藤丸立香17歳、魂の叫び。

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邪ンヌちゃんにぜかましコスをして欲しい!

「邪ンヌちゃんにぜかましコスをして欲しい」

 

 人理修復真っ最中のある日のカルデア。人類最後のマスターである藤丸立香が、実に真面目な顔で不真面目極まりない発言を口から吐き出した。

 

「せ、先輩? 一体、どうしたんですか?」

 

 面食らったようにその立香に問いかけたのは、後輩系デミサーヴァントのマシュ・キリエライトだ。彼女は眼鏡の奥の瞳を揺らし、自らのマスターを心配そうに見つめた。

 

「邪ンヌちゃんにぜかましコスをして欲しい!」

 

「本当にどうしちゃったんですか!?」

 

「そうか、マシュはぜかましが何の事か分からないんだね」

 

「分からないのは先輩ですよ! いや確かに分からないですけど!」

 

「ほら、これだよ」

 

 彼女に向かって突き出されたスマホには、とある女の子のイラストが表示されていた。人理焼却の折、インターネットは使えないが、保存された画像を呼び出す機能には一切支障がない。つまりこの画像を保存した上に壁紙にしているという事だが。

 

「こ、これは……」

 

「『艦隊これくしょん』というゲームのキャラクターで、正確には島風という。ぜかましは愛称だね」

 

「……ちょっと露出が多くありません?」

 

 とマシュは言っているが、露出面積そのものは実はさほどでもない。改造セーラー服は確かに露出が多いが、ロンググローブにニーソックスのおかげで肌面積は抑えられている。

 

 それでも露出が多いという印象を持たせてしまうのは、色々ときわどいからであろう。セーラー服はへそ出し仕様だし、スカートは超ミニ。ショーツに至ってはリオのカーニバルより危険な、V字である。おまけに頭には、ウサギ耳のような何かがくっついたカチューシャ装備だ。あざとい。

 それを細身の、少女と言っていいような年齢の女の子が着ている。ぶっちゃけ痴女だ。

 

「何を言ってるんだいマシュ、ジャックちゃんや酒呑ちゃんの方がよっぽど露出は多いじゃないか」

 

「そ、それを言われてしまうと……」

 

 ジャック・ザ・リッパーと酒呑童子。有名な殺人鬼と本物の鬼だが、ここカルデアではどちらも少女の姿で現界している。それはまあいい……いやあんまりよくないがともかくいいとして、問題は彼女達の服装だ。

 前者は背中がぱっくり開いた上着に紐パン、後者に至っては紐だ。ツイン紐システム搭載幼女である。道を歩いていたら問答無用で補導される事請け合いの、島風を超えてしまった痴女ルックと言えよう。

 

「それにマシュだって人の事は言えないよ。ぜかましと大して変わらない格好で、いつも僕に向かってお尻を突き出してるじゃないか」

 

「ふえっ!? 先輩私の事そんな風に見てたんですかッ!?」

 

 サーヴァントといえど、物理法則を完全に無視できるわけではない。手に持つ巨大な盾で敵の攻撃を防ごうと思ったら、物理的必然として前傾姿勢にならなければならず、後ろに位置するマスターに向けて臀部を突き出す形にならざるを得ない。おまけにスカート鎧の丈は短く、穴開きでスカスカだ。結果として色々ヤバイ姿勢になっている。

 とは言え純情純粋な彼女にとって、そんな理屈は刺激が強すぎる事であったようだった。

 

「まあそれはどうでもいいとして」

 

「私のお尻がどうでもいいんですか!?」

 

 立香はスマホ片手に、ずずいとマシュに顔を寄せた。先輩と慕う己がマスターの大真面目な顔に、すでに紅潮していたマシュの顔が更に赤くなった。

 

「このぜかましの格好。実にエロいとは思わないかい?」

 

「はい?」

 

 しかしそんな気分も、純粋に不純な事を純粋な瞳に乗せてほざくマスターのせいでどこかに飛んで行った。そんな後輩の様子に気付かぬ立香は、島風のイラストをまじまじと見つめ、真剣な表情でのたまった。

 

