1
雨の音が静かに響いていた、目覚まし時計が鳴る前にタイマーを切り同室の先輩、御幸一也を起こさないようにそっとベッドから出た。
寝間着から練習着に着替える、その間雨の音のおかげで布の擦れる音はうまくカバーできているのではないだろうか。
そんなことを考えながら着替えていると寝ていると思った御幸から不意に声を掛けられた。
「……朝早いな。今日もやるのか?やめとけ、雨降っているし……最近何があったかは知らないがオーバーワーク気味だ、焦りは禁物ってクリスさんにも言われているだろう?今日はせっかくの休養日なんだしもう少しゆっくりしていろ、体を休めることだって練習の1つだぞ」
「そうですね、けれども今は時間が惜しいんです。もっと、もっと練習しないと、まともなことをやっていたら降谷には勝てないですから」
「いい加減、ちょっと落ち着け。お前の努力は認めるよ、けどな、無茶と無理は違う。お前のは前者だ、1軍の戦力である以上体を壊されちゃ困るんだよ」
御幸は先輩としてではなく、正捕手としての意見を強い口調で言った。
今の虹稀には一番効果的な対応であることはこれまでの経験から学習済みであるし、それに言葉の重みも全く違うからだ。
虹稀は着替えるのを一旦やめた、御幸の言うことは確かに間違いじゃない。
寧ろ後輩の体を労わって無茶させないようにしている正しいことだというのは虹稀にも分かっていた、けれども、それでも
「じゃあ、今日はじっとしていろって言うんですか?折角の空いた時間をただ何もせずじっとしていろと?」
「そうだ、お前はとにかく体を休めることが大事だ」
「そんなの無理だ、俺にはじっとしている事は出来ない。立ち止まっている暇なんてないんです、誰よりも頑張らないと、誰よりも練習しないと、じゃないと「いい加減にしろ」」
一際強い御幸の声が虹稀の言葉を遮った、互いが互いに顔を見合わせていないためお互いに表情はわからない、それでも強く、静かに、はっきりと告げられた言葉は怒りという感情が最も色濃く反映されていて虹稀を黙らすのには十分だった。
「どんなことをしているか詳しくはしらないけどよ、こんなところでお前が潰れるのは見逃せないんだわ、だから今日はいつものメニューは止めろ」
「…………」
「別に練習をやるなって言っている訳じゃない、悪いが沢村と降谷との守備練習に付き合ってくれないか?俺たちだけじゃ色々と疲れるし……お前あいつらと大して話したことないだろ?同じ1年同士親睦を深めるのも大事だぞ」
「ライバルたちと馴れ合うつもりはありません」
「そういうな、第一何を塞ぎこんでいるのか知らないけど最近元気ないじゃねえか。息抜きもたまには必要だぞ。地元に置いてきた彼女とも最近は連絡とっていないみたいだし」
休めという事だ、確かに焦りもあったし結果を残しているほかの1年に比べ結果がないことで余裕もなかったのかもしれない、けれど……そんな先輩の気遣いすらもこの時は余計に虹稀を追い詰める言葉でしかなかった。
「…………」
「わかった、そのいじりに前みたいに反応してくるテンションじゃないのはよーくわかった。とにかくあれだ、先輩命令だ。とにかく今日は付き合ってくれ」
方向違いに沈黙を受け取った御幸だったがこの時虹稀は少しばかり安心をしていた、もし心の内がわかられていたら逆に意地を張っていつもみたいな無茶を強行したかもしれないからだ。
「分かりました」
納得はいかないながら御幸はようやくその一言を絞り出させることに成功し、いつもよりずいぶん遅い起床時間まで浅い眠りにつく。
渋々といった感じでベッドに戻った虹稀は御幸が眠りにつくよりも先に屍のように動かなくなっていた。
2
地獄の合宿が始まるらしい、と野球部の皆がぼやいていた。
もうしばらく先の話ではあるけれど先輩たちは梅雨が明けると少し憂鬱になりそうと言ってそんな話題を口にしていたものだ。
山元君曰く“ド天然”である私は野球部の事情なんかも知らずに先輩たちに何の配慮もなしにどういう意味か聞いてしまった、今思い返すと背筋が凍ってしまう。
それくらいこの合宿に込められたものを知らなかったし、失礼極まりない軽率な質問であったと本当に反省している。
どの経路でその情報を知ったのか山元君は子供のような無邪気すぎるくらいの笑顔でいじってきた。
『そういうところは良い所だけどそれを人に聞く前に自分で考えてから人に聞くともうこういうことは無いと思うよ』とこれまた難しいけれど的確?なアドバイスをくれた。
それはともかく、恥ずかし気に受け売りだけどね、とはにかみながら笑っていたつい先日とは打って変わって、その様子はどこかおかしかった。
