尻尾の痛みが薄まり、少女が動けるようになるまでには、かなりの時間を要した。
「痛た……あいつ、覚えてなさいよ……」
ようやく回復したナッツは、汗を拭いながら身を起こし、膝立ちの姿勢で荒い息を整える。
尻尾を触って確認し、損傷が無い事に安堵しながら腰に巻き付け、立ち上がる。
そうすると、悟飯の事が気になった。
「……別に死んでてもいいんだけど、もしまだ生きてたら助けてくれるよう、父様に
頼み込んであげようかしら」
独り言を呟きながら、スカウターを操作するナッツ。
悟飯の反応を見つけ、緩んだその顔が、次の瞬間、驚愕に歪む。
「嘘、なんで……父様!」
ナッツは即座に飛び上がり、全力で飛行を開始する。
表示された父親の戦闘力は、見る影もなく低下していた。
変化していくスカウターの表示に、ナッツは更なる不安に苛まれていた。
父親の傍にある反応は4つ、瀕死のカカロット、悟飯に髪の無い男、そしてもう一つ、謎の反応。数こそ多くても、手こずるような相手ではないはずなのに。
「父様の戦闘力がどんどん落ちてる……。カカロットはもう虫の息なのに、いったい何が
起きてるのよ……」
上空に浮かぶ人工の月。見えてきたそれから、ナッツは反射的に目を逸らす。
だが、発せられるブルーツ波に、尻尾がうずくのを感じていた。
サイヤ人の血が、少女を月に惹き付ける。月を見たいという、本能的な欲求。
ここで変身してから向かうべきかと、一瞬考える。
瞬間、落雷のような轟音と共に、遠方で眩い光が立ち上がった。
それと同時に、父親の戦闘力がひときわ大きく低下したのを見た少女は恐怖に叫ぶ。
「嫌……!」
(今はそんな場合じゃないわ! 一刻も早く父様に合流しないと!
万が一、父様まで死んだら、私は……)
ナッツは全速力で飛び続け、戦場に到着し、父親の姿を発見する。
「父様!」
速度を落とさず、地面に激突せんばかりの勢いで着地した。
「父様! ご無事ですか!」
「ナ、ナッツか……無事だったか」
乱れた呼吸の苦しげな声。そして少女は疲弊した父親の惨状に息を呑む。
片目は潰れ、戦闘服は激しい戦闘の跡を示すようにボロボロに破損し、全身傷ついて血に汚れたその姿は、生きているのが不思議に見える。
そして何より、サイヤ人の誇りとも言える、尻尾までもが失われている事が、何よりもナッツの心を掻き乱した。
(カカロットと1対1なら、父様が尻尾を切られるなんて有り得ない。
きっと後ろから不意を打たれて……!)
少女は後悔の念に、押し潰されそうになってしまう。
「父様……ごめんなさい! ごめんなさい! 私があいつに負けたせいで、こんな、
こんなになって……」
(私が遊ばずに、パワーボールでも何でも使って勝っていれば、こんな事には!)
ナッツはぼろぼろと涙をこぼし、大声で泣きながら、父親にしがみついた。
その様子にベジータは困惑する。
「ナッツ、お前……」
こんなに泣くような子だっただろうか。2年前に母親が死んでから、娘が泣くのを見るのは、これが初めてだった。
だが、どうすればいいかは知っていた。その小さな背中を、父親は優しく撫でて言葉を掛ける。
「ナッツ。大丈夫だ。遊べと言ったのはオレで、お前は何も悪くない。多少手こずったが、あとは
残ったゴミ共を片付けるだけで、何の問題もない」
「父様……」
父親の言葉と手の温かさに、少女は安堵し、目を閉じる。
そして一番の懸念が無くなった事で、その心に怒りがこみ上げる。
(卑怯な地球人共、尻尾を切られて弱った父様を、よってたかってこんな目に!
よくも!! よくも!!)
