300倍の重力室の完成から、およそ1年半が経過したある日の真夜中。
カプセルコーポレーションの、ナッツ達が暮らす部屋。大きなベッドの上で眠っていた9歳の少女が、ふと目を覚ますと、一緒に寝ていたはずの父親が、いなくなっている事に気付いた。
「父様……?」
眠い目をこすりつつ、意識を集中すると、すぐ近く、中庭の方に父親の気配を見つけて、少女はほっと胸を撫で下ろす。そして同時に、少し悲しくなってしまう。
母親が死んでしまって以来、彼女の父親は、時折夜中に、こうして1人で出ていくようになった。ナッツもまた、同じ気持ちだったから、父親の気持ちはよく解った。
(母様がいないのを、父様は寂しがっているんだわ。私の前では泣けないから……)
だから自分が、慰めに行くわけにはいかない。地獄で母様と再会してから、しばらくは治まっていたけれど、寂しい気持ちが、完全に消えてしまう事は無い。暗い夜中に、こうして1人でいると、自分の気持ちまで沈んでしまいそうで。
ナッツはぶんぶんと頭を振って、柔らかいベッドに横たわって目を閉じる。すぐには眠れそうになかったから、楽しい事を考えようと思った。ちょうど今日は、悟飯の家に遊びに行ったばかりだった。
9時間ほど前、同じ日の昼下がり。
今日の分の訓練を終えたナッツは、悟飯の家に遊びに来ていた。ブルマの選んだ、仕立ての良い子供服を着た少女が、少年と共に上機嫌な様子で見ていたのは、彼の幼少期のアルバムだった。
「赤ちゃんの頃の悟飯、凄くちっちゃくて可愛いわ!」
「そ、そうかな……」
照れ笑いする悟飯と一緒に、ナッツは部屋の本棚で見つけたアルバムのページをめくっていく。幼い頃の少年を中心に、彼の両親も写っている写真の数々は、皆幸せそうに笑っているもので。見ている少女の方まで、嬉しくなってしまう。
「あっ……!」
後半の写真の中に、悟飯と共に写っている自分の姿を見つけて、ナッツは驚きの声を上げる。二人で勉強をしている写真や、家の外で空を飛んで、追い掛けっこをしている時の写真。そういえば、チチさんに撮られていたような覚えがある。
自分が彼と親しく過ごしていた時間を、改めて目の当たりにして、少女は喜びを隠せない様子で、少し頬を赤らめながら呟いた。
「もう、こんな風に残るんだったら、きちんとした王族用の戦闘服を着ておけば良かったわ……」
「またいつでも、撮ればいいよ」
「……うん、そうよね」
そうしているうちに、アルバムを最後まで見終わったナッツは、にこにこと笑いながら、幼馴染の少年に言った。
「とっても良かったわ、悟飯。せっかくだから、私のも見せてあげる!」
少女は持ち歩いていた子供用のポシェットを開けて、中から緑色のスカウターを取り出した。ラディッツやナッパやフリーザ達といった、悪い人が着ける機械というイメージを持っていた悟飯は、思わず顔を引きつらせる。
「父様が撮った写真を、厳選して送ってくれてるのよ」
「何で持ち歩いてるの……?」
「通信機能もあるから、いざという時のために持っておけって、父様に言われてるの」
ナッツがスカウターを装着して操作すると、部屋の壁に映像が投影された。地球では見た事もない技術に、ぽかんと口を開ける悟飯。
「す、凄い……」
「便利でしょう? 偵察してきた敵の姿や場所の様子を、こうして人に見せる事ができるの」
驚く彼の様子を見て、ナッツは微笑みながら、壁に映った画像を指し示す。それは彼女によく似た長い髪の儚げな女性が、生まれたばかりの赤ん坊を抱き締めている姿だった。
「この人が、私の母様よ」
誇らしげに、嬉しそうに彼女は言った。とても綺麗な人、というのが悟飯の第一印象だったけど、それにも増して、自らの娘に向ける慈愛に満ちた眼差しと、喜びのあまり涙すら流しているその表情に、少年は胸を打たれてしまう。
ナッツが無事に生まれた事を、彼女が全身全霊で喜んで、祝福している事は、画像からでも明らかだった。
「……うん。とっても、良いお母さんだったんだね」
「ええ、もちろんそうだったわ」
投影された画像を、眩しいものを見るように見つめながら、少女は穏やかな笑みを浮かべていた。そうして見比べると、ナッツの顔立ちには、母親の面影が色濃く残っていた。
悟飯が彼女の整った横顔を、まじまじと眺めていると、それに気付いた少女が、一瞬不思議そうな顔になった後、何かに気付いた様子で、スカウターを外しながら言った。
