僕の家族   作:詠符音黎

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僕の家族

「……ィー、……きて……フィー……」

 

 まどろみの中でライフィセットは、どこからか優しい声がしてくるのを聞いた。

 その声はまるで太陽のように暖かく、羽毛のように優しい。

 その声をずっと聞いていたい。しかし、ライフィセットを包み込む眠気はそれ以上に強く、ライフィセットの意識は再び睡魔へと誘われようとしていた。

 

「起きなさい! ライフィセット!」

「は、はい!」

 

 途端に激しくなったその声に、ライフィセットはベッドから飛び上がった。

 そしてまだはっきりしない頭を動かしながら、声のした方向を見る。

 するとそこには、長い黒髪を靡かせた美しい女性の姿があった。

 

「あ、おはようベルベット……」

 

「おはようフィー。もう朝よ。今日は学校だっていうのに、ずいぶんとお寝坊さんね」

 ライフィセットはベルベットのその言葉にあわてて時計を見る。すると、時計は普段ライフィセットが起きるはずの時間よりも三十分ほど遅れていた。

 

「えっ!? もうこんな時間!?」

「そうよ。普段早起きのフィーにしては珍しいわね」

「うん、ごめん……。実は昨日、宿題のために読んだ本が思った以上に面白くて、つい……」

 

 ライフィセットは恥ずかしそうに顔を赤らめながら下を向く。

 ベルベットはそんなライフィセットを見ると、困ったような、しかしどこか安心した様子で軽くため息をついた。

 

「ま、そんなことだと思ったわよ。ほら、早く着替えて降りて来なさい。もう朝ごはんの準備は殆ど出来てるわよ」

「う、うん!」

 

 ベルベットの言葉にライフィセットは急いでベッドを降り、クローゼットを開く。

 そして、服を取り出している最中に、ゆっくりと後ろを振り返った。

 

「ん?」

「あの、ベルベット……」

「あら? 見てちゃいけない?」

「当たり前でしょ!? もー!!」

 

 いたずらな笑みを浮かべるベルベットに対し、ライフィセットは再び顔を赤くしながら憤慨した。

 そのライフィセットを見てベルベットは「ふふふっ、分かったわよ」と笑うと、すぐさま部屋から出て行った。

 

「まったく、ベルベットったら……」

 

 ライフィセットは未だ紅潮が収まりきらない顔のままで、服を着替え始めた。

 

 

 ライフィセットが完全に服を着替えて下の階に降りると、キッチンの側にあるテーブルには、すでに朝食の半分が並べられていた。

 内容を見るに、どうやら今日の朝食は和食らしい。

 炊きたてのご飯と、熱い味噌汁の匂いがライフィセットの胃袋を刺激する。

 

「降りてきたわね、ほらそこに座って頂戴」

 

 台所に立っているベルベットが言う。

 ライフィセットは、ぶんぶんと首を振り、ベルベットに言った。

 

「いいや、僕も手伝うよベルベット!」

 

 ライフィセットは毎朝ベルベットの朝食の準備を手伝っていた。手伝うと言っても、味見と朝食をテーブルに運ぶことぐらいである。

 だが、今日のライフィセットは寝坊をしてしまったために、その準備を手伝うことができなかったのだ。

 だから、少しでも手伝いたいというのがライフィセットの気持ちだった。しかし、今度はベルベットがゆっくりと首を振る。

 

「いやいいわよ別に。ここまでやったらもう手伝ってもらうことはないわ。たまにはゆっくりと朝食を待つのもいいものよ」

「う、うん……」

 

 ベルベットの言葉は至極もっともであり、ライフィセットは少しうなだれながら自分の席へと座る。

 他には誰もおらず、席に座っているのはライフィセット一人であった。

 

「ねえベルベット。他のみんなは?」

「ああそうね。他のは……」

 

 ベルベットはライフィセットの疑問に、窓に向けて指を指して答える。ライフィセットがその方向を見ると、庭に一人の男がいるのが見えた。

 

「四百九十一っ! 四百九十二っ!」

 

 その男は、上半身裸になり、一心不乱に木刀を振っている。

 引き締まった肉体からこぼれ落ちる汗は、見事に絵になっていた。

 

「四百九十九っ! 五百っ!」

 

 男がそこで木刀を振り終えると、側に用意してあったタオルで体を拭き、だらりと腰から垂れさせていた和服を着直して、窓から部屋に入ってくる。

 

「ふぅ~」

「おはよう。お疲れ、ロクロウ」

「応! ライフィセット! おはよう!」

 

 ロクロウはライフィセットに対し威勢よく答えると、ライフィセットの左隣にどっかりと座った。

 