いつもの山元君ではなかった、根拠は無い。
ただ理由付けするのであれば女の感というものだろうとは思っている。
授業中もどこか遠くを見ていて、時折後ろの席にいる私に聞こえるくらいの歯ぎしりを幾度となく繰り返していた、私が話しかけると気さくに答えてくれて笑っているがいつものような朗らかさは無く、ぎこちない笑顔はどこか無理をしているようだった。
図々しいのは分かっている、これは自己満足な勝手な行いであることは分かっていた、けれども私は意を決して土足で踏み込むことに決めた。
入学当初の山元君は自信で満ち溢れていて明るかったのに、今は破裂寸前まで膨らんでしまった風船のように張り詰めていて、いつ破裂するかもわからない危うさと今にも崩れそうな笑顔は見ていて気持ちのいいものじゃない。
そう考えていると思わぬところから助け船が飛んできた、それは隣のクラスでいい意味で化物と呼ばれている野球部1年生の雨宮君。
「そ、それで、お話とは何でしょう!?」
ガチガチに緊張している私を見て雨宮君はクスリとほほ笑んだ、他の同級生とは醸し出す雰囲気が全然違くて私は雨宮君のことが少しだけ苦手だった、嫌いじゃないけど話すのにとても気を使ってしまうからだ。
「そんなにかしこまらなくてもいいよ、とって食おうって訳じゃないんだし。話っつーかなんていうか、虹稀……山元のことなんだけどさ、一言でいいから声かけてみてくれ『悩み事があるんだったら相談に乗る』とか『話せば楽になるかも』とかそういう類の言葉でいい」
「あ、えと……それは丁度言おうとしていました、私もすごく気になったので……」
金丸とか沢村くんとかだったらもう少し気を遣わずに話せるのに、何というかオーラが違うというか、そんな雨宮君はやっぱり少しだけ苦手だ。
凄くいい人であるとは思うけど。
「あ、そっか。余計なお世話だったかな?」
「いえいえ!とんでもない!逆に私が背中を押されたというか、勇気をもらったというか、逃げ道をもらったというか……言い訳が出来たというか」
「……ハハッ面白いな吉川は!なるほどなるほど、虹稀の奴が気に入るわけだ」
「えっ!?私はそんなんじゃ……」
「それなら、安心して任せられるな。もし虹稀の奴が吉川が心配しても話すことは何もなく塞ぎ込んでいるなら仕方ない!じゃあよろしくな!」
雨宮君は嵐のように私の心を荒れさせると何事もなかったかのように静かに立ち去ろうとしました、だけど最初から思っていたことをどうしようもなく聞きたくて雨宮君を呼び止めた。
「雨宮君!私なんかじゃなくて雨宮君がいけばいいのにどうして私なんかに?」
「……あいつは俺たちに弱みなんて見せないし見せたくもないだろうさ、……なんてかっこいいこと言ったけど、男のプライドってやつだよ。くだらないだろ?だからというか俺が言ったところで追いつめられるだけかもしれないし、言い方は悪いが消去法だよ。プレイヤーでもなく、しかし野球部で、一番あいつが気を許しているのは吉川だと思っているから」
「どうしてそこまで?」
「あいつと一緒に甲子園で優勝するためにわざわざ来たんだ、こんなとこで勝手にこけられても困るんだよ」
これは秘密な、と念押しをして笑ってはいたけれど目は笑っていなかった、雨宮君の表情を表すならば怒りだ、とても怒っていように見えた。
男の子は思ったことが顔に出やすいみたいだ、山元君だって表情に出るから分かりやすい。
けど、その怒りという感情の理由は男の友情だとかそういうことはわからないけれど、この時ばかりはそれが自然と腑に落ちていた。
「つーわけでよろしくな!やばっ授業始まる!」
本当に慌ただしく、コロコロと表情を変えて嵐のように去っていった。
教室に戻ると、いつもは次の授業の教科書を読んでいる筈の山元君が、前の授業の机の状態のままグラウンドを怖い顔で見下ろしていた。
いつもは山元君の近くにいる人たちもそのピリピリした雰囲気を感じ取ってか誰も近づこうとはしていなかった。
今思い返すと最近の山元君はどこかおかしい、雨宮君の言う通り一人で塞ぎこんでいる。
授業中もどこか上の空で休み時間になると余計にその緊張感は増していた、私だってできれば近付きたくないほど怖い、でももうすぐ合宿も始まるし、正直なところ雨宮君に頼まれたというのもあるし先延ばしにするというのは私にとっても好ましくない。
だから……本当はめちゃくちゃ怖いけれど思い切って話しかけた、もう斬るなら斬れ!という具合に思いっきり踏み込んだ。
「あの~山元君?」
「……」
「もしもーし?山元君?」
