あるサイヤ人の少女の物語   作:黒木氏

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5.彼女が彼と出かける話

 悟飯の家にて。ナッツが美味しい朝食に舌鼓を打った後。

 

 ナッツと悟飯は、今日は外で遊んできますとチチに伝えて、普段着に着替えて外に出た。

 

 良く晴れた空の下、さっそく飛ぼうとした少女を押し留めて、少年は空の彼方へ向かって叫ぶ。

 

「筋斗雲! よーい!」

 

 するとすぐに黄色い雲が飛んできて、彼らの目の前で停止した。ふわふわしたその雲を見て、ナッツは目を輝かせる。

 

「凄い! 何これ? 食べ物?」

 

 即座に急加速して逃げていく筋斗雲。

 

「待って!?」

 

 何とか呼び戻した悟飯が、少女に説明する。

 

「食べ物じゃないよ。これは筋斗雲って言って、お父さんからもらった乗り物なんだ」

 

 言って悟飯は、筋斗雲に飛び乗って見せる。柔らかそうな雲が、彼の身体を受け止めるのを見て、大はしゃぎするナッツ。

 

「乗れる雲なんて初めて見たわ! 私も乗っていい?」

「もちろんだよ、ナッツ」

 

 少年が雲の上から差し伸べた手を笑顔で掴み、よじ登ろうとした少女が困惑する。

 

「あ、あれ? 何かすり抜けちゃうんだけど……?」

「そ、そう言えば……!?」

 

 狼狽する悟飯。筋斗雲には心が清らかな人しか乗れないと、お父さんが言っていた気がする。彼も父親も、問題なく乗れていたので思い至らなかったのだ。

 

 済まなさそうに説明する悟飯に、怫然とした顔で頷く少女。

 

「それじゃあ仕方が無いわね……」

 

 悪人の私がそういう物に乗れると思うほど、図々しくは無いけれど。せっかくの悟飯の好意を無にしてしまうのは、嫌だった。

 

 筋斗雲から降りようとする少年を見て、良い考えが浮かんだナッツは、いたずらっぽく笑った。

 

 押し倒すように少年に飛びついて、身体の上に乗った。真っ赤になる彼の首の後ろに両腕を回して身体を密着させ、バランスを安定させる。

 

「こうすれば文句は無いでしょう?」

 

 筋斗雲に向かって、どこか得意げな少女の声。

 

「あの、姿勢を変えて欲しいんだけど……」

 

 おずおずとした悟飯の要望を受けて、あれこれ二人で試行錯誤した結果、ナッツが彼の膝の上に座って、後ろから抱きかかえられる姿勢で落ち着いた。

 

 にっこり笑っている少女の、艶のある黒髪が、悟飯の鼻先をくすぐっていた。落ち着かない様子の少年が筋斗雲を発進させ、その高度が少しずつ上がっていく。

 

「悟飯、もっと強く抱いてくれないと、落ちちゃうわ」

 

 落ちても彼女は自分で飛べると分かっているけれど、だからと言って落とすわけにもいかず、少年は半ばやけになって腕に力を込める。昨日の夜以来、どうもナッツが積極的になってる気がするのは、気のせいだろうか。

 

 筋斗雲の速度が上がっていく。悟飯の両腕に抱かれながら、少女は吹き付ける風に長い髪をなびかせる。物心ついた頃には、当たり前のように空を飛べたナッツにとって、宇宙船以外の乗り物に乗るのは、これが初めての経験だった。

 

「自分で飛ばなくていいのって、凄く楽だし楽しいわ!」

 

 嬉しそうにはしゃぐナッツの姿に、悟飯は自分まで、浮き立つような気持ちになってしまう。伝わってくる彼女の体温が、まるで自分の一部のように思えて、次第に心が落ち着いていく。

 

 空はとても良く晴れていて、降り注ぐ太陽の光が、遠くに見える海面に反射して、きらきらと輝いているのが見えた。自然豊かな山々を見下ろすと、木々の間に、様々な動物達の営みが見えた。

 

 温かな日差しの中、雲の上で心地良い風に吹かれながら、少年と少女の目には、地平線の彼方までが見渡せた。

 

「どう、ナッツ? 前にお父さんに連れてきてもらって、凄く良いなって思ったんだけど」

「綺麗! 凄いわ悟飯! ありがとう!」

 

