戦後処理、
結び方がなっていない義勇兵の代わりに朱霊が絶対に抜け出せない結び方で捕虜を全員縛り上げた後の話だ。
馬賊の頭領と思しき二人組みの前に袁紹が前に出る。
「おい、私達をどうするつもりだ!」
「うう……目を付けられないように頑張ってたつもりだったんだけどなあ……」
「斗詩! 泣き言言うなッ!」
大剣使いは袁紹のことを睨みつけており、大槌使いは俯き項垂れている。
袁紹は二人を見下したまま、小さく息を吸い込んで言葉を発する。
「
そうすれば、と胸を張って大らかに口を開いた。
「今すぐにでも私の別荘を貸し与えて、給料は官僚に仕官する者と同額を支払います。週休二日制、有給は年に十日。有事の際には働いて貰いますが――勿論、その時には手当を付けましょう。年金有り、保険有り、育休有り、負傷して戦場に出られなくなった時の保証は勿論、貴方達が戦死した際には年金の受け取り先を家内に――」
「馬鹿! そんなことを言われて、あたい達がお前に下るかよ!」
「……文ちゃん、待って」
「ほら、斗詩も言ってやれ!」
「文ちゃん、黙って?」
底冷えするような低い声に大剣使いはビクリと身を震わせた。周囲を沈黙が支配する中、斗詩は縛られた姿勢のままで額を地面に擦り付ける。
「わかりました、袁紹様。是非とも私達を使ってください」
「なんだって、斗詩!? 目を覚ませ!」
「目を覚ますのは文ちゃんよッ! よく考えて、この荒れた御時世に安定した収入を得られるその意味を! 私達の生涯は安泰なのよ!!」
「いや、でも信用できるかどうかなんて……」
「名門袁家の名を出した上での契約よ。この話を反故した時、袁家の名は堕ちるのよ」
「あの袁家だからこそもみ消すなんて簡単だろ!」
そうして二人が言い争いをしている最中、困惑しているのは馬賊の皆様方だ。
勿論、あの二人の去就が決まり次第、勧誘を始める予定だ。
「最近、こんなのばかり見せられている気がしますわ」
「ばーか!」とか「あーほ!」とか低次元な言葉が飛び交い始めた言い争いに袁紹が呆れ混じりの溜息を零す。
誰のことだろう? と私が首を傾げると、イチャつくなって意味だと思うよ、と朱霊が咎めるように私を見つめてきた。満更でもない癖に。
二人が袁紹の配下として仕えることを決めたのは、それから数十分が過ぎた後のことだ。
†
三ヶ月が過ぎた、袁紹の率いる義勇軍が遂に千の大台へと乗る。騎兵は二百だ。
大剣使いの文醜と大槌使いの顔良。二人が義勇軍に加入してからというもの近場の賊徒に敵はいなくなった。豫州沛国を中心に治安は劇的に向上し、商隊が豫州内を活発に動き回るようになった。その影響もあってか拠点周辺にある村や商家、豪族から支援金を頂けるようになり、とりあえず義勇軍の運営は安定にするようになった。依頼が来れば、即日で動き出す袁紹義勇軍。今でこそ落ち着いているが、ほんの一ヶ月前までは忙しさで目が回るほどだったのを覚えている。
そして安定した今、私は本業の学業に戻っている。
まだ真名の返事をしていなかった。明確な理由はない。断るつもりもないが、なんとなしに受けていいものでもないと思ったから待って貰っている。
袁紹と朱霊の二人は、顔良と文醜と共に義勇軍の運営に精を出しており、顔を合わせる機会が減りつつある。
想い人にも満足に会えぬ日が続いている。
そんな私の寂しさを埋めてくれるのは――意外でもなく曹孟徳。くるんと曲線美を画く二つ結いの金髪、小柄で華奢な体をした彼女が甘味を頬張る私の隣に座っている。反対側には曹仁がおり、向かい側には曹純そして曹洪。つまるところ曹家全員集合である。なにそれ怖い、囲い込みが半端ない。
きゅうっと胃が痛くなるのを感じながら心頭滅却と心を無にすることを心掛けた。
「別に取って食おうっていう訳じゃないわ。それに最初は
出会ったのも偶然よ、と言われるが信用できるはずがない。
曹操の恐ろしさは、この一年で嫌という程に理解できている。具体的にいえば、沛国は既に曹操の手中にあった。曹操が有志を集うことで自警団を結成し、城壁都市の治安維持に努めていたようだ。名義は違っているが、何顒からの情報なので曹操が裏で動いていたことは間違いない。他にも商家同士のいざこざを解決していたりと豪族からの曹操の評判は頗る高く、袁紹が支援を受けている豪族の中には曹操に相談してから援助を決めた者も居るのだと云う。
曹操が云うには「腰の重たい亀に賄賂を送るよりも勤勉な兎に支払って働かせる方が有益ではなくって?」とのことだ。
ちなみにこれは何顒本人が直接聞いた言葉らしい。
「ぶー、袁紹ばかり目立って狡いっすよ。孟徳ねえも挙兵しないっすか?」
「わざわざ本初が自ら苦労を負ってくれているのよ? 私達の出る幕じゃないわよ」
むうっと不貞腐れるように曹仁が頰を膨らませてみせた。
それを見て、曹操が困ったような、満更でもなさそうな顔で微笑んだ。
私、邪魔者じゃないですかね?