「今日は少し遅めだなぁライフィセット?」

「うん、ちょっと昨日夜更かししちゃって……ロクロウも今日の素振りは少なめだね? いつもだったら千回までは振ってるよね?」

「応。実は俺も昨日ちょっと夜更かししちまってなぁ。本当はそれでも千回振りたかったんだが、朝食に間に合わせないとベルベットがおっかないからな。ま、食った後はいつもよりも多く振るけどな。ハハハ!」

 

 ロクロウの快活な声に、ライフィセットは完全に目が覚めるような気がした。

 ライフィセットは、毎朝このロクロウの明るさに元気を貰っているのだ。

 

「へぇロクロウが朝起きるの遅くなるぐらいだなんて……。一体どうしたの?」

「ん? ああ、ちょっとアイゼンの仕事をな……」

「……ただいま」

 

 ロクロウがライフィセットに答えるためにその名前を話題に上げたそのとき、玄関から低い声が聞こえてきた。

 

「おっ、噂をすればなんとやらだ」

「噂がなんだって?」

 

 玄関からそのまま低い声の主――アイゼンがリビングに顔を出してきた。

 

「あっ、おはようアイゼン」

「おぅ、ライフィセット、おはよう……。で、俺の噂がどうしたって?」

「いや、ほら昨日お前の仕事手伝っただろ? それで今日の朝少しばかり寝過ごしちまったって話をだな」

「……チッ」

 

 アイゼンは無愛想に舌打ちをした。

 どうやらライフィセットにはあまり聞かせたくなかった話題らしい。

 アイゼンは仕事のことはなぜかライフィセットにひた隠しにしていた。どうにも夜を中心に働く仕事らしいが、ライフィセットはその内容についてまでは知らなかった。

 だが、いつか話してくれると約束してくれたことがあり、ライフィセットはそれを信じてアイゼンには詳しくは聞かないことにしていた。

 アイゼンは不機嫌そうな顔つきのままライフィセットの右隣に座った。

 ライフィセットはロクロウとアイゼンに挟まれる形となる。

 

「今日は一段と疲れてそうだねアイゼン」

「まあな……。ちょっと、相手側とトラブっちまってな。そのせいで朝帰りだ。朝飯を食い終わったら、一旦眠らせてもらう。……そういや、ベルベットはともかく他の女連中はどうした?」

 

 アイゼンが自分の正面にある空いた席を見て言った。

 ベルベットは料理の準備でキッチンにいるためにいないのは当然として、この家にはあと二人の女性がいる。その二人はいなかったのでアイゼンは疑問に思ったのだ。

 と、そのときであった。

 

「あいたたたたたたたた! これ! もうちょっと優しくはこべぃ!」

「あなたの寝覚めが最悪だからこうして強行手段に出てるんじゃないですか! もういい歳なんですから朝ぐらいちゃんと起きて下さい!」

「何おう!? 儂じゃってまだピッチピチじゃぞ! いい歳なんぞ言われるほど老けとらんわい!」

 

 ライフィセットが降りてきた階段のほうから、騒がしい声がしてきたと思うと、一人の若々しい少女がもうひとりの派手な服装の女性の耳を引っ張ってリビングに入ってきたのだ。

 

「お、おはようエレノア。マギルゥ……」

「あ、おはようございますライフィセット」

「いたたたた! お、おはよう坊! いたたた! これ! もう放さんかー!」

 

 そこでやっとエレノアはマギルゥの耳から手を話した。

 マギルゥは大げさに自分の耳をなで「おお痛い痛い」と喚いていたが、誰も気にすることはなかった。

 

「これお主ら! もうちょっと気にせんかい!」

「別にいつものことだろ? それにいちいち突っ込んでもなぁ。なあアイゼン?」

「そうだな。むしろ、今日は朝帰りだから進んでスルーしたい気分だ」

 

 ロクロウとアイゼンの言葉に大げさに落ち込むリアクションを取るマギルゥ。だが、それもいつも通りのことで本気で落ち込んではいないと全員分かっていた。

 エレノアなどは完全に無視しロクロウの正面に座っている。

 

「ほらマギルゥ早く座りなさい。もう朝食の準備は完全に整ってるのよ」

 

 ベルベットがキッチンから最後の皿を持って現れ言った。

 マギルゥはそれを見るやいなや「おお! そうじゃなそうじゃな!」ところっと態度を変えてアイゼンの正面に座った。

 

 そしてベルベットがライフィセットの正面に座って、食卓にその家の住人全員が揃うこととなった。

「それじゃあ……」

 

 全員が席についたことを確認すると、ベルベットが代表して声を上げる。そして――

 

「いただきます」

「「「「「いただきます」」」」」

 

 全員揃って、いただきますの挨拶をして、朝食を食べ始めた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「それじゃあ行ってくるねベルベット!」

