罰ゲーム 74時間 四国八十八ヶ所完全巡拝。
前回の企画、クイズ試験に出る勇者部活動記録で、犬吠埼風は合格点の200点を取る事ができず罰ゲームとして受験生の妹・樹の合格を祈願し四国八十八ヶ所をすべて回る事になった。
四国八十八ヶ所は徳島県霊山寺をスタートし、四国を時計回りで一周する形で香川県の大窪寺まで。
全行程1450kmの道のりである。
巡拝初日の午後1時、一番札所霊山寺から半日で徳島県の23か所のお寺をすべて巡拝。順調なスタートを切ったが、二日目の高知では四国の狭い道、うねる道に苦しめられ、夜9時の段階でようやく三十八番札所まで巡拝するに留まっていたのである。
犬吠埼風に残されていた時間は翌日の丸一日と、東郷たちが帰ってくる次の午後3時までの僅かな時間。
その間に愛媛、香川、両県に残された50もの寺を回る事になったのである。
これまで企画の陣頭指揮を執ってきた東郷美森不在の今回の旅。
いつもボヤていたばかりの犬吠埼風が、果たして奇跡を起こすのか。
今回、その結果が出る。
神世紀303年1月19日
午後9時15分
高知県中村市
三十八番札所の巡拝を終えて夕食のお店に入った三人。お遍路姿の風が、ジュースの入ったコップを一口飲み、カメラの前で夏凜に向かい一つ宣言した。
「いや、明日は本当にもうあたしは奇跡を起こそうと思ってるから」
「大丈夫なの?」
「ええ。今日は何個回ったのかしら?」
風の問いに、カメラを持った園子が答える。
「今日は24回ったよ~」
「24から40って事は、16でしょ?」
「一日回って16しか回れなかったの!?」
「そうね」
「それで明日はなに? 40回ろうって言うの?」
「………………」
それはほとんど不可能とさえ言える状況であった。
だが、やるしかない。
夕食を食べ終えた三人は再び移動車両に戻り、暗い夜道に車を走らせた。この時点で遂に車は800キロを走行している事が告げられ、距離数で言えば半分以上に達しているにも関わらず、実際に回った寺は二日目を終えようとしている段階で半分に満たないと言うのだから、やはり今ここにいる高知は如何に厳しい道であるかを思い知らされる三人であった。
「数を稼げないものねぇ、高知は。でも逆に、明日からは行けるかもしれないわよ」
高知さえ脱する事ができれば。
愛媛、そして自分達の勝手知る香川ならば追い付けるかもしれない。
「工事工事の、う回う回の、高い高いはもうないでしょう」
「なぁに? その高い高いのって」
四国八十八ヶ所の鉄則
工事 工事
う回 う回
高い 高い
「もうあやしてるわけじゃないんだから、子供を」
「なんで高い所に登らすのかしらね」
「どの寺も『絶景かな』としか言えないもの」
一つ一つの寺を回るために、ずいぶんと高い山の上まで登らされたものであった。
「大丈夫、行ける行ける。これができればだいたい人生乗り切れるわよ」
「そうよ」
まだ16、17の少女たちが語る。
「だって一日ちょっとを残して、まだ半分も行ってないって状況よ風」
「うん」
「それをやりきろって状況だもの」
「あはは~」
「今考えたら不可能よ」
遂に同行の夏凜の口からもハッキリと漏れてしまった現実。思わず他の二人からは苦笑のようなものが零れていた。
「ここはアレね。 勇者魂をちょっと見せようかしら」
現実に押し潰されそうな空気に少しでも抵抗を見せようとするかのように、かつては一番この企画に最初から抵抗を抱いていた風が口を開く。
「樹もね、回れるとは思ってないわよ。ていうか樹知らないから」
「そうね。この企画、樹には伝えてないもの」
「家を出る時だって、友達と勉強合宿に行ってくるって言ってあるんだから。受験生でもないのに。むしろ樹が受験生なのに。でもあの子、なんの疑問も抱かず『お姉ちゃん行ってらっしゃ~い』って、無邪気な笑顔で送り届けてくれたのよ。それを思い出したらもう……ぐすっ」
「そんな樹には絶対に想像できないでしょうね。今、姉がこんな辛い思いをしている事を」
「酔うんだもの」