「島風衣装はエロい。邪ンヌちゃんもエロい」

 

 邪ンヌこと、ジャンヌ・ダルク・オルタ。聖人ではなく復讐者として召喚された、あのジャンヌ・ダルクの別側面(オルタ)……という訳では実はない、色々複雑な出自のサーヴァントだ。

 が、まあそれはどうでもよろしい。今重要なのは、彼女がセックスアピールの激しい肢体を有し、ポンコツツンデレ面倒カワイイという事だけである。

 

「この二つが組み合わさったら、とんでもない事になると思わないかい!?」

 

「すでに先輩の頭がとんでもない事になってます!」

 

「エロとエロのコラボ! まさにエロスの宝石箱だッ!」

 

「それはきっとパンドラの箱です! 開けちゃダメな箱です!」

 

「つまり開ければ希望が見えるって事か! もう我慢できない、邪ンヌちゃんに直接頼んでくる! 僕はッ、邪ンヌちゃんにぜかましコスをして欲しいんだッ!!」

 

「先輩! 戻ってきてください先輩ッ! だいいち、着せる服はあるんですかッ!?」

 

「心配ない! すでにダヴィンチちゃんに作ってもらった!」

 

「心配しかないですよ何やってるんですかぁッ!! とにかく、絶対に行かせ――――速ッ!? 何この速度!?」

 

 精神的にすでに遠くに行ってしまったマスターを、せめて物理的には遠くに行かせまいとするマシュの抑止もなんのその。無駄に洗練された無駄に無駄のない動きで、立香は邪ンヌのマイルームへと矢のように突貫していった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ダメでした……」

 

 黒焦げになったがぴんしゃんしている立香が、しょんぼりとして言った。曲がりなりにもサーヴァントから逃げ切った辺り、邪ンヌが加減してくれたのか、立香本人が人間離れして来ているのか、判断に迷うところであった。

 

「先輩、頭は冷えましたか?」

 

「ああ……頭は冷えたよ。身体は燃えたけど」

 

 上手いんだか上手くないんだかよく分からない事をほざくマスターに、それでも献身的に尽くすマシュ。黒く煤けるその身体を、濡らした布巾で拭っている。健気だ。

 

「これに懲りたら、もうこんな事はやめて下さいね」

 

 いやよく見ると、身体を拭っているのは布巾ではなく雑巾だ。どうにも扱いが雑だが、彼女なりの抗議や拗ねの現れなのであろう。きっとそうに違いない。

 

「分かってる。直接頼むのはとりあえず諦めるよ」

 

「先輩? そこじゃないですよ先輩? 全く分かってませんよ先輩?」

 

「策を練れ、って事だねマシュ」

 

「違います。かすってすらいません。で、でも、どうしてもあの格好が見たいなら、私が……」

 

 立香にツッコミを入れると同時に、恥ずかしそうに目を伏せ、少し顔を赤くして申し出ようとするマシュ。しかし立香はそんな様子に全く気付かず、きりりとしたキメ顔で言い放った。果たしてこんなところで使っていい顔だったのか、甚だ疑問であった。

 

「邪ンヌちゃんにぜかましコスをして欲しい。この思いに、偽りなんてないんだから――――!」

 

「偽りがなくても偽ってください!」

 

 邪ンヌは復讐と憎悪の炎を操る事が出来る。しかし浄化の炎ではないので、己がマスターの煩悩を焼き尽くす事は出来ないようであった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「で、何ですかあれは」

 

「いい質問だねマシュ」

 

 なんだかんだで結局付き合ってしまったマシュが、立香にジト目で質問を飛ばす。壁に隠れた立香の見つめるその先には、よく分からない物体が鎮座していた。

 

「見ての通り、罠だよ」

 

「わな」

 

 マシュが立香の言葉を繰り返した。真顔だった。表情筋が仕事の仕方を忘れてしまったかのような、何とも言えない真顔だった。

 

 そんな二人の視線を集めるのは、立香が言う通りの罠だ。ただし、誰が引っかかるんだこんなもの、という代物であったが。

 