「悟飯もこれに興味があるのね。せっかくだから、あなたにも使わせてあげる」
「う、うん。ありがとう……」
違うとも言えず、また少し興味があるのも確かだったので、彼はスカウターを受け取って、教えられるまま左耳に装着する。直前まで彼女が着けていた機械が、まだわずかに残す温かさに、悟飯は気恥ずかしくて、胸がどきどきして。
そしてふと気付くと、ナッツが至近距離から、熱っぽい瞳で、彼の顔をじっと見つめていた。
「ど、どうしたの、ナッツ!?」
「……やっぱりあなた、スカウターがとても良く似合ってるわ、悟飯。今のあなた、まるで純血のサイヤ人みたいよ」
少女はさらに身を乗り出して、何かのスイッチが入ったかのように、表情を一変させ、冷酷なサイヤ人の顔で、口元を歪めて笑う。久しぶりに見る彼女の一面と、単純に距離が近い事に、悟飯は顔が熱くなるのを感じていた。
「ねえ、戦闘服、まだ持ってるんでしょう? 私も着替えてくるから、これからどこか、近くの星に行って、二人で遊びましょうよ?」
自分を誘おうとする、その表情にぞくりとするものを感じながら、少年はきっぱりと言い放つ。
「誰も殺さない遊びだったら、いいよ」
「……いじわる」
悟飯の意思が固い事を見て取って、がっかりしたナッツは肩を落とす。まあ、流石に本気で頷いてくれるとは、最初から思っていなかったけど。
「意地悪じゃないよ。そんな事して、銀河パトロールにバレたらまずいんでしょ?」
銀河パトロールに指名手配されれば、提携している全ての星において、犯罪者として扱われてしまう。辺境の惑星である地球はまだ、提携どころか宇宙人の存在すらろくに知られていないが、パトロール隊員は定期的に訪れており、いつ提携してもおかしくない状況だ。
そして地球で犯罪者として扱われてしまえば、警察や軍隊は脅威ではないが、今のような生活はできなくなってしまうし、住まわせてもらっている、ブルマ達に迷惑が掛かってしまう。
少女は小さく息をついてから、気を取り直したように、にっこりと笑って言った。
「まあ、仕方ないわね。弱い人間をいくら殺しても、戦闘力が上がるわけじゃないし、少しは我慢しないと」
「ナッツ……」
3年以上にも渡る、平和で穏やかな地球での暮らしを経て、ほんの少しだけ丸くなった少女の言動に、じーんと悟飯は感動を覚える。感動のハードルが低いような気もするが、これでも地球を滅ぼそうとしていた頃に比べれば、大きな進歩なのだ。
「この分は、また賞金首でも殺して我慢する事にするわ。そっちはどうかしら、悟飯?」
「遠慮しておくよ……」
直後に笑顔で放たれた物騒な言葉に、少年は頭が痛そうな顔で応えた。ナッツがたまにそういう事をしていることに、抵抗はあるけれど、別に犯罪ではなく、どちらかと言えば善行に分類される行為だし、下手に止めた場合、その反動がどういう形で噴出するのか分かったものではない。
もっとも、彼の心の奥底では、こういった自分には無いサイヤ人としての側面も含めて、彼女の事を好ましいと思っているのだけど、そうした複雑な感情に、悟飯自身もまだ気付いていない。
さておき、ナッツからスカウターの操作方法を習った悟飯は、楽な姿勢で座りながら、保存されている画像を、次々に壁に投影していく。
幼いナッツが、子猫のように、母親の尻尾にじゃれている姿。自分の娘を抱き上げながら、デレデレと笑う父親の姿。ナッパの頭にしがみついて、楽しそうにはしゃいでいる姿。床に座って首を傾げている少女と、彼女にスカウターを向けたラディッツが、額から汗を流している姿。
厳選したという割には、かなりの枚数の画像が、悟飯の操作で次々に投影されていき、一緒にそれらを見ながら、ナッツは隣に座る少年に、嬉しそうな顔で解説を入れていく。
両親や周囲の愛情に満たされて、画面の中の少女はすくすくと成長していく。立って歩けるようになった頃から間もなく、彼女が戦闘服を着て、戦場にいる画像が混ざり始める。
今よりも幼い姿のナッツが、無邪気な笑顔で赤いエネルギー波を撃っている様子は、外見だけなら非常に可愛らしいものだったが、全身にちらほらと返り血を浴びており、どう考えても人が死んでいる。
悟飯はその辺りの事情をあまり深く考えないようにしながら、少女の姿のみに注目していたが、不意に彼女が変身したと思しき大猿が、炎に包まれた街中で、満月に向かって吼えている画像に行き当たった。
(ちょ……っ!?)