「では行ってきますね」

「ええ、行ってらっしゃい」

 

 ベルベットは玄関で学校に行くライフィセットとエレノアを見送っていた。

 ライフィセットは小学校、エレノアは高校と別々だが、道は途中までは一緒なためこうして一緒に学校に行くのだ。

 ライフィセットとエレノアを見送ると、ベルベットは「……よし」と表情を引き締め、リビングへと戻った。

 その手には、途中で置いてあったのを拾った掃除機が手にされていた。

 そしてその掃除機のコンセントを挿し、電源を入れようとする。しかし……。

 

「……ちょっとマギルゥ。朝っぱらからリビングでゲームしようとしないでくれる?」

「およ?」

 

 マギルゥがリビングに据え置いてある大型テレビに、ゲームの配線を繋ごうとしていたのだ。

 

「およ? じゃないでしょ。掃除の邪魔だから遊ぶなら自分の部屋でやってって言ってるの」

「いやーこの時間は儂の部屋は日差しがきつくてのー。カーテンを締めて真っ暗にしてやるのも目が悪ぅなって嫌じゃし、こうしてここで遊ぶのが一番と――」

「だ! か! ら! 掃除の邪魔って言ってるでしょ! アイゼンは自分の部屋で寝てるし、ロクロウは外に出てるから、今私の邪魔をしてるのはあんただけなのよ! あんまり邪魔するなら……」

 

 ベルベットはそこまで言うと、おもいっきりマギルゥを睨みつけ、しかし口元では笑みを浮かべながら、

 

「喰らうわよ?」

 

 と言った。

 

「ひぃぃ! わかったわかったから! まったく怒らせるとほんと怖いのぅベルベットは」

「あんたが怒らせるようなことするからでしょ。てゆーか、時間が夜メインのアイゼンやロクロウと違って、あんたが昼間っから家にいるのが悪いのよ」

 

 ゲーム機を急いで片付け始めているマギルゥにベルベットは言う。

 すると、マギルゥはゲーム機片手に空いた手を広げるようなジェスチャーを取った。

 

「それはしょうがないじゃろうて。アイゼンやロクロウの夜のお仕事と違って、我がマギルゥ奇術団は不定期じゃからのう。仕事が入るときと入らないときの差が大きいんじゃて。つまり今は暇なんじゃー」

「奇術団って言っても、あんた一人じゃない」

 

 あっけらかんと言うマギルゥにベルベットは呆れた表情をしながらぼつりと言った。

 それに対し、マギルゥはベルベットが思っていた以上に喰らいついてくる。

 

「何を言うか! お主らこの家の住人は全員マギルゥ奇術団じゃからな! 公演があるときはいっつもアシスタントとして手伝ってるじゃろうが!」

「まあ、確かにそうだけど正式にそのマギルゥ奇術団に入った憶えはないわよ」

「おおー! なんと不真面目な団員か! 団長としてこれほど悲しいことはないぞよ。おいおいおいー」

 

 あからさまに嘘泣きを始めるマギルゥに対し、ベルベットは無情にも掃除機のスイッチを入れた。

 

「ぬおおおおおおおおお! うるさいーーーー!」

「はいはい、ほらさっさと自分の部屋に戻る」

 

 ベルベットの強制的な執行により、マギルゥは急いで自分の部屋へと戻っていった。

 こうしてベルベットの掃除が始まった。

 ベルベットは所謂専業主婦をしている。主婦と言っても誰かと結婚しているわけではない。むしろ家事手伝いと言ったほうが正しいだろう。

 とにかく、ベルベットの仕事はその家に棲む全員の食事を作り、掃除をし、洗濯をすることだった。

 その家に棲む、家族が安心して帰ってこられる場所を作るのが、ベルベットの仕事である。

 ベルベットはそうして、今日もいつもどおりに仕事を始めた。

 リビングを始めた家全体の掃除。

 大量に出る洗濯物の処理。

 アイゼンやロクロウ、マギルゥといった昼にも家にいる者のための昼食作り。

 晩御飯の仕込みなど。

 合間合間に休憩を入れつつも仕事をこなしていくベルベットであった。

 今日もそうして一日が終わるはずだった。

 だが、その日はいつもと少しだけ違う出来事が起きたのだ。

 ライフィセットが、体中ボロボロになって帰ってきたのだ。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「どうしたの!? ライフィセット!」

 

 リビングにその家に棲む全員が集まっていた。その全員が、ボロボロになったライフィセットを囲んでいる。

 

「…………」

 

