「うん・・・ああ・・・っああ・・・」
動き回る死者の如き呻き声を出しながら、オタクは、ゆっくりと横たえていた身体を起こして周囲を見回した。
「何処だ・・・?」
妙に清潔な室内には、小さなテーブルや大型の薄型テレビなどが備え付けられており、間違っても、普段自分が寝起きしている階段下では無いと分かった。
「ベッドなんて久し振りだ・・・」
妙に良く弾むベッドの感触を楽しむ様に、真っ白なシーツを叩くオタクは、不意に訪れる頭の痛みと自身の様に視界が揺れる感覚に嗚咽を漏らした。
「・・・酷ぇ有様だ・・・神様にも祈りたく成ってくる・・・」
吐き捨てるように呟いたオタクは、改めて室内を見回して、自分がどこぞのホテルに入ったのだと思い至ると、何となくタバコが吸いたくなってテーブルの上に置いてあるソレに手を伸ばした。
「・・・」
二日酔いの頭痛とニコチンを身体に取り入れた事で襲い掛かる視界の揺れに、頭を抑えて堪えるオタクは、一瞬、信じられない物を見て固まった。
「・・・マジか?」
今、自分が乗っているキングサイズのベッドに、もう一人の人物が寝ている事を現す膨らみがある事に気が付くと、次の瞬間に膨らみが起き上がってシーツを払い除けた。
「ん、んん・・・ここは何所だ?」
ボサボサに変なクセの着いてしまった長い黒髪にハスキーな声、一糸纏わぬ白い肌を露出して、その人物は呟き、ソレから隣のオタクを見付けると、珍しく惚けた様な表情でオタクの頬を撫でる。
「・・・気のせいか・・・豚が目の前に居る様な気がするが・・・」
「気のせいならどれだけ良かったか・・・」
思わず呟いたオタクの言葉に、目の前に居る裸体の千冬が眼を見開いて驚き、頬を撫でていた右腕を撓らせてフリッカー気味の拳を顎に叩き込んだ。
「・・・何故、貴様が居る」
「・・・っつぁ~・・・んな事、俺に言われてもしらねぇよ・・・」
殴られた顎を擦りながら答えるオタクに対して、千冬は絶対零度の視線を向けながら身体にシーツを巻き付けた。
「勘弁してくれよ・・・二日酔いの頭にジョーは利く・・・」
「この状況の方が、遥かに頭に響く・・・」
そう言いながら、千冬はオタクと同じ様にタバコを咥えて火を着けると、一度深呼吸する様に一服すると、オタクに尋ねた。
「貴様・・・昨日の事は何処まで覚えている」
「ああ?・・・あ~・・・三軒目の店でテキーラを一気した辺りだ・・・ソッチは?」
「貴様に続いてラムの瓶を掴んだ所までだ」
互いの言葉を聞いて、どうやら相当に無茶な事をやらかしたと言う事だけは分かった二人は、同時に咥えたタバコを灰皿に押し付けて頭を抱えた。
「夢なら覚めてくれ・・・」
「貴様を殴った拳が痛む・・・夢では無い様だな・・・」
暫くの間、二人揃って項垂れたかと思うと、不意に千冬がベッドから降りて歩き出した。
「如何した?」
「シャワーを浴びてくる・・・少しは気分が良くなるだろう・・・」
そう言ってバスルームに向かう千冬だったが、少し歩いた所で何かに躓いて床に手を突いた。
「一体なん・・・」
「如何した?」
躓いた物に文句を言おうとした千冬が言葉に詰まり、ソレを怪訝に思ったオタクが尋ねると、千冬とは別の声が上がった。
「アレ~・・・先輩・・・?」
「なん・・・だと・・・?」
間延びした真耶の声が、千冬の下から聞こえてくると、オタクは再び頭を抱えた。
「真耶・・・」
「先輩?・・・ここは・・・」
寝惚け眼で上体を起こす真耶は、目の前の千冬しか眼に入っていない様子で、オタクの存在に気が付かないまま立ち上がって周囲を見回すと、酔いが残っていたらしく足を縺れさせてベッドに倒れ込んだ。
「うう~・・・頭が割れる・・・」
そう言いながら顔を上げると、丁度オタクの姿が真耶の眼に入り、暫しフリーズしてから真耶は叫んだ。
「な、なななななななな!!なんで小田君が!!?」
慌てて立ち上がる真耶は、自分の姿に気が付いていないらしく、あたふたとするばかりでキリキリ舞いする。
「山田先生」
「は、はい!?」
