なので初投稿です
壱.六歳
縦長の四角い建造物が建ち並ぶ街中、喉奥を枯らせるような汚れた空気、自然音はほとんどせず、雑踏が耳に煩くて仕方ない。車と呼ばれるものが道路を走り、人は道路の端へと追いやられている。
今の時代と比べると驚くほどに発展した世界、その中でも顔を上げているものは少なかった。誰も彼もが不承面をしており、笑顔なのは店の出先で客寄せをしている者くらいなものだった。いやまあ仲睦まじい男女がいるような場所に赴けば、本物の笑顔を見ることもできるが、そういう者は少数派だ。それに見ていて面白いものでもない。顔を俯けている者が数多く、誰も彼もが溜息を零していた。
そんな数ある人物の一人に、私――私であって私ではない誰かがいた。
記憶の中にいる誰かはよく誰かに叱られていた。
決して手際が良いとは言えず、むしろ鈍臭いと呼ばれる類の人間であった。そのため常に肩身の狭い思いをしており、口数は少なくて何時もなにかに怯えている。
口癖は、死にたい、だった。
今すぐにでも死んでしまいたかったが、死にたいと思うだけでは死ねないと彼女は考えている。
人は生きるという意思がなくとも生きることはできるが、死のうと思って死ねるようにはできていない。死ぬには理由がいる、自殺するのは死ぬという意思ではなくて、生きていても仕方ないという諦めからできる行為である。電車の線路に飛び込むのも、強い意思ではなくて、ふとした拍子にトンッと飛び降りてしまうような発作的なものである。
意思が介在していないものは、もう事故のようなものだ。人は理由もなく死ぬことはできない、できるのは精々事故が起きる可能性を高めることくらいなものだった。
注意散漫、スマートフォンを片手に弄りながら歩くことで事故が起こる可能性を高める。駅のホームでは運悪く、いや、運良くふとした拍子に死ねるように目の前の線路をじっと見つめ続けている。そして、電車が通り過ぎる度に自分の肉片が細切れのスプラッタになることを夢想した。
死ぬには良い日か、そんな日はない。何時でも死ぬには都合が悪い、そういう風に世の中はできている。誰かの迷惑なんて考えていれば、きっと何時まで経っても死ぬことなんてできない。
それでも三日もあれば、一回くらいは全てがどうでもよくなる瞬間がある。その瞬間に線路の前に立っていたり、屋上付近で休んでいるかどうかなんて運だった。運といえば、生まれてこの方、運が良かったと思うことはほとんどない。よくある漫画のようにこの手札がくれば逆転という場面で一度も引いたことがないし、馬券やパチンコに手を出せば、必ずと言っても良いほどに負け越している。人間関係も良いとは言えず、恩師と呼べる人物はおらず、学生の頃の友人はおしなべて連絡が取れなくなっていた。
まあ人当たりが良いとは思っていない、と彼女は自嘲する。
こんな陰鬱とした性格をしているし、自他共に認めるつまらない人間だった。通信簿では常に真面目で優しい、という言葉が挙げられる。親からも同じことを言われて褒められてきた。その真意を知っている、特に印象に残らない、褒めるべき点のない奴に告げる言葉であると知っている。
強いて挙げるならば、悪運が強いと言える。言葉通り、悪い意味での運である。何度か死ぬ思いをしたことはある、車に撥ねられそうになったり、スキーで森の中に突っ込んでみたり、登山で崖から転がり落ちそうになったりしていた。しかし、常に死ぬことを意識してきたせいか、そういう時に限って、咄嗟に手を伸ばしてしまうのである。勝手に足が動いた。そして何時でも辛うじて生き残った。間近に感じた死の気配、息を荒くした体で生を実感して、まだ生きているのか、と思うと同時に心が急に冷めるのを自覚する。
こういう時に限って運が良い、いや、死にたいと思っているのに死ねる機会を悉く潰しているのだから運が悪いと言える。
どうにも自分は死ぬことに対しても鈍臭いようだ。
今日もまた生きなくてはならないのか、と何時ものように自らの運命に嘆いている時だ。
道路の脇に毛むくじゃらの何かが落ちているのを見つける。定期的に見かけるものであるが、これの正体を知ったことはない。なにかのゴミだと思うが、何がどうなって、こうなってしまったのか分からなかった。なんとなく年季の入ったもので風化していることはわかる。
そんな時、ふと目の前を過ぎった黒猫が、チリンと首輪の鈴を鳴らして道路へと飛び出した。綺麗だな、と思った瞬間にトラックが飛び込んでくる。それを見た時、目の前でスプラッタする黒猫の姿が脳裏に過ぎる。タイヤに胴体を潰されて、口から肉を吐き出しながら目玉を飛び出させる黒猫の姿、そして道端に置かれたまま誰にも拾われずに風化する。
自分は決して優しいわけではない、真面目というのは少しあっている。
間に合うと思った、だから道路に飛び出した。
馬鹿なことをしていると思う、しかし、そう教育したのは両親と世の中だ。
目の前の悲劇を無視することはできない、犯罪に手を出すこともできない。誰もいない横断歩道で信号を無視することすらできなかった。基本的に後ろめたいと思うことができず、後味が悪いと思うことができなかった。道徳と倫理に縛られ続けて、思うように生きられないことに不自由さを覚える。世の中は自由を謳歌している者ほど、面白可笑しく生きられるようにできている。ただ単に好き勝手に生きるのではない。自分のために生きられるかどうかなのだ。
