袁本初の華麗なる幸せ家族計画   作:にゃあたいぷ。

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・許攸子遠:(みやび)
許劭の養子。
・朱霊文博:?
私塾の同期生、ぽんこつ忍者。

・曹操孟徳:?
私塾の同期生、曹家嫡子。宦官の孫娘。


漆.覇王

 今年で十二歳、学問所に通う最後の年になる。

 まあ最後だからといって私達のやることには大きな変化はない。周りが就職活動に勤しむ最中、今日も今日とて朱霊と共に勉強会を開いている。参考書を開きながら頭を抱える朱霊を前に、もうひとりの友人のことを思いやる。袁紹は最近、勉強会に参加しなくなった。私は水卜(許劭)御師匠様と働けば良いし、朱霊も実家が忍びの里なので就職先が決まっているようなものだった。そして私達の中で唯一、まだ就職先が決まっていないのが袁紹だった。

 勉学では曹操と私を上回る首席であり、妾の子と蔑まれることもあるが名門袁家の血筋には違いない。

 このまま放っておいても適当な役職を与えられると思うのだが、「それでは(わたくし)の望むものは得られませんわ」と彼女は毎日のように各地へと奔走するようになった。袁紹がなにを望んでいるのかまでは知らない。でも、ひとりの友人としては彼女のことを応援したいと思っている。

 そういえば最近、曹操が私に絡むことが減った。

 学問所にも足を運ぶことが減ったようで、なんだか少し物足りなくなる。彼女もまた成績が優秀なので就職先に困ることはないと思うのだが――これでも曹操と付き合いを持った身だ、彼女が平凡の枠で収まるような人間ではないことを私は知っている。今頃、なにか面白いことを企んでいるに決まっているのだ。

 親指で唇に触れる。会いたいな、と思った。だから会いに行くことを決める。

 

 頭を抱えながら項垂れる朱霊の傍まで、すすっと移動して息を吹きかけるように耳打ちする。

 

「文博?」

「え、あっ! ……な、んくっ」

 

 驚き片耳を押さえながら振り返る朱霊の唇を奪った。軽く吸ってから顔を離して、呆然とする彼女に微笑みかける。

 

「奪っちゃった」

「……勉強にならないんだけど?」

 

 顔を赤くしながら半目で睨みつけてくる。

 怖いなんてまるで感じなくって、むしろ愛おしく思えた。だから顎下を擽ってやる。

 擽ったそうに身震いをした後、朱霊が不貞腐れるようにそっぽ向いた。

 ぺしぺしと頭を叩いても口一つ利いてくれない。

 

 それが少し生意気に思えたから背中越しにぎゅーっと抱き締めてやった。

 耳をぺろぺろと舐めてやれば、彼女は何の抵抗もできなくなる。

 

 

 翌日、いつもの甘味屋で仕入れた新作の甘味を片手に私は曹家の屋敷に訪れる。

 しきりに耳を気にする朱霊を隣に置いて「許攸が来たよ」と曹操への言伝を守衛に頼んだ。待っている間、なんとなしに朱霊の耳に息を吹きかけながら遊んでいると「なにをしているのよ?」と心底呆れた顔の曹操が門の出入り口に立っていた。軽く混乱した私は天の知識にあった言葉を捩り「み、見せつけてんのよ!」と言ったら「はあっ?」と威圧されたから大人しく朱霊を盾にした。

 先ほどまで真っ赤だった顔が、さぁっと青褪めるのは見ものだった。

 

「まあいいわ。折角、来てくれたのだから屋敷を案内するわよ」

 

 そう言ってくれたので、お言葉に甘えて曹操の後ろを付いて歩いた。

 

 さてはて、流石は宦官の最高位である大長秋まで上り詰めた曹騰の屋敷というべきか。

 袁紹の屋敷よりも更に広くて大きい。それに木や岩、池の配置など、全て計算に入れられた庭は歩いているだけでも見飽きることはなかった。「ここで茶でも一杯飲んでみたいな」と何気なく呟けば「私のものになってくれるなら好きに使ってもいいわよ?」と曹操が余裕たっぷりの笑みで返される。少し前までは彼女に話しかけられるだけで胸の高鳴りを覚えた。それがどういう感情なのか分からなかった。少し油断すると沼の中までどこまでも引きずりこまれてしまいそうだったから私は彼女を避けていた時期がある。今は、そういうときめきのような感情を曹操に抱いていない。でも彼女にはちょっと興味を持っていたりする。まだ唇の感触は覚えている。遊び半分、そんな軽い気持ちで彼女に堕とされることに少なからず興味はあった。