「酔うんだから」
「あたしはね、乃木。宇和島に着くまでツボ押しっぱなしだから。手のひら穴あくまで押してやるんだから」
「あはは、そうだねぇ」
「そりゃあ酔わないわよねぇ、手に穴あくまで押せば」
「ふーみん先輩のツボがなくなっちゃうよぉ」
「そうよぉ、それだけ押せば。止めないで、乃木」
「ふふ……」
「止めないで、乃木」
「………………」
「あたしは酔わないわよ、だって押すんだから」
㊴
「三十九番延光寺」
「よし、もう行くから。すぐ」
「ええ、行きましょう」
㊵
「四十番、観自在寺ぃ~」
上半身全体を使ってぐるぐると回りながら番名を言った風に、夏凜がその意味を問いかける。
「その動きの意味は?」
「こう……明日からその巻いてこうと」
「あっ、そういう事……?」
思わず笑い声が零れる夏凜だった。
「じゃあ、今日はここまで」
「そうね。ここまで」
こうして遂に、二日目を四十番目に至る所で終える事となった。
一泊。
愛媛県宇和島のホテル。その寝室のベッドに入った風がカメラの前で布団を被る。
「一泊!」
「………………」
午前5時45分、宇和島を出発。
まだ日も昇っていない薄暗い早朝の道を、三人を乗せた車は本日最初の寺に向かって走る。午前6時32分、坂のある階段を登った先、四十一番札所へと辿り着いた。
「三日目! 龍光寺は夜明け前からスタートよ!」
㊷
「四十二番、仏木寺! でぇいっ!」
四十二番札所を出た後、三人の目の前にはその行く手を阻もうとするかのように濃い霧が立ちこみ始めた。
「見えなくしてるもの」
普通に行かせないと言っているとしか思えない相変わらずの高知の攻撃に、一同は笑うしかなかった。
そして車は霧の中を抜け、四十三番札所へ。
㊸
「四十三番明石寺」
朝から大ぶりな動きでポーズを決める風も、そしてそれを撮り続ける夏凜や園子、ディレクター陣も、最早その状況に順応しつつあった。
「次はちょっと遠いわよ」
「……………」
番号を言い終えるや寺の方へと振り返り、拝をする風の後ろ姿に夏凜は思わず笑ってしまう。
「すっかり慣れてしまってるわね」
「ベテランの貫禄があるよぉ」
「だって三日目だものね」
次。
先程の濃霧とは打って変わり、まるでどんな苦難の道も進み続ける三人を応援するかのような澄み渡った空気に、朝日が優しく照らす中、車内はそんな高知の心変わりも知った事かと言わんばかりに、黙々と揺れに身を任せていた。
午前9時22分、目的地の傍に到着した三人は、車を降りて高い木々が生い茂る山道を歩き始めた。
四十四番札所は、その節目にふさわしく、山の上にあるもその佇まいは立派なものであった。
㊹
「ここで半分! 四十四番、大宝寺ぃ!」
だが半分を乗り越えたあたりで、再び四国の道が彼女たちを襲う。
「雪道よ」
「これはちょっと危険だねぇ」
「行ける、これ?」
「行くしかないでしょ」
「あそこにドアのないスクラップ状態の車が放置されてるんだけど……」
「あれは……違うでしょ」
「冗談じゃないわよ」
凍った道を、冗談でもスベッたなどとは出来ない坂のある道を、車は慎重になりながら進み続ける。
その果て、一同はようやく次の寺へと辿り着いた。
「雪……」
「雪道ね……」
季節は冬。三人が歩く道も、やはり雪が積もっていた。
しかもその雪が凍り、アイスバーン状態となっている。
凍った雪道によって更に困難さを極めている状況でも、黙々と登り続ける風が、視界の片隅に広がる山の景色にポツリと呟きを残した。
「……綺麗ねぇ」
その姿は、正に仏のそれであった。
「……悟ってるものねぇ、風はもう」
「ちょっと悟ってきたわよ、本当に」
「そう?」
「腹立たなくなってきてるもの」
更に続く階段を見上げ、風は続ける。
「いやー、ありがたいわ」
「………………」
「ありがたいわぁ、これは。あ、乃木。ここ気を付けてね」
「優しいものねぇ」
仏心。
だが、そんな仏を四国の山の雪道は容赦なく襲う。
「あ、あぁ~」
