袁本初の華麗なる幸せ家族計画   作:にゃあたいぷ。

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脈動編
拾弐.王佐の才


 あれから数年が経つ。

 袁紹、もとい麗羽は県令を経て、無事に冀州勃海郡の太守になった。

 とはいえ賊退治で上げた名声だ。冀州刺史である韓馥の要請で賊退治に勤しむことが多く、麗羽自身が勃海郡に居ることは意外と少ない。では誰が麗羽のいない勃海の土地を守るのか。それは私、つまり許攸であった。尤も私の本業は人物評論家、私自身の才覚で勃海郡を統治することは難しい。

 そこで私が取った手段というのが、人材登用。つまり文官の募集になる。

 さて、豫州と冀州における麗羽の評判は高い。仲介人である何顒に、麗羽の評判を良くするような噂を流すことはできないか、と頼んだことがある。その返事は「それはわたしから評判を買う、ということですね」というもので、工作費として定期的に金銭を渡し続けること一年間、賊退治に勤しみ続けて来たこともあり、想像以上に麗羽の評判は高くなって、今となっては冀州の英雄として語られる程にもなった。その人気は冀州刺史の韓馥を遥かに超えている。

 そんな訳だから募集を掛けた時も多くの人材が、袁紹陣営の門戸を叩いてくれた。

 その数、百を超える。

 思っていた以上に多くの人材が集まったことに喜び、そして質の悪さに嘆いた。

 文官を志望しているだけあって、読み書き算盤程度はできるが、事務仕事を任せられる者は少ない。人手は欲しいが猫の手ではできない仕事が多く、教育をするにしても教育側の人手が足りない。それで結局、集まってくれた人数の八割以上を送り返す羽目になった。残った二割の内、九割は見込みある戦力外。残る二割の更に一割が即戦力として使うことができる人材。つまり二人、たったの二人だけだ。どうせ教育する羽目になるなら若い新卒が欲しい、という気持ちがよく分かる。

 逆に云えば、二人も即戦力の人材が来てくれたことに感謝すべきか。

 

 即戦力として期待される二人の名は、逢紀と郭図。逢紀は軍務と謀略を得意とし、郭図は戦術と戦略を得意とした。昔は義勇軍、今は勃海軍の管理は逢紀に任せて、少し大きな戦になりそうな時には郭図を随伴させるように麗羽に頼み込んだ。二人とも門外漢と言いながらも政務を手伝ってくれるので重宝している。それでも太守就任直後の過渡期を抜けて、誤魔化しながら行ってきた政務に限界を感じた私は、何顒に政務の専門家を紹介して欲しいと菓子折りを持って頼み込んだ。

 何顒は少し困った様子で「紹介だけですよ?」と姿を消す。

 

 それから一月、何顒の紹介状を持った二人組の少女を勃海郡までやって来た。

 片や見覚えのある猫耳少女、片や見覚えのない猫耳少女。見知らぬ方は馬に乗っており、見知った方は徒歩で馬を引いている。共に名門荀家の御令嬢、二人合わせて姉妹猫。これでも人物批評家の端くれ貴族目録ならぬ名家目録に準ずるものを読み込んだことがあり、その家系図は粗方、頭の中に入っている。つまり片方の名前がわかれば、もう片方の名前もわかる。

 そんなことよりも懐かしい顔に、私は駆け寄った。

 

「荀彧!」

 

 バッと両手を広げてると懐かしい顔は酷く嫌そうな表情を浮かべて距離を取った。

 

「なんであんたが袁紹んとこにいるのよ」

「何故って本初のところに仕えているからだけど?」

「貴方のことだから曹操を選ぶと思っていたわ」

 

 荀彧は不意に私が飛びかかっても逃げ切れる距離を保ちながら会話を続ける。

 じりっと半歩、地面を擦れば、すっと距離を離された。クソ、これが軍師の間合いというものか。

 感動の再会というのはお互いに抱き締め合うことから始まる、と天の知識にあったのに!

 

 間合いを測ること数分、

 でもまあ、と荀彧の警戒心しかない目付きが和らいだ。

 

「貴方がいるなら、ここも楽しめるかも知れないわね」

 

 小さく笑みを浮かべながら、そんなことを告げる。

 何故だか、その目は、どこか遠くを見ている気がした。

 

「……荀彧、貴方は…………」

 

 なんでもないわよ、と彼女は頭に被った頭巾を取る。

 

「今日は姉様も一緒にきてるのよ、体が弱いから早く休める場所に連れて行って欲しいわ」

 

 そう言いながら、もう一人の猫耳少女を見やる。

 荀彧と同じ栗色の髪が背中を隠す、顔の作りは荀彧と似ているが全体の雰囲気としては何処となくおっとりとした感じだ。

 華奢な荀彧よりも更に細身の体付きで、馬に乗っているはずだが今も少し息が上がっている。

 

「姓は荀、名は諶。字は友若。文若(荀彧)の姉です」

 

 にへらと浮かべる笑みは、こちらの力が抜けてしまいそうだった。

 