 振り向いて、少女は満面の笑みを見せる。それを見て、少年も笑顔を返す。

 

 それから二人はしばらくの間、何も言わず、互いの体温を感じながら、穏やかな時間を過ごしていた。

 

 

 

 とある山の近くに差し掛かった時のこと。

 

 悟飯が口笛を吹くと、やがて山の中から、2枚の羽と角を生やした、薄紫色の小さな竜が飛んできて、二人の前で可愛らしい鳴き声を上げた。

 

 白くぷりぷりとしたお腹を見て、ナッツは目を輝かせる。

 

「凄い! 何これ? 食べ物?」

 

 即座に急旋回して逃げていく竜。

 

「待って!?」

 

 何とか呼び戻した悟飯が、少女に説明する。

 

「食べ物じゃないよ。この子はハイヤードラゴンって言って、ボクの友達なんだ」

「悟飯の友達……そう言えば、そんな話をしていたわね」

 

 人間の友達は、私が初めてと聞いていたけれど。この竜は、私よりも先に、悟飯と友達になっていたというのか。何となく、心がもやもやするのを感じた。

 

 理由もわからず、苛立ちを感じた少女に睨まれて、怯えた様子を見せるハイヤードラゴン。生物としての力の差を、動物的本能で感じ取っているのだ。

 

 そこでナッツは、少年が彼女と竜を、困ったように見ているのに気付く。せっかく遊びに来ているのだから、悟飯に嫌な思いをさせるわけにはいかない。

 

(まあ、力の差は弁えてるみたいだし、人間では私が一番の友達なんだから、度量の広さを見せてやるべきよね)

 

 そう考えながら改めて竜を見ると、美味しそうだし、愛嬌のある姿をしているように思えた。

 

「じゃあ、この子は私の友達でもあるのね」

 

 安心させるように、少女はにっこり笑って、竜の頭を撫でる。

 

「よろしくね、ハイヤードラゴン」

 

 嬉しそうな顔になった竜が、一声鳴いて、ナッツの顔を舐めた。

 

 

 

 それからハイヤードラゴンも交えて、さらに遠くへ飛んだ二人は、荒野に生えたリンゴの木の下で一休みしていた。

 

「この辺は、ボクが昔修行してた場所なんだ。1年くらい暮らしてたかな」

 

 悟飯から受け取ったリンゴを一口かじった少女が、たちまち顔を綻ばせる。ちょっと酸っぱかったけど、果肉がしっかり詰まっていて、十二分に美味しかった。

 

「野生の果物もこんなに美味しいなんて、良い環境だわ。悪くない星ね」

「きちんとした料理が食べられなくて、寂しかったけどね」

「他にはどんな物を食べていたの?」

 

 そっちも食べさせて欲しいとばかりに、ぱたぱたと尻尾を振るナッツを見て、少年は苦笑しながら言った。

 

「豆とか、あとたまにお肉も食べてたよ。えっとね……」

 

 そこで突然、地響きと共に、大音声の咆哮が響き渡った。

 

「ギャオオオオオオォォッ!!!!」

 

 不自然に尻尾の短い巨大な肉食恐竜が、涎を垂らしながら、猛スピードで突進してきたのだ。大きく開かれた口の中には剣呑な牙が生え揃い、子供くらいなら、簡単に丸呑みにできそうだった。

 

 ハイヤードラゴンが怯えた鳴き声を上げる。恐竜が彼らを襲おうとしている事は明白だった。

 

 一般的な地球人なら確実に死んでいるだろう状況で、戦闘民族の少女は犬歯を見せながら、獰猛に笑う。

 

「ようやく食べ物が来てくれたわ。身が締まってて、なかなか美味しそうじゃない」

 

 勢いのまま地を蹴った恐竜が、大口を開けて生意気な少女に躍り掛かり、肉塊へと変えるべく食らいついた。

 

 だが咀嚼しようとしたところで、口の中に獲物がいない事に気付く。

 

「?」

 

 きょろきょろと左右を見渡す恐竜。その頭上に、ハイヤードラゴンを抱えて跳んだ悟飯と、服の裾を大胆に捲り上げながら、右脚を真上に振り上げた少女がいた。

 

 勢いよく振り下ろされた踵が恐竜の脳天に激突し、凄まじい力でその巨体を地に叩き付ける。 

 