カーブのある最後の登り路で、風がまるで前から押されるかのようにツルツルと滑り降りていく。
「いや~」
何度登ろうとしても、元の地点へ戻ってきてしまう。
「ありがたいわぁ、ここは」
どんなに悟りを開いても、一向に進まない。
「ほら、乃木も」
「おぉぉ~っ?」
「乃木!?」
「あぁぁぁ、ふーみん先輩ぃぃ~~~」
「乃木っ! 大丈夫!?」
助け合い、なんとか四十五番札所へ。
㊺
「四十五番、岩屋寺。 ……ありがたい」
「お顔がもう穏やかだもの」
風先輩、岩屋寺にて悟りを開く。
しかし――
「二人ともぉ、何を急にモメてるのぉ?」
「何をさ、人のクリームパンを食べたいとか言うわけ?」
「違う違う。あたしはもう、人とかそういう事じゃないわけ。あのクリームパンはみんなのものなわけ」
園子が持つカメラは風と夏凜の言い合っている姿を撮っていた。
だが、やがてその中に園子の声さえ含まれる事になる。
事の発端は、風が「お腹が減ったから草餅を買ってくれ」と言い出した事だ。草餅はこの地の名産品だ。朝、空腹を感じた風はとにかく何かを食したかった。だが、その後の予定もあって夏凜の口からは「まだ我慢しろ」という返答しか出なかった。それに対し風は「じゃあ乃木のクリームパンをよこしなさい」と要求した。
「え? 私のクリームパン? あれ、買ったの私だよ~?」
「ほら、これ悟ってない証拠よ。あたしはね、世界みんなが平和になる為にとしか思ってないわけなのよ。だからクリームパンは……」
「人のもの食うなって言ってるのよ」
「悟ってないもんねぇ」
「園子が買ったやつでしょ?」
「違うの、そういう事じゃないの」
「それはちょっと流石にいやしいんよぉ、ふーみん先輩~」
既にそれは三人の口論へと発展していた。
「さっきは本当に悟ったのかと思ったのに」
「ちょっとねぇ、カメラを止めたらなんだかねぇ」
「悟ったから言ってるんじゃないのよぉ」
「あんたのクリームパン食わせなさいよだもの」
「今なんだか表情だけ優しくしてるんだよぉ」
夏凜と園子が責め立てても、風は一切動じなかった。
「違う、そうじゃないの。みんなのものなの。だからクリームパンはあたしが食べて良いものなの」
「伝説の勇者様がとっておいたクリームパンを、あんたは平気で食べようとするわけ?」
「あんたが草餅買わないからじゃないのよ」
「次の所まで我慢しなさいって言ってるだけでしょ!?」
「良いわよ。行かないわよ、あたしはもう」
「お参りしたばっかでしょ、ふーみん先輩~」
ここに来てどうしようもない駄々をこねる風に、夏凜がとうとう口火を切った。
「置いてくわよ、ここに」
「なんですって?」
「行かないんだったら良いわよ、置いてくわ。じゃあここで解散しましょう」
「なによあんた、殴り合い?」
二人の間に険悪とまで言える空気が流れるや、その間にこれを宥めようとする園子が入る。
「まぁまぁ、草餅買おうよぉ。ね?」
「パンはもらうわよ」
「やめなさいって」
結局、その後の移動中の車内で風は園子のクリームパンを堂々と貪るように食べたのだった。
その風の行動が、その後の風と園子の関係に尾を引く事も知らずに。
㊼
「四十六番、浄瑠璃寺」
㊽
「四十八番、八坂寺」
「さっきのが四十七番でこっちが本当の四十八番西林寺! タァ――ッ!」
㊾
「ハァッ! 四十九番――」
名前を忘れたので再。
「ハァッ! 四十九番、浄土寺。 タァッ!」
㊿
「五十番繁多寺」
51
「五十一番石手寺」
昼食。
「うどん!」
名物。
石手寺名物『焼き餅』
「あら~、これは美味しそうじゃない~。あ、これすごい美味しい。すごい美味しい!」
「美味しい? よし、ここからも張り切って行こうじゃない」
「おおー!」
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「五十二番、太山寺!」
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「五十三番、円明寺~」
