時間は少し遡る。
窓から差し込む月明かりの下、ブルマの腕に抱かれたナッツは、真剣な顔でこう言った。
「父様の事も、助けてあげて」
その言葉の意味を理解するにつれて、ブルマの顔は、月明かりの下でも分かるほどに紅潮していった。
(助けてあげて、って、もしかしなくてもそういう事?)
少女の父親の端正な顔が脳裏に浮かび、彼女は首から上が熱くなって、心臓がばくばくと鳴り始めるのを感じていた。
いやいやいや、とブルマは内心首を振る。どこか大人びているとはいえ、この子はまだ9歳なのだ。別にそんな、深い意味があっての発言ではないだろう。言葉どおり、寂しがっている父親を、元気づけて欲しいという意味に違いない。うん、きっとそうだ。
現実逃避めいた彼女の思考を他所に、ナッツは真剣な顔のまま続ける。
「母様は地獄で会った時、いつか私に、弟か妹ができるかもしれないって言ってたわ」
いきなりベッドに倒れたブルマを見たナッツが、慌てて彼女を助け起こす。母親が病気の発作で苦しむのを、幾度となく見てきた少女の表情は悲壮なもので。
「ブルマ、大丈夫!? どこか悪いの!?」
「だ、大丈夫よ、ナッツちゃん……」
安心させるように言って、よろよろと身を起こしながら、ブルマは考える。ナッツのお母さんが、そんな事を。あの人の死因は寿命だから、ドラゴンボールでも生き返れないと聞いている。そして娘とその父親の事を、深く愛していたとも。
そして夜中に独り部屋を出ていったベジータが、外で何をしているかは、薄々察しがついていた。日常生活の中、あいつはふとした拍子に、一瞬寂しそうな顔を見せる事があった。本人は隠しているつもりだろうけど、3年も一緒に暮らしていれば、嫌でも理解できる。
ベジータは、亡くなってしまった奥さんの事を今でも愛していて、彼女がいない事を悲しんでいるのだ。そんな彼の事を、助けて欲しいというのは、つまり。
「つ、つまり……あなたのお父さんと、私が?」
「……うん。ブルマなら、父様とそうなっても良いって思ったの。きっと母様は、父様が寂しい思いをするのを心配していたんだわ。父様は私の事も愛してくれてるけど、私は子供だから、母様の代わりに支えてあげる事はできないの」
悲しそうに俯くナッツの言葉に、ブルマは胸を打たれてしまう。こんな小さな子供が、こんなにも父親の事を想っている。彼女の両親が、娘に注いだ愛情と、その絆の深さを見せつけられるようで。
彼女はナッツと目を合わせて、優しく微笑みながら言った。
「あなたは、本当に良い子ね、ナッツ。あなたの両親も、きっとあなたの事を誇りに思っているはずよ」
「そ、そうかしら? ねえ。ブルマは父様の事、どう思ってるの?」
「そうね……」
ブルマは考える。ベジータの事は、正直憎からず思っていたけれど、奥さんの事があった。結婚願望なんてのも特にないし、曖昧なこのままの関係でずっと暮らしていくのも、悪くはないと思っていた。
けれど、ナッツの言葉からすると、奥さんとしては、再婚も別に構わないらしい。流石に全く気にしないという事はないだろうけど、それよりも彼が死んで地獄に落ちるまでの間、ずっと辛い思いをさせてしまうのが嫌なのだろう。
正直、その気持ちは判らないでもない。どうせ最後は自分のところに戻ってくるのだし、他の女と再婚したくらいで、彼が自分を愛さなくなるなんて有り得ないという、深い信頼があるのだろう。
けれどそれは、私にとっても同じ事だ。一度そういう関係になれば、私の事も、ずっと覚えていてくれるだろう。彼はそういう人間だ。冷酷なサイヤ人でもあるけれど、同時に、とても家族思いで情の深い人間だ。娘と一緒にいる彼の姿を見れば、それは明らかだった。
彼とナッツと、3人で本当の家族になれるのなら、どんなに良いだろうか。もし子供が生まれたら、きっと2人して思いっきり可愛がって、父親の方は写真を撮りまくるのだろうと考えると、何だかとても幸せな気分になって、無性にその未来が見たくなった。
そして沈黙しているブルマを見ているうちに、ナッツの方は不安になってきた。
(……やっぱりちょっと、性急だったかしら?)
