ヌメーレ湿原、受験生が地下から出た場所である。別名「詐欺師の塒(ねぐら)」。彼等受験生達は目の前に広がる自然の光景に、延々と続くのではないかと思われた地下からの脱出に気が抜け、更なる危険に突入しようとしていることに気が付いていなかった。
「ようやくゴールかよ」
レオリオが疲れ、腰を下ろしていると、
「あっ、レオリオ」
「はあはあ、っと、ゴンか。何でそんなに元気なんだよ」
ゴンが彼を見つけて、さらに無事なクラピカを見つけ、駆け寄る。
彼らが無事を喜びあうように、他の受験生達も、試験官が此処で止まっているのを確認し、一時の休憩を得る。
そうして、怪しい鳴き声のする湿原の目の前でくつろぐ一行を、サトツはホッとした思いで観察しながらも、懐の懐中時計を取り出してその秒針が頂点を刺すのを見つめつつ、地下の入り口がゆっくりと閉じていくのを確認したら、口を開く。
「さて、此処からは目の前に広がるこのヌメーレ湿原を通り、二次試験会場に到着です。ここでも同様に、私についてこれれば一次試験は合格です。ですが、ここに残れなかった方は運がよろしいでしょう」
その言葉に、殆どの受験生は首を傾げる。落ちた方が言いと言う意味が分からないのだ。
そんな彼らの心理を理解しても、彼は自分の言葉から此処からが危険だということに気が付けない者にわざわざ説明する気もなく、ただヒントを与える。
「ここは通称、詐欺師の塒。ここに生息する動植物は全て、人を騙し食らいます。騙されぬよう気をつけて私についてきてください」
騙されぬなと忠告されて騙される者がいるかと侮る顔が多いが、ここからは彼らの力量次第である。そう判断し、行きましょうと、言う前に、受験生以外の気配を感じ取り、サトツは口を噤む。
「騙されるな!」
「うんうん。そう簡単に騙されるわけがって、何者!」
今のところ、忍ばぬシノビ、ハンゾーが突然聞こえてきた声に律義に反応を返す。
皆が、声の方を向くと、ボロボロの男が、地下の出口だった建物の陰から、大きな袋を担いで現れる。
「騙されるな!そいつは偽物で、俺が本物の試験官だ!」
何の根拠もない言葉にほとんどの受験生は失笑し、一部の脳筋は既に動揺する。そんな受験生達を無視していきなり現れた男は、背負っていた袋を地面に放り投げる。
「この顔は!」
男が放り投げた袋からはサトツそっくりの顔をした猿らしき生物が放り込まれていた。
受験生たちが、その顔とサトツを見比べ、戸惑う。その様子を確認した男は更に言葉を紡ぐ。
「こいつは……」
「人面猿でしょ!知っていることをわざわざ上から目線で喋るな!畜生の分際で生意気なんだよ」
ここで、人間より劣る生物にさらに時間を割かれることと、そんな下等生物に教えられるという屈辱を看過できなかった彼女は怒りのままに、(彼女にはそう見えた)得意げに喋る(身長差のせいで)此方を見下ろす生物に神速の一刀を叩き込む。
振り上げた一刀は偽試験官の首の動脈を測ったように刃先が通り過ぎ、その速度故、血が刃を汚すのを許さず、刃の先端に付着した血は偽試験官の首から、刃の軌道をなぞるかのように赤い線を描く。
「畜生は人を真似ても所詮畜生。地を這いつくばり、泥に濡れ、袋に詰められているのがお似合いだ」
そして、その振りぬかれたサーベルは、その速度を維持したまま、死体のふりをして地に這いつくばる人面猿の首まで血の軌跡が描かれる。
悲鳴は一つも上がらない。上がるのは血飛沫のみ。その血飛沫も、彼女がサーベルを鞘に納め、その場を離れてから、彼女の背景を彩るかのように鮮やかに咲く。
「くだらない。児戯に付き合わされる身にもなれってんだ畜生風情が」
彼女は地を踏み込んだ際に靴に付着した泥を見て、顔を顰め、受験生の人混みを割って建物の壁に近づくと、汚れを擦り付ける。
しばしの間目の前の出来事について行けない受験生達は沈黙する。そんな中、その光景をうっとりと眺めていたヒソカは、つい、トランプを出して彼女に投げたくなる。
