「――ったく、いったい何なんだ。島に帰ったらアイツ、こき使ってやるからな」
ため息交じりの声だった。面倒ごとに巻き込まれてしまったことに対する不満を隠そうともしないその声に、リュックの心はざわつく。この声はハヤテではない。何回も繰り返し聞いてきた、今でも耳に確かに残る彼の声では決してない。
それでも、リュックはか細い声で問うた。
「……………ハヤテ?」
「 ――――ん? 」
通信機の向こうの男がリュックの問いかけに反応した。やはり、間違いない。
この声はハヤテではない。それはわかっていた。だけど、それでも、リュックは自身の質問に肯定してほしかったのだ。
「――――――」
通信機からは何も聞こえない。
部屋に緊張が走る。
リュックは口を開けない。否定する言葉が出てくるのではないかと、恐れていたから。
通信機の向こうは、何も発しない。その意図はわからなかった。
誰もが、次の言葉を待っていた。
リュックは突然、強い不安感と緊張感に見舞われた。どういう訳か、今すぐにでも通信を切断してしまいたい衝動に駆られる。
今ここで通信が途絶えてしまったら、二度とハヤテに関する有力な情報を手にすることができなくなってしまうかもしれない。
そう考える理性的なリュックが、通信を切断しようとする己の弱さをどうにか押し込めた。
そして、とうとう通信相手の男が口を開いた。
「―――ッし! 通じてくれ! ハヤテ! キニワミ! アニキ! リュック!!! ど、どうだっ!! 」
この男から聞こえた「ハヤテ」の名。
リュックは頭を殴られる幻覚を抱いた。それほど、彼の名が口にされることの衝撃が強かった。リュックは思考停止してしまい、周りのアルベド族たちも一様に息をのんだ。
「………あ、あれ? おーい? 通じてるか……? ま、まさかやっぱり間違えてたんじゃないだろうな。おい嘘だろ、やめてくれよ! 全然違う意味だったらどうするんだよ! なんだ、すごい気恥ずかしいなコレ?!」
ゴンっ!!
頭を机に強く打ち付けたような鈍い音が通信機から響く。その音にハッと我に返ったリュックはたまらず叫んだ。
「言葉はつうじてるよ! ねえ! ハヤテはどこ?! ハヤテは、ハヤテは無事なの?!」
「うぉわっ?! な、なんだ女の声?! というか、言葉が通じてる?!」
リュックの叫びに驚いた様子の通信相手。
「ねぇいいからそんなこと!! ハヤテは今どこにいるの?!?! ハヤ、ハヤテは― ―っ!!!」
リュックの肩に誰かの手が置かれる。
「 リュック、トヒユテ 」
通信機を握りしめて叫び、落ち着きを失っているリュックをなだめるのは、先ほどまで気絶していたアニキだった。ハヤテの名を連呼するリュックの声に、目覚めたようだった。
「 トヒユテ。ガミギ ハ マハキ ガノ。ワミセ ダ ヨンナン キセウ。
トヤネ ハナ トヒユミセ マハキ ダ ベチウ マブガ。」
リュックに落ち着くよう諭すアニキに、いつの間にか荒れていた呼吸に気づくリュック。
数舜の戸惑いはあれど、リュックはアニキの言葉にうなづきを返し、深呼吸をする。
(おちついて、おちついて……)
そうだった。これは、絶対に逃すことができない機会だ。
ハヤテの名を口にするこの男との通信が切れてしまったら。あるいは、話をすることができないと判断されてしまったら。
ハヤテを失ってから続く、この悪夢のような日々は終わらない。
「……ごめん。その、ハヤテのこと。知ってたら教えてほしくて……。だって、ハヤテは大切な仲間だから。みんな、しんぱいしてて、あたしも、ずっと、ずっと、ハヤテのことがしんぱいで、それで、それで……」
ともすれば怯えたような声色だっただろう。大声を上げていた先ほどとは対照的で。
祈るようで、すがるようで。
頼りなく、幼く、不安定で。
だからこそ、純粋で、美しかった。
「 元 気 だ よ 、 は や て は 」
