ViVid Infinity   作:希O望

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第三話になります。
こちらは三つに分割した内の一本目です。
第三話の投稿に際し「残酷な描写」タグを追加しました。
よろしくお願いします。


第三話 過去と本性①

 新暦76年の5月初旬、その日は雲一つない快晴の空で照りつける太陽を妨げるものは何もない一際眩い日だった。

 

 第24管理世界シュプレーン、緑の多い温暖な世界だが半年もすれば今度は一面が白銀の雪景色へと変わる寒暖差の激しい気候が特徴の世界。

 

 その日、その世界に当時13歳のウィズはいた。

 

 3年後の未来の彼と比べればまだまだ小柄な少年で、顔立ちも随分と幼い。

 

 しかし、一番の違いは彼の瞳だ。

 

 濁っている。

 

 強い意志を感じさせる光がない。

 

 全体的にどんよりと澱んでいる。

 

 まるでこの世全てに虚無感を抱いているかのような空虚な瞳は未来の面影が欠片も存在しない。

 

 泥のような瞳を前に向け、流れる人並みを的確に避けて歩いている。

 

 瞳だけでなく浮かべる表情も口元を少し歪めているだけで殆ど無表情に近かった。

 

「ウィーズー! こーっちよぉー!」

 

 そんな可愛げのない子供を大きく手を振って、大きな声で呼びかける一人の女性の姿がある。

 

 彼女こそウィズの実の母親であるセリィ・フォルシオンだった。

 

 淡い金髪と青い瞳を持つ物腰の柔らかそうな女性で女性の中で言えば平均的な身長をしている。

 

 ウィズは周囲の人の視線を気に掛けない母を暗い瞳で睥睨し、ゆっくりと歩み寄る。

 

「別に見失ってない」

 

「あらぁそう? お母さん心配になっちゃってぇ、つい」

 

 不機嫌そうな表情かつぶっきらぼうな物言いの少年にのんびりとした口調でセリィが答えた。

 

 ウィズはそんな母の反応に呆れた様子で顔を横に振った。

 

「母さんはいつも先に行きすぎ。父さんが遅れてる」

 

 セリィは喋るのはゆっくりだが、歩く速度は速い。性格はのんびりとしているのに動きはせっかちというどこかちぐはぐな女性なのだ。

 

 少年は背後から人混みを掻き分けて必死にこちらへ向かっている一人の男性を顎で示した。

 

 ようやく二人に合流した男性は安堵の表情を浮かべて駆け寄る。

 

「二人とも、あんまり、早く、行かないでよ」

 

 そんなに疲れることだろうかとウィズが呆れて見つめる先には細身の男性が自分の膝に手をついてぜえぜえと喘いでいる。

 

 彼こそウィズの実の父親であるヨハン・フォルシオンだった。

 

 くせっ毛な黒髪に細目で目尻が垂れている。そのせいで気の弱そうな印象を与える男性だった。事実少し頼りない性格の人だ。

 

 ヨハンは大きく息を吐いて呼吸を落ち着けると改めて二人を責めるように見た。

 

 責めると言っても元々目元がふにゃりと下がっているせいで全然怒気を感じない。

 

「あのね、自慢じゃないけど僕は二人ほど体力はないんだよ」

 

「知ってる」

 

「知ってるわぁ」

 

「……じゃあちょっとは気を遣ってよ」

 

 愛すべき妻と息子からの淡白な反応にヨハンはがっくりと肩を落とす。

 

 線の細い彼は見た目通りあまり運動の類が得意ではない。

 

 セリィの方も動き出しは速いし体力もそれなりにあるが決して身体を動かすのが上手いというわけではない。

 

 そんな二人の間に生まれたウィズが異常なまでの身体能力を有していることにウィズ本人も不思議に思っている。

 

 パッチリと大きな瞳は母親譲りで色は父親の翠、髪色は父親だが真っ直ぐな直毛の髪質は母親から受け継いだものだろう。

 

 しかし、身体能力然り性格然り、中身はまるで二人とは似ても似つかない。

 

 ウィズは頻繁に思う。

 

 自分は本当にこの二人の子供なのだろうか、と。

 

 優しく温かく争いごとなど好まない気質の両親と冷たく無慈悲で喧嘩っ早い自分。

 

 違い過ぎる人間性にウィズはふとした拍子にいつも考えていた。

 

 二人の子供であるかどうかという前に、そもそも――。

 

「ウィズ? どうしたのぉ? パパが情けなさ過ぎて呆れちゃった?」

 

「こらこら、見当違いなこと言わないでくれよ。ウィズはママの気ままな行動に呆れちゃってるんだよね?」

 

 違うわぁ、違わないよぉ、と些細な言い合いを始める両親に深いため息を吐いた。

 

 この能天気な夫婦は放っておいたらどこまでもマイペースに行動するのだから自分がしっかりと見ていなければ。

 

 そう思い直したウィズは胡乱気に二人を見つめて口を開いて注意した。

 

「どっちでもいいけど、こんな往来の真ん中で言い合いしてたら他の人の迷惑だから」

 

 周囲に目を向ければ両親の夫婦喧嘩にしては可愛らしい言い合いを避けるように人が行き交っている。

 

 三人が居るのはシュプレーンにある地方次元港、文字通り次元艦が停泊し人々を乗せる公共の場だ。

 

 首都程ではないにしろ、観光地として賑わっていることもあってここの次元港は人が多い。

 

 そんな所で立ち止まって、話をしていたら十二分に迷惑だろう。

 

 それがわかっていたウィズは突き放す様に告げるとそのままセリィとヨハンを置いてスタスタと歩いて行った。

 

「待ってぇ、ウィズぅ」

 

「ちょっと、パパは荷物も持ってるんだよ。先に行かないでよウィズぅ」

 

 慌てた様子で息子の後を追う二人は親の威厳と呼べるものはあまり感じなかった。

 

 しかし、追いついて笑顔で語りかける姿を見れば仲睦まじい親子の関係を疑うものはいないだろう。

 

 のんびり屋のセリィと穏やかなヨハンのマイペースな掛け合いに憮然としたウィズがツッコミを入れる。

 

 フォルシオン家の日常と言うのは大体いつもこのような感じだった。

 

 ひぃひぃ嘆く父親を見かねてウィズが荷物を半分持つとその荷物をカウンターへと預けた。

 

 勿論搭乗手続きはとっくに済ませているため後は次元艦の出発時間を待つばかりだ。

 

 近くのベンチに腰掛けると同時にヨハンの口から大きな息が漏れる。

 

「パパ、そんなに疲れたの? もうちょっと、日頃運動した方がいいわねぇ」

 

「僕はごく一般的なスタミナさ。ママやウィズがおかしいんだよ」

 

 ヨハンは少しムッとした表情で妻の言葉に反論する。

 

 四泊五日にも及ぶ家族旅行だったのだ。疲れを感じないほうがおかしいというものだとヨハンは言った。

 

 しかし、ウィズは言うまでもなくピンピンしているしセリィの方も疲れは表情に出ていない。

 

 夫の反論にセリィはころころと笑いながら手を上下に振った。

 

「私だって、ウィズほどじゃないわぁ。だってこの子、あの絶壁をよじ登るくらい元気一杯なんだからぁ」

 

「……知ってるよ。僕も見てたもの」

 

「…………」

 

 彼女が言った絶壁と言うのはこの世界の観光名所の一つだ。

 

 命綱なしで登りきった者は無病息災にして長寿になるという迷信がある30mもの高い絶壁のことである。

 

 その天然の壁を登ることはほぼ自由にチャレンジすることができる。勿論命綱なしで、だ。

 

 観光地でそんな危険行為が容認されている理由としては魔法文化の発展のおかげだった。

 

 ()()()()()()()たかだか30mの高さから落ちたとして、魔法で受け止めることなど容易いことなのだ。

 

 ウィズがそこにチャレンジした理由は自発的などではない。

 

 母が懇願したのだ。ウィズのカッコイイところが見たぁい、という戯言を口にされて非常に面倒くさがったが押し切られてしまった。

 

 父が心配するのをよそに彼は颯爽と絶壁をよじ登った。

 

 まるで猿のようにひょいひょいと僅かな突起やへこみを器用に掴み、殆ど腕の力だけで踏破した。

 

 母は歓喜し、父は安堵し、係員は唖然とした。

 

 まだ子供な少年が大人でも難しい絶壁登りを何でもないことのように簡単に登り切ったのだから当たり前だ。

 

 その時、軽い注目を集めたことを思い出したウィズは自己嫌悪に陥りいつも以上に閉口した。

 

「凄かったわぁ、あの時のウィズ」

 

「確かに凄かったけど、僕はそれ以上に無事だったことに安心したよ」

 

「あなたは心配性ねぇ」

 

「きみが楽観的なんだよ」

 

 またもや言い合いに発展するかと思われた夫婦の会話は、互いに暫し見つめ合った後吹き出した。

 

 反対な二人だからこそ好き合ったのだと言わんばかりに愛しげに微笑んだ。

 

 ウィズは傍から見ていて大変恥ずかしかった。

 

「それにしても折角登ったのはいいけど、ウィズは元々()()()()()()()()()()()のよねぇ」

 

 セリィはさらっととんでもない事を口にする。

 

「それでも長寿になるって言うんだからいいことじゃないか」

 

 ヨハンはセリィの言葉に疑問を持った覚えもなく、当然のことのように受け入れていた。

 

 ウィズは何も言わず重く口を閉ざしている。

 

 今この場にフォルシオン家の常識にツッコミを入れられる人物は残念ながらいない。

 

 その後もセリィとヨハンは旅行の思い出を語り合う。

 

 龍の形を模した銅像から飛び出る溶岩やコインを入れると発光する湖などなど、今回巡った名所の数々を楽しそうに回想している。

 

 ウィズは隣で二人の会話を黙って聞いていた。

 

 特に自分から語りたいことはなかったし、両親の会話を聞いているのは別に嫌いではなかった。

 

 ぼんやりとロビーを行き交う人を眺めていると、ウィズは目を細めた。

 

 そして、パーカーに付いていたフードを深く被る。

 

(ちっ、あいつ……昨日の)

 

 視線の先にいたのは随分と人相の悪い顔つきで金髪に所々赤いメッシュを入れた青年だった。

 

 ギラギラと耳にうんざりするほどピアスを付けたその男の頬には大きなガーゼが貼られている。

 

 ウィズがやった傷だ。

 

 昨晩、両親と別行動中の出来事だった。

 

 観光客の女性にちょっかいを掛けようとしていたあの男をウィズが拳で殴り飛ばしたのだ。

 

 別にウィズは女性を助けようとしたわけではない。

 

