ビサイド村にある討伐隊宿舎の奥に設置されたベッドに横たわるはやてを眺める者がいた。一見して子どもだと分かる背丈で、体つきは幼い少女。すこし赤みのある黒髪を頭の両サイドで纏めた髪型で、布を巻いただけの古めかしさを感じさせる服装は金のリングで装飾されており、ビサイド村の子どもたちの恰好とは趣が異なる。質素でありながら、神聖さを兼ね備えていた。
幼い少女はのんきにあおむけで眠りこけるはやての顔を覗き込む。そして何を思ったのか静かに寝息を立てるはやての顔、鼻の中心を手のひらでぺちりと覆い、呼吸の出入り口をふさいでしまった。徐々に苦しそうな顔をするはやてが無意識に少女の手をどけ、これ以上はかなわないと寝返りを打って少女に背を向けたが、少女はいつの間にか寝返りを打った先に立っていた。
今度は頭を触り始める。撫でているのではなく無造作に髪をかき乱す触り方で、やはりこちらも不愉快なのか、はやての顔が嫌そうに歪む。そんなはやての様子に気を良くしたのか少女はくすくすと笑い、はやての体を元の仰向けに戻したかと思えば、突然ふわりと宙に浮かびあがり、はやての腹にうつ伏せに乗りかかった。
不思議と目覚めないはやての顔に、少女の顔が近づく。
互いのまつげか触れ合うほどに覗き込んだところで、少女はおもむろに口を開いたのだった。
「…………お兄ちゃん、どこからきたの?」
◇◆◇◆◇
最高のまどろみに身を任せていたのに、はやてはどういうわけか目を覚ました。
いや、起こされたというほうが感覚的に正しいかもしれない。このような目覚め方をするときは、決まっていたずらされていると思い出す。昔、弟や妹のいたずらに驚いて目を覚ました時の感覚によく似ていたのだ。
子どものいたずらかと思うはやてだが、体を起こして見回しても、宿舎には受付の隊員しかいない。子どもたちの気配はなく、隊員の「あ、おきたんですね」という言葉に返事をしながら、ひとまずはやては宿舎の外に出ることにする。外はすでに夕暮れ時で、1時間もしないうちに夜が始まるだろう。村の広場では村民の数名がキャンプファイヤーのように木を組み始めていた。
グッと体を伸ばし、あくびを一つすると木を組んでいた村民の一人と目が合った。よく見ると、村に来た時に会釈をしたうちの一人で、村人ははやてと目が合うとニカッと快活に笑って見せる。4~50代で体つきがかなりいい。自然と鍛えられているのが分かる。
「おう、兄ちゃん、起きたか」
「ええ、先ほどはどうも。初めてこの村に来たんですが、居心地がよくてあっという間に眠ってしまいましたよ」
「お! 嬉しいこと言ってくれるねえ。どうだ、引っ越してくるか? お前の家くらいパパっと組んでやるぜ?」
「用事が済んだら、そうですね。それもいいかもしれませんね」
「だろ? 若もんはいつでも大歓迎だ! 魔物退治とか、若もんじゃねえと捌けねえ仕事があんだよなぁ」
小規模の集落では若手が重宝されるのはどこの世界でも変わりないらしい。
「しばらく滞在することになりますから魔物の討伐で依頼があれば引き受けますよ。その際はぜひお知らせください」
「なんだ、金とるのかあ?」
期待外れと言わんばかりの村人の表情にはやては肩をすくめて見せる。
「残念ながら素寒貧でして。その代わり、仕事の質は保証しますよ」
「仕事の質ねえ。まあ俺たちの安全にかかわることだから妥協はできねえよな。ルールーはいるが、最近忙しくなってきたユウナちゃんの世話で忙しそうだしなあ。うし、じゃあ何かあれば頼むとしよう」
「ええ、ごひいきに。こちらはサービスです」
はやては村人にケアルをかける。小規模の魔力が揺らぎ、体を癒す魔法が発動する。
「おわっ?! そりゃ白魔法か?! おいおい、兄ちゃん人が悪いぜ。まさか白魔導士とはな」
気さくに話していた村人だったが、どこか畏怖感を覚えた顔つきになった。魔導士とは多かれ少なかれ、一般人に恐れられているのだろうか。はやてはすぐさま否定に入る。