腰から解かれた尻尾の毛が逆立ち、少女の身体が燃え立つ怒りに震える。
彼女がこれほどの怒りを感じたのは、母親が死んだあの日以来だった。
ゆるさないわ。ころしてやる。
小さな呟きは、2年前と同じもので。
ナッツは涙を拭いて笑う。
震えるほどの怒りと、ただ一人残った父親への愛情が入り混じった凄惨な笑み。
「父様、もう休んでいてください。月もありますし、後は私が全員片付けて、こんな星、
破壊し尽くしますから」
人工の月の光を背に、冷酷なサイヤ人の少女は宣言した。
「わかった。後はお前に任せる。好きなようにやれ」
ベジータは頼もしく育った娘に、誇らしさを覚えて笑う。
カカロットのガキと会ってから少し変だったが、俺達の娘はきちんと育っているぞと、彼は心の中で呟いた。
「ところで、悟飯……カカロットの息子はどこですか?」
半殺し程度で済ませるべきか、カカロット共々報いを受けさせるべきか、まだ決めていない。
うっかり踏み潰さないよう、居場所を確認しておくべきだとナッツは思った。
「あのガキなら、確かあの辺りに……」
ベジータが悟飯の方に顔を向ける、その少し前の事。
力を使い果たし、倒れた少年は、ぼんやりとした意識で、父親にすがりつく少女を見ていた。
あの子が大声で泣いている。きっと父親を傷つけられて怒っているのだろう。
まずい、と思った。自分はもう動けない。彼女は躊躇なく、全員を殺すだろう。お父さんも、クリリンさんも、ヤジロベーさんも、自分だって怪しい。
ボクがあの子を止めないと。そう思うが、もう身体が満足に動かない。
それでもどうにかしないと、と思った瞬間、腰の後ろから妙な感覚がした。
両足の間に、茶色の尻尾が見えていた。
今生えたのだろうそれは、昔と同じように、自由に動く。
そういえば、あの子が尻尾がどうのこうのと、言っていた気がする。
こんなものが、何か役に立つんだろうか。
生えた尻尾がむずむずして、空に浮かぶ光の球が、何故か無性に気になった。
見上げたそれは、まるで以前見た、満月のようだと思った。
悟飯がいるであろう方向から、奇妙な音が聞こえてきた。
「父様、今何か聞こえませんでしたか?」
「まさか、これは……!」
その音は、更に大きくなっていく。
聞き取れるようになったそれは、獣の唸り声のようで。
そして二人は見た。
倒れていた少年が身を起こし、人工の月に向けて吼える姿を。
「アオオオオオオオ!!!!!!」
咆哮と同時、身体のサイズが倍に膨れ上がり、衣服を破りながら更に成長していく。
その腰から伸び、激しく振り回されるのは、サイヤ人の証である尻尾。
「何で……!? あいつ、さっきまで尻尾なんか生えてなかったはずなのに!」
「再生しやがったか……!」
歯噛みするベジータ。そしてその横で、ナッツは俯き震えていたが、やがて耐えきれなくなったかのように、大きく笑い声を上げた。
「あはっ、あははははは!」
「ナッツ……?」
(あいつ、尻尾まで生やしてくれるなんて! これで私と全く互角ってことじゃない! そんなに
私を喜ばせたいの?)
6200……9000……15000……計測限界でスカウターが爆発するのも意に介さず、ナッツは輝く瞳で変身中の悟飯を見つめ続ける。かつてない強敵を前に、胸が高鳴るのを抑えきれない。
少女は獲物を前にした肉食獣のように笑う。
「いいわよ悟飯。ちょっとだけ、格好いいじゃない」
ベジータは膝から崩れ落ちそうになるのを、必死にこらえて口を開く。
「……ナッツ、正気に戻れ。あのガキは戦闘服すら着てないだろう? あんな下級戦士の
サルのどこがいいんだ」
「? 野性的で良いと思いますけど……」
全身に毛皮も生えてきてるし、特に問題はないと、少女は思う。お爺様達がツフル人を滅ぼした時は、皆あんな感じだったんでしょうし。