 正確にはまだ助けに入っていなかった。

 

 無視するわけにもいかず、警邏隊に連絡でも入れようと思った所、何故かあちらの方からウィズに悪態を吐いてきた。

 

 台詞はよく覚えていないが、何見てんだよ、的なことを言われたと彼は辛うじて記憶している。

 

 またか、と当時のウィズは辟易としていた。

 

 そのまま殴りかかって来たため、わざとへなちょこな拳を顔面で受けて正当防衛ということで殴り飛ばしたのだ。

 

 未来の彼とは比べ物にならないが、それでも人一人を吹き飛ばすには十分な威力を誇っていた。

 

 勢い余って()()()()()()に殴ってしまったので、非殺傷設定を活用できなかったためもろに怪我を負わせてしまったくらいだ。

 

 無様な悲鳴を挙げてゴミ置き場に頭から突っ込んだガラの悪い男はそのまま気絶した。

 

 お礼を言う女性をあしらい、旅行先でしょっぴかれる何て冗談じゃないと少年はそそくさとその場を後にしたというのが事の顛末だ。

 

 今思えば、この時きちんと警邏隊に連行するべきだったのだがこの時のウィズにそんなことがわかるわけもない。

 

 わかっていたのはもしあの男が自分の顔を覚えていれば、余計な面倒ごとに発生する恐れがあるということだ。

 

 両親が居るこの場所で、公共の場でもある次元港でいつもの厄介ごとが起こるなどまっぴらだった。

 

 身内と他人、両方に迷惑を掛けるわけにもいかないためフードで顔を隠した。

 

 人相の悪い男は他にも仲間がいたのか男の他にも三人ほど別の男性が傍に立っていた。

 

 大柄であったり小柄であったり、細身であったり小太りであったり、人種なども違う集団であったが共通点がひとつ。

 

 眼つきが最悪だ。

 

 四人ともギラギラと怪しい光を瞳に宿し、周囲を必要以上に警戒している様子だった。

 

 まるでこれから何か悪いことしますと体現しているようなものだった。

 

 麻薬でも密輸しようとしてんじゃねえだろうな、とウィズは口の中で呟いた。

 

 素人のウィズが疑問に思うのだから、当然次元港の警備員も彼らを訝しんだ。

 

 ゆっくりと二名の警備員が男たちに近づいていく。

 

(頼むからこっちまで面倒ごとに巻き込むんじゃねえぞ)

 

 警備員に詰問され、目に見えて慌てる集団を見据えてウィズは願った。

 

 だが、事件はもう始まっていた。

 

 数分後、ウィズのささやかな願いを踏みにじる形で一気に事件は表面化してきた。

 

 

 乾いた破裂音が次元港の広いロビーで異様に響き――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ?」

 

 暗がりに居た人物が顔を上げる。

 

 悲鳴だ。

 

 遠く離れた場所で大勢の人の悲鳴が聞こえる。

 

 その音源は次元港のロビーであり、ここからは到底聞きとることなどできない距離関係にあるのだがこの人物には関係なかった。

 

 人間の悲鳴が何よりも大好物なこの男には。

 

「んだぁ? 誰かヘマしやがったか?」

 

 低く濁った声の男は苛立った様子を隠そうともせずに顔を歪める。

 

「ぼ、ボス!」

 

 男の元に一人のスキンヘッドの男が慌てたように駆け寄ってくる。

 

 体格が2mを超えるスキンヘッドの男の表情には確かな怯えがあり、それが何よりもボスと呼ばれた男を恐れている証拠でもあった。

 

「おい、これは何の騒ぎだぁ?」

 

 腹に響く重低音の声にスキンヘッドの男の肩がビクリと揺れる。

 

 それでも気迫に押されて黙ることなく答えられたのは彼の度胸ゆえか、それとも答えなければ命はないというわかっているからか。

 

「陽動の奴らが先走って拳銃をぶっ放しましたっ」

 

「あぁ!? 誰だそいつらッ!」

 

「っ……最近加入した新入りです」

 

 野獣の如き眼光で睨まれ、声が上ずるのを必死で抑えながらスキンヘッドの男は答えた。

 

 ボスと呼ばれた厳つい男は怒りを抑える様もなく大きく舌打ちした。

 

「この世界で見繕った捨て駒か……肉壁にすら劣る役立たず共がッ」

 

 凄まじい怒気が男の顔に宿る。

 

 それを間近で見たスキンヘッドの男が生唾を飲み込む。

 

 怒りの表情のまま男は睨むように命じた。

 

「全員に伝えろ。予定変更だ、ここで実行する。次元港にいる全員が人質だ。わかってるだろうが、人質はできるだけ生かせ。逃げようとするやつは脚でも撃っておけ」

 

「へ、へい! しかし、いいんですか……依頼人との契約が」

 

 それ以上言葉を紡ぐことはできなかった。

 

 とうとう殺気まで放ち始めた男を前にして、無駄口を叩く勇気など持ち合わせていない。

 

 そんなものがあればこんな男の下に就いていない。そもそもとっくに殺されている。

 

 恐怖。

 

 それこそボスと呼ばれた男に従うただひとつにして明確な理由だった。

 

「あの依頼はただのついでだ。局の連中を貶める計画のなぁ」

 

 ギロリとスキンヘッドの男を睨む。

 

「わかったらとっとと動けぇ!」

 

「っ、直ちに!」

 

 怯えた表情を隠し切れずスキンヘッドの男が慌ててこの場を離れる。

 

 念話や通信機により作戦変更の伝達を行うのだろう。

 

 スキンヘッドの男が去ったのを確認した後、残された男は無表情に戻して嘆息した。

 

「この艦をジャックしたのも無駄だったか……」

 

 そこは次元港に停泊していた次元艦の一室だった。

 

 中型ではあるが、最新の機器を積んだ高性能なモデルである。

 

 男は苛立ちというよりも目に付いたからというただそれだけの理由で、無造作に転がっていたモノを蹴った。

 

 艦の整備に当たっていた作業員だったモノは頭部に大きな穴を開けられて転がっていた。

 

「…………ふっ、くくくっ、はーはっはっは!!」

 

 狂笑とも取れる大きな笑い声が室内に響き渡る。

 

 部下の男に対しては怒りを露わにしていたが、その実この男は大して苛立ちなど覚えていなかった。

 

「まあ、仕出かせば儲けもんだと思ってたがぁ、やっちまったもんは仕方ねえからなぁ」

 

 愉快そうに含み笑いをする姿からはむしろ喜んでいる節すらあった。

 

「これで――あの金色のクソったれ執務官に堂々と復讐できるってもんよ」

 

 今度こそ本当の怒り、いや憎悪を瞳に宿す。と言っても男の右目は白く濁っていて感情など到底見て取れるものではない。

 

 男は独自の情報ルートからある執務官がこの世界に入ったことを知っていた。

 

 過去に因縁のある彼女に前組織を摘発され、壊滅させられたことを未だに怨んでいた。

 

 完全に私怨であり、管理局自体に恨みを持つ今の組織のメンバーたちが個人的な復讐に付き合う確証はない。

 

 恐怖で従わせることもできるが、もしそれで不平不満が溜まり組織の瓦解に繋がるのも馬鹿らしい。

 

 故にやむを得ず計画を変更できる名目が欲しかった。

 

 そのために愚かな若者を引き入れたのだ。

 

 別に絶対今ここで復讐を成し遂げたいというこだわりがあったわけではない。わけではないが、どうせやるなら早い方がいい。

 

 男は右のこめかみをなぞりながら凶悪な笑みを浮かべて、溜め込んだ憎悪を解放できることに歓喜した。

 

「…………だが、あいつらは死刑だな」

 

 途端に無表情へと戻る。

 

 たとえ愚者だとわかっていても、これ以上馬鹿で愚鈍な駒は必要ない。

 

 男は冷たい殺意を宿しながら部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

(これは、最悪だな)

 

 ウィズは頭を抱えたい衝動を必死で抑えていた。

 

 数十分前、一発の銃声がロビーに響いた。

 

 撃ったのはウィズが殴ったあの男で、撃たれたのは男とその仲間を取り調べのため別室まで連行しようとした警備員だった。

 

 バリアジャケットを着用していた筈だが、腹部から赤い斑点がシミのように広がっていった。

 

 呆然とする警備員はそのまま倒れ込み、床に血だまりができた。

 

 もう一人の警備員が慌てて杖を取り出すが、他の仲間も拳銃を取り出して何発も発砲した。

 

 反射的に展開したバリアは二、三発の銃弾は防いだが、その時点で障壁には亀裂が走り次の銃弾で粉々になった。

 

 自分を守る盾がなくなった警備員に数発の弾丸が腕や脚を貫いた。

 

 二人目の警備員が倒れたのと同時にロビーの各所から悲鳴が上がる。

 

 悲鳴は連鎖し、近くで一部始終を見ていた利用客を筆頭に人々が逃げ惑う。

 

 次元港の職員はすぐさま警報を鳴らして、防衛システムを起動しようとした。

 

 しかし、警報は鳴ったが隔壁や自動防衛の魔法は発動しなかった。

 

 ウィズはそんな事態になっているということはわかっていないが、この場で留まるのは不味いという直感はあった。

 

 突然の事態に状況が理解できていない両親を見遣って、すぐに次元港から出ようと思った。

 

 あの四人を制圧するのは簡単だ。無闇矢鱈と発砲されて周囲の人を傷つけるリスクに眼を瞑ればだが。

 

 だが、ウィズの中で嫌な気配をひしひしと感じる。

 

 まるで以前数人の不良に呼び出された廃工場で数十人の待ち伏せを受けた時のようなあの感じだ。

 

 あの四人だけじゃない。

 

 その予感は当たっていたし、逃げようとするにはもうどうしようもないほど遅かった。

 

 これがロビーの出入り口付近であればまだ間に合ったかもしれないが、彼らが居たのはロビーの奥、ウィズ一人ならばともかく一般人の両親を連れて行くには余りにも遠い距離だった。

 

 ロビー入口の方で幾つかの閃光が瞬く。

 

 見ればあの男たちが持っていた小さな拳銃とは全く違う重厚な銃火器を持った集団が押し寄せていた。

 

 逃げようとする一般人に向けてマズルフラッシュが吹き出し、バタバタと何人かが地面に倒れる。

 

 入口からだけではない。ウィズたちの近くの搭乗ゲートからもぞろぞろと同じく銃器を持った集団が現れた。

 

 黒塗りの恰好で防弾チョッキや防刃グローブなどを着用し魔法的な防護服は身に纏っていなかった。

 

 頭部に関しては覆面で顔を隠している者もいれば素顔を晒している者もいる。

 