「いえ、ちょっと魔法が使えるだけで、僕はただの旅人ですよ」
「………まあ、そうだろうな。兄ちゃんからは魔導士らしい雰囲気がねえし」
「魔導士らしい雰囲気ですか……」
「インテリって感じで、いかにもかしこそうだろ?体動かすより頭使う方が好きそうじゃねえか?」
「学者気質なのかもしれませんね。僕はむしろ……よいしょ、こういう力仕事の方が好きですね。計算なんかは苦手な方です」
「はっはっは! 俺もだ!」
はやては足元に転がっていた太い木の枝——焚火用だろう——を担ぎ、焚火の下へ行く。その様子をみた村人は正しい配置に組むよう、焚火の側で指示を出し、はやてもそれに従った。それからしばらく焚火の組み上げを手伝っていると、いつのまにかオレンジ色に染まっていた空も深い黒へと変わり始めていた。
「ふう、結構な労働ですね。毎日してるんですか、これ?」
「まあな。明かりと魔物除けの両方を兼ねてる。村の警備は討伐隊の奴らが引き受けてくれちゃあいるが、腕の立つ奴は皆「作戦」とやらの準備に島を離れてるからな。用心するにこしたこたあないだろう」
「それもそうですね。火付けは僕がやりましょうか? 黒魔法も多少使えますので」
「だな、つけちまうか。いつもはルールーがしてくれんだ」
「へえ、そうなんですね」
「ええ、だからそれは私が引き受けるわ」
「うん? あ、ルールー」
村民との会話に割り込む女性の声がはやての背後から聞こえた。振り返ると肘を抱えるように腕を組んだルールーが立っていた。
「これをすると一日が終わったって感じがするのよ。いいかしら」
「もちろん。ルーティンワークは大切だからね」
「悪いわね」
ルールーは焚火の下に近づき手をかざすと、小さな火が灯る。何を燃焼しているのかは不明だが、小さいながらも継続して燃える火はあっという間に枝を炎へと変えた。
「あら、少し強すぎたかしら」
「いんや、ちょうどいい。ちょいと前に雨が降ったろ。枝がしけっててな。ルールー、ありがとな。はやて、依頼の件で話がしたい。また明日話せるか」
「ええ、もちろん。ではまた明日」
「おう。じゃあな」
一仕事終えた様子で村人は寺院へと向かっていった。敬虔な信徒なのだろう、迷いなく進むその足取りは彼が日ごろから仕事を終えた後に寺院へ赴いていることを物語っていた。
「村の手伝いをしてたのね。依頼ってなんのことかしら」
村民の話が気になったルールーがはやてに問いかける。
「ああ、しばらくこの村に滞在することになったからね。魔物退治を中心とした依頼を受けようと思ってるんだ。彼にはその話をしたところ」
「チャップからは聞いてたけど、あなたやっぱり戦えるのね」
「多少は覚えがあるくらいかな。ごく最近魔物の不意打ちで死にかけたから、逆立ちしても自信があるとは言えないけど」
「そう……」
ルールーの顔が曇る。それはわずかな間だったが、はやての目には印象的に映った。
揺らめく炎に照らされた濡羽色の長髪と、対照的に青白い肌が艶めかしさを醸し出し、物憂げな表情は男性の気を惹いてやまないだろう。どうしたの、何かあったの、よければ話を聞くけど……そんな言葉をかけずにはいられない。
「拾った命、大事になさい。こんな世界じゃ、いつ誰が死ぬか分からない。理不尽な終わりを迎えることもあること、肝に銘じておくといいわ」
「それはもう、物理的にしっかり銘じられたよ。二度とあんな思いはしたくないなぁ……」
「ぶ、物理的にってあなた……」
とんでもないことを口にしているはやてだが、しみじみと語る様子にルールーは、何故だか聞いてみたくなった。
「あなた、旅人って聞いたわ。……怪我してから旅、やめようと思わなかったの?」
「うん? いや、全然」
はやてはあっけからんと答えた。
さも、当然のように。
「……何故?」