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「五十四番延命寺」
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「五十五番、南光坊ぉ~。坊ぉ」
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「五十六番、泰山寺。退散ッ!」
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「五十七番、英福寺。エヘッ!」
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「五十八番、仙遊寺」
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「五十九番、国分寺」
――午後3時を回った段階で、59番までを巡拝。
続く60番の横峰寺は霊場巡り屈指の難所。山深い境内へ続く10km以上の登山道は、専用の登山バスを使うのが唯一の手段。
しかし意地悪な四国さんは、またしても私達の行く手を阻んだのである。
「……積雪による凍結で危ないだって」
「………………」
三人の目の前には、登山バス運休を伝える無慈悲な看板。
それは横峰寺へは行けない事を意味していた。
「方向的にはあっちの方だから」
「わかった。行くわよ」
というわけで――
「横峯さぁん。樹をよろしくぅ!」
寺がある方角に向かって、その先に見える山へ拝をする風であった。
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「六十一番香園寺」
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「六十二番、宝寿寺」
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「六十三番、吉祥寺」
64
「六十四番前神寺」
午後5時40分、64番寺を出た三人は移動中の車内で今後の予定を打ち合わせた。
「今夜70番台までやっておけば、明日……早朝から始めれば、お昼には香川に向かって帰れそうなのよね」
とりあえずは予定の期限内に家へ帰れそうというわけである。
だが、その為にはやはりそれなりの苦労も課されなければならない。
「その代わり、また今日も夜中まで回れるだけ回らないといけないけど」
「そうね」
「だから最低は、10も残しちゃうのはね……。東郷たちが帰ってくるのが3時ぐらいだから、それまでに私達も讃州市には居ないといけない」
東郷と友奈が大橋市から讃州市に戻り、勇者部が合流するまでの制限時間内に目標を達成させるには――
「80に近い所までは行っておかないと……ね」
「80……」
思わず途方に暮れそうな――声がか細くなってしまう程の現実。
現段階ではまだ64の寺しか回れていない。
今の夕方から夜中まで。
残り16の寺を回らなければならない。
「行く?」
「行く……」
「行くのね?」
「行く……」
行く。
風は、そして三人は共に決意した。
「行きましょう」
妹の為に、可愛い後輩の為に。
今日の目標を、80に定めた。
「もうこの64で愛媛は終わりだから」
「という事は……」
「ええ。いよいよ最後の香川県だから」
「そうね」
自分達の故郷、香川。
三人の意志に、更なる強みを与えてくれるようだった。
「ここからはあたし達……勇者部のいつもの明るさで、カバーしていくから。ビシッといくからね!」
「夜中でも」
「……ええ」
65
「六十五番、三角寺ぃ!」
風のポーズに、夏凜が呟く。
「すぐわかったわ」
「わかったでしょ」
「三角寺の三角ね」
「そうよ」
66
「六十六番、雲辺寺」
車の行く先は、ヘッドライトだけが照らす程の暗い夜道だった。
「今……のが、66。66だから……」
思わず笑い声が上がる車内。
「あと……」
