獣人少女を救った話   作:風神莉亜

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久しぶりの投稿。書いてるうちに長くなりそうだったので分割。


その歌声は誰の為に:始

 パァン!! と。

 湿り気を帯びた破裂音が狭い部屋に響き渡る。

 

 ジンジンと痛む左の頬を擦りながら、尚も次の一撃を放とうとする彼女から両手を上げて数歩退いた。ぱちゃぱちゃと水音を立てて後退する自分を見て、彼女はその傷付いた尾をようやく下ろす。

 

「……警戒するなと言う方が無理か」

 

 傷付いて不揃いになってしまった尾ヒレ。傷付き剥がれ落ちてしまっている鱗。裂傷が治りきっていない肢体に、中でも目立つのはその喉だ。

 一目見て、直ぐに理解する。理解、出来てしまう。もはや、そこは手遅れだと。

 

「俺は君を助けに来たんだ。もう酷いことをする連中はここにはいないが」

 

 腰に手を当てて、今いる部屋を軽く見回す。なにひとつ衛生面に気を使っていない石の部屋。適当に吊らされた照明に、壁に取り付けられた鉄の手錠。まぁ、よくある奴隷拘束部屋とでもいうのか。

 ここまでは、全く面白くもない話だが、よくよく訪れることが多い見慣れたところだが。

 

「ここにいては良くなるものも良くならない。悪いが、無理やりにでも連れていく」

 

 バシャバシャと、今度は勢いよく間合いを詰めていく。手にはいつものように入手してある拘束具の鍵である。両腕が天井から下がる鎖に直接繋がれている。先ずはそれから外してあげよう。

 

「言葉はわかるだろう? 錠を外すから、抵抗するならその後にした方が楽だと思うぞ」

 

 先程と同じように傷付いた尾で身体を叩かれるが、最初の一撃程の力は無い。強く睨み付けてきてはいるが……衰弱の度合いはかなりのものだろう。まぁ、これだけ敵対的に強い態度を取れるあたり、強く心は持てているようだ。それがたとえ強がりだとしても。

 

「だいぶ錆びているが……よし」

 

 鈍い音を立てて外れた手錠から、まずは細い両腕が解放される。次は鉄球が繋がる、腰に巻かれた分厚い拘束具を外しにかかる……が、ここからではどうにも具合が悪い。なので、彼女の身体が浸かるその水槽(・・)へと身体を入れた。汚い水だ。どうせ交換も何もしてきていないのだろう。

 地肌に直接付けられた錆びた拘束具は、きっと美しく滑らかだったであろうその肌をひどく傷付けている。簡単には外れそうに無かったが、怒りを込めて半ば強引にこじ開けた。その拍子に指が切れたが、どうでもいい。とにかくこれで彼女を縛るものは無い。

 

「さぁ、ここを出るよ」

 

 言いながら魔術を使い、彼女がその身を委ねられる程度の水球を宙に作り出す。しばらくこちらを睨み付けていた彼女だったが、やがて自分からそこに入ってくれた。

 一つ息を吐いて、首を鳴らす。久しぶりに骨のある仕事だった……いいや、仕事はこれからか。まずは、彼女の傷をしっかりと癒すことから始めなければ。

 そんなことを思いながら、壊滅した悪徳奴隷商の根城を後にするのだった。

 

 

 

 

 

「あら、お疲れ様」

「ただいま。流石に少し疲れたよ」

「3日も帰ってこないから、娘っ子達は心配してたわよ」

「それは悪いことをした」

 

 自前の糸で作り上げたハンモックに揺られながら、蜘蛛の亜人であるリリアナが迎えてくれる。彼女の言葉通り、家を出てから3日が過ぎてのようやくの帰宅である。

 リリアナはその多眼を少し瞬かせると、直ぐに興味を無くしたように此方から顔を背けた。

 

「頼んでたプールならもう出来てるみたいよ」

「あぁ、流石に仕事は早いな。助かる」

「……わざわざ家に造ることも無いんじゃないの?」

「打てる手は打っておく。それで選択肢が増やせるのならね」

「そ」

 

 別に口出しこそしないけれど、と手を振ったリリアナに背を向けて、件のプールを頼んでいた場所へと足を向ける。

 横に浮かぶ水球の中には、眠ってしまったらしい彼女が尾を抱えて小さくなっている。あまり女性の寝顔を見つめるのは褒められたことではないが、起きている間はきつくこちらを睨み付けていた顔が、今は穏やかに寝息を立てていた。

 限界状態が長く続いていたのは想像に難くない。それでも、眠りに落ちることが出来るだけの体力が残っているのは幸いか。

 

「主。無事で良かった」

「遅くなったね。留守の間何も無かったかい」

「凄まじい寂しさの他には何も」

 

 目的の場所に着くと、そこには水際に腰を下ろして足で水を弄ぶルミナスの姿があった。口ではそんなことを言うが、すぐに駆け寄ってきたりしない辺りは、彼女も少しずつ大人になってきていると言うところか。ほんの少し寂しく思う自分に苦笑する。

