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【Q,自分の体に合った投球フォームとは、どういうものか】
その質問を初めて聞いたとき、2つの答えがよぎった。
まず1つ目、感覚的に投げていて自分が気持ちいいフォーム。つまりは投げやすい、しっくりくる、リリースの時に指にかかりやすい等々。
大前提として、体に負担がかかることなく、気持ちよくいいボールが投げれるのならそれは自分の体に合ったフォームと言えるだろう。
だがしかし、勝敗が関係するスポーツという事を踏まえると感覚的なことを優先するのは間違いではないけれども、その行動の末に結果に結びつかなければ全くもって意味がないと思う。
だから2つ目は、結果が出せるかどうか。単純に趣味程度のキャッチボールやただ単に速い球を投げたいというだけであれば、このことは全く気にする必要はないけれど、俺に今必要なことはその結果にアウトをしっかりとれるかどうかが非常に大事な問題になっている。
その問いに、もし答えるのならば、少しばかり答えとしては不十分で不的確な返答になってしまうが、そのクエスチョンへの回答は
【A.一番いい結果が得られる動き】
が俺の解答だ。
スポーツを始めるきっかけは憧れや環境に大きく左右される、だから前者の場合は特に理想の、憧れの根源に少しでも近づこうとして1つ目に述べた感覚的に投げていて自分が気持ちいフォームだけを追い求めていると、自分が気持ち良いだけで(それで結果が出れば理想的ではあるけれど)何の生産性もない。
それに一発勝負の夏に文字通り蹴落としてまで戦力として選ばれたというのにそのような態度で臨むのは不敬なことだ。
でも、そんな回答を導き出しておきながらも俺がやれることはまずは感覚に頼ることだった。
「まずはギリギリまで走って来て、体の声を参考にしようと思うんですけど」
朝食を摂り終わり久々のブルペンに入るころにはこの結論が出ていた。
「お前、時々馬鹿になるよな」
「馬鹿とは失敬な、これでもいろいろ考えて行きついたんですよ?体の声に耳を傾けるという事は確かに些か原始的で理性の欠片も無いような奴のやることだと思いますけど、本来人間というものは「そういう御託は良いから。この前改良中といったフォームがあっただろ?花田東とやった時の奴あれでまずは投げてみろよ」」
「でも……あれは結果的には良かっただけで」
結果的には0が並んだけれども内容でみれば良くはない。確かに結果は大事だけれど、内容なんてどうでもいいという訳ではなく、次のステップに上がるにはそこから色々なものを学び直さなければならない。
その点で言えば花田東戦においては味方の援護と運によって生まれた偶然の産物、すなわちゼロの並んだスコアで、反省点しかなく寧ろ良い所は一つもないと思っていた。
「そうだ、あれが結果的に一番良かったんだ。一から作り直すのには時間が足りない、しかし修正前のフォームじゃ物足りない。それなら出来が悪くても将来性のある方を選ぶの俺の判断を間違いだと思うか?」
突如として現れた監督は、相変わらずドスの利いた声で一也さんの言いたいこと説得力を兼ね備えて言う。
「いえ……、はい、わかりました」
急がば回れとはいうものの、回り道が出来る場合と出来ない場合がある。確かに、少し極端過ぎたかもしれなかった考えだけれど、花田東戦の時のフォームではしっくりこないというのが本音だ。
軽くキャッチボールをして体を温めた後、一也さんは立ったままで30球ほど投げ込むことになった。隣ではクリスさんがフォームチェックをかねて動画を撮影しており、横では監督が見ている、しかしながら意外と練習中にこうも注目されると気恥しくもある。
右肩を下げて左肩を上げる、右腕は限界まで脱力し、重心が前に移動した際に肘を上方へ反動を利用して動かす。この時に注意するのは肘より上にボールを持つ手がいかないことだ、あくまで意識的な問題で、実際には平行に近い位置になっているが。