『まさか、気づいたらもうサーベルを振り抜き終わってるなんて❤あぁ、彼女と戦いたい、彼女とならとっても気持ち良くなれるはずだよ♠︎...我慢しなきゃ、流石に今はまだ試験中だし、摘み食いじゃ終わらなくなっちゃう♦︎、...やりあう時が楽しみだよ♣︎だって次は殺し合いなんだもの♥』
ヒソカは滾っていた。そして、目の前の光景を理解できた他の者たちの反応は、彼女から距離をとる、である。
そして、よくその他大勢に含まれるレオリオはその光景にドン引きしつつ、この中で一番まともなクラピカに近寄る。
「おいおい何か言いかけていたが、殺して大丈夫なのかよ」
「………。問題ないだろう。あれは偽物だ。だが…」
クラピカは冷静に、今まで目の前を汗1つ掻かずに自分たちと同じことをしてのけた試験官と、試験官のくせに、試験の障害物に負けるような試験官をハンター協会が用意するはずもないことからもほぼ突如現れたのが偽物であるのは分かりきっていた。だが、それだけ理解しているクラピカですら、あの場で即座に偽物と割り切るのは難しい。所詮可能性は可能性でしかないのだ。だからこそ、完全な確証もなく偽物を殺した彼女について、何か言おうとして言葉を濁す。
「おい、だがの続きはどうしたよ」
レオリオの問いに、少しばかり考え込んでいたクラピカは、自然と下がっていた頭をあげる。
「ああ、すまないレオリオ。何でもない。考えすぎていたようだ」
クラピカの額には走ったせいで流れ出た汗とは別物の汗がにじんでいた。その異変に気が付き、心配そうに見るレオリオに対して、額の汗を拭う。
「心配するな。それと、単純だから騙されないかと心配していただけだ」
お前なぁ、と怒鳴るレオリオから、逃げながらも、自然にクラピカは彼女との距離を離す。走っている彼の手は握られているが、その手の平には、額と違い拭っていないため、まだ汗で湿っていた。
『彼女は危険だ。恐らく、殺すことに躊躇も無ければ、自身の決めたことなら、白でも黒と断定する。もしもの可能性など考えない。だから、彼女がもし、私たちを障害だと考え、排除するのが手早いと考えたなら、躊躇もせず排除してくる』
レオリオとクラピカの喧嘩を道中見てきたゴンが楽しそうについてきて、それに付随する形でキルアもついてくるのを確認して、クラピカは強張る顔を見せないように背後を振り向かない。
『彼女がその気になったら…』
彼女が殺した一人と二匹の首が頭から離れない。そうしてクラピカの賢明な判断により、主人公一行は彼女から離れる。
一方、何時もの調子を取り戻したクラピカとレオリオを見たゴンは楽しそうについて行く背後で、キルアもまた、彼女の振るうサーベルを見て愕然としていた。
「マジかよ、親父たち並みの奴なんてそう存在しないと思ってたんだけど、バケモンかよ」
無意識のうちにこの場を離れたくなっていたキルアは、ゴンの後について行く。
死んだ偽試験官と、彼女の口から出た人面猿と畜生と言う言葉、そして泰然としているサトツを見て、ざわめいていた受験生達も、各々の結論に至り、死体を確認したり、サトツを観察したりと行動するが、誰一人彼女に近づき事の真相を確認しようとしなかった。
その様子を確認し、静まったころ合いを見て、
「では、二次試験会場にご案内いたします」
サトツは驚きながらも、平静を保ち、一次試験同様歩きだした。
最初の地下通路のランニングを前半戦とするならば、この湿原のランニングは後半戦とでも言うべきものだろうか?彼女にとっては、前半同様ただついて行くだけのごく簡単な試験だ。つまり、退屈であり、前半戦よりも不快度指数が格段に上昇した後半戦は、前半戦とは異なる。
異なる点としては、彼女の所為で興奮した変態が熱いパトスをよりほとばらせていたくらいだろう、もちろんそれにより他人の精神がゴリゴリと削れようと自身に影響しなければ、彼女はどうでもいい問題としてほっておいたであろう。しかし、興奮させたのは彼女、現時点で変態の興味も彼女である。
しかしだ。それも問題だが、それ以上に、彼女にはどうにかしなければならない問題があったのだ。