なんとなしに視線を前に向けると曹洪が雑誌を見つめながら唸り声を上げる。
「この衣装も捨て難いですが……いえ、やっぱりお姉様にはこちらの衣装が……」
「今日はなんでも着てあげるわよ。その為に時間を作ってあげたんだから」
「ある程度は目星を付けておかないとまた時間が足りなくなりますわ!」
「どれだけ着せるつもりなのよ」
曹洪の剣幕に「好きにすればいいわ」と曹操は苦笑する。
「あたしには何か良い服ないっすか?」
「
「もう、姉さん」
「もちろん
「えー、んー、私は見ている方が好きかなぁ?」
「そう言わずに付き合ってくださいまし!」
わいのわいのと曹家一同で盛り上がっている。
私って場違いじゃないかな、と思って曹操に目配せすると「慣れないことをするのは疲れるわね」と私だけに見えるように肩を竦めてみせる。なんというか、やっぱり曹操は大人だった。彼女達のおねえさんであることは勿論、それを抜きにしても十歳以上も年上の女性のように思えて仕方ない。個性的な姉妹を纏めるのは大変そうだな、と思うと同時に、きっと毎日賑やかで楽しいんだろうな、とも思った。
だって曹操は困ることはあっても笑顔を絶やすことがない。妹達が話し合う光景を見るだけで幸せそうだった。
「もう一ヶ月もしない内に私達は学問所を卒業するわ」
不意に曹操が独り言を呟くような――私にだけ聞こえる声で話しかけてきた。
「卒業当日、図書室で待っているわよ」
それだけを告げられる。
妹達が楽しそうな光景を一歩退いたところで見つめる曹操はとっても嬉しそうで、眩しいものを見るように目を細めた。
それが酷く寂しそうにも見えたのは目の錯覚だろうか。
†
卒業当日、
塾長の長話を聞いた後、私は袁紹の誘いを断って図書室へと赴いた。
そこには、ただ一人、曹操だけが立っており、本棚にある書籍に目を通している。
ぺらぺらと頁を捲りながら私には一瞥もせず、ただ言葉を紡いだ。
「これはもしもの話よ」
長い話を綴られる。
「とある場所にひとりの少女がいました。
少女は自信家で、誰よりも自分が優れていると信じており、誰よりも遠い未来を見通すことができると信じていた。
そして国は腐敗し、今にも滅びてしまいそうで……土地は痩せこけ、民草は疲弊しきっていた。虎視眈眈と大陸の覇権を狙う異民族、このままでは大陸は十六分割されて――まあこの数字は適当なのだけども――私達が築いてきた歴史が脅かされようとしていた。
だから少女は立ち上がった。この国難に対処できるのは自分だけと信じて、大凡、人道的ではない手段を用いて、自分の国を、せめて土地と文化を守ろうと死力を尽くした。その為に戦を起こし、その為に数百万という民草に苦難を強いて、それでもなお少女は自分の道を歩むことをやめなかった。止まれなかった、止まる気もなかった。一度、歩み始めた覇道を止めるなんて、許せなかった。
ただ土地を――そこに根付いた文化を、過去から脈々を受け継いだ歴史を守りたくて、少女は戦い抜いた」
言い訳に過ぎないのだけど、と少女は書籍から顔を上げて自嘲する。
「……それで少女はどうなったの?」
「負けたわ」
拍子抜けするほどにあっさりと少女は答える。
「三国になり、残り二国となり、最後の最後に行われた決戦で――断崖絶壁を赤色に染め上げるような大火に根こそぎに燃やされてしまったのよ」
