一般男性VS雪女   作:鴨鶴嘴

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第3話

 私の両親は、富士山の麓という恵まれた土地で、コテージの経営をしていた。この仕事は祖父の代から受け継いだもので、時代の流れと共に周りには新しい建物が増えていったけれど、安全面の問題から数を減らしている、薪を焚べるタイプの暖炉の存在が一定の層に人気があり、今日まで商いが続いている。らしい。

 あまり興味が無かった。

 

 富士山は、日本中の信仰を集めている霊山で、本当に、いろんな人が宿泊に利用していた。私の興味のアンテナはそこで出会う人達に向いていて、長期宿泊のお客さんが暖炉の前の椅子に座って静かに火を見つめているのを見かけると、向かいに座る許可をもらってから、私の知らない世界の、いろんな話を聞くことが大好きだった。

 中学校に通い始めると、私の世界はさらに広がった。美術部に入った私は、いろんな題材を学校でスケッチし、休みの日には身近な『信仰』をテーマにたくさんの絵を描いていた。

 

 三学期の終わり頃、私は『神木』に興味を持った。

 中洲に取り残されたサンダルのようにさり気なく、草原に一つの大木が佇んでいる場所に心当たりがあったので、思い立ったその日の放課後に、いつもは下校を共にする友達と別れて一人で向かった。

 久しぶりに見たこの木には、神様が宿っていると感じる決定的な何かがあった。注連縄があるから、年数を経てるから……ではなく、神々しいまでの生命の息吹きが感じられ、私のインスピレーションを掻き立てる。私はもっと神秘の片鱗に近づこうと、実際に手で触れてみた──

 

 

 禍津神。

 神木は神様の宿のような物だと聞く。けれど、これにはその土地や人に災いをもたらす禍津神をお鎮めする役割もあったのだ。

 

 

 ──私は、禁忌に触れてしまった。

 表現できない恐怖に支配され、泣きながら逃げるように家に戻ると、私の顔を見るや父の顔が青ざめた。

 

「何をしていたのか、話しなさい」

 

 いつもは温厚な父が怒りに震える声を初めて聞いて、私は父との心の距離がいつの間にか遠くに離れているように思えた。取り返しのつかないことをしたと気づいた私は、大声で泣きながら「ごめんなさい」と父に謝り続けた。

 気がつくと、父も泣いていた。先程の態度は決壊しそうな感情を押し殺していたのだと、気づいた私は少しだけ心が温かくなり、勇気を出してあったことを全て父に話したのだった。

 

「お前は何て罰当りなことを……神社に行くから車の前で待ちなさい」

 

「うん……お母さんは」

 

「お父さんは、今から電話をする」

 

 父はそれ以上、何も言ってくれなかった。

 父が電話でアポイントをとっていた神社に到着すると、待ち構えていた神主さんの顔が私を一目みて緊張が走った。

 

「これは……陽の氣が、陰の氣に逆転しています。今、この子に宿って居られますね。私にお鎮め出来るかどうか……」

 

「どうか、お願いします」

 

「やってみましょう。こっちに来なさい」

 

「嫌……なんだか、私行きたくないよお父さん!」

 

 怖い。という感情が、金縛りのように私の足を縫い止めた。痺れるような寒さによる意識と体が乖離していく致命の毒が、私を弱らせていた。

 

「何を言ってるんだ。お前のために」

 

「じゃあどうしていつもみたいに、美咲って一度も呼んでくれないの!?私は私なのにッ」

 

「そんなつもりは……待て!」

 

 父が言葉につまっている間。その間が悲しくて……悲しくて。

 私は弾けるように、当て所なく走り出した。美咲と呼ぶ父の声は端から意味の無い記号になって通り抜けていき、つづら折りのガードレールを跨いだ私は直線的に斜面を駆け下りた。

 

 お母さんに会いたい

「どうしたの?」

 

 お母さんなら

「私がなんとかしてあげる」

 

 いつだって私の味方をしてくれる

「お父さんとは離婚したの」

 

 私を理解してくれる

「お母さん疲れちゃった。だから」

 

 だから……だから

 ・・・・・。

 

 

「ねぇ、何か言ってよ。これじゃあずっと、独り言みたい」

 

 

 

 ◆◇◆

 

「まずは……そうだな。端に寄って地面にうつ伏せて、両手は頭の上で。指を組んでもらおうか」

 

