雪ノ下が喫茶店の扉を開けば、シックな装飾に包まれた店内が出迎える。
ランチタイムも終えた時間帯の店内には、似合いの穏やかなBGMが流れていた。
中には世間話に花を咲かせるおばさんや、新聞を読む紳士の姿が見える。
その中で、せわしなく動いていたウェイトレスがこちらを見る。
彼女は突然入ってきた絶世の美少女を見ると、細い目を大きく目を見開いた。
黒い瞳がこちらを捉えてくるが、俺は視界に入っていないようだ。
少しの間ぼぉっとしていたが、やがて慌てたように近づいてきた。
「いらっ、いらっしゃいませ。おふたりですね。こちらの席にお座りください」
促され、奥の席に向かい合って腰掛ける。
彼女は周囲を眺めた後、「いい店だね」と言いながらメニューを広げた。
一瞬だけ目を通すと、彼女は顔を上げる。
「注文決まってる? 入ってから一度もメニュー見てないけど」
「あぁ、いつでも頼んでくれて構わない」
「ふぅん。ま、そう言うならいいけど。すみませーん」
雪ノ下が呼びかけると、ウェイトレスさんがいそいそと寄ってきた。
「はい、ただいま。ご注文はおきまりでしょうか?」
「私はチョコケーキと紅茶のセットひとつ」
「あのパンケーキセットをお願いします」
「かしこまりまし……た?」
「どうしたの?」
「い、いえ、かしこまりました!」
……あの様子だと気づいたのだろうか。
まぁ、だからと言ってどうすることもできないのだが。
「何だったんだろう」
「さぁな」
「ま、いっか。それにしてもパンケーキって、似合わないでしょ」
「悪かったな」
「別にそんなこと言ってないから。それで、なんでこんなところにいたの?」
「……まぁ、色々とな」
「何、教えてくれてもいいじゃん。私と市原クンの仲でしょ?」
「いつ仲良くなったか教えてほしいんだが」
あの選挙演説から一週間ほどしか経っていない。
めぐりと雪ノ下は長年の親友のように接しているが、俺と雪ノ下はいがみ合ってばかりだった。
……思えばだいぶ濃い時間を過ごしているような気がするな。
「はーい、チョコケーキと紅茶セットひとつ、パンケーキセットひとつ。おまちどおさまー」
「ありがとうございます~」
「どうも」
コトリと軽い音を立てて、パンケーキが目の前に置かれる。
軽く頭を下げると、ウェイトレスはこちらをじっと見つめてきた。
やがて、納得したように一度頷く。
「あ、やっぱり。ねぇ、もしかしてだけど……市原さんところの肇くん?」
「まぁ、そうです。やっぱり気づいてなかったんですね」
「やっぱり! どこかで見たことがあったのよね!」
そう言って、女性──土方杏さんが驚きの声を上げる。
ここに来たのはまだ幼い頃、祖父に連れられてきただけだから、忘れているものだと思っていた。
いや、俺としてはむしろそっちの方がよかったのだが。
「いやぁねぇ、言ってくれたらよかったのに。こんなに綺麗なカノジョさんまで連れて帰ってくるなんて、嬉しいわぁ」
「まさかと思うでしょうけど、ただの同級生です」
「いいのよ、照れなくて。おばちゃん引っこんでるから、若いお二人でごゆっくり~」
杏さんは空いた手をひらひらと振り、自分の仕事へと戻っていく。
外見はそんなに変わっていないように見えたけれど、あそこまでテンションの高い人だっただろうか。
まぁ、前に来たのは本当に十年ほど前の話だが。
「分かっていたんだろうが、ここは俺の祖父が住んでいる土地だ。昔は両親と一緒に遊びに来ていてな、今でもこうして休日に足を運んだりすることがあるんだ」
「え」
「は?」
おや、雪ノ下の様子が……。
てっきり分かってこっちまでやってきているものだと思ってたんだが。目の前で瞬きしているところを見るにどうやら違うらしい。
ではいったいどうして、などと考えていたら、ついと視線がそらされた。
「もちろん知ってたよ? ここに来たのは天敵の調査のためだしね? まさか本人がココに来てるとは思わなかったなぁ」
「嘘はつくだけ見苦しくなるだけだぞ」
「そんなわけないじゃない。何、自意識過剰なの?」
「そこまでは言ってないだろ! いいから落ち着け、今のお前はかなりおかしい」
「中身がおかしいのはお互い様じゃない」
「否定はしないが、それを今持ち出してくるのは卑怯だろう!」
それに今のお前はどっちかというとテンパっているだけじゃないか。
等と言いたかったが、口にしたところで余計絡まれるだけなので黙っておこう。
「……何か言いたいことがあるなら言った方が身のためだよ?」
「ちっ、そのままずっと焦っていれば都合がよかったのだが」
が、そんなことは目の前の少女にはお見通しらしい。
無駄なめざとさを発揮しやがって……。
「そんなことになるわけないじゃない。自分から安全圏で眺めるだけなんて許さないから」
「人畜無害なんだからいいだろ」
「はぁ、やめやめ。どうせまた堂々巡りになるだけだろうし……あ、このケーキおいしい」
「口にあって何よりだ」
「それ、キミが言う?」
雪ノ下は呆れたように微笑むと、再び手元のケーキにフォークを刺すのだった。