水中に潜ったはやては1分をカウントしながら入り口先へと進む。視界はぼんやりとしているが、それでも何となく通路に当たる部分の構造が把握できた。泳ぎ進んでいて分かったことだが、やはり、この遺跡全体はだいぶ脆くなっているようだった。そこかしこに岩——おそらく壁が崩れたもの——が散乱しているし、壁にはこぶし大の穴がボコボコ開いていた。思いきり壁を殴る、蹴るなどすれば簡単に崩すことができるだろう。
この遺跡には数百年どころか千年以上の歴史があるのかもしれない。足場が崩れて海に落ちてしまったはやてだが、そこはかとない罪悪感を覚えた。世界遺産的な扱いを受ける建造物だったらどうしよう。修理費なんてまず出せないぞと考えたはやては、あの崩れてしまった足場のことは秘密にしておこうと心に決めた。
(……先が見えないなあ)
泳ぎ続けてそろそろ1分。建物へ進入できそうな場所は見当たらなかったが、ここらで引き返さないと息がもたない。口惜しいが引き返すことに決めたはやては進むのをやめて元の入口へと戻る。
(他の入り口を行ってみるか。全部ダメだったときはしょうがない。とりあえず水から上がって体を乾かそう)
水温も気温も低い。体の体温は奪われていく一方だ。あの不思議な水色の置物のおかげで多少体力には余裕がある。しかしこのままでは色々と長くはないことは想像に難くない。はやては焦燥感に駆られ、急いで戻ろうと泳ぐスピードを上げた。
————その瞬間、ふとももに激痛が走った。
「ごぽっ?!」
刺された、いや噛まれたのか!
水中でひっくり返って見てみると魚が一匹、はやての右太ももに食らいついていた。かみちぎろうとしているのか派手に暴れまわっている。血が流れ始め、足周辺が赤く染まる。
(ぐっ!! 僕を食べようとしているのか!!!)
無理に引きはがせば噛みちぎられるかもしれない。はやては食らいついている魚をこぶしで殴打する。すると、あっさりと魚は離れた。
(———っ!)
はやてはぞっとした。魚は離れこそしたものの、距離を保ったままこちらを見ていたのだ。まるで、隙を見て捕食しようとする「ピラニア」のようだ。
(くそくそくそ! こんな奴がいるなんて!)
今は一匹だが、もう2,3匹集まってきたらどうしようもない。あるいはもっとたくさんいるのかもしれない。魚はせいぜい鯛ぐらいの大きさだが、それが逆に数の多さを物語っているようだった。
はやては底に沈んでいるこぶし大の石を拾い上げ、武器代わりにしようと試みた。しかしその隙を狙って魚がはやてに突進する。魚の動きを目でとらえたはやては急いで石を拾い上げ、カウンター気味に魚を殴打した。すると当たり所が良かったのか、魚は一瞬ブルっと震えると、そのまま静かに沈んでいった。
すると、魚の体から不思議な色の光が漏れだした。光の玉が尾を引くように流れ出たのだ。
光の玉は大きく螺旋を描き、あっという間に水中に溶け込むかのように消えてしまった。
幻想的な光景だったが、はやては光の玉を目撃することなく急いで出口に向かっていた。魚に噛まれた時、とっさのことで息を吐いてしまったのだ。それに魚相手に数十秒取られてしまった。今が息を止めてからどれくらいなのかはわからないが、とにかく急がなけれな溺死してしまうことだけは確かだった。
はやてはとにかく入口へと急ぐ。行きは気持ちゆっくり進んでいた。それほど距離はないはずだから急げば間に合うはずだ。
(いける!大丈夫!そう僕ならこの程度のピンチ!!)
自分で自分を「はげます」と不思議な事に力がわいてきた。これが火事場の馬鹿力というやつか。これならいける!
先へと目を向けたはやては、なにか、遠くにうごめくものを見つけた。先ほどの魚ではない。緑と黄の何かだ。それが遠くの方でうごめいていた。
(……な、なんだありゃ?!!)
かなり大きい。人のサイズほどあるだろうか。間違いない、緑と黄のそれは驚くほどのスピードでこちらへと向かってきていた。
ふと、耳が音を拾う。
————————きぃいいいい!!
(っ?!?!?!?!?!)
生き物だ。間違いない。あれは鳴き声だ。
それが1体、こちらへ向かっている。先ほどの魚を相手に暴れたのを感知されたのだろうか。水の中で、はやての声か何かが伝わったのかもしれない。
そう理解したはやては急旋回、入口に背を向けて通路の先へと逃げるように泳いでいく。
(やばい! やばい!! あれは絶対人間を食らうタイプのやつだ! 何なんださっきから! 滅茶苦茶だな! いい加減にしてくれ!!!)
あのまま入口に進んでいたら得体の知れない生き物とぶつかる。それだけは何としても避けなければとはやては考えたが、しかし、通路の先に遺跡内部への進入経路があるかどうかは分からなかった。なにより、もう息が苦しい。このまま自分はここで果てるのだろうか。
(あああああ! 頼むから何か!何かあってくれ!! 息が続かない!)
ひたすら泳ぎ続けながら、何かに「祈る」よう必死にこの状況から抜け出せる何かを探す。
(……ん? あれ? 急に苦しくなくなった?)