 でも、と私は朱霊の腕を取る。不思議がる朱霊に私はにんまりと笑みを浮かべた。

 

 たった一時の気の迷いで失いたくない。朱霊のことを思えば、曹操に未練なんてなかった。

 堕とされるなら朱霊の方が絶対に良い。

 

「見せつけてくれるわね」

 

 曹操が若干妬いた様子で苦笑いを浮かべる。

 ふふん、と私が全身で朱霊を抱きしめると、あたふた、と朱霊が顔を真っ赤にした。

 これで抱き締め返す甲斐性があれば、なお良かったのに。

 

「華琳姉ぇ!」

 

 横合いにガバッと誰かが飛び込んできた。

 体当たりをするように曹操を押し倒した少女、土に塗れる彼女を満面の笑顔で馬乗りにする。倒れたまま身動きを取らない曹操に「元気ないっすね〜?」と少女は見下ろしながら指先で曹操の頰をつんつんと突いている。あ、ちょっと柔らかそう、私もやってみたい。

 曹操は大きな溜息を零すと「何があったの?」と馬乗りする少女に問い掛ける。

 

「なにもないっすよ。華琳姉ぇが居たから抱きついただけっす!」

「ああ、そうなのね……わかったわ。客人が居る時は勘弁してもらえないかしら?」

「……客人?」

 

 少女は曹操に跨ったまま周囲を見渡し、「あっ!」という声と共に私達の姿を見つける

 

「申し訳ないっす、挨拶をしろって言われていたっすよ」

 

 ゆっくりと曹操の上から立ち上がる少女は私達の方を振り返って、元気よく声を張り上げた。

 

「あたしの名前は曹仁っすよ! 華琳姉ぇの従妹っす!」

「……真名」

「あ、いけなかったっすよ! 人前に喋っちゃ駄目だって言われてたっす!」

 

 あわわ、と両手で口を押さえる少女――曹仁の後ろでよろよろと曹操が立ち上がり、曹操にしては珍しい爽やかな笑顔で背後から曹仁の手を取る。

 

「与えていた課題はどうしたのかしら?」

「分かんないから投げてきたっす!」

「あ、ふーん、へえ、そうなのね?」

 

 そのまま曹操は流れるような動きで曹仁に腕緘(アームロック)を決めた。

 曹仁の声にならない悲鳴が庭に響き渡る。「躾のなってない悪い子にはお仕置きが必要ね」と曹操は依然、笑顔のままで更に締め付けを強くした。それ以上はいけない、という朱霊の訴えは無視された。締め付けを少し緩めた後、曹仁は苦悶の表情のまま荒い息を吐き出し、そしてまた強く締め上げられて悲鳴を上げた。曹操にもこんな一面があるんだなあ、と私は目の前で行われる従姉妹の触れ合いを我関せずと和やかに傍観する。

 数分後、地面に倒れた曹仁が締め上げられた腕を抱えながら、はらはらと涙を流していた。

 

「大丈夫なの、あの子?」

「大丈夫よ。元気と頑丈さが取り柄みたいな子だし」

 

 曹操はパンパンと手を叩きながら素っ気なく答える。

 

「姉さん!? またなにかしでかしたのですか!?」

 

 またひとり、遅れて現れたのは先ほどよりもお淑やかそうな少女だ。

 髪は背中を隠すほどに長く、毛先がくるっと巻いてある。姉さんと言った辺り、彼女もまた曹操の親族なのだろう。三人共に目元や顔の作りが似ている気がする。性格は随分と違うようだけど。

 曹家の屋敷なだけあって、曹操の親族が多い。夏侯惇や夏侯淵も居るのかも知れない。

 

「大丈夫、何時ものよ」

「また飛びついたのですね……もう、あれだけやめるように言ってるのに」

「好かれるのは嫌いじゃないわよ。ただ、そうね、ちょっと油断したかしら」

 

 いつもは避けてるのよ、と流し目で私達を見る。そこで漸く曹仁の妹さんらしき娘が私達の存在に気付いたようで「すみません、気付かなくって」と頭を下げてくれた。

 

「私の名は曹純、字は子和と申します」

「ご丁寧にどうも、私は許攸子遠。でこっちが……」

「いえ、知っています。朱霊さん」

 

