袁本初の華麗なる幸せ家族計画   作:にゃあたいぷ。

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間幕:わがままだってわかっている。

 今日は月が綺麗ね。

 風流とか、侘び寂びとか、そういった感性にはあんまり興味が湧かないはずなんだけど、最近はそういったものを好むようになっていた。道端に咲いた一輪の花とか、視界に入れることなんて私の人生でほとんどない。というよりも下を向いて歩くことが自分にとっては稀なことであり、孤独に零す溜息が多くなったのも勃海郡に来てからのことだった。

 それが最近、袁紹と顔を合わせてから更に多くなった気がする。

 

 姓は荀、名は彧。字は文若。真名は桂花。

 四世三公と名高い袁家と比べると見劣りするが、潁川郡を拠点に築き上げて、脈々と受け継がれてきた人脈は他を圧倒する。

 その人脈から得られる情報網は、豫州は勿論、河内、徐州、兗州、冀州、荊州上部と広範囲に渡って、詳細な情報を得ることができた。伝手の伝手を頼りにすれば、大陸全土の情報を集めることも難しくはない。情報の力は強大で、簡単に大陸の秩序を破壊することもできる。故に荀家に産まれた者は荀子より、儒家思想を徹底的に叩き込まれることになる。

 人は皆、生まれ持っての悪である。故に荀家の人間は皆、努力し、修学することで善性を得ることを第一とした。

 

 あまりにも強大すぎる力は私欲によって使うべきではない、と己に強く戒める為に。

 

 天下を統一する者がいない群雄割拠の時代が訪れた時、荀子はこのように述べている。

 覇者が勝利する、と。覇者というのは力だけを持つ暴漢を意味しない。無闇に領地を併合せず、諸侯を友と呼び、滅んだ家の復興には尽力する。そうして得た友と共に歩むことで強きを挫き、弱きを助ける。そのような正義の振る舞いが最終的に天下を統一する。しかし、理想はそこにはない。絶対的な正義を示すことで天下全てを味方につけ、戦わずして勝つ状況を作ることこそが理想である。それは覇者ではなく、王者の在り方。それが現実的ではないことは分かっている。その状況を作る為にはまず勝利し、勝利の後に築きあげるものだ。高祖がそうしたように、光武帝がそうしたように。それこそが天下泰平の礎となる。

 つまり私が求める王とは、戦乱の世においては覇を唱えて、泰平の世においては王道を敷くような存在だ。

 

 荀家の情報網を使う許可を貰った時、手始めにと初めて集めた情報が曹操と袁紹だった。

 二人を調べた理由は簡単なもので、先ずは情報収集を行うのに手頃だったこと。そして名門の中の名門である汝南袁家の長子と宦官の最高位である大長秋昇まで上り詰めた曹騰の孫娘ということ。あとついでにいえば、許攸の手紙によく出てくる名前だったからだ。彼女は人が良くて間の抜けている奴だったから騙されていないかな、と思って軽く身辺調査を行ったのは内緒の話。とはいえ許攸は間抜けではあっても馬鹿ではないので、これは杞憂に終わった。

 逆に思わぬ収穫があった。それは私が望む主君の条件に当て嵌まる人間を見つけたことだ。

 つまり、曹操のことになる。

 

 治世の能臣、乱世の奸雄。

 

 かつて許劭は曹操をこのように評したと云う。

 大いに結構、それこそが私が望む覇王の在り方だ。私が目指すは天下泰平、その数百年も後にまで続く平和である。その為には先ず覇者として、いち早く天下の統一を。そして戦後は戦乱で荒れた世の中を復興を、その時に王道を敷いて後世数百年にも及ぶ天下泰平の礎を築きあげる。

 私は、その為に自らの命を使いたい、燃やしたい。乱世の覇者、治世の王者。つまり覇王を補佐することが私の夢だった。

 荀家の情報網を使って集めさせた曹操の功績や実績、その立ち振舞いは話に聞いているだけでも胸が熱くなった。曹操が注釈を入れたという孫子の写本を手に入れ読み込んだ時にはもう、顔も見ていないのに初恋のような想いを抱いていた。私が仕えるべきは、曹操だと思うようになっていた。そして、きっと許攸も曹操の才能を見抜いているはずで、私達が曹操に仕えるのは確定事項なっていた。

 だから私は成人してからも曹操に仕えるつもりで仕官要請を断り続けてきたのだ。

 

 正直なことを言えば、袁紹も悪くない。

 彼女には分かりやすい魅力がある。ただ彼女の在り方は名家の誇りの延長戦にあるものであり、どう転んだとしても王者以外の何物にもなることができない。彼女が歩いた道のりが王道となり、その敷かれた道を周りの者達が舗装する。