唐突に、どういうわけなのか、先ほどの息苦しさが嘘のように消えてしまった。まるで呼吸を整えて、さらに深呼吸までしたような楽さがあった。いよいよ限界を超えて頭がおかしくなったのかと思ったが、少しずつまた苦しくなり始めたのを感じて、今はとにかく逃げなければと思いなおした。
きぃいいいい!!!
それに謎の生き物はすぐそこまで来ている。とにかく逃げなければ。
(お前たちに食われてたまるか! 「とんずら」させてもらう!!)
そこから不思議なことが連続して起きた。
息が苦しくなって神やら仏やらに「祈る」たびに呼吸が楽になったり、いよいよ追いつかれたと思ったら「とんずら」するたびに大きく距離を開けられたり、追いついてきた生き物につかまれた際、やけくそ気味に、
「ごばがばごがばごぼぁ!!(おらぁぁあ!! 道を開けろぉ! 刺身にして食べてやろうか!!!)」
と「脅し」てみたら生き物はびくりと震えて動きを止めたのでその隙に逃げ出したり。偶然や運がいいというだけでは説明がつかない現象が続いたのだ。逃げることに必死だったはやては気が付くことに遅れたが、何度目かの「とんずら」でできた隙にこの現象について自覚し始めた。
(偶然じゃない。不思議な力が働いているのは間違いない。でなければ、こんなに大暴れしておいて、何分も息を止められるはずがない)
今は追いつかれそうになるたび「とんずら」して、逃げることに専念している。同時に神やら仏やらに「祈り」ながら水中から上がれる場所を探していた。
(理由は分からないけど、ともかく、おぼれ死ぬことも食われることもない。さっさと出口を見つけて逃げないと。あるいは……ん?)
最悪後ろのやつをどうにかして倒す必要があるかもしれないと考えた矢先、ぼやけた視界の先に階段のようなものと「水面」、そして光が見えた!
「がばごがば!!!(出口!!)」
はやては出口にむかって全力で泳ぎ始めた。はやてを追いかける生き物も、はやてが水中から上がると考えたのか、スピードを上げて追いかけてくる。
(うおおおおあああああ!!)
再度「祈り」をささげて力を取り戻したはやては己を「はげまし」、すべての力を振り絞って泳ぎ切った。
「っぶはあ!!!」
はたして、はやてが階段に足をかけて一息に水中から上がると同時に、謎の生物がはやての服に食らいついた。あまりの重さに水中へ引き戻されそうになったが、水中での借りを返してやろうと背負い投げの要領で謎の生物を地面にたたきつける。
「そおおおおおおいいいいやああああああああ!!!」
大きな音と鳴き声を上げて生き物は地面に転がる。生き物は立ち上がろうとしたが、それよりも早く、はやては足元に転がっている人間の頭大の石で、その頭を何度もたたきつけた。はやてが落ち着きを取り戻し、ふと我に返った時にはどす黒い血にまみれた謎の生き物が一匹、死んでいた。
「はあっ、はあっ、はあぁ、はああぁ…、くそ、なんだこいつ」
はやては生き物が完全に死んだことを確認するように乱暴に足で死体をつつく。
さらにひっくり返してよく眺めてみる。見た目は半魚人のようである。ヒレというより足と表現した方がしっくりくるものがついている。手に当たる部分も同様だ。
その形相に、はやては強い既視感を覚えた。
「見たことがある。間違いない。例の置物もそうだ。僕は、この辺りを知っているのか……?」
ほぼ、思い出せている気がする。自然と眉間にしわが寄る。
あとはきっかけが必要なのか、あるいはピースが足りないのか。いずれにしても、最後の一手が足りないような、そんなむずがゆさを覚えた。
はやてはもう一度念入りに半魚人の死亡を確認しようと目を向けると、死体は魂のような光をいくつも出しながら、スウっと薄くなり、最後には完全に消えてしまった。
死体は消えたものの、光は未だ螺旋を描きながら空へと昇る。
その様子をぼうっと眺めていたはやては、突然、雷に打たれたかのような衝撃をおぼえた。
この現象を知っている。いや、見たことがあった。
魂のような光が幻想的に舞い上がるその光景を。
命の儚さを、儚さゆえの美しさを表すようなその光を。
理不尽さと切なさを想起させるように発光する、
悲しみを癒すように、祈るように、幻想的に舞い踊る巫女の姿を。
はやては、思い出した。
「………は、冗談」
あまりにも想定外すぎて驚くことすらできない。まさか、と思うが、しかし先ほどの常識外れの現象や水中での不思議な出来事を鑑みると、やはり、と思ってしまう。
「ああ、そうか、あの置物は、そういうことか…」
ここに来る前に見かけた水色の土星のような置物。あれもつまり、そういうことなのだろう。
であれば、疲れが吹き飛んだことにも妙な安心感を抱いたことにも納得である。
アレの周りでくるくる回りながら鍛えていたことを思い出し、なぜか笑いがこみ上げた。
「何であそこで気が付かんかったんだ…いやまあ、無理か。何年も前のことだ」
自虐的になりつつも、はやては気味が悪いくらい冷静に今の状況を受け止めていた。
「つまりあれか、FFXの世界に転移した的な、そういうことか」
はやてのつぶやきを肯定するかのように、どこかで雫の落ちる音がした。