袁本初の華麗なる幸せ家族計画   作:にゃあたいぷ。

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間幕
間幕:荀家の図書目録


 頭が痛い、打ち付けてしまったのだろうか。

 身動ぎを取ろうとすれば、鈍痛が身を蝕んだ。全身が痛い、動けない。痛くて辛い、きつい。

 横になったまま、やり過ごそうかな、と考えたが周りが騒がしくて眠れない。大きな声が頭に響いて気持ちが悪い。静かにしてくれないかな、と目を開けると――見たことあるような? ないような? とにかく幼い女の子の顔がすぐ近くにあった。可愛い、好き。ではなくて、随分と沈痛な顔をしている。どうやら私は彼女に抱きかかえられているようだ。そういえば、此処は何処なのか。あれ、そういえば私は一体、誰なのか?

 そのまま彼女の顔を見続けていると、ふと目が合って、きょとんとした顔を浮かべる少女に私は首を傾げた。

 

香花(きょうか)姉様!? 良かったわ、姉様が目を覚ましたわ!」

 

 少女が歓喜に叫んだ、その声が私の頭に酷く響く。

 ぐわんぐわんと揺れる頭に顔を顰めると「どこか痛むの!?」と少女は私の体を強く抱きしめながら揺すり始めた。全身が痛い。やめてくれ、本当に死にそうだ。激痛で声も出ない。そして驚くほどに力が入らない体は姿勢を維持することもできず、ぐでっと仰向けに仰け反る。その時の痛みで、ふぐっと口の端から血が垂れた。「姉様!」と叫ぶ声が本当に煩わしい。

 此処は何処だとか、自分が誰だとか、今はどうでも良い。とにかく寝かして欲しい。

 

「香花姉様、死んじゃ駄目なんだから! 姉様、姉様!」

 

 前後に体を揺するのは本当にやめて欲しい、割と本気で死にそうだ。

 いや、もういっそ殺して。善意の押し付けは容易く人を殺せるのだと悟る今日は命日だ。

 意識を失って、次に目覚めた時、三途の川を渡っているところだった。

 

 

 生きていた、どうやら私の名前は荀諶と云うらしい。

 字は友若、真名は香花。名門荀家に連なる子の一人、今は離れに隔離されている。

 療養中とのことだ。目覚めた時、床に額を擦り付ける妹の頭を撫でながら医師に聞いた話では、全身打撲に両足骨折、片腕の骨には皹が入っており、折れた肋骨が内臓を傷めているという散々な有様だった。絶対安静、身内以外は立入禁止。よくもまあ生きているものだ、と医師に感心されてしまう始末。ちなみに記憶はない。私が誰なのか、此処が何処なのか。そして人間関係も全てすっぽりと抜け落ちてしまっていた。そのことを知った関係者はみんな、気難しい顔をする。中には皮膚に爪が食い込むほどに拳を握りしめる人もいたから気にしていない体を装っている。ただまあ私が助けられたのは野盗が拠点にしていた場所であり、周囲から哀れむような、穢れたような、腫れ物を見るような視線。それに加えて、記憶を失う以前は違ったという妹の極端な異性嫌いから、なんとなく察することはできている。

 記憶喪失は自我を守る為の自己防衛機能が働いた為ではないか、というのが医師の予想。無理して思い出すものでもない、と家族からの言葉だ。それで怪我が治りかけた今でも様子観察で、未だに身内以外の面談は謝絶されている。そういえば療養中、男を一度も見ていなかった。

 まあ周りが気にしている程、私自身は記憶がないことを気にしていない。

 元がそうなのか結婚願望も低いようで、傷物扱いされても煩わしいと思うだけで惨めにはならなかった。

 

「香花姉様、これで荀家にある書籍は全部よ」

 

 書籍を両手に抱えながら部屋に入ってきたのは私の可愛い妹である荀彧、真名は桂花(けいふぁ)

 薄緑色の猫耳を模した頭巾を被る妹は、私の手が届く場所に書籍の山を置いてくれた。私は手に持った書籍から目を離さずに「ありがとう」と微笑んで告げると、桂花は呆れた様子で溜息を零して部屋を見渡した。私の寝室は荀家にある書籍の全てが集められており、気付いたことや思い付いたことは紙や木簡、竹簡に書き殴っていることもあって散らかし放題であった。

 足がまだ不自由なので部屋の整理なんてできるはずもない。

 

「まだ一人で歩けないし、部屋の中にいても退屈なのはわかるけど……もうちょっとなんとかならないわけ?」

 

