にゃぁ、にゃぁお。にゃぉおん。
「こら、あんまり鳴かないでくれ。今日はあんまり遊べないんだから」
二人で声のした方に向かうと、少し開けた空間で猫と戯れる桐谷の姿があった。
猫はアメリカンショートヘアと言えばいいのだろうか、白と黒の毛が入り交じった見た目が特徴的だ。しかもまだ幼いらしく、桐谷の足にすり寄って甘えるような声を出している。
「こんなところがあったなんてな」
「今日は学校の知らないところをいっぱい知れるね」
「だ、誰だ!」
こんな狭いところでこそこそ話をしていたら、気づかれるのは当たり前か。
二人して物陰から顔を出す。
桐谷は子猫を隠すようにこちらに
「って、城廻? それにそっちの人は……」
「市原肇だ。奉仕部の部長をやっている」
「市原肇……? それって雪ノ下会長の使いパシリっていうあの?」
「違う」
分かっていたが、そういう認識で広まっているのか。
しかも、一年生にも。
噂が広まるのは早いものだ。
「奉仕部って聞いたことないぞ」
「ひっそりとやっている人助け相談所みたいなところだ」
「めぐりもなのか?」
「うん、そうだよ」
──にゃあお?
「あ、ちょっと待て!」
背中に隠されていた子猫が、不思議そうに桐谷の陰から顔を出す。
エメラルドにも似た瞳がまず捉えたのは、めぐりだった。
彼女はにっこりと猫に笑いかけながら手を振る。
その仕草がお気に召したらしく、にゃおんという鳴き声が校舎裏に響く。
くりりとした瞳が、見定めるようにこちらを見つめる。
時間にして約二秒。
その次の瞬間。
──びにゃぁ!
あろうことか、尻尾を巻いて逃げ出された。
そさくさと猫は桐谷の足下へ。
どうやらよほど懐かれているらしい。
「逃げられちゃったね」
「まぁ、昔から動物には好かれないタチだったからな」
近所のハトだろうが、散歩している犬だろうが、見境なく警戒されてきた。
動物は善人を見分けるとはよく言ったものだ。
動物たちには、何かしらの感覚で俺の『中身』が理解できるのだろうか。
「それで、奉仕部だっけか。そんな部活が何でここにいるんだよ」
「薄々感づいているんじゃないのか? でなければ、過剰にその猫をかばう理由もないだろう」
「……っ」
「まぁ、聞きたいなら教えてやる。ここ最近、校舎裏から変な物音と声がするので、調査してほしいという依頼があったんだ。その存在を排除してほしいともな」
「そんな!」
(はじめちゃん?)
(ここは任せてくれ)
疑問を投げかけてくるめぐりに視線で返して、言葉を紡ぐ。
「まぁ、嘘だが」
「嘘かよ!」
「半分はな。依頼があったのは本当だ」
「うぐ……けど、うちの家じゃ猫は飼えないし」
「このままその猫がこの学校に居続けたらどうなるだろうな」
「え?」
「寂しそうに鳴いているところを心ない誰かに見つけられ、嬲られた後に保健所に送られて、果ては誰にも看取られずに悲しそうに鳴きながらその一生を──」
「待て! 待ってほしいッス! 分かりましたから!」
「何が分かったんだ?」
「俺が責任を持って里親を探すッス」
「別に俺たちがやってもいいんだぞ」
「……先輩はあれだけ嫌われてたじゃないッスか」
「一度請け負った依頼ぐらいはこなしてみせるさ」
めぐりに猫を見てもらって、俺が外に出て探すこともできるしな。
だが、目の前の少年は首を横に振った。
その目には、強い覚悟が取っているようにも見えた。
「いや、俺がやるッス」
「そうか。じゃあ、この話は終わりだな」
「無理そうならうちを頼っていいからね!」
「おう。ありがとう、城廻。先輩もありがとうございましたッス」
「礼はいいから、さっさと部活に戻れ。抜け出してきているんだろう? 終わるまでは見ておくから」
「う、ウッス! じゃあ、またな!」
彼は子猫に手を振りつつも来た道を駆け出し、抜け道から再びグラウンドへと向かっていく。
そうして、校舎裏には俺とめぐりと、心細そうになく子猫がいた。
「一応これで解決だが」
「結構あっさりだったね」
「まぁ、こんなもんだろう。桐谷の聞き分けがよかったのもあった。見た目に反して、結構素直なヤツだったな」
「でも、見つけられるのかな?」
「提案してきたのはあっちだ。何かしら考えはあるんだろう」
「いい里親が見つかるといいね」
「そうだな」
にゃぁ、にゃお。にゃぁ。
「この子ずっと鳴いてるね」
「そうだな」
「はじめちゃんは桐谷君が来るまでここにいるんだよね」
「先に戻ってていいぞ」
「えー、わたしも一緒に待ってるよ?」
「いいから。そろそろ雪ノ下が部室にやってくる頃合いだろう」
「でも……大丈夫なの?」
めぐりが言いたいのは、俺の動物嫌われ体質のことだろう。
だが、別に近づく気はない。
見ているだけならどうにかなるだろう。
そう言うと、めぐりは渋々戻ってくれた。
「ふぅ……」
息を吐いて、校舎にもたれかかって座りこむ。
こういうところが落ち着くのは、日陰者のサガだろうか。
人を観察するのは嫌いじゃないが、最近は人の視線に曝されすぎた。
依頼とはいえ、ちょうどいい場所を見つけてくれたものだ。
じっとりとした土と空気が、どこか心地いい。
にゃぁ。
おずおずとこちらをうかがっていた子猫が鳴く。
やがて、こちらを気にしても無駄だと分かったのか、同じように壁に寄り添って寝転がった。
「良かったな、お前はひとりじゃなくなりそうで」
その言葉は、誰にも聞かれることなく校舎裏に消えていった。