左肩を上げ相対的に右肩が下がった結果、右足に全体重が乗った。その体重を全て、余すことなく前に伝えるためにプレートを思い切り蹴る。踏み出した左足は力の奔流を防ぐために自分の体がある方へ思い切り踏ん張った。
肘か先は頭の後ろで時計の6から12のように時計回りで弧を描き、その時点で前に出ていた肘を支点として弓のようにしなりそのままの勢いでボールは発射された。
ドン、と重い音を立ててミットに飛び込んだ自分のボールは想定よりもボール3個分は情報へ飛んで行ったけれど、勢い、重さ、キレだけを切り取れば以前とは比べ物にならないほどの威力で放たれた。
確かに新しいフォームにしてからは指のかかりがやたらと良くなり、花田東戦を終えると気付いたら中指に血豆が出来ていたほどだったけど、1球を投げただけでここまで明確な熱をもっているのは初めてだった。
それに……
「何を驚いている?」
30球程度投げ込んだ後、まるで心境が聞こえていたかのように、逆に何で驚いているのかがわからないとでも言いたげに監督は言った。
「いや、まさかたった何日間でこんなに変わるなんて思ってもいなくて」
「……40日、これがどういう日数かわかるか?」
「40?いえ、全く……」
「40日間倒れる直前まで走り込んでいただろう。普通なら怪我の一つや二つは可笑しくない、しかし結果、怪我することなく作り上げた強靭な下半身がある以上俺は今の球はとんでもなく酷いボールだと思うが、何をそんなに驚く必要がある?」
「っ!」
然も当然のように、かっこいいことを言うなぁこの監督は。
「だがこの程度ので満足してもらっては困るな……クリス、今の動画を見せてもらえるか?………あくまで、このアドバイスは俺の中の良いと思う事でお前に会っているかどうかは俺にはわからん、だから合わないと思えば無理に修正しようとするなよ」
「はい、もちろんです」
その後いろいろと手ほどきを受けた。主に言われたことは下半身の使い方、発達していた下半身の力を効率よく使えていないのが投げるたびに、修正するたびによく分かるくらいに自分がいかに使えていなかったのかが分かって少し悲しくもある。
上半身の使い方、主に肘の方は今のままでいいとのことらしい。というよりもそこは感覚の問題であるからあまり口を出せないのだそうだ、強いてアドバイスするなら今までよりもリリースを遅くすればいいかもしれないとのこと。
あとは修正前にやっていた背中を一度キャッチャーに見せる形になる動作。原点となっているフォームの特徴の一つなのでやってみるといいかもしれない。
注意されたのはまずは4~6割の力でフォームを固めること、100球越えても問題はないくらいに体にしみこませること。
その後で色々と足していけば大丈夫だと言われたけれども本当に大丈夫なのだろうか?
監督の指導が終わり1時間ほど注意事項を確認、クリスさんにも今のところは問題ないと言われブルペンの後ろ側で休憩もかねて沢村、降谷、川上さんのピッチングを眺めていた。
やはり相当疲れているのか降谷はボールが全然走っていないし、沢村はいつもに増してコントロールが酷い、ただ宮内さんが降谷の時以上に捕りにくそうにしていたのは気になって仕方がないけれど。
「山元、沢村、降谷、今日と明日はブルペンとシートバッティングで調整だ。山元は無理がない程度にフリーバッティングでも投げて良いらしい。ただ投げるときは俺が見張りとして付くがな。土曜日の試合、山元と降谷で投げてもらうから準備しておけよ」
「……!はい!」
「……どっちが先発ですか?」
「ちょっと!クリスさん俺は!?」
「先発は山元だ、降谷と合わせて1試合。沢村は日曜日に川上と二人で1試合投げてもらう、さあ時間はないぞ。あとはどれだけやれるかだ」
「畏まりました!この沢村、クリス先輩の期待に応えられる、否、期待を越えれるように「それではクリスさん、俺は御幸さんと打ち合わせしてきます」」
「ああ、その方がいいだろう」
「あ、僕も……」
「え、降谷はストレートしか投げれないのに打ち合わせに行くの?別にする必要なくない?」
「…………行く」
もっともな意見を言っただけなのにガーンとでも言いそうな悲しそうな顔をしたのはなぜだろうか?真っ直ぐしか投げれない自覚はあっただろうに。
