榊遊矢が俺んちにきたようです。   作:ウェットル

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 大体、制作が終わったら3日後に投稿されるように予約しているので、これを含めた自分の作品は3日前に仕上がったものだと考えてください。


 完成してすぐに投稿だなんて、見直しもできないし、なんか落ち着いて制作できなくなるからね。次を投稿するための制作期間だって自主的に用意できるわけじゃなくなるし。


遊☆戯☆王の話をするとしよう。

「我々の世界のカードとは、デュエルモンスターズだけではない。

 されども我々の世界でのカード文化において、もっとも大きな働きを成したゲームこそが、君もよく知るデュエルモンスターズであると断言してもいい」

 

 ナイフで食器の上の蜜をかき集めてから、ナイフの腹で蜜の線を描く。

 大きく、太い、たった一本だけの線。これを蜜が尽きるまで伸ばし切る。

 

「いわば、大きな樹の幹に親しい、立派な太い枝なのさ。

 君たちの世界のように『大きな樹そのもの』として機能しているわけではなく、あくまでも文化の土壌の上に生えたカード文化という樹幹、その数多ある『太い枝のひとつ』がデュエルモンスターズ。そういう位置づけにある。

 その先にある、細かな枝葉の印象強さに霞みやすいだけで、それらの祖となるデュエルモンスターズは()る時代のカード文化のひとつ、『トレーディングカードゲーム』から派生したものだ。カード文化の歴史において最も大きな転換期を与えたもの。

 それこそが我々にとっての、デュエルモンスターズである」

 

 続いて、その蜜の線から分岐した、より細い線をナイフの刃で描く。

 あくまでデュエルモンスターズが幹である、と主張するように、枝葉にあたる後発のカードゲーム作品や、カードゲームの種類を口ずさみながら。

 すまないが、そこに関しての具体的な名前は提示しない。あくまでデュエルモンスターズを文化論として自分なりに研究した、大学生である私の論理的な、論理学的な正しさを追究した見解であって、君たちの感情や期待、思い入れに沿う結論ではないからね。

 

「しかし、その成り立ちは(いささ)か特殊でね。

 もとを辿れば細かいルールが何もない、漫画作品での・・・・・・作中で数多紹介、考案されたうちの一種、かつ架空の、『実在しないゲーム』に過ぎなかったんだよ」

 

「へ?」

 

 キョトンとした目で、こちらを見つめる遊矢くん。

 力なく開かれた唇が妙に色っぽく見えてしまうのはなぜだ、やはり美形だからだろうか。ただしイケメンに限るというやつか。大変えっ・・・・・・おほんおほん。実によろしい。

 

「漫画の中のぽっと出のゲームが、そのままカード文化の歴史を変えたのさ。

 わけがわからないだろう? 私も調べ直してみて、最初は驚いたものだよ」

 

 席から立ち上がり、作業机として使っている別のテーブルの前に立つ。

 デッキとしての体裁すら成していない散らばったカード。今朝、新しく組み上がったばかりのデッキ。いくつかある自分のデッキケース。作品を書き上げようとして、埋め尽くすほどの原案だけが残った分厚いノート。我ながら酷いテーブルだ。

 そこから、参考資料とする漫画本を一冊取ってきて、遊矢くんの前に置く。

 

 題名は見るまでもない。我々がよく知る作品なのだから、絵だけで分かる。

 

「つまり、『原作作品ありきのゲーム』をカードゲームとして再現し、実際に売る。

 これが我々の世界での新たなカード文化になったのさ。このスタイルは今までにない、まったく新しいカード文化の在り方を確立させた。

 原作作品に登場したデュエリスト、【彼らを模倣するというスタイル】の確立にね。

 ある意味では、この漫画本の題名通りにカードゲーム業界を開拓し、永遠に輝くに足るギネス記録・・・・・・失礼、世界記録を叩き出すまでに至るにふさわしいゲーム革命、およびカードゲーム界の王様となるに等しい販売実績を成した」

 