 それもまあ悪いことではない。実際、許攸が選んだだけあって、能力も十分にある。けどまあ許攸が彼女を選んだ理由は人柄や能力ではなくて、縁ゆえに、なのだろう。間の抜けた彼女らしい理由である。

 袁紹は余りにも真っ当で、真っ直ぐ過ぎる。

 許攸が好みそうな人柄で、そして、その道にはきっと私は必要ない。

 

 私がいるべき場所はここではない、情熱を感じない。

 

 この世の中には、仕えるべき主に仕えられる人はどれだけいるのだろうか。

 恋愛感情とはまた別の意味で人が人に惚れる理由。それは人柄、それは能力、それは意志、数多くあれども、それはきっと人が人に恋するように尊くて希少な感情なのかも知れない。自分の存在の全てを賭けても良い、と感じられる存在と出会える確率はどれだけのものだろうか。それはきっと出会えるだけで奇跡的なことであり、そういう人間の下で働けるというだけで幸せなことだと思っている。私は貴方に惚れました。と衝動だけで行動を起こしてしまうことは、それ自体は褒められるべき行為ではなくとも――きっと大切にしなくてはならない感情だと思う。

 月が綺麗だ。手を伸ばしても届かない、杯に注いだ酒に映しても飲み干せない。

 此処も悪くはない。未練はあっても不満はない。なによりも許攸がいる、それだけでもう此処で働いていくには充分な理由になる。満足している、九割方。十全を目指すのは、きっと過ぎた願いだと分かっている。

 酒を飲み、酒に酔って、酒に呑まれる。足取りが覚束なくなって、視界が揺れる。意識がまともに回っていない。

 酔っていないとやってられない。

 

 余計なことを考える優れた頭脳を麻痺させるには、酒を飲むことが一番だった。

 

 ふらりふらりと歩いていると、ずるりと視界が落ちた。

 脹脛を削る痛みに次いで、背中を強く打ち付ける。そのまま、ごろごろと全身を打ちつけながら城壁の階段を転がり落ちた。

 気付いた時には地面に俯せで倒れていた。

 全身が痛む、けど、動けない程ではない。ゆっくりと体を起こしながら、馬鹿ね、と自嘲する。このままでは駄目だということは分かっていた。優秀な頭脳は解決する手段を導き出している。今の私は恋に恋する乙女のようなものであり、現実を知れば、今の憂鬱な気持ちが払拭される可能性はあった。その時はもう未練を吹っ切り、生涯を賭けて、袁紹に仕える。もし仮に会いに行くのであれば、それぐらいの覚悟はしなくてはならない。不義理は働きを以て償わなくてはならない。それを理由に私は袁紹に仕えることに情熱を燃やすこともできるはずだ。

 問題なのは、曹操が本物だった場合だ。

 きっと私は自分を抑えることができなくなる。それこそ恋する乙女のようにまっしぐらに、想いをぶちかますに違いなかった。だが、そうなっては余りにも申し訳が立たない。私には友達が少ない、こんな性格をしているから友達が少なくなることは分かっている。かといって今更、自分を偽るようなこともできない。本質的に私は友達を必要としていない、友達がいなくとも私はきっと生きていける。寂しさで死ぬことはない。でも、こんな私だからこそ、友達という存在がどれだけ大切で希少なものなのか分かっているつもりだ。

 私はあっさりと友達を裏切れる、切り捨てられる。しかし、だからこそ私は友達を裏切るような真似はしたくなかった。

 此処でも私は幸せだ、九割方。十全を目指すことは強欲が過ぎる。

 

 翌日、全身傷だらけになった私を見つけた許攸は慌てふためいた様子で気遣ってくれた。

 事情も聞かずに先ず、私のことを案じてくれて、それから事情を問い質そうとする。

 

「階段で足を滑らせただけよ」

「それは嘘の常套句だって、私、知ってるから!」

「……いや、本当に本当よ」

 

 事実を告げても引き退らない友達にうんざりしながらも今日も今日とて淡々と業務を熟す。

 私が居なくなっても仕事を回せられるように人材の育成を重視する。

 三十代後半、四十になる前には政界から引退して、隠居しようと心に決める今日この頃。

 荀家のことは姉様と従姉に任せておけば、悪いようにはならない。

 

 最近、毎日が早く感じるから、あっという間に時は過ぎるはずだ。

 仕事以外のことで云えば、姉と許攸のことしか記憶にない。

 

 

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