 服を半端に捲り上げさせた上で伏せさせ、より無力化しようかとも思ったが、一か八かの賭けに出られる可能性が怖いので容赦する。

 相手の手札を残したまま、腐らせるのがベスト。とりあえずは様子をみて……と思わせればいいのだ。

 

「……した」

 

 俺の言葉に対し従順な姿勢をみせる雪女。外面菩薩とはよく言ったが、気を抜いた瞬間に夜叉の顔が牙を剥いて喉元に迫るような気がして背に汗を掻く。

 

「悪いね。まず、お互いの要求を一つずつ言い合って折衷案を探ろうか。俺は生きて帰りたい。そっちは?」

 

「お前は、生かしておけない。……だから殺す」

 

 話にならなかった。頭痛が痛い()。

 

「はぁ……もう一度だけ言うけど。お母さんが粉々になってもいいの?君の氷を一度体験した僕だから分かるけど、お母さんはまだ生きてる可能性が高い」

 

「……何を。お母さんは」

 

 ワケねーだろ。自分でやったくせに動揺しやがって。

 

「間違いなく殺した、か?過去を詮索するつもりは無かったんだけどね……思うに、母親が恋しいんだろ?『枕』なんて悪趣味も、人肌恋しさを紛らわす代用品だったりしてな」

 

「私じゃない……私はお母さんを殺したりしない」

 

「そうだ、まだ生きてるからな。俺だけが偶然にも元に戻す方法を知っているんだ。だからさっきも助かった。分かるだろう」

 

 返事を待つが、沈黙が続く。昂った感情が鎮火し、理知的になるのに十分な程度の時間が流れたときだった。

 

「服部ィ……お前の言っていることは全て臆測に過ぎない。これ以上言葉遊びに付き合うのは止めにして、もっとシンプルにしましょうか」

 

 怨嗟を押し潰したような声だった。

 彼女が、ゆっくりと立ち上がる。同時に上げた顔には、片目だけ血のように朱い瞳孔が縦に割れていて。涙が流れた跡を凍てつかせ、白魚のような指で払うとそれは粉になって宙に散った。

 そんな決意の表情を、美しいな、とその時ばかりは見惚れてしまった。俺は負けた試合の棋譜を眺めるように、あのときああしていれば……と、たらればの先の可能性を追い始めて──心が折れていた。

 

「……君が俺を殺すとして。未然に防げれば御の字で、もしも俺が意趣返しに君の母親を粉々にしたのなら、君は俺が君の母親を殺したと開き直るつもりなんだな。さっきはああ言ったけど、コレはもう死んでるよ。君が母親をとっくの昔に殺したんだよ。救える筈がない。……これは呪いだ。今から君に殺されるワケだけど、君の母親を地面に叩きつけて粉々にするのは止すとして、十字架の呪いを君に遺すとしよう。さぁ、日常を取り戻せばいい。この洞窟のように、救いの無い袋小路で永遠に苦しみ続けろ」

 

 長い負け惜しみを言い切って、力なく地面に座り込み、目を瞑る。魔眼の直視と接触が生物を凍らせる条件なのだろう、俺に出来る最後の抵抗のつもりだった。

 

「少しだけ、同情するわ」

 

 ひんやりとした指が顎を這い、スーーッと目元へ延びる。

 

「運が悪かったと──ぅ、ぁ■■■■■■!!」

 

 突然彼女は気が触れたのか、言葉にならない大絶叫を始めて、音で酔ってしまいそうな反響音で洞窟内の大気が揺れた。俺は目を開けると、目の前の彼女が二重に、常の少女の姿と雪女然とした姿に存在がぶれ(?)、終にはそれは二つに別れた。

 

『あら、弾かれちゃった。困ったわぁ……』

 

 腰を抜かしている俺、倒れ伏した黒髪の少女、傍らで見下ろす白髪の雪女の奇妙な構図。

 余裕綽々な雪女が、口を袖で隠して上品に笑った。

 

「幽霊……?なんだよ、これ」

 

『貴方、悪運が強いのね。今のこの娘より貴方の方が魂の親和性、言い換えれば私と波長が合うものだから、この娘の体から引き出されてしまった、といったところかしら』

 

 風に吹かれた綿毛のように、邪気無くふわりと浮いた雪女が近づいて、首に腕を回して纏わりついた。

 

『捕まえた♡』

 

 ゾワリ……瞬間、寒気が走る。

 

「要らないから、帰ってくれ」

 

 ノーセンキューを意思表示して、首に絡みつく腕を解こうとするが、目に見えない斥力が働いているかのように、腕が胸の高さより高く上げることが出来なくなっていた。

 

