あるサイヤ人の少女の物語   作:黒木氏

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4.彼女の弟が、姉と交流する話

「では悟空さん。行きましょうか」

「おめえ大丈夫なのか……?」

 

 結局ベジータに捕まってボコられながらも、それでも何故か晴れ晴れとした笑顔のトランクスに、悟空もちょっと引いていた。

 

 そして少年を見上げるナッツが、申し訳なさそうに言った。

 

「父様が殴っちゃってごめんなさい。けど本当に、カカロットとしか話せないのね……」

「す、すみません……」

 

 罪悪感に襲われたトランクスは、ケースから取り出したカプセルを投げる。現れたのは、珍しいデザインの小型冷蔵庫だった。

 

「良かったら話してる間、飲み物でも飲んでいて下さい。皆さんもどうぞ」

 

 言いながら、少年は10本以上のドリンクの中から、迷いなく1本を確保して、少女に差し出した。

 

「はい、どうぞ」

「ありがとう!」

 

 大好きなオレンジジュースを渡されて、ぱたぱたと嬉しそうに尻尾を振るナッツ。

 

(あれ? この人、どうして私の好みを知ってるのかしら?)

 

 それはちょっと、不思議だったけど。何となく、口に出したらまたこの人が殴られそうな気がしたので、何かの偶然だと思う事にした。

 

 そうして周囲の皆も飲み物を取りに来て。少女と悟飯が並んでジュースを飲んでいる横で、好奇心を抑え切れない様子のブルマが、目の前の機械をまじまじと見つめていた。

 

「うちの製品で、こんな冷蔵庫あったっけ……?」

 

(し、しまった! また若い母さんが……!)

 

 トランクスが内心冷や汗を流していると、その様子に気付いたブルマが、苦笑しながら冷蔵庫から離れる。

 

「ごめんなさいね。ナッツちゃんに止められてたのに。見慣れない構造だったから、つい気になっちゃって」

「い、いえ。すみません。本音を言えば、好きなだけ見せて差し上げたいのですけど」

「いいのよ。何か事情があるんでしょう? その上着のマークも気になるけど、細かいことは、気にしない事にするわ」

「あ、あはは……」

 

 いたずらっぽく笑ったブルマに、カプセルコーポレーションのロゴを指差されて、トランクスは乾いた笑い声を上げる事しかできなかった。

 

(頭の回る母さんに、要らないヒントを与えてしまった……この服で無ければ何でも良かったのに……!)

 

 大事な過去への旅路という事で、つい一番お気に入りの、母の会社の社章の入った上着を選んでしまった。元々は悟空さんとだけ話して、すぐに帰るつもりだったから、警戒心が薄れていたのかもしれない。

 

 とにかく、これ以上下手な事をして、未来を変えるわけにはいかない。トランクスは冷蔵庫をカプセルに戻して回収しながら言った。

 

「お待たせしました、悟空さん。行きましょう」

「おう、もういいのか?」

 

 何気なく、悟空は問い掛ける。彼の目から見て、ナッツの写真を撮ったり、ベジータに追い掛けられたりしていた少年の姿は、とても楽しそうに見えていたのだ。

 

「ええ、いいんです……」

「そっか」

 

 彼の様子に、何かしらの事情を察して頷く悟空。そして皆に会話が聞こえないよう、十分に離れたところで、トランクスは悟空に全てを説明する。

 

 自分は20年後の未来から、ブルマの作ったタイムマシンでやってきたこと。3年後の5月12日、南の都の南西9km地点の島に、この世のものとは思えないほど恐ろしい力を持った、2人組の人造人間が現れること。レッドリボン軍の生き残りであるドクター・ゲロが、悟空への復讐のために作り上げた2体によって、地球の戦士は悟飯とナッツを除き、皆殺されてしまったこと。その頃には既に、悟空はウイルス性の心臓病で死んでしまっており、人造人間とは戦っていないこと。面白半分に人を殺し続ける人造人間によって、未来は地獄のような有様で、悟飯とナッツも、3年前に殺されてしまったこと。そして彼が、今から2年半後に生まれる、ベジータとブルマの息子であること。