数人のアルベド族たちが思わず声をあげた。げんき、という大陸の言葉に聞き覚えがあった。それは、ハヤテが皆にケアルをかけるとき、決まって口にする言葉だったからだ。
だが、リュックの頭に浮かんだのは、否定の言葉だった。
「なるほどな……。どうりで、あいつがアンタらと連絡を取りたがってるわけだ」
だって、ありえなかった。
「不思議な魔法を使う、人当たりのいい、黒髪黒目のはやてだろう? たしか……ヒイラギはやてって名前だったか」
生存は絶望的で、悪夢に繰り返し出てきた赤は、今でもこの目にこびりついていて。
「魔物にやられかけたけど、何とか脱出したって言ってたぞ。どうやって、って聞いても特殊な魔法がどうとかこうとか、よく分からなかったがな」
それに、生きていたなら自分たちのもとに。
自分のもとに、戻ってきてくれていたはずだった。
「悪いな嬢ちゃん、アイツもアンタらとコンタクトを取ろうとしてるんだが……その手段がなくてな。アイツも悩んでたんだ。俺たちにとって機械はご法度だし、アルベド族の知り合いもいなかった。ま、だからこそ例の作戦でアルベド族とコンタクトが取れる俺がメッセンジャーとしてここにいるわけだ。過去最大級に難易度の高い任務だったよ。作戦に備えてアルベド語を勉強するのもいいかもしれないな」
〈 リュック! トミ、リュック!! ヨミユマ、 ヨミユ マ ハシム ミッセウンガ! トミ! ハヤテ マ ズギ ハオア?! 〉
もしかすると、ソレはハヤテではないのかもしれない。
そんな考えがリュックの頭をかすめた。
「会いたがってるぞ、はやてのやつ」
海の波に揺らぐヤシの葉にもすがりつくような想いが。
闇に閉ざされた世界を、優しく照らす希望の光が。
リュックを、血濡れた悪夢から解き放つ。
■□■□■□■□■□■□
「わかった、じゃあその座標に船をつけたらいいんだね。〈アニキ、 ヨヨシ ミル シマ ゴエルナミ アアウ?〉 ……じゃあ、7日後にそこにいくね」
「ああ。こちらからボートを出すから、それでうちの島にあがってくれ。大きな、それも機械の船だと混乱を招きかねないからな」
「うん。……その、案内してくれる人がいるとおもうんだけど」
「分かってるさ。はやてに案内させるから、思う存分あんたらを心配させた罰を下してやるといい」
「―――っ! うん!!」
「いい返事だ。……本当にいい返事だ。大丈夫か、あいつ」
はやての無事が確認され、アルベド族のホーム中にブリッツ大会決勝戦以上の大歓声が響き渡ったあとの事。ルッツはハヤテとアルベド族たちを合流させるための手筈を通信機向こうの女性と相談していた。
ビサイド村には寺院があることから分かるように、その村民たちは信心深い者が多い。そこに複数人のアルベド族を連れていくことは得策ではないため、ルッツからの要望でアルベド族側からは代表者1人を選ぶこととなった。
代表者を選ぶとは言ったものの、大陸の言葉が話せるリュック以外にその適任者はおらず、本人たっての強い希望もあり、人選と段取りは実にスムーズに決められた。
通信機越しでも感じていた重苦しい雰囲気はすでに霧散し、今はお祭り前のような活気さが感じられた。よほどアルベド族たちに好かれているんだな、とはやてへの評価を確認し、ビサイド村の連中も、彼らほどではないにしろ皆はやてを好いているという点では共通する部分が多かった。
アルベド族も自分たちも仲間を大切にする。
当たり前の共通点だが、それでも、これまで以上にアルベド族に対して親近感を抱くことになったルッツだった。
ちなみに、ルッツが話すアルベド語に間違いはないとの太鼓判ももらっていた。なぜ「知り合い」なのか、そこはそちらの言い間違いや聞き間違いではないのかと問いただす通信機向こうの女性の声は、機械越しにブリザガでも撃ってくるのではないかと錯覚するほど冷たく、度肝を抜かされたが、ルッツがビサイド島を出立する前に、はやてに説明された意図をそのまま説明すると、ひとまずは落ち着いてくれたというひと悶着もあった。
