許劭の養子。
・朱霊文博:?
私塾の同期生、ぽんこつ忍者。
・袁紹本初:?
私塾の同期生、名門袁家の長子。妾の子。
この日、私は木板に貼りつけた帆布に筆を走らせていた。
趣味で始めた絵ではあるが、数年も描き続けていれば形にはなるようだ。何度か朱霊に協力して貰ったこともあり、人物画だって随分と上手くなった気がする。人体構造から理解して書くことが大事だと天の知識にあったので、試しに何度か朱霊を題材に描かせてもらっていた。そして、この前にたっぷりと時間を掛けて描いた絵は、顔を真っ赤にした朱霊によって燃やされかけた。細部まで拘った会心の出来、きっと後世にまで残る。と断言したら無言で直刀を抜いてきた。慌てた私は衣服を上塗りすることで説得し、だったら早く描け、と背後から圧力を掛けられながら衣服を描き足した。ちなみに上塗りの絵の具を削れば、裸体が晒されることは内緒だ。この絵には浪漫が詰まっている。実際、綺麗に上塗りの絵の具だけを削ることは不可能に近いだろうが、それでもこの衣服の下には確かに書かれていた朱霊のありのままの姿が描かれている。そのことを知っている私は朱霊の絵を眺めているだけでも心の奥底から込み上げてくるものがある。好きこそものの上手なれ、という言葉が天の国にはある。私は朱霊大好きな気持ちがちゃんと詰め込められているだろうか?
今は描きあげた朱霊に装飾品で着飾り、少し絵の寂しいところに小物を描き足す作業に入っている。
朱霊が退屈そうに欠伸をするのを横目に見て、くすりと笑う。そんな日常的な光景、時折、どたばたと慌ただしい足音を立てた袁紹が部屋に飛び込んでくるのも稀によくある話だった。
「
扉を開け放った袁紹に「ああいいところに」と私はゆるりと振り返って帆布に描いた朱霊を披露する。
「どうかな? 文博の魅力の半分程度は引き出せたかなって思うんだけど?」
「あら良いですわね。少し大人っぽくて色気を……って違いますわ!」
流れるようなノリツッコミ。冗談半分なのは事実だけども半分は本気、それどころではありませんわ、とまくし立てる袁紹に少し残念に思いながらも帆布にそっと布を被せる。
「それで今日はどうしたの?」
問いかけると袁紹は胸に手を当てると高らかに宣言する。
「
………………。
私は無言で朱霊に目配せをすると、朱霊は黙って首を横に振った。
そして私は天井を仰ぎ、とりあえず袁紹を椅子に座らせてから帆布に掛けた布をそっと開ける。
「この文博で最も力を入れたのは……」
「さらっと流そうとしないでくださいまし!?」
どうやら誤魔化しきれないようだ。
これが単なる思い付きであれば、適当な言葉を重ねるだけで話を有耶無耶にしてしまうことも可能だが、今日の袁紹はひと味違っている。まあ、と私は溜息を零しながら袁紹の真正面に座り、手で朱霊に隣まで来るように指示を送る。コツコツと足音を鳴らされる。それは徐々に近付いて、私の真後ろで止まった。疑問に思うと同時に朱霊がたどたどしく私の脇下に手を差し込んで、優しくお腹を撫でるように抱きしめられる。
これでいいの? と耳に息を吹きかけるように囁かれた。
違うよ、ポンコツ忍者。その言葉は心の奥底で留めて、袁紹を見据える。
「それでどうしたの?」
「その姿勢で話を続けるつもりですの!?」
「これはちょっとした手違いだよ」
違った!? と衝撃を受ける朱霊はさておいて、いい加減に本題に入ろうと先を促した。
いまいち釈然としない様子の袁紹だったが、このままでは話を始められないと悟ったのだろう。
観念するように、袁家における自分の立ち位置について、つらつらと語り始める。
要約すると、
力を持つ存在がきちんと力を使わないから世の中は荒れている。
というものだった。
そんな世の中を是正する為には、名門袁家の力が必要だ。
しかし現状、袁紹の立ち位置は決して良いものとは言えない。妾の子という蔑称は名門袁家の汚点として扱われていることを意味する。そんな袁紹が力をつけることを袁家の者達が良い感情を持つはずがなかった。このままでは使い潰されるか、飼い殺される。そんな懸念を袁紹が抱くのはおかしなことではない。
では袁紹の懸念を払拭する為にはなにをすれば良いのか、それは分かりやすい功績を立てることだ。
義勇兵を募り、自主的に賊退治をすることは――まあ官軍からすれば面白くないだろうが、とりあえず袁紹の未来を守ることに繋がる。周囲に袁紹の功績が知れ渡った時、名門袁家は袁紹を飼い殺すことはできなくなる。飼い殺すことで袁紹の功績を袁家が掠め取ることも難しくなるはずだ。
博打に見合う報酬はある。問題があるとすれば、軍事を得意とする人間が私達には居ない、ということか。
だが、私は静かに息を吐き捨てた。
「……義勇兵を維持するのも大変だよ?」