 

 情報量の多さに目を白黒させていた悟空が、最後の言葉を聞いて目を剥いた。

 

「べ、ベジータの奴、ブルマと再婚したのか……? 確かに一緒に暮らしてるし、ブルマもナッツを可愛がってたけどよ……」

「その、二人で姉さんを可愛がっているうちに、父さんの事をいいなって思い始めたらしくて。それで、父さんが前の奥様を亡くされてから、ずっと寂しい思いをにしていた事に気付いて、もう放っておけなくなったとか……」

 

 恥ずかしそうに、両親の馴れ初めを口にするトランクス。

 

「あの、この事は特に絶対に秘密にして下さいね? 父さんと母さんが気まずくなったりしたら、オレの存在自体が消えてしまうかもしれないので……」

「わかったわかった」

 

 そこで悟空は、何かに気付いたように言った。

 

「悟飯とナッツが17年後まで生きてたって事は、やっぱり結婚とかしてたのか?」

「はい。世界中が滅茶苦茶な状態でしたし、式に出席したのもオレと母さんと、チチさんと牛魔王さんくらいで、本当に小さな規模でしたけど」

 

 今にも崩れ落ちそうな教会で、奇跡的に残っていた、純白のドレスを身に纏った姉が、タキシード姿の片腕の悟飯に抱えられて、バージンロードを歩んでいく。二人が最も幸せそうな顔をしていたこの日の事を、彼はきっと、一生忘れない。

 

「本当に、とても、幸せそうにしていました」

「そっか。オラもそれ見てえんだけど、その前に心臓病で死んじまうんだよな……。人造人間とも結局戦えねえみたいだし……悔しいな」

 

 悟空が何気なく呟いた言葉に、少年は驚愕する。人造人間にやられて、歩く事すらできない身体になった姉も、戦えない事を悔しがっていた。父親を殺した人造人間に復讐をしたいという気持ちは、今の彼にも、痛いほどに理解できたけど。

 

 姉はそれだけではなく、悟飯さんともまた戦いたいと、時折悔しそうに言っていたのだ。

 

「た、戦えない事が、悔しいのですか?」

「あのフリーザ達をあっさり倒したおめえでも敵わねえくらい、凄え奴らなんだろ? そりゃもちろん、オラもいっぺん戦ってみてえよ」

 

 あっさりと言い放った悟空に、トランクスは、未来の姉の言葉を思い出す。

 

 

『私達サイヤ人は、戦う事が何より好きな戦闘民族なのよ』

 

 

 戦えなくなった姉が、それでも教えてくれた、サイヤ人としての在り方。それを体現する存在が、目の前にいた。

 

「……悟空さん。やはりあなたは、本物のサイヤ人の戦士だ」

「そ、そっかな?」

 

 兄からもベジータからもナッツからも、その優しさから、サイヤ人らしくないと言われ続けてきた悟空は、生まれて初めての賞賛に、少し照れてしまう。サイヤ人である両親も、同じ事を思ってくれているだろうかと思った。

 

 少年は錠剤の入った小瓶を、彼に差し出して言った。

 

「これを受け取って下さい。あなたが罹る予定の、心臓病の治療薬です。この時代では不治の病ですが、未来には薬があるんです」

「さ、サンキュー! これで死なずにすむのか! ありがとな!」

「本当は、こんな事は良くないんです。勝手に過去を変える事は、銀河法でも禁止されているらしくて。ですが、あんな歴史なら……」

 

 ほとんどの人間が殺されてしまった、地獄のような未来。彼の生きてきた歴史を思い出して、トランクスは頭を振る。これからその未来に、帰らなければならない。

 

「用事も済みましたし、オレはもう帰ります」

「おめえの姉ちゃん達と、もうちょっと話していかねえのか?」

「……ええ、名残惜しいですが。必要以上に、歴史に干渉したくないんです。本当なら、あなたとだけこっそり接触する予定だったくらいで。これ以上はもう……」

「わかった。ナッツ達には、オラから言っておく」

 

