月明かりのない暗い夜の森。虫や動物たちの声もないこの森の中で、血と泥まみれになったボロボロの軍服を着た満身創痍の男が森の中を走り回っている。
傷が痛むのか、顔をしかめながら走る男は時折、視線を後ろにやりながら木々を掻き分けていく。暫く木々を掻き分けていくとなんとか森をでることができたが、男の目の前に広がるのは深い谷があるだけだった。
「ハアハァ、クソッ!!……どっかに橋が……ッ!?」
男がその場に立ち止まり、キョロキョロと周りを見回していると、森の方からガサガサと音を出しながら数人の黒装束に身を包んだ男たちが飛び出してきた。
飛び出してきた男たちの手には血に濡れた剣が握られ、今まさに目の前の男に襲いかかろうとしている。
ジリジリと距離を詰めてくる男たちに、傷だらけの男は腰に帯刀した二本の軍刀をゆっくりと抜刀すると、不敵な笑みを浮かべなら男たちを見据えた。
「オッケー、オッケー!!鬼ごっこは終わりって訳だ……いいぜぇ、殺ろうや、…………でもなぁこっちは命散らす覚悟はとうの昔にできてんだよ」
ゆっくりと片手を挙げ、軍刀の切っ先を男たち一人一人に流れるように向けると構えをとった。
「だからよ、テメェらも死ぬ覚悟をつけてからその剣向けろや…………もし出来てねぇんなら、そんなもん降ろして回れ右して駆け足で皆仲良くお手手つないでお家に帰りな、厳しいパパと優しいママがあったけぇ飯作って待ってくれてるはずだからよ」
男はただそこに悠然と構えながら挑発するかのように気さくに喋っている。後ろは崖もはや退路はなく逃げ道などありはしないのに。
男は満身創痍、強い風一吹きで倒れてしまいそうだというのに。
男を囲む黒装束たちの背後の森からは、更に複数の者たちの駆ける音が聞こえているというのに。
生き残る可能性などないに等しいこの状況……世間一般では絶体絶命という状況下だというのに。そうだというのに……。
「でもよ……もし覚悟が出来てるっていうのなら……掛かってきな!万事抜かりなく容赦なくその首綺麗にスパンと撥ね飛ばして殺るからよ……」
男の顔にはこんな状況など関係ないと。
「だからよ」
口からでた死ぬ覚悟なんてものを否定するような……いや、そもそも己がこの場で死ぬことなど考えていないような。
「テメェら皆……」
傲岸で、不遜で、ただただ不敵な。
「纏めて……」
そんな……そんな………………笑みを浮かべているのだから。
「……掛かって………………来いやッ!!」
「……ッ!!」
傷だらけの軍人の叫びを切っ掛けに、取り囲んでいた黒装束の内一人が飛びかかるように近づきながら剣を振り降ろしてくる。その剣に躊躇や躊躇いなど微塵もなく、眼前の軍人を脳天から叩き斬る……そのためだけに振り降ろされる剣を、軍人は焦ることなく左手の軍刀で受け止めた。…………いや、ただ受け止めた訳でなく、軍人は右足を軸とし半歩身をそらすように回転し左手の剣で先導するかのように黒装束の剣を、勢いはそのままに受け流していく。
黒装束はなすがままになって、前のめりに倒れゆくなか。首の後ろに感じたことなどないような冷たさを感じ、視線を後ろにやると、いつのまにか出てきた月の光を反射し、妖しく輝く軍人の振り上げられた右手の剣が見てとれた。
瞬間、風切り音と肉を裂き骨を断つ音。……そして、首から上をなくした黒装束が倒れる音に数秒遅れるかのように地に墜ちる黒装束の首の音。
虫や動物の声が一切聴こえぬこの森に、その一連の音は響いた。
そして、その音を紡ぎだした軍人は回転しながら残りの黒装束に向き直ると、不敵な笑みを崩すことなく再び挑発する言葉を発した。
「どうした?来いよ?」
その言葉を開戦の合図として戦いの幕は切って落とされたのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「……さい…………きて……下さいっ!!」
「ん、んーん……もう5分……」
「いい加減起きて下さいよ先生ッ!!」
暖かな日差しが差し込む馬小屋、その中で山のようにある藁をベッドにして寝ている、無精髭の男を起こしている一人の青年がいた。
「なんだよウッセーな……飲みすぎて二日酔いなんだ静かにしろ」
青年に起こされた無精髭の男は頭をボリボリとかきながら、眠たそうに欠伸をしながら上半身を起こし胡坐をしている。その様子に青年はあきれたように溜息をついた。
「ウッセーなじゃないですよ!また食料泥棒がでたんです!!」
「またか……」
「はい、それで先生を呼んで来るようにと
「わかったわかったすぐ行くよ。あと先生って呼ぶな」
「あ、すいません!せん……ディーさん」
急いでくださいねーと言って、走って馬小屋から出ていく青年の後ろ姿を気怠そうに見つめていた男、ディーは大の字に藁の上に寝転がると、大きく伸びをして飛び上がるように立ち上がると近くに置いてあった二本の剣を手に取り馬小屋から出ていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
食糧の村【エンゲーブ】
「それじゃ今回の騒動はチーグルの仕業だっていうのかい?」
「ああまず間違いないね。食糧庫の隅にこの毛が落ちてた」
エンゲーブにある食糧庫、そこは昨夜食料泥棒が入り、食糧の貯えが無くなってしまった場所である。その場所でディーと村長であるローズが現場検証を行っていた。
「確かにこりゃ聖獣チーグルの抜け毛だね」
「ま、犯人は分かったけど。今度はなんでチーグルが食料を盗んでいるのかが分からないけどな」
「そうだねえ」
二人して頭を抱えていると、一人の青年が食糧庫に入ってきた。
「ローズさん!なんかマルクト軍のお偉いさんがローズさんに会いたいって」
「軍のお偉いさんが?なんの用かねぇ」
「……ローズさん」
「何だいディー」
「ちょっくら森に行って探ってくるわ」
「頼んでもいいのかい?」
「いいよ、いいよ。んじゃ行ってくるよ」
そう行ってディーは食糧庫を出て、チーグルの森へと向かった。