「貴方が許攸さんなのね、よく文若から話を聞いています」

「姉様ッ!」

 

 まるで毛を逆立てた猫のようにフシャーッ! と荀諶のことを威嚇する。その妹の姿を顔色ひとつ変えずに受け止める辺りが、なんというか、よく知った仲なんだなって思う。姉妹なんだから、当然だけど。仲が良いなって、そう思った。

 

「そういえば何顒はどうしたの? 一緒に来るって聞いてたけど」

「近場までは送ってくれたわよ。次の仕事があるからって、どっか行っちゃったけど」

 

 ふぅん? と少し考えて、まあ何顒なら意味のないことはしない、と気にすることをやめた。

 とりあえず二人を勃海郡に新しく建てた屋敷に招待しよう。

 

 

 荀彧は呆れる程に優秀だった。

 初めて執務室に招き入れた時、荀彧は机の上に置かれた書類を手に取ると「この程度のこともしないといけないのね」と大きく溜息を零しながら次から次に目を通していった。書類を机に戻す時、机の上には最初にあった束の数よりも更に細かく分けられる。「最低限、書類分けができてるから簡単よ」と会話の片手間に仕分けを進めて「この束は一緒に処理できるわ、こっちの束は同じ問題。確か人手不足って言ってたわよね? なら、この束をそのまま下に送りつけてやりなさい。失敗しても取り返しが付くし、まあ貴方の見立てた文官が補佐に付けば、大きな問題になることはないでしょ。緊急性の高い問題はこれね。これは許攸、貴方が片付けて頂戴。この貴方が持て余してそうな難しい問題は私が貰ってあげる。量が多い? 大丈夫よ、姉様にも手伝わせるから」と半刻もしない内に指示まで出す始末だ。事前に情報を集めていたのだろうが――「この程度で驚かれても困るわよ」と私が驚き固まっているのを見て、溜息を零される。これが才能というものか、格の違いを感じる。

 斯くして溜まる一方であった書類の束は一週間もしない内に片付けられた*1

 そして今は勃海郡を発展させる為の方策を練っているところだ。

 

「逢紀と郭図だったかしら? 手伝いなさい、今は猫の手も借りたい程なのよ」

 

 私の配下である二人を執務室へと連れ込むと二人に書類の束を押し付ける。

 傍から見ても、ずっしりと重量感のあるソレに逢紀は助けを求めるように私のことを見つめたが、私は自分の机の上にある書類の山を指で差し示すことで返事をする。対して、渋々と書類の束を受け取った郭図は「どうして私が、こんなことを……」と愚痴愚痴と文句を呟いており、それを見兼ねた荀彧は「戦馬鹿が政治できなくてどうするのよ」と半ば呆れながら咎める。

 なんだかんだで二人共に荀彧には従順であり、勃海郡はみるみる内に収益を伸ばしていった。

 即効性のあるものから数年後を見据えたものまで、収益が上がった分だけ都市開発に使われるので金庫に資金が貯まることはほとんどない。まるで自転車操業のようだ、と呟けば、その単語の意味を問いただした後、「ちゃんと緊急時の資金は残してあるわよ」と溜息交じりに告げる。

 何処に? と更に問いただせば、なにかの目録を手渡された。

 

「袁家――と云うよりも袁成*2の屋敷にある財宝をまとめたものよ。それでこっちが大雑把な見積もり、大分、低く見積もってるから下回ることはないと思うわ」

 

 と、更に書類を重ねられる。

 怖いなあ、戸締りしとこ。ちなみに私が趣味で描いていた絵も何点か目録に入れられていたことに気付くのは、半年後の話になる。

 今はまだ知らない。知らぬが仏、というのはきっとこういう時に使う言葉なのだろう。

 

 さて、荀彧が仕官して来てから二週間が過ぎる。

 この日は賊討伐に出ていた討伐軍が帰還する予定の日取りであり、部隊長以上を中心に宴を催す日でもあった。こんな時でも荀彧は頼り甲斐があり、何時も私がしていた段取りを把握すると私の倍以上の速さで、費用を削った上で今まで以上に豪華な宴に仕立て上げた。しかも、それを他の政務の片手間に終わらせてしまうのである。宴の準備が見る見るうちに整っていく光景を見つめながら、暫し呆然と眺めていると逢紀と郭図が私のことを慰めるように肩を叩いた。そして「判子をお願いします」と書類の束を手渡される。この見事な仕事人間っぷりよ。嘆く暇があるなら仕事しろ、と言わんばかりだ。

 ちなみにこれは「判子を押すだけなら頭が回らなくてもできるでしょ?」という荀彧の迂遠な気遣いである。

 うーん、この、うーん……

 ともあれ、なんだかんだで逢紀と郭図は荀彧の下で着実に力を付けている。荀彧は会話を交わす前から二人を重宝していたので、やっぱり才能に満ちている人は凡夫では見えていないものが見えているのかな、と思ったり思わなかったりする。人物批評家の端くれとして、荀彧に人物批評のコツを聞き出そうとして、逢紀と郭図を例に問いかけてみたことがある。

 すると荀彧は「はあ?」と眉間に皺を寄せながら答える。

 

「あんたが新米を側近に置いているのだから最低限の能力はあると思っただけよ」

 

 うーん、この! ふっふーん!