「何故、か。うーん。そうだなぁ…」
はやては、言葉を選ぶために頭をひねる。
自分の出自を説明せず、分かりやすく答えるなら———
「旅を続けること、それが僕の目的を叶える唯一の手段だからかな」
「目的?」
「そう」
はやては自分の回答に満足していないのか、天を見上げながら顎をこする。
付け足すように、はやては続けた。
「必ず果たさないといけない目的がある。たとえこの命を懸けることになっても。だから、旅を続けるのさ。それだけだよ」
今度は納得いったのか、はやては視線を下ろして微笑みながらそう言い切った。
「こんな世界だ。きっとこの先、立ち止まることも……いや、立ち止まらざるを得ないこともあると思う。だけど、目的がある以上、それを達成するため僕は旅を続けるさ。続けないといけないんだ」
信念と覚悟。ルールーははやての言葉にその二つを感じた。固く、そして強い。
「ルールーにはあるかい? 絶対に達成したい目的が。夢では終わらせたくない君だけの望みが」
「私の目的…望み……」
数カ月前まで、ルールーはガードとして召喚士と旅に出ていた。ガードとしての旅はそれが初めてで、いつも緊張していたことを思い出す。とにもかくにも一生懸命で、黒魔導士になりたてだったルールーは最低限の黒魔法と知識しか持っていなかったけれど、自分なりに召喚士を護っていた。
初めは気負いすぎたり難しく考えすぎたりしたけど、そのうち心にゆとりができ、ナギ平原に差し掛かる前には、召喚士と笑いあいながら旅ができていた。その旅は決して楽なものではなかったけれど、充実感は確かにあったのだ。
しかし、ルールーが護っていた召喚士は魔物の不意打ちを受けてあっさり死んでしまった。ルールーは最も護るべき存在を、護り切れなかった。
失意の中ビサイド村に帰ってきたルールーを迎えたのは、変わらない故郷と人々。温かで、のどかな世界。命がけの旅をしてきたルールーにとって、よく知るはずのビサイド村は、とても眩しく映った。ビサイド村の村民たちは、ガードとしての役割を全うできなかったルールーを責めることはせず、ただ慰め、励ました。かわいい妹分は自分の代わりに泣いてくれ、愛しい恋人は自分の荒れ狂う感情を静かに受け止めてくれた。
数週間はふさぎ込んでいたが、今は支えてくれた人々のおかげで再び立ち上がることができている。今は自然と笑うことができ、恋人との時間も楽しむことができる。黒魔導士としての使命もわかっている。
しかし、ルールーは足を止めたままだった。
旅の経験があり、博学で冷静沈着なルールーは召喚士のガードとしてうってつけであり、寺院からは再度ガードとして召喚士と旅してほしいと打診を受けているが、ルールーは首を縦に振らなかった。ユウナの事や、村の警護を担当する討伐隊員が新たな『作戦』の準備の為に、村に常駐していないことなどを理由に今日まで断り続けている。
寺院としても大召喚士ブラスカの娘や祈り子が安置されている寺院の警護をやめろとは言えず、頼まなくとも従召喚士のユウナを積極的に指導をしているのなら、ひとまずはそちらを優先してもらおうとしつこく声をかける事はしなかった。
だがルールーはいつも考えていたのだ。
これは逃げではないのか。旅での失敗を恐れ、実力不足と己の心の弱さから目をそらしているのではないか。自責の念と漠然とした焦燥感が、ルールーの頭の片隅にいつも残っていた。
旅、という言葉を聞くと無意識に体を固めてしまう。たった1歩を先延ばしにしてしまう。
ユウナの為に、いずれまたこの力を振るわなければいけないはずなのに、自身も修行を積み重ねていかなければならないのに。
「わたしは………」
言葉が続かないルールーの声が、枝のパチパチとはじける音にかき消され、残ったのは重苦しい沈黙のみ。ルールーは思考の坩堝にはまっているらしく、はやてが目を向けても気づかず地面を見つめていた。