 にこりと微笑んでみせる曹純に、朱霊が少し居心地悪そうに笑顔を返した。

 

「ところで貴方まで抜け出してくるなんて珍しいわね、勉強はどうしたのかしら?」

 

 曹操が割って入るように曹純に声を掛けた。

 

「姉さんが姿を消したから少し探しに……姉さんはどうして出て行ったの?」

「与えられた課題が終わったからっすよ」

 

 曹仁が片腕を抱えながら、よろりと身を持ち上げる。

 

「早く褒められたかったっす」

「後で見ておくわ。私は二人の案内で忙しいから残りは好きにしてても良いわよ」

「え〜っ?」

 

 ぶーぶーっと口先を尖らせる曹仁。

 邪魔にならないように行きますわよ、曹仁の首根っこを掴む曹純。

 困った子ね、と満更でもない顔で微笑む曹操。

 なんというか和やかだ。

 

「あら、許攸。どうかしたかしら?」

 

 問いかけられて、ん〜ん、と私は首を横に振る。

 

「良いなって、ちょっと思っただけ。素敵だよ、二人を見てる時の曹操って」

「あら、私のものになってくれたらいつでも見せてあげられるわよ?」

「今なら満更でもないんだけどね。でも、やめとく」

 

 私は朱霊に飛びつくように首を抱き締めた。そして見せつけるように頬擦りしながら笑ってみせる。

 

「私、これでも嫉妬深いからね。曹操と一緒だと身が持たないよ」

「きちんと可愛がってあげるわよ。それこそ毎日だと身が持たないくらいにね」

「それは魅力的だね、これは私が心移りしないように文博には頑張って貰わないと」

 

 軽く朱霊の頰に唇を押しつけてから体を離した。

 私は当て馬かしら? 呆れ半分に告げる。 いやいや割と本気だよ、どろどろに堕とされそうだったから避けてたところもある。たぶんそれは今でも変わらない。私では曹操には敵わない。愛し愛されるではなくて、きっと一方的に愛される。それはそれで魅力的な気もするけども、でもまあきっとそれは私が求めることではない。曹操の隣は落ち着かない、慣れることはない気がする。

 私にとって朱霊の隣が最も居心地が良かった。

 

「……曹操様」

「取らないわよ、その気のない相手には手を出すつもりはないわ。もちろん、貴方にもね」

 

 ひらひらと手を振り、屋敷を案内するわ、と歩き出した。

 不安げな朱霊と少し見つめ合ってから、曹操の背中を追いかける。

 

 

 曹騰の屋敷、その石畳の廊下で談笑を交わしている。

 とはいえ話しているのは私と曹操ばかりで、相変わらず、朱霊は気不味そうに押し黙っていた。なにか後ろめたいことでもあるのか、此処に来てからというもの少し元気がなく、誰とも目を合わせようともせずに俯いている。気にかけようとすると曹操が私に話題を振ってくるので、声をかける機会を失っていた。

 まあ、あまりにも酷そうなら後で慰めればいいかな。と今は曹操との会話に意識を向ける。

 

「そういえば、貴方。確か、人物評論家である許劭の弟子でもあったわね」

 

 そうだけど、と私が頷き返すと曹操が悪戯っぽく口角を上げながら告げる。

 

「私のことも評論してくれないかしら?」

「私が? 曹操を?」

「ええ、そうよ」

 

 ちょっとした余興よ、と曹操は艶やかに笑みを浮かべてみせる。

 私はまだ人を推し量れるほどの人間じゃないんだけどね、と思いながらも数少ない友達の為に思考を巡らせる。それまでの性格や言動、そこに天の知識すらも合わせて、彼女を表現するに足る言葉を模索する。そして、じいっと曹操と瞳を見つめた。浮かんだ言葉が本当に彼女に合っているのかどうか、彼女の青い瞳から内面まで見透かせるように探りを入れる。候補は二つ、最初に思い浮かんだ方は違うと首を振り、もう一つの言葉の成否を確かめる為に曹操の瞳だけに意識を集めた。

 曹操が満更でもなさそうに目を細めてみせるのを見て、これで大丈夫と自らに言い聞かせるように頷き答える。

 

「清平の奸賊、乱世の英雄」

 

 朱霊が動きを止める、場の空気が凍ったような錯覚を得た。

 

「ふぅん、貴方は私をそう評するのね」

 

