ViVid Infinity   作:希O望

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初投稿です。
不定期更新になると思いますが、早めに続きを投稿できるよう頑張ります。

12/29 第一話を二つに分割しました。



第一話 出会いと始まり①

 そこは確かに世界の頂点に位置する舞台だった。

 

『さあ! ついにこの時がやってきたぁ! DSAA公式魔法戦競技会主催第26回インターミドル・チャンピオンシィィィップ! 世界代表決勝ぉぉ戦っ!!』

 

 世界中の少年少女が一度は憧れる輝かしい夢の舞台。

 

『選考会から地区予選、都市本戦そして都市選抜を経て、更にこの世界代表戦を勝ち抜けてきた猛者二人がぶつかり合う頂上決戦が今、開幕だぁぁ!!』

 

 会場中から地と空を揺らす程の歓声が轟き、只でさえ高まっていた熱気がオーバーヒートの如く更に燃え上がる。

 

『数多のファイターを下し、全次元世界最強の名を手にするのは一体どちらか!? さあここまで勝ち上がった両選手の入場です!』

 

 実況の声に誘われるように四方に存在するゲートの一つが開かれると同時にドライアイスの白い蒸気が勢いよく噴出する。

 

『まず入場してきたのは、第一管理世界ミッドチルダ代表、超新星(ウルトラルーキー)! ウィィィィッズ・フォルシオォォォォン!』

 

 白煙を振り切り出てきたのはまだ幼さの残る少年だった。夜空を思わせるな黒髪に翡翠石(エメラルド)の様に澄んだ碧眼、緊張しているのか口元は一文字に閉じられ開く気配はない。

 

『超新星の名の通り、ウィズ選手は今大会初出場にして連戦無敗! 今までの試合全てをKO勝利で勝ち進みその勢いは留まることを知らず、ついには世界戦決勝まで勝ち上がった正に神童ぉ!』

 

 ナレーターの紹介と観客からの声援を一心に受けながらもその口元に笑みが浮かぶことはなく、ただただリングに向かって歩み続ける。

 

『魔法戦技を始めて一年という僅かな期間でこの戦績。圧倒的な身体能力と魔法資質を兼ね備え天才的な戦闘センスも持つオールラウンダーとしては正に最高峰の実力者!』

 

 競技場へ続く短い階段まで辿り着き、一度深く深呼吸をした後まるで自身を鼓舞するかのように大きく改めて一歩を踏み出した。

 

『しかし! 何といっても彼の代名詞と言えばその右拳! 頑強な重戦士も俊敏な軽戦士も遠距離から翻弄する射手も全て、悉くを右手から繰り出す一撃【インフィニットブロウ】で捻じ伏せてきた!』

 

 リングに上がった彼は目を閉じ見えない空を仰ぎ見るように上を向いた。

 

『今日も必殺の右腕が唸りを上げるのか! それとも華麗な連撃や魔法を見せてくれるのか! 誰にも神童少年の快進撃は止められないのかぁ!?』

 

 静かに顔を戻せば少年の両目はしかと正面を見据え、そこには一欠片も驕りや油断の色はない。

 

 そして、見据えた先にある少年が入場してきたゲートとは対面に位置する扉がゆっくりと開かれる。

 

『……だがしかし、決して忘れてはならない選手が一人いる。前大会インターミドル・チャンピオンシップワールドチャンピオンにして常勝無敗の絶対王者、第二管理世界トゥールス代表、ネオォォオ・クラァイストォォォッ!!』

 

 その選手が入場してきた瞬間の声援は先の少年の比ではなかった。まるで空気が爆発したかのような圧倒的な声の圧力が広い競技場を揺るがした。

 

『前大会初出場にして他を圧倒する猛進撃で次々に勝ち上がり、ついには世界王者の座を勝ち取った最強のチャンピオン! ウィズ選手の超新星の名は彼から受け継がれたもの。そう、彼も前回の大会では超新星の名を冠していたウルトラルーキーでした!』

 

 紹介されたもう一人の少年は何色にも染まらない純白の髪とあまりにも鮮烈な赫の瞳を持ち、その顔には確かな笑みが浮かんでいる。

 

『ネオ選手のIMでの戦歴は32戦32勝無敗32KO、ウィズ選手と同じく全ての試合でKO勝利を収め、しかも今大会では全試合1RKOという凄まじい記録を残しています!』

 

 ゲートをくぐった直後、膝の動きすら使わないほど地面を軽く蹴りあっという間に一足でリングへと辿り着く大跳躍を見せた。

 

『彼の特徴は全能と言える完全無欠な能力! 一撃必殺の攻撃力に絶対的な防御力、陽炎の如き回避力! 全てにおいて他の選手を圧倒する実力を持つパーフェクトファイター!!』

 

 舞台に上がってもその笑みは薄れずにむしろ深まっていた。目の前の対戦相手と目を合わすと俊敏な動きでブイサインを決める。

 

 対面にいる少年の目元が引きつった。

 

『攻撃全てが必殺と化し、絶対防御で他を寄せ付けず! これまで彼にクリーンヒットを与えた選手は未だ0人! 彼の攻撃を三撃以上耐えた選手も未だ0人という完全無敵の絶対王者が挑戦者の前に立ち塞がります!!』

 

 試合直前の対戦相手に対し十分に失礼な行動を取っておきながらチャンピオンはどこも悪びれた様子もなく、挑戦者の少年に声をかけているようだった。

 

 しかし、彼も会場の声援で打ち消される筈の声を当然の如く聞き取り、これまで強張らせていた表情を緩め、ため息まじりに何事かを返答していた。

 

 どうやら二人は顔見知りの様子であった。

 

 両者は一歩ずつ歩み寄り、中央で相対する。……それまでずっと会話を続けながら。

 

『絶対王者が圧倒的強さで以て大会二連覇を果たすのか! それとも最強の挑戦者がその豪腕を振るい王座を勝ち取るのか! 互いに無敗の二人が今ッ! ぶつかります!!』

 

 相対し最後に一言ずつ言葉を交わすと、互いの拳をぶつけ合い踵を返して所定の位置に戻る。

 

 二人の距離が十メートル程離れた位置、そこがスタートライン。黒髪の少年は視線を鋭利に尖らせ、白髪の少年は更に笑みを深くした。

 

 先程までの熱気と喧噪は何処へ行ったのか。

 

 ――王者(チャンピオン)挑戦者(チャレンジャー)、二人が同時に構えを取る。

 

 万を超える人間が集まっていることが信じられない程の静寂が会場を支配し選手の息遣いまで聞こえてきそうであった。

 

 二人の視線が交差し、呼吸のリズムが重なる――そして。

 

 

 

 ―――――甲高くゴングの音が鳴り響いた。

 

 

 

『さあ始まりのゴングが鳴りましたッ! 試合開始です!!』

 

 試合開始と同時に選手二人が掻き消える程の速度で距離を詰め――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――拳を捻じり込ん。

 

「どひやああああぁぁぁあ!」

 

 瞬間、あまりにも情けない悲鳴が耳に届いた。

 

「―――――あっ」

 

 そして少年の口からも間抜けな声が漏れた。

 

 ()()()()の少年は今の状況を瞬時に理解した。

 

 最近入学した高校の教室、目の前で驚愕と恐怖で顔を歪めた歴史担当の教師、その顔面ギリギリまで突き出された拳。

 

 そうした情報とウトウトと眠気に誘われかけていた最後の記憶が今の状況を明確にさせた。

 

 

 居眠りした自分を起こそうとした教師を寝ぼけて殴りつけようとした、ということを。

 

 

 幸運にも直撃する寸前で夢から覚め、眼前で正拳を止めることはできた。

 

 だが、振るわれた豪腕から発せられる風圧は止めることができなかったし不幸にも中年の教師は()()()()を被っていた。

 

 突風が通り過ぎたかのように鋭い風がそれを掻っ攫い、ぺしゃりと教壇の奥の黒板に叩き付けた。

 

 黒くサラサラしたそれ――カツラが圧力を失いズルズルペシャと地面に落ちた。

 

 静まり返る教室、青ざめへたり込む教師、拳を突き出した形で固まる少年。

 

 彼の寝ぼけた行動が平和な教室にどうしようもない混沌な空気を生み出してしまった。

 

 誰もが動けずにいる只中、件の少年がいち早く混乱から立ち直る。

 

 硬く握りしめていた拳を解き、突き出した腕を引き戻し、流れるようにその手で後頭部を気まずそうに掻いた。

 

「あ、あはは、寝ぼけちゃいましたーあは、は…………すいませんでしたぁっ!」

 

 少年にできたことは素直に頭を下げることだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぷっ、くく、最高だったぜあの陰険親父の青ざめた顔!」

 

「ホントだぜ! わかりやすいぐらい俺らを馬鹿にしてた奴が泣きっ面浮かべたの見てスッとしたぜ!」

 

「しかもヅラがぶっ飛んでぺしゃって地面に落ちてっし、ぶっ」

 

 ぎゃははは、とお世辞にも綺麗とは言えない下品な笑い声が教室の一角から響く。

 

 彼らの話題は先の授業で見せた嫌いな教師の痴態であった。

 

 入学間もない生徒たちから嫌われる程性格の良くない教師ではある。

 

 彼らが通うこの高校は近隣の中でも最低の位置に属する学校なのは間違いない。学力的にも素行的にも。

 

 だからこそここに通う生徒をあからさまに見下してくる教師は確かにいる。

 

「――おい」

 

 そうであったとしても、自分が所業の所為で笑われるのを見て見ぬふりはできなかった。

 

 ビクリと今まで陰口を叩いていた少年らが一様に肩を震わせた。

 

 恐る恐るドスの効いた低い声の主を見てみればこちらを鋭い眼差しで睨みつける少年――ウィズがいた。

 

「別に陰口叩くのをやめろって言うわけじゃねえが、俺のいるとこではやめろ。不快だ」

 

 ウィズも別にあの教師を擁護したいわけではない。むしろ嫌いな類の人間だ。

 

 授業中に教科書にも載っていない難しい歴史の問題をわざと出し答えられなければ嘲笑する。

 

 生徒の何気ない言葉にも揚げ足を取り、素行不良として不当な評価を下す意地の悪い教師であるとわかっているからだ。

 

 だが、自分に非がある行為で、しかも意図しない行為で笑い者にされているのには納得がいかなかった。

 

 これが他者による結果であったなら別だが、自身のせいであるということが気に食わなかった。

 

 まるで自らの行いも笑われているようで我慢ならないのだ。

 

 ウィズの挑発とも取れるぶっきらぼうな言葉に三人の生徒がガタリと勢いよく席を立つ。

 

 そして、片肘を机に着いて睨む彼の元に一直線に向かい。

 

「「「……す、すっんませんしたぁぁぁ!!」」」

 

 三人揃って同時に土下座した。

 

「…………」

 

 同級生たちの大仰な行動に苦い顔で無言になる。

 

(はぁ、まだ慣れねえんだよなぁ、これ)

 

 ウィズは頭が痛くなる錯覚を覚え、額に手を当てて複雑な気持ちを露わにしていた。

 

 始まりはIM(インターミドル)世界戦決勝を終えた直後のことだった。

 

 IMの世界代表戦となれば全世界規模で試合の様子がリアルタイムでテレビ中継され更には特番まで組まれるほどの注目度だ。

 

 その決勝ともなれば格闘技に全く興味のない人間であっても目にし耳にするレベルまで採り上げられる。

 

 昨年、全次元世界の少年が憧れる夢の舞台に出場した彼もまた時の人の仲間入りを果たしていた。

 

 結果として目の前に広がる同級生からの全力の謝罪に繋がっている。

 

「……いや、あれは俺が居眠りしてたせいでもあるしさ。あんま、笑ってやるなよ」

 

「さ、流石ウィズさんっす。あんな陰険野郎のことまで庇うなんて、マジ漢って感じっす!」

 

「ああ、あんな女子トイレ盗撮してそうなキモ親父のことまで考えられるなんて、普通できないっすよ!」

 

「やっぱ実力が世界レベルの人は懐の深さも世界レベルってことっすね!」

 

(庇ってねーんだよなぁ。あと、盗撮してそうってのはちょっと言い過ぎな気もするが……)