「と、父様は宇宙一強くて格好良くて立派な人よ! それに宇宙最強の戦闘民族、サイヤ人の王族でもあるわ! それだけじゃなくて、私や母様にも本当に優しくて……!」
慌てて両手をあたふたと動かしながら、早口でアピールを始める少女を見て、ブルマはくすりと笑って言った。
「大丈夫よ、ナッツちゃん。あいつが良い奴だってのは、私もよく分かってるから」
「じゃ、じゃあ!」
「助けるなんておこがましいけど、ちょっとあなたのお父さんと、話をしに行ってくるわ」
その言葉に、ナッツはぱあっと顔を輝かせる。大人の女性であるブルマの姿が、とても頼もしく見えた。そう、ブルマは大人で、父様も大人なのだ。そんな二人が、これから会うという。少女は、にわかにそわそわした様子になって言った。
「わ、私、お風呂の準備してきた方がいいかしら?」
「お風呂? 何で?」
彼女の疑問に、ナッツは照れたような様子で答えた。
「男と女が一緒にお風呂に入ると、子供ができるって母様から聞いたわ」
いきなり後ろに倒れたブルマを見たナッツが、慌てて彼女を助け起こす。母親が病気の発作で苦しむのを、幾度となく見てきた少女の表情は悲壮なもので。
「ブルマ、大丈夫!? どこか痛いの!?」
「ナッツのお母さん!? 子供に何教えてるの!?」
がばっ、と跳ね起きたブルマが真っ赤な顔で絶叫する。それを聞いたナッツと、地獄にいる母親が、同時に不思議そうな顔で首を傾げる。
「だって大事な事でしょう? 何も知らなかったら私、悟飯に向かって『汗かいたから、一緒にシャワー入りましょう?』くらいは言ってたかもしれないもの」
想像しただけで、ナッツは顔が熱くなるのを感じた。きっとそんなの、とてつもなくはしたないと思われてしまうに違いない。悟飯は年下だけど頭が良いから、私と同じで、子供の作り方もきっと知っているだろうし。
「確かに、悟飯君の命の危機ね……」
聞かれただけでも、あの父親が殺しに掛かる事は疑いない。まあ、サイヤ人にとっては普通の教育なのだろうと自分を納得させつつも、ブルマは良い意味で、力が抜けるのを感じるのだった。
「と、父様……」
そうして十数分後、彼女はナッツと共に、中庭に佇むベジータの前に立っていた。お風呂の準備をしようとする少女に、それはいいから着いて来てと、必死に頼んだ結果だった。いくら何でも、いきなりそこまで話を進める気は無かったし、ナッツのあずかり知らぬ場で、この父親が再婚の話に頷くとは、とても思えなかったからだ。
娘の声に慌てた様子で振り返った彼は、彼女の目元が腫れている事に気付いて、顔色を変える。
「ナッツ、泣いていたのか!? すまない、寂しい思いをさせてしまった……」
「だ、大丈夫です、父様……」
すぐさま片膝をついて彼女を抱き締める父親に照れながらも、どこか嬉しそうな様子を見せるナッツ。そんな娘の頭を撫でながら、父親はブルマを見上げて言った。
「ナッツを連れてきてくれたのか。礼を言う」
「まったく。こんな小さい子を放っておくなんて」
腕を組んだ彼女は、中庭に置かれたベンチを示して言った。
「ちょっと座りなさい」
「いや、オレはナッツと部屋に……」
「いいから、座りなさい」
いつにないブルマの迫力に気圧されるように、彼はベンチに腰かけた。その隣にナッツが座り、さらにその隣にブルマが腰かけ、ナッツを間に、3人で座る形になる。細かい装飾が施された木製のベンチは、それでもまだ余裕があり、座り心地も良かった。
「飲みなさい。寒いでしょう?」
「あ、ああ……」
目の前に突き出された温かい缶コーヒーを、言われるがままに彼は受け取った。その際、彼の指先に触れたブルマは、呆れたように言った。