「それでどうなったの?」
「もうひと悶着あったけども……まあそこで終わったようなものよ」
パタン、と書籍を閉じる。表紙には胡蝶の夢と書かれていた。
「これはもしもの話、少なくとも今ある歴史ではない場所での話よ」
「曹操、貴方は……」
「最初、貴方に執着したのは――なんとなしに似てたからなのよ、天の御使いと呼ばれた男に」
でも違ったわ、と少女は首を横に振る。
そしてゆっくりと顔を上げた。不敵な笑みを浮かべた口元に全身が震える、場の空気が完全に支配される。獲物を見据える瞳は全てを見通すようで私の心なんて丸裸にされてしまうかのようだった。その風格は王者の如し、大陸の覇権を握るのは彼女しかいないと信じさせられる。体が震える、震えが止まらない。恐怖ではない、だが彼女から目を逸らすことができない。見惚れていた、本能が彼女に屈しようとしているのが分かった。彼女こそが当代唯一の王者だと心服させられる。
ゆっくりと手を差し伸べられる、それは地獄に垂らされた糸のように甘美に感じられた。
「改めて言うわよ。許攸、私と共に来なさい。私は貴方に惚れたのよ」
我が主、と思わず屈しそうになる足を叱咤する。
大きく深呼吸を繰り返す、一度、二度……そして三度、体の震えが止まらない。
それでも引き攣る笑みを浮かべて、両手を拱手に合わせ、深く頭を下げる。
「貴方に誘われたこと光栄です」
でも、と言葉を紡いだ。
「決して貴方が不服な訳ではありません。しかし私にはもう心に決めた人がいます」
「……そう、振られたわね」
曹操は断られても笑ったままだった。
「貴方は曹孟徳を振ったのよ、そのことを後悔しなさい」
そう告げる曹操は慈しむように私を見つめていた。
それでいて少し悲しそうで、拗ねるように背を向けられる。
私は、そのまま図書室を去ろうとした。
「待ちなさい」
呼び止められる。背を向けたまま、首だけを動かして私を見つめる。
「華琳よ」
「……え?」
「鈍いわね、二度は言わないわ。貴方の真名を教えなさい」
この時、何故だか泣きそうなほどに嬉しくなった。
彼女に認められたことが、胸を締め付けられるほどに幸せに思えた。
振った人間が涙を流すの駄目だと思うから、ぐっと堪えて答える。
「私の真名は雅、家族以外では預けた者はまだいません」
「そう、私が貴方の初めてなのね」
曹操は嬉しそうにはにかんでみせた。
その顔を見ただけで満たされた気分になった、何故だか救われた気になった。
振ったのに、可笑しな話だ。
「雅、貴方はこの華琳を惚れさせたのよ。誇りなさい」
そう云うと彼女は背を向ける。
私は深く頭を下げた後で図書室を立ち去った。
†
門には袁紹が一人で待ち構えていた。
少し不安そうにする彼女に私は簡単に告げる。
「麗羽、私の真名は雅って言うんだよ」
その言葉を聞いた時、麗羽は破顔させた。
大凡、名族とは言い難いほどにぐちゃぐちゃにした顔で私に抱きついてきた。鼻水が衣服に付くのは嫌だったけども、まあ今日は特別だと割り切って抱き返す。
おーいおーいと泣き叫ぶ麗羽が泣き止むまで、長い時間ずっとそうしていた。
これで幼少期編はおしまいです。
次章に入る前に少し時間を置くことになりそうです。
あと話を区切るところを間違えた気がするので、数日後に修正を入れていると思います。