 

 ただ単に自分が気に食わないからという理由であって、別にあの中年親父を庇う気はサラサラない。

 

 ――因みにウィズの通うこの学校は男子校であるため女子トイレはごく限られた数しかない。

 

 ウィズはそんな真意を隠し、都合よく解釈した地味に暑苦しい男衆を適当にあしらった。

 

 既にもう放課後の時間に差し掛かっている教室には部活動もなくダラダラと過ごす目の前の暇な連中くらいしか残っていなかったのが幸いだった。

 

 また妙な逸話として語り継がれるなど堪ったものじゃないからだ。

 

 無論、ウィズも部活動に加入していない。格闘技系の部活から熱心な勧誘があったが全て断っている。

 

 男子三人を言い含めた後は家に真っ直ぐ帰らず、何時ものように公共の魔法練習場へ向かう。

 

 何か急ぎの予定がない限りは魔法戦技を始めた二年前から毎日中央部の練習場を回り続けている。

 

 今ではあまりにも顔が知れ渡り過ぎてしまったため、フードを深く被ったりサングラスをかけて街を歩くのが普通になっていた。

 

「レッド、訓練メニュー14番起動」

 

 既に制服からジャージに着替え、人もまばらな敷地内で自身のデバイスに命令する。

 

『イエス、マスター』

 

 赤い腕輪から機械音声が響くと共に微弱な光が点滅する。

 

 するとウィズの足元から円状の魔法陣が発生し、周囲に魔力で作られた球体状のスフィアが浮かぶ。

 

 デバイスと同じく赤色をしたその球体が合計で5つ浮かび上がると身体をほぐしながら淡々と告げた。

 

「まあ、まずはこれだけでいいか。レッド、始めろ」

 

『イエス、ナンバーバレット発射』

 

 こうして何時もの日課は日が暮れるまで続けられる。ただただ寡黙に貪欲に。

 

 絶対に成し遂げなければならない目標に向かって、只管に走り抜いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日も暮れ夜空が広がる時間帯、誰もいなくなった練習場の一角で額に汗を滲ませ、呼吸を整えるウィズの姿があった。

 

「……今日はここまでにしておくか」

 

 終了の言葉と共に今まで展開していた魔法が霧散し、練習場に静寂が戻る。

 

 疎らだった他の利用者の姿も既になく、気づけば練習場には少年一人になっていた。

 

 タオルで汗を拭き、ベンチに置いていた荷物を取るとすぐに帰路に着いた。

 

 彼が今住んでいるのは実家ではなく、中央部の一角にあるワンルームマンションだ。

 

 高校が実家から通うには遠い距離にあることから、高校入学と共に今の自宅に引っ越していた。

 

 そして、クールダウンを含めた帰宅という名のジョギングをしている最中のことだった。

 

「…………?」

 

 思わず駆け足を緩めるくらいには困惑する光景が目の前にあった。

 

(バリアジャケット? こんな街中で?)

 

 目に入ったのはバリアジャケットを着込んだ推定10代後半の女性が電灯に寄り添うように立っている。

 

 大分疲弊しているのか肩で息をし、脂汗が顔に滲んでいる。

 

(声、かけた方がいいのか?)

 

 夜でも人の多いミッドチルダの都市部だが、今居るのは表通りから外れた路地裏に近い場所だ。

 

 この道は自宅までの近道としてよく使っているのだが、こんなことは始めてだった。

 

 一瞬、声をかけようか迷うがとりあえずすれ違いざまに様子を見て決めることにした。

 

 本来魔導士が戦闘や災害救助の防護服として展開するバリアジャケットを着用していることから荒事に関わっているのが目に見えるがまさか倒れられたりでもしたら目覚めが悪い。

 

 もしも、辛そうであったなら救急車くらいは呼んでやろうと単純にそう考えていた。

 

 そして、静かに距離を詰めてすれ違いざまに顔色を窺おうとした直後だった。

 

「……うっ」

 

 苦しそうに呻き声を上げたかと思えば、崩れ落ちるように路上に倒れようとしたではないか。

 

「ちょ、おい!」

 

 思わずといった形で倒れかけた女性の身体を支える。

 

 その反応は流石というもので、半歩斜め後ろにいた彼女に一瞬で目の前まで移動し完璧に身体を受け止めて見せた。

 

 受け止めた瞬間、女性特有の甘い匂いと若干の汗の匂いが鼻に届く。

 

 背丈は彼よりも頭一つほど小さく、支えた拍子にサラリと零れる美しい碧銀の髪が肩を支える腕にかかる。

 

(……こいつ、格闘家か?)

 

 触れた肩の筋肉の感触から目の前の女性が華奢な一般女子とは程遠い身体つきをしているのがウィズにはわかった。

 

 細身ながらも厳しいフィジカルトレーニングを積んでいるのか柔軟性のあるいい筋肉をしている、と彼は反射的に推測した。

 

 そして、もう一つ。バリアジャケットだけでなく強化と変身を合わせた魔法を身に纏っていることも察せられた。

 

 明らかに只事ではない気配をビンビンに感じながらも目の前で倒れられたせいで、無視することも難しくなった。

 

「おい! 大丈夫か? 救急車呼ぶか? それとも管理局に連絡するか?」

 

 もしも彼女が何らかの事件に関わっていた場合、病院と一緒に管理局にも通報しなければならない。

 

 しかし、ウィズは相手が女性であることからあまり深く考えていなかった。

 

 

 

 彼女が事件に巻き込まれた被害者ではなく、事件を引き起こした加害者の方であるという可能性を。

 

 

 

 この時、疲弊した女性――アインハルトはまともな思考を取れていなかった。

 

 格闘有段者であるターゲットを打倒した後、そのターゲットから強烈な一撃をもらっていたせいで頭が朦朧としていたのだ。

 

 そして、今自分が倒れかけたことも正しく認識できていなかった。

 

 故に思ったことはたった一つ。

 

(……………………今の足捌き)

 

 倒れようとした自分が受け止められたと理解できずとも受け止めようと動いた人物の足元は見ていた。

 

 まるで突如目の前に現れたかのような体捌きにアインハルトは直感的にこれだけは理解した。

 

(…………この人は……強いっ!)

 

 

 

「うお?」

 

 ドンと強くウィズの胸が叩かれた。いや、叩かれたというよりは押し返された。

 

 誰に、などわかりきっている。今まで自分が支えていた碧銀の彼女に、だ。

 

「……? おい?」

 

 混乱しているのかと思ったが様子が変だ。

 

 ふらつく足元を無理矢理抑え込むかのように軸足を地面に突き立て足の震えを止まらせる。

 

 右腕を腰に据えるように後ろへ、左腕を正面に上げるように構えられ彼女が臨戦態勢に移ったのは把握した。

 

「…………何してんだあんた?」

 

 しかし、ウィズには助けようとした彼女から戦意を向けられるという突然の事態に上手く現状を把握することができなかった。

 

 ウィズの言葉に反応したのかはたまた無意識なのか、今まで俯き気味に下げられていた彼女の顔が上がる。

 

(虹彩異色? 初めて見た)

 

 街灯の光に晒された相貌はモデルの様に整った美しい顔立ちに若干の幼さを残した愛らしさが見事に調和していた。

 

 まごうことなき美少女を前にして、ウィズがまず目に入ったのは珍しい青と紫のオッドアイだった。

 

 はっきりとした戦意を向けてくる双眼がこちらを見据え、乱れていた息が整えられると徐に口が開かれた。

 

「貴方は、とても強い……私にはそれがわかります」

 

「は?」

 

 告げられた言葉の意味はわかっても意図が読めず怪訝な顔で首を傾げる。

 

 そんなウィズの様子など見えていないのか、碧銀の美少女は静かに腰を落とした。

 

「私の拳と……貴方の、拳……どちらが強いか、確かめさせてください」

 

「あぁ?」

 

(目の焦点が噛み合ってねえ。こいつ半分意識ぶっ飛んでんな?)

 

 ウィズは苛立たし気に怪訝な声を上げながらも相手の状態を正確に把握していた。

 

 そして、把握したのは彼女の状態だけでなく今の状況もだった。

 

 ウィズはどうして目の前の相手が倒れる寸前まで追い込まれているのかが何となく察することができた。

 

(要はこいつ、今みたく強いと思った相手に喧嘩売ってたんだろ。で、ついさっきもドンパチやってたと)

 

 見た目が女の子であるからすっかり騙され最早彼女を助けようという考えなどどこかへ吹き飛んでいた。

 

「おい、悪いが俺はこんな路上で喧嘩を買う暇なんかねーぞ。いいからとっとと家帰って寝ることだな」

 

 完全に興味も失せた彼は拳を握り込むオッドアイの彼女の横を平然と歩き去ろうとする。

 

「……私は」

 

「うん?」

 

 掠れるよう呟かれた言葉に思わず足を止め反応を返してしまう。

 

 そして、それが失敗であった。

 

「私の身体は、間違いなく……強い。それを、証明、証明する……そのためにっ!」

 

 ポツポツと不気味に独り言を呟いていると思った直後、碧銀の少女の足元から緑色の魔法陣が展開される。

 

 正三角形型のその魔法陣は近接系の魔法に適したベルカ式、同時に彼女の右拳に何か圧力らしきエネルギーが集中する。

 

「っ、テメ」

 

 まさか構えも取らないそもそもバリアジャケットも装着していない無防備な状態でも構わず仕掛けてくるとは思わなかった。

 

 左手には荷物を抱え、ほぼ棒立ち状態の少年に対し意識が判然としていない彼女はそれが見えていない。

 

 最早条件反射的に放たれようとしている必殺の一撃がウィズを襲う。

 

「覇……」

 

 腕を引き絞る構えからまるで巨大な投石器の弦を引いているかのような威圧感が伝わってくる。

 

「王……」

 

 間違いなく強大な一撃が振るわれるであろうことが否応にも理解できる。

 

「……断」

 

 しかし、()()()()()()()()

 

「……空」

 

 簡単だが、ウィズは目の前の女が振るおうとしている理不尽に腹が立った。

 

 何故折角気まぐれながらも善意で助けようとしたにも関わらずわけのわからない理由で殴られようとしているのかと。

 

 激しく腹が立って、だから。

 

「――拳っ!!」

 

 真っ向から迎え撃つことにした。

 

 

 

 

 ―――ヴァリッ! と放電とは違うまるで鋼鉄が引き裂かれたかのような破砕音が短く路地裏に鳴り響いた。

 

 

 

 

「オォラッ!」

 

 真っ直ぐ鳩尾に向けて放たれた強烈な直打にウィズの右拳が炸裂する。

 

 ぶつかり合う拳と拳、重く鳴り響く激突の衝撃音と共に二人の間に凄まじい風圧が発生した。

 

 互いの髪がその風に煽られ乱され、路地裏の塵が一斉に舞い上がり転がっていた空き缶が何処かへと吹き飛んでいく。

 

 衝撃は一瞬で終わる。

 

 二人の合間で静止するようにぶつけ合わされた拳に碧銀の彼女は異色の双眼を信じられないかのように見開いた。

 

「そ……そんな……ぅ」

 

「ちょ!? おま!」

 

 そこで力尽きたのか少女の身体から一切の力が抜け、今度こそ本当に路上に倒れ込もうとする。

 

 それを反射的に受け止めてしまったウィズはもう放って帰るという選択肢も取れなくなってしまう。

 

 彼女の容体の変化はそれだけに留まらず、倒れた直後身体が緑色の魔力光に包まれる。

 

「ぬっ、魔法が解けたか、って」

 

 予想通り今まで身に纏っていたバリアジャケットと変身魔法が解けたのだ。それはいい。

 

 問題なのは解けた後の姿がどう見ても10代前半の少女にしか見えなかったことだ。

 

 先ほどの大人の姿から著しく体型が変わり、背丈も骨格も筋肉も、胸部も全て小さくなっていた。

 

 女性、というには余りにも幼く女の子と呼ぶのが最適な小柄な少女になっていた。

 

「……小学生か? マジかよ、魔法で姿変えてるのはわかってたが、中身これかよ」

 

 一部見解が間違っているが、どちらにしろ今の状況は非常によろしくない。

 

 先の強固な防護服に包まれていた姿から可愛らしいフリルの付いた白いワンピース姿になり、大人の女性から子供同然の女の子に変わった。

 

 そして、変身魔法が解けても変わらない彼女の愛らしい外見、むしろ今の方が可愛げが増している分尚危険である。

 

 今の状況は高校生の男子が気絶した年下の美少女を路地裏で抱えている格好だ。

 

 さらに周囲の状態は気づけば先の余波で街灯が罅割れ点滅し、魔力の残滓が色濃く残っている。

 

 見る人が見ればここで攻撃性の魔法を使ったのが丸わかりの状態だ。

 

 非常にまずい予感がひしひしと感じていた。

 

「…………とりあえず、こっちから管理局に連絡した方がいいよな?」

 

 少しでも自身にかかる疑いを晴らすべく自ら警邏隊に連絡しようとデバイスに手を伸ばした。その時。

 

「――君、何してるの?」

 

 背後から突然女性らしき人物に話しかけられ、思わずビクンと肩が跳ねた。

 

 そちらへ顔を向ければ橙色の髪を腰辺りまで伸ばした勝ち気そうな女性が警戒した眼差しを向けていた。

 

(うーん、こりゃあれだ。久々に昔のチンピラ引き寄せ体質が復活してしまったかな?)