それは前を走る男たちの暑苦し声や熱気、そして跳ねる泥、さらに彼女をイラつかせるのは、彼女の前を走るエセ忍者ことハンゾーである。彼が頭を揺らす度に、反射した光が彼女の視界に入ってうざったいことこの上ないのである。そして、レオリオに何かあったのかゴンが叫び声を聞き飛び出した時、同じくして彼女はキレた。
「なぜあの変態にイライラされている私がこうして先頭を、一番を譲っている現状に甘んじ、あの変態は自由に暴れられて、明かな偽物を見せられる!………ざっけんな。私が最強だ!それより向こうに立つのは何人も許さん!まずはそのハゲをぶっ飛ばす」
目の前の明らかに忍者の偽物を睨む彼女は、許せなかった。本物になることがいかに難しいのか。そして畜生如きが本物を真似、それに騙される愚かな者たちも、目の前に走る偽物にも、彼女は我慢ならなかった。最強は一人。何人にも侵せぬ領域こそが本物の証明。だから自分の前を走るハンゾーに向け、その手を精一杯開く。
「誰だハゲって言ったやつは!これはハゲじゃない、剃ってい、びぶるち!」
「どっちでもいいよそんなん。ただその頭がムカつく。だからぶっ飛ばす」
彼女は本心を語らない。言葉にするのは簡単でも、言葉を覆すの困難であり、そして自身が発した言葉が自身の認識であると考える彼女は、本物である自分をわざわざ言葉にして証明をしない。それは自分が偽物だと認めることになるからだ。だから、代わりに心に素直に浮かんだ怒りの原因を、その輝かしい頭に向けて放つのである。
それでもほんの少しの理性が残っていたおかげか、頭が飛ぶことはなかったが、彼は頭に大きなもみじの跡をつけコースアウトする。それを見て満足したのか、清々しい笑顔で、他の自分の目の前を走る受験生を見つめる。
「やっぱりこうすればよかった。さあ〜てと、後は、前の数人に繰り返せばミッションコンプリート」
見つめられた彼らは、ここで道をそれるのは危険だと分かっていた。しかし、人間、確実にくる目の前の災難と不確実な危険なら、後者を選ぶもの。彼らは人間であり、ピンチをチャンスに変えるヒーローではない。だから彼らは霧が渦巻く森の中に飛び込んだ。
彼らは実力がある所為で彼女の前を走っていただけであり、彼らに非はないが、ただ一言いうならとても不幸であったといえよう。というよりも、後門のヒソカ、前門の彼女、はっきり言って詰みでありどうしようもない。彼らではなく、受験生全員が不幸であったとしか言いようのない試験となった。
しかしそれでも最終的には102人程度の合格者が出たのは、流石というべきだろう。
そんな中、この試験をゴンと途中で別れたキルアは、その身体能力の高さ故、即座に先頭集団に交じったせいで、頭のイカれた女とのご対面となり、ひどい目にあいながらも、流石はゾルディック家の息子とでもいうべきか、無事にゴールでき、途中でレオリオとクラピカを助けに行ったゴンのことを思い出し、彼が此処には来ないだろうと簡単に予想できるだけにガッカリとしつつ、今度はしっかりとイカレ女との距離を取り、一人つまらなそーに地面に座り込んでいた。
「あっ!キルアだ」
しかし、ゴンが無事にヒソカの元から戻ってきたことに驚くと同時に喜んぶ。
「よく無事だったな、ゴン。てっきり今生の別れになるかと思ったぜ」
「こんじょう?あっそうか!根性ならハンターになるって決めた時からもってるよ」
「バカ、ちげーよ、てっきり不合格になってるかと思ってたんだよ。しかし、よくあんな霧の中から帰って来たな」
「俺、鼻はいいから」
「犬かよ」
ゴンと一緒にゴールしたクラピカは、二人の再会による話を邪魔しないように静かにしていたが、流石にそろそろヒソカに連れていかれたレオリオのことを確かめないといけないと考え、
「二人とも、再会できて嬉しいのはわかるが、レオリオの無事を確認しないか」
「あっ、そうだった」
「あれ、そういえば年齢詐称のやついねえじゃん。やっぱ何かあった」
「うん、ヒソカと闘って、その時にレオリオがヒソカに運ばれて行ったんだけど」
