一夏の友人は常識人の夢を見る   作:hggj

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第三十二話

「それで・・・どう言う事なのかな?・・・かな?」

 

 光を無くした眼で、束が千冬に詰め寄って尋ねる。

 それに対して千冬は、束とは眼を合わせずにそっぽを向いたまま返す。

 

「別に・・・何でも無い。ただ単に・・・」

 

「単に?」

 

「・・・」

 

 千冬は実にバツの悪そうに束からの追求を受ける。

 一方のオタクは、一夏からの視線に晒されていた。

 

「・・・」

 

「・・・」

 

「・・・なあ」

 

「なんで御座るか・・・?」

 

 オタクの頬を汗が伝う。

 普段には無い一夏の迫力に、何度となく圧倒してきたオタクが気圧されたのだ。

 

「なあ・・・小田」

 

「・・・なんで御座ろうか」

 

 二人の間に緊張が走る。

 

「小田・・・」

 

「・・・っ」

 

「千冬姉を・・・」

 

 余りの緊張感に、オタクのみならず、周囲で見ている生徒達までもが固唾を呑む。

 

「千冬姉を・・・よろしく頼む」

 

「ちょっ!」

 

「一夏ぁ!!何を言っている!!」

 

 一夏の突然の発言に、束と千冬が直ちに反応して一夏に向いた。

 しかし、それでも一夏は言葉を続ける。

 

「千冬姉はこんなんだから・・・だから、嫁の貰い手が居ないとずっと心配だったんだ」

 

「一夏ぁ・・・!!」

 

「男っ気は無いし、休みの日は映画見ながらビール飲んでるだけだし・・・実質、中身はオヤジみたいな感じで・・・弟として心配なんだ」

 

「・・・千冬先生って・・・そんなんなだ」

 

「・・・実質オヤジって」

 

「・・・幻滅しました・・・那珂ちゃんのファンを止めます」

 

 一夏のカミングアウトに、周囲の野次馬生徒が口々に呟く。

 

「っ・・・」

 

 痛々しい視線に、流石の千冬もたじろいだ。

 そんな中で、一夏は更に続けて言う。

 

「もしかしたら・・・もしかしたら、将来は千冬姉の世話をして、歳を取っていくのかも知れないって・・・そう思っていたんだ」

 

 割と悲壮な表情の一夏に対して、千冬も何も言えなくなった。

 

「でも・・・小田が千冬姉と結婚してくれたら安心できる。そうしたら。俺も肩の荷が下りる」

 

「一夏氏・・・」

 

「頼む・・・!小田。千冬姉を・・・千冬姉を頼むぞ!」

 

 最早、場を支配するのは束でも千冬でも、或いはオタクでも無い。

 心からの言葉を吐き出す一夏こそが、今のこの場所の全てを支配していると言っても過言では無かった。

 

「・・・」

 

 誰もが一夏の言葉を聞いて、意を唱える事が出来なかった。

 ただ1人を除いて。

 

「・・・納得いかない」

 

 束は、ただ1人だけ不機嫌そうに一夏の話を聞いていた。

 千冬ですら一夏の言葉には何も言えずに黙っていたのに、束だけは、自信の我を通して言い放った。

 

「幾らいっくんでも、ちーちゃんをそんな豚に任せるとか許せないよ」

 

「束・・・」

 

「束さん・・・」

 

「許さないよ・・・豚にちーちゃんは渡さない。ちーたちゃんも・・・そして、いっくんも私の物だから。2人ともずっと私の側に居る物だから」

 

 束の闇は深く、そして熱い。

 正に不退転と言うに相応しい覚悟を持って、束は一夏と千冬の2人を自身の物であると言う言葉を吐き出した。

 その覚悟の重さは、他の者には理解の及ばない者では有ったが、誰もが束の言葉を必定する事が出来ない。

 それ程の迫力を醸し出して、束は言葉を紡いだ。

 

「いっくんが何て言っても、ちーちゃんは豚には渡さない。その豚は・・・いや、どんな物でも私以外はちーちゃんの為にも、いっくんの為にもならない」

 

「束・・・」

 

「ちーちゃんといっくんは・・・私が幸せにする」

 

 千冬ですら、束の名を呟く以外には何も言えなかった。

 それ程に、束の言葉と、眼と、そして何よりも風格が、彼女の全てを雄弁に現していた。

 

「気に入らないで御座るな」

 

「っ!?」

 

 だが、束がしたように、オタクもまた、束の言葉を完全に否定して、真っ向から向かい合う。

 普段の巫山戯た雰囲気を抑えた。

 成熟された風格をたたえて、オタクは束を否定する。

 

「要約すれば、それは自分の玩具を取られたくないと言う・・・言ってしまえば、幼稚な我が儘だな」

 

「っ!」

 

「結局の所、お前は徹頭から徹尾まで、自分の事ばかりの、実に身勝手極まる人間と言う事だ」

 

「何を・・・」

 

「織斑千冬さんを幸せにする?一夏君を幸せにする?・・・笑わせるな」

 

 オタクは、束を鋭い眼光で射貫いた。

 

「2人は、お前如きに護られるほど弱くない。お前を頼るほど柔でも無い。お前の方こそ、2人に依存して、2人に頼って・・・世紀の天才が聞いて呆れる」

 

「なにを言って・・・」

 

「お前はただの大人になれない餓鬼だ!周りが大人になるのを許せない子供だ!そうやって人の脚を引っ張る事しか出来ない。哀れな赤児だ!!」

 

「っ!!」

 

 束の表情が歪む。

 