 愛らしい妹も記憶を失った直後は辛気臭い顔で甲斐甲斐しく私の世話をしてくれたのに、今では妙な気遣いもなくなって当たりも強くなってきた。それでも世話を焼いてくれるのだから頭が上がらない。いつも感謝の気持ちでいっぱいで、それを抜きにしても妹のことは可愛らしくて好きだった。ちなみに私も彼女と同じ猫耳が付いた薄水色の頭巾を被っている、お揃いだ。にゃんにゃん。

 

「……桂花、整理整頓は何のために行うものだと思う?」

 

 ただ素直に褒めることも気恥ずかしかったから澄まし顔でそれっぽいことを口にする。

 

「何故って……そりゃ綺麗にする為でしょ?」

 

 怪訝な顔をしながらも、きちんと話に付き合ってくれる桂花は私自慢の妹だ。

 

「違うわよ、何処にものがあるのか把握するためよ」

 

 人差し指を指揮棒のように振りながら告げる。

 すると妹はじとっとした目で私のことを見つめながら「孫子」と呟いたので、私は山積みになった書籍の一つ指で示す。

 

「上から十二冊目、十三冊目かも」

「うわっ、本当にあるわ……もしかして全部覚えてるわけ?」

 

 引き気味に告げる妹の姿に少し心を痛めながらも「まさか」と得意顔で答える。

 

「覚えている分だけよ。ある程度、九割方?」

 

 論語、六韜、と続けられる言葉に私は一冊ずつ丁寧に指で指しながら居場所を言い当てる。

 誰かに片付けてもらったとかならいざ知らず、全て自分が置いたものなのだ。場所がわからない方が不思議だと思うのだが、徐々に顔を引き攣らせる妹の姿を見て、それが普通ではないことを理解する。特別なことをした覚えはない。見て覚えた、本当にそれだけなのだ。それが世間一般の普通から逸脱しているようだった。パラパラと適当に手を取った書籍を捲り、「史記の本記三巻、五十二頁」と告げられたので「流石に難しいわよ」と私は微笑んで頁の概略を告げる。ドン引きされた、心が痛い。

 わかるものはわかるのだから仕方ないじゃないか。ぷいっと顔を背けると盛大な溜息が吐き捨てられる音が聞こえた。

 

「まさか、この部屋にある書籍の内容を全部、憶えてるわけ?」

 

 呆れたように問いかけられた言葉に「全部じゃないわ、九割方」と返した。流石に一字一句までは自信がない。

 

「……昨日の対局は覚えているわよね?」

「ええ、勝敗は桂花の方が上。私の五勝九敗、流石は私の妹ね」

「本を片手に打ってた癖に白々しい。手を抜かれたと思って屈辱だったんだけど?」

 

 別に手を抜いていたわけではない。

 桂花は差す一手が遅いので、待っている方は暇なのだ。まあ盤上を睨みつける桂花の顔も愛くるしくて、ぎょっと驚く顔は可愛すぎで、そんな表情を見る為だけに碁や将棋、象棋を学んだといっても過言ではない。とはいえ先人達の棋譜を真似ているだけなので私自身の腕前は高いわけではなかった。

 桂花は考え込むように俯き、四局目の七十二手目、と告げる。

 

「ちょっと待って……」

 

 と私は側頭部を指先で押しながら昨日の対局を想起する。

 四局目、一、二、三、四……と数えてから丁度、七十二手目になった手を口にした。

 

「今度は時間が掛かったわね。書籍を読むよりも面白くなかったかしら?」

 

 不貞腐れる素振りで意地悪な笑みを浮かべてみせる。それに私は首を横に振る。

 

「何局目の何手目って憶えている訳じゃないのよ、流れを記憶しているだけ。一手目から諳んじることはできても、その一場面だけを切り取ることは難しいのよ」

「え、じゃあ。全て覚えているの?」 

「ええ、もちろん。可愛い妹の一挙一動を忘れるわけがないじゃない」

 

 にこにこと満面の笑顔で告げると、すすっと距離を置かれた。

 解せない。

 

 

 可愛い妹の桂花は、名門荀家の中でもとびきりに優秀な存在で外の評判も頗る高い。

 その為か彼女を求めて数多くの書簡が送られており、仕官先は選り取り見取りの引く手数多だ。対する私は部屋で書籍を読み漁るばかりで誰からも声をかけられていなかった。でもまあ、それを気にしたことはない。私は真面目な妹とは違って漢王朝の為に尽くす気持ちはないし、世の情勢に関わり続けたいとも思っていなかった。ついでに云えば、今の勝手気ままな生活を続けたい。

 しかし、それは愛らしい妹がいてこその話だ。私が今、生き続けたいと願うのは妹が存在しているからだった。

 

「香花姉様、やっぱりまだ無理だったんじゃない?」

 