 あまりの衝撃に恐竜は意識を朦朧とさせながらも、眼前に降り立った少女に向けて、恐竜は激しく吼え猛る。だが戦闘力100程度の生物の威嚇など、ナッツは涼しい顔で受け流し、

 

「身の程知らずね……!」

 

 冷たい目で睨み付け、殺気を叩き付ける。少女の数十倍もの巨体を持つ恐竜が、それだけで全身を硬直させて、動けなくなってしまう。

 

 ナッツは倒れた恐竜の頭に足を乗せ、ぎりぎりと力を込めながら、歯を剥き出して、獣のように獰猛に笑う。

 

「すぐに殺さなかった理由が分かる? 生きてるうちに首筋を切って、できるだけ血を流した方が美味しくなるって、母様から習ったからよ」 

 

 言葉は分からずとも、自分の運命を察したのか、恐竜の顔に、怯えの色が浮かぶ。それを見たナッツは、整った顔を嗜虐的に歪めて笑う。

 

「私達を食い殺そうとしたんだから、食い殺される覚悟はできてるわよね?」

 

 近くで見ていた悟飯は、そんな少女の横顔に、どきどきしてしまうのを感じていた。最近はあまり見られない彼女のこうした面にも、彼は確かに、惹かれるものを感じていた。

 

 もちろん悪い事をしていたら止めないといけないけど。これはまあ、相手の自業自得だし、放っておいてもいいだろう。

 

 そこで悟飯は、倒れた恐竜が、必死に助けを求める目で、自分を見つめている事に気付く。

 

(いや、前にボクのことも、何度も食べようとしてたよね?)

 

 別に助ける筋合いはないよね? って顔で睨み付けると、恐竜はだーっ、と大量の涙を流し始める。それを見た悟飯は、額に手を当てて、ため息をついた。

 

 気は進まないけど、このまま見捨ててしまうのも、目覚めが悪くなりそうだった。うきうきと恐竜の首筋を切り裂こうとしている少女に、悟飯は声を掛ける。

 

「ナッツ、お楽しみのところ悪いんだけど……」

「何? もしかして、こいつもあなたの友達なの?」

「……まあ、尻尾のお肉を分けてもらった仲というか……」

「尻尾ですって?」

 

 ナッツは恐竜の尻尾に視線を向ける。鋭い刃物か何かで、中途半端に斬られたような跡がある。確かに初めて見た時から、気にはなっていたのだ。

 

 そこで少女の表情が、驚愕の色に染まる。

 

「ま、まさかこれは……あなたがやったの?」

「うん。ここで暮らしてた時、何度か襲われたんだけど、その度に尻尾の先をちょっと切って、お肉を分けてもらってたんだ。だからまあ、今回もそれで許してあげられないかなって。もちろん、次は無いけど」

 

 そこまで説明したところで、悟飯は気付く。怯えた顔のナッツが両手を後ろに回して、自分の尻尾を押さえていた。先ほどまでの冷酷な表情はどこかへ行ってしまって、真っ青な顔でがたがたと震えていた。

 

「よ、よくもそんな、残酷な真似ができるわね……」

 

 サイコパスか狂人を見る目で悟飯を見るナッツ。

 

「何で!?」

「だって、尻尾にそんな酷い事をするなんて、生き恥を晒させるつもりなの……?」

 

 サイヤ人にとって、尻尾は力と誇りの象徴だ。根元から切られるのも十分に辛いが、あんな風に半分に切られて、惨めな有様を衆目に晒されようものなら、恥ずかしくて生きていけないだろう。

 

 もちろん恐竜の尻尾はサイヤ人のそれとは違うだろうけど、あまりの恐ろしさに、ナッツはすっかり、感情移入してしまっていた。

 

「えっと、じゃあ殺す代わりに、それでいいかな?」

「あ、あなたがやるっていうのなら、止めはしないわ……」

 

 少女の怯えように、何だか釈然としないものを感じながら、悟飯は恐竜の尻尾を切ろうとして、刃物を持っていない事に気付く。前はピッコロさんがくれた剣があったのだけど。

 

 何か切れそうなものでもないかと、きょろきょろと辺りを探す悟飯の背後で、ごとりと何かの音がして。そちらを見ると、鞘に入った剣が落ちていた。以前使っていたのと、全く同じ形だった。

 

(これって、もしかして……?)

