夕方の職員室は、穏やかにオレンジ色が射しこんでいた。
そんな中、自分のデスクに座っている女性がひとり。
目に映る光景に懐かしさを感じながらも、俺は声をかける。
「お久しぶりです、平塚先生」
平塚静先生は、黒い髪をかき上げながらこちらを見る。
その瞳が大きく見開かれた。
「おぉ、市原か。いきなりだったからびっくりしたぞ」
「近くを通りかかったので、少し寄ってみようかと思いまして」
俺がそう言うと、平塚先生は頬をほころばせ、こちらに向き直る。
「そうかそうか。大学生活はどうだ? 上手くいっているか?」
「変わらずやってますよ」
「変わらず、か。まぁ、元気にやっているなら何よりだ。どうだ、またラーメンでも食いに行くか?」
「遠慮しておきます。あいつにどやされそうなので」
多分、とかではなく絶対にどやされる。
自分は気にしてませんよとか言う顔をしておいて、そのくせ構わなかったら報復に来る猫のような少女なのだ。
そこもまた可愛いと思ってしまうのだから、俺も彼女に変えられてしまったらしい。
「……そうか。お前たちもまだ続いてるのか」
「えぇ、まぁ。って、どうしました?」
「いや、卒業生でさえこんな調子だというのに、最近の私ときたら……」
やばい。
地雷か。
話が長くなる前にさっさと退散してしまおう。
「久しぶりに学校の中を見て回りたいんですが、大丈夫ですか?」
「っと、引き留めてすまない。もう授業も終わっている頃だしな。ついでに生徒会の方にも顔を出してやるといい。それと……いや、これは私の口からは言わないでおこう」
ニヤニヤと何か含んだような笑みを向けてくる。
この人がこういう仕草をする時、ろくなことを考えていたためしがない。
「そうあからさまに言われると気になるんですけど」
「まぁまぁ、すぐに分かるさ。ほら、教師は忙しいんだ。さっさと出てった」
要領を得ない返事のまま、追い出された。
あかね色の廊下をひとり歩く。
「懐かしいな、ここも……」
思わずそんな言葉が口から零れる。
あの時と変わっていない景色は、あの時と変わらずに俺を出迎えてくれる。
けれど、この場所はこんなに静かだっただろうか。
……あぁ、そうか。今の俺はひとりだったな。
どうせならあいつも誘ってくればよかった。
と考えていたその時。
『それ』は俺の目の前に現われた。
「『奉仕部』……?」
教室の扉の上にある白いボードに書かれた文字には、見知った名前が綴られている。
いや、でも、まさか。
脳裏によぎる、かつての輝かしい日々。
興味とともに、その扉を開く。
「あ、これおいしい!」
「そうね。紅茶に合うわ」
「……平塚先生も案外センスあるんだな」
そこにいたのは、三人の少年少女だった。
が、すぐにこちらを三対の目が捉える。
「お客さん、かな?」
まず最初に反応したのは、明るさが印象的な少女だった。
「……」
次にこちらを見たのは、妙に目が濁った少年。
こちらを警戒しているのだろうか、その瞳は鋭く細められている。
そんな彼に、俺は妙な親近感を感じていた。
多分、『こちら側』の人間なのだろう。
高校に入学したあの日以来か、こんな感覚になるのは。
そして、もう一人は長い髪を携えた、鋭い氷のような美少女──
「雪乃?」
と思ったら、知っている子だった。
「肇義兄(にい)さん? どうして貴方がこの学校にいるのかしら」
「ちょっと近くに寄ったから、気まぐれにな」
「……本当に?」
絶対零度もかくやのジト目が向けられる。
原因はすぐに思いついた。
「あいつは一緒に来ていないから安心しろ」
「そう…………貴方がそう言うならそうなのでしょうね」
彼女たちの問題だ。
あまり俺が口出しする気もないし、言ったら言ったで意固地になるのがこの二人だ。
触らぬ美少女に祟りなし。
それが面倒くさいタチならなおさらだろう。
「ゆきのん、その人と知り合いなの?」
もう一人の少女が不思議そうに問いかけてくる。
あぁ、そう言えば自己紹介してなかったな。
「市原肇です。普通の大学生やってます。よろしく」
軽く頭を下げる。
雪乃の方から訝しむような視線を感じるが、気にしない。
「由比ヶ浜結衣です。よろしくお願いします」
「……比企谷八幡っす」
比企谷?
どこかで聞いたことあるような……。
「それにしても、ゆきのんってお兄ちゃんいたんだ。でも、あんまり似てないね」
「姉だけかと思ってたが」
「この人は義理の兄よ。血がつながっているわけじゃないわ」
「義理?」
「まさか……」
二人がこちらを振り返る。
比企谷君の方は面識があるのだろう。
得体の知れないものを見るような目だった。
いったいあいつは──雪ノ下陽乃は、この少年に何をしたのだろうか。