ビサイド村のアイドルである従召喚士がルッツの脳裏をかすめるが、特に深く考えず、ルッツとアルベド族たちは段取りを進めていく。
そして、今からルッツが口にするのは一種の交渉だった。
「……で、だ。あんたとはやてが合流した後の動きなんだが」
「ハヤテはウチに戻るよ」
有無を言わせない。ルッツの言わんとすることを理解した女性の声色が変わり、今からの交渉に対して身構えたことをルッツは感じ取った。
「あー、まあそれは、な。あいつもそれを望んでるんだろうが……」
「あたりまえだよ」
「だがな、はやては村の仕事をいくつも引き受けてくれている。うちの村で衣食住を提供したり、あんたらに引き合わせたりすることへの見返りとしてな。引き合わせた当日に、ハイさようならってのは、村の連中にもちょっと酷じゃないか」
「………」
「はやてを返さないなんて言ってないさ。あいつだって、一時的に滞在しているんだと村の連中に説明しているしな。けど、せめて引き継ぎとかな、少しだけでも猶予をくれないか」
はやてという人材は、ビサイド村にとって、大変貴重な人材になっている。それこそ、はやての滞在目的を理解していてなお、彼を手放すことを非常に惜しむくらいには。はやての滞在が一時的なものであり、その期間も長いものではなかった。だが、欲を言えば、はやてには今しばらくビサイド村に滞在してほしいというのがルッツ、ひいては村民たちの希望だった。
あと少しもすれば、件の防衛作戦が始まる。ビサイド村からも多くの人間が作戦に赴く予定だ。ルッツやビサイド村のブレイン陣としては村の警備が手薄になるその時期は、はやてに滞在してほしいと考えているのが本音である。
もちろん、アルベド族とはコンタクトが取れなかったとうそぶいて、はやての滞在を延ばすこともできる。だが、ルッツの薄れつつあるが未だ確かに存在する信仰心と、討伐隊としての正義感がそれを許さなかった。ゆえに、ルッツは交渉するしかない。しかし、それは簡単ではなかった。
「ハヤテは大切ななかまだよ。船での仕事もたくさんあるし、ハヤテにお願いしてた任務もある。あたしの、あたしたちのを、あたしは連れて帰るんだ」
奪うことは許さない。
言外に伝えられたメッセージを、ルッツは受け取った。
だが、はいわかりましたと首を縦に振ることはできない。
「ああ、ああ、そうだろうよ。俺らの村も小さいからこそ、仲間を、家族を大切にしている。気持ちは痛いほどよく分かるさ。……それを汲んだうえで、俺たちに時間をくれないか」
「だめ」
にべもなし。交渉自体を拒否している。
「頼む、俺たちもあいつともっと居たいんだ」
「だめ」
「あいつのことを村のやつらは好いている。子どもたちもだ」
「だめ」
「小さいながらも、あいつのためにテントを用意しようとしてる者もいる。そいつらの気持ちも汲んでやってくれないか」
「だめ。ぜったい、だめ」
(―――くそっ! 絶対に退かない意思を感じる。相手がアルベド族である以上、その存在を村人たちに広く知られるような真似はできない。つまり、物資提供や補給のための滞在許可は難しい。下手をすると、はやてが厄介者として排斥されるような空気になりかねない。こちらから提供できるメリットなどほぼないのに、交渉もくそもない……か)
取り付く島もない。アルベド族たちからすればルッツの要望に応えるメリットがないため、「交渉」としての条件を満たしていない。結局、ルッツが行っているのは「懇願」であった。
はやてがビサイド村に残りたいと言っているならまだしも、本人がその滞在が一時的なものであると公言し、そもそもビサイド村に寄って滞在している理由が、アルベド族たちと合流するためであり、その目的が叶う現時点で、ビサイド村の人たちにははやてを引き留めることはできないのだ。
(……まあ、ダメもとの交渉だ。あいつには、もっと滞在してほしかった。村のためにも、個人的にも。それにやっとあの子が自然と笑うようになったんだ。できれば、もっと、あの子のために……)