「………そうだなあ」
はやては足元の太い枝を両手で抱え、焚火の中に放り込む。
火の粉が舞い散り、燃え盛る枝が折れたのかゴトゴトと大きな音を立てて崩れるとルールーはハッと顔をあげた。
いけない、考え込んでしまった。はやての事を無視していたかもしれない。そう焦ったルールーだが、はやては焚火を眺めながら、ゆったりとした口調で言葉をつなげた。
「目的も手段も明確なら、後は進むだけ。でも実はこれが一番難しいと僕は思う。その人の心が関わってくるからね」
「何を……」
「感情論は何かと悪者扱いされるけど、僕はそうは思わない。人を人たらしめるものの一つは感情だろう? 感情的な言葉はある意味本質的なんだ。もちろん振り回されるのは良くない。でも僕らは人だから、心の動きを大切にすべきだ」
「心の動き…?」
「感情は、その人の心の動きだ。心の動きを知ることで、その人の本当の言葉を知ることができる。だから、心の動きを蔑ろにすることは人を蔑ろにすることと同じだ。そんなことをしていると他人どころか自分まで思いやることができなくなる。いつしか、目的の為に手段を講じるだけの存在になってしまう。そんな存在はもはや…‥‥」
———人でなしさ。
揺らめく炎がはやての顔を照らす。
はやては、笑っていた。
「進むことを心が拒絶しているなら、まずはそれを認めることから始めてみよう。自分で自分の心に寄り添うんだ。もちろん、誰かと一緒に寄り添いあってもいい」
心の拒絶は自覚していた。だからこそ自分の弱さを見せつけられているような気がして目を逸らし続けているのだ。
「大切な事は、いつかは進もうと思う『意思』を持ち続ける事」
進もうと思う意思………あるだろうか。
ルールーは少し考えたが、すぐに気が付いた。
「……いつも悩み続けてるもの。私も、進みたいって思ってる。思い続けてるわ」
そうだ、一歩を踏み出せないことに悩んでいるのだ。少なくとも、自分は進みたいって思っているじゃないか。その気持ちは失っていないじゃないか。
何かに気が付いた様子のルールーをはやてが見つめている。視線を受けてルールーが恥ずかしそうに赤面し、顔を背けて見せた。その仕草がおかしかったのか、少しぽかんとしていたはやてだったが、そのうちくっくっくと笑いだした。
「あ、あなた、なにを笑って……っ」
人が悩んでいたというのに笑いだすとは何事か。誤魔化すように、はやてをにらみつけるルールー。だが、目が合った時、はやてはとても柔らかな笑みを浮かべたまま、ルールーを見つめ返し、頷いて見せた。
「悩んでいるのなら、大丈夫さ。いつか必ず、自分の心が奮い立つ時が来る。ルールーはきっと進むことができるよ」
恥ずかしげもなく言い切って見せたはやてから、ルールーは目が離せなかった。
この青年はとても不思議で、同時にとても恐ろしいとルールーは感じた。彼を取り巻く魔力の流れは魔導士であるルールーにとって気味が悪く、今でも少しだけ、言葉にできない忌避感を抱いてしまう。にもかかわらず、はやてがとても魅力的な人間に見えるのだ。それは決して恋心などではない。その気持ちは「彼」だけに向けられていて、今でも全く揺らぐことはない。
けれど、もし。もし、幼い頃からはやてに出会っていたなら。
チャップと会う前なら、きっとテントに灯る小さな明かりにフラフラと惹き寄せられる羽虫のように、彼にまとわりついていただろう。そして、盲目的なまでに依存していたかもしれない。彼の優しさが、静かに佇む雰囲気が、ルールーを蝕み、強さを奪っていたかもしれない。
それは退廃的で、病的。
綺麗なものではないかもしれない。
はやてはまた、空を仰ぎ見ていた。空に浮かぶ満月を眺めているようだ。ルールーも月を眺める。
とても綺麗な満月だった。あまりの美しさにルールーの吐息が漏れる。
そして月と、小さく瞬く星々にも目が向いた。最後には夜空全体を仰ぎ見ていた。
