その日の放課後。
俺はひとり、夕暮れ差しこむ図書館にいた。
周囲にほとんど人の姿が見えない、静かな空間。
ただひとり、図書委員の女子がカウンターの向こうからチラチラと見てくるが、特に何をしてくるわけでもないのでスルーしていた。
カリカリと筆を走らせる音だけが小さく響く。
勉強は嫌いではない。
解く問題の絶対に答えがあるから。
やがて、どれほどの時間が経っただろうか。
「ふぅ、こんなものか」
数学の宿題を終え、一息吐いて顔を上げる。
「……」
「……」
そこに、雪ノ下がいた。
彼女はこちらを見ながら、宝石のような美しい笑みを浮かべている。
「……」
ぺこり。
軽く会釈してみる。
ぺこり。
彼女も返してくれた。
なるほど、これは幻覚だな。
心臓が止まるかと思った。
静かな空間を望んで図書館に来たのは確かだが、こんな静けさは欲しくない。
まぁいい。
何も話しかけてこないのなら、勉強を続けよう。
「や━━」
「黙れ図書館で喋るなと教わらなかったのか。幻覚が言葉を話すな」
やっぱり本物かこの野郎。
「幻覚かどうか、試してみる?」
「オッケー。今のお前は現実、今のところはそう思っておこう」
命の危険を感じたので、矛先を収める。
さすがにこれ以上突っ込むのはヤバイと本能が告げていた。
その様子を見て、雪ノ下は重苦しいため息を吐く。
「誰にも迷惑をかけないんだからいいでしょ。図書委員の子も追い出したし」
「俺が迷惑だ」
だからさっさと去れ。
そう言いたかったのだが、彼女は何かご不満らしい。
というか、さっきから妙に疲れているような感じだ。
「ゴミを押しつけておいてそれはないんじゃない?」
「ゴミ……?」
「君のクラスの四人。脅したらすぐに情報の出所を吐いてくれたけど」
「…………………あぁ」
そういえばそんなヤツらもいたな。
今の今まで忘れていた。
「手伝いが欲しいと言っていたから送ったまでだ」
「……無能って仕事を増やすことに長けては一流なんだよね」
さいですか。
「あいつらもお前にご執心だったようだからな。WIN-WINだろう。感謝されることこそあれど、怒るのは筋違いにもほどがある」
━━ダンッ!
机の足が力一杯蹴られる。
これはかなりご立腹の様子だった。
「生徒会での仕事も全部終わらせてきた。よかったね、これから帰るまで美少女がずっと一緒にいてくれるよ」
それは俗に言う監視というやつではないのだろうか、
彼女の言う通り、見覚えのある図書委員はいつの間にかいなくなっている、
どうやって追い出したのかは知らないが、きっと穏やかなやり方じゃなかったのだろう。
「放っておいてくれ」
「お断りさせてもらうよ」
笑みを貼りつけたまま、彼女はきっぱりと拒絶の意思を見せる。
「この学校はもう私のものなの。全部私の思い通り。皆、私に媚びを売ってご機嫌を伺う、私だけの完璧な王国。でしょ? でも、その国に異物が混じってたら気持ち悪いじゃない? だからあたしはそれを排除する必要があるの」
「排除とは穏やかじゃないな」
そう、穏やかじゃない。
だが、こいつはやると決めれば確実にするだろう。
俺と同じ、人間じゃないナニカであるコイツなら。
「そうだね。賢いやり方じゃない。だから、飼い慣らすことにしたの」
だから生徒会に入れ、と。
なるほど、言っていることは理解できる。
「断る。俺は俺がそこに所属することを望まない」
「……だったらどうするのかな?」
「何もしないさ。俺はお前に関わるつもりはないのだから」
「それは無理。だって私は、君に興味を持っちゃったんだもの。こんな美人に興味を持ってもらえるなんて、幸せだと思わない?」
その大きな瞳に映るのは、どろりとした真っ黒い感情。
どうやら本当に逃がしてくれるつもりはなさそうだった。
「疫病神に憑かれたの間違いだと思うが。そもそも、生徒会に所属しても俺にメリットがない」
「メリットがあれば入ってくれるんだ」
「前向きに検討しよう」
まぁ、そんなものあるはずないがな。
そう吐き捨てて、俺は図書館を出て行く。
「ふぅん、メリットねぇ」
去り際、後ろから聞こえてくるつぶやきが気になった。