布から顔を出すと、心配そうに自分を見つめる少年と目が合った。涙混じりの声で、少女は彼の名を呼んだ。

 

「悟飯……」

「大丈夫? ナッツ」

 

 少年は小さなタオルを持ってきて、ナッツの顔を拭った。それから彼は何も言わずに、少女が落ち着くまで、彼女の手を握っていた。やがてぽつりと、ナッツが口を開く。

 

「悟飯、今日は一緒に寝てくれる? 寂しいの」

「うん、いいよ」

 

 悟飯は自分の枕と毛布をベッドの上に持ってきて 少女の隣に横たわる。少し気恥ずかしかったけど、そんな事よりも、ナッツの事が心配だった。

 

 そのまま自分の毛布を被ろうとしたところで、横たわったままの彼女が、招き入れるかのように、自分の毛布を開いて見せた。薄明かりの中、少年はたじろいだ。

 

「えっと、流石にそれは……」

「お願い」

 

 潤んだ瞳で懇願され、悟飯は少し逡巡するも、観念して同じ毛布に入る。ベジータさんに知られたら殺されるだろうけど、今のナッツの頼みは、聞いてあげねばならないと思った。

 

 すぐに彼の左腕に、ナッツが縋り付いてくる。全身で少年の温もりを求めるように、小さな身体を密着させる。ふさふさとした尻尾までも、きゅっと足に巻き付けられる。

 

「……ッ!?」

 

 悟飯の顔が羞恥に赤らみ強張るも、間近でぎゅっと目を瞑っている彼女の表情が、まるで助けを求めるようだったから、されるがままに、少女に身を任せていた。

 

「……悟飯、お願いがあるの」

「何? なんでも言って良いよ」

「頭、撫でて。父様や母様がしてくれるの。そうされると、安心できるの」

 

 言われた少年は、横たわる少女の頭にそっと片手を乗せて、ぎこちない手付きで、それでも心を込めて撫で始める。続けていくうちに、ナッツの表情が、穏やかで落ち着いたものになっていくのが分かった。

 

 つやつやした彼女の髪は、手に吸い付くような感触で、時折気持ち良さそうな声を漏らすのも相まって、まるで子猫を撫でているようだと思った。

 

 一方、撫でられているナッツの方は、いつも父親にそうされている時のような、心地良さを感じながらも、わずかな違和感を覚えていた。

 

(父様とは、ちょっと違う感じがするわ……)

 

 悟飯と一緒に寝て、こうして撫でられていると、安心できるけど、何だかちょっと、どきどきする。その感情の名前を、少女はまだ知らなかった。 

 

 そしてそれからほんの数分で、ナッツは穏やかな眠りの中に落ちていった。それを見届けた少年も、彼女の隣で、すぐに寝息を立て始めるのだった。

 

 

 

 翌日の朝。窓から差し込む光で目を覚ましたナッツは、可愛らしい声と共に、両手を大きく上げて身体を伸ばす。被っていた毛布が、ばさりと身体を滑り落ちた。

 

 その動きで、隣で寝ていた悟飯も目を覚ます。まだ眠そうに目をこすっている少年に、とびきり明るい笑顔を見せるナッツ。

 

「悟飯、昨日はありがとね。おかげですっかり良く眠れたわ」

「うん、それなら良かっ……」

 

 悟飯の顔が、ぴきりと固まった。目の前で微笑む少女は、下着一枚の姿だった。窓から差し込む朝日で、部屋の中はすっかり明るくて。露わになった上半身が、隅々まではっきりと見えていた。

 

 白い裸身を隠そうともしないナッツから、真っ赤になって顔を逸らした悟飯が叫ぶ。

 

「……何で服を着てないの!?」

 

 言われた少女は、きょとんとした顔で、自分の姿を見下ろした。

 

「暑いから脱いじゃったみたい」

 

 脱ぎ捨てられたと思しきパジャマが、床の上に落ちている。そこでドアの向こうから、チチの声が聞こえてきた。

 

「悟飯ちゃんにナッツちゃん、もう起きてるだかー?」

 

 少年の額から、大粒の汗が流れ始める。ここまで絶体絶命の状況は、フリーザが最終形態になった時以来だった。

 

 悟飯はバータも目を剥くほどの速度で床に落ちた衣服を回収し、押し付けるように少女に差し出した。

 

「早く着て! 早く!?」

「わかったわよ。もう、そんな急かさなくてもいいじゃない」

 

 怫然とした顔の少女が、慣れない手つきでパジャマを身に着けていく。慣れた戦闘服なら、10数秒で着られる自信があるのだけど。地球の服は柔らかすぎて、力加減を間違えると破いてしまいそうで、気を遣う必要があるのだった。

 

 悟飯が青い顔で見守る中、ナッツがちょうど服を着終わったその瞬間、ドアが開いて、笑顔のチチが顔を見せた。

 

「ナッツちゃん、昨日はよく眠れただか?」

「はい! 悟飯がいてくれたおかげで、全然寂しくなかったです!」

「そりゃ良かったな。朝ご飯がもうできてるから、温かいうちに食べるといいだよ」

「ありがとうございます!」

 

 どんな美味しい料理がでてくるのだろうと、期待に尻尾を振りながら、部屋を出ようとしたナッツが、不思議そうな顔で、ぐったりとベッドに座る少年を振り返る。

 

「ねえ悟飯、早く行きましょう?」

「うん、そうだね……」

 

 すっかり疲弊した様子を見せながらも、人生屈指のピンチを切り抜けた少年は、やり遂げた男の顔で、ナッツに微笑んで見せるのだった。

 

 

 

 一方その頃、カプセルコーポレーションにて。ベジータとブルマ達が、ナッツのいない分、普段よりも静かな朝食の時間を過ごしていたのだが。

 

「はっ!?」

「どうしたの、ベジータ?」

「理由は分からんが、あのガキを殺さなければならない気がする……!」

「はいはい。馬鹿な事言ってないで、早くご飯食べちゃいなさい」

 

 原因不明の怒りに身を震わせるベジータの前に、もうすっかり慣れたと言わんばかりに、ブルマがおかわりの皿を置くのだった。




祝日で筆が乗ったので更新です。
前回がちょっと長くてダレ気味だったので、短くしつつ楽しく読めるよう工夫しました。
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