「雪ノ下さん? それならちょっと用事で出ているよ」
生徒会を訪れた俺たちを出迎えたのは、眼鏡をかけた男子生徒だった。
その姿は以前の生徒会選挙で見たことがある。
「そうですか」
「そっちの彼女は知らないけど、君は同級生の市原くんだよね。確か、雪ノ下さん持ちの役員の」
俺の知らないところで密かに噂は広まっているらしい。
本当に俺を引き入れる気か、あいつ。
こんなのを仲間にしても毒にしかならないと思うが。
「……」
「……」
何故かじっと目を見つめている。
こっちも見返してみるが……普通の人間だ。
雪ノ下と比べればよくいるタイプの。
擬態している、というわけではない。
ただ純粋に、何を考えているのか分からないタイプの。
よくある一般人だ。
それ以上でも、以下でもない。
「雪ノ下さんに何か用かな?」
答えていいのだろうか。
そう考えていると、背後のドアが開かれた。
「市原くん?」
探し人来たれり。
雪ノ下は本当に不思議そうな瞳でこちらを眺めてくる。
「雪ノ下か。少し話がしたい」
そう言えば、やがて一つ瞬きをした後。
「……ちょっとこっちに来て」
少し不機嫌そうに口元を歪めながら、身を翻した。
連れてこられたのは、誰もいない空き教室だった、
最近人が使用した形跡はなく、部屋の奥には机と椅子が敷き詰められている。
「適当に座っていいから」
慣れた様子で彼女は椅子を引っ張ってくる。
俺たちもそれに習い、雪ノ下の前に着席した。
「……」
「……」
「……」
三人が三人、何も言わない微妙な空気感。
俺は昨日の今日で訪れてしまった気まずさ、めぐりは憧れの人物を前にしている緊張、 そして雪ノ下はと言うと……普段通り、笑顔の仮面を貼り付けていた。
少し意外だ。
部外者(めぐり)がそばにいるからだろうか。
「君が生徒会室に来るとは思ってなかったよ」
「そうだな」
俺だって来たくなかったさ。
思わず出かかった嫌味を、めぐりの手前ぐっと呑みこむ。
そんなこちらの様子から察してくれたのだろう。
彼女の視線は俺の隣に向けられた。
「まぁいいや。そっちの子は?」
「城廻めぐりと言います。はじめまして、雪ノ下先輩」
「うん、はじめまして」
丁寧にお辞儀をするからぐりに対して、彼女はあくまでもにこやかに応答する。
どうやらめぐりの前では本性を見せるつもりはないらしい。
「わたし、学校のみんなのためになることをしたいと思ってるんです。だから、生徒会に入りたいと思ってるんですけど……」
「ちょっと市原くん、外に出てくれない? 二人で話したいから」
「それは……」
「心配しなくても大丈夫だよ、はじめちゃん。私だってもう高校生なんだからね」
いや、心配しているのはそこじゃないのだが……。
そんなことを思いながらも、渋々外に出る。
と、そこで見知った人物を目撃した。
「お、おう、こんなところで奇遇だな、市原」
「奇遇だな、じゃないですよ」
そこにいたのは、平塚先生だった。
あからさまに挙動不審な様子で、彼女は身なりを整える。
「いや、これは決して盗み聞きをしていたわけではない。本当だぞ。ただ、雪ノ下が生徒二人を連れて空き教室に向かったという情報を手に入れたため、興味本位で聞き耳を立てていただけだ」
「そういうのを盗み聞きと言うと思いますが。というか、中に入ればよかったのに」
「青春の語らいを教師が邪魔するのは野暮というものだろう」
その時だった。
教室の中から笑い声が聞こえてきたのは。
「市原クン、入っていいよー」
ついで、こちらを呼ぶ声。
すごく嫌な予感がするのだが。
具体的には、魔王と幼なじみの相性が実はよかったとか、そういう類の。
中に入ると、二人はとてもにこやかな様子だった。
「ありがとうございました、はるさん」
「こっちも楽しかったよ、めぐり」
呼び方まで変わっている。
……この二人にいったい何があったのだろうか。
出る前からは考えられない仲の睦まじさなのだが。
「それで、どういう話になったんだ」
「」
「市原クン」
「……何だ」
「君も生徒会に入るよね」
「は?」
何を言っているのか。
「はじめちゃんも入ろうよ。きっと楽しいよ」
俺を追い出したのは、めぐりを味方につけるためだったのか。
まずい。これはまずい。
「分かってるよね?」
抗議しようとしたところに、雪ノ下が口を出す。
……ここで断ると、めぐりが大変な目に遭うということだろう。
こいつなら一度仲良くなった相手を突き落とすとかやりかねん。
「……何をすればいい」
「どうしよっかなぁ……ただ普通に生徒会に入ってもらうのも面白みがないしなぁ」
顎に人差し指を当て、にんまりと考えこむ雪ノ下。
その時だった。
━━パァン!
教室の扉が、音を立てて開け放たれたのは。
「話は聞かせてもらった! お前たちの考えを叶えるいい案がある!」
「静ちゃん?」
「平塚先生?」
長い髪をたなびかせ、登場した教師は、カツカツと足音を立てて黒板の前までやってくる。
そして、白いチョークを取ったかと思うと、おもむろに書きつけた。
……今の今までスタンバッテいたのだろうか。
「「「部活動……?」」」
そこにでかでかと描かれた文字を、意図せず三人で読み上げる。
「そう、部活動だ!
雪ノ下は自分で自由に動かせる組織が手に入る、城廻は自分の仕事っぷりを見てもらえる。実にウィンウィンじゃないか!」
「え、ちょ」
俺が含まれていないような気がするのは気のせいだろうか。
「それに、だ。誰にも知られない、人知れず誰かを助ける秘密組織……どうだ、燃えないか?」
「いいねいいね! 静ちゃん、ナイスアイデア!」
しかし、名前を呼ばれた当事者、特に雪ノ下は乗り気になってしまっていた。
「そして、市原。これはお前にもメリットがある。お前の志望は聞いている。受験戦争には、部活の一つや二つやっていた方が有利になると思わないか」
「でも、秘密裏の組織なんですよね」
そんなものを履歴書に書いていいのだろうか。
「そっちは裏の顔でいいだろう。表の顔は……人助けボランティアでもやっていればあちらの心象もよくなる」
「そんな適当な」
けれど、平塚先生の言っていることも理解できる。
確かに部活をやっていた方が入試に有利になるとはよく聞く話だ。
………………。
「……分かりました」
「乗り気になってくれて何よりだ。さて、名前は何にするかな……」
「ボランティア部とか、安直ですかね?」
「もうちょっとカッコよさ出した方がいいんじゃない?」
女性陣が盛り上がるのを、外から眺める。
もうなるようになれ。
「あ」
「お、雪ノ下。何か思いついたのか?」
「とびっきりいいのを思いついたよ」
「どういうのです?」
「━━『奉仕部』なんてどうかな」