 共通点と言えば全員が鋭い眼光で殺意にも似た攻撃的な感情を向けてきていることだろうか。

 

 そいつらは上に向かって威嚇するように何発か銃弾を連射して告げた。

 

「全員、命が惜しければ大人しくしていろ」

 

 野太い男の声には情というものが一切感じられなかった。

 

 反抗すればすぐさまあの銃が火を噴いて自分たちに穴を開けるとわかっているから、誰もが怯えながら男たちの指示に従った。

 

 そして現在、その場に居合わせた利用客がウィズを含めて五十名程の集団となって密集していた。

 

 怯えて青ざめた表情で皆がロビーの床に座り込まされ、犯人たちの動向を恐る恐る窺っている。

 

 中には次元港の職員の姿も見受けられ、制服姿のまま連れ出されて座り込まされていた。

 

 ウィズたちの集まりとは別に、もう一つ入口の方にも同様に利用客が一か所に集められている。

 

 そちらの方では緊張に耐えられなかった一人の若者が犯人の一人に突っかかり、脚を撃ち抜かれていた。

 

 何の躊躇もなかった。

 

 犯人たちにとって人質が生きてさえいればいい、歯向かえばたとえ手足をへし折ってでも黙らせるだろう。

 

 ウィズはそれとなくロビーの見える範囲を観察していた。

 

 目に見える範囲で確認できる犯人グループは十人。

 

 制圧時にはもっと人がいた筈なので他の場所の制圧に向かったかトイレなどに隠れている人がいないか確認することに人員を割いたのだと予測できる。

 

(ここのロビーだけでも鎮圧できるか……無理だろうな)

 

 ウィズたちの集団を監視しているのが四人、別の集団側には人質の人数もこちらより多いためか六人いる。

 

 近くの四人だけならばできないこともないが、遠くにいる犯人に気づかれずになど不可能だ。

 

 彼の拳が届かない位置から一斉に射撃されて無事でいられる保証はないし、人質を盾にされて殺されでもしたら最悪だった。

 

(しかも、あの機械…………もしかしてAMFってやつか?)

 

 ロビー中央に置かれた大型の機械。まるでアンテナを伸ばすように水晶が真上に突き出され、不思議な光を放っている。

 

 犯人の何人かがロビーの制圧と同時に設置していったものだ。

 

 確証はないが、自分の感覚を信じるのであれば魔力が掴みにくくなっていることから何らかの魔力減衰効果があると思われた。

 

 そんな効力を生み出す兵器など記憶に新しいミッドチルダを襲った未曾有のテロ事件で使われたとされた、ある兵器を真っ先に連想してしまうのは仕方のないことだ。

 

 ニュースでチラリと見たくらいではあるが、AMFと呼ばれる魔力の結合を阻害するシステムが悪用されたと報じられていたことを思い出していた。

 

 全く別の、それこそロストロギアの可能性もあるがウィズには判断はつかない。

 

(魔法阻害に、あとあの銃弾も何か魔法を弱らせる効果がありそうだしな)

 

 警備員の防御魔法をちっぽけな拳銃で砕いた光景はしっかりと見ていた。

 

 拳銃そのものの威力で魔法が簡単に壊されるとは思えない。そのため、考えられるとしたら銃弾そのものに作為がされているということ。

 

 それに昨今の魔法社会においてこれだけの質量兵器を持ち出せる組織の規模は相当なものだろう。

 

 不確定要素が余りにも多すぎる。

 

 ウィズは管理局が来るまで大人しくしていることが吉であると納得することにした。

 

 その時、頬にガーゼを張った男が近くを巡回していた。

 

 慌てず自然な動作で顔を下に向けてウィズはやり過ごす。

 

 今はフードを取っている。こんな状況でフードを被っていればその方が目立つからだ。

 

 その男は神経質になっているのかしきりに辺りを見渡してウロウロと徘徊していた。

 

 落ち着かない様子からもしかしたら大規模な犯罪行為に加担するのはこれが初めてなのではないかと予想できる。

 

 そうでなくともウィズのことに気づかない程度には視野は狭い様子だった。

 

(そもそもこいつらの目的って何だよ、テロか? 人質を取るってことは要求したいことでもあるのか?)

 

 無差別殺人を行っていないことから脅迫が目的であると考えた。

 

 誰に対して、と考えれば真っ先に思い浮かぶのは管理局に対して、ということだ。

 

 脅迫の内容としては拘留された犯罪者の解放や管理局によって管理制限された世界の開放などしかウィズは思いつかなかった。

 

 だが、犯罪者の目的などどうでもいいことだ。今は家族全員無事に生還することが重要だと再確認した。

 

 隣を見れば、青ざめた顔で不安そうにしているセリィをヨハンが肩を抱いて落ち着かせていた。

 

「……大丈夫さ、すぐに管理局の人たちが助けに来てくれる」

 

「……そうよね、大丈夫よねぇ」

 

 囁くような小さい声で妻を安心させるように優しく語りかける。

 

 ウィズは父の手が震えているのを視認した。

 

 争いごとなど殆どしたことがないヨハンが自身の不安を押し殺してセリィを気遣っている事実にウィズは心が少し温かくなるのを感じる。

 

 同時に、冷静に事態を把握しようと努めたり武力行使で解決できないか考えている自分が場違いに感じた。

 

 しかし、小声でも犯人の誰かに聞かれれば面倒な羽目になるためウィズは二人に向かって唇に人差し指を立てるジェスチャーを取った。

 

 そして、できる限り穏やかな笑みを浮かべた。

 

 セリィとヨハンは僅かに目を見開いた。

 

 これまでの人生においてウィズの笑顔は()()()()()()()()()()()()()()()からだ。

 

 彼の笑みはほんの少し引き攣っている。それは怯えや緊張などではなく、微笑むという当たり前の行為に慣れていないためだ。

 

 二人は息子が自分たちを安堵させるために慣れない微笑みを必死に作っているのだと察した。

 

 そんなウィズの行動に幾分か落ち着きを取り戻した夫婦は無言で小さく頷いた。

 

 両親が意図を察してくれたことを見て取り、後はどうこの危機的状況を乗り切るか考える。

 

(とりあえず、管理局が動くまで様子見、するしかねえよな……)

 

 無理に動いて標的にされればたまったものではない。

 

 やはりここは状況が動くまで静観に徹する、とウィズは改めて思い至った。

 

 状況は確かに動く。

 

 しかし、それは良い方向にとは限らない。

 

 現実は無情にも悪意によって捻じ曲げられる。

 

 

 

 ――おぎゃああぁぁぁあああぁぁぁぁ!!!

 

 

 

 ロビーに突如響いた甲高い泣き声。

 

 赤ん坊の声だ。

 

 人質の中に子連れの母親がいたのだ。

 

 周囲の緊迫感と母親の不安感が伝わり、一人の赤ん坊が泣きだしてしまった。

 

 聞く人によっては耳障りとしか感じないキンキンとした大声に、監視している犯人が反応しないわけがない。

 

「おいっ! うっるせえぞ! さっさと黙らせろ!」

 

 怒鳴り声を上げたのはあのガーゼの男だ。

 

 黒塗りの拳銃を突きつけてがなり声を出して苛立ちをぶつけた。

 

(あいつ、赤ん坊が泣きだした時飛びあがって驚いてたからな、恥をかかされたとでも思ったんだろ)

 

 街のチンピラ程度の人物がテロリズムに参加しているようなものだ。

 

 しかもここまで大規模な事件となるとは露ほども考えていなかったのか極度の緊張に陥っていた。

 

 そんな状態で赤ん坊の泣き声を過剰に反応した男は、完全に頭に血が上っていた。

 

 人質を極力殺すなという上からの命令が頭から抜け落ちるほどに。

 

「すみませんっ! すみませんっ! すぐに泣き止ませますので!」

 

 赤ん坊の母親が必死に頭を下げる。

 

 まだ若い、二十代前半かもしかしたら十代の可能性すらある若い女性だった。

 

 大丈夫だから、と何度も子に語り掛け切実にあやそうとするが赤ん坊は泣き止まない。

 

 母親が不安だからだ。母親が泣きそうだからだ。母親が苦しんでいるからだ。

 

 親の不安定な気持ちを鋭敏に感じ取った子供は決して安心することはできない。

 

 一層強く泣き始める赤ん坊に母親はお願いだから、と懇願するように背中を摩り身体を揺らす。

 

 しかし、泣き止む気配は一向にない。

 

(不味いな、これは不味い)

 

 ウィズは誰にも気づかれないように歯噛みした。

 

 ガラの悪い男は今にも撃鉄に指を掛けようとしている。

 

 このままではあの母親と幼い命が危険に晒されることは目に見えている。

 

 チラリと他の犯人たちの様子を見てみれば、一人は無表情、一人は嘲笑を浮かべ、一人は覆面で何もわからない。

 

 三人の様子から誰もあの男の凶行を止める意思がないことだけはわかった。

 

 ならどうするか。

 

 見捨てるのか、助けに出るのか。

 

 考えるまでもない。両親を巻き込む可能性がある現状で助けに出るなんて論外だ。

 

 自分に言い聞かせるように考えたウィズは自分がさらに強く歯を食いしばっていることに気づかない。

 

 意思を再確認するために二人の顔を見遣る。

 

 二人を見て、ウィズは瞠目する。

 

(……母さん、何腰を浮かせてんだ。あんたが立ち上がった所で何もできないだろ、父さんも)

 

 さっきまで自分たちの心配をしていた筈なのに、セリィとヨハンは銃口を突きつけられた親子を悲痛な表情で見ていた。

 

 二人とも今にも立ち上がって駆けだしそうではないか。

 

 争いごとが嫌いな母親が、喧嘩なんてしたこともない父親が、理不尽な悪意を向けられた母子を助けようとしている。

 

 一体どこからこんな状況でかばおうという想いが湧くのか。

 

 意味がわからない。

 

 わからないが、わかった。

 

 ウィズはあの母子を見捨てることは自分の両親の蛮行を許すということだと理解した。

 

(それに、あの男を徹底的に叩きのめして置かなかった俺にも……責任の一端が、なくもない、よな)

 

 さらに今、奴が苛立っているのは昨晩自分に殴られたことも理由の一つかもしれないとウィズは思う。

 

(それなら、このまま見捨てるのは後味が悪いよな)

 

 そう自分に言い聞かせるようにしてウィズは両親の手を取った。

 

 二人は突然の接触に驚いたようにウィズを見た。

 

 ウィズはセリィとヨハンの目をじっと見て告げた。

 

「いいか? これから何が起きても騒がず大人しくしてろよ。絶対にっ」

 

「ウィズ?」

 

「ウィズぅ?」

 

 息子のただならぬ気配に二人は思わず愛する我が子の名前を呼ぶ。

 

 親子の会話は赤ん坊の泣き声にかき消され、周囲の人には聞こえていないだろう。

 

 ウィズは両親の疑問を晴らすことなく、見張りの様子を見てしゃがみながら移動した。

 

 何か言おうとする父親を手で制し、無言のまま人混みを掻き分ける。

 

 人質の中にはいきなり前を通る少年の姿にギョッとする人もいたが、運よく声まで上げることはなかった。

 

(今、見張りの視線は赤ん坊の方に向いてる。あそこで立ち上がっても人混みの外までは遠いからな)

 

 ウィズがやろうとしていることを考えれば、あの場でいきなり立ち上がっても状況を悪くするだけだ。

 

「クソうぜえガキがぁ! コイツで二度と喚けねえようにしてやるっ!」

 

 ピアスをジャラジャラ付けた耳まで真っ赤にして怒りの赴くままにガチリと撃鉄を倒した。

 

 短気な奴だ、とウィズは横目に観察しながら考える。

 

 少し人混みを抜けるまで遠いがこの場で立ち上がって注意を引き付けようかと曲げた膝を伸ばそうとした。

 

「や、やめないか!」

 

(お?)