他人のために生きることを美徳とする世の中なんて糞食らえだ、それができる人間は此処では一握りだ。気付いた時には手遅れだ、もっと遊んでおけばよかったと若者相手に憧憬する。それでも生きる目的のようなものを見つけられる人間はまだ幸せだ、それだけでも生きることを苦痛に思わずに済むのだから。
自分のために生きる、それができない人間が今の世の中に生きる価値を見出せないのは当然だった。
そんな考えだから自分の命の価値は限りなく低かった。
極論、間に合わなくても良かった。
黒猫の時は微動だにしなかったトラックが急ブレーキを掛ける、飛び出した私の足だけを巻き込んで大きく横に逸れていった。私は地面に転がり、肌と衣服を傷つけながら黒猫の側まで辿り着いた。ああ、また生き残ってしまったようだよ、とその場に立ち尽くした黒猫を見つめながら苦笑する。
その時、トラックの影が動いているのが見えた、いや大きくなっている。気配で分かった、トラックが横転しようとしている。脇目も振らずに駆け出せば、間に合うかもしれない。片足が骨折していても間に合う距離と時間だった。
チリンと鈴が鳴った。
そうだね、君がいたよ――黒猫を抱えるとそのまま放り投げた。
君には君を待っている者がいる。
私にも待っている家族がいるかも知れないが、まあ私如きがいなくなったところでどうとでもなる。でもきっと君がいなくなるとずっと悲しむ人がいるはずだ、何故ならば君はとても綺麗で美しい。可愛がられているのがよく分かる。
黒猫がストンと優雅に着地する。
振り返って、その綺麗な瞳を私に向けた時、ほっと一息を零した。
やっと死ねるよ、と。
視界がトラックの影に押し潰される。
彼女の記憶はそこで途切れている。
真っ白な空間、私は寝台の端に腰を下ろしていた。此処が夢の世界だということはなんとなくわかった。
暫く、ぼうっとしていると眼鏡をかけた大人の女性が私の前に姿を現した。彼女は周囲を不思議そうに見渡しながら歩き寄り、無言で私の前に立ち止まった。彼女は黙り込んだまま私のことを見つめると「これってなんて罰ゲーム?」とうんざりするように吐き捨てる。
それから彼女は私の前に座り込むと、微笑みかけながら私の頭をぎこちない手付きで撫で始める。
「君は君の好きなように生きれば良いから、私なんかよりも良い生き方できるよ。それだけは保証できる」
柔らかい声色、優しそうな笑顔を向けられる。
でも本能的に彼女が私のことなんか興味を持っていないことがわかってしまった。彼女は誰も愛していない、愛されるということも分かっていない。どうでも良いって思っているから、誰にでも優しいし、優しさを向ける相手を選んだりすることはない。本当の意味で大切に想う相手はいない、だから彼女が自分を大切にすることもない。
その中でも救いがないのは、彼女自身が自分の本質について理解しており、それを受け入れてしまっていることだ。
なんて悲しくて寂しい人なのだろうか。
親姉妹ですらもどうでも良いと思える感性は超人的だ、きっと自らが産んだ子供にすら興味を持てないに違いない。
それを理解しているからこそ、彼女は誰かと結婚したいと考えていなかった。
彼女は自分では誰も幸せにできない、と理解している。
「私はもう死んだ人間だから、君はまだ生きている人間だから」
起きる時間だよ、と彼女が額に口付けする。
目覚めた時、全身が汗だくで気持ち悪かった。
これは私が四歳の時に見た夢であり、彼女の記憶と知識は今も私の中に残っている。しかし彼女の意識が私を侵食することはない、なんとなしに分かる。もう彼女は私の中にはいなかった。
頰を触ると涙を流していた、理由はよくわからない。でも忘れられない人だった。
彼女は誰も愛せなかった。
誰も救えないと思っていた。
救われたいと望んでも、救われるとは思っていなかった。
彼女は救われることを最初から諦めていた。
そして死にたい、と。ただ死にたい、と。
死ぬ理由を求めて、人生を彷徨い続ける。
そのような生き方を私にはできない。
幸せを求めずには生きられない。
彼女の記憶が正しければ今は後漢末期、
家は農家。近頃は様々な災害が折り重なり、飢饉が相次いでいる。
当時から病弱だった私は口減らしのために家から追い出されることになった。当初、奴隷として売り出されることが検討されていたことを私は知っている。このまま最後の親孝行として自身と引き換えに家族に金を入れることも考えたが、少し経った後に誰かを幸せにする前に私自身が幸せにならなくてはいけないと考え直した。
自分すら愛せない者に誰かを愛することはできない、そのことは誰かの記憶が証明してくれている。自分すらも幸せにできない者が誰かを幸せにすることを考えるのは烏滸がましいと教えてくれた。
だから私は家から逃げ出した。
独りでも生きるために、私が幸せになるために、深夜に寝台から抜け出して、家を飛び出してやった。
私は私の為に生きる、その大切さを彼女は教えてくれたのだ。
これから先、もしどこかで彼女と出会うことができれば、
私は私の為に生きて、幸せになったぞ! と満点のドヤ顔で教えてやるのだ。
そして、貴方の知識と記憶があったからだと付け加えるのだ。
それはきっと途方もなく気分が良いに違いない。
目標、納得いくできになったら投稿。