 

「……すごい怪我。先に治療?」

「うん。眠ってる間に済ませてしまおう。悪いけど、シルクを呼んできてくれるかな」

「もうそこにいる」

「──おっと。随分気配を消すのが上手くなった」

 

 すぐ背後にあった存在は、そんな自分の言葉にしてやったりの顔をしながら横に並ぶ。教えたつもりこそないが、彼女の半生を思えば、気配を殺すこと自体は慣れたものなのか。

 そのきらびやかな羽を震わせる彼女は、今度は柔らかく微笑みながらその魔力の燐粉をこちらに纏わせる。使った魔力がじわじわと戻ってくるのを感じながら、傷付いた彼女を水際に優しく下ろす。

 

「お父さんは休んでいて下さい。私がやりますから」

「任せるよ。治癒魔術ならもう教えることは無いね」

「聖女様と王女様の直伝、ですから」

 

 いつからか魔術を本格的に学び始めた彼女。どの属性にも色にも染まる魔力と、手足どころか指先のように操れる細やかなコントロール。そんな生まれもったと言っていい才能に、高水準の魔術を操る二人の教えによって、彼女の治癒魔術は短期間で恐ろしいまでの進歩を見せている。こうして、何の不安もなく治療を任せられることは、自分にとっては嬉しい誤算となっていた。

 

「まだまだ、力不足ではありますけど。あの人達の背中どころか、影も見えないくらい」

「贔屓目に見てもあいつらは人類最高峰の存在だ。そんなのは当然さ」

 

 しかも、魔術に関してはあの二人よりも遥か高みに魔女の存在がある。まともに目指せばその理不尽さに心を折られるような、そんな連中なのだ。こんなことを言ってしまえば元も子も無いが、最初に目指す目的にするような存在ではない。

 ……それでも、将来その道をシルクが選んだとして。いつかは彼女達と肩を並べることも不可能ではないだろうと思ってしまうのは、親の贔屓目なのだろうか。

 

「なにしんみりしてる。主も早くお風呂入って休むべき」

「ん……そうだね。あとは任せてもいいかい?」

「心配ない。何かあれば容赦なく起こす」

 

 言葉こそ乱暴だが、ルミナスは此方が遠慮をしないような言葉を選んでくれた。きっと本当に心配はいらないだろうし、何かあれば彼女は言葉通りに叩き起こしてくれるだろう。

 最後に二人の頭を軽く撫でてから、自分はその場を後にすることにした。

 

 

 

 

 

 

「ふむ……」

 

 パラパラととある資料を捲りながら小さく唸る。

 無事に家に帰ってから数日経ち、一先ずの懸念であった彼女の保護という目的は達成したと言える。

 今回の仕事はギルドからの直接依頼であり、その始まりは漁師達によるちょっとした噂からだった。

 この辺りの海には、一月に一度程女性の歌声が聴こえてくることがある。その歌声が響いたその日から、海に出没する魔物達の活動が穏やかになり、比較的安全に漁をすることが出来る。漁師達はそれを一定の周期にして漁の頻度を調整していたらしいのだ。

 漁師達はその歌声の正体こそ知らないものの、実際に自分達が安全に漁が出来ることの感謝として、とある場所にちょっとした社を作り、月に一度貢ぎ物をそこに捧げていた。それが次の月には必ずそこから無くなっていることから、漁師達はその歌声の主を守り神としてありがたく思っていたのだが、あるときから歌声がぱったりと聴こえなくなってしまう。

 すると、海の魔物達は一月と経たずに暴れ始め、とてもではないが安全に漁なんて出来なくなってしまう。明確に漁獲量が減り、人的被害の報告も出始めたことを重く見た組合がギルドへと依頼。何とも不透明な内容に動かす人間を吟味した結果、ギルドは自分へと白羽の矢を立てた、と言うわけだ。

 

「主、お茶」

「あぁ、ありがとう」

 

 唸る自分の手元に、カチャリとカップが置かれる。

 

「何かわかった?」

「今の時点では、なんとも」

「……珍しい」

「そうでもないさ。毎回と言っていいくらい、俺は悩んでばかりだよ」

 

 尾と首を同じ角度に傾けるルミナスに苦笑しながら、好みの味に淹れられた紅茶を口に含む。

 

「参考までに、少し聞かせて」

「……まず、彼女の種族はローレライ。見た通り水棲の亜人だね。水中を自由に泳ぎ回れるし、陸上でも呼吸が出来る少し特殊な呼吸器を持っている」

「うらやましい」

「代わりに、足が無いから地上での活動範囲は限られるけどね」

 

 水棲亜人の中には完全に水陸両用の種もいるようだが、それは置いておくとして。

 

「ローレライの逸話としては……二面性が激しいね。共通するのは、種を通して素晴らしい歌声を持っていること。その歌声は聴く者を良くも悪くも魅了してしまう。過去にはローレライ一体に武装艦隊が壊滅させられたこともあるらしい」