 

 その前に一人の男性が勢いよく立ち上がって声を張り上げた。

 

 ウィズがその男性の背後を通ろうとしていたものだから少し驚いた。

 

 見れば彼はここの次元港の職員の制服を着ている。

 

 後ろ姿のため確証はないが声や背中の伸ばし方から二十代後半辺りなのではないかと思う。

 

「あぁ!? んだテメェはぁ!」

 

 興奮しきったガラの悪い男が突然立ち上がった男性職員を睨みつける。

 

「そ、その子はまだ赤ちゃんです! 泣いてしまうのも仕方ないことなんです!」

 

 銃を持った相手にも気丈に振る舞う男性職員は必死に訴えかけた。

 

 非常に勇気溢れる行動で褒められ尊敬されるべき姿だった。

 

「うう、うるせえ! 何俺様に指図してんだごらぁ!」

 

 しかし、そんな勇気ある行為そのものが悪意しか持たない男の癇に触れる。

 

 表情を歪めに歪めた男は唾を飛ばしながら苛立ちを吐き出す。

 

 母子に向けられていた銃口が男性職員へと標的を変える。

 

 ギクリと標的となった彼が身を竦ませた。

 

(一応これであの赤ん坊やお母さんからは意識が離れたわけだが……まあやることは変わらんよな)

 

 すぐ脇で震える脚を見てウィズは改めて決意する。

 

 赤ん坊であろうが女の人であろうが男であろうが、結局誰かが犠牲になろうとしているのなら同じことだ。

 

 心に決めたのであれば、行動するのみ。

 

 これだけは未来も過去も変わらないウィズ・フォルシオンの行動理念だ。

 

 引き金に掛かった指が、引かれる直前。

 

 

 ウィズはすくっと立ち上がり、スタスタと人混みから抜けた。

 

 

 あまりにも自然な動作で立ち上がり歩き出した少年の姿に拳銃を構えた男も唖然として固まった。

 

 他の見張っていたテロリストたちも同じだった。

 

 因みに男性職員はウィズが立ち上がった際、肩を引いて無理矢理しゃがませた。

 

 人質の集団から外れ、固まる男に少しばかり歩み寄るとまるで世間話でもする気安さで黒髪の少年は頬を指さして言った。

 

「頬っぺた、大丈夫か? 昨日は手加減せずに殴っちまったからなぁ」

 

 その一言で男も気づいたのだろう。見る見るうちに吊り上がった目が見開かれていく。

 

「て、てててテメェ……昨日のクソガキかぁ!!」

 

 やはり自分に傷を負わせた少年のことを覚えていたらしい男はどんどん目が血走しる。

 

 ただでさえ激高寸前であった男は怒り狂った様子で拳銃をウィズに向けた。

 

 少年はそれを冷めた目で見遣る。

 

「そんな玩具がなけりゃそのクソガキにやり返すこともできねえのか、惨めな奴だ」

 

 嘲る態度を隠そうともせず、ウィズが男を鼻で笑う。

 

 改めて観察してみれば男は私服も同然の恰好で、持たされた銃も他と比べればかわいいものだ。

 

 そして、何より他の見張りから向けられる揶揄するような視線からこの男が仲間からも軽視される存在だとわかる。

 

 拳銃を持った男は子供の嘲笑にわなわなと怒りに震えていたが、あまりの怒りに感情が一周して逆に余裕が生まれたのかニヤリと笑った。

 

「テメェ、これが何なのかわかってねぇなぁ? 俺がこの引き金を引いたらテメェのクソ生意気な面に風穴開けられんだよ!」

 

(此奴本当に頭が悪いな。この状況でお前らが持ってる武器がどんなものか見当がつかないわけないだろ)

 

 逆にこちらを嘲り返してきた男の知能の低さに呆れを通り越して憐れみすら抱きそうだった。

 

 だが、この男は警備員の一人を殺している。今も腹から血を流して動かなくなったその人が視界の隅に入る。

 

 到底、許されることではない。

 

「いいから、早く撃て。それとも何か? ビビッて撃つ勇気がないとでも言うのか? このチキン野郎」

 

 ウィズは絶対零度の視線を向けながら盛大に煽る。

 

 別に隙だらけの男に向かって今すぐ距離を詰めて殴り飛ばすことも難しくなかったが、どうしても銃弾を()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 少年の煽りに最早最後の理性の糸さえぶち切れた男がカッと目を見開いた。

 

「死ねええぇぇえ!!」

 

 

 引き金が引かれる一瞬前、ウィズは大きく右腕を振り上げた。右手が真紅に染まる。

 

 

 パァァン! と銃声がロビー全体に鳴り響いた。

 

 銃口から硝煙が昇り発砲された銃弾は見事人体に命中した。

 

 撃ち抜かれた肉体にぼっかりと銃創が生まれ、ジワリと血が滲み出る。

 

「あっ?」

 

 間抜けな声が漏れる。

 

 無論、その声の主はウィズではない。

 

 拳銃から銃弾を撃った張本人の男が自身の太ももに開いた傷を見て漏らした一声だった。

 

「あ、あああがあああぁぁぁぁ!!!」

 

 遅れてやってきた激痛に男が悲鳴を上げる。

 

 脚に穴が開き、立っていることもできず、男は苦悶の表情を浮かべながら尻餅を着いた。

 

「いでぇ! いでえええぇぇぇ!!」

 

 ジワリと瞳に涙を浮かべ、銃創からだくだくと流れる血液を両手で必死に抑えながら泣き叫ぶようにしてのたうち回る。

 

 大袈裟だな、とウィズは率直に思った。

 

 そもそもどうして撃たれたウィズではなく、撃った張本人が銃弾を受けているのか。

 

 その理由は単純明快、放たれた銃弾を手刀で打ち返したからだ。

 

(半年くらい前に一度拳銃で撃たれててよかった。あの時はびっくりして肩を掠めたが、今日は反応できた)

 

 とんでもないことだが、ウィズは半年ほど前、例の如く絡まれて乱闘になった際に非合法に手に入れたであろう拳銃を向けられたことがある。

 

 ミッドチルダではこの世界以上に厳しく取り締まっている筈だが、それを持っていた男はどうやら裏社会に通じた人物だったようだ。

 

 ウィズはその時魔力反応もないちんけな玩具と本気で思っていたため、飛び出した銃弾に心底驚いた。

 

 相手の狙いが雑であったが故に肩を掠める程度で済んだが、一歩間違えば命に関わる重傷を負っていた可能性もある。

 

 別に当時を思い出してもゾッとはしないが、どこぞの刑事課の男性に手痛い叱責を受けたことで少しばかり反省している。

 

 しかし、銃弾を打ち返したと言ってもこの時のウィズは銃弾を視認できていたわけではない。

 

 向けられた銃口の角度から射線を推測し、引き金を引く指を注視して発射のタイミングを計る。

 

 後はそれに合わせるように手刀を振り下ろすだけのこと。

 

 過去一度の経験から拳銃の対処を自己流で編み出し、本番一発目で見事に成し遂げるという少年の異常性。

 

(それにしてもまさか脚に当たるなんてな、足元に打ち返せれば十分だったんだが)

 

 ウィズとしてはまだ銃弾を的確に狙った場所へ打ち返すことまではできない。

 

 銃撃者付近の床を狙っただけだったが、思わぬ成果に多少目を見張った。

 

 情けない顔で喚く男を尻目にウィズは自分の右手に視線を向ける。

 

「…………」

 

 小指側の側面部、手刀で銃弾を打ち返した箇所の肉が歪に抉れている。

 

 少なくない血が流れ出ていたし、痛みも当然発生しているがウィズは顔色一つ変えない。

 

(やっぱあの機械は魔力を阻害する効果があるな、右手に魔力が込めにくかった。それにしてもあの銃弾、厄介だな)

 

 ウィズは負傷した経緯から現状を把握する。

 

 右手に込めようとした魔力が平常時と比べて解かれるような強烈な違和感があったこと。

 

 それでも纏わせた魔力を撃ち破って自分の右手に傷を負わせた弾丸の威力。

 

 実際に体験してみて知りたかった情報を入手できたが彼の心情は芳しくない。

 

(ああ……終わったな、俺)

 

 ウィズは瞳を僅かに細め、静かに自身の結末を悟った。

 

 魔力阻害により本来の力を発揮できず、たとえ全力を出せたとしてもあの銃弾を防ぐことは難しいだろう。

 

 さらに単発の拳銃一丁程度なら幾らでも捌く自信はあるが、複数のしかも威力も連射性も格段に上の機銃を持ち出されればひとたまりもない。

 

 そして、いくら軽く見られている男であったとしても、仲間を傷つけられて五体満足で大人しく集団の中に戻してくれるとは到底思えない。

 

 ウィズは自分の死が避けられないことを理解する。

 

 死ぬことに恐怖はない。自分が死ぬことに微塵も恐怖はない。

 

(最悪、近くにいる残りの三人は道連れにしてやる)

 

 こんな状況であっても彼の心の波紋はいつだって穏やかだ。

 

 ただ淡々と自分と相手の戦力を計算し、如何に最後まで足掻き続けるかを考える。

 

 他の見張りがどういう反応しているか探ろうと視線を向ければ、どうしたことだろうか。

 

 怒っているわけでもなく、呆れているわけでもなく、笑っているわけでもなく、銃すら構えていない。

 