案の定一也さんのところに行くと降谷は散々いじくりまわされた後ブルペンに戻された。捨てられた子犬のような表情をしていたけれどきっと気のせいだと信じたい。
時間はないけれど着実に前に進んでいる実感がようやく湧いてきた。土曜日の試合である程度の手ごたえが得られれば夏の大会までには間に合わせる自信しかない。
今までは中学校のしょうもない成績が心のどこかで誇らしいものになっていた、ただ自分の力を示したいだけの独りよがりな舞台で……はじまりは、天才が俺に吹っ掛けてきた約束だった、今となれば気軽に受けてしまった悪魔の契約のような約束。
それでもあいつは、本気で奇跡にも等しい確率の高校野球をやっている人の誰しもが夢に見るあの舞台の頂点に立つことを踏み台として既に見据えている。
努力の仕方が、覚悟の重さが最初から違ったのだ。最初から目の色が違うなとは思っていたけれども、同じチームになって見えるあいつの動きを、試合に臨む態度や入部当初の宣言を現実にしてしまったすごい奴。
肩を並べる資格もないほど、比較することすら烏滸がましいほどの天才との約束を果たす。
そして大事なことを気付かせてくれた先輩たちを笑顔で送り出せるように、このチームで最後には笑っていられるようにするために、俺は力を手に入れる。
2
6月16日土曜日、青道高校は関西の強豪校大阪桐生高校との練習試合を組んでおり、合宿で疲れた体に鞭を打ち準備に取り掛かっている。
その中で一人、表情は落ち着いており、飄々とした出で立ちの選手だけが他の選手が気持ちを高めて試合に臨むなか、恐ろしく冷静に、物事を俯瞰したような冷めた眼付きで淡々と準備していた。
その選手はブルペンで準備を終えると表情を変えることなく一旦ベンチに戻り、スターティングメンバーの発表まで体を冷やし過ぎないようにしたまま体を休めていた。
普通ならば今頃は彼に声を掛ける選手が多いのだが、今日に至っては誰も話しかけなかった。
昨晩、秘密裏に行われていたミーティングも原因のひとつではあるのだが、それを差し引いても虹稀の纏う空気がいつもとは違った、異質だった、特殊だった。
主将の結城哲也だけはその異変に気付かず「気合が入っているな、いつも通り後ろには俺たちがいるから安心して投げろ」と檄を飛ばす。その返答はいつもと変わらず朗らかで冗談も交えたものだったが、結城哲也が離れた瞬間スイッチが切り替わったように表情は変化している。
他の三年生は緊張もしているだろう、集中したそうだから触れないでおこう。程度の認識だが御幸だけは別の印象を受けていた。
比較的頻繁にバッテリーを組んでいる間柄だからか、ただの感か。本人にもどちらか分かっていないが、今までとは明らかに別人だと考えた方がいいと思考を切り替えてしまう。
言葉に表すなら、不気味なほどに落ち着いている、いつもよりも大人びていると言ったところか。
その様子を知るものが一人だけ、心躍らせてその様子を眺めている。以前とは状況と環境、そして雰囲気すらも違うが、何かとんでもないものが溢れだそうとしている、という比喩的表現でしかない感覚的なものが雄弁に物語っていた。
スターティングメンバー発表が終わり整列を経て、後攻の青道高校は守備位置につく。
こればかりはあくまでじゃんけんの結果により左右されるため先頭打者の倉持洋一と2番打者の小湊亮介はグラブを一旦取りに戻り守備へ向かった。
また、先発投手である虹稀は念のため軽く水分補給をした後で体を軽く解して、軽いダッシュでマウンドへ向かおうとしたところで、悠々とした背中にかける言葉も見つからないまま片岡鉄心は呼び止めた。
その声に呼応して振り返ると、まだ幼さの抜けきらないいつも通りの表情で立ち止まる。
クエスチョンマークが頭に浮かんでいるように小首を傾げるが、用意していた言葉を口にした。
「今日は思いっきり打たれてこい、合宿の疲れもあるし結果は求めるな。思い切り、投げてこい」
変に気負わせないために投げかけた言葉だったが、言い終わった後で悪手だと気付く頃には遅すぎた。
