袁本初の華麗なる幸せ家族計画   作:にゃあたいぷ。

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・許攸子遠:(みやび)
許劭の小間使い。

・曹操孟徳:?
私塾の同期生、曹家嫡子。宦官の孫娘


伍.曹孟徳

 私、(許攸)は読書の他にも趣味を持っている。

 

 これはまだ私塾に入門して間もない頃の話だ。

 私は独りで小高い丘に陣取り、地面には筵を敷き、帆布を貼り付けた木板を抱える。眼前には見下ろす形で私が暮らしている街があり、愛用の筆を縦に持ち構えながら腕を突き出して縮尺を測る。今日は書き始め、まだ下書きの段階だ。丁寧に目の前の景色と帆布を見比べながら先ずは当たりを取っていった。

 基本的に私は見たものを見たまま、あるがままに書き写すことに注力していた。

 出来る限り忠実に、粛々と線を書き入れる。時折、ふぅっと息を吐いて、間を取ることで全体を俯瞰する。私には絵を描く才能がない、抽象的で印象的な絵を描くことは難しく、簡略化してみたり、迫力のある絵を描くことはできなかった。できるのは目の前の景色、光景をなぞるように筆を動かすくらいなものだ。天の世界には写真と呼ばれるものがあるらしいが、私が描こうとしているのは正に写真と同じものであり、この景色をそのまま帆布に書き写してやりたかった。

 指先一つで撮れる写真、この世界ではまだ実現できない技術である。

 

 絵を本気で突き詰めようと思ったら、技術だけではなくて膨大な量の知識も必要であった。

 人物画や風景画を描きながら、ああでもない、こうでもない、と思い悩んでいる内に天の知識でも曖昧だった人体や建造物の構造、民衆の道具や生活環境、名家の暮らしぶりなどの雑学が増えた。人を見かければ観察する癖が付き、その身形から職業の特定、身嗜みや立ち振る舞い、表情から相手の目的を推測するのが癖になっていた。

 それらは書籍を読んでいるだけでは得られない知識であり、それを調べるのもまた楽しい。

 

 不意に強い風が吹いた。

 画材道具は飛ばされないように押さえたが、代わりに資料として書いた絵が数枚が風に攫われてしまった。

 空を舞う絵を見上げながら、あー、と気落ちする声が溢れる。追いかけようにも私の身体能力では難しい、早々に諦めた私は飛ばされた絵の行く末を名残惜しく見守り続けた。すると遠方で馬に乗った三人組の内、最も小柄な一人がパシッと私の絵を掴んだ。左右にくるんと巻かれた金髪の少女、遠目からでも分かる特徴的な容姿に彼女が同じ私塾の曹操だということが分かった。

 捕まえた私の絵をまじまじと見つめており、三人組の内一人が私の方を指で差した。

 

 おーい、と私は大きく両手を振って、ぴょんぴょんと跳ねてみる。

 すると三人組が私に向けて馬を駆けさせた。曹操が中心で先頭、残る二人が付き従うように曹操の後ろを走らせている。

 そして声が届く距離になって感謝を伝えようとすると、それよりも早くに曹操が口を開いた。

 

「あら貴方だったのね、許攸。早速だけど、この絵を売ってくれないかしら?」

 

 馬に乗ったままの曹操が私の絵を片手に持って告げる。

 まだ売るとも言っていないのに「これだけ出すわ」と彼女は付き添いの一人を見やると、二人の内、聡明そうな方の女性が馬を降りて金子を差し出してきた。絵を買うというには過分な金額、少なくとも下書きの線を清書せず、軽く色を塗った程度の絵に付ける金額ではない。

 視線を上げると当然、受け入れられると思っているのか曹操は興味津々に私の絵を眺めている。

 ふと視線を戻すと金銭を受け取ろうとしなかったせいか、聡明そうな女性が訝しげに私のことを見つめていた。年齢は私よりも一つか二つ上といった程度、しかし体格は私と違って随分と良い。もう一人の護衛らしき女性も目の前の彼女と同じく体格が良くて、胸も大きめだ。なんとなしに顔の雰囲気が似ているので姉妹かもしれない、ただ目の前と女性と比べると少しばかり頭が悪い感じがする。

 今だって、なかなか金銭を受け取らない私に苛立ちを募らせている。

 

「ええい、さっさと受けとれば良いじゃないか! これ以上、孟徳様を煩わせるな!」

 

