大変励みになっています。
これからも本作をよろしくお願いします。
「ふぅ……」
エレベーターに乗りながら、ため息をつく。
今日は本当に災難な1日だった。
雪ノ下に朝から絡まれ、それが原因でクラスのヤツにも難癖をつけられ、その上また雪ノ下と出会ってしまう。
だが、それももう終わりだ。
マンションにたどり着いた俺を邪魔する者はもういない。
俺は自由の翼を手に入れたのだ!
━━チンッ!
エレベーターが軽い音を立てて止まる。
降りると、部屋の前にひとりの少女がいた。
後ろで三つ編みにしたその姿は、俺にとってとても見覚えがあるものだった。
「めぐり。何やってるんだ、お前は……」
「あ、おかえりなさい、はじめちゃん」
こちらに気づいた城廻めぐりは手提げ袋を手に、へにゃりと笑みを浮かべる。
十年以上見てきた、ちっとも変わらない笑顔。
その顔は、警戒心のかけらもない。
「勝手に入っていいって言っただろ。合鍵は渡してあるんだし」
「でも、家主もいないのに勝手に入るのは悪いかなって」
「いや、そういう問題じゃない。作ったご飯を持ってきてくれるのはありがたいが……」
自己防衛の意識がないのか、こいつは。
……ないんだろうなぁ。
生まれてこのかた、のほほんとした雰囲気が崩れるのを見たことがない。
微妙な気持ちで眺めていると、めぐりははっと何かに気づいた様子で片方の手を口に当てる。
「もしかしてはじめちゃん……お腹すいてる?」
「もうそれでいいよ」
「じゃあすぐに用意するからね」
相変わらず能天気さに呆れつつもどこか癒されるのは、彼女の持つ独特の雰囲気のせいだろうか。
そう思いながら、俺はポケットから取り出した鍵を穴に差し込んだ。
「はい、どうぞー」
「ありがとう」
六畳間という狭いリビング、その中心にあるちゃぶ台に乗せられた今日の晩ご飯は、予約炊飯していたご飯と肉じゃが、ほうれん草のおひたしだった。
「うまいな、この肉じゃが」
「えへん、今日のは自信作なんだよね」
胸を張るめぐりに癒されながら、自然と頭は今日の出来事を考える。
雪ノ下陽乃。
人の仮面をつけたバケモノ。
既に二回断ったのだから、これで雪ノ下が諦めてくれるといいんだが……。
変に執着されると面倒くさい。
「ちょっと、はじめちゃん」
「ん?」
その声によって現実に意識を引き戻されたと思えば、ちゃぶ台の向こう腕が伸ばされる。
「……んむ」
「ほら、おべんとついてる。あむっ」
俺の頰を指が撫で、その細い指が口元に運ばれる。
「……よくやるな、めぐり」
「んー? 何が」
ポカンとしながら人差し指をくわえるめぐり。
恥ずかしくないのか、コイツは。
「そういえばはじめちゃん、何か悩みでもあるの? 」
「どうしてだ?」
「何かぼぉーっとしてるから」
「めぐりにだけは言われたくないな」
「ひどくないかな、それ!」
「……まぁ、ちょっと放課後に解けなかった問題を考えてただけだ」
「はじめちゃん、今日も勉強してたんだ」
「あぁ」
「部活とかに入る予定もないんだよね?」
「今のところは特にないな」
「そっかそっか」
何かめぐりが含みのある笑顔を浮かべている。
こういう時のめぐりは、ろくなことを言う記憶がないから心配だ……。
説教でもされるのだろうか?
「あのね、はじめちゃん」
「あぁ」
「私、生徒会に入りたいんだ」
「……そうか」
正直な話、やめておけと言いたい。
めぐりは長い間一緒に過ごしてきた妹のような存在だ。
雪ノ下なんかの下に送り出すのはしたくない。
ただ……幼なじみとはいえ、赤の他人である俺がそこまで口を出していいのか。
「というか、何で俺に言うんだ。普段のめぐりなら俺に何も言わずに突っ込んでいくだろう」
目の前の少女がほわほわしているように見えて我が強いということを俺は知っている。
昔っから、普段の聞き分けはいいくせに一度わがままを言いだすと大変だったのだから。
「え、はじめちゃんって雪ノ下先輩持ちの生徒会役員じゃないの? だから一緒にお仕事できると思ったんだけど……」
「は?」
「え?」
一瞬、めぐりの言っている意味が分からなくなった俺は悪くない。
雪ノ下持ち?
生徒会役員?
一緒にお仕事?
「昨日、生徒会室に呼ばれたって噂になってたし」
「断ったぞ」
「朝もぴったりくっついてたし……」
「あれはあいつが勝手にくっついてきただけだ」
「でもほら、よく見たらカッコよくないわけじゃないから、もしかするかもしれないし」
「カッコよくない」
「カッコいいですー。はじめちゃんに惚れてる女の子だってきっといるんだから」
ちょっと待て、なんか話が変な方向に流れ出したぞ。
「百歩譲って俺に惚れているような物好きがいたとしよう。その場合、ひとつわかりきっていることがある。こんな面倒くさいヤツに惚れるようなヤツは確実に面倒くさいヤツだ。それもとびっきり、な」
「それは……そうかもしれないけど、はじめちゃんにははじめちゃんのいいところがあるんだから。ね?」
こちらを心配するような瞳で、彼女は語りかけてくる。
面倒臭いところは否定してくれないのか。
いや、まぁその通りだから否定のしようがないと思うんだが。
しかし、めぐりにこうも言いくるめられると調子が狂うな……。
「それを言うなら、お前も美少女だろうに」
「ふぇっ……?」
こういう時は、カウンターを仕掛けたくなるのが人間のサガというものだろう。
俺は今多分、少々意地の悪い笑みを浮かべていると思う。
「そ、そそそそんなことないよ。私なんか雪ノ下先輩に比べたらぜんぜんだし!」
「何で雪ノ下と比べているのかが分からないが、お前は疑いようのない美人だ。ゆるふわ可愛い系の。だから諦めろ」
「諦めるってなに!? というか可愛いって、そんなんじゃないから!」
わたわたと手を振って慌てる様は大変可愛らしい。
学校でそんな姿を見せようものなら、きっと校内で雪ノ下に次ぐ人気が出るに違いないだろう。
そう、城廻めぐりは誰が何と言おうと美少女なのだ。幾分かの兄馬鹿補正が入っているかもしれないけれど。
……彼女は人を惹きつける才能があるのだ。
だから、こんな偏屈で面倒くさい日陰者の俺なんかと関わってほしくないのだが……。
俺の心境など知ってか知らずか、今日のように彼女は晩ご飯を作りに来る。
学校ではあまり接してこないでくれという無茶なお願いを聞いてもらっているだけに、とても断りづらいのが現状だ。
「と、とりあえずはじめちゃん、明日はよろしくね」
「……おかわり、頼む」
「了解しました!」
少し照れたような、おどけたような調子で、彼女は手を差し出してくる。
逃げ切れたと思ったが、めぐりんアイをちょろまかすことはできなかったらしい。
重いため息を呑みこんで、俺はウキウキと楽しそうなを浮かべる幼なじみに茶碗を手渡した。