 当のライフィセットは、赤く腫れた部分がある顔をぎゅっと厳しく締めながらも、沈黙を保っていた。

 話を聞かなければ何も進まない。それに、アイゼンやロクロウならともかく、大人しく大人びているライフィセットがである。よっぽどの事態に違いなく、誰もが困り果てて何も言えずにいた。

 

「……今日、学校で」

 

 と、そこでようやくライフィセットが口を開いた。

 その場にいた全員が、固唾を飲んでライフィセットの言葉に耳を傾ける。

 

「授業参観についての話があったんだ。それで、友達と誰に来てもらおうかなって話してたら……」

「……してたら?」

 

 エレノアが少し言いづらそうにしているライフィセットに優しく聞く。

 この場では、その役割は一番エレノアが合っていた。

 

「……言われたんだ。『お前の家族は本当の家族じゃないから誰でもいいだろう』って。それを聞いたら僕、カっとなっちゃって……」

 

 ライフィセットが重々しく言ったその言葉に、その場にいた全員が厳しい顔になった。

 そして、再び沈黙が支配する。

 そう、全員同じ家で過ごしてはいるが、この家の人間は誰一人血が繋がっていない。それは紛れもない事実だった。

 その沈黙を破ったのは、脳天気な声だった。

 

「ま、確かに事実じゃしのー」

「マギルゥ!」

 

 マギルゥの言葉に、エレノアが怒りを声にする。しかし、マギルゥは気にした様子はなく続けた。

 

「しかし、それが坊にとっては許せなかったんじゃろう?」

「……うん」

「ならそれでいいではないか。坊が譲れないものがあって、それで喧嘩となったなら、この家にそれを咎めるものはおらんじゃろうて。のうアイゼン?」

 

 その言葉に、アイゼンはコクリと首を縦に振った。

 

「ああ、その通りだ。ライフィセット。お前は自分の『家族』という流儀を守りたかった。そして、その流儀を貫くために拳を振り上げた。ならそれでいい。流儀をねじ曲げようとするクソ野郎には、拳を振り上げるしかない。それが自分の舵は自分で取るということだ」

「そうだな。自分の信じる道は自分で進むしかない。確かに俺達は本当の家族じゃないが、ライフィセットが家族と信じてるなら俺達は家族なんだ。それでいいじゃないか」

 

 アイゼンに続いてロクロウが言う。

 二人ともライフィセットを咎めるのではなく、むしろ褒め称えていた。

 その様子にエレノアは軽くため息を尽きながらも、しかし笑顔でライフィセットに視線を合わせた。

 

「……私は、短絡的な暴力は良くないと思います。それは理に反します」

「うん……」

「……でも、ライフィセットが私達のことを家族だと思って、それを馬鹿にされて怒ったというのは、正直嬉しいです。私にとっても、皆は家族ですから。ありがとう、ライフィセット」

「エレノア……」

 

 エレノアの笑顔に、ライフィセットも顔を上げた。

 

「……確かに、私達は本当の家族じゃない」

 

 そして、今までずっと黙っていたベルベットもついに口を開く。

 

「私は弟と姉さんを病気と事故で失っているし、アイゼンはずっと妹と離れて暮らしてる。エレノアはお母さんを子供の頃に失って、ロクロウは家を飛び出してる。マギルゥはどこの誰とも分からない根無し草。フィーも私がひとりぼっちだったところを拾ってきた。……でもね、エレノアの言うとおり、私達は家族よ。血が繋がってるかどうかなんて関係ない。世間でははぐれものだったとしても、その絆はそこら辺の奴らなんかには負けないわ。だから、堂々としてれば良かったのよ。でも、それでもあんたが許せなかったってんなら、仕方ないわね。……それが、舵を自分で取るってことなんでしょ、アイゼン流に言うなら、ね」

「……ベルベット!」

 

 そこで、ライフィセットは初めて笑顔を見せた。

 その笑顔に、他の面子も皆笑顔になる。

 皆嬉しかったのだ。ライフィセットの傷の理由が。そして、皆同じことを思っていたのが。

 

「……ありがとう。僕、僕……!」

「はいはい、湿っぽいのはもうこれで終わり! そろそろ晩御飯にするわよ! 今日は私特製のキッシュだから楽しみにしてなさい!」

「……うん!」

 

 そうして、ライフィセット達はいつもよりも楽しく夕食を食べることになった。

 ライフィセットにとって、その夕食のキッシュはいつもよりも美味しく感じられた。

 この人達と家族で、ライフィセットは本当によかったと思った。

 僕の家族は、世界に誇れる最高の家族だと。

 

 ただ、ベルベットとはできれば本当に……。

 

 ライフィセットはそんな青い心を、ひっそりと心の奥に閉まった。

 

 その後、誰がライフィセットの参観日に行くかについて大人達が揉めに揉めたのはまた別のお話。

 

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