『冷たいのね。私の好みよ』

 

「雪女ジョーク、滑ってるぞ」

 

『氷みたいに?……氷みたいに?』

 

「二回も言うな。俺を巻き込むんじゃない」

 

 さっきよりずっと、人間みたいな事を言う。温泉でのやり取りみたいに。なんだかそれが、とても恐ろしいことのように感じた。

 

「その子は、どうなる……死んだのか?」

 

『?ああ、居たわねそういえば。死んだわよ』

 

「すぅ……すぅ……」

 

「生きてんじゃねーか」

 

 わざとらしく、興味が無いみたいな口振りに、まだ危機を脱していないことを確信した。憶測だが、フレンドリーに振る舞う雪女に気を許したら、体の主導権奪われてしまう気がする。

 視覚的に、首に回された腕は重なること無く、俺との境界線に阻まれているようだった。

 

『貴方のそういうところが好き、愛してる。その唇に今すぐキスしたい』

 

「は、はぁ?何言ってんだ、お前馬鹿じゃないの?」

 

 言葉とは裏腹に、目に見えて彼女の霊的な腕が俺の体にめり込んだ。

 俺の心チョロ過ぎだろ。ときめくな。Be cool 俺。

 ……まずは、状況を整理しよう。

 

「そろそろ起きろ」

 

「ッ、たい!?」

 

 鬱憤を込めてデコピンを放つと、少女は目を覚ました。

 

「ハッ、早くこいつを殺さなきゃ!」

 

 目覚めるなり俺の足に手を触れて、上目遣いにキリッ!と擬音が聞こえてきそうな視線を飛ばしてくるが、当然何も起きない。小首を傾げる少女。背後で笑う雪女。

 

「簡潔に言う。お前に憑いてた悪霊が今は俺に憑いて体を乗っ取ろうとしている。知ってる範囲で経緯を教えてくれ」

 

「えっ?……ちょっと  えっ?……それって  えぇーーーっ!?」

 

 ムカついたのでまた指を構えると、察したのかサッと両手で顔の前に十字を作る少女。俺が腕を下げると、下がるガード。そこに素早くデコピンを放った。

 

「ッ~~!たいってば!」

 

「お前さっき、悪霊とか関係無くシレッと俺を殺そうとしたのを流してやるから、さっさと話せ」

 

「……起きたばかりで記憶が混乱していてぇー、悪霊の残滓がぁー」

 

「さっさと、話せ」

 

「……はい。じつは──かくかくしかじか──なんです。ぐすっ……私は……とんでもない誤ちを……」

 

 神木に触れたら禍津神に魅入られて、父親と神主がなんとかしようとするが逃走。母親が娘を匿って実家へ逃げ、父親とは離婚したが、そこで問題を起こし、社会からも逃げ、疲れきって心中しようと包丁を握る母親に、殺されては不味いと雪女が母親を凍らせると、不眠症に悩まされ、唯一安らぐ母親を抱いて寝ていたが当然摩耗していく母親に危機感を抱き、代用品を探す枕コレクターになったらしい──というのが、懺悔するように語った少女と、背後で補足する雪女の言葉で浮かび上がった経緯だった。

 

「……うん、うん」

 

 相槌マシーンと化した俺は、この少女の今後を想像し、その救いの無さに絶望し、目頭が熱くなった。

 

「死にたい」

 

 立ち上り、幽鬼のような足取りで歩いていた彼女の手には、いつの間にか包丁が握られていた。母親から取り上げた包丁を近くに保管していたのだろういや今はそれよりも!刃先が喉に狙いを定める。間に合えッ!

 

「来ないで!」

 

 彼女は駆け寄る俺を威嚇するように、刃先が俺の方を向いた。それでも俺は、勇気を持って前に踏み込んだ。

 

「ぁ……どうして」

 

「大人の役目、だからかな?」

 

 半身をずらして脇で挟んだ包丁が、支えを失って地面に落ちた。それを皮切りに緊張の糸が切れたのか、嗚咽混じりに泣きじゃくる少女に胸を貸し、どうすればいいのか分からず俺も泣きたい気分だった。実際泣いた。

 

『……ハハ』

 

 それをただ見ていた背後の雪女のから笑いが、聞こえたような気がした。

 

 ◆◇◆

 

「あー……染みる」

 

「そうですね」

 

「命の洗濯、って感じ」

 

「はい」

 

「朝日が綺麗?」

 

「はい。とても、澄んでます」

 