 顔が引き攣り、それはまるで何かに怯えているような表情にも見えた。

 

 その時、ふと気づいた。

 

 赤ん坊の泣き声が止まっている。

 

 さっきまでわんわんと泣いていた子供の声が途絶えている。

 

 自分よりも大きな泣き叫ぶ声に気圧されたのか、はたまた――。

 

 

「んだぁ? 随分と威勢のいい餓鬼がいるじゃねえか」

 

 

 ――突如として背後に現れたこの男の獰猛な気配に圧倒されたか。

 

「――――ッッ!!」

 

 全身に怖気が走る。

 

 ウィズは振り向くよりもそこから離れることを優先した。

 

 獣のような俊敏な動作で滑るように飛び退いた。

 

 跳びながら、見た。

 

 そこに立っていたのは悪鬼だ。

 

 大柄な体格に分厚い胸板と両腕、血に染まったような赤髪に猛獣の如き眼光、その鋭い左目とは反対の白く濁った右目が印象的な厳つい男がいた。

 

 筋骨隆々の身体を隠そうともせず、黒のアンダーシャツ姿で他のメンバーと違って防弾チョッキなどは一切身に着けていない。

 

 圧倒的なまでの存在感。

 

 これほどの威圧感を秘めた男の接近に全く気付くことができなかった。

 

 その男を見て感じた戦慄は今まで感じたことのない衝撃だった。

 

 ウィズはこれまで近所の悪ガキから街のチンピラに始まり、魔導士、格闘家くずれのゴロツキや先述した裏社会に通じる犯罪者さえ相対してきた。

 

 だが、違う。

 

 この男は、決定的に違う。

 

 左目に灯るのは光などではない、ドス黒い殺意の塊だ。

 

 人として当たり前に持っている感情や人情など目の前の悪鬼には存在しない。

 

 それを象徴するように男の右手には銃と剣が一体となったような奇妙な型の武器が握られていた。

 

 刀身には生々しい血痕が大量に付着し、今も剣先から床に滴り落ちている。

 

 乾きやすい血液が未だに滴り落ちていることからついさっきまで人を斬っていた何よりの証拠だった。

 

(クソ……こいつが、親玉か? こんな化け物が)

 

 少年の感覚では他の連中は質量兵器を手にしただけで一般人と大差なかった。

 

 だが、この男は正真正銘の怪物だ。

 

 ウィズの顔に冷や汗が浮かぶ。

 

 今まで喧嘩や乱闘の時ですら相手と面と向かい合っただけで汗が出てきたことなどない。

 

 少年の中で本能という警報がけたたましく鳴り響いているのを実感する。

 

「ほお? 餓鬼にしてはいい反応だ」

 

 大男はウィズの動きに感心したように左の眉を少しばかり上げる。

 

 その時、右側はピクリとも反応していないことからやはり右目は見えていないのではないかと推測できる。

 

 ウィズは自分が無意識に強大な相手の隙を突こうと考えていることを自覚し、逆に安堵した。

 

 ただでは死なない、とより一層奮起させるきっかけとなったからだ。

 

 眼前の子供が一矢報いようと決意したのを感じ取ったのか、男は凶悪な笑みを浮かべて心底嬉しそうに言った。

 

「……いいなぁお前。さっき斬った自称AAの魔導士よりかは楽しめそうだ」

 

 斬ったという言葉と同時に銃剣を振って付着した血液をロビーの床に飛ばす。

 

 ぶわりと大男から尋常じゃない殺気と闘気が入り混じった威圧感が放たれる。

 

 直接向けられたわけではない人質の集団から小さい悲鳴が幾つも漏れ出るほどに巨大な圧力だった。

 

 殺気を向けられた当人は気にせず腕を上げて構える。

 

 ウィズの動じない態度に益々笑みを深めて、大男が銃剣を振り上げた。

 

「ギギギ、ギースさぁん! そいつ、そのクソガキをぉ、今すぐぶぶぶっ殺してくださいよぉ!!」

 

 一触即発の空気に割って入ったのは情けない男の叫びだった。

 

 ウィズもすっかり意識の外に出していた銃弾を打ち返されたガラの悪い男がギースと呼んだ大男に懇願した。

 

 太ももに穴が開いた痛みによって涙目で口の端から涎を垂らすほどに余裕が消え失せた男は少年を必死に指さす。

 

 ギースという男の危険性をまるで理解していないかつ単純に空気が読めない男は最悪のタイミングで声を掛けた。

 

 人としてのタガが外れた人物が自分の行動をくだらない理由で妨げられて何もしないわけがない。

 

 そして、ギースは――――笑った。

 

「おお、新入り。手酷くやられたなぁ、大丈夫か?」

 

 怪我をした部下を思いやる兄貴肌の上司がみせる朗らかな笑みだった。

 

 ウィズでさえ一瞬本当に相手を心配しているのかと勘違いするほど自然な笑みだ。

 

 さっきまで襲おうとしていた少年など見えていないかのようにギースは太ももを抑えて蹲る男に近づいてく。

 

「どれ、怪我の具合を見せてみろ」

 

「えっ、あっ、は――」

 

 ぐちゃり、と男の下顎が潰れた。

 

 男が戸惑い顔を上げた瞬間、大男が躊躇なく右脚を振り抜いていた。

 

「あぎぎぎ! がぼぼぼぼぉ!!!」

 

 太ももの銃創など比べ物にならないほど大量の鮮血が吹き出す。

 

 顎をぐちゃぐちゃにされたせいでまともに言葉を発することすら叶わず血の泡を吐き出し続けている。

 

 顎らしき肉片が人質たちの前にべちゃりと転がり、それを直視した人から大きな悲鳴が上がった。

 

「このグズがぁ……人様の計画を邪魔したどころか、俺様の楽しみまで水を差しやがって」

 

 笑みを浮かべていた表情から一変し、眉間に深い皺を作った憤怒の表情で低く重たい声をぶつける。

 

 ウィズは確信した。

 

 やはり、この男はイカれている。

 

 喜怒哀楽のバランスが崩れ、人を傷つける際にも笑顔を浮かべながら躊躇なく手を下す。

 

「死ねボケ」

 

 顎を失い倒れかける男の胴体をさらにもう一度蹴り上げた。

 

「ごぽっ!」

 

 太い脚から放たれた蹴りはおよそ魔力もなしに人間が出せる威力を遥かに超えて強烈だった。

 

 くの字に折れた身体から柔らかいものが潰れる音が耳に届く。

 

 そして、まるでボールのように人が吹き飛び、物が崩れる音を上げながら何十メートルも離れたカウンターの奥へ消えた。

 

 ここから辛うじて見える片足はぴくりとも動かない。

 

 人を殺す行為はこの男にとって虫を踏み潰す、いや雑草を踏み潰すことと同じくらいの感覚なのだろう。

 

「これで邪魔者はいなくなった。よう、待たせ――」

 

 その証拠にこちらに振り向いた顔には人一人殺害した直後にも関わらず、楽しそうに笑っていた。

 

 ウィズは笑みを浮かべたその顔に向かって真紅の拳を叩きつけた。

 

 顔面の中心を粉砕する勢いで思いっきり振り抜いた。

 

 完全な不意打ちを躊躇なく実行した。

 

 一瞬、シンとロビーが静まり返る。

 

 残忍な殺人者相手に正々堂々と勝負すること自体あり得ない。

 

 そもそもこの程度の攻撃が命中するとは思わなかった。

 

 不意を突いたとはいえ、感じ取った男の実力であれば躱すことなど容易だったはず。

 

 にも関わらずギースは顔面でウィズの拳を受けた。

 

 その理由をウィズは身を持って思い知る。

 

「ぐっ!」

 

 苦悶の表情を浮かべたのはウィズの方だった。

 

 まるで生身の腕でコンクリートの壁を殴ったかのような衝撃と痛みが拳に走る。

 

 痺れる右手を抑えて後退すると、ギースは余裕の笑みを浮かべて平然としていた。

 

 鼻先をへし折るどころか何の痛痒も抱いた様子はない。

 

「くはは、いいねぇ。()()()()()()。局の甘ちゃん魔導士とは大違いだ」

 

 心底愉快そうに大男は笑う。

 

 ウィズは右手をぷらぷら揺らしながら内心の動揺を隠して何でもないように聞いた。

 

「かってえな、あんた骨を金属でコーティングでもしてんのか?」

 

 そんなわけがないことは聞いた本人が一番わかっている。

 

「くはっ、そう思うなら試してみろや、おら」

 

 挑発するように腕を広げて、隙だらけの姿勢のまま棒立ちになる。

 

 攻撃を誘って反撃しようだとかあからさまな思惑をこの男は抱いていない。

 

 ただただ楽しんでいる。この状況をただの暇つぶしに使っているだけだ。

 

 だから、思うが儘にウィズを玩具にして面白がっている。

 

 それがわかっていても彼に引くという選択肢はない。

 

 その瞬間、ウィズは一刀のもとに斬り殺されるだろう。

 

「――――ッ!」

 

 ウィズは無言で巨漢の眼前まで肉薄した。

 

 足先に魔力を込めた全力ダッシュの勢いのまま、相手の鳩尾に向かって蹴打をぶつける。

 

 常人であれば悶絶どころか身体が吹き飛んで胃の中身をぶちまけるところだが。

 

「効かねえなぁ」

 

 ギースは小動もしない。

 

 人間の肉体を蹴った感触ではない。がちがちに固められた金属の壁のような感触だ。

 

「っ、らあぁっ!」

 

 少年は怯まずに身体を回転させた。

 

 首筋に回転蹴りを叩き込み、あばらに肘をめり込ませ、掌底が胸を打つ。

 

 傍から見ている人には一撃一撃凄まじい風圧が顔を叩き、少年の攻撃には途轍もない威力が込められていると感じられる。

 

 しかし、男の巨体は微動だにしない。

 

「おうおう、あれが起動してるっつうのによくそこまで魔力が込められんなぁ。感心感心」

 

 あれ、というのはロビー中央に置かれた水晶付きのアンテナみたいな機械のことだろう。

 

 ギースの言葉からどういう仕組みかあの機械が魔力の結合を阻害しているのは間違いない。

 

 だが、ウィズは気にせずに拳にありったけの魔力を込める。

 

 大人と子供の身長差など無視するように跳びあがり、先ほど以上に拳を握り固めてにやついた男の顔に殴りかかった。

 

 今度は眼球に直接拳を抉り込んだ。

 

 それでも、通じない。

 

 眼球がまるで強化ガラスで覆われているかのようだ。

 

「狙いはいいが、なっと」

 

「ッッ!」

 