 

 とりあえずウィズが今口にすべき言葉は既に決まっている。

 

「誤解です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ、ったく何でこうなるんだ」

 

 あの後、身の潔白を訴えたウィズは意外にもあっさりと信じてもらえた。

 

 しかし、後ほど話を聞かせてもらうかもしれないからと自分の名前と住所、連絡先を求められた。

 

 何故求められなければならないのか、それは相手が執務官だったからだ。

 

 執務官、管理局の中でもエリート中のエリートしかなれない国家資格を持つ検察官である。

 

 主に事件の捜査指揮や法務案件の統括を行うが、一部の執務官は単独で難事件を捜査し広域指名手配犯を逮捕する実力を持つ者もいる。

 

 ある事情からウィズは彼女らの役職がどれだけ凄いのかよーくわかっていた。

 

 だからこそ、大人しく自分の身元を告げた。告げてから気づいた。

 

(ああ、俺前科持ちじゃん)

 

 警邏隊の過去の補導者リストにばっちり名前が載っている筈であり、その前科から再度容疑を掛けられる恐れが浮上した。

 

 後悔しても後の祭り、自分の個人情報をしっかりデバイスに保存され執務官の女性は気絶した碧銀の少女を連れて何処かへ去っていった。

 

 きっと彼女は局の留置所で朝を迎えることになるであろう。

 

 ウィズも何度も経験しているので気持ちはわかる。

 

 そして、またそこに自分もぶち込まれそうな危機に面しているのだがウィズはもう考えるのをやめた。

 

 教えてしまったものはしょうがないし、別に自分は何もやましいことはしていないのだから堂々としていることにした。

 

 自宅に帰った後、ふっきれて清々しい気分のままベッドに入りぐっすりと睡眠を取った翌日の朝のことだった。

 

 快眠から目覚めた後、顔を洗いトーストでも焼こうかと思っていたところデバイスから簡素な電子音が鳴った。

 

「こんな時間に誰から……って」

 

 表示されていたのは知らない番号。タイミング的に十中八九昨日連絡先を教えたお姉さんからか別の局員からだと推測できる。

 

「でないって選択肢はないよな……」

 

 ウィズは昨日切り替えた筈の頭でも寝起きの気怠い気分からどうしても陰鬱な気持ちになってしまう。

 

 しかし、彼は切り替えが早い。すぐに気持ちを切り替え堂々と着信ボタンに触れた。

 

「はい、もしもし」

 

『あっ、朝早くからごめんなさい。管理局本局執務官のティアナ・ランスターです』

 

 モニターに映し出されたのは予想通り昨日出会った執務官の女性だった。

 

 朝早いにも関わらず寝癖一つなく、メイクもばっちりなところは流石の一言である。

 

 しかも画面越しでもわかるほど美人な女性だが、ウィズの中では手錠を持って追い回される可能性のある要注意人物となっている。

 

 少々警戒しながら返事をする。

 

「いえ大丈夫です。それで、昨日の件で何かありましたか?」

 

 本職の刑事に腹の探り合いなど不毛でしかないので単刀直入に聞いた。

 

『ええそうよ、あの後あの子を保護したんだけどこれから警防署の方で一緒に事後手続きを取るの。事情聴取のため貴方も来てくれないかしら』

 

「事情聴取、ですか」

 

 事情聴取と言う名の尋問じゃねーよな? と心の中で思わず呟く。

 

『勿論強制じゃないんだけど、どう?』

 

 あくまでも任意であると強調しながら首を傾げるようにして聞いてくる。サラッと綺麗な橙色の髪が零れる。

 

「……わかりました、行きます」

 

 疑われてはいないようだが、断って有らぬ疑いをかけられるのも面倒だ。

 

 そう判断した故に同行を決意した。何も学校をサボるいい口実ができたとか考えたわけではない。

 

『ありがとう、学校にはこっちから公欠扱いにしてもらうよう言っておくから』

 

「あ、ありがとうございます」

 

 心の中でガッツポーズなどしていない。ウィズは何故か自分にそう言い訳していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、指定された時間帯に言われた警防署へ向かう。

 

「しっかし、署にも久々に来るな」

 

 あまりいい記憶とは言えないが、懐かしい気持ちが湧いてくる。

 

「昔は俺もやんちゃだったなぁ」

 

 まだまだ十代半ばであるのを差し置いて感慨深げに呟く姿には違和感がある。

 

 暫し警防署を外から眺めていたが、すぐに飽きて中へ入る。

 

 警防署に足を踏み入れるなど慣れない人なら緊張するものであろうが、ウィズの場合は慣れたもので飄々と入口をくぐる。

 

 入ってすぐのホールで軽く周りを見渡すが、目的の人物の姿はない。

 

「うーぬ、早く来すぎたか」

 

 ロードワークがてらここまで来たが指定された時刻よりも30分程早く到着してしまった。

 

 仕方がないのでロビーのベンチに座って待っていようとした時だった。

 

「おお? どこかで見た顔があるかと思えば、ウィズじゃねえか」

 

 前方より野太い声がウィズに名指しで声をかけてきた。

 

「お? おやっさん!」

 

 その声に顔を上げれば当時お世話になった中年の刑事の姿があった。

 

 名前は忘れたがその厳つい顔は忘れもしなかった。

 

「何だ何だ? 世界戦代表者ともあろうお方がまーたやらかしたのか? ちょっと洒落にならねえぞそれは」

 

「ちっげーよ……いや、完全に違くはねーけどちげーよ」

 

「おいおい、どっちだよ」

 

 ズカズカと恰幅のある身体を近づけて来る男の表情からはまるで久しぶりに会った甥っ子に向けるような親しみが感じられた。

 

(あ? おやっさんこんなもんだったか?)

 

 目の前まで歩み寄ってきた刑事の身体がそれほど大きく感じなくなっていることにウィズは気づいた。

 

「それにしてもまあ、デカくなったじゃねえか。少し見ねえうちに大分身長も伸びやがったな」

 

 ああ、とそこで改めて自分が昔よりも成長していることを実感する。

 

(そうだよな、デカくなったんだよな、俺)

 

 昔、初めてこの刑事と会った当初は見上げるようにして彼を睨みつけていたものだ。

 

 今や然程身長差もなくなってきていて、対等な目線で話ができている。

 

 過去と現在の違いに感慨深いだけでなくどことなく少しの寂寥感を感じてしまう。

 

「で? 今度はホントになにやらかしたんだよ? ああ?」

 

「やらかしたって、あのさ俺はいつもやらかしてなんかいない。昔っから()()()()()()てんだっつーの」

 

「馬鹿たれ、それをやらかしたっつーんだよ」

 

 ウィズの屁理屈に刑事の男は呆れた顔で吐き捨てた。

 

 悪びれた様子もなくウィズは笑みを浮かべ、腕を腰に当てて堂々とした振る舞いを見せていた。

 

 その姿に頭が痛くなる思いで白髪が目立ち始めた頭部を掻き、疲れたようにため息を吐いた。

 

「まったく、昔から変わらねえなお前はよ」

 

「そう簡単に俺が変わるかよ。今も昔も俺は俺だぜ」

 

 一体全体どこからそんな自信が湧いてくるのだろうか。ウィズのその自信に満ち足りた言葉に刑事の男も思わず苦笑する。

 

「それで? 何があったんだよ、用がなけりゃこんなとこ来ねえだろ?」

 

「ああ、昨日女の子に襲われて撃退した」

 

「やっぱ、やらかしてんじゃねえか!」

 

 と反射的に怒鳴った声は署のロビーに大きく響き渡った。

 

 受付の女性が何事かとこちらを見てきたが、怒鳴った男を見るとすぐに視線を元に戻した。

 

 どうやらこの刑事は普段からこの調子で大声を上げているらしい。

 

「うっせーなー、別に顔面ぶん殴ったわけじゃねえよ。殴られそうになったからその拳を受け止めただけだ」

 

 拳で、という単語は胸の内で呟いた。拳をぶつけ合ったなんて言ったらまた面倒なことになると察しているからだ。

 

「あのなぁ、それなら言い方ってもんがあんだろ……ん? 女の子?」

 

 誤解であったことは伝わったようだが、刑事の男は何か思い当たる伏しがあるのか顎に手を当てて考え込む。

 

「もしかすっとそりゃあ噂の通り魔かもしれねえな」

 

「通り魔ぁ?」

 

「ああ、ここ最近武道の有段者なんかに喧嘩売って回ってる少女がいるって話は聞いてたが」

 

「あー、それかもしれん。強さを証明するのがどうのって呟いてたし」

 

「……お前って奴は昔からどうしてそう面倒事に巻き込まれるんだ」

 

 あっけらかんと通り魔と遭遇したことを告げるウィズに刑事は頭を抱えたくなった。

 

「しかし通り魔か、なるほどどうりで俺が疑われなかったわけだ」

 

 あの場でウィズが少女を暴行したと思われなかった最大の要因がそれだったわけだ。

 

 襲撃者の彼女が最近出没している通り魔だと当たりを付けていたために執務官の女性はあっさりとウィズの主張を信じたのだ。

 

 そう自分の中で納得した。

 

「何だ? 警邏隊にでも引き渡したのか? お前が? 珍しいこともあるもんだ」

 

「いや、俺を何だと思ってんだよおやっさん」

 

「瞬間沸騰冷血馬鹿……」

 

「おいおい短気で馬鹿なのは認めるけど冷血じゃねーよ? 俺って地味に優しいからな?」

 

 刑事の中のひどい人物像にウィズは間髪入れずに反論する。

 

 それを聞いた刑事は白けた目で目の前の少年を睨む。

 

「魔力付与打撃を顔面に百発近くぶち込む奴が何言ってんだか……ん? いやでもそんな報告聞いてねえけどな」

 

 さり気無くとんでもない事実を暴露した刑事だが、すぐに思考は別の事に切り替わる。

 

 昨夜通り魔の少女が補導されたのであれば自分の耳に入っていてもおかしくないのだが、彼はその事実を知らなかった。

 

「あ? 昨日執務官に引き渡した筈なんだが、連絡きてないのか?」

 

「はあ? 執務官? 何でそんなエリート様が出張って来てんだ?」

 

「知らねえけど、張ってたんじゃねえの? 噂の通り魔なんだろ?」

 

 ウィズの言葉にどこか釈然としない気分になりながらも、刑事は彼が嘘を言う人間でないことは重々承知しているので渋々納得した。

 

「まあ、それは置いといてじゃあ今日来た目的はそれか」

 

「ああまあ、事情聴取だってさ」

 

「ふーん、お? 噂をすれば何とやらだ。あれだろ、お前が会った執務官殿は」

 

 ウィズの後方を顎で示す動作に釣られるがままに後ろを振り向くと、入口のゲートをくぐる四人の女性が見えた。

 

 まずは昨日会った件の執務官、ティアナ・ランスターと名乗ったオレンジの女性が目に入る。

 