そもそも65番の辺りで日が暮れていたのだから、今はもう外はどっぷりと夜に更けっている。
目標まで14寺を残して。
「ここからはどんどん行くから、風! 怖がっている余裕もないわよ!」
「こ、怖がってなんかないから!」
67
「ろ、六十七番大興寺……」
そして遂に――
68 69
「六十八番神恵寺! 六十九番観音寺!」
この二つは一寺二札所となっているので、境内に入れば二つの寺が建っている。
それは地元に住まう三人がよく知っている。
こういう時、その有難みを特に感謝する三人であった。
「ねえ……」
「何も言わないの」
見慣れた町の光景に、風の呟きを夏凜が阻止する。
流れる外の風景を見詰めるその瞳は、まるで愛する者を焦がれているかのようであったから――
70
「七十番、本山寺!」
「終わりに近いから。70の大台に乗ったからね」
「見えてきた、見えてきたわよ」
本日の目標まであと10寺。
だが、71番札所の近くまで辿り着いた時、三人は再び困難に遭う。
「580メートルもあるわよ」
「うわ、ここからは登れって言うの?」
「行けないの? 車では」
「行けないみたいだねぇ」
駐車場にあった看板には、車両ではこの先の道を登れない事が書かれていた。
仕方なく、車を降りた三人は参道を歩き始める。
「これは怖いねぇ、にぼっしー」
「往復1キロもあるのよ、これ」
外灯もほとんど無い真っ暗な山道を、往復1キロを歩かされるのは誰だって恐ろしくなる。
「風、大丈夫?」
「……へ、平気よ。ぜ、ぜんぜんへいき……」
「全然そうには見えないけど……」
普段からおばけやこの手の類は苦手な風には、かなり厳しい状況であった。
それを既に付き合いも短くない夏凜や園子も、理解していないわけがない。
だが――
「ふ、二人とも先に行ってくれない……?」
「風、悪いけどあんたが先に行きなさい」
「な、なんでよぉ」
「園子はカメラ持ってるし、タレントがカメラの前にいなくちゃいけないのは当然でしょ」
「じゃ、じゃあ夏凜。あんた先に行きなさいよ!」
「なんでよ。私じゃなくてあんたが主役でしょうが」
「か、夏凜の鬼畜~」
「なんとでも言いなさい」
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「な、七十一番弥谷寺……。は、早く戻りましょ!」
参道を戻る。
が、71番の撮影を終えた瞬間。この状況から一刻も脱したい風がスタートダッシュを切った事により、夜の参道を駆け抜ける三人の姿がカメラの映像に記録される事になった。
「ちょっと二人とも! 待ってよぉ~」
「園子、あんたは一番後ろから来なさいよ!」
「映らないでしょ。カメラにあたしが!」
「良いわよもう!」
「映らないでしょ、あたしが……」
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「七十二番、曼荼羅寺……ちょちょちょ、置いてかないで! ひどくない!?」
73
「七十三番、出釈迦寺。おはようございます」
「……出社したわね」
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「七十四番、甲山寺」
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「七十五番善通寺!」
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「七十六番金倉寺~」
77
「七十七番、道隆寺ぃ! ハッ!」
「かっこいいものねぇ。キマるものねぇ」
「まだまだ元気いっぱいだねぇ~」
78
「七十八番郷照寺!」
79
「七十九番、天皇寺」
80
「八十番、国分寺。 ……精一杯だったわ」
本日の目標、終了。
時刻は午前0時を回り、日付が変わった直後であった。
一同はその後、近隣にある高松市のホテルに一泊。
だが翌朝。最終日、風に異変が起こるのだった――
「……胸が痛いもの」