 ねえ、と曹操が私の顎を手に取ると息が吹きかかるほどの距離で私のことを見下ろす。

 

「どうしてそう思ったのかしら?」

 

 その問いに私は正直に答えることができない。

 何故なら根拠は天の知識にある。私は知っている数千年後に訪れる泰平の世を、清平とまでは行かずとも、やむ終えない事情で犯罪を犯す者がほとんどいない時代を知っている。そして、その時代を鑑みて思ったのだ。きっと曹操は満足しない。挑戦することを諦めず、刺激を求めて、何処までも高みまで駆け登る。どの時代であっても彼女は適合するだけで生き方を変えることはあり得ない。そもそもだ、犯罪だからといって彼女程の女好きが女性に手を出すのをやめるだろうか? あり得ない。むしろ、姦雄と呼んでも良い。

 乱世の英雄はそのまんま、彼女には天下を治める能力がある。乱れた世を治める事は、彼女のような当代一の才の持主でなければ手が出せない。かつては太公望、始皇帝、高祖、光武帝。数百年後の未来にまで名を残す偉人と並び立つ偉業になる。

 天の知識に説明が付けられず、私が答えに窮していると「まあいいわ」と手を離してくれた。

 

「前の時とは真逆ね」

 

 そう告げると背を向ける。

 

「孟徳さまぁ〜!」

 

 ガチャっと扉が開け放たれて、曹操以上の身の丈ある女性に横から飛び掛かられた。

 そして少し前に見た光景と同じく石畳の床に倒れる曹操。そして、その上で馬乗りになりながら涙目で訴えてくる――彼女はえっと、確か夏侯惇だったはずだ。見た目とは裏腹に随分と子供っぽいと記憶に残っている。馬乗りにされた曹操は膝で夏侯惇の尻を持ち上げると、前屈みになった夏侯惇の耳を引っ張り、脇下に引きつけながらごろんと横に転がってみせた。そして、気付けば曹操が夏侯惇を馬乗りにしている。

 孟徳様? と引き攣った笑みを浮かべる夏侯惇に曹操は無言の笑顔で答える。

 

「お仕置きが必要かしら?」

「あ、いえ……その、勘弁いただければ……」

「流石に二度目にもなると、ね?」

 

 曹操に脇や横腹を擽られた夏侯惇が大きな笑い声を上げる中、私は天の国で行われる短距離走と呼ばれる競技で、二回目の待った(フライング)を受けた選手が競技場で寝転んで抗議の意思を示す場面を思い出した。一人目は許されるのに、二人目は許されない。あの規則ってちょっと理不尽だよね。まあみんな、一度目は待った覚悟で始めるから何度もやり直しになるんだろうけどさ。

 

「許攸か」

 

 夏侯惇が飛び出してきた部屋から書籍を片手に持った夏侯淵が姿を現した。

 そこから部屋の中を覗き込むと先程、庭であった曹仁と曹純の姿があり、あと一人、お嬢様っぽい見知らぬ顔もあったが金髪がくるっとしているので曹操の親族だと思われる。誰も彼もが参考書を開いており、勉学に励んでいるようだった。そして壁の一面には大きな黒板と教壇が置いてあり、黒板には所狭しと図面に文字が書き連ねてある。

 学校、だろうか。天の知識にある教育機関の光景に似ている気がした。

 

「見られちゃったわね」

 

 夏侯惇が全身を痙攣させながら気を失っている横で曹操がばつが悪そうに告げる。

 

「……曹操が、これを?」

 

 部屋の中を指で差しながら問いかけると、彼女は首肯する。

 

「後で人手不足になるのは目に見えているもの、なら今のうちから鍛えておこうと思っただけよ」

「……文官として、だけではないみたいだね」

 

 夏侯淵の書籍を横目に盗み見る。

 中には過去に起きた裁判の判例が書き込まれていた。部屋の奥を見れば、屯田や治水、更には税収に関する資料や参考書まで置かれている。徹底的に実用向けの書籍ばかりを揃えた書籍群。まるで今から領地の運営術を叩き込んでいるようではないか。

 曹操は肩を竦めてみせる。

 

「この天下を治めるのに一人の力だけでは限界があるとは思わない?」

「……曹操、貴方には何処まで未来が見えてるの?」

 

 彼女は不敵な笑みを浮かべてから答えた。

 

「覇道の果てまで」

 

 その存在の強大さに、ぶるり、と身が竦んだ。

 

 

 




誤字報告、ありがとうございます。

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