頼ってくれたのは嬉しい。でも正直な話、賛同はできない。
その理由のひとつは、私達は袁紹ほど切羽詰まっていない、というものだ。
申し訳ないけど、私も朱霊も将来が約束されている。
「……私を忍びとして雇ってくれるなら力を貸すよ」
未だに私のことを後ろから抱き締める朱霊が口を開いた。
「私、子遠以外との縁談なんて嫌だから」
頰を朱に染めながら、そっぽ向いた。そういえば、そんな話も合ったなあ。
「ええ、里を通じて正式に雇いましょう。できれば終身契約で」
「それは勘弁して欲しい。私、忍びとして認められたら子遠に仕えるつもりだから」
「……仕えられても困るんだけど?」
あまり朱霊とは仕事上の関係にはなりたくない。
とはいえ朱霊が他の誰かと縁談を結ぶというのは嫌だった。朱霊の為に、そして袁紹の為に、この二人の友達に力を貸すのは嫌ではない。むしろ好ましいとすら思っている。それでも私は保身に走る、そして私のいう保身とは朱霊と共に居られる未来を守ることだ。
大きく溜息を零して、不精不精、と二人に引きずられるように口を開いた。
「今は何処まで話が進んでいるの?」
その言葉に朱霊と袁紹の二人が破顔してみせる。やめてよ、ちょっと恥ずかしいじゃん。
「とりあえず義勇兵を百人まで集めることができましたわ。装備や糧食の発注は、こんな感じでよろしいかしら?」
どうやら思っていた以上に話は進んでいたようだ。
袁紹の書簡を受け取り、とりあえず現状の把握に努める為に頭を働かせる。
随分と高価な装備や糧食を配給する予定なんだなあ。
「予算は?」
このくらいですわ、と袁紹が思い出したように書簡を手渡してきた。
それを見て、袁紹が義勇兵を百名だけに留めた理由が理解できた。これは節約しても二ヶ月しか保たない。それでも私達が動かすには多過ぎる金額なんだけども、商店や荘園を開く為の初期投資としては充分過ぎる金額がある。
最初が肝心、資金が尽きる前に後援となってくれる存在が私達には必要だ。
「装備と糧食はもっと削らないと義勇軍を維持できないよ」
「これでも相当、落としたつもりですが……」
「名門袁家の金銭感覚だと、そうなっちゃうんだなあ」
とりあえず、これは私で預かる案件になりそうだ。
袁紹には練兵に精を出して貰って、朱霊には情報を集めてきて貰う必要がでてきた。
「できる?」と横目に問い掛けると「頑張る!」と答えが返ってきた。
駄目そうですね。
これからは少しばかり忙しくなりそうだ。
†
ひと月が過ぎる。義勇軍の調練は、袁紹自身が付けている。
補佐には情報収集から帰ってきた朱霊が付いており、私は調練の様子を小高い丘の上からぼんやりと眺めている。
あまり忙しいことにはならなかった。というのも袁紹自身が「将来のことを考えれば、こういった役回りも知っておいた方がよろしいですわね」と自ら率先して事務仕事をこなしているのだ。そして私は彼女の相談役という立ち位置に収まっている。何処で調練をすれば良いのか、とか、書類はこれで大丈夫なのか、とか、そういったことを助言している。
つまり目の前で調練を続けている義勇軍は、袁紹個人が自ら考えて作り上げた集大成と呼べる代物だった。
こうやって頑張っている姿を見ていると応援したくなるものだ。
「様になりましたね」
頭に笠を被り、竹籠を背負う薬売りの少女に話しかけられる。
そうだね、と振り返らずに告げると彼女は懐から綺麗に折り畳まれた文を取り出し、それを私に差し出してくる。受け取ると彼女は軽くお辞儀をした後で静かに立ち去った。文は懐に入れる。調練に精を出す袁紹は私が誰かと一緒にいたことなんで欠片も気付かなかったけども朱霊にはしっかりと見られてしまっていたようで嫉妬深い目で私のことを睨んでくる。そんなに私を独占したければ、さっさと告白すれば良いのだ。どうせ両想いだって分かっているんだし――しかし奥手の彼女はなかなか私に告白してくれない。私を見つめる愛しい彼女に向けて、にんまりと笑みを浮かべてやると朱霊は不貞腐れるようにそっぽ向いた。
あらあら、そんな態度を取っても良いのかな。私だっていつまでも待ってるわけじゃないんだよ? 曹操のところへ行っても良いんだからね。実際に行くつもりはさらさらないけども、それくらい思わせぶりなことを言っても罰は当たらないと思う。
「ありがと、何顒」
中身を確認しながら伝えると彼女は僅かに会釈してから場を離れた。
彼女のお墨付きも貰ったことだし、賊退治に出向くには頃合いか。受け取った文には、この近辺に潜伏している賊の情報が書き込まれていた。御丁寧にも大まかな数まで記されている。
この調練が終わった後、袁紹に出陣を提案してみようと思った。
これは完全に余談になるけど、
次の房中術の練習日、朱霊はやけに積極的だった。
やっぱり可愛い。