「え?」
「あぁ、息を吸ってると……ゼェゼェ言ってるわねぇ」
「………………」
「これは気管支炎よ」
寝起き。頭を爆発させ、ゾンビのように生気が抜けた顔で首を傾げている風の口からはひどく擦れた声が出ていた。
「風邪をこじらせたわよ」
風先輩、完全に風邪。
「どうして80か所も寺を回って、病気になってるのかしらね……」
午前6時53分、ホテルを出発。
本日のスタート地点を目指す車内で、風と夏凜のやり取りが始まる。
「私の予定では7分後には着いてるから。出発で10分遅れてるから」
「申し訳ない事をしたわね。でもあたしだって気管支さえ痛くなければこんな事にはならなかったのよ」
「でもそんなのは樹には見せられないわ。元気いっぱいでいかないと」
「そうね、関係ないんだから樹には。あたしの……、あたしの気管支が腫れていようが」
喋れば喋るほど息が切れていても、そのような素振りを一切見せまいと努力する風の姿が今後カメラに映し出される事になる。それは妹にこのような姿を見せまいと、妹の合格を祈願する姉の姿であった。
四日目。いよいよ最終日。
「遂に四日目になっちゃった! 気管支炎に負けないわよ、あと八つ!」
81
「八十一番、白峯寺! あと七つ!」
82
「七十二番根香寺! ウェアッ!」
「82でしょ」
「戻っちゃってるよ~」
「戻ってるのよ」
「72だったらあと16も行くよぉ~」
「馬鹿じゃないの?」
「………………」
再。
「八十二番、根香寺! あと六つ! ダァッゥッ!」
83
「八十三番、一宮寺。 あと五つ!」
残り五つとなったこの時、車で移動する三人はここで『ミステリー坂』なるものに遭遇する。
「この道路はね、登っているのに下っているに見える。そういうのがあるらしいの」
「へぇー、良いじゃない。そういうの好きよ、あたし」
車は相変わらずの山道を走っている。山の中というだけに登りや下り坂があるのだが、この道では途中にミステリーゾーンと呼ばれる不思議な体験ができる場所があると夏凜は言う。
「ここは普通に下ってるでしょ? で、あそこに登り坂が見えるじゃない。実は下ってるのよ」
「あぁ~、登り見えるねぇ~」
前方には下り坂から盛り上がったように明らかな登り坂が見える。だが、それこそがこの道のミステリーゾーンなのだ。
「これ登ってるでしょ? でもこれ下ってるのよ、本当は」
「いや、これ登ってるわよ」
「でもね、車を停めてみればわかるのよ。ちょっと運転手さん、ニュートラルに入れてみて」
夏凜に言われるままに、車はスピードを緩め停まろうとする。
ミステリーゾーンと呼ばれる所以――それを証明する為に、登り坂に見えるが実際は下り坂なので車を停めると前に進んで行く、という現実を示す為、夏凜に言われるままに車はスピードを緩め、停車する。
すると――
「ほら」
「お、おぉー」
「……ん? あれ?」
停まった車は――後ろへと、下がった。
「下がってるという事は、登ってるって事だよねぇ?」
「下がってるって言ってたわよね?」」
「坂が下がってたら前に行くよぉ」
車は普通に、後ろへと下がっていた。
「……あら? 全然違うわね、これは」
「夏凜……。 見たまんま、なんだけど」
見たまま、感じたままの道路であった。
「帰り、かな? きっと帰りにあるのね、うん」
「夏凜。あなたよ、ミステリーなのは」
「あははは~」
結局、ミステリーゾーンなどというものは体験できなかった一同だった。
84
「八十四番、屋島寺。あと四つ。デェイ!」
八十五番の八栗寺へはケーブルカーで行く。
85
「八十五番、八栗寺。あと三つ」
またケーブルカーを使って下山し、そこで昼食。
「うどん! ズルズルズルズルズルズルゥゥ」
「勢い」
午前11時6分、寺は残す所あと3つとなっていた。
同時にタイムリミットは刻々と迫っている。
「良い、風? 今、もう11時だから」
「そうね」
「12時に大窪寺にいないと……」
「やばいやばい」
あと一時間以内に残りすべてを回れるか、怪しい所であった。