 ひっくり返された巨大なカゴをつっかえ棒が斜めに支え、その棒にはロープが結び付けられている。エサを置いて獲物が寄ってきたらロープを引っ張りカゴを落とし、対象を閉じ込めるという、主に鳥用の超原始的なアレだ。

 

 鳥用との違いを挙げるとするならば、エサの代わりに島風衣装が置いてあるという事のみである。それ以外に変わったところは……いやこれだけ変わっていれば十分か。

 

「先輩、あの衣装は何なのでしょうか」

 

「見ての通り、島風衣装だよ」

 

 心なしか得意げな立香がマシュの質問に答えた。そんな事は言われなくても分かってるんだよ、と口にはしないが、表情筋がまだボイコットしているマシュが問いを重ねた。

 

「聞き方を変えます。あの罠……罠? とにかく罠の中に、何故島風衣装とやらが置かれているのでしょうか」

 

「いい質問だねマシュ。ああして罠の中に置かれていれば、大事なものだと思うだろう?」

 

「まあ、仕掛けた人の頭が大事件になっているとは思います」

 

「そんな大事なものが、無防備に自分の部屋の前に置いてある。そこで邪ンヌちゃんはこう考えるはずだ。『これを回収して隠せばマスターが困る』ってね」

 

「すみません、何を言っているのか分かりません」

 

「大事なものと分かったなら、隠して僕を困らせようとするはずさ。島風衣装が僕のものだと知っているし、邪ンヌちゃんは捻くれてるからね。まあそういうところが可愛いんだけど」

 

「現実では大風が吹いても桶屋は儲からないんですよ……?」

 

 何とも味わい深い顔になってしまったマシュがマスターを見つめ、微妙に投げやり気味に言い放った。

 

「もう令呪使ったらいいんじゃないですか?」

 

「フッ、分かってないねマシュ。それじゃあ何の意味もないんだ」

 

「はあ」

 

「無理強いに意味はない。あくまで自発的に着てもらわないとね。それに僕は嫌な上司になるつもりはないんだ。令呪なんて使ったらパワハラじゃあないか」

 

「いやらしい上司でセクハラしてるのはいいんですか」

 

「その辺りは男のロマンさ。女の子にはちょっと難しいかな?」

 

「謝って下さい。ドクターロマンに謝って下さい。土下座して散々謝って下さい」

 

 そんな気の抜けるやり取りをしていると扉が開かれ、そこから一人の女性が姿を現した。

 色の抜け落ちた銀髪に白磁のように白すぎる肌、病んだような黄金の瞳。整い過ぎた目鼻立ちと黒くシンプルなドレスが相俟って、まるで蝋人形の如き印象を見る者に与えていた。

 彼女こそ、ジャンヌ・ダルク・オルタこと、邪ンヌだ。そして立香が痴女衣装を着せようと目論む対象でもある。ちなみに幸運ランクはEだ。

 

「お、出て来た」

 

「……目をこすってますよ」

 

「目を疑ってるんだろう、あんなところにあんなものがあるとは思わないだろうからね」

 

「…………顔が赤くなってます。ここからでも分かるって事は相当ですよ」

 

「興奮してるんだろう、島風衣装にはそれだけの破壊力がある」

 

「………………何故でしょう、言ってる事は正しいはずなのに、全く同意する気が起きません」

 

 見られているとは気づかぬ邪ンヌは、島風衣装に目を落とすと、それを迷わず燃やし尽くした。黒炎によって焼却処分された痴女衣装とついでに罠一式は、灰も残さず消え去った。

 

「ああっ何てことを!!」

 

 ぐりんと邪ンヌの首だけが立香の方を向いた。人形のような無表情と、煌々と光る黄金の瞳が、まるで出来の悪いホラー映画のような雰囲気を醸し出していた。

 

「しまった大声出したせいで気付かれた!」

 

「遅かれ早かれ気付かれてたと思います先輩! ロープがこっちに延びてるんですから!」

 

 邪ンヌは己がマスターに気付くと、凄まじい勢いで走り寄って来た。無表情だったはずの表情は、まるで般若か阿修羅の如き表情へと変貌していた。彼女が滅ぼそうとしていたフランスですら見せた事のない、まさに憎悪の炎によって磨かれた、復讐者にふさわしい顔だった。果たしてこんなところで見せていい顔なのかは甚だ疑問であった。

