8回表
成宮鳴をと神谷カルロスを中心に、稲城実業は内外野それぞれが中央へ集まった。
それは稲実のピンチを意味しており、青道高校はノーアウト1・3塁と絶好の機会を作り出すことに成功していた。
7回表に結城の2ベースから送りバントとスクイズで1点を返し、7回の裏には山元虹稀が追加点を許さず、非常に良いリズムを持ち込んだ8回の表に流れを呼び込んだのかもしれない。
先頭打者、左打席に入った倉持が外のストレートをレフト線上に2ベースヒット、続く1番の雨宮はインローのスライダーに三振を喫するが、そのボールは幸か不幸かスパイクにあたり、ボールは大きく逸れ1・3塁を作り出した。
球数は100を越え、疲れが見え始める終盤に追い越されるのは厳しい。
点差のリードがない中で、次の1点は仕方ないのかもしれないが、この1点が明暗を分ける決勝点になり得るかもしれない。
集まった内野陣の元へ、伝令は1点は仕方ないと告げる。
どんな形でも最低1点は欲しい所。
「内野は中間守備、外野は前に出さず長打を警戒。無理せず取れるところでアウトを取っていこう」
「はい、監督も言っていました。最少失点で乗り切れと……」
「ふーん、最少失点ね」
「何か不満でも?」
「つまりさ、0ってことでしょ?こっちは俺が投げてるじゃん、全然問題ないって。さぁ散った散った!」
「鳴、初球厳しく入るぞ。それで向こうの出方を見る」
「わかってるって、しつこ「言わせろ、俺の役目だ」
「とにかく1点はいいからな。バッター集中で3人で終わらせよう」
「わかったよ」
『青道高校選手の交代をお知らせします。2番セカンド小湊亮介君に代わりまして、代打小湊春市君』
『8回表、青道高校は前回に続き絶好のチャンスを作り出しました。ノーアウト1・3塁。そして代打の切り札小湊春市君が打席へ入ります』
『1年生ながら代打成績2打数2安打打率は10割、チームのラッキーボーイ的存在になっていますね』
厳しい夏の大会で、セカンドに居続けた小湊亮介に代わっての代打。兄弟だからと言えば、繋がりはあるものの、現段階での総合力は小湊春市はまだまだ亮介には及ばない。
しかし、本人がこれ以上は無理だと、涙を呑んで自ら告げた選手交代。片岡鉄心も迷いはない。
何れにせよ、どこかで使おうと思って準備させていた。
決めてこい、そう短く告げて全てを託す。
代打成功率100%を誇る小湊春市の1年生らしくない配球の駆け引き、木製バットを使いこなすセンス、そしてそれによる成宮鳴の感情へ大しての揺さぶりを含めた彼の起用だった。
―1年で、木製バット……舐め腐ってんのか、あ゛?
心情とは対照的に、いつもなら激昂していたはずの気持ちは不思議と落ち着いていた。
山元虹稀が成宮鳴に自ずと引っ張られるように、成宮鳴もまた山元虹稀に何かを感じていたのかもしれない。
随分とベース寄りに立ち、デッドボール覚悟の上、アウトコース狙い。そう見せかけたインコースへの誘い。
ストライクは要らないぞ、と原田はインコースにストレートを要求する。
しかし、成宮は首を振った。
―球種、の首振りじゃない……コースの問題か?それならアウトコース……
強く、横に首を振る。
2、3度サインを交換し、ようやく頷きセットポジションに入った。
―1年で木製バット、ベースに覆いかぶさるような立ち位置、インコースに投げて折ってやろうか。なんて思っていると思ったんだが、それを逆手にとった高めのボール球か……
投手としての勘か、勝利への執念か本人すらもわからない。
ただ、頭に血が上る筈の局面で冷静さを欠いていない自分に本人が一番驚いていた。
2-2の同点の場面、1点やれば窮地に追い込まれる場面にギアが上がると同時に知らないうちにスイッチが入る。
己の力を見せつける奔放な投手の姿はそこにはなく、勝利へただ貪欲な、エースの姿。
小湊春市に投じた初球。
―来た!