 ぜぇはぁと妹の肩に手を乗せながら息絶え絶えで足を引き摺る。

 もう一年以上も太陽の下に出ていない身の上だ。よく妹が楽しそうに屋敷の外の話をしていたので、私も妹と一緒に外に出てみたいと頼み込んだのが事の始まり、意気込んで外に出るまでは良かったが私の肉体は私の想像以上に貧弱だった。妹がいうに昔の私は街中を走り回る程度には体力があったと云うが――いやはや、まさか五分もしない内に息切れするとは思っていなかった。

 なんとか、辛うじて、街中まで足を運んだが、このまま帰ることも難しかったので一度、近くの茶店で休憩を取ることになった。

 店内に入った私は空いた椅子にどかっと座って、はあ〜と大きく息を吐き出した。はしたない、と妹の苦言が聞こえたが、咎めるように睨む妹の姿もまた可愛らしい。水を持ってきてくれた女給に杏仁豆腐を一つ注文、「姉様ってお金を持ってたっけ?」と問いかける妹の言葉には答えず、にっこりと桂花のことを見つめる。愛しい妹は溜息ひとつ、自分の分として羊羹を注文した。

 注文を受けた女給が軽くお辞儀をした後、厨房の奥へと姿を消す。

 私は杯に注がれた冷たい水を胃に流し込んで、くぅ〜と身を震わせた。汗だくになった体に染み渡る。

 

「外に出ることに忌避感はないのね」

 

 ふと呟かれた妹の言葉に私は首を傾げた。

 そういえば、と自分の記憶喪失の原因を思い出す。

 

「憶えていないことに脅えるのは難しいわ」

 

 肩を竦めてみせると「そう」と妹は小さな声を零した。

 店内を流し見る妹の様子を私は無言で見守る。なんとなしに気不味い空気、沈黙は杏仁豆腐と羊羹が届けられるまで続き、机に置かれた甘味にさっそく手を付けようとした私とは裏腹に、妹はじいっと机の上を見つめたまま動かなかった。「美味しいわよ」と声をかけても小さく頷くだけだ。

 正直な話、あんまり気にしていないんだけどな。と思いながら杏仁豆腐を頬張る。

 意中の相手なんていないし、結婚願望がある訳でもない。どっちかっていうと恋人なんて面倒なだけだと思っており、私が処女かどうかを気にして想いを失う程度の相手にどう思われようがどうでも良かった。むしろ傷物と蔑んでくれるのであれば、こちらも距離を置く手間が省けるので好都合だ。

 そんなちっぽけな話なんかよりも、今は杏仁豆腐を堪能する方がよほど大事だ。

 

「私は……まだ、少し怖いわ」

 

 妹が呟くように口にする。なんか真面目な感じがしたので、ひっそりと妹の羊羹に伸ばしていた手を止める。

 

「姉様は覚えていないかもしれないけど、姉様は私を守ろうとして連れていかれたのよ」

「そう、当然ね」

 

 なんだ、やっぱり大した話ではない。と妹の羊羹を一口分切り取って口に含んだ。

 これがもし仮に可愛い妹を見捨てたとかいう話なら私は私を縊り殺さないといけないところだった。

 

「……私のこと、嫌っていると思っていたのよ」

「えっ? そうなの?」

 

 そんなことはありえない、と思わず桂花の顔を見返した。

 

「いつも煙たそうにしてたわよ」

「ん〜、あんまり想像できないわね」

 

 妹のことを嫌う自分が分からない。

 実際、記憶を失ってから初めて桂花の顔を見た時に浮かんだのは膨大な好意だった。ただ桂花が私に嘘を吐いているとも思えないから、実際に避けていたのは確かだったのだろうと思う。どうにも前の私はツンと高飛車な態度を取っていたようで、あまり桂花に良い印象を与えていなかったようだ。まあ尤も、思っていた、と妹が言っているように今は誤解が解けているのだろう。

 だって私、一目見た時から好きだったし、実際に身を呈して妹を守っている。

 

「今思えば、あれも、あの時も、きっと好意の裏返しだったのね」

 

 妹はいまいち釈然としない様子で溜息を零した。

 

「ともあれ桂花、私は貴方のことが好きよ」

「知ってるわよ」

 

 私もよ、と妹がそっぽ向いた。可愛い、と私は頰を緩める。

 

「ずっとこんな感じだったのなら私がしてきた気苦労はなんだったのよ……」

 

 ぶつくさと不貞腐れる妹に「甘味が足りてないわよ」と匙で掬った杏仁豆腐を彼女の口元に差し出した。

 

「……なにこれ?」

「姉妹なんだから良いじゃない、美味しいわよ」

 

 笑みを深めて待ち続けていると、根負けしたのか桂花が溜息を零して口を開いた。

 薄く開かれた唇の隙間に杏仁豆腐を滑り込ませる。「あら美味しいわね」と僅かに目を見開いた妹に「でしょう?」と私は目を細めながら答える。素直過ぎるのも困りものね、と妹がまた疲れたように息を零す。