精神的には繊細である虹稀にかける言葉は、そう思う頃にはすでに手遅れで、言葉を選び直す暇さえなく虹稀は強い意思を込めて言い返した。
「この試合に投げさせてもらう以上、全力で臨みます」
気楽に、との思いを込めて言われた言葉は、虹稀にとって「お前じゃまだまだレベル不足だから、胸を借りて経験を積ませてもらえ」という意味に受け取れた。
虹稀には打たれるつもりもこの試合に負けるつもりもない。だが、レベル不足なのは、信頼が足りていないのは否めない。もし、自分がエースであればそのような言葉は選ばなかったのだろうと思うとその悔しさが余計に虹稀に火をつける。が、すぐにその炎に水をかける。
片岡鉄心の言う通り、今日の自分は結果は求めない。だが、必ず次に繋げるための成果は手にしなければならない、それには自分の感情を制御しなければならない。
帽子を深くかぶり、気持ちを飲み込むと真っすぐマウンドへ向かった。
綺麗な傾斜を自分好みに荒らしていく、任されたポジションは勝敗を握る大事な場所、ここに立っている以上結果を無視する事は出来ない。しかし、目的と手段を間違えるわけにはいかない。
だから、達観する・俯瞰する・観察する・把握する、そしてそれら全てを余すことなく自らの糧にする。
始まりの掛け声とともに大きく振りかぶり、まだ噛み合わない歯車を無理やり噛み合わせてボールを投げた。アウトコースに構えたミットとは右側に、真ん中よりに入った甘い球はいとも簡単に捉えられる。
肝が冷えるような打球がファウルゾーンへ飛び込んだ、コースが甘すぎたのが幸いして今回はフェアゾーンへ入らなかったが、一歩間違えば初っ端からピンチを招きかねないあたりだ。
虹稀の表情には内心冷やりとはしたものの表情には一切の変化も見られなかった、心情としてはやっぱりそうなるか、といった乾いた感想程度。
淡々と事実確認を繰り返し、その結果から経験値を汲み取っていく。
御幸が次に出したサインはカーブ、だが首を横に振り拒否した。頷いたサインはストレート。
この試合、コースは御幸が指定するが球種は自分で選んでいいと事前に通達されていたからだ。
─意識を向けるのは自分自身。結果という指標を基に分析、修正、最適化、それのみに没頭する。
再び振りかぶる、今度は別のところに意識を向けて細部が異なる同じ動作を繰り返す。
今度は要求通り外角低めを掠めるようにミットに納まるも判定はボール、御幸は厳しいなーとぼやくが虹稀には一切気にした様子はない。
虹稀にとってはこの試合はただの実験のようなものに過ぎない、フォームを実践の中でより完成に近づけるのが目標であり、上手く投げれたときのボールは大阪桐生という全国屈指の強豪校にも通用するかを試しているのだ。
全体重を乗せ指にかかったストレートはどの程度の威力があるのか、カットボールは、上手く抜けたカーブにどう反応するのかを。
その考えは胸に隠したまま誰にも告げていない、この試合は疲労がたまっている状態でどれだけ投げれるかという監督の意図を知っているからそれならば最大限利用してやると判断したまでだ。
実戦というピリリと痺れる様なプレッシャーと割り切っていながらも、マウンドで投げている以上無様な姿は見せられないという意地、そこから生み出される程よい緊張と最高濃度の集中力が虹稀の成長を急加速させている。
─前よりも更に上手く、更に鋭く、更に迅く、更に効率よく……悉くを凌駕しろ。その先に行くために。
プライドもある、恥じらいもある、悔しさもある、申し訳ない気持ちもある、それでも今は向上心が勝っていた。
だからといって、感情が動かないことは無い、虹稀は気持ちを前面に出すタイプの投手であり現在も様々な感情が激しく渦巻いている。
だが、それらは今はいらないもの、全てを飲み込むように大空を仰ぐ。
大きく振りかぶった、見据えるのは自分自身。ぞっとするような無機質な瞳は大阪桐生の1番打者を簡単に見下ろしていた。
土日のどちらかであと1話投稿します。
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