「マジかよ、よく生き残ってたよな。いや?レオリオだっけ?そいつは死んだんじゃね?」
キルアはヒソカの危険性をこの中の誰よりも理解しているだけに、勝手にレオリオを殺していた。
「うん、殺されると思ったけど、何か合格って言われて何もせず去っていったんだ。たぶんレオリオも生きていると思うんだけど」
「何だそりゃ?」
「奴は私達と闘う前に試験官の代わりをすると言っていた。おそらくだが、私達は奴の何らかの基準をクリアしたから合格者とされ、殺さなかったのだろう」
「ふーん、大変だったんだな、そっちも」
「そっちもって、キルアの方も何かあったの?」
そうゴンがキルアに問いかけると、嫌なことを思い出したというような顔をして、
「そっちが変態なら、こっちは狂人に追い回され張り倒されるところだったぜ」
「何が起きたらそうなるのだ!」
クラピカはキルアの話を聞きあまりにもあまりな内容だったため、冷静さをかなぐり捨てて突っ込む。
「いやさ、あの猿を問答無用で切って捨てた青い軍服らしき服を着込んだ女が、いきなりハゲの忍者はっ倒したかと思うと、近くにいる奴を手当たり次第にぶっ飛ばし始めてさあ、しかもその時のセリフがよぉ、『あはは、いける、私はやれる、このクソどもを潰して、私の証明をしながら、…素晴らしい。…だから、だから君達にお願い…、いいや、お願いなんかする必要なんかない。私がこの場の全てだ!だから……大人しくこうべを垂れて私の怒りを受け止め、死ねやぁあぁぁぁ‼︎』って笑ったり、真顔になったりしながら、こっちに来たんだぜ。ほんっと、冗談抜きに怖かったぜ」
「いや、何だそのめちゃくちゃな理論は、そもそも会話というか言語能力は正常なのか彼女は、何というか、見た目からは想像出来ないな事ばかりをする女性だ。…とっ!それも大変なことであるのは分かるが、先にレオリオを見つけないか?」
あまりにもショッキングな内容だったため危うくレオリオのことを忘れそうになったクラピカだが、しっかり者の彼は話を元に戻した。
「大丈夫だよ、さっき、ヒソカを見つけたんだ。そしたらヒソカも俺に気づいて、指差したんだ。その方向の木陰で休んでたよ」
「そうか、なら合流しよう。それと見つけたなら早目に伝えてくれないか」
クラピカは、変態も精神異常者もお腹いっぱいだという表情をして、ゴンに注意をする。
「ごめん」
「ねえ、僕がいない間に随分と楽しんでいたらしいじゃない♦︎」
だいぶ怒りを発散できてスッキリとした気分で二次試験を待っていた彼女の気分は一気に急降下し、彼女が休憩する木陰の木漏れ日が、一瞬強く煌めく。それは座り込む彼女を上から覗き込むヒソカの首にめがけて振るわれたサーベルの反射する光だった。
「危ないなぁ♣︎…でも君から誘ってくれるなんて♦、激しくしてあげるよ♠︎」
簡単に振るわれた、されど、人を殺しうる攻撃をのけ反ることで交わしたヒソカは、主張の激しい彼の体の一部を更に強調するのけ反った姿勢のまま会話をしようとする。
「なわけない!この変態。近づいたら細切れにするって言っただろ」
「うーん、今細切れにされるのは少し困るかなぁ♣︎、じゃあ、試験後に一緒に遊ばない♥」
「寝言は寝て言え、死んでも嫌だ」
不快になった彼女は、相手にするのも面倒くさくなり、戦略的撤退をした。
「残念♦︎、また、振られちゃった♠︎」
次の試験会場に着いた受験生達だが、彼らは戸惑う。何せサトツについて行って何かの建物らしき場所に着いたのは良いものの、そのサトツが何も言わずに消え去ったため、ゴン達や、一部の変態以外、此処で休憩していいのか分からず、二次試験が始まるまで立って待つはめになる。
「ようやく終わりましたか」
そのサトツは、彼女のプレッシャーから解放されて、清々しい気分で受験生達を監視しており、プレッシャーから早く解放されがたいがために、幾ばくかの説明を放棄してしまったことを忘れていた。
「ふう、落ち着きますね~」
試験中どころか私生活でも殆ど変化のない顔が分かりやすくふやけきっていたのは、仕方のないことなのかもしれない。