 

「コロス!」

 

「逃げるぞマシュ!」

 

「待っ……速ッ!?」

 

 その邪ンヌの姿を認めると、立香は言葉より早く逃げ出した。マシュが反応するその前にその前を、邪ンヌが脇目もふらず敏捷Aで竜巻のようにかっとんで行った。一瞬驚愕で固まっていたマシュだったが、反射的にその後ろを追って駆け出した。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「のどちんこ、ってエロいと思わないかいマシュ」

 

「は?」

 

 とうやったのか邪ンヌから逃げ切った立香が、またも妄言を垂れ流していた。この人は何を言っているんだろう、という顔のマシュを置き去りに、妄言はとめどなく流され続けた。

 

「だってちんこだよちんこ、喉にちんこがあるんだよ? エロ以外の何物だって言うんだい?」

 

「ちっ……! ち、ち、とにかく、それを連呼しないで下さいッ!」

 

「ちんこを連呼するなって? はは、マシュは上手い事を言うね」

 

「あぅ……」

 

 ストレートなセクハラに、りんごのように真っ赤になってしまったマシュ。だがそんなの関係ねえと言わんばかりに立香は、無駄に情熱的に言葉を重ねた。

 

「ディープスロートなんてしたらもう大変だね、大変な変態だね。何しろホラ、ちんことちんこがごっつんこだ。男女なのに兜合わせとかもう女体の神秘としか言いようがないね」

 

「ドッドドドドクター助けて下さい! 先輩がとうとう壊れちゃいましたぁッ!!」

 

 顔を真っ赤にしたまま目をぐるぐると回し、マシュがBダッシュで駆け出した。立香が何を言っているのかは半分くらいしか分からなかったが、その半分で目を回すには十分だった。半分は分かったという事でもある。

 

「ふぐっ!?」

 

「おや」

 

 そのマシュの顔が、何か柔らかいものにうずもれた。豊満な胸部装甲であった。顔を上げたマシュを、動脈血のように赤い切れ長の瞳の、氷のような無表情が見下ろした。

 

「どうしました?」

 

「ナイチンゲールさん!!」

 

 彼女こそ、かのクリミアの天使ことフローレンス・ナイチンゲールその人だ。全ての看護婦(看護師)の始祖と言ってもいい医療の変革者であり、また卓越した統計学者でもある。その業績を讃え、死後にナイチンゲール誓詞が作られるほどだ。

 

 そんなある意味ドクターより頼りになる人を見つけたマシュは、一も二もなく助けを求めた。求めてしまった。

 

「た、助けて下さいッ! せ、先輩がおかしくなっちゃいましたッ!!」

 

「司令官が? 分かりました、任せて下さい」

 

 ブーツをカツカツと高く響かせ、ナイチンゲールは立香へと近づいていく。看護婦として、助けを乞われれば否やはない。生きていても死んでいてもやる事は寸毫たりとも変わっていないという、ある意味珍しいサーヴァントなのだ。

 

「やあ婦長。ところでナイチンゲールってヒワイだけど実状にあってないよね。婦長には元からチンゲはナイもんね」

 

「……なるほど、これは重症です。精子脳ですね」

 

「はい?」

 

 マシュの目が点になった。サーヴァントの優れた聴覚は遺漏なく言葉を脳に伝えていたが、肝心の脳が理解を拒んでいた。

 

「精子が脳を侵食する事で起きる病気です。病状が進むと知能が低下すると同時に呂律が回らなくなり、『らめえぇぇ、おひんぽみるくでちゃいましゅうぅ』等の支離滅裂な発言を繰り返すようになります」

 

「……」

 

 無表情を微塵も崩さず告げられた言葉に、マシュは池の鯉のように口をぱくぱくさせる事しか出来なかった。だがそんな事に頓着するナイチンゲールではない。ギンと目を光らせ宣言した。

 

「もはや一刻の猶予もありません。これより処置を開始します」

 