ビサイド村から見上げる夜空はこれほど美しいものだっただろうか。
あの月は、いつも浮かんでいたのだろうか。
月は静かに佇み、柔らかな光で暗闇を照らしてくれる。ともすれば頼りない光に見えるかもしれないけれど、ただ優しくあり続ける。
「あなたはまるで……そう、月。柔らかく輝いて、夜に迷った者を導く……。美しくも、どこか狂気をはらんだ光、時に人を狂わす光ね」
「……? ごめん、何か言ったかな」
「何でもないわよ」
「?」
自分は惹き寄せられることはない。何故なら、太陽のように明るい彼がいるからだ。彼の光ははやての灯りをかき消してくれる。晴天の空の下にいるような、清々しさを与えてくれる。時々明るすぎて目がくらむけど、かえって自分にはちょうどいい。
そこが好きなのだ。
「まあ、自分の心と向き合う良いきっかけにはなったかしら。ありがとう、興味深い話だったわ」
「聞き流してくれていいよ。僕の個人的な考えだからね」
「そうね。特に、悩んでたり落ち込んでたりする時はあなたの側に近寄らないようにしないと」
「え、ええぇ……? 急に辛辣ぅ……」
飲み込まれそうだもの、とは口にしなかった。
その後、他愛のない話しをしていると、テントの一つからチャップが現れはやてに声をかけた。
「はやて!なんだ、起きてたのか!言ってくれよ…って、ルーもいるのか」
「ここの人の手伝いをしてたんだ。ルールーとも少し話してたよ」
「そうか。どうだルー、はやては面白い奴だろ?」
「そうね、甘い毒って感じかしら」
「あ、甘い……?」
「はじめて言われましたそんなこと」
「……褒めてるのかけなしてるのか分からない評価だが、ルーの表情を見る限り悪い意味ではなさそうだな」
「それならいいんだけど」
「悪い意味よ」
「彼氏さんあなたの彼女さっきから妙にあたりがきっついんですけど。心が折れそうなんですけど」
「お、おい……ルー。その辺で………ルー、もしかして笑ってないか?」
「笑ってる? ねえ笑ってる? その心、笑ってるね???」
「——っ、ぅふ」
「ルーが吹きだした!? 珍しいこともあるもんって熱い?!! おいルー! ファイアはやめろシャレにならないぞ?!?!」
口をへの字に曲げてルールーの顔を追いかけるはやてと小刻みに震えながら顔を逸らし続けるルールー。背中の炎を消そうと地面にのたうち回るチャップ。先ほどの固い雰囲気はどこへやら、遠巻きに見守る村人たちも呆れ半分驚き半分に眺めていた。
チャップは背中の炎を消しながら、ルールーが抱えていた固い雰囲気が薄れていると知る。さっきまで、何か思い悩んでいるように溜息を吐いたり考えに耽っていたりしていたが、どうやら気持ちを切り替えることができたらしい。
たぶん、この不思議な青年が何かしてくれたのだろう。
根拠はないが、チャップはそう確信した。頼れる友人は、いつも誰かの力になろうとしてくれている。きっと悩んだ表情のルールーに何かアドバイスでもしたのかもしれない。
「借りができたな……」
どうやって借りを返そうかと考えるチャップだったが、ねえねえねえと繰り返しながら上半身で円を描く奇怪な動きを始めたはやてに、いよいよ笑いがこらえ切れなくなりつつあるルールーをまずは救出しようと立ち上がる。
それからはやての後ろについて一緒に円を描き始め、はやてはチューチューと言いながら手首を回し始めた。
ルールーの爆笑が村中に鳴り響いたのは後にも先にも、この時だけだった。
◇◆◇◆◇
ルールーの笑い声が響き渡った日の翌日。
はやては魔物の件で話がしたいと言っていた村人の下へと訪れていた。顔に赤いモミジを咲かせたチャップが説明するには、昨日の村人はビサイド村の副村長で、村の周囲の安全は彼が常にチェックしているらしい。