 

 悟飯は少し離れた岩山に目を向ける。誰の気も全く感じられなかったけど、何となく、彼に戦い方を教えてくれた師が、そこから見守ってくれている気がしたのだった。

 

 

 

(悟飯の奴、オレの居場所が見えているのか……?)

 

 実際に、その岩陰にはピッコロがいた。二人が修行場所の近くに来ているのを見て、あのサイヤ人が悟飯に何かおかしな真似をしないかと、心配して見ていたのだった。

 

 

 

 少し笑って、その方向に頭を下げて。悟飯は剣を拾い上げ、恐竜の尻尾の先端を切断する。輪切りにされた大きな肉の塊を剣に突き刺して、少年は恐竜に言い聞かせる。

 

「いい? もう人間を襲っちゃ駄目だよ? この次は、もう庇ってあげられないからね」

 

 恐竜はがくがくと、凄い勢いで頭を上下に振った。そして二人に背を向けて、一目散に逃げていったのだった。

 

 しばらく後に、この荒野で遭難した人間が、恐竜に助けられて生還したという話が小さなニュースになるのだが、それはまた別の話だ。

 

 

 それから悟飯は慣れた手つきで落ち葉や乾いた枝を集めて、小さなエネルギー波で火を着けると、剣に刺した尻尾の肉を炙り始めた。

 

 一連の行為から、ナッツは離れて目を背けていたが、肉に火が通り、周囲に良い匂いが漂い始めると、おそるおそる寄って来て、焼けるのを待ち遠しそうに見守っていた。

 

 そして程良く焼けた肉を、半分こにして食べる二人。

 

「おいしい!」

「うん、おいしいね」

 

 一抱えほどあった肉を、あっと言う間に平らげて、少女は満足そうな笑みを浮かべる。今まで食べてきた野生動物の中では、一番美味しかったかもしれない。

 

(地球の環境が良くて、良い物を食べてるからなのかしら……)

 

「もうちょっと欲しいわね……あ、いない」

 

 逃げた恐竜を見つけるべく、周囲の気配を探ってみたが、反応が小さい上に、他の動物達の気配に紛れて、はっきりしない。大して強くない戦闘力を探るのは、少女の苦手分野だった。

 

 もっと集中して時間を掛けて、本気で探せば見つけられるかもしれないけど。

 

「まあ、いいわ。あいつも十分懲りたでしょうし」

 

 手に付いた脂を舐め取って、ナッツはそれきり、恐竜に対する興味を失ったのだった。

 

 

 

 時刻は10時半をわずかに過ぎて、そろそろ帰ろうかと筋斗雲で飛んでいた二人は、とある町の上空に差し掛かった。

 

 そこでナッツが、眼下の光景に興味を引かれた。店舗らしき建物の前に、大勢の地球人達が集まっていた。皆笑顔で、何かを手に持って食べている。

 

「悟飯、あれは何かしら?」

「遠くてちょっと……近くで見てみようか?」

 

 離れた場所に降りて近付くと、その店はクレープの専門店で、店の前に置かれた看板には、20種類以上の商品の写真が掲載され、それらの値段が書かれていた。

 

 いかにも美味しそうな写真と、漂ってくる甘い匂いに、目を輝かせるナッツだったが、その表情が、にわかに曇ってしまう。

 

 今はお金を持っていない。持っていた宝石は、ブルマに預けてしまった。お店を吹っ飛ばして商品を奪ったら、指名手配されて、住まわせてくれているブルマに迷惑が掛かってしまうだろう。

 

 悲しそうな顔をする少女の前で、悟飯は懐から取り出した財布を開き、中身と値段を慎重に見比べてから言った。

 

「大丈夫だよ、ナッツ。念のため、お小遣いを持ってきたんだ。……あんまり持ち合わせは無いんだけど、1個ずつなら大丈夫だよ」

「本当!?」

「うん、どれが良いか選んでよ」

「ありがとう、悟飯!」

 

 嬉しそうな顔でさんざん悩んでから、少女はオレンジとグレープフルーツと生クリームのクレープを選んだ。

 

 二人は並んでベンチに腰かけて、買ったクレープを食べ始める。瑞々しい果肉の甘酸っぱさと、生クリームの風味が、温かい生地と見事に調和していて、ナッツは思わず目を見開いた。