ルッツの脳内に思い浮かぶのは、純粋無垢な従召喚士の少女。父の偉大さを誇らしく思う一方で、自身もその道を目指さんと無理を重ねるその子が、ようやく自然に笑えるようになった。年相応の振る舞いが戻りつつあった。
村の一部の人間は、彼女の安全と平穏を願って召喚士への道をどうにかあきらめさせたがっている。しかしルッツは、彼女が思いのほか頑固であり、一度決めた事はてこでも動かせないことを知っていた。
それならば、と。ルッツはたとえわずかな間だけでも、彼女には幸せな日々を送ってほしいと願っているのだ。
はやてがいなくてもそれは叶うだろうか。
はやてよりもユウナとの付き合いが長いからこそ、彼女を笑顔にすることなど造作もない。そう自負することは、ユウナが笑顔を徐々に無くしていった時に何もできなかった過去が許さなかった。
彼女を幼いころから知っているからこそ、「家族」という関係性だからこそ、できることもあれば、できないこともある。ユウナの場合、家族とは違う「他者」が必要なのかもしれない。ユウナの姉を自称する、村のブレインたる黒魔道士がそう結論付けていたことをルッツは思い出していた。
だが、はやてが村を出るというなら、自分たちがやるしかない。
彼のようにはなれなくとも、彼から学んだことを生かして彼女のためにできることをやるのだと、静かに決心した。
一つ深呼吸をし、ルッツは白旗をあげた。
「…………わかった。はやてに聞いて、すぐに出立すると言うなら俺たちにそれを止めることはできないな。それでいいか?」
「すぐに帰るはずだよ」
「わかったわかった。もう引き留めるようなことはしないさ。だが、送別会くらいはさせてくれよ。ビサイド島には寺院があるし、ちょっとしたリゾートスポットとしても有名なんだ。今後、あんたもはやてとのデートでうちに寄るかもしれないだろ? 気持ちよくはやてを送らせてくれたら、また来たときに俺たちも歓迎することが……」
「デ、デ、デート?!」
「うん? ああ、あんた、はやての恋人かなんかだろ?」
ルッツはこの通信機越しの女性がはやてに執着していることは理解していた。はやてに対する親しみを隠そうともせず、執着心を見せるのは大抵恋人であるとルッツは考えている。
「ち、ち、ち、べ、べ、べ、べ」
それが正しいものかどうかさておき。
「……もしかして、俺の勘違いか?」
「……………………かんちがいじゃないよ」
勘違いではないらしい。
「……そうか」
「………うん」
「………」
「………」
「………ああそうだ、はやて用のテントなんだけどな、簡易的なもんだから、本来は一人用なんだ。けど寝るときにくっつきあうことになってもいいなら二人くらいなら一緒に」
「しょ~がないな~。はやてが帰るって言うまで居てあげるよ。あたしもいっしょにね」
「おお、そうか。そうだな、恋人なら一緒にいるのが当たり前だもんな。離れてたぶん、うちで仲睦まじく遊んだらいい。恋人らしく、一緒にな」
「こ、こいびとらしく」
ごくり、と生唾を飲み込む音が聞こえた気がした。
「恋人らしく、な。おお、それからな、ビサイド島には恋人の仲が深まるという伝説をもつ観光スポットがあるんだが、これがまた、本当にそうなってしまうってことで有名でなあ(嘘)」
「で、伝説?! でも、あたしそういうのは信じてないし」
「あ~、まあわかるぞ! あんたらアルベドはそういう呪いみたいなものはあまり好きじゃないらしいしな。でもな、そんな場所にはやてを連れて行ってみろ? どうなると思う?」
「ど、どうなるのさ……」
ルッツはすぐに答えない。じらすように、ためにためて、大ぼらを吹いた。
「夕暮れ時……、愛を永遠にするという伝説の場所(大嘘)に女の子と二人きり。次第に空には星空が浮かび、波の音と暗闇が二人を積極的にする。つまり……わかるだろ?」
「―――――っ!」
しばらくは滞在してもらえそうだ。
確信したルッツの口角は実にいやらしい角度で上がっていた。