オタクに声を掛けられた真耶は、オタクの方を向いて動きを止めると、オタクの言葉を待った。
「取り敢えず身体を隠したらどうですか?」
「へっ?・・・ええええええええ!!!」
オタクに言われて、漸く自身が裸体を晒した状態だと気が付き、慌ててシーツを引っ張って被ると、その場に蹲って頭を抱えてしまった。
そんな二人の遣り取りを尻目に、千冬はさっさとバスルームに引っ込んでしまい、千冬のシャワーが終わるまでの間、オタクは気まずい思いで明後日の方向を向き続けた。
「上がったぞ」
そう言ってバスローブ姿の千冬がシャワーから上がって来た頃、オタクは取り敢えずパンツとシャツを身に着けてベッドに座り、真耶はシーツを被って膝を抱えていた。
「それで・・・何か思い出したか?」
手近な椅子に腰掛けた千冬は、足を組んでオタクと真耶に尋ねるが、オタクは首を振って答え、真耶も何も覚えていないと否定した。
「貴様等もか・・・」
千冬自身も明確な事は思い出せず、三人は仲良く途方に暮れた。
「一つ、確認なんだが・・・」
とオタクは前置きをして二人に尋ねる。
「俺達は・・・ヤッちまったのか?」
真耶も千冬も、その事は考えていた。
酔っ払った男女がホテルの一室に一緒に入り、共に朝を迎えて裸体を晒していた。
そんな状況でナニが在ったのか等と言うのは、余程の朴念仁か幼子で無ければ想像が着く事であり、記憶の無い空白の時間に在った出来事は今後の事に大きく影響を及ぼす事だ。
非常に大切な事では在ったのだが、三人は真実を知るのが非常に恐ろしく感じていた。
「私は未経験だが・・・学生時代に破れている」
「男の俺は確かめる術は無いな・・・」
そう言いあった千冬とオタクは、後は真耶だけだと言う風に視線を向けると、真耶は顔を真っ赤にして顔を埋めて黙り込んだ。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
室内に沈黙が訪れた。
一分か一時間か知れない居たたまれない空気の中、意を決したオタクは二人に向かって口を開いて言った。
「・・・ナニがと言うわけじゃ無いが、取り敢えず済まなかった」
とオタクが言うと、千冬は深く溜息を吐いて、言葉を返す。
「まあ・・・ナニかが在ったと決定した訳じゃ無いが・・・気にするな。私にも非は在る」
その千冬の言葉に続いて、真耶も顔を上げて言った。
「え~と、私も気にしませんから・・・その・・・気にしないで下さい」
三者三様に言い合って、それから各々、部屋に散らばった自身の服を拾って身に着けると、部屋を後にした。
駅の直ぐ側のホテルだったらしく、千冬が代表でチェックアウトを済ませると、無言でモノレールに乗り込んで学園へと向かい、三人は無言で解散して各自の部屋へと向かう。
時刻は朝の八時、もう暫くすれば朝礼の時間と言う頃で、オタクは珍しく朝食を食べずに教室へと向かった。
「デュフフフwwwおはようで御座るwww」
教室前で意識を切り換えたオタクは、何時もの様に挨拶をしながら教室に入るが、その日ばかりは何時も通りとは行かず、クラスメイト達の視線がオタクに集中して、思わず怯んでしまった。
「な、なんで御座るか?」
戸惑いを隠すことの出来ないオタクに対して、クラスメイトの少女達の間に奇妙な空気が流れ、それから意を決した様にセシリアが前に出てオタクに尋ねた。
「ちょっとよろしくて?」
「オッフw如何したで御座るか?セシリア氏www」
「この写真は本物でして?」
草を生やしながら応じたオタクだったが、セシリアが尋ねながら提示した写真を見ると、オタクは跳び上がらんばかりに驚いて、キャラも忘れて言った。
「こ、コレは!出所は何処だ!?」
セシリアから引ったくった写真には、丁度ホテルから出てくる千冬と真耶とオタクの三人が収められており、完全に週刊誌にスッパ抜かれた様な状態だった。
「もう、学園中に広がってましてよ?」
「マジか・・・マジでか・・・」
がくりと項垂れるオタクは、手近な席に腰を掛けると、写真を見詰めながら今後の事に思いを巡らせる。