その副村長の話では村の討伐隊は最近注目されている『作戦』の準備に忙しくしており、魔物の討伐数が普段より少なくなっているという。そしてそれ以上に気になる点があると言って、副村長はテーブルにビサイド島全体の地図を開く。
「ここがビサイド村だ。そんで、ここがお前さんが最初にいた乗船場。この道はお前さんが通ってきた道だ。いつもはこことここ、ここらと、この辺で魔物を討伐してもらっちゃあいるんだが、今は人手不足でなあ。この二か所しかパトロールできてねえ」
そう言って副村長が指したのは村の入り口に近い道と、そこから少しそれた先の林だった。
「できる範囲で構わねぇ、お前さんは他の箇所を周って、魔物がいれば討伐してくれ。ついでに魔物の種類と数も記録してほしい」
「わかりました」
「普通は最低二人で事に当たってもらうんだが……人手が足りなくてな。チャップからの推薦もある。わりいが、基本的には1人でやってもらうことになる」
「構いませんよ。実力的にこの島の魔物なら複数を相手取ることもできそうです」
「頼もしいな! だが無理はしないでくれ」
「はい」
さっそく見回りに行こうとはやてがテントを出ると、ビサイド寺院の入り口付近に村人たちが数名が集まっていることに気が付いた。立ち止まって見るが、今は魔物の討伐に専念しようと背を向け宿舎に戻る途中、人だかりの中から「あっ!」という声が聞こえ、パタパタとはやてに走り寄る足音がした。自分に近づく足音にはやてが振り返ると、そこにはいつぞやの迷子ちゃんが変わらない服装で立っており、さらに白を基調とした杖を胸に抱えていた。
「はあ、はあ、は、はやてさん! どうしてここに?!」
「や、ユウナちゃん。この間ぶり。チャップと出会ってね、色々あってしばらくここに滞在することになったんだ」
「そ、そうなんですか! すごい偶然! エボンのたまものですね!」
そう言って微笑むユウナに、はやても笑みを返す。幾日ぶりのユウナには純粋さと神聖さが空気となって取り巻いているようで、なるほど村人たちにも人気なのだろうとはやては察する。人を思いやることができる優しい性格も相まって、老若男女の支持を得ている。それは1つのカリスマ性なのだろう。ユウナの未来が楽しみだ、と思いながらはやては続けた。
「本当は昨日着いたんだけど、ユウナちゃんは忙しくしてると聞いてね。邪魔するのも悪いかと思って、挨拶に行かなかったんだ」
「あ、いえ、ごめんなさい。気を使わせてしまって……」
「いやいや、何も謝ることはないよ。ユウナちゃんがしていることは村の皆にとって、ひいてはスピラの皆にとって大切な事なんだろう? ユウナちゃんの仕事を優先してね」
「は、はいっ!」
「いつまでいるか分からないけど、改めてよろしくユウナちゃん」
「あ、はい! よろしくお願いします!!」
大きな声でお辞儀をしながら返事をするユウナ。腰までぺこりと頭を下げるユウナと、頭を下げられているはやての姿に村人たちが目を丸くして見ている。村の重要人物が海の向こうからやってきた旅人に親し気に駆け寄り、頭を下げているのだ。驚くのも無理はない。余計な混乱を招かないよう後でチャップから説明してもらおうと決め、それからユウナに顔を上げてもらうよう頼む。ユウナもすぐに姿勢を正した。
「ご丁寧にありがとう。それじゃ、僕はちょっと仕事の準備に行ってくるよ」
そう伝えると、ユウナは小首をかしげる。
杖を抱えてキョトンとするユウナはとても愛らしかった。
「お仕事……ですか? 何をされるのでしょう?」
「ちょいちょいーと、魔物退治。村の周りをパトロールするのさ」
「そうですか! ご苦労様です。どうかよろしくお願い……」
またユウナが頭を下げようとしたところで、ぴたりと動きが止まる。はやてが不思議に思っていると、ユウナは恐る恐るといった様子で問いかけた。
「あの……、討伐隊の皆さんは今日出払ってるって聞きましたが……」