 何の前触れもなくギースは手に持っていた銃剣を斜めに振り下ろした。

 

 軽い掛け声とは裏腹に繰り出された鋭い一閃をウィズは身体を捩って全力で避ける。

 

 脇腹を掠めるようにして何とか躱し、一旦距離を離す。

 

(ふざけんなよ……マジでどういう肉体強度だこいつ)

 

 ウィズは生まれて初めて自分の拳が通じない相手と出会った。

 

 これまで右手の一撃で倒れなかった相手はいなかった。

 

 今まで培ってきた自信が粉々に砕け散るのを感じる。

 

 しかし、そんなことで攻撃の手を緩める理由にはならない。

 

 もしも本当にこの男が武装組織のボスであれば、絶対的強さを持つ男がもし倒れれば、何かしら連中に動揺が走る筈だと予想できる。

 

 そうなれば人質が逃げ出す隙も生まれるかもしれない。

 

 ならば命がけで突破口を見つけるしかない。

 

 ウィズは自然と霧散しようとする魔力を繋ぎとめて、拳を握り込んだ。

 

「あああぁああ!」

 

 気合いを入れ直すように声を上げ、両拳を振りかぶる。

 

 風を切って幾度も拳が放たれる。

 

 腹部を突き刺し、顎を穿ち、背後に回って頚椎を蹴り抜く。

 

 どれも魔力を減衰させられているとは思えない濃密な魔力が込められた一撃だが、効かない。

 

 ギースは薄ら笑いを浮かべたまま、平然と立っている。

 

「おうら、どしたぁ! そんなもんか小僧ぉ!」

 

 獰猛な笑みをより深くし、ギースが右腕を後ろに振った。

 

 ウィズの首を断とうとした銃剣を転がるように躱す。

 

「ちっ――――っ」

 

 転がった先に偶然転がっていた黒い物体が落ちている。

 

 手に当たるようにぶつかったそれを一瞬の逡巡の末、手に取った。

 

 それはウィズに銃弾を跳ね返され、ギースに粛清された男が落とした一丁の拳銃だった。

 

 見様見真似で突き出して、引き金を引いた。

 

 パァン! という乾いた破裂音と共に少なくない反動が腕を襲う。

 

 しかし、少年は一切のブレなく次弾を放つ。

 

 狙いは勿論、前方で残忍な笑みを隠そうともしない鬼のような男だ。

 

 寸分違わず男の胸と腹に命中する。

 

「ぐっ――はーっはっは! 躊躇なく人を撃ちやがったぜこいつ!」

 

 苦悶の声などではない。銃弾は傷ひとつ負わせず弾かれた。

 

 ギースの身体は銃弾すら受け付けない。

 

 それどころかギースは躊躇いなく引き金を引いたウィズを称賛するように天に顔を向けて大きく笑った。

 

 肩を震わせてコメディ映画を観ている観客のようにせせら笑う。

 

 凶悪な男の歪んだ目元からはウィズを馬鹿にするようでもあり、逆に感嘆してるようでもある悦楽の感情が伝わって来た。

 

(銃弾も無意味か、バケモンが)

 

 構わずウィズはもう一発銃弾を放つ。

 

 額に直撃した弾丸は金属にでもぶつかったかのような反響を上げて跳ね返される。

 

「……くそが」

 

 これ以上の発砲は銃弾が逸れて人質に当たる可能性もあり危険だ。そもそも前方で余裕の笑みを崩さない悪漢には全く無意味だと思い知った。

 

 ならば、とウィズは真横に銃口を向けた。

 

 その先には魔力阻害の原因と思われる機械が置かれている。

 

(あれを壊せば、少なからず管理局の救助の手助けにはなるだろ)

 

 それはウィズの直感だ。

 

 実際にはあの機械はただの目くらましで隠された本物の魔力阻害の道具があるのかもしれないが、ウィズの勘があれを壊せばこの現象は治まると言っていた。

 

 だから、多少なりとも損傷を与えられるように引き金を引こうとした。

 

 あそこの周囲には人質も近づけられていないため、誤射する可能性が少ないこともあった。

 

 指に力を込めようとした瞬間、ぐしゃりと拳銃の銃身が潰された。

 

「おっと、メンドーなことはやめろや」

 

 アルミ缶を潰すような気軽さでぺしゃんこにされた拳銃を咄嗟に手放して、眼前にまで近づかれた距離を空けようとする。

 

「そぉらよっ!」

 

 しかし、ウィズが身を起こして地面を蹴るよりも前に、ギースの太い腕が大きく横に振るわれる。

 

 銃のような剣を持った左腕であったが、その武器ではなく生身の腕で少年の胴を薙いだ。

 

 乱暴な動作であったが、ウィズは避けることも敵わずに吹き飛ばされる。

 

 ミシリ、と嫌な響きが身体の中から聞こえた。

 

 大型二輪車に撥ねられた時でさえもここまでの衝撃は受けなかったと床を転がる寸前に想起する。

 

 背中から地面に落ちて幾度か身体を振り回されるが、すぐに態勢を整え片膝を着くようにして衝撃をいなす。

 

 左の脇腹から鋭くも鈍い痛みが走りはしたが、無視した。

 

 ギースは腕を振り抜いた状態のまま即座に起き上がった黒髪の少年を見て、一瞬呆けた顔をしていたがすぐに深い笑みへと変わる。

 

「くはは! なんだよおい! へし折るつもりだったのに罅で済んだのか!? がはは、()()()()()()()()()()()()なんて骨格してんだ!」

 

 バンバンと自分の膝を叩いて乱雑に放笑する。

 

 その合間にもウィズは目標を無敵に近い大男から例の機械へと変える。

 

 今自分ができる抵抗と言えば魔力阻害の機械を破壊するくらいしか残っていないと考えたからだ。

 

 胸の奥から魔力を捻出し、慣れない魔砲撃を放って少しでも隙を作ろうとした。

 

 が、ギースは笑いながら剣先を突き出した。

 

「面白れぇ! 面白過ぎて腹が捻じれそうだぞ小僧!」

 

 相も変わらず態度と殺しの動作が乖離している。

 

 およそ銃の機構を有しているとは思えない武装の先から赤褐色の球体が生成される。

 

 ピンポン玉程度の大きさしかないにも関わらず、込められた力の量は途轍もない。

 

(魔力、じゃねえ! なんだあれは!)

 

 肌を焼くようなピリピリとした感覚は、これまで味わったことのないものであり身の危険を大いに感じさせた。

 

 魔力とは全く別種の、それでいてより純粋な破壊的エネルギーだった。

 

 ドン! と空気を揺るがすような波動を伴い錆色の弾丸がウィズに迫る。

 

「お、おぉ!」

 

 ウィズは練り込んだ力を必死の思いで魔法という形態ですらない魔力の塊を放つ。

 

 二つの力が衝突すると、シャボン玉のように少年の魔力は消し飛んだ。

 

 そして、着弾する暴力の塊が凄まじい轟音を立てて一面を破壊する、

 

 その場にいた全員が地震でも起こったのではないかと感じる程強い縦揺れが生じた。

 

 ロビーの受付窓口の一帯がごっそりと削り取られたかのような惨状を見るに少年の身体も同様の結末を辿ったことだろう。

 

 直撃していれば、だが。

 

「ごほっ…………がぁっ」

 

 ゴロゴロと爆風によって無様に地面を転がりながらもウィズは生きていた。

 

 魔力塊を放ってすぐ、決死の思いで横に跳んでいた。

 

 咄嗟の回避行動と多少なりとも少年の魔力で弾速が落ちていたことで何とか直撃を避けることができた。

 

 しかし、無傷というわけにはいかない。

 

 強力な爆発によって飛んだ破片が衣服を切り裂いて身体に無数の傷をつける。

 

 そんなかすり傷はまだ浅い方で、爆風によって地面に叩きつけられた背中や瓦礫が当たった右脚などは酷い打撲を負っているだろう。

 

 それすら無視してウィズは転がる反動を利用して勢いよく立ち上がる。

 

 視線を切ってしまった悪漢の姿を捉えようと視線を上げ、目を見開く。

 

 こちらへ踏み込もうとする男が見えた瞬間、既に自分の目の前に居た。

 

 遅れて踏み込んだ際の衝撃音や空気を切り裂く風切音が耳に届いた。

 

「ほうら喰らいやがれ」

 

 真横に突き出された左腕がウィズの顔面目掛けて叩きつけられようとしている。

 

「――――――――」

 

 筋肉の鎧に包まれ凶器と化した太腕が直撃する寸前、自身の両腕を間に挟めたのは奇跡に近い。

 

 意識してのことではない、これまで喧嘩に明け暮れた日々が成した反射的行動だった。

 

 まるでプロレスラーのラリアットのような攻撃だが、威力は段違いだ。

 

 

 少なくとも、ウィズはこの時数瞬意識を飛ばされた。

 

 

 今度の衝撃は何だろうか、二トントラックに正面衝突された衝撃とでも言えばいいのだろうか。

 

 ウィズは自分がロビーの柱に身体をめり込ませた痛みで意識を戻した。

 

 直後には両腕を襲う激痛を感じるが、骨は折れていないようなので気にするほどではなかった。

 

 鼻の奥から液体が流れる感覚で反射的に顔を拭うと赤黒い血が付着する。

 

 どうやら今の顔面打ちによって鼻血が出たらしい。

 

 少し呼吸がしにくくなるがそこまで問題はない。

 

 頭を打ったせいかほんの少しふらつく脚を強く踏み締めることによって抑制する。

 

 大男の圧倒的な重量攻撃に晒され、さらに凄まじい速度で石柱に叩きつけられて尚淡々とした表情で歩み出てきた少年に周囲から息を呑む声が聞こえる。

 

 それは武装した他の犯罪集団も同様であり、例外はギースのみだった。

 

「ひゅ~、とんでもねえ小僧だぜ、ぐぁっはは」

 

 気安く口笛すら吹く横柄な態度を見せて、粗暴な笑みを浮かべている。

 

 人に血を流させておいて平気で嗤う男に嫌悪感しかわかなかったが、ウィズの意識は如何に隙をついて機械を破壊するかに向いている。

 

 ついでに時間を稼げるだけ稼ぎたいとも思っているが、きっと装置を壊すことに成功した場合、為すすべなく惨殺されるであろうことはわかりきっている。

 

 今でさえ遊ばれているに過ぎないのだから当然だ。

 

(ここまで馬鹿にされるといっそ清々し、くはないな死ぬほどムカつく)

 

 打ち付けた背中や頭の奥がガンガンと痛みを発するのも全部この男のせいだと思うと怒りが込み上げてくる。

 

