──ガタンゴトン、ガタンゴトン。
雪ノ下陽乃には、いくつかの趣味がある。
そのひとつがふらりと旅に出ること。
自分の知見を広めるため、まだ知らない土地を見たいからなんて、理由をこじつければ多岐にわたるが、結局のところそれは堅苦しいあの家からの逃避であった。
そう、本来ならそのはずだった。
今、彼女が抱える悩みは、その類いのものではないが。
「はぁ……」
大きなため息が三両編成の電車の中に消えていく。
彼女以外、乗っている車両に人はほとんど見えない。
子ども連れの親子も、眠そうに座る老人も、彼女が想いをはせるあの少年の姿さえ──
「っ」
飛びそうになった思考を慌ててせき止める。
信じられない。
いや、信じたくない。
彼を気にしている自分という存在を。
『次は──』
電車に響くアナウンスに、はっと視線を外に向ける。
電車の窓ガラスの向こうには、どこか寂れた様子のビル群が広がっている。
反対側に目を向ければ、びっくりするほどに自然が溢れていた。
陽乃は肩にさがったハンドバックを直す。
ここでいいか。
空気の抜ける音を聞きながら、軽い慣性に身体を揺らす。
駅構内に降りると、涼しい空気が彼女の身を包みこんだ。
「へぇ、いいところじゃない」
実家の最寄り駅から一時間ほどだろうか。
雨ざらしの構内を吹き抜ける風は、どこか潮の香りを帯びている。
周囲を見回してみれば、海岸までの距離を示す看板がたてかけられていた。
その瞬間、目的地はもう決まったようなものだった。
──ピッ。
電子パスをかざした改札口が軽快な音を立てる。
足取り軽くロータリーに降りた美少女。
忙しそうに道行く人も、近くに止まったトラックの運転手も、嫌が応でも目を引く。
陽乃にとっては、もう飽きるほどに浴びた感覚。
「つまんないなぁ」
口の中でぽつりとつぶやく。
どこに行ってもそうだ.
雪ノ下陽乃の一面だけを切り取って見る彼らに、彼女の本当の姿は分からない。
小手先で笑顔を振りまいたり、仕草を操るだけでどうにでもなる。
それは楽なことではあるけれど、楽しいわけではない。
「今まではこんなこと、あんまり考えなかったのになぁ」
それもこれも、全てあの同級生のせいだ。
どうしてあれほど異質な存在に今まで気づかなかったのだろうか。
ぼんやりと考えながら、道端を歩く。
「こんにちは」
「……」
自らに声をかけてくる青年を見向きもせず、ただぼんやりと。
「あれ、聞こえてる? キミだよキミ」
「あ、ごめんなさい。あまりにも影が薄くて見えませんでした」
「そ、そう。ところでキミ、あまり見ない顔だけど、ここに来るのはハジメテ?」
鬱陶しい。
今すぐ蹴飛ばしてしまおうか。
そんな考えが頭をよぎる。
「やめておいた方がいいですよ」
「え」
どくん。
心臓が跳ねる。
身体中が熱を帯び、目の前に起こったことが認識できなくなる。
しつこい男の腕を掴んだのは、ここにいるはずのない人物──市原肇だった。
何故、どうして、わからない。
『あの』雪ノ下陽乃が思考を止めるほどに、その光景は衝撃的だった。
唖然とする陽乃をちらりと一瞥した肇は、ふたたび青年に向き直って口を開く
「こんなところで死にたくないでしょ?」
「いや、あの、オレは──」
「まっとうな人間がコイツに関わろうとしない方がいい」
肇はすぅっと目を細める。
肇に見られていないはずの陽乃だが、首を締められているような息苦しさと背中を駆け巡る。
──つまるところ、強烈な殺気だった。
「ひっ──ひぃいいいいいいい!」
その気にアテられた青年の喉が、引きつった音を漏らす。
かと思えば、脇にいる陽乃でさえ感じる気迫に、青年は腕を振り払って一目散に逃げていった。
「聞き分けがよくて助かった。長引くと面倒だからな」
「あんなヤツら、助けてもらわなくてもどうにでも料理できたのに」
その言葉に嘘は含まれていない。
あの程度の男もどうにかできないと思われているのなら、それは陽乃にとって心外に他ならない。
しかし、彼から返ってきた返答は意外なものだった。
「分かっている。だから止めた」
「何、あの人の知り合いだったりした?」
「無関係だが、だからといって見過ごすほどお人好しでもない」
「キミが? 冗談は行動だけにしてよね」
「はぁ……俺だって止めるつもりはなかったさ。お前じゃなければな」
「…………え」
まただ。
どくんどくんと鳴り響く心臓の鼓動は、じんわりと身体を熱くする。
ダメだ、ダメだ。こんなの私らしくない。
「さすがにめぐりの友人を殺人犯にする気はないからな」
「は」
「……雪ノ下?」
「…………あっそ」
体温が急激に下がっていく。
同時に、ふつふつと胸の内から湧いてくる感情があった。
「私を誰だと思ってるの? ばれないように殺るに決まってるじゃない」
イライラする。
少しでも期待してしまった自分に。
だが、そのおかげで陽乃はすっかり正気を取り戻していた。
「というか、何でいるの? まさかストーカー?」
「どんな思考でそこに辿り着いたのかは知らないが、俺は自分自身の用事でここに来ているんだ。被害妄想も大概にしろ」
「こんな美少女が歩いているんだもの、そう思うのも普通じゃない?」
「その自覚があるのならあまり不用心にしないことだな。それじゃあ」
それだけ言って、肇は踵を返そうとする。
しかし、一度捕まえた獲物を逃がすほど陽乃は甘い少女ではなかった。
「おい」
「離すと思う?」
「離せ」
肇は腕を振って、拘束を解こうとする。
だが、雪ノ下陽乃は、自分をここまで動揺させる存在を素直に逃すつもりはなかった。
報復もこめて、彼女は腕に力をこめる。
「どうしてここにいるの?」
「ただの偶然だ。それ以上でも以下でもない」
「そ」
正直、その質問の答えはどうでもいい。
才色兼備と謳われる自身の脳みそを精一杯使い、彼女はどう報復するかについて考えを巡らせる。
時間にして数秒。彼女はその答えに辿り着いた。
「じゃ、付きあって」
「は?」