 うざい、と言われた。辛い。

 

 荀彧が指揮を執るようになってから様変わりした執務室。

 賊退治から帰ってきた麗羽は三週間ぶりに見た執務室の光景に「まるで友達の友達の家に来たような疎外感ですわね」と零した。立場的には私が執務室の長のはずなんだけど、今や文官の全員が荀彧の指示に従っている。執務室の隅っこの方には荀彧の姉である荀諶が窓際を陣取っており、執務室の様子を眺めながら業務に従事していた。彼女も彼女で有能なのだが、荀彧の活躍のおかげで影が薄い。というよりも荀彧の活躍の前では誰もが見劣りする程であり、「彼女こそが王佐の才と呼ばれるのでしょうね」と様子を見にきた何顒に言わしめるほどだった。

 さておき、袁紹がいない間に仕官してきた者達を紹介している時、荀彧は作ったような笑みを浮かべて丁寧に頭を下げる。

 そして自分の番が終わった後は退屈そうに何処かを眺めていた。

 

 

 本日の業務を終えた後、柱の陰から猫耳頭巾がちょいちょいと手招きしてきた。

 誘われるままに今は使っていない部屋に招かれて、そして背中を隠すほどに長い栗色の髪を翻しながら荀諶が私に振り返る。

「どうしたの?」と問いかければ、「妹のことで話があるの」と切り出した。

 

「近い将来、大陸は戦乱の大火に包まれるわ」

 

 そして、全く別の話になる。慌てないで、と荀諶は微笑みかけてくる。

 

「少なくとも我が荀家はそのように考えているのよ、潁川郡を中心にした情報網も同じ答えね」

 

 嘯くように、口遊むように、荀諶は言葉を連ねる。

 

「その時が来た時、我が荀家は繁栄よりも存続を選ぶわ。その為の策として、広く、浅く、血縁者を各地に残しておく必要があるのよ」

「……つまり、荀諶。貴方は袁家を出て行きたいの?」

 

 この問いに彼女は首を横に振る。

 

「出ていくのは文若、妹の方よ」

「どういうこと?」

「あら、気付いているのではなくって?」

 

 荀諶は袖で口元を隠しながら、くすくすと目を細める。

 

「文若には思い定めた人がいるのよ。貴方が曹操の誘いを蹴って袁紹に付いたように、妹も仕えたいと思い定めた人がいる」

「……今、抜けられると勃海が成り立たなくなる」

「その時の穴埋めは私がするわ」

「窓際を占拠している君が?」

「明日から本気出すわよ、それで証明してあげる。こう見えて記憶力は良いのよ」

 

 まあ、と荀諶は視線を逸らしてから続く言葉を口にする。

 

「まだ会ったことはないのよね。だから実際に妹の御目に適うかはまだわからないのよね」

「なにそれ? 今更、此処を抜けてまで確認することなの?」

「妹の願いは極力叶えてあげたいのよ」

 

 それに見たでしょう、と彼女は横目に私の顔を盗み見る。

 

「ずぅっと退屈そうにしてるでしょう? 袁紹と引き合わせた後、それが露骨に表面化するようになったわ」

 

 その言葉に私は口を閉ざす。

 なんとなしに分かっていたことだ。彼女はまだ本気を出していない、情熱と呼べるものが失われている。

 勃海郡に来てからの彼女は素っ気ない、感情を露わにすることはほとんどなかった。

 

「ここにいても幸せになれない、あの態度では周りから顰蹙を買うことにも繋がる。周りも薄々気付き始めているわよ」

 

 だけど荀彧に抜けられるわけにはいかない。

 それに仕事とか抜きにしても、私個人が荀彧と離れることが嫌だった。

 ずっと幼い頃からの友達で文通相手だ。

 

「それなら、どうして袁紹に仕えるのよ」

 

 だから反論する。それなら最初から希望を持たせるような真似をするな、と。

 

「御家の都合、強いては――」

 

 荀諶は薄っすらと笑みを浮かべて答える。

 

「――何顒からの要請よ。あれがなければ私の妹は夢を諦める必要もなかった」

 

 その言葉に一瞬、頭が真っ白になった。

 思考し、反論しようとして、しかし言い訳がましい言葉しか思いつかなくて口を閉ざすしかない。

 荀諶は私のことを見つめたまま、続ける。

 

「どのような結果になろうとも私は此処に残る。これは妥協案、そして折衷案。たった一度きり機会を設けてくれるだけで良いのよ。妹のことを想ってくれるなら受けてくれないかしら?」

 

 その問いかけに私は震える声で、荀彧が求める相手って誰? と問い返す。

 

「曹操」

 

 目の前が真っ暗になるような想いだった。

 

 

 

*1
※処理中、仕事割り振った状態。

*2
袁紹の義親。




前話を出すタイミングはもっと後の方が良かったかな、と思いながら新章です。

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