 湧き上がる怒りを押し込めて、右手に魔力を込める。

 

 結局のところ、ウィズができることはやはりこれだけだ。

 

 喧嘩の延長しか自分にできることはない。

 

(もっと強く……もっと激しく……もっと深く)

 

 意識を集中させて右拳に魔力を凝縮させる。

 

 少しでも奴に痛打を与えられるように。

 

 少しでも隙を作って魔力弾でも瓦礫でもあの装置にぶち当てるために。

 

 身体のあちこちから血を流した少年がまだまだ戦意が萎えていないのを見て取ったギースが愉快そうに口角を上げる。

 

 相手を完全に舐めた態度は決して崩さず、少年の出方を眺めている。

 

 強力な魔力阻害の状況下でもウィズの右拳は真紅に輝く。

 

 その輝きは希望の光にも見えれば、反対に最後に瞬くなけなしの残光にも見えたかもしれない。

 

 少なくとも彼女には後者に見えたのだろう。

 

 ウィズが仇敵に殴りかかるため一歩踏み出そうとした時、今最も聞きたくない声が彼の心を揺さぶる。

 

 

「やめてぇ! ウィズをこれ以上傷つけないでぇぇ!!」

 

 

 夫の制止を振り切って、立ち上がったセリィが悲鳴のような声で叫んだ。

 

 愛する息子が理不尽な暴行により血を流す姿を目にして、黙って見ていられるような性格ではなかった。

 

 それを一番よくわかっている少年は初めて大きく顔を歪ませた。

 

「ばっ――――」

 

 ウィズは失敗した。

 

 この時、母の声など無視して殴りかかるべきだった。

 

 あの男が自分の逸楽を邪魔されれば、どんな凶行に出るか数分前に目にしたばかりだというのに。

 

 そうすればまだ止められたかもしれない。

 

 さらに視線すら切るなど愚行にも程がある。

 

 そのせいでギースの表情が仮面を外したかのように豹変するのを見逃した。

 

 無造作に右腕を上げた動作から何をするか、それを察して飛びかかろうとした時にはもう遅い。

 

 ギースの行動を遮るタイミングを完全に逸してしまった。

 

「うるせぇ邪魔だ」

 

 無色の衝撃波が飛ぶ。

 

 暴風の塊となったエネルギーの奔流がセリィの華奢な身体を襲う。

 

「きゃ――――っ!」

 

 短い悲鳴はかき消され、彼女の細い身体は抵抗すらできずに吹き飛ばされる。

 

 魔導士ですらない普通の人間が反応できる速度を逸脱した勢いで、背中から強かに壁に打ち付けられた。

 

 ずるりと壁に凭れかかるように倒れるセリィは意識を失ったように力が抜け落ちている。

 

「セリィ!!」

 

 ヨハンの妻を呼びかける悲痛な声が嫌に響く。

 

 遮二無二になって妻の元へ駆け寄る父の姿。

 

 痛々しげに眉をひそめて気絶する母の姿。

 

 彼女の頭から頬を伝うように赤い液体が滴り落ちる。

 

「おう、続けろや小僧」

 

 自分の凶行を何一つ気にした様子もない悪鬼のにやついた顔。

 

 

「――――――――――――――殺す」

 

 

 ウィズは初めて殺意というものを自覚した。

 

 そして、腸が煮え滾るという感覚はまさに今この瞬間のことを言うのだと身を持って体感した。

 

 地面が破裂する。

 

 沸騰した頭が奴を殴り殺せと訴えている。

 

 その衝動に従うように右腕を振りかぶって、驚異的な速度で距離を詰めた。

 

 突撃の超加速をそのまま拳の威力に変えて、真紅の一撃を突き出す。

 

 空気が爆発したかのような衝撃が走る。

 

 かつてないほどに圧縮された魔力が人体など容易く粉砕する威力を生み出す。

 

「んだぁ? ママをイジメるなって怒ったかぁ? くっははは! 餓鬼はやっぱ餓鬼か」

 

 だが、ウィズの拳はいとも簡単に受け止められる。

 

 がっしりと体格に見合った大きく厚い手に阻まれ防がれた。

 

 ギースの手に触れた瞬間、魔力そのものが分解されるような奇妙な感覚によって力が抜ける。

 

「癇癪起こしてもよぉ。絶対的な力の差は埋まらねえぞ小僧ぉ」

 

 必死に食い下がろうとする少年を見下す様な嘲笑を浮かべながら拳を掴む力を徐々に強めていく。

 

 ギシギシと骨の軋む音が聞こえ鈍い痛みが広がってくる。

 

「このままよぉ、テメェの手をぐしゃぐしゃにしたらさぞいい声で泣きわめ――」

 

 瞬間、醜悪な笑みを浮かべていた男の顔が跳ね上がる。

 

 真上に真っ直ぐ蹴り上げられたウィズの脚がギースの顎を打ち抜いた。

 

 今までどんな攻撃でも小動もしなかった男が初めて攻撃の影響を受ける。

 

 そのまま数歩ばかり後ろへよろめく。

 

 ウィズは掴まれた拳を引き抜いて距離を取る。

 

 ギースはゆっくりと顔を下に戻す。

 

 つぅ、と口の端から僅かな量の血液が垂れる。

 

 血を親指で掬うように拭い、付着した赤い液体をちらりと見遣った。

 

「……何しやがった、小僧ぉ」

 

 能面のような顔つきに変わった大男に対し、憤激を瞳に宿したウィズが感情を押し殺した低い声で答えた。

 

 怒りに染まった頭は男の声など当然無視しようとした。しかし、返答することによって男の意識をこれ以上他に向けないようにと残った理性が訴えた。

 

「……魔力を消されるなら、消し切れない魔力を出し続ければいい。それだけだ」

 

 ウィズがやったことは魔力の大放出。

 

 それもただ魔力を垂れ流すだけでなく、層を作るように魔力の波を重ね合わせるという離れ技をやってのけた。

 

 意識してのことではない。憤怒に支配された少年が本能で編み出した技法だった。

 

 ギースは途端に凶悪な相貌で嗤う。

 

 目を剥いて瞳孔を獣のように鋭くさせてウィズを射抜いた。

 

「いいなァ……ここまで最っ高の暇つぶしは初めてだッ!」

 

 声を張り上げるや否や長大な銃剣が振り下ろされる。

 

 間合いの外にいた筈のウィズにも腕力にモノを言わせた斬撃が衝撃波となって届く。

 

 超人的な反射神経で避けたが肩の肉が僅かに削がれる。

 

 構わずに直進して右拳を唸らせる。

 

 莫大な魔力が込められた一撃に大男の頬が潰れる。

 

 弾かれたように首が捻じれるが、ぎらつく男の眼はウィズを捉えて離さない。

 

 反撃がすぐにきた。

 

 乱暴に振るわれた腕が少年を打ち付ける。

 

「がっ……!」

 

 肩口に食い込むように鈍器と化している男の腕が振るわれ、ウィズは苦痛の声を漏らして地面に叩きつけられた。

 

「ぐ…………っ!」

 

 鎖骨が軋みを上げ、肩が外れたように熱い痛みを発するが無視してすぐに上を見る。

 

 そして、気づく。

 

 顔面に影が差し、その正体が自分を踏み砕こうとする足裏だと気づいて首を全力で逸らす。

 

 直後に顔のすぐ横を男の踏み抜きが通り過ぎる。

 

 ごく単純な暴力だが、威力は絶大だ。

 

 まともに喰らえば間違いなく頭が圧殺されるであろう一撃は地面を爆散させて少年の顔面に無数の破片を飛ばした。

 

 幾つも細かい傷を作り、踏みつけの圧力に押されて転がるよう床を滑った。

 

「づ、かはぁ…………」

 

 右の耳が雑音に支配される。鼓膜が潰れたようだ。

 

 幸いにも破片は目元を傷つけはしたが、眼球そのものに負傷はない。瞼が開きにくいが見える。

 

 何の問題もないとウィズはすぐさま立ち上がる。

 

 男も立ち上がる少年を目にして追撃を掛けてくる。

 

「どうらぁ!」

 

 技術も何もない振り下ろしの斬撃を回転するように躱して、ウィズは鞭のように蹴打を入れる。

 

「ああぁあ!」

 

 脇腹に食い込むが、身をよじる程度にしかならない。

 

「ぐあはは! 死ねぇ!」

 

「手前ぇがな!」

 

 続けざまの首を刈ろうとしてくる刃を飛び退いて避ける。

 

 その腕をへし折ろうと膝を下から突き上げるが、少しばかり腕が持ち上がるだけだった。

 

「糞が!」

 

 苛立ちを隠しきれないウィズの声が思わず零れる。

 

 その後も魔力を放出させた四肢で何十という打撃を見舞う。

 

 どれもが年端もいかない子供が繰り出す魔力打撃としては破格の威力が込められている。

 

 確かに攻撃は通る。

 

 多少なりとも、ダメージは負わせられる。

 

 しかし、致命には程遠い。

 

「どうしたァどうしたァ! そんなもんかおらッ!」

 

 ウィズの反撃などこの男にとって楽しみを加速させるスパイスでしかない。

 

 なまじ肉体に食い込むようになったために、男の闘争心をより湧き立たせることとなった。

 

 ウィズが全身全霊で拳を放っても暴虐の嵐は激しさを増すだけだった。

 

「ごほっ―――」

 

 強烈な一発を避けても、破壊の余波によって吹き飛んだ頭ほどの礫が腹部にめり込む。

 

 宙に浮かされた黒髪の少年が唾液混じりの息を漏らす。

 

 だが悶絶している暇はない。

 

 即座に銃剣が横薙ぎに振るわれ、内臓をぶちまけさせようと迫ってくる。

 

 掌から不格好な砲撃を撃ち、その推力で何とか躱す。

 

「ぐはっ……はぁ、はぁ」

 

 それでも浅くない切り傷が腹部に真一文字の跡を残し、思い出したように血が噴き出す。

 

 内臓にこそ達していないが、少なくない出血で床に赤の斑点を幾つも作る。

 

 ウィズの傷は刻一刻と増えていき、深さを増していった。

 

(野郎ぉ、絶対に……絶対にぶち殺すッ)

 

 想起されるのは母が壁に打ち付けられる姿。

 

 あの優しく穏やかな女性を、誰よりも思いやりに溢れた人を、あんな目に合わせて良いわけがない。

 

 あのような仕打ち、断じて許されるわけがない。

 

 ウィズの思考は最早眼前の怨敵を叩き潰すことに染まっていた。

 

 冷静さを無くし呼吸を整えることもなく、一心に男へ猛然と駆ける。

 