「え、歌声だけで?」

「魅了と一言だけで言えば簡単だけど……聞き入った者の行動をある程度思った方向に仕向けることが出来るようだね。純粋に眠らせたり、陽気にさせたり、惑わせたり……」

 

 魅了と言うよりは、催眠に近いものがある。しかし、下手な催眠よりも質が悪い。何せ、聴こえてくるのは素晴らしい歌声なのだ。何も知らなければそこに危機感を持つことは不可能であり、知っていたとしても、余程でない限りはその声に集中してしまうだろう。防ぐのは難しいと言わざるを得ない。

 

「……じゃあ、危険な亜人?」

「そうとも言えない。言ったろう? 二面性が激しいって。ローレライがその歌に敵意を込めるのは、海を荒らすようなことをする存在に対してのみ。反対に、海を大事に扱い、敬意を持つような相手には、その歌声は文字通り美しい歌声でしかないのさ」

 

 そして、今回に関しては、歌声が聴こえなくなった時期から魔物が活発化している。つまり、

 

「件のローレライ……まぁ、十中八九彼女のことだろう。彼女は、その声で海の魔物を沈静化させていたんだ。そんな彼女がならず者に捕まってしまい、魔物達は好きに暴れ始めた……まぁ、そんなところだろう」

 

 これが、事件というか、今回の騒ぎの顛末だ。

 そして、問題はこれから。

 

「傷は全て塞がった。普段の活動に支障が出るような後遺症も見られない。けれど……」

「…………シルクは、頑張ってた」

「勿論。シルクの治療には何のミスも無い」

 

 そうだ。今回は、シルクが彼女の治療をやってくれたが、そこには何の問題も無かった。あれだけの傷口を、何の傷痕も残さずに綺麗に治したのだ。あれ以上の治療は、あの場では望めなかった。

 事実、問題が発覚した時に、無理を承知で聖女に診てもらったが、

 

「……可哀想だが、どの道手遅れだ。仮にここに来て、すぐにアタシが手を掛けたとしても。……いいや、あの双子であろうとも、結果は変わらない。──彼女の声は、元には戻らない」

 

 そう言いながら、ショックに震えるシルクを優しく抱き締める顔は忘れられない。

 そして何より、誰よりもショックを受けているのが、他ならない本人だ。

 

「許せない。……私も、酷い目にあったけど。今、改めて思う」

「…………」

 

 犬歯を鈍く鳴らしながら言うルミナスの頭を撫でる。優しい子だ。自分よりも、人の為に怒ることが出来る。あれだけの扱いを受けた経験があるからこそ、同じ境遇にある存在への想いが強いのだ。

 

「主……」

「大丈夫。きっと、何とかするさ」

 

 その顔が悲しみに歪む前に、手を引いて頭を抱き寄せる。

 君が悲しむ必要は無い。誰が悪いかと聞かれれば、それは間違いなく彼女を捕らえた悪徳奴隷商だ。そして、彼等は今までの報いを受けている。同情の余地は無く、全ては終わってしまっている。

 

「……こういうとき、私は悔しい。私は、何も出来ない。あの人に、何も言えない」

「そんなことは無いよ。……ルミナス。君はシルクの傍に居てあげて。代わりでは無いけれど、彼女のことは俺に任せて欲しい」

「……わかった」

「頼んだよ」

 

 強めに頭を撫でて上げると、ルミナスはこちらの胸に強く額を押し当ててくる。

 この信頼を裏切る訳にはいかない。伊達に修羅場を潜ってきたわけではないのだ。培った知識と、繋いだ人脈をフルに活用して、この問題を解決してみせよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、改めて喉を見せてくれ」

「……なんのために

「勿論、君の声を治す為だ」

むりだって、いったじゃない

「それはアイツの見解であって、俺はそうとも限らないと考えている。まだ何もしてない内から諦めることは無いだろう」

「…………」

 

 小さく、歪み、滲んだ声。正直なところ、聞き取るのも苦労してしまうような声だ。

 きっと、本来の彼女の声は、万人が聞き惚れる美しいものだった。それが、

 

「希望を捨てないでくれ。きっと、何か手が──」

 

 彼女が、息を吸った。瞬間、鳥肌が経った。咄嗟に、耳を指で塞ぎ、

 

 

「うるさいっ!!」

 

「っ!!」

 

 音の衝撃。全身を鞭で叩かれたような衝撃が襲い、巨人の掌が叩かれたかのように水面が弾けた。

 それは正しく、破壊の慟哭。咄嗟に耳を塞がなければ、どんなダメージを負っていたかわからない。

 彼女の声は、単に美しさが失われただけではない。全てを魅了する歌声を生み出す喉が、破壊をもたらす破滅の歌声へと変わってしまったのだ。

 

「ほっといてよ……」

 

 自分が生み出した音の余波に愕然としたように一瞬呆気に取られた彼女は、両手で顔を覆って肩を震わせた。

 そして、ついには深く作られたプールの中へと逃げるように潜っていってしまう。

 

 それを呼び止める言葉を、今の自分は持っていなかった。

 

 

 

 

 


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