 次に確認できたのは顔立ちや体格が瓜二つの双子の女性だった。しかし、髪や瞳の色が全く違うのが気になる。

 

 色素以外にも目元を見れば違いが何となくわかる。赤髪に金の瞳を持つ女性は気が強そうで若干吊り上がり、もう一人の青髪青目の彼女は優し気で目尻が少しタレ目気味である。

 

 双子と言っても第一印象は全く別のものになるだろう。

 

 そして最後に、三人の後ろに隠れるように歩いてきたのが噂の通り魔の少女。

 

 相も変わらず美しい碧銀の髪を揺らし、昨夜とは違い真っ直ぐ自らの足で歩んできている。

 

 入口を全員がくぐった時、執務官の女性が真っ先にウィズの姿に気付いた。

 

「ごめんなさい、待たせたかしら」

 

「いえ、別に少ししか待ってませんから」

 

 ここで今来たところですと言わない辺り彼の性格は素直なのか捻くれているのか。

 

 しかし、ウィズの物言いに気にした風もなくティアナは微笑みを返す。

 

 そこで彼女は傍らに立つ刑事の姿にも気が付いた。

 

「お勤めご苦労様です。本局執務官のティアナ・ランスターです」

 

「こちらこそご苦労様です。湾岸第六警防署刑事課長のディミルフです、話はこいつから聞いてますんで思う存分絞ってやってください」

 

 互いに敬礼を返し合い、刑事の大きな手がウィズの頭を捏ね繰り回す。

 

 わしゃわしゃと髪を盛大に乱れさせながらも抵抗一つせずされるがままにされている。

 

 しかし、その目は不快感を露わにし不機嫌なオーラを全身に醸し出していた。

 

 ティアナはそのやり取りに苦笑いを返し、二人のやり取りを見守る。

 

「だがら、俺は何もやってないっつーの」

 

「ははは、そうだったか? いいか、くれぐれも執務官殿を困らせるんじゃねえぞ?」

 

「何だそりゃ、子供か俺は」

 

 刑事の腕を払いのけるとまだまだ子供だろーがと今度は背中をバシバシと叩かれる。

 

 うざったそうに顔を歪めるがやはりされるがままだった。

 

 そんな気安い二人のやり取りを見ている四人の目に気付いたのか刑事はスッとウィズから離れる。

 

「んじゃまあ、またなウィズ。無茶やって身体壊すんじゃねえぞ?」

 

「おやっさんこそ、煙草はやめたみたいだが腰悪くしてるなら激しい運動は控えろよな。もう若くねえんだから」

 

 ウィズの言葉に刑事の男は目を瞬かせる。確かに煙草は数年前に孫が生まれてから吸わなくなったし、最近腰を痛めたのも事実だった。

 

 それを見抜いたウィズの観察眼に素直に感心していた。

 

 いい捜査官になりそうなんだがなーと心の中で願望を吐露しながらも決して口にはしない。

 

 今はたった一つのことしか目に入っていないであろう少年に何を言っても無駄だとわかっているから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刑事課長がその場を去ると、ウィズは改めて女性陣の方へ向き直った。

 

「……とりあえず、初めましてウィズ・フォルシオンです。高校一年生です」

 

 何はともあれまず最初は自己紹介から入った。ティアナ以外の人とは初対面であるからだ。

 

「うん、初めまして。私はスバル・ナカジマ、救急隊員やってます」

 

 まず挨拶を返してくれたのは穏やかな雰囲気の青髪の女性だった。優しく微笑みながらもどこか快活な雰囲気を感じ取れた。

 

「あたしはノーヴェ・ナカジマ、そっちのスバルとは姉妹ってことになる」

 

 続くように名乗ったのは赤髪の女性。推測通り青髪の彼女とは姉妹同士であるらしく私がお姉ちゃんだよーとスバルが呟いている。

 

 話してみると第一印象とは裏腹に話し方は少しぶっきらぼうだが取っ付きやすい印象が持てる。

 

「あたしは昨日名乗ったけど一応ね。ティアナ・ランスターよ、よろしくね」

 

 そして、昨日も会った橙色の綺麗な髪を持つティアナに頭を下げる。残ったのは……。

 

 自然と視線が残った少女へ集まる。

 

 注目が集まった彼女は表情を硬くしながらも前へ出た。

 

St(ザンクト).ヒルデ魔法学院、中等科一年アインハルト・ストラトスです」

 

 背筋を伸ばし、物腰や言葉、礼儀の行き届いた所作から育ちの良さが窺えた。

 

 事情を知っていなければ、とても所々で喧嘩を売っていた襲撃犯には見えない。

 

(てか、中坊だったのか)

 

 彼女の容姿、幼さの残る顔立ちと小さな背に膨らみを感じない胸、だけを見て小学生だと思っていたがこうして改めて相対してみれば相応の風格は感じた。

 

 とりあえず外見だけを見て勝手に判断したことだけは心の中で詫びた。

 

「…………」

 

(……なんか、めっちゃこっち見てるな)

 

 失礼な思考を読まれたわけではないだろうが、碧銀の少女、アインハルトから強烈な熱視線を感じた。

 

 そこには敵愾心とまではいかずとも、穏便とは程遠い気迫が滲み出ていた。

 

 ウィズは面倒事の臭いを嗅ぎ取り、アインハルトのことは意識から外すことにした。

 

「それで、俺はどうしたらいいんでしょう」

 

 この場の主導権は執務官の彼女にあるようなので、そちらに視線を向ける。

 

「そうね、とりあえず受付に話してくるからちょっと待ってて」

 

 ロビー奥の窓口に向かう彼女の後ろ姿を見て、ふと思った。

 

(受付に話通すならおやっさんいたほうが早かったんじゃね? マジで丸投げしやがったなあの親父)

 

 不敵に笑う男の顔を思い浮かべてる間にも物事は進んでいく。

 

 その後懐かしの取り調べ室に案内され昨夜の事実確認を簡単に済ませた。

 

 てっきりティアナに事情聴取されるかと思えばそんなことはなく、刑事課の男性職員が相手をした。

 

 いくら執務官と言えども他所の部署の事件を担当するのは簡単ではないらしい。

 

 ウィズは30分もしない内に解放され、ロビーに戻る。

 

「あっ、お疲れー」

 

 出迎えたのはロビーに設置された椅子に座っていたスバルとティアナだった。

 

 人懐っこい笑みを浮かべ手を振るスバルがウィズを呼ぶ。

 

「はい、これ」

 

 差し出されたのは冷たい飲料水の入った缶。

 

「……ども」

 

 貰えるものはとりあえず貰う主義のウィズは僅かに躊躇しながらもその缶を受け取った。

 

 そして、貰ってから気が付いたのはこれを飲み終えるまでここに留まらなければいけない空気になってしまうことだった。

 

 一気に飲み干すのも格好がつかないので、彼女たちと一つ分の席を離して座る。

 

「ウィズくん、だよね? 君、昨夜アインハルトにその、襲われかけたんだよね?」

 

 決して話し掛けやすい雰囲気ではなかったにも関わらずスバルは身を乗り出して積極的にウィズに話しかけた。

 

(……いきなりファーストネーム)

 

「ええ、まあ襲われかけたというか、殴りかかられましたが」

 

 その気安さというか馴れ馴れしさに少し面喰いながらも表情には出さなかった。

 

「えっと、怪我はなかった?」

 

「はい、あの赤い髪の人とやり合った後だったんですよね? その疲労があったせいか、大したことはなかったですよ」

 

 既にウィズは昨夜の顛末についてある程度の詳細は聞き終えていた。

 

 ノーヴェにアインハルトが喧嘩を売り、それを買われ、激しい戦闘の末アインハルトが辛くも勝利。

 

 その場を去り、逃げようとした道中ふらふらの状態で路地裏を彷徨っていた所にウィズと遭遇した。

 

 実際には一般人なら間違いなく大怪我を負っている程の打撃を打たれたのだが、そこまで詳しくは言わなかった。

 

「その、こういうこと聞くのは失礼かもしれないけど、今回のことで被害届を出すつもりってある?」

 

「スバル!」

 

 いくら管理局の職員とはいえ他所の事件の被害者に対しそれは不躾な質問だった。見かねたティアナが思わず口を挟む程度には。

 

 しかし、ウィズの方は気にした風もない。図太い彼はこの程度のことでどうこう思う性格をしていない。

 

「別に、被害という被害なんて受けてないので届け出を出す意味はないですね」

 

 本当に何も気にしていない様子でしれっと答える。

 

 その答えにスバルは安心したように息を吐き、ティアナは疲れたようにため息を吐いた。

 

「よかったぁ、アインハルトも色々事情があるみたいだしできれば穏便に解決できたらって思ってたんだよ」

 

「はあ、事情、ですか」

 

(どんな事情があれ、喧嘩売られた方は堪ったもんじゃないんだよなぁ)

 

 少し釈然としないながらも、ウィズはそれ以上深入りはしなかった。

 

 相手にどんな経緯があったかなどあまり興味がないことであるからだ。

 

「それにしてもここの刑事課長と随分親しいみたいだったけど、親戚かなにか?」

 

 話の流れを変えるためかはたまた単純な興味なのか今度はティアナの方が話しかけてきた。

 

「いえ、そういうわけでは……何というか執務官さんなら調べればすぐわかると思いますけど昔色々やらかしてまして、おやっさんにはよく世話になってたんですよ」

 

「やらかしたって……」

 

「なになにー喧嘩? 駄目だよ暴力は」

 

 ウィズの言葉にティアナは苦笑いを返し、スバルが便乗するように窘めてくる。

 

「もうしてませんよ」

 

(してないっつーか、昔から絡んできたのを撃退してただけなんだよなぁ)

 

 彼は昔からよく絡まれた。俗にいう不良と呼ばれる上級生、荒れた厳つい大人、そして時には()()()()()の人間など街を歩けば高確率で絡まれた。

 

 理由は色々あるが、一番多かったのは何となくムカついた、無性に殴りたくなったなどとんでもないものだった。

 

 だから、ウィズはその全ての理不尽を自身の拳で打ち払った。負けん気と我が強い彼は逃げる謝るやられるという選択肢は端からなかった。

 

 普通ならどこかで叩き落とされ土の味を知ることとなる。だが、この男、ウィズは普通ではなかった。

 

 彼は本当に全てをその拳で叩きのめしてきた。喧嘩や乱闘で追い込まれたことはあっても、負けたことは一度もなかった。

 

 相手が年上で大人であっても、時には格闘家崩れや魔導士崩れの人間が相手でも、彼はそれらを悉く打倒してみせた。

 

 そんな状況が二年前まで続いていた。インターミドルに出場すると決意したあの日までは。

 

 インターミドルで活躍する内に絡まれることはぷっつりなくなった。無論復讐などといった反撃もなかった。

 

 そもそも復讐などと反抗する意思など露ほども残さぬよう、徹底的に粛清していたのもあるが本当にこれまでは何事もなかった。

 

 なかったのに、昨日の事件である。

 

 ウィズはこれを機に悩ましい絡まれ体質が復活しないのを祈るばかりだった。

 

「まあ、そういう経緯もあるので今日は俺があの子を襲ったと疑われての取り調べかと思ってました」

 

「あはは、なるほど」

 

「でも自業自得よ、それ」

 

 スバルには若干呆れ混じりの笑いをティアナには手厳しい苦言をもらっているとちょうど飲み物を飲み終える。

 

「あの、俺はもうこれでお役御免でしょうか?」

 

「あー、うん、そうなんだけど……」

 

 何か言いたいことでもあるのオレンジの彼女が煮え切らない様子で口を噤む。

 

 そこへ青髪の快活美少女がぬっと顔をウィズの方へ寄せてはっきりと言ってくる。

 

「ごめんね、できればでいいんだけどもう少し待っててくれないかな?」

 

「……はあ、別にいいですけど」

 

 釈然としないが残れと言われるなら残ることにした。学校を公欠扱いにしてもらった手前無下にもできない。

 

 ましてやこれまでの人生で殆どお目にかかったことのない程の綺麗な女性からお願いされたのでは中々断りづらかった。

 

 良くも悪くもまだまだウィズは年頃の男子であった。

 

 言いづらそうにしていたティアナもスバルがはっきり言ったせいか、吹っ切れたように補足をする。

 

「アインハルトがね、貴方に話があるそうなのよ」

 

「話、ですか」

 

(……何だろう、そう言えばさっきもめっちゃこっち見てたな)

 

 つい先程の強い視線を思い出しながらも心当たりは何も見つからないので、その内ウィズは考えるのをやめた。

 

 そうして、スバルとティアナに話題を振られながらその受け答えをしている内に後の二人が戻ってきた。

 

 スバルと瓜二つの女性、ノーヴェと全ての元凶のアインハルトが並んでロビーに出てきた。

 

(ん? 目が赤い? まさか、泣いてた?)