 

「おいしい! 地球で食べたお菓子の中で、一番おいしいかも!」

「うん、おいしいね、ナッツ」

 

 人前なので、少女の尻尾は服の下に隠されていたが、普段ならぶんぶんと振っていたんだろうなあと、悟飯は微笑ましい気分になった。

 

 そこでナッツは、彼の食べている、バナナとチョコと生クリームのクレープを、物欲しそうに見ながら言った。  

 

「そっちもおいしそうね……良かったら、ちょっと味見させてくれる?」

「う、うん。いいよ」

 

 おずおずと少年が差し出したクレープに、小さく口をつけて、たちまち笑顔になるナッツ。

 

「おいしい! ありがとう! 私のも一口食べていいわよ」

「え、えっと……」

 

 真っ赤になりながらも、断るわけにもいかず、悟飯は差し出されたクレープの、彼女の口がついていない場所を、少しかじり取った。

 

「おいしい?」

「う、うん。おいしいよ」

 

 そう答えるも、緊張のあまり、味なんてわからなくて。そんな初々しい子供二人の様子を、周囲の人々が微笑ましく見守っていた。

 

 

 それから5分ほどして、珍しい事に、悟飯が食べ終わった後も、少女は手にしたクレープを、大事そうにゆっくりと食べている。どれほど気に入っているか、分かるというものだった。

 

 名残を惜しむように、小さな口で少しずつ食べている様子は、まるで小動物のような可愛らしいもので、少年が思わず見惚れていた、その時だった。

 

「どきやがれ!」

「うわあっ!?」

 

 走り込んできた人相の悪い大男が、悟飯を突き飛ばした。

 

 男はそのままナッツを乱暴に抱え込み、そのこめかみに銃を突きつけ叫ぶ。

 

 

「クルマと金を用意しやがれ! さもなきゃこのガキの命はねえぞ!」

 

 

 そこへサイレンをけたましく鳴らしながら数台のパトカーが殺到し、武装した警官隊がたちまち周囲を包囲する。

 

「逃亡中の強盗殺人犯です! 市民の皆さんは下がってください!」

 

 人々が悲鳴を上げて逃げ出す中、へたり込んでいた少年に、警官の一人が駆け寄った。

 

「大丈夫か? 君も早く離れるんだ!」

「こ、殺される……!」

 

 人質にされた少女の方を見つめながら、がたがたと震える悟飯。その姿に警官達が思わず声を詰まらせ、安心させるように言葉を掛ける。

 

「安心してくれ! 君の友達は必ず助けて見せる!」

「くそっ、あんな子供を人質に取るなんて、何て卑劣な奴なんだ!」

 

(違うんですお巡りさん達……!)

 

 当然の話だが、悟飯はナッツの事を欠片も心配していない。薄情なようだが、あの強盗がフリーザより強くない限り、身の危険は全く無いだろう。

 

 危ないのは、何も知らないあの強盗の方だ。その気になれば容易く地球を滅ぼせる少女は、信じられない事に、まだ美味しそうにクレープを食べている。幼すぎて状況を把握できていないのかと、警官達は痛ましい目を向けている。

 

 当のナッツは、自らの置かれている状況を、完全に理解していた。そして強盗にとっては非常に幸運な事に、今の彼女はとても機嫌が良かった。

 

 別に油断をしていたわけではない。その辺を這っているアリに、いちいち警戒する人間はいない。この戦闘力5程度の地球人が何をしようと、自分の身体には傷一つ付けられないのだ。

 

 今の状況は、そのアリが靴に登ってきた程度の事で。当然後で潰すつもりだが、今はそんな事よりも、残り少ないこのクレープを味わう事の方が大事なのだ。

 

 地球の警察も来ているみたいだし、彼らが代わりにこのゴミを片付けてくれるのなら、任せてもいいとすら思っていた。

 

 一方の悟飯は、強盗が殺される前に、この状況を何とかしなければと思っていたが、動けないでいた。この場にクリリンさんがいたら、軽く叩いて気絶させたりとかできるんだろうけど。

 

(手加減なんて、全然分からないし……!)