「ベジータ。あんた、いつからこんな所にいたのよ。すっかり冷え切ってるじゃない」
「! 父様、私の尻尾をどうぞ!」
娘はすかさず、尻尾を身体の前に回して、父親の手に巻き付ける。寒かったせいか、パジャマの下で腰に巻かれていた尻尾は、ブルマに手渡された缶コーヒーとも相まって、彼の身体に温もりを与えていた。
「ふふっ、父様の手、冷たいです」
言いながらも、にこにこと満面の笑顔を浮かべる娘の頭を、父親は優しく撫でながら呟いた。
「……助かる」
「……寒いんだから、もう少し厚着して来ればいいのに」
そしてブルマは会話のきっかけを探すように、ちらちらと彼の方を見る。
(と言っても、何を話せばいいのかしら……? こうして会話の場に着かせたのはいいけど、いきなり今後の事とか言い出しても引かれるでしょうし……)
間にナッツを挟んでいるが、二人の距離は近い。それに気付いて、今更ながら、彼女は気恥ずかしさを感じてしまい、思うように動けないでいた。
そしてそれは、ベジータの方も同様だった。つい先程まで、ブルマの事を考えていたと思ったら、当の本人が娘を連れて現れたのだ。内心穏やかな気分ではない。考えようによっては、今後の事を言い出すチャンスかと思われたが。
(向こうも何やら話があるようだし、いきなりそんな事を言い出して引かれたらどうする……? それにナッツの気持ちの問題もある……)
彼女と距離が近いせいか、どうしても意識して、緊張してしまう。彼はフリーザ軍の中でもトップクラスの戦闘員として、それなり以上にモテてはいたが、妻以外の女性と、親しく付き合った経験など無かった。
そして間に座るナッツは、二人がもじもじと沈黙しているのを見て愕然とする。
(二人ともこれじゃあ、話が進まないわ!? 何とかしないと!?)
少女は少しの間逡巡してから、意を決して言った。
「ね、ねえ……私の尻尾、ブルマも触ってみる?」
「なっ!?」
「? じゃあちょっとだけ……」
激しく驚愕するベジータの姿に困惑しながら、彼女は父親の手に巻かれたままの少女の尻尾に手を伸ばす。月の光を浴びて、つやつやと輝くその毛皮に触れたブルマは、彼女が持つ最高品質のコートにも劣らない、その手触りに感嘆する。
「凄く良い手触りじゃない、これ……」
「そうでしょう? 毎日しっかり手入れしてるのよ」
尻尾に触れるブルマと、くすぐったそうに笑っている娘の姿を、父親は信じられないものを見るような目で見ていた。サイヤ人にとって、尻尾は力と誇りの象徴であり、大切なそれを触らせるという事は、その人間に深く心を許している事を示していた。それこそ、家族同様に。
たとえ恋人同士であっても、尻尾は触らせないという関係もあるほどだというのに。安心しきった様子で尻尾を任せている娘とブルマとの間に、いったい何があったというのか。そして、娘がそれを自分に見せた意図は。
一つの可能性が脳裏に浮かぶ。彼はまさかと思いながら、ブルマの目を見て問い掛ける。
「ブルマ……お前はオレに、何の用があるんだ?」
「……ナッツちゃんから、あんたが、こんな所で一人でいた理由は聞いたわ」
彼女もまた、彼の目を見返しながら、そう応えた。
少し短いですが、とりあえず書けた分を。一応次の話でトランクスが生まれまして、次の次でようやく人造人間が来る予定です。
あと最近、感想が少なくて寂しいですので、良ければ何か書いて頂けると嬉しいです。評価、お気に入り等もありがたく受け付けております。
次回は少し遅くなるかもしれませんが、気長にお待ち下さいませ。