「みていい?」

 

「駄目です///」

 

 あの後流れで、俺達は秘境温泉での一番風呂を満喫している。俺の目をタオルで覆って縛るという条件で、混浴が成立していた。少しからかったら、初な反応が返ってきて、少し楽しい。おっさんになったな俺。

 

「この後、俺は職場に戻らなきゃいけない。ちょっと歩くが、車が停めてあるから余裕で間に合うだろ」

 

「……そうなんですね」

 

「気のない相槌打ってるけど、他人事じゃないからな。お前はどうする?」

 

「え?」

 

「生活保護を受けるなら、手続きを手伝ってもいい。父親を探して話をしたいなら、それを手伝ってもいい。仕事をして一人で全部なんとかするなら、まぁ、頑張れってなる。それはオススメしないけどな」

 

「……」

 

「考えとけよ、着替え終わったら教えてくれ」

 

「はい。その時は、お願いします」

 

 隣で湯から上がる音が聞こえて、少し言葉が強かったかと反省する。酷だが、現実は最低限にしか優しくしてくれないものだと、分かって欲しかった。

 

「あの、タオルどこですか」

 

「あ、リュックの中だわ」

 

「リュックのどこですか」

 

「手前の大きなファスナー開けたら、多分わかる」

 

「……無いんですけど」

 

 ・・・・・。

 

「そりゃ、今俺が目に巻いてるからな」

 

「ボケカス死ね」

 

「ひでぇ!?」

 

「もういいですよ……」

 

 布の擦れる音が聞こえてくる。もしかしたら、濡れたまま服を着てるのか。

 

「濡れたままだと、風邪引くぞ」

 

「?ああ違います、貴方のシャツで体拭いてるんで、問題無いですよ」

 

「そっか。よくねーよ!」

 

 この後俺は目に巻いていたタオルで体を拭き、シャツを着ないまま車に戻るのだった。

 

「ハクション!…ズズッ…あ、携帯とか荷物を回収するの忘れた」

 

「えぇ……」

 

「いつか取りにいけばいいや」

 

「おい大人」

 

 ◆◇◆

 

『こんなの、登るんですか!うわぁ……下手したら怪我しますよこれ。秘境温泉の為に、頑張ってください!ハハハッ……よし!尚ちゃんに応援されたんで、僕頑張ります!CMの後、米田君に最大のピンチが──打った!いい当たりだ!伸びる伸びる!センター見上げて、動かない!入ったホームラ──キャー!わんちゃんかわいい!なんて種類のわんちゃんですか?』

 

 おま可愛。と思いながらリモコンを置いてテレビを眺め、味噌汁を啜る。今は居候となっている美咲ちゃんが作ってくれた夕食をぼんやり食べていると、視線を感じた。

 

「なに?」

 

「料理の感想、どう?」

 

「うん、いいね」

 

「その口癖やめて、トラウマだから」

 

「ごめん、無意識でつい。美味しいよ」

 

「無意識で?ほーん、具体的な言葉でやり直し」

 

「味噌汁が、いい塩梅だと思いました」

 

「ふ、ちょっと、作文みたい」

 

「マル」

 

「あははっ」

 

 彼女は、父親に会うことを選んだ。父親の経営しているコテージのある静岡県は、近くは無いが遠くもない。ネットで調べ、連絡先をメモに控えて彼女に渡すと、決意の表情で電話を借りると言って、話をしたのが二日前。明日、彼女は父親に会う約束になっていた。

 

「私、明日は頑張るよ」

 

「……本当に、一人でいいんだな」

 

「うん」

 

 今日日の日本では、尊属殺人罪は無い。そもそも、彼女が殺人を犯したと言えるのか、疑問が残る。

 俺は彼女に幾つか逃げ道を提示した。けれど、彼女は父親に会った後に出頭すると決めていた。その気位の高さがあまりに眩しく、同時に悔しかった。

 

『今言わないと、ずっと後悔するわよ』

 

 あれからずっと鳴りを潜めていた雪女の声が、今この時になって聞こえてきた。振り向くと、窓の外では雪が降っていた。

……どおりで寒いワケだ。お蔭様で身が引き締まるよ。

 

 

 禍津神は、災いをもたらす神なれば──

 

 

「やっぱり明日は、俺も行くよ。お義父さんにも会いたいし」

 

「いきなり、どうしたんですか」

 

「一目惚れだった。運命の人だと思った。俺と結婚してください」

 

 

 ──災い転じて福と為すのが人の意志なり。

 

 

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