「……………」
「や、やまもとくん……」
「…………………」
「こ、こうきくーん」
「…………………………」
心が、折れる音がした。
睨まれるくらいなら覚悟はしていたけど無視されるまでは想定していなかった。
あんたはよくやったよと、クラスの子からの慰めがすごく心にしみた。
心が折られて泣く泣く昼食を食べて皆に慰められていて昼休みも残り少なくなった時に、不意にその時は訪れる。
「悪い春乃、なんか話でもあるの?」
掃除時間の少し前、教室に訪れた山元君はいつも通りで安心したけど、2時間くらい前に私が話しかけたことをついさっきの出来事のように尋ねてくる山元君は、きっと私よりも天然だと思う。
3
あの日、梅雨の終わりを告げるかのようにバケツをひっくり返したような雨が降った日から監督に投球禁止を言い渡されて1週間。
今までずっと考えていた、最近やってきたことの全ての意味を。
体幹トレーニング、自重筋トレ、バッティング、遠投、インターバル走、どれも基礎能力と野手としての能力を高めるものでピッチングには大して影響しないもので……むしろどれもきつすぎてピッチングのことを考える余裕なんてなかった。
意図して遠ざけさせているようにも思えた。
2軍のグラウンドで走ってこいと言われたけど延々と走るものではなくマネージャーをつけさせられてのインターバル走と体幹トレーニング(どちらもすごくきつかった)と動的ストレッチに柔軟、自主練なんてやらせねぇぞといわんばかりのと常軌を逸したと言ってもいいほどの過酷なトレーニングメニュー。
それに加え、外野手としてノックを受けた、しかもアメリカノックを集中的に、憂さ晴らしにバッティングが出来たのだけは心の救いだったかもしれない。
そんな一週間を過ごしてようやく、頭が冷静になったというか、落ち着いたというか、ともかく焦りや不安という感情が前ほど強くなくなってようやく冷静にピッチングのことについて考える時間が出来た。
課題は制球、球威、ノビ……まぁ全部、総合的に低い、どれも必要不可欠でなくてはならないものでまだまだ上を目指さないといけないことを再確認しただけだった。
それでもマウンドにいる自分を想像して、思い出して、課題をひたすら洗い出した。
課題、というよりかはどうすればいいのか、どうしたら生き残れるか必死になって考えた。
丹波さんのように現時点では経験も球速も足りていない、降谷みたいに豪速球が投げれる訳でもない、沢村みたいにとびぬけた特殊技能があるわけでもない。
そう考えると自分は、普通の、平均的な投手である。
確かに、高水準での平均かもしれないけれど、グラフ化したときに歪に飛び出るステータスのようなものが自分には欠けていた。
ひとまず、何か一つでもとびぬけたものを磨いていこう、と一通り考えがまとまって心を落ち着けると、そういえば2限目の休み時間春乃に呼ばれていたことを思い出した。
あの時は丁度悪い時の苦い思いを反芻していたせいと少しスイッチが入りかけていたこともあってスルーしてしまったような気がしなくもない。
そういえば少し泣き目になっていたかもしれないと思いだして教室に戻るとどうやらクラスのみんなに何故か慰められている春乃がいた。
「悪い春乃、なんか話でもあるの?」
その問いかけに、安堵したような表情を浮かべる春乃と春乃をもみくちゃにするクラスメイトの謎過ぎる行動を微笑ましく眺めていると昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
昼休みはもうない、この予鈴は昼休みの終了と同時に清掃の時間が訪れを知らせるものでもあった。
幸いなことに春乃とは同じ掃除場所なのであわてることなく話ができる、大した話ではないと思うのだけれど、けれどここまで畏まられるとムズムズするというか、やりづらいというか。
「どうした?何か話でもあるんじゃないの?」
先に耐え切れずに口を開いたのは俺の方だった。
すると春乃は何故かおもむろに深呼吸をし始め、先ほどの発言に後押しされるかのように意を決して春乃は俺を見上げた。
「その、さ。最近思いつめてることとか悩んでることとかあれば私で良ければ話を聞くくらい出来るんだけど……ゴメンね、必要ないよね、何言ってるんだろう私、山元君に失礼だよね、何かの思い違いだよねきっと!」
「そんなに謝るなよ」
それは勇気ある行動だ、俺であればだれかが悩んでいる時にそれに気付いても自分から声を掛けることが出来ない、そんな勇気は持ち合わせていない。