 

 そして飛び立ったトランクスの姿を、悟空が見送っていると、慌てた様子でナッツが駆け寄ってきた。

 

「カカロット! あの人、もう帰っちゃうの……?」

「あ、ああ。用事があるって話だった。おめえらによろしくって言ってたぞ」

 

 悟空はどこか挙動不審だったが、一人飛んでいく彼の姿を見上げる少女は、それを気にするどころではなかった。

 

 どうしてか、あの人の事を放っておけないという気持ちが、心の中で渦巻いていた。助けてくれた恩人だからでもなく、同じサイヤ人だからでもなく、彼女自身にも、理由ははっきり分からないけれど。 

 

「……待って!」

「あっ、おい!?」

 

 制止する悟空を振り払って、超サイヤ人と化したナッツは、全速力で少年を追った。

 

 

 

 高速で近づいてくる姉の気を感じ取ったトランクスが、驚き振り向いた時、彼女は既に目の前にいた。

 

「な、ナッツさん!? どうして!?」

「ごめんなさい。用事があるって、カカロットから聞いたんだけど……」

 

 改めて彼を間近で見たナッツは、その表情の陰に、暗いものが潜んでいる事に気付く。名前も言えないというこの人は、きっと物凄く、つらく悲しい事を経験して来たのだと思った。かつての自分と同じように。

 

 そんな彼を元気づけるように、少女は努めて明るい顔で言った。

 

「ねえ、もし良かったら、ちょっとだけ、うちに遊びに来ない? ブルマと一緒に、おいしい料理をいっぱいご馳走してあげるから! それに空いてる部屋もたくさんあるから、あなたさえ良ければ、泊めてもらえるよう頼んであげる!」

「っ!?」

 

 それは少年にとって、抗いがたい誘惑だった。優しい両親や、二度と会えないと思っていた姉と一緒に、食卓を囲む。しかもこの時代では、まだ人造人間共が出現していないから、姉さんも母さんも、きっと幸せそうに笑っているのだ。

 

 頷いてしまえ。頷かなければ、きっと一生後悔すると、冷静な自分が呼びかける。ほんの数日くらい滞在しても、何ということはない。この時代でどれだけ過ごそうと、タイムマシンなら、出発した5分後に戻る事も可能なのだから。

 

 いや、それならば。3年後の戦いまで、この時代に滞在して、父さん達と一緒に、修業していてもいいのではないか。元々一旦未来に戻って、母さんに事の次第を報告した後、再び過去に戻って、人造人間共との戦いに、参加するつもりでいたけれど。

 

 一度未来に戻れば、タイムマシンに往復分のエネルギーを溜めるために、かなりの時間が掛かってしまう。その間に、人造人間共が自分を殺すなり、タイムマシンを壊すなどして、二度とこの時代に来られなくなる可能性は、決してゼロではない。

 

 母の望みは、人造人間共のいない歴史を作る事と、そしてあわよくば、その弱点を探って、未来にいる人造人間共を排除する事だ。それなら、むしろ自分が3年後までこの時代に残る方が、合理的と言えるのではないか。

 

(だけどそんな事をして! オレの素性が父さん達にバレてしまったら……!)

 

 たった1時間にも満たない交流ですら、かなり危ない所だったのだ。この時代に滞在すれば、下手をすれば今日にでもバレてしまいかねない。そんな事になったら、生まれてくるはずのオレ自身が。

 

 だが、過去でドクター・ゲロを殺したところで、未来の人造人間が消えるわけではないと、母さんが言っていたのだ。だからこそ、悟空さんに情報と薬を渡すという、迂遠な方法で歴史に干渉しようとした。

 

 その事を思えば、たとえこの時代で自分が生まれなくても、今ここにいる自分が消える可能性は、著しく低いと、トランクスは気付いてしまう。

 

 そして、さらに一歩、母親譲りの明晰な頭脳は、踏み込んだ思考を行ってしまう。

 