「そうだ来い! もっと俺を楽しませろ小僧!」

 

 少年の殺意を肌に感じながら、それが心底痛快だと言わんばかりに腕を広げて笑みを深める。

 

 そして、唐突に剣を振るう。

 

 無様に死体を晒すことも楽しみにしているのか、平然と頭を分かつように振り下ろす。

 

 ウィズは構わず懐に潜り込む。

 

 熱く鋭い痛みが背中に感じるが無視する。

 

「おおぉぉ!!」

 

 がら空きの腹に突進の勢いを乗せた左拳を抉り込む。

 

 ズドン、と人体を殴った音とは思えない鈍く重い打撃音が耳に届く。

 

「っ…………効かねえよ」

 

 それでも僅かに身体を折らせる程度に留まる。

 

 わざと痛がる素振りを見せてから嘲るように口を開く男の顔が非常に腹立たしい。

 

 しかし、それでよかった。

 

 

 身長差を考えれば地に足をつけたままソコを殴るには、少し姿勢を低くしてもらわなければならなかったのだから。

 

 

 ぎりぃ! と歯を食いしばる。

 

 さらに一歩踏み込んだ足が地面にめり込む。

 

 そして、強烈な煌めきを放つ右拳が天を貫くように撃ち出した。

 

 赤の輝きの強さも秘められた破壊力も今日一番のものだっただろう。

 

 一直線に放たれた拳が無防備なギースの顔面に直撃する。

 

 その、見開かれた左目に拳を尖らせて捩じり込んだ。

 

 ぐしゃりっ。

 

 硬質的でありながら柔らかいものを潰したような矛盾を感じさせる感触が右手から伝わる。

 

「ごがあぁぁぁ!」

 

 これにはたまらず大男から苦痛の声が上がる。

 

 そのまま腕を振り抜いて、男の身体を後方へよろめかせる。

 

 赤黒い血を噴き出す眼窩を押さえ、数歩ばかり後ずさる。

 

(今だ!)

 

 もう魔力も残り少ない。

 

 このような機会はもう二度と訪れないことを察し、一気に畳み込むために飛び出した。

 

 一撃で意識を奪うような打撃、撃ち込む箇所は後頭部。

 

 現在潰された目玉の痛みに耐えるように背を曲げ屈んでいる。

 

 再び右手になけなしの魔力を練り上げた。

 

 ギースの左側は眼球を壊され、その負傷を左手で押さえている。

 

 大きな死角だ。だから左から背後へ回り込むようにして駆け出した。

 

 

「ああぁぁぁ――――ぶあぁぁああかがッ!!」

 

 

 痛みに悶えていると思われたギースが突如嘲笑の容貌に変ずる。

 

 眼窩を押さえていた左手を下ろし、ひしゃげた眼球が明らかとなる。

 

 最早原型を留めていないぐしゃぐしゃになった目玉が、ぐちゅりと耳障りな音を上げて回り込もうとするウィズを見る。

 

「な――――」

 

 驚愕を露わにするウィズに向けて銃剣の剣先が突き出される。

 

 咄嗟に右腕に込めた魔力を解放する。

 

 次の瞬間、凄まじい衝撃が少年を襲う。

 

 切先から放たれた赤錆色の砲弾が爆熱を生み出し、ウィズの全身を包み込んだのだ。

 

 絶大な火力の熱量と苛烈な爆風によって少年の身体は跡形もなく消し飛んだかに思われた。

 

 しかし、爆煙を突き破るように飛び出して来た一つの影があった。

 

 それはゴロゴロと床を転がり、力無く横たわったまま荒い息を吐いている。

 

 正体は勿論、ウィズだ。

 

 身体中から煙を上げ、衣服や皮膚が焼ける焦げくさい臭いを発しながらも生きていた。

 

 これまで倒れてもすぐに立ち上がってきた少年が、今回ばかりはそうもいかない。

 

 立ち上がろうと手をついて身を起こそうとしているが、呼吸すらままならない状態でガクガクと震えている。

 

 恐怖ではない。未だに反抗するために懸命に力を込めるが、消耗しきった身体が付いて来れていないが故の震えだ。

 

「おーおー、頑張るなぁ」

 

 悠然と歩み寄ってくる男を射殺すかのように睨む。

 

 だが、疲弊した身体を必死に動かそうとする少年にはもう抵抗する力は殆ど残されていない。

 

 ギースは別に抵抗しようがしまいが関係なく、ただただ動物を鑑賞するような面持ちでウィズを見下ろす。

 

 その時、ギースの左目の奇怪な動きに気づいた。

 

 先ほどまでひしゃげて垂れ落ちそうだった眼球が蠢いて大きくなっている。

 

 肥大化しているように見えた目玉は見る見る内に元の形へと戻ろうとしていた。

 

 再生しているのだ。

 

 あり得ない光景だった。

 

 高度な治癒魔法で折れた骨を戻したり、切断された腕をくっつけたりすることはできると聞いていた。

 

 だが、脳や心臓など重要な器官は別だ。傷つけば治癒魔法でも直すのは難しい。

 

 眼球もその一つだ。

 

 事故などで傷ついて失明した視力を取り戻すことすら困難であるのに、潰れた目玉が再生するなど不可能である。

 

 だからこそ、ウィズは察した。

 

 この男は化け物染みているのではない、とうに人間を止め化け物そのものと化していたのだ。

 

 完全に元通りとなった左目を細めてギースは語り掛ける。

 

「もう、終わりか小僧……残念だなぁもうちっと楽しみたかったのに」

 

 ウィズは無言で手元に落ちていた床や壁の残骸を掬い上げて放った。

 

 力無い投擲は大男の胸元にすら届かずにばら撒かれる。

 

 それを見たギースは淡々と一言告げた。

 

「じゃ、死ねや」

 

 蹲るウィズの胴体に太い脚が突き刺さる。

 

 小柄な身体がかなりの高さまで投げ出され、落ちた。

 

 硬い床を一度バウンドするように転がると、止まっていた呼吸が吐き出される。

 

「ごぼっ! がっ、はっ……」

 

 吐き出された唾液や胃液の中に赤い液体が混ざっている。

 

 今のであばら骨の何本かが確実に折れ、腹部の切り傷からの出血が増した。

 

 激痛が胸部を中心に広がるが、それよりも前を見据えた。

 

 ままならない息を必死で吸い、酸素を体内に取り込む。

 

 その際、締め付けるような痛みが走るが無視して呼吸をする。

 

「ぐほっ……あっ、はぁ、はぁっ……ああぁ!」

 

 水中のように重い身体と思うように動かない痺れる脚に喝を入れるように声を上げた。

 

 ギースは少年のもがく姿を眺めながらゆっくりと近づいてくる。

 

 その手に持った銃と剣が一体化した武器がゆらりと持ち上げられる。

 

 そして、射程に入った瞬間、一切の慈悲なく振り下ろされた。

 

「~~~~ッッ! うおあぁ!」

 

 縺れるように必死に身体を前に倒し、斬撃を回避すると無我夢中で拳を握る。

 

 地面を両断する銃剣を踏み締めて、隙だらけの顔面へ右手を穿つ。

 

 ガツン、と硬いもの同士がぶつかる衝突音が響く。

 

 しかし、それだけ。

 

 ウィズの拳から赤い血が滴り落ちる。

 

 あの爆熱を防いだ時に魔力を使い切っていた彼には、もう男に負傷を負わせるような攻撃手段は皆無だ。

 

 床に滴る血液は拳の皮膚が捲れ上がったウィズのものだった。

 

「ガス欠、か。まあ、餓鬼にしては上出来だったぜ」

 

 通常のAMFを超える魔力阻害を受けながら、あれほどの魔力結合を成せていたこと自体が奇跡に近い。

 

 管理局のエース級の魔導士を遥かに超える魔力量を誇るウィズであっても、もう限界だった。

 

「んじゃあ、こっからはショータイムだ」

 

 ギースの口端が鋭利に持ち上がる。

 

 力任せに銃剣が引っこ抜かれ、その驚異的な腕力によって脚で武器を押さえていたウィズは宙に投げ出されてしまう。

 

 勢いに押されて一回転し空中で上下逆さまの態勢になった少年は、眼前の男の白く濁った目が合う。

 

「ッ――ご、があぁ!」

 

 咄嗟に腕を持ち上げると、銃剣の峰の部分で横殴りにされる。

 

 ゴキリ、と左腕が歪む。

 

 為すすべもなく吹き飛ばされ、そのまま壁に打ち付けられた。

 

 豪快なへこみと罅が壁面に広がり、衝突の強さを物語る。

 

 ウィズの身体が衝突の勢いを失い床に転がる。

 

 口元から少なくない血液が吐き出される。

 

 それでも少年は立ち上がろうとする。

 

 頭部からも出血があり赤い体液がこめかみから顎にかけて伝っていた。

 

 揺れる視界とふらつく身体を抑え込み、折れた左腕の肘をつき、残った右腕で身体を起こそうとしている。

 

「ほう、まだ立つか」

 

 既に男は目前に迫っていた。

 

 未だに抵抗の意思を捨てずに抗おうとするボロボロの少年を興味深げに観察している。

 

 ほんの子供である少年がこれだけ傷だらけになりながらも泣き言一つ言わずに自分に立ち向かおうとする。

 

 それは少し、面白くない。

 

 徐にウィズの頭をギースが自身の太い指と広い掌で鷲掴みにした。

 

 片手で軽々と持ち上げると、そのままギリギリと万力のような力で頭部を握り潰さんとする。

 

「ぎっ……が、あ、あ……」

 

 徐々に頭蓋骨が軋みを上げて、鈍痛と激痛が綯い交ぜになり耐え難い苦痛を齎す。

 

 男は苦悶の声を漏らす少年を観る。

 

 そして、その双眼の中の敵意が些かも萎えないことを確認し目を細める。

 

「成程、まだ……足りねえみたいだな」

 

 ギースは嗜虐的な笑みを浮かべて、腕に力を込めた。

 

「ぐっがぁ――――」

 

 ミシリと頭蓋に亀裂が入ったのではないかと感じる程の圧力を受けた瞬間、ウィズは地面に叩きつけられた。

 

 壁の反対側、ロビーの中央に向かって投じられ、彼が何度も床を跳ねて身体を打ち付ける。

 

 その軌跡には生々しい血痕が残され、彼の負傷の深さを如実に表していた。

 

 全身を襲う衝撃と傷の痛みに悶絶する少年に壮絶な嗤いを浮かべて歩み寄る。

 

「見せてみろよ、テメェが絶望する様を――俺に」

 

 

 そこから先はあまりにも凄惨な光景だった。

 

 

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