 とうとう我慢できなくなったのか馬に乗った護衛が怒声を張り上げる。

「待て、姉上」と聡明そうな女性が諌めて、「あら足りなかったかしら?」と曹操が私の絵から顔を上げる。

 いやいや、そういう問題じゃないんだよ、と私は首を横に振った。

 

「それは売り物じゃないからね、売れないよ」

 

 その言葉を告げた時、初めて彼女の観察する目が私の方に向けられた。

 

「どうせ吹き飛ばされていた絵じゃない」

 

 楽しそうに目を細める彼女を見て、試されていると感じる。

 数瞬、目を伏せる。売らない、と言ったのは違うと思ったからだ。では、何故違うと思ったのか。

 直感的な返事に答えを求めて、考えを纏めてから改めて口を開いた。

 

「それは売り物じゃないです」

 

 繰り返した言葉に曹操は目を細めて、じぃっと私のことを見つめる。

 

「では拾った物を勝手に持っていくのは構わないのかしら?」

「……その時はまあ仕方ありませんね。私では貴方達から取り返すことはできません」

 

 自然と言葉が丁寧なものに変わる。

 なるほど、と曹操は楽しそうに頷き「淵、返してあげて」と聡明そうな方の護衛に資料を手渡した。淵――曹家の縁戚と言えば、夏侯家。つまり彼女が夏侯淵、ということは今も馬上から私に敵愾心を向けている馬鹿そうな方は夏侯惇だろうか。

 曲がりなりとも許家の一員として、ある程度の家柄と相関図は頭の中に詰め込まれていた。

 

「うん、ありがと。夏侯淵、だっけ?」

 

 少し気を緩めて、淵と呼ばれた女性から資料を受け取る。

 夏侯淵は少し固まり「ああ、そうだ」と首肯した。

 

「なにかお返しをした方が良いかな?」

 

 曹操に問いかけると「なら、そうね」と彼女は私が資料を入れた鞄を指で差してみせる。

 

「そこに入っているものが見たいわ」

「……全部、資料用に覚え書いたものばかりだけど?」

「ええ、それが見たいのよ。駄目かしら?」

「駄目と言うわけじゃないけども……」

 

 正直なところ良い気はしない。

 絵が見たいと求められれば、屋敷にある絵をいくらでも見せてあげるが手元にある資料は誰かに見せるように描いていないのだ。そもそも作品ですらないので、率先して見せたいとは思わない。

 しかしまあ御礼として求められるのであれば、私の気分の問題だけで断るほどの理由もなかった。

 

「……大事に扱ってくれないと嫌だよ」

 

 それだけを告げると、感謝するわ、と彼女は頷いて馬から降りる。

 

「これから狩りに行く予定ではなかったのですか?」

 

 曹操の後ろに控えていた夏侯惇らしき女性が悲鳴をあげるような声で問いかける。

「また後で埋め合わせをするわ」と曹操がにべもない返事して、あからさまに気を落とす。その時にかこうえんが「姉上、何時ものことではないか」と彼女のことを慰めていたので、二人が姉妹であることは間違いないようだ。そして夏侯淵の姉に当たる人物は夏侯惇の他にはいなかったはずである。

 そんなことを考えていると「開けるわよ」と曹操が私の鞄を手に取ったので頷き返す。

 あまり色々と考えていても仕方ない。私はこれから絵を描く予定だし、彼女も満足したら勝手に帰るはずだと考えて放っておくことにした。

 

「その絵だったら売ってくれるのかしら?」

 

 ふと曹操が訊かれたので、私は少し悩んでから「応相談で」と返事する。

 後ろでは近場の木に馬を括り付けた夏侯姉妹が鍛錬を始めており、金属音が響き渡った。「止めさせる?」と曹操が問われるも私は首を横に振る。あの程度の音であれば、気にならない。目の前にある帆布と景色に意識を集中させる。音が遠のく錯覚、意識が世界に溶け込み、世界から私だけが隔離される感覚を得る。隣で曹操が感嘆するのを感じたが、今はもう気に留めない。

 今日は下書きまで終えるつもりだ、そして明日以降にでも気が向いた時に進めようと思った。

 それから少し時間が経った。

 

「いつも一人なの?」

 

 下書きを進めていると時折、曹操が話しかけてくる。

 

「いつも一人だね」

「この辺りにも賊が湧いているから一人歩きは危ないわ」

「そうだね、危ないよね」

 

 首肯する、曹操が不機嫌になったのを感じたが気に留める程ではない。

 目の前の景色を帆布に書き写すことで頭がいっぱいだった。

 何時の間にか曹操が私の後ろに立っていて、耳に吐息がかかる距離で私の下書きを見ているのが分かる。

 