それは副村長から聞いていた。今日は『作戦』にむけて全体会議があるため、最低限の警備要員を残し、残りは本部に出向しているらしい。
「みたいだね。お昼過ぎには何人か帰ってくるとは聞いてるけど」
「あの……はやてさん、白魔導士ですよね? そ、その、大丈夫……ですか? 護衛の方とか」
上目づかいで、心配そうに言う。
白魔導士? とユウナの言葉を反芻するはやては、そういえば彼女の前で攻撃魔法を見せていなかったと気が付く。実際は影で行使していたのだが、知覚できていたのはルールーだけだったので、ユウナは知らないのだろうとはやては納得する。
「ああ、実は僕、黒魔法も使えるんだ。というか、黒魔法の方がよく使うんだ」
「え?」
「他にも色々とね。戦闘経験もあるし、まあビサイド島の魔物なら一人でも大丈夫かな」
「あ、そ、そうですか。ごめんなさい、わたしてっきり……」
ユウナは俯き、声も尻すぼみになっていく。余計な心配をしてしまって申し訳ないと感じているようだ。先ほどからコロコロと喜怒哀楽が変化するユウナを見ていると、この少女にもまだ少しばかり幼さが残っているのだと実感する。これから2年の間に、17歳とは思えない落ち着きと強さを身に付けていくのだろう。
目の前には俯くユウナの頭がある。はやてはいつかのように、優しく撫でた。
なでり、なでり。
「心配してくれてありがとう。嬉しいよ」
「あっ、え、ええっと、その、あの」
なでりなでり、なでりこ。
「あのあのあのあのあの」
突然頭を撫でられて困惑するユウナを見て、はやての顔には自然と笑みが浮かんだ。笑われたと勘違いしたのか、ユウナは羞恥心で顔から耳まで赤く染める。
「じゃあ、僕は準備に行くよ。また後でね」
どどどどうすれば、とユウナがパニックになっていると、はやてはあっさりユウナの頭から手をどけて討伐隊の宿舎に戻っていった。
ユウナはぽかんとしていたが、我に返り、撫でられた頭を両手で押さえようとして、握っていた杖を手放しそうになった。慌てて掴みなおし、ホッとしたところで、頭の撫でられた感触がまだ残っているような気がして、片手で頭に触れてみた。
「すごく……やさしかったな……この前も……」
ワッカやチャップのように元気を分け与えられるような撫で方でも、ルールーのように慈しむ撫で方でもない。ユウナ自身を思いやる、守られていると感じる撫で方だった。
ユウナはその感触を思い出し、自分で自分を撫でてみる。しかし、全く違う感触だったのですぐに頭から手を放してしまった。
はやてがくぐっていった討伐隊宿舎の入り口を眺める。普段はここにいるようだ。
滞在するという事だし、時間がある時にでも訪れて村や島の事を教えてあげよう。そう思いながら討伐隊宿舎の入り口を眺めていたユウナだったが、ふと、村が静寂に包まれ、それから自分がその場にポツンと取り残されていると知る。
ハッと周りを見渡すと、村中の村人たちが一連の流れを見ていたことに気が付いた。
寺院の入り口で挨拶してくれていた村人たちと視線が合う。村人たちはスっと目を逸らした。何も見てませんよと言わんばかりに目を逸らし、さて仕事を……などとのたまってその場から離れようとする。
あちこちのテントの隙間からは何者かの顔が見え、ユウナと目が合うとさっと隠れてしまった。先ほどまでテントの内側からこちらの様子を窺っていたのだろう。村のほぼすべてのテントで同じことがあった。加えて、こそこそとした声も聞こえてくる。
しっ、だめだ、見守るんだ
ゆうなさまが~、
いいから邪魔しなくていいから、
一部始終を見られていた。
村民の大多数に、ユウナが子どものようにはやてに駆け寄り、慌てふためき、頭を撫でられ、感触を惜しむように自ら頭を撫でていたところを見られていた。
別にやましいことも変なこともしていないが、何故か途轍もない羞恥心に駆られたユウナはリンゴのように赤く染まった顔を下げてルールーのいるテントへと駆け込むのだった。