それどころか、自前の毛皮があるのに、その上から戦闘服を着るのは無粋ではないかと悟飯の姿に気付かされ、ナッツは内心感心していた。
「私も一度やってみたいです、あれ」
父親は思わず天を仰ぎ、すまない、育て方を間違えたかもしれないと心の内で叫ぶ。
こんな状況でなければカカロットの首根っこを引っ掴み、お前のガキのせいだ責任取りやがれと揺さぶってやりたいところだった。
「離れていてください、父様」
言ってナッツが月を見上げようとしたところで、ベジータが叫ぶ。
「待て! 奴の方が変身が早い! それにこの辺りには、お前の知らない、オレの尻尾を
切りやがった奴も隠れてる。少し離れて、誰にも邪魔されない場所で変身しろ」
ベジータは巨大化を続ける悟飯を見上げた。
大きさを増すその影が、今にも二人を覆い隠そうとしている。
「その間、あいつはオレが食い止めておく」
「けど父様……その身体では」
心配そうに父親を見上げる娘に、彼は不敵に笑って見せる。
「大丈夫だ。多少ダメージは食らっていても、あんな奴の一匹や二匹、大した事は無い」
そして娘の髪をくしゃくしゃと撫でる。
「それと、今まで満足に戦わせてやれなくて、すまなかったな。頑張れよ、ナッツ。
奴はそれなりにやるようだが、オレはお前が勝つと信じているぞ」
「はい、父様! 行ってきます!」
少女は満面の笑みを浮かべ、その場を飛び離れる。
そして大猿への変身を終えた悟飯が両腕を高く掲げ、人工の月に向けて大きく咆哮する。
『グオオオオオ!!!!!!』
スカウターが無くとも肌で理解できる圧倒的な戦闘力を前に、残された父親が自嘲気味に笑う。
「物分かりのいいことを言ってみたが、オレに力が残っていれば、こんな奴をあいつと戦わせは
しなかっただろうさ」
ギロリと、大猿の赤い目が彼に向けられた。ベジータは即座に睨み返した。
こいつは気に入らないと思った。少年を見る娘の、心底嬉しそうな笑顔が脳裏に浮かぶ。自分と母親以外の人間に、ナッツがあんな顔を向けた事は無かった。その相手がよりにもよってカカロットのガキということが、何にも増して腹立たしかった。
咆哮と共に迫りくる悟飯を前に、父親は言い放つ。
「さあ、来やがれ。お前がナッツの遊び相手に相応しいか、俺が試してやる!」
少しずつ暗くなっていく周囲を人工の月の光が照らす中、少女は大気を切り裂き、吹きすさぶ風に尻尾を揺らしながら飛行する。
(悟飯の奴はあんなに強いし、頑張れって、父様も応援してくれてる……)
父親が戦っている時に不謹慎とは思いつつも、ナッツは溢れる喜びを抑えきれずに笑う。
そして周囲に誰もいない場所で着地し、躊躇い無く父親の作った月を見上げる。
「……っ!」
視界一杯に月が広がり、ブルーツ波に尻尾が反応する感覚に、思わず声が出る。尻尾が勝手に、生き物のように動き出す。
変身が始まるまでのわずかな時間、ナッツは母親の事を思い出していた。
どこかの星の満月の夜。訓練の一環として、初めて彼女に変身を見せてくれた時のこと。
優しくて綺麗でだった母様が変貌していく様子はとても恐ろしかったのだけど。変身を終え、月に向かって吼えるあの姿を、とても格好良いと思ったのだ。
病気で弱っていたいつもの母様とは全く違う、荒々しく力に溢れたサイヤ人としての姿。たぶんあっちが、母様の本性だったのだと思う。
それから肩の上に乗せてもらって、母様と父様が一緒に戦う光景を特等席で見学したのは、決して忘れられない大切な思い出の一つだ。
そして少年の事を思い出し、彼との戦いの予感に、少女は獰猛な笑みを浮かべる。
(待ってなさい。同じ大猿同士なら、私の方が強いに決まってる!)