「またうどんで狂っちゃったから」
「……そうね」
うどんはどうしても人を狂わせる。
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「八十六番、志度寺! あとふたぁっつ!」
残り2つ。
87番札所の看板を前に車は右へ切り、すぐ目の前には目的地の寺が現れた。
その瞬間、彼女たちの声に高揚が沸く。
「よぉし、来たわよ風」
「来たわねぇ」
「ラスト前よ、風。見て、良い寺じゃない」
「これまでにないくらい一番ウキウキしてるわね、夏凜」
「そ、そんなことないわよ……!」
87
「八十七番長尾寺。 あと一つ!」
あと一つ。
始まる時は果てしなさも感じたこの企画も、いよいよラストスパート。四国の見慣れた山々に囲まれた道を真っ直ぐに進み、彼女たちを迎え入れる最後の88番の看板を見、感慨に耽るように今回の主役が呟き始める。
「いやぁ、遂に終わるのね。本当に長かった……」
心なしか最後の足取りも軽いものに感じられた。
「ちょっと寂しいんじゃない、風?」
「そうね。どこかちょっと寂しいわ。これで終わりかと思ったら」
「89番はないのよ」
「そうねぇ。 ……戻る? 87に」
「ふふふ……」
つい最近までは決して言えなかった冗談も口から軽く出てしまう程に、最後という現実に笑みも零れる。
そして遂に――
午後0時3分 88番 大窪寺
「八十八番、大窪寺……。 犬吠埼風、たった今結願しました」
本堂の前で静かに、八十八ヶ所を回り切った風は噛み締めるようにしながら、カメラの向こう側にいるであろう妹に向かって言葉を紡いだ。
「良い、樹。 試験に負けるんじゃないわよ。あなたはやればできるんだから」
――最後に愛する妹へ向けたメッセージを贈り、風は再び本堂へと振り返り両手を合わせた。
「……終わったわね」
「うん。終わったねぇ」
感慨に耽るのは風だけでなく、それは夏凜や園子も同じだった。
「どうだった、風?」
「そうね……。ありがたい、の一言に尽きるわね」
最初はあんなに企画自体に文句を言っていた風も、その表情は健やかなものだった。
「あたしは逆にみんなに感謝したいくらい」
「そう?」
「この八十八ヶ所を回るという機会をね、与えてくれた事に……」
「そうね……」
「しないもの、あたし一人だったら。でもこの機会を与えてくれたおかげで、あたしは真の四国民になれた気もする」
「それは、私達も同じよ。風」
最初は確かに罰ゲームとして始められた企画だったかもしれない。
だが、それ自体が誤りだったのだと最後に気付かされた。
この地に住まう一人の人間として、八十八ヶ所のお寺をすべて回ったこの経験は、かけがえのないものになったという確信。
「あたしは罰ゲームなんて、そんなつもりは最初からなかったわよ」
「そうね。朝なんて80も寺を回って、風邪をひくとは何事かって言ってたけど……」
「ええ、悟った」
安らかな表情でお参りをするその姿は、正に仏のそれであった。
「行きましょうか」
「そうね、東郷たちにも報告しなきゃだし」
「また行きましょう」
「……そうね」
「今度は東郷や友奈を案内してやりましょう」
「東郷こそ回って悟りを開いてもらわないと」
「そうね、引き回してやらないと」
「思い知らせてやらないと」
「今、友奈と二人でいる奴の腑抜けた顔が目に浮かぶから。その顔を叩き直して、悟らせてやらなきゃ」
「あんたも回ってみろと。どんだけキツいかと」
「そうね……」
「どうしてあたしだけが八十八も回らなきゃいけないんだと。おかしいじゃない?なんであたしだけが端から解答者で、罰ゲームを受けなきゃならないのよと。あたしだけがこんな事やらされて。いくらなんでも部長がする事じゃないわよ。まぁまぁまぁ悟ってるから怒らないけどね。以前のあたしだったら怒ってたけど。今はもう悟ってるから。普段だったら殴ってるわよ。はい、終わり。お疲れ!」
四国八十八ヶ所完全巡拝――
終。
最後まで読んで下さりありがとうございました。