そこへ丁度、渦中の一人で在る真耶が入ってくる。
「おはようございます」
何時も通りに挨拶をしながら入って来た真耶は、直ぐさま少女達に取り囲まれてしまい、眼を回しながら質問攻めに遭い、手渡された写真を見て驚き声を上げた。
「こっ、コレは!!ええ!?」
完全に混乱する真耶と、項垂れるオタク、そして興味津々でゴシップに食いつく少女達。
狂乱の教室内に、最後の一人が入ってくる。
「だからどう言う事なんだよ!千冬ねぇ!!」
「織斑先生と呼べ!貴様には関係の無いことだ!!」
どうやら千冬も弟に問いただされているらしく、珍しく慌てた様子で教室に入ると、真耶とオタクの様子を見て状況を理解した。
「織斑先生!如何なんですか!?」
「あの豚と付き合っているんですか!?」
「・・・」
さしものブリュンヒルデも興奮してゴシップネタに食いつく少女達の力には圧倒されてしまったらしく、千冬は諦めた様に無言で上を向いて現実逃避する。
「あっ!小田!!千冬ねぇとはどう言う関係なんだ!!」
自身の愛する姉と関係を疑われている友人に、一夏は剣幕で迫って問いただした。
「お、おおおおおおお落ち着くで御座る一夏氏。まだ、慌てる様な時間じゃ無い」
「コレが落ち着いていられるか!!」
アレから暫く経って狂乱の教室は少しだけ静けさを取り戻し、千冬、真耶、オタクの三人はクラスの全員の前で並んで椅子に座って視線に晒されていた。
「小田・・・正直に答えてくれ・・・黒か?白か?」
「・・・お」
「お?」
「オフホワイト・・・」
思わずオタクの口を吐いてでた言葉がそれだった。
「巫山戯ないでくれ・・・重要な事なんだ。お前が俺の兄に成るか成らないかの問題なんだ」
そう言われてしまうと、オタクは巫山戯る事は出来ず、真面目に一夏と向き合った。
「・・・正直な所、分からん」
「分からないって・・・」
「しょうが無いんだ・・・三人とも酔っていて、誰も覚えていないんだ」
「酔っ払ってって・・・お前・・・」
「俺二十五だから・・・」
「そうか・・・じゃあ、大丈夫だな」
「・・・」
「・・・」
「千冬ねぇの下着の色は?」
「黒の下とグレーのスポブラ」
「ギルティ!!」
「ちょっま!今のは反則だろ!!」
息を荒げる一夏を宥めながら、オタクは誰か助けはと見回すが、少女達の好奇の視線を集める千冬は腕を組んで黙り、質問の嵐を受ける真耶は俯いて震えるばかり、誰も助けには成りそうにならなかった。
「小田・・・」
「何だよ」
「お前は、責任を取るつもりは在るのか?」
一夏が言った瞬間、教室は静まり返り、全員の視線がオタクに集中した。
「答えてくれ・・・!お前は、姉さんを幸せにしてくれるのか・・・!」
「・・・確かな事は言えん・・・」
オタクのあやふやな答えに対して、一夏は珍しく怒りを滲ませた声でオタクを睨む。
「小田・・・!!」
今にも殴り掛かりそうな雰囲気の一夏に、周囲が固唾を呑む中、オタクは更に続けて言った。
「だが、もしも責任を取らなければいけなければ、俺は自分に出来る最大限の事をするつもりだ」
「と、言うと・・・」
「必要ならば人生と命を賭けよう」
「・・・」
「・・・」
オタクの静かな宣言に、一夏は黙ってオタクの眼を見据え、オタクもまた一夏の眼を見詰め返した。
「分かった。小田を信じよう・・・姉さんを頼んだ」
凄くいい顔で言う一夏だが、その直後に頭上から拳が降って来て、頭を抱えて床に転がった。
「勝手に決めるな馬鹿者・・・!」
「うおおお・・・!」
「貴様等もそろそろ巫山戯るのは止めて席に着け」
千冬の一喝で事態は収束し、30分遅れで授業を開始する事が出来た。
「因みに小田」
「如何したで御座るか?一夏氏w」
「山田先生の下着は?」
「オッフw一夏氏も男の子で御座るなwww」
「如何だったんだ?」
「それは勿論w」
「何だ?」
「オフホワイトで御座るwww」
授業中にそんな話をしていた二人に、千冬と真耶からの鉄拳制裁が下されたのは言うまでも無い事だった。