 

 近くまで来るとアインハルトの目元が若干腫れ目が充血しているのが見て取れる。

 

 刑事に説教されて泣く程柔には見えないので、何か別の要因があったのだろう。

 

「悪い、ちょっとこいつと話し込んでて遅れた」

 

「すみません、ご迷惑をおかけしました」

 

 ノーヴェの気まずげな謝罪と共にアインハルトが丁寧な動作で椅子に腰かけた三人に頭を下げる。

 

 それに対しスバルとティアナは気にしてないと告げ手を振った。

 

 反対にウィズはどう対応すればいいのか反応に困り、とりあえず何も言わずにじっとしていた。

 

 ゆっくりと頭を上げたアインハルトはそのまま流れるようにウィズの方へ視線を固定した。

 

「ウィズ・フォルシオンさん、でしたよね」

 

「……ああ、そうだが?」

 

 これまで年上の大人を相手にしていたため敬語にしていた口調を、アインハルトに対しては崩している。

 

 変身魔法を使っていた初対面の時はともかく今は既に彼女が年下の中学生であることがわかりきっているからだ。

 

 ウィズの丁寧な態度はあくまでも尊敬できる大人相手にしか出さないのだ。

 

「差し出がましいことだと思いますが、貴方にお願いしたいことがあります」

 

「……なんだよ?」

 

 アインハルトは青と紫の虹彩異色の瞳をウィズに張り付ける。

 

 まるで凄まれているかのような迫力にウィズは反射的に眉間に皺を寄せて睨み返してしまう。

 

 そんな二人の合間に流れ始めた不穏な空気に周囲の大人三人、特にスバルがあわあわと不安そうに視線を両者に送る。

 

 時間にして殆ど一瞬の間であったのだが、この場の人間にとっては妙に長く感じられた間だった。

 

 そして、アインハルトの小さな口が開かれる。

 

「私と、一戦交えてもらえませんか?」

 

「…………は?」

 

 彼女の言葉にウィズは翻弄されてばかりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウィズ・フォルシオン、かぁ」

 

「ん? ティアどうかしたの?」

 

 あれからウィズを見送り、アインハルトを学校まで送った後の車内でふとティアナが呟いた。

 

「いやね、実は最初に名前を聞いた時からずっと頭に引っかかってるのよ。どこかで聞いた名前だなって」

 

「あいつ何度か警邏隊のお世話になってんだろ? どっかの容疑者リストに載ってたとかじゃねえの?」

 

 ティアナの疑問に後部座席に乗っていたノーヴェが投げやり気味に答える。

 

 その言葉にスバルが助手席から身を乗り出して抗議する。

 

「えー、ティアが追ってるのって凶悪犯罪ばっかだよ? そんな大きな事件の関与を疑われる子じゃないと思うけど」

 

「例えばの話だって例えばの」

 

 姉妹二人があーだこーだと賑やかなやり取りをしている横でティアナは運転しながらも晴れない疑問に頭を悩ませる。

 

(ここまで出かかってるのよねー)

 

 もう少しで何かを思い出しそうな予感がするのだが、最後の一押しがない。

 

 狭い車中で始まった姉妹の言い合いも相まってイライラが募る。

 

「あーもう! スッキリしない!」

 

 とりあえずティアナがまずしたことはヒートアップしている姉妹を沈静化させることだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウィズが感じたアインハルトの印象はひどく頑固な性格の持ち主ということだ。

 

 あの後、何故一戦交えなければならないのか聞くとこう彼女は答えた。

 

『貴方は強い、私が出会った人の中で一番と思える程に』

 

 だから? と先を促すと。

 

『だからこそ、私は貴方に勝つことで自分の強さを証明したいのです!』

 

 ウィズは頭を抱えたくなった。なんだその無茶苦茶な理屈は、と。

 

 しかし、ああしかし、ウィズにとってその理屈、感情はよぉくわかる想いだった。

 

 何故なら彼にもどうしても倒したい相手がいる。絶対にこの手で打倒したい相手がいる。

 

 自分程の執念はないだろうが、アインハルトのその気持ちもわからなくはなかった。

 

 わからなくはないが、かと言って戦うとなると話は別だ。

 

 ウィズは渋った。断りたいがなまじ共感できる分率直に言うのも忍びなかった。

 

 そんな彼の態度を見て、アインハルトは詰め寄るように嘆願した。

 

『試合を受けてくれるのであれば、私ができる範囲の事ならなんでもします! だから、お願いします私ともう一度拳を交えてください!』

 

(年頃の女の子が、年頃の男になんでもしますとか言わない方がいいと思うんだ)

 

 彼女の迫力と熱意、そして誤解されかねない大胆な言葉に圧され、思わず頷いていた。

 

 ウィズは自分の未熟な精神を戒めるように深く反省したのだった。

 

 そして放課後の時間帯、彼は渋々約束した場所へ足を向けることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、高町ヴィヴィオは友達のリオとコロナと共にある場所へ向かっていた。

 

 ある場所とはヴィヴィオが師事している人物から紹介したい人がいると教えられ、その待ち合わせ場所だった。

 

「ノーヴェ!」

 

 指定されたカフェの一角に自身の格闘戦技の先生の姿を見つけると甲高く大きな声で呼びかける。

 

 そこにはノーヴェだけでなく数多くの知り合いが集合しており、一気に賑やかになった。

 

 ノーヴェの家族のスバルに、その友人のティアナが同じテーブルに腰かけていて、隣のテーブルには同じく家族のチンクにディエチとウェンディ、聖王教会所属の双子のディードとオットーまでいた。

 

 その賑やかさに頬が緩みながらも、ヴィヴィオは今日紹介してくれる人のことを聞いた。

 

 自分と同じ年頃の女の子にして虹彩異色、それに加え古流武術を扱う格闘家とくれば更にテンションも上がってくるというものだ。

 

 なにせヴィヴィオも紅と翠の瞳を持つ虹彩異色、そして格闘戦技を修める格闘家の卵だ。

 

 思わぬ共通点に知らず知らずのうちにこれから出会う人へ思いを馳せる。

 

 そして、もっとその人のことを聞こうとする内に彼女は来た。

 

「アインハルト・ストラトス参りました」

 

 その場の全員が思わず聞き入るような綺麗な声、真っ直ぐと姿勢を正し気品を感じる美しい佇まい、そして見入ってしまうほど透き通った青と紫の虹彩異色の瞳。

 

 艶のある美しい碧銀の髪を持つ少女がこの場に立ち入った瞬間、空気が変わったように感じた。

 

 それくらい存在感のある小さな少女にヴィヴィオも同性でありながら暫し見惚れてしまった。

 

(私が男の子だったら今一目惚れしちゃってたかも、なーんてね)

 

 そんな冗談を心の中で呟きながら、ヴィヴィオはアインハルトと初対面を果たした。

 

 互いに握手を交わし、簡単に名乗った後互いの自己紹介も兼ねて手合わせをしようという話になった。

 

 しかし、すぐに近くのスポーツセンターに向かうのかと思えば、そうではなかった。

 

「どうかしたのノーヴェ?」

 

「ああいや、実はもう一人いるんだよ。ここに呼んでる奴が」

 

「え? もう一人いるの?」

 

 てっきり今日はアインハルトのみ紹介されるのかと思っていたが、どうも違うらしい。

 

 首を傾げるヴィヴィオにどう説明したらいいか迷っている様子のノーヴェが頭を掻く。

 

「うーん、お前らに紹介するためというか、アインハルトの都合というかだな」

 

「??」

 

 煮え切らないノーヴェの言葉にヴィヴィオはより一層首を傾げた。

 

 思わずアインハルトの方を向けば、彼女も気まずそうに佇むばかり。

 

 少しばかり場の空気が混乱しかけたその時、一人の人物がその場に入ってきた。

 

 

 ヴィヴィオはきっとこの日の出会いを一生忘れることはないだろう。

 

 

「少し遅れました、かね? ……ノーヴェ、さん」

 

 フードを深く被ったジャージ姿の男性、だろう。顔は見えずとも体格と先の低い声が男の人であることを物語っている。

 

「おっ来たか、いやちょうどいいタイミングだ」

 

 突然声をかけてきた男性に一瞬警戒する空気が流れたが、ノーヴェそれにスバルやティアナが好意的な表情を浮かばせているのを見てそれも解かれた。

 

 ヴィヴィオも信頼する先生が応えたことによって、すぐに気を緩める。

 

 改めてその男性のことを観察する。

 

 深く被られたフードによって顔は見えないが、体格はかなりしっかりしていると見て取れる。

 

 背は見上げるほど大きく、肩幅も広く立ち姿に一切のブレがない。

 

 アインハルトも背筋をピンと伸ばした乱れのない佇まいではあるのだが、彼のそれはまた別格に感じられた。

 

 あまり年上の男性と交流の少ないヴィヴィオにとっては無意識のうちに警戒心が湧き出てしまう。

 

(なんか、怖い感じがする人だな。……でも、今の声どこかで)

 

 記憶の片隅に何かがひっかかる感じを覚えるが、それが何かは思い出せない。

 

 モヤモヤしていると彼は一歩二歩進み、アインハルトの前まで歩み寄った。

 

「……とりあえず来たぞ」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 どこか疲れたように言葉を話す男に対して、アインハルトが頭を下げる。

 

 ヴィヴィオはその瞳に並々ならぬ執念のような強い意志を感じ取る。

 

 どうやら二人の間には何か因縁のようなものがあるらしいとヴィヴィオは読み取った。

 

 皆の視線が彼に集中する中、一つだけ誰もが気になることがあった。

 

 少し時間を置けば自然と解決することだと思っていたが、一向に彼はある行動を取らない。

 

 そう、顔を覆うフードを取る気配が一向にないのだ。

 

 再び剣呑な雰囲気が漂い始めた場の空気にヴィヴィオは困惑した。

 

 剣呑と言っても主にその空気を醸し出しているのはディードとオットーの双子である。

 

 どうやら彼の姿勢を無作法と感じているのか眉間に皺を寄せ不機嫌そうに顔を歪ませ始めている。

 

 その二人の気配を感じ取ったのかノーヴェが慌てた様子で口を開いた。

 

「なあ、そのフード取れない理由でもあんのか?」

 

 ノーヴェの指摘に僅かに動揺した様子の男がキョロキョロと辺りを見渡す。

 

 その何かを警戒しているかのような行動に知り合いらしきノーヴェやアインハルトたちも戸惑い気味に見ていた。

 

「…………」

 

 そして僅かな逡巡の後、意を決してフードを取る。

 

 まず見えたのは黒い髪、短く切られた髪はそういったことに無頓着なのか余り整えられていない。

 

 だが一番目を引いたのはヴィヴィオの片目と同じ翡翠の瞳。ヴィヴィオのそれよりも濃くそれでいて強く輝くその瞳は彼の意志の強さを物語っているかのようだった。

 

「ふーん、まあまあイケメンっスね」

 

「……ウェンディ」

 

 場の空気を和ませるためかもしくはただの天然か、能天気に茶々を入れるウェンディをチンクが窘める。

 

 ウェンディが言った通りエリオやユーノたち知り合いの男性陣と違って誰もが頷く美少年であるわけではない。

 

 だが、決して悪くはない。精強でどことなく愛嬌の残った顔立ち、何より強く鋭い翡翠の瞳を魅力的に感じる女性はいるだろう。

 

 それでも日頃美形で美男な男性と接する機会の多いヴィヴィオにとって一目で特段惹かれる要素があるわけでもなかった。

 

 

 ――彼が知りもしないごく普通の一般人であったのなら、であるが。

 

 

「―――――」

 

 ヴィヴィオの思考はそこでストップした。

 

 フードの下を見た瞬間、ヴィヴィオは完全に固まり次いで止まっていた反動か思考が一気に混乱の域に達する。

 

(え!? え? え? え? えぇっ!? 何でぇ!? どうして!? どうしてこの人がこんなところにぃ!?)