 幸せが逃げるわよ。その程度で逃げる幸せなんていらないわよ。

 

 

 程なくして、私と違って勤労意欲が旺盛な妹の仕官先が決まる。

 相手は名門と名高い荀家よりも更に格上の汝南袁家。四世三公と知られる家系であり、皇帝を除外し、大陸で最も大きな権威を持つ家柄と言っても良い。今回、仕官要請があったのは正当後継者の袁術ではなく妾の子と呼ばれる袁紹だが、その評判は袁術を遥かに上回っている。袁術よりも袁紹を後継者に立てるべし、という声が袁家内で上がっているようで、現当主の袁逢は手を焼いているらしい。

 評判、能力も含めて、妹の士官先としては申し分ない。

 

「いつまでも殻にこもっているわけにはいかないわよ」

 

 何顒、と書かれた封筒を片手に妹は私を横目に盗み見てから口にする。

 可愛い妹の門出だ、祝福してやりたい気持ちはある。しかし私は知っている。桂花が本当に仕えたいと思っているのは袁紹ではなく、兗州の英雄、陳留太守の曹操の方だ。そして何顒と呼ばれる者の手紙では、荀家から誰か一人を送って欲しい、という嘆願書だということも知っている。

 何顒からの嘆願書が届いた時、荀家の有力者達はすぐに誰か一人を送り出すことを決定する。そこで名前が挙がったのは、まだ仕官先が決まっていない桂花だ。私達の母である荀緄も良い話だということで快く承諾し、今に至る。それが私達に言い渡されたのは一週間も前の話、桂花も心の整理を付けたようで今はもう結論を出してしまった。

 私になにかできることはないか。傷物と呼ばれる私は仕官を諦めており、母も家から出すことを諦めていた。

 このままでは愛する妹は私の前から居なくなる。でも今、引き止めても妹は何処かへ行くだろう。今のうちに私が妹の為にできることはないだろうか。少し考えて、ふと思いついたことがあった。どうせ妹がいなくなるのであれば――その考えに思い至った時、ふと苦笑する。

 前も、今も、結局、私は何も変わっていない。

 

「私も付いていくわ」

「姉様、なにを突拍子もないことを……」

 

 話を聞いている限りでは、こんな時、前の私ならこんな風に口を開いていたはずだ。

 

「貴方一人では心配だからよ。何時まで経っても目が離させない世話焼かせな子、さっさと成長してくれないものかしら?」

 

 桂花はきょとんとした顔を浮かべた後、厭らしく口を弧にする。

 

「何を言っているのよ。今まで姉様を世話してきたのは誰だと思って? 姉様の方こそ私が居ないと部屋の掃除一つできないんだから」

 

 ふん、と楽しそうに鼻を鳴らす妹に「ええ、そうね」とあっさり告げる。

 

「私、貴方に付いていくわよ。貴方がいないと生きていける自信がないわ」

「……えぇ、なにそれ。ちょっとは情けないとは思わないの?」

「情けないところはたっぷり見られてるから今更よ」

 

 守りなさい、と告げると妹は心底呆れたように溜息を吐いた。

 

「……まあ姉様がきてくれると心強いわね。楽をさせる気はないわよ」

「あら自信がないなんて珍しい」

「私を誰だと思って? 自信ならあるわよ、九割方」

 

 そう告げる妹は本当に自信たっぷりで――――

 

「姉様が来てくれて、やっと十割になるわ」

 

 ――私を見つめる目がとても優しかった。

 そんな真っ直ぐな瞳に見つめられて、私は気不味くって目を逸らした。

 裏切っちゃうなあ、とか、そんな感じ。

 

 

 




漸く繋がった。何顒を出した理由の一つ。
荀諶は七天の頃から袁紹√として考えており、本作で荀彧を出した理由でもあります。
本来は主人公格、でも本作では脇役になりそうですね。

正史と恋姫時空の狭間で立ち位置に悩み、いまいち扱いを決められていない党錮の禁。
でも扱わなかったら何顒の存在理由の半分がなくなる。残る半分は今、終えました。
党錮の禁を処理するには何進を進めないと予定が立たないなあ。
とかそんな感じです。

宦官メインの話が書きたかったのも恋姫二次を書き始めた理由の一つですね。
何進、張譲、董卓の三つ巴とか読みたくない? 私は読みたいので書きます。

ちなみに今、一番扱いに困っているのはアニメ版何進。
何晏として出す計画はあります。相手を猫や鼠にする薬でも作るんじゃないですかね?
何晏の上手い扱い方がわからないので、今は保留中。保留のまま消えそう。

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