 はっきり言おう。

 【遊☆戯☆王】なしに、今あるカードゲームおよび関連作品の形態は実現しない。

 いや、トレーディングカードゲームという新天地に、当時の既存のカードゲームが誇った販売実績以上の多くの利益を得うるものがあると、かつての日本企業に、果ては世界にそう熟知させるだけの一大ムーブメントを起こせるほどの作品は、いかに歴史が改竄されようとも、後にも先にも【遊☆戯☆王】だけだと胸を張って言える。

 

 もしもの話だが、【遊☆戯☆王】以外で大ヒットを叩き出したような他のカードゲーム作品がその代わりとして、より過去に頭角を現すには、まず同じカードゲーム作品というジャンルを誰かが開闢しなければならない。カードだけがあってもダメ、キャラクターを用意してもストーリーがなければダメ。その両方を備えつつプレイ中のビジュアルをも極めるという、非常に高度な描写力をもって子供たちの心さえも掴まなければならない。

 かつ、当時は大人が遊ぶゲームでしかなかったトレーディングカードゲームそのものを、子供に遊んでもらえるレベルにまで敷居を下げなければならない。カードパック単体の値段の引き下げから、週刊雑誌や漫画単行本の付録とするなどの入手難易度から改革しなければならない。

 

 これらを思いつけるような、そして営業部などの努力によってアイデアを実現しうる土壌など、始めから週刊少年漫画というレーベルの範疇でしか存在し得ない。

 

 そのすべてを満たし、世界を制覇してみせたもの。

 少年漫画【遊☆戯☆王】こそが、今あるカードゲーム作品の祖である。

 これらはもはや、どのような言葉を重ねても、現代では偽りようもない事実だ。

 

 ゆえに、我々のいる世界において、あるいは我々のいる世界線において、唯一の開拓者である【遊☆戯☆王】とデュエルモンスターズは不動の栄光を手にしているのだ、と。

 そう断言してしまってもいい。残酷な宣告にもなるかもしれないが。

 

「して、我々は存在しない架空のデュエリストに憧れ、模倣する文化を得た。

 君たちのように先駆者があるのではなく、先駆者そのものが架空の人物として創造され、我々がそれを受け入れ、模倣する。ほんの少し、神々への信仰にも近い形でね?」

 

 そういう意味では、我々は遊戯王作品という宗教、デュエルモンスターズという儀式を受け入れながら、延々と果てのないデュエルという祭事を繰り返しているに等しい。

 その観点に立つ私からすれば、よくアニメで何が至高かを語り出したがり他作品を否定したがる輩のやっていることとは、宗教戦争と大差がなく見えてしまう。

 自分が信仰している神様や伝説が、すなわちキャラクターや物語が最高で他はダメだと言い張るようなものだからだ。

 まったくもって馬鹿馬鹿しいとは思わないかね。それぞれの良さというものを楽しむだけの、受け入れるだけの器量もなくして、なにが遊戯王作品の信仰者(ファン)だというのか。

 

「こうして我々の世界のデュエルは我々の世界らしく、信仰を競う形をも得た。

 ゆえに君たちのデュエルとは成り立ちが違う。最初にフィクションがあってこそのデュエルであるがゆえに、フィクションを尊重しないリアリズムに対しては無力だ。

 広告もそうだ、デュエルが文化として定着したのではなく、デュエルを含めたカード文化がフィクションへの信仰を前提として定着するようになったからこそ、カードゲーム作品の元からの扱いが軽い。

 なぜなら、元々の信仰する宗教が別にあるのだからね。深く問うまでもない。

 もしもフィクションが前提なのではなく、リアルソリッドビジョンのような可視化可能なツールが先に開発されていれば、君たちと同じ歴史をたどることになっただろう」

 

 さて、ずいぶんと長々と話したものだが。

 ここで遊矢くんにもわかりやすいように、いったん、なるべく要約するとしようか。

 