 

 

 今この時点で、ドクター・ゲロを倒してしまえば、人造人間が現れる事は無く、自分はこの平和な世界で一生を過ごせる。この時代の姉さんと、父さんと、母さんと、悟飯さんと一緒に。

 

 

 

 そこまで考えたところで、トランクスは、激しい自己嫌悪に襲われてしまう。それは地獄のような未来で、たった一人で彼の帰りを待つ母に対する、許されない裏切り行為だ。

 

「……ねえ、大丈夫? やっぱり迷惑だった?」

 

 幼い姉が、心配そうに自分を見上げている。未来の姉を思わせるその顔を見て、彼は決意を固める。姉さんの前で、母さんを裏切るような真似は、絶対にできなかったから。

 

「……お気持ちはとても嬉しいのですが、母が帰りを待っているので、あまり長居はできないんです……」

 

 トランクスは、身を切られるような思いで返答する。今この瞬間、自ら手放したものの大きさを、必死で考えまいとする。

 

「そう。お母様が……それじゃあ仕方無いわね」

 

 そこでナッツは、にっこり笑って言った。

 

「知ってるかもしれないけど、私は西の都の、カプセルコーポレーションに住んでいるわ。もし何か困った事があったら、いつでも私に連絡してね」

 

 その瞬間、輝くような幼い少女の笑顔が、不意に未来の姉と重なった。

 

『トランクス、困ったことがあったら、いつでも私に言うのよ?』

 

「あ……あ……」

 

 震えるトランクスの両目から、涙がぼろぼろと溢れ出す。

 

 儚げな大人の姉と、目の前の幼い少女とは、一見何もかもが違っていたけれど、それでも、確かに彼女は、自分の姉になる人なのだ。

 

 再び会えた喜びと、別れたくない気持ちがない交ぜになって、堪えきれずに、言葉が口をついてしまう。

 

 

 

 

「姉さん……」

 

 

 

 

「えっ……?」

 

 ナッツの瞳が、大きく見開かれた。

 

 

 

「もしかして……あなた……」

「!? こ、これは、その……!?」

 

 姉の前での失言に、これ以上なくトランクスは焦ってしまい、ごしごしと涙を乱暴に拭う。

 

(ね、姉さんなら、頼めばきっと黙っていてくれるはずだ……けどそれで、母さん達を見る目が変わってしまったりしたら、あの父さんなら気付いてしまうかも……?)

 

 そんな彼の心配とは裏腹に、少女が悟ったのは、全く別の事だった。

 

「そうだったの。あなた、お姉さんがいたのね……」

「は、はい……」

 

 その姉に何があったのかは、聞くまでもなく、ナッツには理解できた。

 

 私を姉さんと呼んだ時の彼は、母様を失った時の父様と、そしてきっと私とも、同じ顔をしていた。私の言葉か何かがきっかけになって、死んでしまったお姉さんの事を、思い出してしまったのだろう。

 

 私は地獄でまた母様に会えたけど。この人は今も、悲しい気持ちを抱えているのだ。

 

 可哀想で、何とかしてあげたいと思ったから、少女は浮かぶ高さを上げて、少年の頭を、両腕で優しく包み込む。

 

「な、ナッツさん!?」

 

 狼狽するトランクスの顔に触れんばかりの距離で、ナッツは慈愛に満ちた笑みを浮かべて言った。

 

 

 

「泣かないで。あなたのお姉さんは、きっと弟のあなたに、元気でいて欲しいと思っているはずだわ」

 

 

 

 姉の声で語られる言葉と、優しく彼を抱く両腕から伝わってくる温かさに、トランクスは何もかも忘れて、目の前の姉の身体を強く抱き締める。

 

「姉さん……! 姉さん……!」

 

 号泣する彼の背中と頭を、ナッツは優しく撫で続けた。

 

 今だけは、この人のお姉さん代わりになってあげようと思った。




主人公、実は潜在的に相当の姉キャラなのです。

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