「……ちょっちょっと待って下さい! そんな病気なんて聞いた事がありませんよ!?」

 

「私達は現界するに当たって、この時代の知識を得ます」

 

 ようようツッコミを捻り出したマシュだったが、ナイチンゲールの答えは一見関係ないものであった。目を白黒させるマシュを尻目に、彼女は学者らしい台詞を吐いた。大分ずれていたが。

 

「しかしそれは完全ではありません。ゆえに私は新たに発見された病気等を調べるべく、この時代の文献を調査しました。その文献に、精子脳という新たな病気が記載されていたのです」

 

「…………何の本で読んだんですか?」

 

「黒ひげ氏が所有していた絵草子(ウス=イホン)ですが」

 

「黒ひげさぁぁぁぁあああああんん!!??」

 

 諸悪の根源が判明した。黒ひげことエドワード・ティーチは海賊なので悪なのは確定的に明らかなのだが、これは何か違うような気がする。

 

「さあ司令官、大人しく……む」

 

 ナイチンゲールが『治療』しようとマスターに再び目を向けると、彼は忽然と姿を消していた。台所のGもかくやの逃げっぷりであった。

 

「い、いつの間に……」

 

「いけません、今すぐ探し出して患部を切除しなければ。他の者に感染するかもしれません」

 

「感染するんですかッ!?」

 

 マシュが思わず疑問の声を上げた。しかしナイチンゲールはそれを全く聞く事なく、おもむろにメスと拳銃を取り出した。本人曰く、医療器具らしい。もちろんそうは思わなかったマシュが、慌ててナイチンゲールに詰め寄った。

 

「ダッダメです! そんなものを使ったら先輩死んじゃいます!」

 

「大丈夫です。私は、司令官の命を救います」

 

 ナイチンゲールがマシュの目を真正面から覗き込んだ。普段と変わらぬ鉄面皮ながら、その瞳には慈愛が湛えられているのを確かにマシュは見た。自身には持ちえぬ強い感情に、マシュは一瞬我を忘れた。まさにそれは白衣の天使だった。

 

「そう――――司令官の命を奪ってでも!」

 

 そして同時に、鋼鉄の白衣にして小陸軍省だった。狂化EXのバーサーカー、ナイチンゲールは人の話を聞かない。歴史書にもそう書いてある。つまり生前からそうだったという事だが恐るべき事に、これでも丸くなっているのだ。

 

 この女、生前はそれはもうすさまじかった。いいところのお嬢様なのに当時は賎業だった看護婦になろうとした時点でアレだが、なってからも凄かった。

 箱を叩き割って薬を奪い取り、同僚を過労死させ、渋る者どもを説得し脅迫し交渉し、悪魔に憑かれていると囁かれつつも果ては女王すらも動かした。『弁解せず、弁解を聞かなかった』というのは伊達ではない。

 それらに比べれば、マスターの頭をカチ割ろうとする程度大した事はないのだろう。多分。

 

「ダメです! ロボトミーはダメなんですー!」

 

「司令官! どこですか!」

 

 立香を探して爆走を始めたナイチンゲールにすがりつくマシュだったが、体格で負けている上に、筋力Cでは筋力B+のバーサーカーを止められる道理はない。振り落とされないよう、暴走する医療ロボットにしがみつくので精一杯であった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「…………ふぅ、行ったかな?」

 

 とある一室に、ナイチンゲールから逃げて来た立香の姿があった。その声に応えたのは、上から下まで黒い男だった。大男と言って差し支えない程の長身でありながら、まるで影のように奇妙に存在感の薄い男だった。

 

「…………そのようですな」

 

 真っ黒な肌に蜘蛛のように細く長い手足。中でも右腕は不自然に長く、包帯に包まれている。ボロボロの黒い布を身体に纏い、骸骨を(かたど)った白い仮面が顔を隠し――――いや、顔そのものとなっているその男。

 

 名をハサン・サッバーハ。中東の伝説にある暗殺教団、その歴代当主の一人である。

 

「いやー助かったよ、ありがとう先生。さすが暗殺者の語源になった人は凄いね、あんな一瞬で僕を攫って逃げられるなんて」

 