 

 目まぐるしく困惑が頭の中をグルグルと駆け巡り、思考のループに陥いる。

 

 そんな彼女の慌てぶりに気付くこともなく、少年は遅れた自己紹介をする。

 

「失礼しました、ウィズ・フォルシオンです。高校一年です」

 

 非礼を詫びるように頭を下げる姿に双子の怒気も下がっていく。

 

「ったく脅かしやがって、何だ? 実は結構人見知りするタイプか?」

 

「……いえ、そういうわけでは」

 

 無駄に場の空気を悪くしたことを自覚しているのか、眉を伏せどこかはっきりしない態度で言葉を濁す。

 

 ノーヴェも短い時間でしか彼と接していないが、もっと物怖じせずはっきりとした性格だと思っていた。

 

 しかし、今のウィズは歯切れが悪くばつの悪そうに視線を反らしている。

 

 どうやら何か言いづらい理由があるようだが、ノーヴェはそれを聞くのはまた後でもいいだろうと話を変える。

 

「じゃあ、揃ったことだし移動すっ……」

 

「……ィ……ッ」

 

 話を変えて場所を移そうとした時、近くにいた少女の口からか細い言葉が漏れるのを耳にする。

 

 思わず言葉を止めてそちらを、ヴィヴィオの方へ顔を向ければ彼女は瞳を大きく見開いて一点を見つめている。

 

 その視線の先にいるのはウィズただ一人であり、それ以外に注目する何かは存在しない。

 

「ウィ……ウィ、ウィウィ……ッ」

 

「ヴィ、ヴィヴィオ?」

 

 わなわなと震えながらまるで壊れたラジオのように同じ単語を発し続ける姿にノーヴェは戸惑い気味に彼女の名前を呼ぶ。

 

 ヴィヴィオはその呼びかけが全く耳に入っていない様子で、震えながら片腕を持ち上げてウィズを指差す。

 

「ウィ、ウィズ選手ーーーッッ!!!」

 

 少女の甲高い、悲鳴にも似た絶叫が街のカフェの一角に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「本物だぁーー!!」

 

「本当に? あの超新星のウィズ選手?」

 

 次いで別方向からも少女の叫びが聞こえてくる。

 

 最初に叫んだ女児と同年代らしき少女らがウィズを見て、そのクリクリな瞳を大きく見開いて見つめていた。

 

(おい、ちょっと声がでけえぞ)

 

 その少女らの喧噪に対しまずウィズが取った行動は急いで周りを見渡すことだった。

 

 幸いにもカフェにいた他のお客はこちらを怪訝そうに見るだけで、野次馬特有のぎらつく眼つきに変わることはなかった。

 

 カフェに接する歩道に歩く通行人はこっちを見向きもしていなかったので、どうやらこれ以上の騒ぎに発展することはないようだった。

 

 それに一旦胸をなでおろすとようやくこちらを指差し口をパクパクさせている少女に向き直ることができる。

 

「あのウィズ選手ですよね! ウルトラルーキーで、ミッドチルダ最強の、インフィニットの!!」

 

「オーケー落ち着け、いいからちょっと落ち着け」

 

 興奮冷めやらぬ様子で一気に距離を詰めてきた金髪オッドアイ少女の圧力に押されながら両手で彼女を制す。

 

 キラキラと、それはもうキラッキラに輝いてる少女の瞳が凄まじい圧を感じさせるがどうにかテンションを下げてもらいたかった。

 

 今は大丈夫でもこのテンションで騒がれ続けた場合、過去の二の舞になるやもしれなかったからだ。

 

 あんな経験はもう真っ平だと心に誓っているウィズは必死に女の子の高揚した気分を鎮める。

 

「ああそうだよ、そのウィズだよ。わかったなら一旦落ち着いてく」

 

「本物ッ! 本物のウィズ選手なんですね!」

 

(……おい、増えんなよ)

 

 一人でも御しきれていないのに隣からもう一人の女子小学生が同様に高いテンションで現れる。

 

 藍色の髪と大きく開けられた口から見える八重歯が特徴的な女の子が頬を紅潮させて詰め寄ってくる。

 

「本物だよ、君らちょっとマジで一回深呼吸」

 

「あのっ、あ、握手してください!」

 

(……増えんなっつの、だから)

 

 更にもう一人、先ほどの少女を押し切るような形で片手を差し伸ばしてきたクリーム色の髪を持つ少女。

 

 二人よりも一層顔を赤くした利発そうな少女が割り込んできたことでもうどうにも収集がつかないことを察した。

 

「…………」

 

 縋るように保護者であろうノーヴェやスバルとティアナの方を見遣る。

 

 その三人も今の状況を把握できていないようで困惑した様子で三人娘の取り乱しようを見つめている。

 

「……と、とりあえず場所移すか?」

 

 今はその提案に頷くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所を移して、近くのスポーツセンターにある控室に移動した一行は改めて状況の確認をしていた。

 

「あー、チビ共いい加減落ち着けよ。こいつも困ってんだろ」

 

 ノーヴェは一旦場所を移しても興奮冷めやらぬ様子のヴィヴィオたちを窘める。

 

 師からのお咎めに元気いっぱいだったチビっ娘たちは一旦冷静になったのかシュンと肩を落とす。

 

 しかし、それも次のノーヴェの不用意な発言により無意味と化す。

 

「ったく、こいつそんなに凄い選手だったのかよ」

 

 ガバッと申し訳なさそうに頭を垂れていた少女らの首が上がり、熱い興奮が再燃焼する。

 

「ノーヴェ知らないの!? ウィズ選手だよ! ウィズ・フォルシオン選手!」

 

「去年のIM(インターミドル)男子の部で初出場にして世界戦準優勝したウルトラルーキーですよ!」

 

「あの最強のチャンピオンを唯一追い込んだミッドチルダの代表選手です!」

 

 金色の髪の一部を結び短めのツーサイドアップにしたオッドアイの子、頭に着けた大きなリボンが特徴的な八重歯の快活そうな子、クリーム色の長髪をキャンディ型の髪止めで二又に分けおさげにしている真面目そうな子。

 

 その三人が一気に赤髪の女性に殺到する様は並大抵の迫力ではなかった。

 

 因みにウィズは準優勝の部分で目元を僅かにヒクつかせていた。

 

「わーった! 悪かったよ、男子の方は地味だって聞いてたから女子の方しか気にしてなかったんだよ!」

 

 自分の胸元程の身長しかない女児たちだが、大きな目を目一杯広げて迫って来る姿には普段は勝ち気なノーヴェも引き気味だった。

 

 そしてノーヴェの言うことも間違っていない。

 

 インターミドルだけでなく次元世界に広まる格闘技の主役は男ではなく女性なのだ。

 

 そもそも昔からの慣習で性差で分けられてはいるが、魔法戦技が盛んな昨今男女の実力に大きな差は存在しないのが現状である。

 

 いや、寧ろ男子の方が劣っている傾向にあるのが真実だ。

 

 格闘技を観戦する上で、試合の派手さや迫力が男女ともに同等であるとしたら、どちらを見たいと思うだろうか。

 

 むさ苦しく汗臭い男の試合と可憐で美麗で華やかな女子の試合、どちらが人気があると思うだろうか。

 

 後者、絶対に後者、圧倒的に後者である。

 

 愛らしい少女たちが汗を流し、互いに鍛え上げた肉体と磨き上げた技術をぶつけ合う姿に興奮しないわけがない。

 

 故に現在の男子格闘技は寂れていた。女子と違って殆どの選手が美形というわけでもないのだから、忘れられていても仕方がないのだ。

 

 インターミドルの予選でも女子の会場では満員の大歓声、男子の会場では閑古鳥が鳴くのは最早通例である。

 

「確かにあんまり注目はされてなかったけど一昨年から、ううん去年からは違うんだよ!」

 

 その男子格闘競技会の現状を端的に代弁したノーヴェに金髪の少女が食って掛かる。

 

「前回のインターミドルに彗星の如く現れた超新星!」

 

「並み居る強者を抜群の身体能力と緻密な魔力制御を駆使してバッタバッタと薙ぎ払い!」

 

「都市本戦出場を果たし、苦戦を強いられながらも都市選抜の上位選手に見事KO勝利! 夢の世界戦代表選手に選ばれました!」

 

 金髪のチビっ娘を筆頭にまるで打ち合わせしていたかのような息の合いようで三人娘がウィズの戦績を褒め称える。

 

「そして何よりも特徴的なのが右腕から放たれる一撃必殺の豪腕快打、その名も……」

 

 そこで一瞬のタメが入り、三人娘が飛び上がるように叫ぶ。

 

「「「インフィニットブロウッ!!」」」

 

 びしっと突き出された三人の小さな拳と熱狂的とも取れる姿勢に一歩後ずさりながらノーヴェが当の本人を見る。

 

「…………」

 

 そこには複雑そうな表情で明後日の方向に顔を背けているファイナリストの少年が居た。

 

 周囲の大人たちも皆一様に反応に困っていた。知人であっても彼女らの変わりように少なからず驚いているようだった。

 

 その中でもいち早く正気に戻ったのはエリート執務官たるティアナだった。

 

「……って、IM世界戦準優勝ってとっても凄いことじゃない!?」

 

「そうっス! それって世界で二番目に強いってことじゃないっスか!」

 

 ティアナの言葉を筆頭に改めて目の前の少年がとんでもない戦績を残した格闘家であると認識する。

 

 因みにウィズは準優勝とか二番目とかの単語に目元と口元をヒクつかせていた。

 

 周囲が沸き立つ中、アインハルトは改めて若干気まずそうな表情をしている少年を見る。

 

 たった一合拳を交えただけだが、その時感じた拳から伝わる圧倒的強者の気配に間違いはなかった。

 

 三人娘の賛美の声を聞き、ウィズの実力の裏付けが取れたことによって尚一層彼との再戦に意欲が湧いてきた。

 

 そんなアインハルトからの強い視線を感じながらも、ウィズは気づかない振りをして明後日の方向を見続けた。

 

(……なんかやる気になってるし)

 

 彼女の眼差しに込められた圧に例え戦う理由を聞いていても反応に困っていた。

 

「それでノーヴェ! どうしてここにウィズ選手がいるの!」

 

「いや、それは、たまたま知り合った縁で来てもらったんだよ……」

 

 どこか歯切れの悪いノーヴェの言葉にウィズは何となく事情を察する。

 

(成程、あの子が通り魔してたのは内緒の方向でいくのか)

 

 小さな三人の少女だけなのか、それともこの場に居る全員になのかは判断がつかないがとりあえず今日この場では不用意な発言は控えるように意識した。

 

 そして、そんな理由では納得がいかないのか更に詰め寄ろうとする三人であったが、それをノーヴェが一蹴。

 

 一先ずヴィヴィオとアインハルトは試合の準備のため更衣室に行くよう指示した。

 

 二人は学校の制服のままなので当然スカートを着用している。そんな状態で激しい運動を行うなど論外であろう。

 

 本番の試合であれはバリアジャケットなどを展開して衣装チェンジを行うが、今日はあくまでも模擬試合なので実際に着替えをする。

 

 アインハルトはウィズを一瞥して黙々と退室し、ヴィヴィオも不承不承ながらもそれに釣られるように後に続いた。

 

 それを見送ったノーヴェが疲れたように大きく息を吐く。

 

 ウィズはノーヴェの様子に少し罪悪感もあったが、不用意に自分を誘った貴方たちが悪い、と彼女らにも非があると心の中で責めた。

 

 そんなことを思っていたら、視界の端にこそこそと動く二つの何かが映る。

 

 反射的にそちらへ目線を動かせば先ほどのオッドアイの子と騒いでいた少女二人がそわそわとこちらを窺っていた。

 