狙い通りに来たインコース。
だが、小湊春市はバットを振り切るも、かすりもせずに原田のミットに納まった。
『ベースに覆いかぶさるように打席に立った小湊春市君に対して、インコースの強気な攻め、この場面でも成宮君は強気です。そして次は何を投じるのでしょうか!?』
―誘いに乗ってくれる人だと思ったんだけど……
確かに張っていたインコース、だがストライクゾーンを大きく外れた高めの球に小湊春市は振らされた。
狙いどおりのコース、だが打席でしかわからない予想を遥かに超える成宮鳴のストレートが小湊春市の更に上を容易くいく。
それでも彼はスタンスを変えなかった。
再びベースに覆いかぶさるように構えを取る。
―この餓鬼が……まぁ、敢闘賞ってとこだな
次に投じた1球は、外角ギリギリを掠めるスライダー。
ピクリと、微動はしたもののそれ以上の動きを見せることなくボールを見送った。
元よりインコース狙いだった小湊春市は手が出せなかったというのが正しいが。
ミットに収まった瞬間に告げられたコールはストライク、成宮が手を上げさせたとも言える、そのくらいのボールだった。
―今のは仕方ない……
春一は割り切っていたつもりではあるも、心のどこかに初球を悔やむ気持ちが拭いきれなかった。
たった2球で追い込まれ、完全に後手に回ったのは青道高校で、成宮鳴は青道の応援が逆にプレッシャーを感じさせるかのようにたっぷりと間を取る。
嫌がって打席を外すも、成宮鳴が放つ威圧感は寧ろ増したように感じさせる。
緊張の続き、張り詰める空気を切り裂くような素早いクイック。
遊び球は1つもなく、勢いそのままインコースにクロスファイアのストレートが投げ込まれる。
小湊春市にも意地がある、プライドと言い換えてもいいのかもしれない。
チームを背負ってこの場にいることに、負傷してもそれを隠し、ここまで戦力になり続けた兄の代わりに今打席に立っている。
ーパキャッ
と高校野球では聞きなれない嫌な音は、成宮鳴のストレートが小湊春市のバットをへし折った音。
―折られた、けど!
緩やかなゴロがショート正面に転がった。
あわよくばホームゲッツーを狙おうと、ショート白川は前で打球を取るも、倉持がホームへあと数瞬のうちに到達するところが目に入る。
もとより、1点は仕方ないと敷いていた中間守備。
雨宮瑠偉も必死に砂煙と体をギリギリの範囲で送球の邪魔をし、小湊春市も必死に頭から滑り込む。
そんな必死さとを対照的に、セカンド、ファーストへと鮮やかに送球が送られノーアウト1・3塁から2アウトランナーなしへと状況が変わった。
チャンスは消えた。
それでも青道にとってはありがたい勝ち越し点、稲実にとっては痛すぎる追加点として、8回表に追加点「1」が刻まれる。
6-4-3のゲッツーで稲城実業スタンドは僅かに沸くも、塗りつぶすかのような青道ベンチ、スタンド含めた歓喜の渦が神宮球場を埋め尽くしていた。
手痛い追加点を餞に、3番伊佐敷を打ち取り8回を潜り抜ける。
稲城実業のメンバーは、敗戦の色が濃くなる現実を前に、微塵も負けるとは思ってもいない。
土壇場に来て、更なる飛躍を遂げた成宮鳴。
けれども、土俵際に追い込まれて殻を破った彼には、敗北へとつながる可能性の高い重い負債が圧し掛かる。
ギアの入れ替えを上手く行い、体力を温存していた彼だが、良くも悪くも1段階上に知らず知らずのうちに設定が塗り替えられていた。
それに、ここまで来て温存など勝てなければ意味もない。
最高出力は勿論、最低出力も1段階上がったことに当人も確認は出来ておらず、底が見えてきた体力の消耗は更に激しくなる。
5回から投げ始めた山元虹稀とは対照的に、つらい場面を乗り越え、酸いも甘いも知った。
高校最高左腕と謳われる成宮鳴を前に、1点のリードを守り続けなければならない。
それはつまり、山元虹稀含め、青道ナインにとっても重すぎる数字となった。
◇◇123456789
青道10000011
稲実0002000
8回裏
心は熱く、頭は冷静に。