「なんのなんの、魔術師殿の頼みとあらばその程度」

 

 朗らかに談笑する姿からは、全くもってそのような気配は感じ取れなかったが。彼は確かにアサシンの語源の一人なのだが、同時に曲者揃いのカルデアにおいて随一の常識人にして仕事人でもあるのだ。

 

 暗殺教団歴代当主は複数存在するが、全員ハサン・サッバーハなので、区別の為に呪腕先生と呼ばれている。教師であった訳ではないが、その為人(ひととなり)がそう呼ばせるのだ。暗殺者とは一体。

 

「それにしてもマシュにはちょっと悪い事しちゃったかな。邪ンヌちゃんはマシュがいたら照れて着てくれないと気付いたから一時的に遠ざけようと思ったんだけど、婦長が来たのは予想外だった。混乱して変な事言っちゃったよ、婦長も変だったけど」

 

「マシュ殿には後で謝っておくがよろしいでしょうな。婦長殿は…………」

 

「婦長は…………」

 

 そこで二人は仲良く揃って固まった。あの女傑は、人類最後のマスターと暗殺教団の主をして、言葉を失わしめる存在であったらしい。きっと彼女こそがグランドバーサーカー。

 

「…………まあ婦長は婦長だね」

 

「…………そうですな」

 

 男性のはずが女性だったり、殺人鬼が幼女だったり、実は本人じゃなかったりするサーヴァントまでが存在する中、ナイチンゲールほど史実通りのサーヴァントは稀だ。そして同時にナイチンゲールほど濃いキャラも稀だ。

 服装も職業も持ち物も性別もやってる事も誇張なしに生前通りなのに、神話の英雄にも全く引けを取っていない。何かおかしいが何もおかしい事はない。そりゃあ婦長は婦長だとしか言いようがないであろう。

 

「ところで、先生に頼みたい事があるんだけど……」

 

「何ですかな? このハサン、魔術師殿のためならば如何なる困難をも厭いませんぞ?」

 

「あ、ありがとう……なんか照れるね」

 

「魔術師殿……」

 

 見つめ合う二人。何故こいつは健気な後輩系サーヴァントを差し置いて、男にフラグを立てているのであろうか。頼めば島風衣装くらい着てくれそうな好感度である。だが男だ。

 

「僕は邪ンヌちゃんにぜかましコスをして欲しい。先生には、そのためにちょっとした協力をして欲しいんだ」

 

「ほう、魔術師殿も色を知る歳という事ですな。して、私は何をすれば?」

 

「うん、それはね――――」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「つ、疲れた……」

 

 立香を見失い、カルデア中を走り回った邪ンヌが、自分の部屋へと戻って来た。サーヴァントは肉体的には人間より遥かに頑強で、この程度ではどうという事もないが、精神は疲労する。今の彼女はまさにそれを体で感じていた。

 

「…………!?」

 

 その邪ンヌの目が、とある一点に吸い寄せられた。部屋を出る時には確かに存在しなかったはずの物体が、ででんとハンガーからぶら下がっていたのだ。

 ノースリーブの改造セーラー服に短すぎるミニスカート、そして口にするも憚られる下着らしき何かとその他オプションパーツ。そう、島風衣装だ。

 

 呪腕先生への頼みとは、この痴女衣装を邪ンヌの部屋へと置いて来てもらう事だったのだ。島風衣装は最初から二着存在した。暗殺教団の主に何をやらせているのであろうか。

 

 邪ンヌは無言で島風衣装に黒炎を放った。だがその結果に、黄金の瞳が信じられないとばかりに大きく見開かれた。

 

「……ハァ!?」

 

 何と驚くべき事に、痴女衣装は復讐の炎に耐え切ったのだ。目を疑った彼女は再度炎を出したが、痴女衣装は燃える気配がなく、それどころか煤すら付かない。ごしごしと目をこするが、やはり現実は変わらなかった。

 

 これぞダヴィンチちゃん特製、耐火島風衣装である。邪ンヌの照れ隠しによる炎を懸念した立香が、頼み込んで付けてもらった機能だ。材料の都合上この一着のみだが、宝具の炎にも耐えきる超性能である。人類史上屈指の天才に何をやらせているのであろうか。