「わ、私に向かって・・・この天才の束さんに向かって・・・」

 

「天才は確かに偉大な発明をしてきた。だが、人類が天才を必要とした事は無い!天才と言うだけで全てが許された事も無ければ、凡才と言う事で誹られる事も無い!ただの独り善がりな、独りぼっちのお前が人類に認められる事は永劫に有り得はしない!!」

 

「っ!!」

 

 きっぱりと言い放たれたオタクの言葉に、束は形相で睨みながら、その目を暗く澱ませる。

 だが、オタクはそんな束を憐れみの情を持って見詰め、そのオタクの眼が束には殊更に気に触り、不倶戴天の天敵を睨んで黙る。

 

「人は何れ成長し、大人になる。お前にも何時か、その時が来る。車の後ろの席で眠るのでは無い・・・後の誰かを按じながらハンドルを握る時が来る。その時が来るまで、人の邪魔をしてはいけない」

 

「・・・っ」

 

 諭すようなオタクの言葉は、しかし、束の耳には痛く、煩わしい説教を聞き入れるほどの余裕は彼女には無かった。

 

「・・・束さんの邪魔をするのなら・・・何時か必ず・・・っ!!」

 

 怨嗟の言葉を呟いて、束は身を翻して消えていった。

 野次馬の誰もが彼女を止める事は無く、一夏も千冬もオタクも、そして、箒でさえも、無言のまま、去りゆく背中を見送った。

 

「・・・一夏氏」

 

「何だ?」

 

 オタクは束の背を見送ってから、今度は一夏に向いた。

 

「拙者と千冬女史とは、ただの知人友人の範疇で御座るよwww恐らく、今生で二つの糸が交わり合う事はないで御座る」

 

「・・・」

 

「きっと・・・拙者の糸は、何処まで行っても、ただ一本だけが伸びるだけで御座るwwwそこに交差する糸はあれど、紡がれる糸はないで御座るよwww」

 

 自分の人生は、ただ自分だけの物になる。

 この先も独り生きていく。

 そう言って、オタクは寂しく笑った。

 

「さあwww朝食で御座るwww旅館の朝食は楽しみで御座るwww」

 

 普段通りの筈のオタクの言動が、何処か寂しげに思えてならない一夏だったが、その事を指摘する事は出来なかった。

 

「・・・そうだな。楽しみだな。今日のメシは何だろうな」

 

 一夏には、この年上の友人に掛ける言葉は無い。

 励ます事も叱咤する事も出来ずに笑って朝食の話をするしか無かった。

 それは、一夏には未だオタクの過去を知る事が出来ず、またオタクの未来に干渉できる様な経験も無いからだ。

 

「・・・」

 

 何時の日か、この計り知れない友人と、真の意味で通じ合い、無二の仲となれる日を祈り夢想する事しか、今は出来ない。

 

「・・・何時か」

 

 

 

 

 

 

「・・・」

 

 束は、何処かの場所で独り膝を抱えていた。

 オタクに言われた言葉を反芻して、暗い瞳でせせら笑って、呟いた。

 

「許さないよ・・・小田宅」

 

 束の脳裏に、オタクの名前が刻み込まれた。

 自分の愛する物しか刻み込まれて来なかった束の頭脳に、記憶の中に、始めてそれ以外の人名が刻まれたのだ。

 愛による物では無い。

 憎悪を代名する存在が、始めて彼女の中に染みこんで定着した。

 

「小田宅・・・!!」

 

 初めての事だ。

 彼女の感情に、愛と楽と意外の感情の表現が現れたのは、初めての事だ。

 二つの感情以外の全てを無で表現していた彼女に、始めて怒りと言う感情が湧き、オタクの存在は、その言葉は、図らずも彼女をほんの僅かに人間に近づけた。

 オタクは、史上で唯一の篠ノ之束と言う天災の天敵と言う存在に成ったのだ。

 

「殺してやる・・・」

 

 束は笑った。

 笑いながら心中を言葉にした。

 

「完膚なきまでに・・・完全に殺して・・・滅ぼして・・・消し去ってやる」

 

 それは甘美な響きで、脳髄が痺れる様な快楽の感覚だった。

 初めての憎悪の感情は、束が今までに感じた事の無い甘い刺激となって全身を巡り、神経と筋肉が痙攣して頬が緩んだ。

 

「ふふふ・・・」

 

 自然と笑いがこぼれ、だらしなく開いた口から唾液が流れ、目尻に涙が溜まる。

 

「ハハハはハハハはアハハハはハハッはは!!」

 

 最早、束は戻れない。

 初めての快感に頭が支配され、身体が忘れられぬオーガズムをひたすらに求め続けて、オタクに対する想いを募らせた。

 

「クフフフフウフウ!!ハハハあはははっっはっはハハハは八はハハハッはああああああアハハハあああぁぁっぁぁああんんんんんっっっっっっ!!!!!」

 

 全身を痙攣させ、眼を見開いて涙と鼻水と唾液を垂れ流し、エクスタシーを感じて筋肉が弛緩し、尿とそれ以外の体液で股間を汚した。

 笑いが止まらず、身体中の筋肉が喜びに震え、過敏になった神経が全ての五感を研ぎ澄ませて、ありとあらゆる感覚が束の身体を突き抜ける。

 アルコールよりも、糖よりも、麻薬よりも凄まじい喜びを束に与え、超新星爆発の如き衝撃を齎した。

 

「小田宅・・・クフフフ・・・」

 

 その顔は、まるで初めて恋をした少女の様だった。

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