「つまり、この世界はだね。

 ――――【幻想への模倣遊戯(ミミクリー)こそが、デュエルとなる世界】なのさ。

 現実にあるから遊ぶのではなく、現実にない娯楽を現実に召喚する。

 これはもはや、一種の神話の再現。神楽舞を楽しむような所業に近い。

 先程も言ったね? すなわち”祭り”の文化、”模倣と憧れ”の文化なのだよ。ゆえに日常的なものでもない、と同時に、『特別なものでもある』とも言えよう」

 

 

 

 シン、と、静まり返るリビング。

 喉を鳴らす音が響き渡り、こちらから目を離さんとする緋色の目は、燃え上がるような色を惑わせながらも、こちらの熱を受け入れんと盛りを深く滾らせていく。

 

 異次元の『彼ら』に知り得ない、神々(キャラ)への奉納(アイ)にも等しい信仰体系(デュエル)

 これに関心を寄せてしまうのは、彼がエンターテイナーだからこそ、どこかで理解できてしまうものがあるからこそなのか。彼の内に眠る魂が遊矢くんと同じように、どこかの誰かの背中を追い求めたことがあるからこそなのか。

 

 あるいは。

 

 

 

「――――――、ほぅ・・・・・・?

 あ、いや失礼。『関心』しただけだとも、君の姿勢にね。

 

 ・・・・・・さて。

 

 では、こちらの世界の我々は、非日常としてデュエルを尊ぶわけだが。

 ここで思い返していただきたい、我々の世界においてのデュエリストとは、まずフィクションがありきの概念に過ぎない。デュエリストという信仰が先にある。

 さらに思い返していただきたい、原作がある物語を前提としたカードゲームの商業展開・・・・・・つまり玩具、グッズとしてのカードの販売があるということは、まずファンが原作の模倣をできなければ意味がない。

 当然それは、伝説のデュエリストが使用したカードが、現実においては模倣のための複製品として売買されるというわけなのだが・・・・・・」

 

 

 ならば。

 

 君の()()に敬意を表し、ここに逃れ得ぬものを示そう。

 作業机から原作漫画を取り出す際に、手にしていた【このカード】を。

 予め仕込んでおいたシャツの袖の内側から、そっと取り出して、あたかも手のひらの上に突然現れたかのように示した後、テーブルの上に置く。

 

 今はまだ、裏面のままで。

 

「佐奈川さん?」

 

 めくるか否かは、彼自身の手でやってもらおうか。

 

 

 

 

 

「そのうえで、君は。

 【このカード】の存在を、受け入れきれるかね?」

 

 

 

 

 




 すまない。メタな話を突っ込むのは、まだなんだ。
 話を引き伸ばして本当にすまない。
 代わりに(遊戯)王の話を聞いてくれてありがとう。

 この回の寸前までを読んでくれた君は、ひょっとすると言葉に表しようもない「愉悦」のようなものを感じてくれたのかもしれない、と思う。

 でも、そういう案件になるのは、きっと「まだ」なんだ。
 狙っちゃいないし、きっと結果論で君は愉悦を感じるかもしれないけれど、今は真面目な話をしているんだジャック。真冬の寒さを帯びた年末年始へと歩むさなか、この一年を振り返る中で得てきた苦しみを背負うがゆえか、否か、そのどちらであれ、現実に打ちひしがれる青少年の情熱や夢想に対して抱く、深い愉悦を重んじる気持ちは。

 ・・・・・・それはちょっとどうかと思うけど、大切にしてほしいとも思う。
 楽しみ方は人それぞれだからね、楽しまれ方もまた、人それぞれさ。
 そう思って、今回の話を投稿しようと決めたんだ。

 作者なりの萌えは、読者の誰かの萎えなのだからね。
 その逆だって、きっと起こり得るのさ。

 とりあえず、ミルクでも飲んで静かに待ってほしい。


(実は、カード画像へのリンクを本文中に置いて、遊矢と一緒にめくるような緊張感を体感をしてほしかったけど、なんか展開が白々しいからやめることにしたZE!)

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