 

「……まさか礼装? これが? な、何考えてんのかしら……」

 

 真名解放の文字が邪ンヌの脳裏をよぎる。しかしそれをやれば、このカルデアは炎に包まれるであろう。さすがにそこまではしない分別が彼女にもあった。

 

 そうしていれば、いかな耐火痴女衣装と言えども耐え切れなかったが。天才ダヴィンチちゃんと言えど、そこまでの品をこの短期間で開発するのは不可能だったのだ。ついでに言うなら服そのものの強度は単なる布と同等なので、サーヴァントどころか普通の人間でも簡単に引き裂けたりする。

 

 とは言えそんな事情を知る由もない邪ンヌは、大きく長く息を吐き出すと、ベッドにうつ伏せに寝転がった。どうやら痴女衣装を目に入れない事を選択したようだ。

 

「……」

 

 だがしかし、しばらくすると、チラッチラッと目が島風衣装に引き寄せられていく。完全に無意識の行動だ。こういう事をしているから面倒可愛いとか言われてしまうのであろう。

 

「あ、あれを私に着て欲しいって、正気なのかしらマスターは……」

 

 本気かとは言わない。言うまでもないからだ。

 

「で、でも、どうしてもって言うんなら……いやそれでも……」

 

 天秤がぐらぐら揺れている。今にも抜けそうな乳歯よりもぐらっぐらである。部屋に島風衣装を置いただけでこれとは、実にちょろい。将来が心配だ、彼女のマスターほどではないが。

 

「そ、そう、これは練習! 練習だから、誰に見せる訳でもないのです!」

 

 ついに誰に聞かせる訳でもない言い訳を吐き出し始めた。そもそも、見せる予定がないのなら練習する必要もない、という論理的帰結は頭から吹き飛んでいる。邪ンヌはふらふらと、誘蛾灯に引き寄せられる蛾のように、島風衣装に手を伸ばした。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

『邪ンヌちゃんごめん、匿って!』

 

 扉の向こうから、ドンドンドンという激しいノック音と、小声の大声という器用な声が響いて来た。部屋の主が何かを言う間もなく、プシュという近未来的な音と共に扉が開かれた。

 

「えっちょっ」

 

「いやーまいったまいった、婦長は本当にバーサーカーだ……よ……」

 

 入って来た立香の目が釘付けになった。島風衣装を装備し、その面積の少ない布で身体を隠そうと、顔を真っ赤にして奮闘している邪ンヌに。

 

「見、見るな!」

 

「お、おおおぉぉぉ……………!」

 

 長い手足を、ぴっちりとした赤白縞のニーソックスと白いロンググローブが包みこんでいる。しかし細身の少女である島風とは違い、邪ンヌは女性らしい肉感を備えている。その結果ニーソとグローブは、手足の長さよりむしろ、むちむち感を強調するハメになっている。

 

 ノースリーブのセーラー服は、島風よりも遥かに大きな胸に引っ張られパツパツだ。裾がかなり上に引っ張られ、V字の襟元からは谷間が覗き、脇からはこぼれんばかりである。

 

 そして極めつけはその下半身だ。腰に伸びるV字下着は仕様なのだが、スカート丈は全く仕様からはかけ離れている。どうやら島風の体型に合わせたらしきスカートは、成人女性の邪ンヌが着ると短すぎるのだ。もはや腰巻レベルである。そのせいで、下から見えてはいけないものが見え隠れしている。

 

 そんなエロスの権化としか表現しようのない邪ンヌに、立香は歓声を上げた。

 

「いいよ邪ンヌちゃん! すごくエロい!」

 

「エッ、エッ、エロッ!?」

 

「エロいよ! 額縁に入れて飾っておきたいほどのエロさだよ!」

 

「あ、あぅ……」

 

 ストレートすぎる賛辞に邪ンヌが茹蛸と化した。頭がフットーしそうである。オーバーヒート寸前で動きが止まったのをいい事に立香は遠慮なく眺めまわすが、そこでふと小首をかしげた。