 

 彼が今まで戦ってきた相手は、ラディッツを始め、ナッパやベジータ、リクームやフリーザなどであり、全力で殴っても問題ない相手にしか、力を振るった経験がない。

 

 少年がしばしば怒りによって爆発的な力を発揮する事も、裏を返せば、自分の意思で力を制御するのが苦手であるという事だ。

 

 迂闊に手を出した結果、一生残る大怪我でもさせてしまったらと思うと、たとえ相手が悪人でも、軽々しく攻撃する気にはなれなかった。

 

 かといって、このまま放っておけば衆人環視の中で、ナッツがあの強盗を殺してしまうかもしれない。状況からして正当防衛になるとは思うけど、それでも後々彼女がどういう目で見られるかを考えると、何とかして止める必要があった。

 

 

 悟飯が逡巡している間に、状況は動きだす。強盗にとって、人質にされているにも関わらず、美味しそうにクレープを食べ続けている少女の様子は、苛立たしいものだった。

 

「呑気な顔しやがって!」

 

 怒鳴りつけて、彼はナッツが食べていたクレープを叩き落した。

 

「あっ……!?」

 

 地面に落ちたクレープから、クリームや果物が地面に零れるのを見て、大きく目を見開く少女。

 

「あ……あ……」

「うるせえ!」

 

 

「うるさいのは、お前よ」

 

 

 囁くような声を聞いた瞬間、強盗の背筋に、ぞくりと冷たい感覚が走る。捕まえていたはずの少女が、いつの間にかこちらを振り向いている。

 

 絶対零度の殺意を宿した瞳は、子供のものとは思えなかった。いったい何百人殺せば、こんな目ができるというのか。

 

 小さな手に、首筋を掴まれる。少女の身体に隠されて、遠巻きに伺う人々からは、その様子は見えない。人間とは思えないほどの力で、ぎりぎりと首を締め上げられる。 

 

 彼の恐怖を楽しむかのように、ナッツは冷酷に笑う。生きたまま心臓を握り潰すべく、その胸板に小さな手を当てる。

 

「知ってる? 悪事を働いてる悪人は、殺したって罪にはならないのよ」

 

 ぞっとするほど整った顔を歪めながら、少女は小さく可愛らしい声で言った。それはまるで、人の命を何とも思っていない可憐な死神が、大きく鎌を振り上げているようで。自分はここで死ぬのだと、強盗は直感した。

 

「た、助け……」

「駄目よ」

 

 強盗は、完全にナッツに意識を飲まれていた。銃を持つ手もがたがたと震えて、狙いを定められないでいる。悟飯は彼が殺される前に、多少怪我をさせてでも割って入ろうと決意するも、距離があり、動き出すには既に手遅れだった。

 

 そして少女が手に力を込めようとした、その瞬間だった。

 

 

 

「この、ろくでなしのあんぽんたんの人でなしが!」

 

 

 

 突如飛び込んできた長身の男が、強盗の手から銃を蹴り飛ばし、一瞬で少女を確保した。男はそのまま流れるような動きで、強盗の全身に無数の打撃を叩き込む。その場の大多数の人間には、目に追えないほどの素早い連撃だった。

 

「貴様のようなどうしようもない奴は、消えてなくなれぃ!」

 

 そして叫びと共に放たれた渾身の回し蹴りが、爽快な音と共に炸裂した。激しく吹き飛ばされた強盗の身体が、幾度もバウンドしながら地面に倒れる。男が乱入してから、わずか数秒の出来事だった。

 

「か、確保!」

 

 我に返った警官隊が即座に殺到し、気絶した強盗に手錠を掛ける。事件の解決に安堵した市民達は、助けた少女を地面に下ろす男を見て、ざわざわと騒ぎ出す。

 

 

「誰だあれ? 物凄い強さだ……」

「格好良い……!」

「テレビで見た事あるぞ! この町の出身で、最近売り出し中の格闘家の!」

 

 

「確か……ミスターサタン!」

 

 

 沸き上がる大歓声に、軽く手を振って応えてから、サタンは警官隊に頭を下げる。

 

「警察の邪魔をしてしまって申し訳ない! 私にも同じくらいの歳の娘がいるもので、奴が隙を見せたものだから、つい我慢できなかったんだ」

「いえ! あのままでは人質の子が怪我をしていたかも……ご協力に感謝します!」

 

 敬礼する警官隊。

 