「貴方の才覚は捨て置くには惜しいわ、私のものになりなさい」

 

 守ってあげる、と囁かれた言葉が色っぽいと思った。筆を腕ごと前に突き出して、縮尺を測って微調整を繰り返す。細かい装飾などは覚え書いておく程度、後で手持ちの資料と見比べながら清書すれば良い。

 

「許劭の養子というだけで誘拐するだけの価値があるわ」

「私の不用心さ加減は自覚しているよ」

 

 そんなことよりも、と私は視線だけを曹操に向ける。

 

「曹操、この景色は物足りないと思わない?」

 

 振った質問に、曹操はきょとんとした顔を浮かべる。

 

「……ええ、そうね。まだ発展する余地はあると思うわよ」

「こういう絵を描いているとね。数年後、数十年後の景色を幻視することがあるんだ」

 

 語りながらも手を動かし続ける、頭は目の前の景色を再現することに注力していた。

 

「今はまだまだだけど……此処は人が集まり、物も集まる場所だよ。私達が大人になる頃には、もっと店も家も増えていると思うんだよね」

 

 なにも考えずに思ったことがそのまま口から出る。

 曹操はただ一言、「私なら――」と前置きした上で「此処に道を作るわ」と帆布を指でなぞった。ああ、それは良い、と私は道を書き足して、その周辺に店を建て始める。商人が寝泊まりする宿舎が足りない、厩が足りない。産業はどうするのか、という話に切り替わって、農地は何処に置くのか。では農地を管理する村人の家を用意してあげて、物が増えれば人が増えると住宅区を設定した。ここまでくると役所が必要だろうとなり、そして防衛するための備えも考える。農地のために川を引き、それをそのまま防衛に活用できるようにと考えた。税金は幾らが妥当か、常駐する兵はどれだけ必要か。架空の豪族や商家まで生まれてしまって、なんだかもう楽しくなってしまった。

 そうこうしている内に帆布は真っ黒となり、私と曹操以外には誰も理解できない有様となっていた。

 

 ああ、楽しかった。と私が満足げに真っ黒な下書きを見つめる。

 隣に立つ曹操に感謝の言葉を述べようとすれば、彼女は私の顎を持ち上げた。

 そして唇を奪われる。

 何が起きたのか分からなくて、唇を重ねられたまま呆然としていた。

 ぷはっ、唇を離された時も理解が追いついていない。

 

「許攸、私のものになりなさい」

 

 その唐突な告白に心は更に動揺した。いえ、と曹操が唇を舐め取りながら言葉を改める。

 

「貴方は私のものになるべきよ」

 

 彼女の獰猛類のような視線に身が竦んだ。

 曹操の背後では夏侯惇が嫉妬するように私のことを指で差しながら怒鳴り散らしており、夏侯淵は思い悩むように黙り込んでいる。いや、助けてくださいよ。と思いはするが私に救いの手を差し伸べてくれるつもりはなさそうだ。

 だから私は天の知識と経験を総動員し、この事態から逃げ切るべく口を開いた。

 

「前向きに検討しつつ、善処したく思ってます」

 

 天の世界で多用される最強の逃げ口上だ。

 その真意を見抜かれたかどうか分からないが、曹操は押し黙ったまま目を据わらせた。それから暫く見つめ合った後、彼女の懐から解放されたが、この時はもう本当に食べられると思って冷や冷やした。

 実際に味見されてしまっているけど、ちょっと気持ちよかったけど。

 

 曹操陣営に勧誘されていた、と気付いたのはもう少ししてからのことだ。

 斬新な勧誘方法もあったものだと思いながら、今日も今日とて執拗なまでの勧誘を受け続ける。

 あれから独りの時、唇に指で触れたり、舐める癖が付いてしまった。




・夏侯惇元譲:?
曹操の側近。夏侯姉妹の姉の方。

・夏侯淵妙才:?
曹操の側近。夏侯姉妹の妹の方。

ps.
時系列がごっちゃになって本当に申し訳ない。
遅れた原因はただ単に次話が面白くならなかったので書き直していただけです。

「真・恋姫†無双 北郷一刀・商人ルート 天下も金の回りもの」
が同日投稿されていたので言葉遣いが可笑しかった箇所の修正ついでに同作品から、どこの政治家なんだよ、と思わずツッコミたい台詞をコピペしています。
皆、天下も金の回りものは面白いぞ!

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