 

「…………?」

 

 エロい。問答無用にエロい。空前絶後にエロい。それはもう間違いなくエロい。これがエロでないのならば、この世からエロという概念は焼却されてしまうほどにエロい。

 

 ならば、胸に生まれた、このシミのような思いは一体何なのであろうか。気のせい、ではない。そう流すには立香は正直すぎた。この場合正直なのは自分に対してだが。

 

「…………」

 

 頭から湯気を出している邪ンヌを見つめると同時に考える。エロい。間違いなくぜかましコスの邪ンヌはエロい。しかし、それは求めていたエロさとは何かが違う。

 

 その違いに想いを馳せ――――天啓が降りて来た。今なら、エウレカ(分かった)と叫んで全裸で街を走り抜けたアルキメデスの気持ちが理解できるかもしれない。

 

「そうか……そうだったんだ……」

 

「……ぇ? な、何……?」

 

 立香は、ぜかまし邪ンヌと脳内の島風を、()めつ(すが)めつじっくりとっくり見比べた。そして気付いたのだ。これまでの17年間、知る事のなかった自分自身を。

 

「僕は、貧乳の女の子が、エロい格好でドヤ顔をしてるのが好きだったんだ……」

 

「は……?」

 

 あまりにあまりな言葉に、邪ンヌの口がぽかんと開いた。そんな彼女を気にする事もなく、立香は滔々(とうとう)と言葉を紡いだ。菩提樹の下で説法する、目覚めた人のように。

 

「邪ンヌちゃんの恥じらう姿も悪くない、むしろいい。でも、自分のエロさに気付かず、全力でドヤ顔を晒している貧乳女子こそが至高。それが分かったんだ」

 

 もっともこの場合、目覚めたのは目覚めてはいけないものだったようだが。

 

「ありがとう、おかげで大切な事に気付けたよ」

 

 実に穏やかで、悟りを開いてしまったかのような表情だ。小五ロリの方だろうが。ちなみにブッダが開いた方のさとりは本来覚りと書くので、二重に間違っている事になる。いや、人としてどうかを考えれば三重にか。

 

「趣味の道は奥の細道。でも大丈夫だよ邪ンヌちゃん。僕は、これからも頑張っていくから」

 

 それは趣味ではなく性癖だがとりあえず、松尾芭蕉と赤い弓兵に謝る事から始めるべきである。

 

「ぜかまし衣装は酒呑ちゃんに着てもらう事にするよ。頼めば着てくれそうだしね。あ、邪ンヌちゃんはもう着替えていいよ。またダヴィンチちゃんに作ってもらうから」

 

 立て板に水で言いたい事だけを口にした立香に、邪ンヌの顔が面白愉快な事になった。大層に大変な事になっていた。色は再び真っ赤になっていたが、その理由が照れではない事は明白であった。

 

 ついでに病んだような黄金の瞳が、実に危険極まりない光を帯びていた。猫の目もかくやと、ぎらんぎらんに光っていた。後光の代わりに黒炎がうっすらとゆらめいていたが、立香はそれに全く気付かずイイ笑顔で言い放った。

 

「じゃお疲れー」

 

 恥を忍んで裸より恥ずかしい衣装を着たかと思ったら不意打ちで見られ、エロいエロいと連呼された時は実はまんざらでもなかったがやはり死ぬほど恥ずかしく、かと思ったら貧乳好きをカミングアウトされ、他の女のところに行くからもういいよと言われた女。

 そんな面白おかしい事になってしまった未来の喪女がどんな反応を見せるかは、古今東西決まっている。まあそんな愉快な喪女は他にはいまいが、それでも結果が変わる訳ではない。

 

吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)ンンッッッ!!!!」

 

 そう――――爆発である。2016年。カルデアと島風衣装は、ちゅどーんという愉快な効果音と共に、憎悪の炎に包まれた。何に対する憎悪だったのかは、聞かずにそっとしておく事が武士の情けというものである。

 

 女には、許してはならない言葉というものがあるのだ。そう、例え世界が滅んでも。

 




 全部婦長に持ってかれた気しかしない。


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