 一方ナッツは不機嫌極まりない顔で、落ちたクレープを拾い上げる。土埃で汚れたそれは、もう食べられそうになかった。  

 

 今からでも殺すべきかと、連行されていく強盗を冷たい目で睨みつける。その様子を見ていたサタンは、明るい声で言った。

 

「可哀想に……よし! おじさんが新しいのを買ってあげよう!」

「本当!?」

 

 数秒前までの殺伐さが嘘のように、少女は顔を輝かせる。もう半分以上食べていたのに、新しいのがもらえるなんて。これはむしろ、得をしたのではないだろうか。

 

「おじさん、ありがとう!」

 

 そしてちゃっかり前と違うクレープを選んで、美味しそうに食べ始める少女。

 

「あ、ありがとうございます、サタンさん」

 

 悟飯は礼を言いながらも、浮かない顔をしていた。あんな風に、格好良く割って入って、彼女を助けられたら良かったのに。

 

 項垂れる彼の肩に、腰を落として目線を合わせたサタンが手を置き、悟飯を正面から見据えて、力強く言った。

 

「気にするな少年。今はまだ、子供だから仕方ない。だが男ならいつか強くなって、その子を守ってやるんだぞ!」

 

 その言葉は、気落ちしていた少年の胸に染み込んでいくようで。

 

「は、はい!」

「良く言った! 君にもおじさんからサービスだ!」 

 

 がっはっは、と豪快に笑って、悟飯をお店のカウンターに連れて行くサタン。

 

(後でまた悟飯のも、分けてもらおうかしら……)

 

 笑顔で新しいクレープを食べながら、そんな事を考えていたナッツは、黒髪と青い瞳を持つ、彼女と同じくらいの年頃の地球人の少女が、彼らの方を見ている事に気付いた。

 

「もう、パパったら危ない真似をするんだから……相手は銃を持っていたのに、撃たれちゃったらどうするのよ」

 

 言葉と裏腹に、彼女は父親の背中を、きらきらした尊敬の眼差しで見つめていた。そこで彼女は、ナッツに気付いて話し掛ける。

 

「あなた、パパに助けられた子ね。大丈夫だった?」

「うん。あの人、良いお父様ね」

「そうでしょう? 私のパパは世界で一番強いんだから」

 

 得意そうに胸を張る少女の前で、ナッツは複雑な顔になってしまう。間近で動きを見たのもあって、少女は彼女の父親の戦闘力を、ほぼ正確に把握できていた。

 

(百歩譲って、クリリン達は例外にしてあげるとしても……ナム選手には何とか勝てるかもしれないけど、少なくとも、あの人がジャッキー・チュン選手に勝つのは無理よね……)

 

 だが父親の強さを信じている娘に、それを指摘するのは気が引けたから。妥協して、事実だけを口にする事にした。

 

「じゃあ、私の父様は宇宙一強いわ」

 

 毎日重力室で訓練して、今も戦闘力を伸ばしているし、ナメック星では超サイヤ人になり掛けていたのだから、すぐに変身できるようになるはずだ。尻尾だってそのうち生えてくるだろうし、そうすれば下級戦士のカカロットなんて目じゃないだろう。

 

 ナッツの言葉を冗談だと思ったのか、地球人の少女はくすりと笑う。

 

「面白い子ね。私はビーデルって言うのよ」

「ナッツよ」

 

 およそ12年後、成長した彼女達は、サタンシティと改名されたこの町で再会する事になるのだが、それはまだ、当分先の話になる。




 いい加減そろそろ原作に戻らないとだけど、まだまだ書いておきたい展開が多い……。
→じゃあダレないよう更新ペース上げようか。

 そういう事になりました。まあまたいつどうなるか分からないのですが、筆が乗ってるうちにできるだけ書いておきたいと思います。

 ちなみに大体あと3回くらいで地球の話を終えて、フリーザ様達の話をちょっとやってからセル編に入る予定です。


 それと感想、評価、お気に入り等ありがとうございます。前回の更新で久しぶりに高評価もらえてうれしかったです。続きを書く励みになっております!

 あと誤字報告もありがとうございます。毎回報告を見る度に「え、何なのこの凄いミス……」って驚きつつも感謝しております。


 次の更新はいつになるか自分でもまだ未定なのですが、念のため気長にお待ちくださいませ。
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