「あのっ! ウィズ選手! 決勝戦見てました、凄くカッコよかったですッ! サ、サインください!」

 

「わ、私もお願いします! あ、あと、握手してくださいッ!」

 

「お、おう……」

 

 と思っていたら気づけば目の前まで迫られその大きな瞳に憧憬や尊敬の念を宿し、痛いほどに見つめられていた。

 

 その勢いに押されるがままに差し出された細く柔らかい小さな白い手を握り返し、メモ張の一ページに大きなサインを書いた。

 

 サインを渡され互いの手を取って歓喜する少女二人を見て反応に困るウィズ。

 

 一連のやり取りを眺めていた赤髪の女性がげんなりした様子で問いかけてきた。

 

「お前、本当に有名な選手だったんだな」

 

「……ええ、まあ世間ではそうなってるみたいですね」

 

 しかし、ウィズ自身もこんな小さな子供、しかも女の子が自分のことを知っているとは思わなかった。

 

「みたいですねって、世界戦準優勝なんて大したもんじゃねーか」

 

「……でも準優勝ですし、それに」

 

 ウィズはこの先の言葉は言うべきではないと頭でわかっていても止めることができなかった。

 

 二番目だ準優勝だと言われれば否応にもあの日の敗北を思い出してしまう。

 

 大歓声の中対峙し、最後は地に伏せられたあの日の感情を――。

 

 自然と拳を握り込み、歯を食いしばり、全身に力が入る。

 

「一番勝ちたい相手には、勝てませんでしたからっ」

 

 その声にはどうしようもない悔しさと苦渋が込められ、今まで大きく変化のなかった表情が歪む。

 

 勝ちたい。勝ちたかった。あの日からずっと燻っているウィズの最も強い想いだ。

 

 彼の言葉と表情から執念にも似た激しい思いが伝わり周囲の人間が息を呑む。

 

「……というわけで目下リベンジマッチに向けて特訓中というわけです」

 

 パッと拳を解き、表情を先ほどまでの穏やかなものへと戻す。

 

 あまりの切り替えの早さに目を白黒させていたが、子供らは一瞬重くなった空気から解放され安堵し、大人たちは彼が気を使ってくれたのだと気づいた。

 

 因みに「っス」が口癖の能天気少女は子供の側である。

 

「それよりも早く俺らも行かないと二人が準備終わっちゃいますよ」

 

 悪くなった空気を入れ替えるために自ら率先して行動を起こそうとする態度にノーヴェたちもそれに合わせるように動き出す。

 

 全員が控室からメイン会場に移動する最中、気が付いたようにティアナが告げた。

 

「もしかしてさっきフード被りっぱなしだったのって目立ちたくなかったから?」

 

「っ……ええ、そうです」

 

 一瞬何か思い出したのか苦々しい顔で肯定する少年に、ティアナたちが詳しく聞きたそうに彼を見る。

 

 無言の追及に耐えられるわけもなく、苦虫を噛み潰したような顔で答える。

 

「世界戦が終わった直後のことですよ。何気なく買い物するために外へ出たら……」

 

「出たら?」

 

「あの子たちの100倍の勢いで人という人が群がってきました」

 

 あの子たち、と前を歩くリオとコロナを比較して説明するウィズの言葉は本当に重かった。

 

 彼の沈んだ言葉にそれを聞いていた大人たちはうわぁ、と深く同情する。

 

「あの時は数の暴力というものを肌で感じましたね」

 

 遠い目で当時のことを思い出すウィズの目は諦観にも似た感情が見える。

 

 先のウィズの態度に怒りを露わにしていた双子も今ばかりは彼を哀れに思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな話をしている内にスポーツセンターの館内にある室内競技場に着き、それから暫くして着替え終わったヴィヴィオとアインハルトが姿を現す。

 

(そういえば、さっきはあんな事があって気付かなかったが……あの金髪でオッドアイ、どこかで……)

 

 軽めの準備運動を終えた二人がコートの中央を挟んで対峙する間際、ウィズはヴィヴィオを眺めてふと脳裏に何かが掠めた。

 

 どこかで見た顔だとわかるのだが、それがどこかがわからない。

 

 モヤモヤと不快な気分になるウィズだが、隣で観戦しているティアナも彼に対して同様のモヤモヤを抱えている。

 

 二人が頭の中で一向に答えの出ない思考を繰り広げながらも、少女たちの試合は変わらず始まる。

 

 彼女たちの手や足には相手を傷つかせないためのプロテクターが装着されている。

 

 これは物理的な威力を緩和するためだけでなく、非殺傷魔法が組み込まれ痛みはあっても傷は滅多なことではできないようになっている。

 

(本当に魔法さまさまだよな)

 

 ウィズは現代の魔法技術の高さを大いに称賛しながら、心の中で深々と頷く。

 

 キィィンと甲高い音と共にアインハルトの足元に三角形型のベルカ式の魔法陣が展開される。

 

 何かしらの身体強化魔法を使ったのか身体に強い魔力が纏わりつく。

 

 それを感じてヴィヴィオの顔に戦慄と興奮により笑みが浮かぶ。

 

 彼女は既に自前の魔法を展開しているのか軽快にステップを踏んで準備万端な様子である。

 

「スパーリング4分1ラウンド」

 

 審判を務めるノーヴェが簡単にこの試合の説明をする。射撃魔法の類は禁止の格闘のみのスパーリング。

 

 純粋に互いの拳をぶつけ合う試合構成に改めてウィズはこんな小さい子がこんな格闘技をしていることに驚いている。

 

 そして、次に自分がアインハルトと同じ内容で試合をするのだとうんざりする。

 

「レディ……ゴー!」

 

 そうこうしている内に二人の少女がぶつかり合う。

 

 まず先手を打ったのは金髪の少女、ヴィヴィオだ。

 

 華麗なステップでアインハルトの懐に潜り込んだ彼女がその小さな体躯からは想像もできない鋭いアッパーカットを放つ。

 

 ウィズも含めて周りの観客からもどよめきが走り、ヴィヴィオの実力を知っていた面々からは歓声が起こる。

 

(ほー、何だそこらのゴロツキよりかは全然動けるじゃねえか)

 

 初手から続く攻撃の連打がアインハルトを襲い、ヴィヴィオは勢いに乗って一気に畳みかけている。

 

(成程、あんな可愛くてあれだけできる選手がゴロゴロいるなら、そりゃ男子が廃れて女子が栄えるわけだわ)

 

 しかし、クリーンヒットは一度もない。碧銀の彼女が上手く防ぎ捌いているのだ。

 

 対する金髪の少女は拳での連打から動作の流れで上段蹴りへと切り替える。

 

 空気を切り裂く蹴打もアインハルトは上体のみを反らす動き、スウェーでそれを綺麗に避ける。

 

(しかしあれだな。実力の差も勿論開いてるが、それ以上に……)

 

 自身の猛攻を避けられて尚少女の顔には笑みが浮かんでいた。

 

 今の打ち合いが楽しいと全面に押し出す快活の笑みを浮かべて、拳を放っている。

 

 反対にアインハルトの顔は曇っている。まるで期待外れだと言わんばかりに浮かない顔をしている。

 

(意識の差、がかけ離れてるな)

 

 ヴィヴィオは純粋に練習、手合わせとして楽しんでいるのに対しアインハルトは真剣に試合として何かを見出そうとしている。

 

 その意識の差が実力差以上に二人の間では距離を開けていた。

 

 そして、金髪の少女が放った真っ直ぐな拳を屈むように避けると、彼女の胸にカウンター気味の掌底が入る。

 

 綺麗に入ったその威力は少女の身体を浮かし飛ばすほど鋭かったが、ダメージは殆どない。

 

 飛ばされたヴィヴィオが観客の双子に受け止められながら、苦しむどころか称賛の笑みを浮かべているのがその証拠だ。

 

 気付けばアインハルトの圧勝で終わった。ヴィヴィオの攻撃を全て受け切り、最後は完璧なカウンターの掌底しかも手心を加えた攻撃で締めている。

 

 この一戦で碧銀の少女は何かを見定めたのかヴィヴィオから視線を切った。

 

 その表情は確かな落胆が浮かんでいる。

 

「お手合わせ、ありがとうございました」

 

 振り向きざまに告げられたお礼の言葉にヴィヴィオの顔が不安げに歪む。

 

(おいおい、お礼言うならちゃんと相手の顔を見て頭を下げろよ)

 

 過去に傷害事件を起こし上辺だけは礼儀正しいウィズがそんなことを思っていても何の説得力もない。

 

 金髪の彼女が試合中笑みを浮かべていたことで不快な思いをさせてしまったのかと急ぎ謝るがそうではないと言う。

 

 ならば自分の実力が不足していたからなのかと問えば。

 

「いえ、趣味と遊びの範囲内でしたら充分すぎるほどに」

 

 辛辣とも取れる答えにヴィヴィオが一瞬傷ついたように顔を曇らせる。

 

「あ、あのっ……」

 

「フォルシオンさん」

 

 尚も食い下がるヴィヴィオを無視するような形でアインハルトがウィズの名を呼ぶ。

 

 どうやら彼女の中ではヴィヴィオとのやりとりは既に決着が着いてしまったらしい。

 

(おい、このタイミングでかよ)

 

 ちらりと小さい女児の方を見れば、肩を落とし暗い表情で俯いていた。

 

 その姿にひどい罪悪感を感じながらも、アインハルトはもう彼女のことなど見ずウィズを一心に見つめていた。

 

「約束です、私と戦ってください」

 

 確認の意味でノーヴェを見れば彼女も気まずそうにこちらを見ていて、判断はこちらに委ねられているようだった。

 

「……オッケー、わかった。やってやる」

 

「ありがとうございますっ」

 

 今の彼女にはウィズとの再戦しか頭にない状態だと感じ、とりあえず一度手合わせをして余裕を作ってやろうと試合を了承した。

 

 ジャージの上着を脱ぎ黒のアンダーシャツ姿になり、ウィズのサイズに調整されていたプロテクターを両手足に着ける。

 

 ウィズがジャージを脱いだ瞬間、女性陣からざわめきが走っていたが特に気にしていなかった。

 

 そして、その女性陣が何に反応していたかというと。

 

「すごーい、朝会った時から何となく思ってたけどかなり鍛え抜かれてるね」

 

「うわぁ、局の武装隊よりも凄いんじゃないのあれ」

 

 スバルが素直にウィズの肉体に感嘆し、ティアナは若干引き気味ではあるが感心している。

 

「うむ、彼は相当な鍛錬を積んでいるな」

 

「すげぇっス、ムキムキっス!」

 

「八神司令の守護獣があんな感じだったかな」

 

 ナカジマ家の面々も関心を寄せる一方で双子のディードとオットーも無言で頷いている。どうやら褒めているらしい。

 

 コロナとリオは友人の安否を気にしていたが、二人が試合をすると聞いた瞬間瞳を輝かせ始めたのであっさり心配するのをやめた。

 

「じゃあ、さっきと同じだ。4分1ラウンドのスパーリングで射砲撃はなしだ、いいな?」

 

 プロテクターを着け終わり、準備運動がてら右肩をグルグル回しながらウィズは了承の意を示す。アインハルトも同様だ。

 

 先ほどの試合と同じくコート中央を挟んで対峙すれば、目の前の少女が如何に小さいかがよくわかる。

 

 自分の胸元よりも低い身長に細い手足、華奢とは違うがそれでも女性らしい細さがまだ残っている。

 

 そして何よりも可愛い。愛らしい美貌を持つ美少女が構え、気迫の籠った瞳を向けてくる状況にやりにくさを感じていた。

 

「……どうしました? 構えてください」

 

「ん? ああ、それじゃ……」

 

 ほぼ棒立ち状態だったウィズにアインハルトが逸る気持ちを抑えて告げる。

 

 彼としてはそのまま始めてくれて一向に構わなかったのだが、こういう場では形式は必要なのだと認識しとりあえず腕を上げて構える。

 

 その構えからは力みが全く感じられず、少しばかり訝しんだアインハルトだがそれ以上何も告げず試合に集中する。

 

 二人の準備が整ったのを確認したノーヴェが腕を上げ、開始の合図を告げる。

 