それを心がけて振舞うも、根本的なところで、自分でも驚く程落ち着いていた。
浮足立った最初のイニング、だいぶ慣れてきた2イニング目。そして3イニング目の8回裏、気持ちは落ち着き、飛ばしていた為、体の温まりもだいぶ早い。
充分な休息と疲労のバランスによってか、体の状態が手に取るように理解る。
自分でも気を抜くと制御が出来なくなる程、力に満ち溢れていた。
感覚がいまいち掴めなかったピッチングフォームの核心にようやく触れれた。余計な力が入っていた個所や、リリースポイント、体の使い方の違い。
下半身の力の入れ方、腕の振りと、自分で納得がいくと言い聞かせていた僅かな違和感が取れた今、ようやく結果を振り返る時間が出来た。
完全に集中しきるまで戦っていたマイナス方向の雑念が一切ない。
たった数か月ぶりのことなはずなのに、随分と懐かしい。
電光掲示板の球速表示からすると、球速が急に上がったりするわけではないけれど、キレや伸びと言った感覚的なボールの質というのは大きく違うのが自分でもわかった。
指にかかった真っ直ぐと、中指で引いて親指で押し出したカーブは間違いなく稲実相手にも通用するし、精度も上がっている。
予め練っていた作戦も、上手くいっている。
主にはプレートの位置による投球角度の変化と駆け引きだけで、1回目は完全に抑えることが出来た。
予想以上にあっさりと。
あとは一也さんのキャッチング技術を信頼して、ここぞという時にフレーミングが生きてくれば3巡目も4巡目も、慣れられたところで立ち向かえる。
小細工を使って、駆け引きを使って、ようやく背中に手が届いた確かな感触があった。
あの日遠くに見えていた背中が、思いのほか近い。
高校最高、そう謳われた投手に追いつき、追い越す感覚さえある。
所詮こんなものかと、無機質な感想と少しの落胆だけが残った。
そう簡単ではない。
でも、体を着実に大きくし、強度を維持したまま柔軟性と感覚を失わないようにするだけ。
それだけで、追い越せる。
まぁそれがどれだけ難しいかは自分でもわかるし、成宮さんも成長するから時間はかかるんだろうけれど、近いうちに必ず……。
テンポも思い通り、受け取ってすぐにプレートの右側から見せつけるように左側に移動する。2・3球目はそのまま、最後はサード側目いっぱいに立って、外角を掠めるストレート。
投げた瞬間、アウトがとれる、と確信した。
次の8番打者も、9番打者も、特に苦労はせずに2つ打ち取って8回の稲城実業の攻撃が終わった。
9番の人に、指にかかったストレートを外野まで飛ばされたのが気になるけれど、弱々しい打球だったし良いか。
◇◇123456789
青道10000011
稲実00020000
9回表
俺は、俺自身を最強の投手だと思っているし、それだけの才能はある。
当然、努力を惜しんだことはない。
けれども今、初めて俺に迫れるかもしれない才能を持った投手たちに出会い、短時間で感覚が更に鋭く研ぎ澄まされるのが分かった。
限界だと、極限まで仕上げ挑んだつもりのこの大会。
さっきまで目前で投げていた、急速な成長を遂げる1年生投手の波につられるかのように引きずられる。
文字通り、命を懸けた技術が同レベルで、あとは気持ちの差と運が勝敗を分ける限り限りの勝負。
そして、敗戦が確かに近付き、土俵際に追い込まれた。
それと同時に、拮抗し続ける高いレベルの投手との投げ合いというのが、どれほど実力を伸ばすのか、体感した。
上から目線の投球、舐めていると言い換えてもいいのかもしれないが、その投球はこの試合の後半に入ってからは違っていた。
体力温存のためのギアの入れ替え、4番結城に対して全力で、あとは打たせて取る。
とは言っても、普通に投げて打てるかどうかすら厳しい投手。それだけで十分だった。
これから先を見えて、球数による疲労と質を上げることによる疲労。彼がとったのは後者だった。
4番結城にはこの打席は成すすべなく三振に打ち取られ、5番増子に至っては1球、6番御幸にも2球で片を付ける。
この回僅か7球でイニングを終え、ほとんど休む間もなく山元虹稀を再びマウンドへ引きずり出した。