少女の闘志が燃え上がると同時に、ドクン、と心臓が高鳴った。
「はぁっ、はぁっ……」
鼓動と共に全身が跳ね上がり、呼吸が荒くなる。
頭、首、胸、胴体、手足、全身の骨格、体内の臓器、流れる血液、細胞の一片までもが、心臓の鼓動と共に活性化していく感覚。ブルーツ波が尻尾でエネルギーへと変換され、凄まじい勢いで彼女の全身に送られていく。
ナッツは伸びていく犬歯を見せながら、野性的に笑う。見開かれ白く染まった彼女の目は貪欲にブルーツ派を吸収し続け、それと共にナッツの気が急激に上昇していく。
ドクン、ドクンと鼓動は激しさを増し、ナッツの全身が小刻みに震える。
細かった少女の手足が、いつしか一回り大きな筋肉質なものとなる。
「ああああああっ!!!!」
溢れ出さんばかりの力に絶叫した少女の肉体が、急激な変貌を開始した。
全身の骨と筋肉が内側から弾けるように膨れ上がり、小柄な体躯が瞬く間に2倍、3倍のサイズとなり、更に巨大化を続けていく。
ナッツの口が人間の限界を超えて大きく開かれていき、その声が少女のものから、獣の咆哮へと変わっていく。口内の犬歯は既に巨大な牙と化しており、残りの歯も鋭く尖り始めている。上下の顎の構造がより強靭となり、鼻と一体となって少しずつ前へと伸びていき、ナッツの顔から少女の面影を奪う。
巨大化と共にナッツの全身に尻尾と同じ茶色の獣毛が生えていく。体躯は既に5メートルを超え、増加する彼女の重量を支えきれずブーツの下で地面が割れ砕けていく。戦闘服はなおも成長を続ける着用者に合わせて拡張し、密着したアンダースーツに筋肉の形が浮かぶ。
ブルーツ波を吸収し続けたナッツの目はいつしか血のように赤く染まり、それと共に彼女の内面でサイヤ人本来の凶暴性や残虐性が増幅されていく。
既に10メートル近くに達しながらも巨大化は止まらない。一回り、さらに一回りと全身が膨れ上がり、その強靭さを増していく。身体に合わせて分厚く長大となった尻尾が具合を確認するかのように振り回され、背後の岩山を薙ぎ倒す。
変身の進行と共に手や顔を除くほぼ全身が厚い毛皮に覆われ、顔に汗の玉を浮かべながらかつて少女だった獣が吼える。サイヤ人の血の力と、月から流れ込む力で、なおもその身体は成長を続けていく。
やがて変身が完了した時、そこには幼いサイヤ人の少女はおらず、彼女と同じ戦闘服を着た大猿が立っていた。
体躯はおおよそ15メートルに達し、全身は厚い毛皮で覆われ、目は血のように赤く、肉食獣のような鼻面に尖った耳。変身前の少女の面影は、その身に纏う黒い戦闘服と、跳ねながら肩まで伸びた髪、背後で揺れる尻尾だけといっていい。
ナッツは拳を握り締めて毛皮の下の発達した筋肉を確認し、獣の顔で笑う。変身前の姿に関係無く、大人の戦士と同じ体格となれる大猿への変身を、彼女はとても好んでいた。
(大猿の姿はちょっと醜いけど、この力は私がサイヤ人である事の証!)
ナッツは人工の月を見上げ、毛皮で覆われた両腕を頭上に振り上げ、歓喜と獣の衝動が合わさった咆哮を上げる。かつて母親がそうしたように。
『グオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!!!』
生物から発せられたとは思えないほどの、雷のような大音声が響き渡る。
大猿の高い視点から見下ろす大地は、何もかもが、人間の姿だった頃よりも小さく見えた。ナッツの喉から、凶暴な獣の唸り声が漏れる。
全て壊したいと思った。大猿となった彼女に怯える地球人達の悲鳴を聞きながら、破壊の限りを尽くしたかった。
普段のナッツならその衝動に身を任せているところだったが、強靭な意思の力で抑え込む。
(それも悪くないけれど、今は先約があるのよね)
そして地平線の彼方から応じるように響くのは、彼女と同種の獣の咆哮。
その声の主を思い浮かべ、ナッツは巨大な両手を胸の前で組み、指を鳴らしながら、牙を剥いて笑う。
『さっきはずいぶん大口を叩いてくれたものね、悟飯。私を生かした事を、後悔させてあげるわ』
その声は大猿化によって低く重厚に変化していたが、紛れも無くナッツの声だった。
黒い戦闘服を着た大猿が動き出す。大木のような足を踏み出すごとに大地が揺れる。
進行上の岩山をいくつもその巨体で砕きながら、ナッツは悟飯の元へと駆け出していった。
悟飯「待って」(震え声)
正直一番書きたかったパートです。
父親がピンチで泣いて月を背後にブチ切れるナッツ良くないですか。
あとやっぱりサイヤ人は月とセットで映えると思うのです。
本当は満月でやりたかったけど原作で壊れてるんだから仕方ない。
変身描写については、まあ彼女の決めシーンなので頑張りました。
ラストに向けて、この子やべえと思っていただければ幸いなのです。