「よしじゃあ、いくぞ。レディ…………ゴー!」

 

 審判の掛け声と共に彼女の腕が振り下ろされ、今度はアインハルトが真っ先に動いた。

 

(ぬぬ、早いな)

 

 彼女が修める流派のものであろう特殊な歩法で10メートルばかりの距離を一瞬で詰めた彼女に僅かながら目を見張る。

 

「ハッ!」

 

 その勢いのまま顔面に突き付けられた拳を左腕で受ける。

 

 重い衝撃音が周囲にまで耳に届き、彼女の拳が如何に重いかが伝わってくる。

 

 受け止められた直後、反対の拳が今度は腹部へ向けて放たれる。

 

 すかさず間に入った右腕がアインハルトの拳を塞き止める。

 

 腰の入ったいい打撃ではあったが、ウィズの身体は微動だにしない。

 

「くっ」

 

 防御を抜けはしなかったが、それでもアインハルトは攻撃の手を緩めなかった。

 

 より強く握り込んだ拳を相手に叩き付け、それを様々な角度から打ち込んだ。

 

 時には蹴打や肘打ちなども織り交ぜ、ウィズに反撃の隙を与えない連打を放ち続けた。

 

 一発一発が非常に重く鋭い一撃であり、まともに入ればそれが致命打に繋がりかねない破壊力がある。

 

 現に攻撃が叩き込まれる際の鈍い打撃音と空気を震わせる衝撃に観ているヴィヴィオたちの方が顔を歪ませる程だ。

 

 だが、肝心のウィズは小揺るぎもしていない。

 

 アインハルトの連撃を悉く腕や足で受け止め、完全に威力を殺してみせていた。

 

 表情を一切変えずに飄々と猛攻を防ぐ姿に観ている人は勿論実際に攻撃を加えているアインハルトが受けた衝撃は大きかった。

 

(なんてっ……堅い防御!)

 

 記憶伝承により覇王流を受け継ぎ、物心つく前から修練に明け暮れていた彼女にとって自慢の拳が全く通じない現状に少なくない動揺が走る。

 

 例え今が武装形態でなくとも自分の拳には自信があるし、相手も防護服を展開していない時点で対等の条件だ。

 

「ハァッ!!」

 

 渾身の正拳突きも固めた腕の防御によって容易く防がれる。

 

 一向にウィズの堅い防御に対し糸口が見えないことにアインハルトが焦る中、ウィズの方も攻勢に移ることができなかった。

 

 碧銀の美少女からの猛攻に押されているから――ではなく、ごく個人的な理由だった。

 

(いや、これ……どうしよう)

 

 今まで数々の暴行事件を起こしてきた。これまで公式の試合を幾度も経験してきた。……実戦と言えるような血みどろの戦いに身を置いたこともあった。

 

 それでも。

 

(女の、しかも年下の女子を殴るって……簡単にできるか!)

 

 それでも、自らよりも年下の女の子更に愛らしい美少女を相手にしたことは一度もなかったのだ。

 

 故に試合を始めてから気が付いた。アインハルトを殴る蹴るすることが、例えそれが傷を負わない非殺傷の攻撃だとしてもどうしようもなく躊躇してしまう。

 

 だから今の今まで完全に受けに回っている。

 

 格闘家であるならばそれはどうなんだと言われるかもしれないが、格闘技は基本男女別になっているしスパーリングを行うことも殆どない。

 

 魔法戦ならともかく直に殴り合いを行うなど早々ないことだろう。

 

 そしてウィズも年頃の男子である。如何に世界戦を経験した強者だとしても男の子としての意識は相応に残っているのは当たり前のことだった。

 

(でも、ま……)

 

 しかし、彼もいつまでもうじうじ悩む性分ではない。

 

 これは練習試合、性差を言い訳にして試合内容を疎かにしてしまうのは何よりも失礼なことだ。

 

(だから、とりあえず様子見で)

 

 一際鋭いアインハルトの一撃を受け止めた直後、腰を僅かに沈ませタメを作る。

 

「っ!」

 

 それに気づいた小さな格闘家が目を見張り、連打の手を止める。

 

「よっ」

 

 軽い掛け声から放たれた蹴りは、その軽さとは真反対の鋭い一撃となる。

 

 目の前の空気全てを切り裂いたのではないかと錯覚する程、凄まじい風切り音と目にも留まらぬ速さで繰り出された蹴打がアインハルトの頭部に迫る。

 

「ッッ!」

 

 咄嗟に身を屈めることで避けることに成功したが、頭上から聞こえた空気を裂く途轍もない音と頭を持っていかれるくらい鋭い一撃の風圧を感じ背筋に寒気が走る。

 

 先のヴィヴィオの上段蹴りとは威力やキレに雲泥の差があった。とてもスウェーで躱す余裕などなかった。

 

 身を竦ませたのも束の間、すぐに彼女の思考は反撃へと切り替わる。

 

 連撃の合間を縫うような的確な一撃ではあったが、大振りであるがために大きな隙が生まれている。

 

(っ、ここです!)

 

 ダッキングのように身を屈めた状態から一気にウィズの右側にズレ、がら空きの脇腹に拳を叩き込む。

 

 ――筈だった。

 

「――なっ!」

 

 受け止められた。完全に空いていた隙を一瞬で埋められた。

 

 受け止めたのは彼の手ではない。さっきまで振り切った状態で伸ばされていた彼の右脚、その足裏で止められていた。

 

 瞬く間に引き戻された脚が彼女の拳を防ぎ、それだけでなく片足立ち状態であるにも関わらず今まで通り微動だにしていない。

 

 まるで地面に深く根をはった大樹でも殴ったかのような気分にアインハルトはなっていた。

 

 急停止と急加速を可能にする鍛え抜かれた速筋と圧倒的なまでの体幹能力にただただ驚愕した。

 

「いえ、まだ……です!」

 

 それでも今の片足状態はこれまでにない好機だと認識し、すぐに腕を引いて畳みかける。

 

「ぬんっ」

 

 ウィズはそれを阻止するようにアインハルトに向けて蹴りを突き出す。

 

「うくっ!」

 

 咄嗟に腕を交差させて彼の蹴打を受け止めるが、伝わってくる衝撃に思わず呻き声が漏れる。

 

 重く、芯に響く一撃に一瞬身体が持ちあがり後退を余儀なくされる。

 

(駄目、生半可な一撃じゃ彼には通じない)

 

 ただの拳や脚での連打ではウィズは止められない。ならばどうするか。

 

 アインハルトが考えられる対抗策は防御不可能な必殺の一撃を入れること。

 

(撃つしかありません。覇王流の『断空』をッ!)

 

 対するウィズもこの試合を終わらせる方法が思い浮かんでいた。

 

(要はあれだ、さっきと同じことをすればいい)

 

 思い起こされるのは目の前の少女が金髪の少女を吹き飛ばす光景。

 

 ダメージが殆ど残らないであろう掌打の一撃、それならば躊躇いも少なくお見舞いすることができる。

 

 互いに成すべきことは決まった。先に動いたのはアインハルトであった。

 

 腰を深く落とし、一気に接近して覇王流の奥義を撃ち込もうと足を踏み込んだ。

 

 その瞬間にはウィズの身体が既に目と鼻の先にあった。

 

「なっ!」

 

(――速い!)

 

 決して油断したわけでも視線を切ったわけでもない。初動を全く感じさせない動きで一気に距離を詰められた。

 

 そして彼はもう攻撃の予備動作に入っている。

 

 アインハルトにはもう迎撃するしか選択肢が残っていなかった。

 

「っ、はあぁぁあ!」

 

 狙ったのはカウンター攻撃、ウィズが撃ち出そうとする一撃に対して被せるように右拳を放とうとする。

 

 振り被られたウィズの左腕がアインハルト目掛けて突き放たれる。

 

 それに合わせるように彼女の右腕が風を裂きながら撃ち出され――ピタリとウィズの左手がアインハルトの眼前で静止する。

 

(フェイント!? しまっ――)

 

 失態に気づいてももう遅い。素早く左手が引き戻されると同時にアインハルトの拳が空を切る。

 

 腕を振り抜いた無防備の彼女に今度こそウィズの左掌底が突き刺さる。

 

 腹部に叩き込まれた一撃は碧銀の少女の小柄な体を容易く浮かし、勢いよくコートの端まで吹き飛んだ。

 

(やべ、強すぎたか?)

 

 加減はしたつもりであったが先の金髪オッドアイ少女よりも飛距離と勢いがあることに一抹の不安を覚える。

 

 しかし、ウィズの懸念とは裏腹にアインハルトは空中で一回転し態勢を整え華麗に着地して見せた。

 

 ほっと一息ついた。

 

 彼女は若干痺れるお腹を抑えながら、目の前に鋭い視線を送っている。

 

 それを無視して審判であるノーヴェに視線を向ける。

 

「そこまで!」

 

 察してくれたのか彼女が腕を上げてスパーリングの終了の合図を出す。

 

 ウィズもようやく肩の力を抜き、お疲れムードでコートを出ようとする。

 

「ま、待ってくださいッ!」

 

 そうは問屋が卸さないのが現実と言うもので、アインハルトが焦燥を露わに引き留めてくる。

 

「まだ終わってません! まだやれます!」

 

「いや、やれるやれないじゃなくて、これはスパーリングだろ? 一本取ったらおしまいだっつの」

 

 本番の公式試合ならばともかく今回の試合はあくまでも練習、それも一本勝負と事前に決まっていたものだ。

 

「ですが……!」

 

 しかし、アインハルトは納得がいかない。自分の力は勿論相手の力すら満足に引き出せていない終わり方に満足がいくわけがない。

 

 彼女は縋るような気持ちでノーヴェを見た。懇願するように見つめられてもノーヴェにはウィズに再戦を強制できる程の親しみも付き合いもなかった。

 

 必然的にアインハルトからノーヴェへ、ノーヴェからウィズへ視線の連鎖が生まれる。

 

 困ったのはウィズである。

 

(ぬぅ、一回拳を交えるだけじゃなかったのかよ)

 

 約束と違うと心の中で嘆くが、彼女にとっても想定していた手合わせとは違っていたのだろうと推測できる。

 

 それを考慮に入れ、ちらりと観客に回っている金髪の少女を見遣る。

 

「……わかった、次はもっと本番に近い形で模擬戦をしてもいい」

 

 口惜しさに歪んでいた顔がぱあっと晴れる。笑顔とは違うが表情が明るくなり瞳の輝きが増す。

 

「はい、ありが」

 

「ただし!」

 

 お礼を告げようとしたアインハルトを遮り、彼は交換条件を提示する。

 

「最初にまずあの子と再戦してもらう」

 

「……ふぇ?」

 

 指さしたのは勿論オッドアイの少女。指名された方は予想もしていなかったのか、大きな瞳をまん丸に見開いている。

 

「彼女と、ですか?」

 

「ああ、お前が俺と再戦したいっつーならあの子にもその権利はあるだろ? なあ、君ももう一回戦いたいんだろ?」

 

「あっ! はい、できるのならば! 今度はもっと真剣にやります!」

 

 ウィズの問いかけに戸惑いながらもしっかりと自分の気持ちを答える。

 

 その返答にうんうんと頷きながらアインハルトを見遣ると、彼女も難しい顔で逡巡していたがやがてこくりと頷いた。

 

「わかりました、彼女と戦った後に貴方へ再戦を申し込みたいと思います」

 

「んじゃ決まりだな、ってことでノーヴェさん、後の段取りはお願いします!」

 

 ウィズは勝手に約束を取り付けておきながら、後のことを全て保護者の女性へ丸投げした。

 

 おいおいと呆れながらもこちらの事情に付き合わせている申し訳なさと大人としての立場から無下にもできずノーヴェは頭を掻きながら受け持つ。

 

「あー、じゃあ、来週にすっか? 今度はちゃんとした練習試合ってことでさ」

 

 任せたウィズは当然として、アインハルトも問題ないようで日程や場所は完全にお任せでいいとしていた。

 

「ありがとうございます!」

 

 律儀にウィズやアインハルトに頭を下げる金髪少女の姿がとても好印象だった。

 

 

 

 

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