度重なるヒットの中には、交通事故のような読んでいた球と球種が同じで、甘いコースに入ったボールを打たれる、という事が多かった。
しかし、この回に至っては意図的に甘いボールを、力を込めて投げ込んで打者を圧倒し続けた。
青道高校からすれば4・5・6とチームの軸である結城から始まる好打順だったが、成宮鳴の前にいとも簡単に3つのアウトを重ねる。
熱さと疲労が蓄積し、暑いと文句を垂れそうだったが、相応しくないと喉元で飲み込む。
調子がいい時ほど、ほんの些細な亀裂が大きな罅となって今まで築き上げてきたものが、簡単に崩れてしまうという事を、彼は充分に知っている。
そして、近いうちに山元虹稀にも降りかかるだろうと、希望的な未来を予想して。
いや、そんなことがなくとも
「さぁさぁ、反撃!反撃!この回大事だよ!」
負ける気など一切しなかった。
気休めのような攻略法も通用するかわからない。
少なくとも、この回では絶対終わらないという確信が彼の中にはあった。
◇◇123456789
青道100000110
稲実00020000
9.25
「光ちゃんはさ、どんな恋愛したいって思っている?」
奏虹さんと合流して、夏の日差しを掻い潜りながら神宮球場へ向かう途中、急に飛んできた質問が体温を更に上昇させた。
よくパソコンを使い過ぎると熱くなったりするけれど、そもそも熱さでへばっていた体に、唐突過ぎる情報が流し込まれると、あっという間に脳は動作不良に追い込まれた。
「えぇっ!?急にそんなこと言われても……」
「なになに~?誰か意識しちゃってんの?全くわかりやすいなー。まぁまぁそれは一旦置いといて、誰と、なんて考えなくてもいいんだよ。光ちゃんの思う、普通の恋愛ってどんなものなのかなぁって」
奏虹さんは時折、凄く大人びている。
外見は綺麗で大人びているのに、普段は少女のように無邪気。
こうやって、諭すように言う時は必ず、誰かを思いやっているのかもしれないと、最近になってようやく思い始めた。
最後の方だけ、朗らかの声から鈴のような涼しい声音に変わる。
「そ、そうですね……一緒に他愛もない話をしたり、お祭りに行ったり、出かけたり、とかして、告白があって付き合って、それから一緒に色々なことを楽しむとか、です」
「おぉーなるほど!いいねいいねー。青春だなぁ」
だけど、その一瞬だけだった。
私の思い違いかもしれない。
「急にどうしたんですか!?え、なんか試されたりしています?」
「ん~試している訳じゃないけど、忠告……じゃないや、注意みたいな?」
何が言いたいかわかるでしょ?と伏目がちに悪戯っぽくほほ笑む奏虹さん。
私はたぶん、そんなに出来の良い人間ではないんです。
この気持ちだって、恋か憧れかすら区別がついていません。
正直、これからもっと凄い道を歩んでいく人を好きになったんだと思います。
私より可愛くて性格の良い人なんて、世の中にはたくさんいることくらいわかっているし、本当なら真剣に私のことを考えてくれることすらありがたい事なんです。
でも、私は、忙しいとわかっていても、連絡が来なかったら悲しんで迷惑かけちゃうし、勇気を出した告白をはぐらかされて怒ったり。
奏虹さんの言いたいことはわかります、虹稀さんは他の人に興味がない人だから、私だけ頑張っても疲れるだけだし、何より私が思い描いていたような恋愛なんて、高校生の時は厳しいでしょう。
もしかすると、プロ野球選手になって、もっと時間は無くなってしまうのかもしれない。
「純愛だね、これは。あー尊い……浄化される」
「そんなことないですよ、私って性格良くないんです。他の人に目移りしたり、我慢できなくなったら、同じ星に存在したくないくらいには人を好きじゃなくなるので」
「そりゃあ、大変だ」
ようやく報われそうな思い、けれども心が満たされることは少ないと思う。
それでも私は、この人が好きなんだって。
せめてこの夢が醒めるまでは、好きにさせてください。
唐突な文字数稼ぎの閑話をお許しください。