だけど目の前の女の子は勇気を振り絞って言ってくれた、これがもし御幸さんや瑠偉といった野球部のプレイヤーであれば絶対に強がって何もないと言い張っている。
でも、春乃ならまいっか、とそう思う自分もいた。
「ちょっと恥ずかしいから、絶対にこのことは秘密にするって言うなら話してあげる」
「そうだよね、私なんかじゃ全然力になれないよね……え!?」
「まだその話続いていたのかよ」
わしゃわしゃと悪戯で髪を崩すと恨めしそうに睨んでくる、でも本当に久しぶりに声を上げて笑った気がした、そうすると心も体も少しだけ軽くなる。
「で、約束出来る?秘密にするって」
「うん、絶対!」
改めて念を押した、何故なら今から話すのは自分の弱さだから。
春乃に話す、という名目を得て自ら向き合うのだから。
誰にでもいえることじゃない、けど春乃にだけは少しだけ話してもいいと思ったのも俺の弱さなんだろう。
どこから話し始めたらいいのか少しだけ躓いたけれど、緻密に構成されていたパーツがかみ合わなくなったあの日から、1年vs上級生の紅白戦から話し始めることにした。
そこからが始まりだった、納得いかない結果で2軍入りその間1軍で登板させてもらうも結果は思わしくなく、初めて不調の波にのまれていった。
そして遂には投手としての出場機会は貰えず遂には試合にも出れなくなった、それでもなんとかしがみ付き崖っぷちまで追い込まれた。
その経緯を事細かではないにしろ吐き出した、悔しさも不甲斐なさも未熟さも弱さも……全部は流石にプライドというものがあるので避けたが出来るだけ簡潔に要所を抑えて胸の内を吐露した。
ほとんど一人語り、けれども真剣になって親身で一生懸命さに助けられた。
「そんな感じ」
特に大げさに話すつもりもなかったから何気ない一言で話を締めくくる、憑き物が落ちたような気がした。
その間、きっと面白くも何ともなかっただろう話を親身になって聞いてくれて、悔しさできっと顔が歪んでしまった時もあっただろうけどそれでも嫌な顔をすることなく最後までいつものような笑顔で聞いてくれていた。
そのいつものような、ということが物凄くありがたかった。
この時にもし光であればなんて言ってくれただろうと(暫く余裕がなく連絡を取れていなかったからかもしれない)、素っ頓狂な考えが頭を過ったのはどういう原理か定かでない。
けれどもきっと、彼女の前では強がって話せなかったと思う、その点では春乃と話せてすごく助かった。
何故かこの時、不思議と彼女の声が聞きたくなって、あのやり取りがとても恋しくなっていたのはつまらない話だ。
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「片岡監督、それでは決まったのですか?」
「はい、今週の日曜日に花田東高校と試合をすることになりました、稲城実業の成宮鳴と同じく世代№1左腕と呼び声高い大島和希を要する東北の強豪校と1試合できるのはとてもありがたい話です」
「それは選手たちにとっても良い経験になりそうですね、先発はもうお決まりで?」
「ええ、その件ですが、先発は山元虹稀でいこうかと」
「…っ山元ですか?最近調子が悪い山元よりも降谷、もしくは丹波に経験を積ませたほうがいいのでは?」
「もちろん山元が打ち崩されればリリーフさせます。しかし山元を夏どういう起用をするべきか決めるためにも、全国屈指の強豪校相手にどこまで通用するのか見る必要があるのです」
一度バラバラに崩された部品は、一回りも二回りもより強靭に大きく成長し再びあるべき場所に戻ってくる、それは予想よりもはるかに早く未熟なままに。
少年は力を手に入れようとしている、しかしその力が諸刃の剣であることをまだ少年は理解していない、それは一時的なドーピングとよく似ていた。
才能・資質につぶされるのが先か、気付くのが先か。
何れにせよ少年の前にはいばらの道しか用意されていない、入り口はあるが出口は無い、そんなところに少年は足を踏み入れようとしているのだから。
少年は今、大きな扉の前に立っている。
次回は原作にない試合となります、個人的な感覚ではこの試合が終わってようやくプロローグが終わるという感じです笑
調べてみたところベンチ入りメンバーの中に作中特にピックアップされたいない選手が3人もいた……
16番 田中 晋、17番 遠藤 直樹、18番 山崎 邦夫。
ココリコ2人ととほうせい……?
閑話休題
その時は樋笠先輩含め4人のうち何人か退場してもらおうかな……
原作と少し違う展開になるかもしれませんがご了承下さい。
アドレス、意見、感想等あればどんどん送ってください、よろしくお願いします