それまでの可愛らしい様子とは、まるで正反対の姿を不意に目の当たりにして、思わず硬直してしまう悟飯。反射的に、隣に座るナッツの事が気になったが、普段の彼女の言動からして、全く問題無いとすぐに気付く。
(普通の女の子なら、こんな姿を見られるのは嫌だろうけど、まあナッツだし。むしろ喜んで、強さとかを自慢してくるんじゃないかな)
そんな事を考えていた少年が、ちらりと隣を見て驚愕する。壁に映る大猿の姿を目の当たりにしたナッツは、まるで年頃の女の子のように、顔を赤らめ、ふるふると羞恥に身を震わせていた。
「や、やだ……父様、何でこんな写真を……」
「どうしたのナッツ!? どこか悪いの!?」
あまりにも彼女らしからぬ言動に、思わず失礼な事を叫んでしまう悟飯。
彼にとっては幸運な事に、そんな少年の言葉も耳に入らない様子で、少女は呟いた。
「この時の私、完全に理性を無くしちゃってる……凄く恥ずかしいわ」
「恥ずかしがる所そこなんだ!?」
「だって私は王族で、エリート戦士なのよ? これじゃあまるで、下級戦士じゃない……」
この頃は、まだ本格的に訓練してなかったの、と、しゅんとしながら口にするナッツの姿を可愛いと思いつつ、悟飯は引き続き、次の画像に目をやり始める。
そしてある時期を境に、彼女の母親の姿が見られなくなって、朗らかだったナッツの表情が、暗く冷たいものへと変化していていた。それまで見られていた、周囲の人間との交流は一切消え、ただ戦場で戦う画像ばかりが、延々と続くようになっていた。
その光景に胸を締め付けられた少年は、泣きそうな顔で目を伏せる。当時を思い出したナッツもまた、悲しそうな顔をしていたが、隣に座る彼の様子を見た少女は、そっと身を寄せて、肩と肩とを触れ合わせて、優しい声で言った。
「大丈夫よ、悟飯。ありがとう」
「……ナッツ?」
「この頃は確かに、とても苦しかったけど、こうして戦闘力を高めてなければ、どこかで死んでいたかもしれなかったもの。だからこれも、私の人生の一部なの」
少年が顔を上げると、そこには彼を見つめて、とても満たされた表情で微笑むナッツの姿があった。
「地獄で母様にも会えたし、地球はとても良い星で、あなたとも友達になれたし。私は今、とっても幸せなのよ、悟飯」
少女は彼の左耳のスカウターに手を回して、辛かった時期の画像を一気に飛ばして、目的の一枚を見つけ出す。それは彼女が、胸に手を当てポーズを取り、呆然とする少年の前で、堂々と名乗っている姿だった。
「ほら、覚えてる? 私とあなたが、初めて出会った日の写真よ」
「……うん、覚えてる。あの時は、君の事を怖い子だって思ってた」
「それは私も同じよ。あなたに殺される一歩手前だったんですもの。あの時は、本当に楽しかったわ」
左肩に手をやって、嬉しそうな顔をしているナッツの姿に、悟飯は何も言えなくなって、ただ曖昧に頷いていた。年齢に似合わず聡明な少年は、彼女が彼に望んでいる事を完全に理解していたけれど、それをするには、今の彼は優し過ぎたから。
数年後、成長したナッツが再び同じ画像を見せられて、羞恥のあまり絶叫する事になるのだが、それはまた別の話だった。
回想シーンが長くなったので一旦切ります。
一応これは前振りで、次の話でブルマとか出て話が動く予定です。
それと前回は、たくさんの高評価とお気に入り、感想等ありがとうございます。少し前までは更新してもお気に入りの伸びが緩やかな感じでして、「このペースだと、セル編終わるまでに1500行けてれば良いかなあ」と思ってたのが、あっという間に1400目前でとても嬉しく思っております。もし今回も読んで面白いと思っていただけましたら、是非とも評価の方を、よろしくお願い致します。